ID:t6kgRq20氏:真の幻

中学生になったばかりの柊いのりは神社の隅に生えたペンペン草を一本だけつんだ。
その隣ではつかさがしゃがみながら興味深々とばかりにいのりの行動を見守っている。
夕日が鳥居を紅く照らし出し、昼よりは少し冷めた夏の風が時折カサカサと葉を鳴らしている。
年の離れた妹のつかさは、もうすぐ小学校に入学する頃だった。
二人の後ろではまつりが、かがみをおぶりながら走り回って遊んでいる。

いのりはペンペン草を妹の目の前でちらつかせながら言った。

「つかさ、これをよく見ててね」

いのりが一つ深呼吸をすると、ゆっくりとまぶたを閉じた。
つかさはこれから一体何が起きるのだろうかと、いのりが持つペンペン草に目を凝らしていた。
ほんの数秒たった後、いのりが目を開くとペンペン草は魔法のステッキに変わっていた。

「わあっ、しゅごいよ!お姉ちゃん!」

つかさは魔法のステッキを掴むと、キャッキャッとはしゃいで振り回していた。

「ほら、それを見てごらん」

いのりの言ったその言葉を合図に、つかさが持っていた魔法のステッキはもとのペンペン草へと戻っていた。

「あれえ?シュテッキは?」
「ステッキなんて最初から無かったわ。それは最初からペンペン草。つかさが言ってるステッキはね、私が作った幻なのよ」
「え?幻?」
「そうよ。テレビに映ったラーメンと同じね。さわれないし食べられもしない。ただ見えるだけで、本当はそこにラーメンはないでしょ?」

つかさは目の前で起こった現象に困惑するばかりだ。

「ふ~ん。じゃあシュテッキはどこに行ったの?」
「まあ、急に言われてもわかんないか。でも、つかさにも出来る事なのよ?」
「え?私にも出来るの?」
「もちろんよ。もっと大きな幻だってできるわ。この神社にまつられた神様のお力は、私とつかさにだけしか授かっていないのよ」
「わ~」

その後、つかさはいのりの真似をしてみたが、ペンペン草はペンペン草のままだった。




まつりはかがみに漫画を返そうと、かがみの部屋の扉を開けた。

「オーッス、かがみー。これおもしろかったよー」
「ちょっと姉さん、人の部屋に入るんならノックしてよね」

かがみの部屋はとんでもない事になっていた。その原因の一つはベッドだった。
なにせただのベッドではないのだ。
彫刻の掘られた四本の柱に支えられている屋根。そこからは白いカーテンが垂れている。
それはまるでお城にでもありそうなきらびやかなベッドであった。
そしてもう一つはそのベッドが巨大な亀の甲羅の上にあるということ。
まつりもその亀の頭の上に乗っていた。
部屋には壁も天井もなく、だだっ広い海が水平線まで続き、真っ白な入道雲が遠くで雨を降らせている。

「なにこれ」
「何って、つかさの幻よ。さっきやってもらったの」
「かがみはこれでオリエンタルなお姫様にでもなりたかったの?趣味わる~」
「うるさいわね。良いじゃない、ただの気分転換よ!」

つかさが作った幻は、柊家のなかでは気楽に使われていた。
例えばドレスを作ったり、いまのかがみの様に部屋の模様替えに使ったりだった。
いのりもつかさと同じく幻術士であったが、つかさの様には好意的に術を使わなかった。

この力はあまり大っぴらに使うことが出来ない。
それは二人が力を持っている事が世間に知られるのを、父のただおが恐れているからだった。
もしそれが世間に知れれば、たちまちマスコミに煽られ、または何かしらの信仰者に付きまとわれるに違いない。
或いは二人がこの力を使って不幸な人々を助けようと考えるかも知れない。
そんな事になれば確実に二人の自由は奪われ、平穏無事な生活が危ぶまれてしまうだろう。

今の暮らしで十分。ただおはそんなものを望んでいない。
つかさといのりもまたそれに納得していた。

「つかさがまだ帰ってきてないんだけど何か知らない?て言うかそのベッド、ひょっとして昨日の晩からそのままなのかね?」
「別にいつからだって良いじゃない。で、つかさはなんでも、用事があるって言って先に帰ったんだけど、少し遅いわね」

かがみとつかさは仲がいい。といっても二人の性格は全く相対的で、まるで杉とマングローブみたいなものだ。
かがみはしっかり者だが少しとっつきにくい所があり、対してつかさはおっとりとしていて人当たりはとてもいい。
それなのに二人の性格はうまく噛み合っていて、不思議と自然な関係が作り上げられていた。


