泉こなたの消失 第二章

昨日狂わされた体内時計は、今日も私を妙な時間に目覚めさせた。
流石に昨日の再現は避けたいので、私はもう起きることに決めた。
ゆっくりと体を起こし、欠伸をすると、自分の喉が水分を要求しているのを感じた。
私はベッドから降り、カーディガンを羽織って台所へと向かった。
廊下は昨日よりは冷え込んでおらず、床の冷たさがダイレクトに足の裏に伝わる程度だった。
それでも私の体を震えさせるのには十分で、寒さと格闘しながら私はようやく台所へたどり着いた。
棚からコップを取り出し、水を半分ほど注ぎ、一気に飲み干す。
水は体の芯まで染み渡り、そのおかげで私の眠気はある程度離れて行ったようだった。
同時に、深い溜め息が出た。『溜め息をつくと幸せが逃げる』という言葉があるが、
幸せなとき出る溜め息もあるから別にいいんじゃないか、という屁理屈交じりなことがふと思い浮かんだ。
もう一度コップに水を注ぎ、私はリビングへと向かった。

「あ、おはよう、お姉ちゃん」

珍しく、つかさが早起きをしていた。テーブルで、この間買い溜めたミカンを食べていた。

「早いじゃない」
「うん、寒いから目が覚めちゃった」

私はつかさのミカンを一つ摘み、口に放り込んだ。ミカンの程よい甘さが口いっぱいに広がる。
朝の光を受けていないリビングは、妙に静かだった。水を飲む喉のゴクリという音でさえ聞こえてきそうである。
つかさはミカンの皮をゴミ箱に捨てると、小さく伸びをしてリビングを出た。

「二度寝するなよー」

昨日の自分の姿を思い出しながら、私は言った。つかさが間延びした声で返事をするのが聞こえた。







「行ってきます」

朝食を済ませ、手早く身支度を整えた私は、宿題をやり忘れていたと今にも泣き出しそうなつかさの手を引っ張って家を出た。
みゆきにでも見せてもらいなさい、と言うと、つかさは笑顔に戻って「そっか、そうだよね」と言った。
完全にみゆきに依存してる。こいつも最近こなたに似てきたな、と思った。
こなただったら何食わぬ顔して「みゆきさんに見せてもらうから大丈夫」とか言い出すに違いない。
その分、それなりに責任を感じているつかさの方が数百倍マシか。

……あ、そうだ。こなたで思い出した。
こなたに本を弁償してやらないと。たまには早起きもするものだな。

「ごめん、つかさ、先行ってて」

つかさの肩を軽く叩き、私はつかさと別れ、近くの本屋へと向かった。

本屋に向かう途中、少し強めの北風が吹いた。私は顔をPコートに埋めるようにして、体の熱を逃がさないように努めた。
空を見る。お天道様は相当な恥ずかしがり屋のようで、雲を大量に寄せ集めて自分を隠してしまっている。
アンタが隠れてると、こっちは寒くて仕方ないんだよ。アンタの体温、少しぐらい分けてくれたっていいだろうに。
夏場、お呼びでないのにも関わらず「俺を見てくれ」と言わんばかりにでしゃばってくるのに、
何で冬に限って自己アピールをしない。おーい、太陽。今ならでしゃばってもいいぞー。誰も怒らないぞー。

……と一人でつっ込んでいるうちに、本屋にたどり着いた。
自分の脳味噌を誰かに覗かれたらきっと死ぬほど恥ずかしいだろうな、と考えながら、私は自動ドアの前に立った。

店内はまどろむほどに暖かかった。ここに布団を敷いたら絶対快眠できる、と確信が持てるほどだ。
でも、のんびりしている暇は無い。こなたから借りたのと同じ本を探し、会計を済ませる。
外に出るのが少し後ろめたかったが、長居しても意味はないので思い切って外に出た。
店内の温度と外の気温の差が激しい。私は、自分の耳が妙な熱を帯びていくのを感じた。

さーて、あのオタクお嬢様は何て言うかしらねぇ。
やっぱり怒るかな、それとも「そーいう律儀な所もあるかがみ萌え」なんて私をおちょくってくるだろうか。
そんなこと言ったら、今度は五十面相にしてやろうか。

