夕方のお墓。
「ゆーちゃん……」
こなたは、ゆたかの墓の前にいた。
ゆたかの納骨は無事に終わり、参列者は解散したあとだった。
しかし、こなたは、父親にちょっと寄るところがあるといって、戻ってきた。
そして、ずっと墓の前でたたずんでいた。
ゆたかが納得の上で死んでいったことは分かっている。
自分のお腹の中に芽生えた小さな命を守る──ゆたかのその決断を止めることなど誰にもできなかったに違いない。しかし、その代償はあまりにも大きすぎた。
なぜ……なぜ、ゆたかの命と引き換えでなければならなかったのか? この世に神様がいるならば、その理不尽さを罵ってやりたかった。
目から涙が零れ落ちた。
「やっぱり、ここだったか、こなたちゃん」
背後からの声に顔をあげるとそこには、
「ゆい姉さん……」
「あんまり遅いからおじさんが心配してるよ」
「……誰にも見られたくなかったのに」
泣いてるとこなんて、誰にも見られたくはなかった。
「ごめんよ。でも、こなたちゃんはよく頑張った。だから、泣きたいときは思いっきり泣けばいいのさ。お姉さんが胸を貸してあげるから」
こなたは、感極まってゆいに抱きついた。
そして、
「うわぁーん」
大声で泣いた。
ゆたかの死からこれまでずっと気丈に振舞っていたこなたであったが、ここに来てついに耐え切れなくなった。ダムが決壊したかのように、涙が止まらない。
こなたが落ち着くまでどれぐらいの時間がたったのか。
気づけば、すっかり暗くなっていた。
「じゃあ、帰ろうか」
ゆいの言葉に、こなたはうなずいた。
「じゃあね、ゆーちゃん」
こなたは、お墓に別れの言葉を告げた。
ゆいは帰る前に、ゆたかの墓の正面に立った。そして、
敬礼。
それは、普段のいい加減な彼女からは到底想像もつかない完璧な敬礼だった。
数十秒ほど不動の姿勢を維持して、そして右手を下ろした。
「お姉さんは、敬意の表し方をこれしか知らないんだよね」
「敬意……?」
「そう。ゆたかは、小さな命を守って死んでいった。これは充分に尊敬に値することさ」
暗くなった墓地を二人で歩いていく。
「ゆい姉さんは強いね……」
こなたは、ぽつりとつぶやいた。
ゆいは、ゆたかが亡くなってからこれまで一度たりとも泣きそうな顔すら見せていない。
「警察官はみんなが泣いてるときは決して泣いてはいけない。警察官はいつでも頼れる存在でなくてはならないから」
「……」
「私が警察に入ったときの先輩の言葉。滅茶苦茶厳しかったけど、面倒見のいい人でね。いい加減な私がこれまで何とか警察官としてやってこれたのも、全部その先輩のおかげだと思ってる。生きてれば、かなり上の地位に昇っていただろうね」
「えっ……?」
「高速道路交通機動隊に転属して1ヵ月後に亡くなったよ。事故直後の現場で交通整理中に突っ込んできた車から同僚をかばってね。立派な殉職だった」
こなたは言葉が出なかった。
「もちろんお葬式には私も出た。同僚の警察官もたくさんいたけど、誰一人として泣いてる人はいなかった。私も、先輩の教えを守って、涙を流さないように必死に耐えた」
ゆいは、ただ淡々と語り続ける。
「出棺するときは敬礼で見送った。敬礼に本当の敬意を込めることができたのは、そのときが初めてだった。そして、警察官として必要な本当の強さを手に入れられたのも、そのときだったと思う」
この人は、誰も見てないたった一人だけになったときに初めて泣くのだろう。
人前で悲しみの涙を流すことを自分には許さない。それは、不幸なことではないのか?
そう思うけれども、こなたは口には出せなかった。
こなたを送り届けたあと、ゆいは自分の家に戻った。
単身赴任の夫は、明日からの仕事のためもう家を出ている。
一人だけの家。
その中で、彼女は泣いた。
誰にも聞かれぬように泣き声をこらえて、ただ涙を流し続けた。
終わり