時間はすでに夜七時。もうすぐ夕食が出来上がる頃だ。
寄り道をほとんどしないつかさにしては、この時間は確かに遅いと言える。
かがみはおもむろに携帯に手を伸ばした。

「ちょっとメールしてみるわね。最近、つかさが帰るのが遅い日って良くあるわよね?」

かがみの言うとおり一ヶ月程まえから、つかさの帰りが遅い日が何日かあった。
その理由を聞いてみても、うまく誤魔化されてしまいはっきりした事が分からない。
一体何を隠しているのかと、いい加減に心配になってくる。
生まれた時から一緒にいる双子の妹が、今どこで何をしているのか分からないのだから不安にもなる。
姉としてそろそろ強く聞いてみないといけないのだろうと、かがみは考えていた。
ちょうどのその時、玄関が開く音がするのと同時にただいまと言う声が届いた。

「つかさ、遅いじゃない。いままで何をしてたのよ」

階段を駆け下りながら、姉としての威厳を誇示しようとその質問を唱えた。

「ええ?なんでもないよ。わあ、今日はカレーライスなんだね。においで分かるよ」
「待ちな、つかさ」

かがみを差し置いて台所へ向おうとするつかさの前に、まつりが立ちふさがった。
まつりは今だ、とかがみとアイコンタクトを送ると、かがみもそれに従いつかさの前に立った。

「今日と言う今日は聞かせてもらうわ。どうして最近は帰るのが遅いの?みんな心配してるのよ」
「な、なんでもないってばぁ……」

つかさはあまり強く言われると弱い。言葉の語尾が聞き取れない程か細くなっているのは、何かを隠している証拠だった。
かがみもまつりもそれを見抜いた。

「ほら、何を隠してるの?言ってごらんよー」

ますます硬直していくつかさの頬を、まつりは軽くつねり上げて二三度程、まるでイネの中の餅のようにこねた。

「うい~う~……、えと……、その……。あのね、私ね……、彼氏が出来たの……」

二人はその言葉の内容を認められない。彼氏。そんな事ありえない。
何かの聞き間違いか、そうでなければつかさの巧妙な嘘に違いない。
本当にそうなのか。つかさに、彼氏が、出来ただって?
まつりはもう一度聞き返す。

「か、彼氏が出来たって?つかさに?」
「うん……」

つかさの顔がみるみるうちに赤くなっていく。
そ、そんなの嘘だ!ありえん!
かがみもまつりも同じ事を考えていた。
ただ、つかさの紅潮した顔が、真実を語っていた。




それから数日がたち、つかさと彼氏の仲も徐々に深まっていた。
今日は彼氏と公園へ遊びに行く事になっている。
学園から少し歩いたところにある自動販売機の前で二人が合流すると、そのままバス停へと向かった。
そこにはちょうどいいタイミングで目的地へ向かうバスが停まっていたため、急いで掛けて乗り込んだ。

「ねえ、セバスチャン。今日はお仕事大丈夫なの?」
「もちろん。すみません、つかささんともっと沢山一緒にいたいとは思うんですけど、やっぱりこの仕事も大切なんですよ」
「ううん、いいよ。そんなこと心配しないで」
「ありがとうございます。実は最近仕事がうまくいってないんです。少しずつ視聴率が下がって行って……」
「私は毎週らっきー☆ちゃんねる見てるよ。すごくおもしろいよ」
「うん。でも、みんなはそうじゃない……」
「うーん、そうだ、ちょっと気分転換してみない?」

ちょうどその時、バスが市内の公園に到着した。
バスを降りると、つかさは彼氏の手を引きながら、公園の中央にある大きな池の前にやって来た。
その周りにはジョギングする人、犬の散歩をする人、花をつむ少女。
とても賑やかな場所で、なかなか彼氏彼女の雰囲気がにじんで来ない。
それでもつかさはかまわなかった。

「セバスチャン、私ね、私が考えたことを人に見せることが出来るんだよ」
「はは、もしかして絵を描いてくたりするんですか?」
「そうじゃないよ、私の手を握っててね。放しちゃダメだよ。セバスチャンにだけ見せてあげるんだから」

そう言っていつかさが一つ深呼吸をすると、ゆっくりとまぶたを閉じた。
手をつないでいれば、つないでいる人にだけ幻術を見せることが出来た。
何を見せてあげよう。そうだ、私とかがみお姉ちゃんの誕生日の七夕を思い描こう。