やはりちょっと長居しすぎたらしい。こなたとの待ち合わせ時間に少し遅れてしまっていた。
……ま、いいや。学校で渡せば。

何となく胸を躍らせながら、私はいつもの通学路へと向かっていた。







C組の教室に入って、峰岸や日下部と軽い挨拶を交わした後、私はブックカバーを被った本を手に、B組へと向かった。
廊下ですれ違う人は誰も皆寒そうにしていて、マフラーやら耳当てやらを厳重に装着して
寒さという名の騎兵隊から体を完全防備している者がいれば、
一方でお前は足軽かと言わんばかりに軽装で、自らを犠牲にして寒さに立ち向かうものもいた。
ただ、その足軽高校生の一人や二人が犠牲になったところで、他の学生が快適に過ごせるわけでも無いのだが。
とにかくこの季節の寒冷前線との壮大な戦争は、人それぞれの形で繰り広げられている。

そして、B組に到着した私は、静電気を一発喰らった後に戸をスライドさせた。

他のクラスの教室は別の世界のような気がするのは私だけではないはずだ。
内装、机の配置など外面的な部分もあるが、特に何が違うかといえば、クラスの空気が違うのだ。
だが、このB組の教室に至っては、空気が、まるで自分のクラスのように私に馴染んでいる。

教室で揺れる黄色いリボンに、私は歩み寄った。

「つかさ、こなたはまだなの?」

つかさはこっちを見て、何やら不思議そうな顔をした。

「どうしたの? 何かあった?」

少し黙った後、つかさの口から私の思いもよらない言葉が放たれた。

「お姉ちゃん、『こなた』って、誰?」

思考が一瞬停止した。コンマ数秒思考を停止させた後、私は即座に言った。

「アンタ寝ぼけてるの? あんなに早起きしたのに」
「寝ぼけてなんか無いよ。お姉ちゃんこそ、何言ってるの?」
「は……?」

頭の中で、何かモヤモヤしたものが渦巻く。
「こなたって誰?」って、3年間同じクラスだったんでしょうが。
何だ? ドッキリでもやろうってのか?

「ふん、そんな手には乗らないわよ」

未だに不思議そうな顔をするつかさ。フン、随分演技が上手くなったじゃない。
私はB組の生徒を一人捕まえ、こなたのことを訪ねることにした。

「ねぇ、アンタ、今日泉さんは休みなの?」
「はぁ? 知らないよ、そんな奴」

クラス揃ってドッキリか……?
私の頭は、徐々に混乱を始めた。

その時、教室の扉が開いた。
そこには、桃色のロングヘアを揺らした女性。つまり、高良みゆきが立っていた。
私は何故か必死になって、みゆきの両肩を掴む。彼女は、ひっ、と小さく声をあげた。

「ねぇ、みゆき! こなたは、こなたはどうしたの?」
「そ、そのような方、存じませんが……」

私は、静かにみゆきの方から手を外した。
そして、B組の教室を駆け出した。

学校中を探し回る。必死に、必死に。始業のチャイムも、全く気にならなかった。
でも、こなたはどこにも居なかった。彼女の痕跡すら、見つけることは出来なかった。

走りすぎて、息が上がる。肺が痛い。喉が痛い。体が熱を帯びてくる。
汗が吹き出る。体の熱は私の体にねちねちと絡んできて、私に不快感を覚えさせた。
とうとう私は走るのをやめ、その場で立ち止まった。B組の教室の前だった。

「こなたっ!」

呼吸が落ち着かないまま、私は叫んだ。
その声は誰もいない廊下を矢の如く突き抜け、空しく響いた。
残ったのは、ただの静寂。





――どういうことだ。こなたが居ない?
何故だ。今までの彼女との記憶は、幻だとでもいうのか。
体育祭、修学旅行、文化祭。コミケにだって行った。こなたとの思い出は、他のどんな記憶よりも深く心に刻み込まれている。
でも、何で、こなたがここに居ない。
クラスの人間たちの雰囲気や喋り方から考えて、ドッキリということはあり得なさそうだ。
あのつかさやみゆきが、ホントに何も知らないというのだから。





――じゃあ、一体こなたに、そして、私に何があったというのだろう?





B組の教室の隅で、いつの間にか手離していた本が、風に身を任せるようにペラペラと捲れていた。
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