お姉ちゃんと一緒に行った山で見た光景。
夏の虫が鳴いていて、火照った体を冷やしてくれる涼しい風が体をやさしく包むあの感じ。

太陽が沈み、夕日が池の水面に反射しきらきらと輝く。
それもつかの間、直ぐに辺りは暗くなり、一番星が瞬き始めた。
徐々に星の数は増えて行き、二番星三番星、もう数え切れない程の星が夜空いっぱいに輝き始めた。
それだけじゃなく、しましま模様の木星や、わっかにはまった土星の姿も見える。
ぼんやりとした白い帯が見えた。天の川だ。
その両脇にはおりひめ様とひこぼし様が立ち、お互見詰め合っている。
そこに三日月型の橋を一本架けてやる。
二人は橋を渡って、ちょうど橋の中央で抱きしめあった。
良く見るとそれはつかさと彼氏だった。
二人はもう二度と引き離されることはない。それがつかさの理想だった。

つかさにとって、幻術を家族以外の人間に見せたのはこれが初めてのことだった。



昼間の公園の、青々とした芝生が生えた木陰に、手をつなぎながら寝ている一組のカップルがいた。

「すごいよ……。一体君はなんなんだ?」
「え?なんなんだろうね……?」
「僕は今までテレビに映っては、普通の人には出来ないことをしてるんだぞって、自惚れてたんですよ。
でもそうじゃない。僕なんてぜんぜんすごくないんだ。つかささんはに全く及ばない……」
「わ、私なんて全然すごくないよ。セバスチャンの方が断然すごいよ!」
「僕からすれば、つかささんは到底手の届かない別次元の存在です。すみません、僕は先に帰ります」

それ以来、彼氏が学園に来ることはなくなった。





まつりがかがみから漫画を借りようと、二階へ上ると隣の部屋から話し声が聞こえて来た。
つかさが電話でもしているのだろうか?

「つかさ、何してんの?」

つかさの部屋の扉を開けてみて、かがみに言われたとおりノックをすれば良かったと、これほど後悔したことはない。
つかさと彼氏が抱き合いながらベッドの端っこに座っていた。
そして二人が固まったまま、まつりの方を見つめる。

「あ、あはは……。邪魔してごめんね!」

慌てて扉を閉めたまつりは、驚いたザリガニの様にすっ飛んで隣のかがみの部屋へノックもせずに入った。

「うわ、何よ姉さん!」

まつりは一呼吸間を空けて、心を落ち着いたのを確認すると隣に聞こえないように小さな声で話した。

「つかさの部屋に、彼氏がいた」
「なっ。ほ、本当に?」
「本当だよ」
「でも、今まで誰かが入ってきた気配がしなかったわ。いつの間に……。ゴホ、ゴホ……」
「どうしたの?」
「なんだか風邪引いたみたいで……、頭がいたいのよ……」
「バカは風邪ひかないって言うけどね」
「別にバカじゃないわよ」
「薬持ってきてあげる」
「ああ、ありがとう」



その後もつかさの部屋から気配がすることが度々続いた。それお陰でまつりにノックする癖も付いた。
ただ、つかさの彼氏がいつやって来て、そしてまたいつ帰っていくのかは誰にもわからなかった。
全く気配をさせないつかさの彼氏は、まるで幽霊のように思えた。
ちょうどその頃からつかさはいつも通りの時間に帰るようになり、以前の様に遅くなることもめっきり無くなった。
ただ、部屋にこもる時間が長くなったようにも思える。

「つかさ、今日で僕たちが出会って二ヶ月になるんだ」
「あ、そう言えばそうかも」
「今日はそれを記念してキスを二回しよう」
「えへへ、いいよぉ」

二人の唇が少しずつ近づいていく。もう直ぐで唇が触れ合う、その時だった。
突然つかさの部屋の扉が開き、いのりが顔を覗かせた。

「うわわ。お姉ちゃん、ノックしてよ」
「……」

いのりは二人を凝視し続ける。
まつりとは反応が全く違ったために、つかさもどう対処すればいいのか困った。
外ではザアザアと雨が降り注ぎ、緊迫した静寂の中ではその音がよく聞こえた。

「おねえちゃん!」
「ああ……ごめん、悪いわね」

いのりは悪びれる風もなく、つかさの部屋から出て行った。
そして階段を下りて行き、一階の自分の部屋へと戻る。
そこには座布団の上にちょこんと座るかがみとまつりの姿もあり、二人とも真剣な眼差しでいのりの姿を見つめる。
異様な雰囲気が漂うなか、いのりが部屋の扉をピシャリと閉めると、まつりが口を開いた。

「どうだった?」
「うん……。あの彼氏は、つかさが自分で作った幻ね」

かがみはそれを聞いて、ハアッとため息をつくとそのまま後ろへ倒れこんだ。その勢いで咳きも出た。
まつりも同じような反応だ。
いのりには幻を幻だと判別する力があった。
直感としか言いようのない感覚で、幻を見ればなんとなく幻独特の雰囲気を嗅ぎ分けることが出来る。
それはつかさにはない、いのりだけの能力だった。
そしてその力が見抜いたものは、幻想に恋をするつかさの姿だったのだ。


まつりの記憶の中では、つかさが自分の幻に酔ったりすることは一度も無かった。
いつもはまつり達を驚かせたり、楽しませたり、ほとんど遊び程度にしか幻を使わないつかさが、どうしてこんな事に。
寂しかったのだろうか?自分たちがそばにいながら、それでもつかさの寂しさを癒せてあげられなかったのか。
いつもかがみが側にいる。学校には友達がいるらしい。それでも足りないのなら、後は……。
まつりは自分を責め続けた。もっと自分がつかさにしてやれる事があったに違いない。
何が足りなかったのかは直ぐには思いつかなかったが、きっと出来ることがあったはずだ。
やりきれない怒りと悲しみが渦を巻き、まつりの体の奥深くへと溶け込んでゆく。

つかさへの対処法は何も提案されないまま、母のお風呂開いたよの言葉で三人は曖昧に解散していった。
明日は土曜日だ。時間ならある。そこできっと何か思いつくさ。そんな楽観的な考えが三人の脳裏にはあった。



つかさは部屋の照明を消し、ベッドに横たわった。
隣にはすでに彼氏が寝息をたてて眠っている。今日もいっぱい喋った。いっぱいキスもした。
とってもいい一日だった。明日もきっといい日になるだろう。
彼氏の寝顔を眺めながら、徐々にまどろみに支配されいく。

ヴーン

静寂に包まれていたつかさの部屋に異音が響いた。
つかさは目を擦りながら起き上がり、異音を轟かせている携帯電話を手に取る。
今が何時くらいなのか分からないが、深夜と呼べる時間であることは間違いない。
メールが一件。
確認してみると、それはつかさの彼氏からのものだった。
隣で眠っていたはずの彼氏は跡形もなく消えているが、今のつかさにして見ればそんなことはどうでもいい。
いや。どうでもいいからこそ幻は消えたのだ。
初めて家族以外に術を使った、あの池のある公園でのデート。それ以来彼氏とは全く連絡が取れない状況が続いていた。
学園にも登校せず、メールをしても返信は来ない。電話をしても出る気配がない。
ただ週に一度だけ彼氏はテレビに映り、はきはきとした明るい声を聞かせてくれていた。
その度に、いのりの言葉が蘇った。
「テレビに映ったラーメンと同じね。さわれないし食べられもしない。ただ見えるだけで、本当はそこにラーメンはないでしょ?」
その言葉はつかさにとって、自分が彼氏にフラれたのだと言う事実を悟っていた。
ただそれを真っ向から否定し続け、いつしか彼氏の幻を作り、偽の関係を築くようになっていった。
幻は今までにないほど完成度の高いものだった。
まるでそこに居るかの様に直接触れることが出来るのだ。
その幻は独自に物事を考えて発言し、感情や個性まである。まさに生きているのだ。
つかさははやる気持ちを押さえ込みながら、受信ボックスにかけられた四桁の暗証番号を一文字一文字キーを強く押し込んだ。
内容は非常にシンプルなものだった。

「明日の十五時に公園に来てください」

明日になれば、本物の彼氏に会える。
様々な期待を抱き、一方で関係を断られるのではないかと言う不安もあった。
眠れない夜が続いた。

次の日、昼ごはんを食べ終わったつかさは、すぐさま出かける準備を始めた。
今の季節ならどの服が一番いい?この帽子は少し子供っぽく見えるかもしれない。
昨日まで雨が振り続けていたのに、今では嘘のよう雲ひとつない青空が広がっている。
あれこれ身支度をしている間に、時間は二時を過ぎていた。
これでは遅刻してしまうかもしれない。つかさは急いで玄関にへと走った。

「ちょっと公園に行ってくるね!」
「待ちなさい、つかさ」

靴を履きかけたつかさをかがみが呼び止めた。

「何?おねえちゃん。ごめん、ちょっと急いでるの」
「彼氏のところへ行くの?」
「そ、そうだよ……」
「やっぱり……。つかさよく聞いて。あのね、あんたの彼氏って言うのは、本当はあんたの作った幻なのよ」
「ち、違うよ!これから会いに行くセバスチャンは本物だよ!」
「昨日いのり姉さんに見てもらったわ。あれは幻だって言ってた。つかさ、目を覚まして!」
「違うッ!!違う違う違う違う!!私は寝ぼけてなんかいないよ!それにセバスチャンはそんなんじゃないもん!」

普段のつかさでは信じられないほどの大声でわめき散らした後、大きな音を鳴らせて玄関を開き、走り出した。
かがみも靴を履かずにつかさの後を追った。足の速さではかがみの方が速い。すぐに追いついてしまう。
しかしただつかさの後ろを走っているだけでは埒が明かず、かがみはつかさのえりを掴もうと手を伸ばした。
ところが実際にかがみが掴んだものはつかさのやわらかい後ろ髪で、イタイッというつかさの悲鳴に驚いて慌てて放したものの、
最悪の状況を作ってしまったことに変わりはなく、振り返りかがみを睨むつかさの瞳からは、すでに一滴の雫がこぼれていた。
出来ることならその雫が地面に接触する前に受け止めてやりたいと思うほど、かがみは後悔していたのだが、
無情にもつかさは頬の水滴が流れ切る前に、かがみとは反対の方向を向いて再び走り出してしまった。

「待ってつかさ!」

かがみはつかさの後を追おうとしたが、足を動かす事が出来なかった。




まつりは母親に近くのコンビニへお使いを頼まれしぶしぶ承諾し、頼まれた卵とついでにアイスも買って帰っていた。
それをうまそうに舐めながら歩いていると、顔をくしゃくしゃにして猛烈に走っていくつかさとすれ違った。
もうすぐ自分のうちの神社の鳥居が見えるだろうというところだ。
そしてちょうど鳥居の前の辺りにはかがみが突っ立っている。
昨日あんな事があったばかりだとい言うのだから、まつりもこれが重大な事なのではないかと気づき始めていた。
しかし本当に重大な事とは、ようやくこれから始まるのだ。
まつりはかがみに走りより、急いで事の事情を聞きだそうとしたのだが、息切れするかがみは物を言わなかった。
少し様子がおかしい。風邪だから?いや違う。まつりのその予感は的中する。
かがみがぐらりと傾くとひざを硬いアスファルトに付き、そしてそのまま上半身も傾き始めた。
慌ててまつりが受け止めようとしたのだが、差し伸べた胸がかがみの肩を抱くことはなかった。
かがみは前に立つまつりの胸を、文字通り、すり抜けた。
まつりのお腹にかがみの腰があり、まつりの背中にかがみの肩があるという状態だ。
かがみはまつりに触れることはなく、そのまま重力に任せて倒れて行き、それに合わせてかがみの体が透明になってゆく。
そして地面に上半身があたりそうな所で、とうとうかがみの姿は消えてしまった。

まつりにとってはまるで夢を見ているかのような感覚だった。
かがみの足がある筈の場所に手を伸ばしてみたが、アスファルトに触れることしか出来なかった。
つかさが走っていった方向を眺めてみたが姿が見えない。
つかさまで消えていないのならば、すでに走り去ってしまった後なのだろう。



つかさはバス停で次のバスを待つ間、姉たちに付かれていないかと心配でならなかった。
姉たちは何も自分の事を、彼氏のことを分かっていない。
それどころか彼氏の存在を否定し、縁を断ち切ろうとさえしている。
ここまで憎悪に満ちた考えが頭をよぎるなんて今まで経験したことなどなく、自分がどうかしてしまったのではないかと怖くなっていた。
しかし悪口は際限なく脳裏を横切り、止め処もなく愚痴がこぼれる。
バスが滑り込むようにターミナルへと侵入してきた。
つかさは辺りを見回し誰も付いて来ていない事を確認すると、乗り込み口につまづきながらもすばやく乗り込んだ。
約束の公園までの道のりのほとんどを、通学に使うバスと電車を使用するため、定期を使いながらの移動となった。

初めて自分の秘密を明かしたあの公園。思い出のあの池がもうすぐ見える。
そして彼も。

池のほとり――ちょうど幻を使ったあの場所に、彼はちゃんと待っていた。

「セバスチャン!」
「つかささん、すみません……、今まで連絡もとらず……」
「いいよ、そんなのいいよ!セバスチャンに会えればそれだけで」

二人はひとしきり抱きしめあいお互いの感触を確かめあった後、彼氏はそっとつかさの耳元でささやいた。

「つかささん、お話があります」


どんな話があるのか興味はあったが、それよりも彼氏と話せることの喜びで深くそのことについて考えていなかった。
公園のすみっこには池の水位調整のために使われる機械があり、二人はその裏に入り込んだ。
そこは青々と生い茂る背の低い木に挟まれていて人目につきづらく、そこで誰が何かをしようとも人目に触れるようなことはない。

「前にここに来た時、僕に幻を見せてくれましたよね」
「うん、そうだったね」
「その力を、世のために使ってみたくはありませんか?」
「え?」
「つまりその力をテレビで紹介するんですよ!世界中の人たちはきっとその力を求めてるはずです!」
「ダメだよ……。私の力なんて、見てくれだけで何にも出来ないよ」
「そんなことはありません!例えばテレビだってただ見て聞いているだけですけど、ご存知の通り世の中に強い影響力があるじゃないですか。
つかささんにだってそれだけのことが、いやもっとすごい事が出来るんですよ」
「でも、それにお父さんとも約束したから――」
「お父さんだって、つかささんの活躍をご覧いただければきっと納得してくださいます」

長年守り続けてきた家族と交わした約束事。この約束を守ることが常に当たり前のものなり、それを破るなんて考えもしなかった。
目の前の彼氏の目に宿るものは、ほんの少し前の彼のそれとは別の物へとすり替わっていた。
つかさはその瞳を見て、地の底から湧き上がる赤黒い溶岩を連想した。
地べたを這いながら触れるものをことごとく飲み込み、逃げ遅れれば助かる見込みはない。
ふたりが付き合い始めた頃のあの、深海の水の様に深く透き通っていた瞳はもうどこにも見つからなかった。
もはやつかさの知っている、彼氏ではない彼氏が、今、つかさに迫りかかろうとしていた。

「……ダメ……」

こう答えるほかにない。
なぜ彼氏が、何を考えてこんなことを喚きだしたのか想像など出来ないし、今の彼について行って自分がどうなってしまうのかは考えたくもない。

「ごめん、私帰るね」

おびえて何も言えない中、なんとかその言葉だけを告げた。





消えて無くなってしまったかがみを探していたまつりは、気が付いたように慌てて姉のもとへ駆け込んだ。
いのりは巫女服を着込み、本堂の前でお守りの整頓をしていた。

「姉さん!かがみが!かがみが消えちゃったよ!かがみが!かがみが!」
「消えた?なに、どういうこと?」

いのりは慌てふためく妹を落ち着かせるのに苦労した。
ただ、まつりの言う消えたという言葉が全てを物語っていたのだ。
ひざが笑い出し、肩の力が抜け、そして軽い吐き気がいのりを襲う。
その場にしゃがみ込み、ほんの少しじっとしていたかと思うと突然立ち上がり、そして何かをあきらめたかの様にまたしゃがむ。

「姉さん、どうしたの?どうなっちゃったの?」

まつりもいのりの隣にしゃがんで、二人の姉妹が並んだ。




つかさは一歩二歩と後ずさり三歩目を踏み込もうとしたとき、男の腕がすっと伸びてつかさのきゃしゃな腕を鷲づかみにした。

「待てよ!これはビジネスチャンスだ!パフォーマンスだ!金だってわんさか手に入る!じゃじゃ馬パートナーと組んでテレビ出演だってもうしなくていいんだ」
「私そんなのやらない!放して」
「どうして分かってくれないんだ!つかさ、目を覚ませよ!」

ちょっと前にもお姉ちゃんに同じ事を言われたな、と姉の警告を無視した自分が嫌になった。

「いやあ!放して!助けて、お姉ちゃん!」




「まつりは覚えてないかもしれないわね、かがみが生まれてきた時の事を……」
「うん、そうだね。私もちっちゃかった頃だから。それとかがみが消えちゃったことと関係が?」
「……まだ気が付かない?ごめん、冗談よ。いいわ、話すわ。つかさはね、赤ちゃんの頃から泣き虫で、よくお母さんを夜泣きで起こしていたものよ。
私もそのころは随分小さい頃だったから、実際はまつりみたいに記憶が曖昧なんだけど、お母さんは随分と苦労してたみたいね。
まあ、その頃はあんたも当たり構わず落書きをしてお母さんを困らせていたけどね」
「そんな話はいいてっば。パス。早くかがみのことを教えてよ」
「ごめんごめん。確か……。つかさが一歳の誕生日になった時ね。その時、二人分の泣き声が響いたわ。
その頃になれば私の力も随分と熟してきていてね、幻は想像通りのものが作れたし、自分でそれが幻だって言うことも見分けられたわね。
さて、二人の鳴き声に呼ばれて、お母さんと、お母さんと一緒についてきた私がつかさが寝ているベッドへ行ってみると、かがみも一緒に泣いていたのね。
それを見て、お母さんは腰を抜かして、それから私に問い詰めてきた。けれど私じゃない」
「なに?どういうこと?姉さん何かしたの?」
「まだ分からない?そうね、つかさが生まれたとき、あの子は一人で産まれてきたのよ。双子じゃなくてね」
「うそ……」
「やっと分かってきたかしら?かがみを産んだのはお母さんじゃなくて、つかさの、双子の姉が欲しいと願う、心。
かがみはつかさの心を写し取った鏡。やさしくて、一番頼りに出来て、自分を守ってくれて、最も理想の姉。
かがみは初めからいなかった。つかさは何も自覚してないみたいだし、気づいてもいないみたいだけど……。かがみはね、つかさが作った幻なのよ」
「そんなっ……。そんなのってないよ!冗談でしょ!?今までずっとかわいい妹だって思っていたのに、それがありもしない幻だったって?そんなの信じられるわけがないよ!」
「私は本物と幻とを見分けられるわ。かがみも、昨日つかさの部屋にいた男と同じ気配がする。
もっと身近なものを見てみなさいよ。さっきかがみが消えたんでしょ?そんな事、現実にはありえない」
「そ、そうだけど……」

「ねえ、まつり。ここからが重要なの。かがみ、最近風邪気味だったじゃない。もしかしたら、あれは今の事態の兆しだったのかも知れないわね。
さっきかがみとつかさが喧嘩してたのは、ここにも声が聞こえてきたからわかったんだけど、どうやら彼氏の存在がかがみの存在以上に大きくなっちゃったみたいね。
本当にいるのかどうかは分からないけど、彼氏がいるから、つかさのかがみへの意識が薄くなっていったんだと思うわ。
それが原因でつかさの心で作られたかがみの体にも影響が出て、風邪に。
そしてついさっき、つかさはかがみが邪魔だと思うようになってしまって、とうとう消えてしまったのよ」
「そんな、そんなあ。かがみが幻だって事を信じるか信じないかは置いといて、仮に本当にかがみが幻だとしたなら、
かがみは、つかさのちょっとした気まぐれで消されちゃったって言うの?」
「幻は術者の心で出来てるのよ。倫理や理屈なんて関係なく、そう思えば正直にその通りになるわ」
「く……」


かがみはバス停まであと少しという所を走っていた。
会ってどうすればいいのか分からないのに、早くつかさに会いたくてたまらない。
あたまがくらくらするのは、道路の上に寝そべっていたからなのか、それともあれが真実だからなのだろうか。
ほんの数分前、消えていたかがみの体が姿を現し、なぜ自分が倒れていたのか分からぬまま彼女は起き上がった。
そしてその理由を直ぐに理解してしまう。
神社でしゃがみながらするいのりとまつりの会話が、かがみの耳に届いてしまったのだ。
暫くしてバスがターミナルに到着し、かがみはすばやく乗り込んだ。




男は自分のパートナー、小神あきらの手を握っていた。

「あ、あきら様!?」
「あんたいい度胸してんじゃない。じゃじゃ馬パートナーだ?ぁあぁん?」
「いや……、これは……」

そんな筈はない。彼は目の前の光景を拒否するのに精一杯だ。
ほんのまばたきをした間に、柊つかさからあきら様に摩り替わるなんて常識的におかしい。
一応は術を受けないよう警戒してつかさを捕まえたのだが、やはり手袋をして直接つかさに触れないようにしたぐらいでは防げない様だ。
あきらの声はもちろん、中学生らしい小ぶりな手とそのやわらかさ、その触感はまさに本物だった。
しかし所詮は幻だ。男は自分に強く言い聞かせた。
今は確実につかさの手を握っているはずで、この手を放さない限りはつかさが逃げることはできない。

「あ、本物の小神あきらだ!」

長く青い髪の小さな少女が、いや確か同じクラスの女子だった気がするが、とにかくあきらのファンなのだろう彼女は二人の方へふらふらと歩み寄りつつあった。
まずい、野次馬が集まられては公園から出ることすらできやしない。

「あ、すみません。今はそういうのはお断りさせていただきます」

男は適当な理由をつけて相手をまいた。
その後に気が付いた。今の少女も実は幻だったのではないかと。ここは人目に付きづらく、そんな簡単に見つかるはずがない。
これもまずい、現実と幻の区別がすでにつかなくなっている。
次に現れたのが監督だった。

「おいどうした。そんなだからいつまでたってもお前はくずなんだ!」
「……っ」

男が一番嫌いだと思う物が監督だった。
こんな所に監督がいるわけがない。彼は必死に監督の言葉を無視し続けた。
気が付けばそこは樹海だった。
いつか樹海の水を汲んで来いと言うあきらの突然の指示で、あるいは監督の指示だったのかもしれないが、その時に見た光景がそのまま目の前に広がっていた。
しっとりとしたあの空気。その中で漂う木の匂い。全てがあの時のまま再現されている。
茂みの中からワニがこちらを睨んでいる。これは幻なのだと分かっていても、正直怖い。

「きゃあ、あきら怖あい。助けて~☆」

こんな状況の中で、隣のあきらは胡散臭い声をあげる。
あきら、いやつかさの腕を握る手の中で何かがもぞもぞと動き出す。
気持ち悪くなってそっと指を延ばして中を確認しようとすると、その隙間から何十匹のムカデが溢れだし、ぼたぼたと腐葉土に落ちていく。
男はここが限界だった。

「ウアッ、アーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!」

握っていたものから手を離し、気が狂ったような叫び声を上げながら公園を走っていった。

かがみが公園の入り口に着いたのはそれから十分ほど後のことだった。

「つかさーーー!」

公園を見回した限りではつかさの姿は見えない。
土曜の昼ともなれば公園内にはかなり沢山の人達が集まっており、その一人一人の服や顔を見ていくのは骨の折れる仕事だった。
いくつもの不安な考えがよぎる中、公園中のいたるところを駆け回ってつかさの捜索をしていった。
池の中で溺れてやしないか、彼氏に何かされたんじゃないだろうか、もうここにはいないのだろうか。
かがみはパイプが入り組んでいる本来なら立ち入り禁止の区画に足を踏み入れた。

「つかさ、みーつけた」

生い茂る低い木の隙間には、数百のぬいぐるみがうず高く積み重なり大きな山なっていた。
その中には小さく縮こまっている妹もいた。

「え?おねえちゃん?」
「帰ろう」
「うん……」
「お姉ちゃん」
「うん?なあに?」
「お姉ちゃんが一番大好きだから」
「私もつかさが大好きだよ」

姉はぬいぐるみの山に潜り込むと、妹の体を抱き上げた。
山は崩れ、次第に消えていく。

「えへへへへ」
「ふふふ」

やっぱり自分はつかさによって作り出された幻なのかも知れないと、この時かがみは思った。
つかさにとっての理想はかがみ以外にいない。
これからつかさと付き合っていくこと、自分が幻だと言う事に不安を感じる必要はなにもない。
かがみにとっての理想もやはりつかさだったのだ。

まつりは立ち上がった。

「姉さん、私、つかさにその事を話す」
「ダメよ!そんな事したらつかさが傷つくだけだわ!」
「かがみは幻だったんだって、つかさに現実を教えなくちゃ!」
「そんな事をしてどうするの?そんなことすればかがみに二度と会えなくなっちゃうかもしれないのよ」
「私だって、かがみに会えなくなっちゃうのは嫌だよ!大丈夫、たとえ幻でもかがみはかがみだよ。
つかさはそれを知ってもきっとうまくやっていけるから」

まつりは歩き出した。行動は早くした方がいい。つかさがどこへ行ったのかは知らないが……。
いのりも立ち上がり、まつりの腕を握り締めた。

「待ちなさい、まつり!このままそっそして置いてあげて。かがみがいない事がつかさにとっての理想なのよ」
「そんなはずないよ!つかさには教えないといけないんだ。現実と向き合うことが大切なんだよ」
「まつりには何も分からないわ。幻術を使うことがどういう事なのか。幻が何なのか」
「姉さんこそ現実を見ないとダメだよ!」

まつりはいのりの手を振りほどき、自分達の家へと掛けて行く。
彼氏とかがみが同種だったと言うことはショックだった。
昨日は彼の存在を否定してしまったのに、かがみだけは否定できない。
矛盾している。
多分、自分の家族だからなんだろうと、まつりは開き直るしかなかった。

残されたいのりは、瞳が濡れ始めていた。

「まつりの言うとおりなのかも知れないわね。私も……現実を見なくちゃいけない時が来たのかしら……」

まつりは神社から一旦出るため、鳥居の近くの手水舎の前を走っていた。。
その周りには大きな水溜りが出来ていて、その水面にはきらきらと輝く太陽と一緒にまつりの姿も写った。
まつりがその上を飛び越えようとした時、水面で揺れる太陽はまつりの体で覆い隠されるはずだった。
しかしその輝きはまつりの体を透き通り、なおも水面で輝き続けていた。
まつりはそれを見て、とっさに太陽を踏みつけ揉みくちゃにしてやろうとする。

しかし、その足が水面に触れることは、なかった。
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。