恋をするということが、こんなにも辛いものだとは思っていなかった。好きなのに、好きと言えなくて。それがこんなにも辛いものだとは。言葉にしたらたった二文字、容量としては二バイトしかない言葉なのに、それは、私の許容範囲を大きく越えている。――好き。たったそれだけなのに、言えない。言ったら、相手を傷つけてしまう。相手にだって、好きな人がいるはずなのに。……いや、それ以前の問題だろう。だって、私が好きなのは――〈the EDGE of the WORD ~月光~〉「危ない、こなた!!」その声で我に返った時、私は赤信号を渡ろうとしていた。前進行動を続ける私の身体をなんとか止め、バックステップで歩道まで戻る。その瞬間、私の目の前を四tトラックが走り抜けていった。「もう、危ないよぉ」黄色いカチューシャ型リボンを揺らしながらつかさが心配そうに言ってきた。「ごめんごめん、ちょっとボーッとしててさ」――言えない。考えてた内容なんて、絶対に言えない。「また夜中までゲームやってたのか? 仮にも私達は受験生なんだからゲームばっかりは……」
多分、お母さんがいなかったからだと思う。自分をちゃんと叱ってくれる人を、私は欲していたんだ。ゆい姉さんとも、ゆき叔母さんとも違う、自分だけのお母さんとなり得る人を――「……こなた……?」「……ごめんね。もう大丈夫だからさ。行こっ」私はなんでもないような顔をしながら少し早足で歩きだす。でも、勘のいいかがみのこと。多分、私の微妙な変化に、気付いていただろう。案の定かがみが何かを言ってきたが、聞こえないふりをして柊姉妹の家を目指す。かがみは良く、私のことを見てくれている。私の悩んでることにすぐに気付いて、悩みの内容も言っていないのに的確なアドヴァイスをくれる。かがみは本当に、私のことを見てくれている。私のことをわかってくれる。それが嬉しくて、それが……ううん、ダメ。そんなの、絶対に許されない。言葉にするなんて、もってのほか。言葉は、人を救うことができる。でも言葉は時として刃となって、大切な人にも無闇に切り掛かる。それに、私のこの思いは、この言葉は――ただ傷つけるだけでは、終わらないんだ。言葉にすることなんて、絶対にできない。そう、絶対に――「こなた、あんた今日やっぱり変よ」「こなちゃん、どうかしたの?」柊家にて。ベッドに腰掛けている柊姉妹がそう尋ねてくる。『やっぱり』って言ってるあたり、なにかしらの変化を感じ取ってはいたんだね、予想どおり。
なぜかがみの疑惑が確信に変わったのかと言うと、私の目の前にある光景。私はあるRPGをやらせてもらっているのだが、画面には『その後、彼らの行方を知る者はいなかった』の文字。そう、私のパーティーが全滅したのである。普段なら軽くクリアしているそれを、今日は何故か全滅。おかしいと思って当然だ。「なんか、気分が乗らなくってね」適当に返事をしてゲームの電源を切り、振り返る。「それよりも、かがみの方が変じゃない? っていうより、苦しそう」今日出会ってすぐ、私がかがみに抱いた疑問だった。そしてかがみは、驚いたように私を見た。「なんでわかったの?」って言いたげな顔で。ちなみにつかさは気付いてなかったのか、かがみの方を見て「本当なの!?」と尋ねていた。「いつもより歩幅が狭く感じたんだよね。それに、声にも元気がなかったし」「……こなたって、洞察力凄かったのね」かがみだって凄いと思うよ?「こなたの言う通り……よ。実は今日、ちょっと……風邪気味……で……」「かがみ!?」言い掛けて、崩れ落ちるかがみの身体をなんとか抱き抱える。どうやって我慢していたんだろう。呼吸が荒くなり、顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。熱を測るため、私はかがみの額に手を……熱っ!!「かがみ、風邪気味どころの騒ぎじゃないよ!?」「ごめんね、こなた……せっかく、久しぶりに遊べたん、だから……風邪引いたくらいで……断念したく、なくって……」……ああもう、これだからかがみは……。変なところで大人っぽくて、変なところで子供っぽくて……。
とりあえずつかさに、氷枕と汗をかいてるから飲み物を持ってくるように指示。私はかがみに尋ねながらタオルと着替えをタンスから出す。すでにかがみの身体は汗でびしょびしょだった。こんなにひどいのに我慢してたなんて……。「いい、よ、こなた……自分、で……着替えるから……」「だめだって! 無理に身体を動かしたら余計に悪くなるから、私がやる!」ベッドから起き上がろうとするかがみを制止する。こういうのはゆーちゃんで慣れてるから、いつの間にか知識として身についてる。私の言いたいことが伝わったのか、かがみは身体をベッドの上に横になった。私はそんなかがみの身体を動かしながら、少しずつ服を脱がせる。
かがみの衰弱した顔を見て、ふと、邪(よこしま)な気持ちが頭に浮かんだ。――今なら、かがみの唇を奪える。今のかがみは、抵抗できないだろうから。って、何を考えてるんだ私は!?「こ……こなた……早く……寒い、よ……」かがみの言葉でなんとか我に返った私はかがみの服を脱がして、汗まみれの身体をタオルで拭く。途中で我を失いそうになる度に、理性という名のストッパーが跳ね返してくれた。そして新しい服を着させ、ベッドの中にかがみを入れた。「こなた……ありがと、ね……」そう呟くと、かがみはすぐに眠りについた。相当辛かったんだろう。その後すぐにつかさが戻ってきて、枕を氷枕に変えた。飲み物はポカリを持ってきてくれた。汗をかいた時にはスポーツドリンクがいいんだよね。つかさ、GJ。けど、かがみは寝ちゃったし、これは一旦机の上に置いておこう。「こなちゃん、ありがとー。私だけじゃ、パニックになってたよ」つかさがお礼を言ってきたけど、私はお礼を言われる筋合いなんかない。私は何度も何度も、かがみの唇を奪いそうになった。次にあんな状況になったら、あの衝動を抑えられそうもない。無理だって、わかってるのに……今まで自分に、そう言い聞かせてきたのに……!!「こなちゃん?」「……つかさ。私、帰るね……」持ってきたゲームをカバンに詰め、立ち上がる。
「かがみ」私はドアの前に立って、かがみに振り向いた。「……お大事にっ」――違う。本当は、もっと別のことを言いたかった。でも、それを伝えることはできない。絶対に。私は伝えたい。この気持ちを、かがみに。だけど、伝えたら、かがみを傷つけるかもしれない。かがみだけじゃない。つかさも、みゆきさんも、そして……自分自身も。私の気持ちを、言って良いのか、良くないのか……。考えなくたってわかる。良くないに、決まってる。そんなのわかってる!だって私は女で、かがみも女で、その上かがみは私のことを、友達としか思ってなくて……!!気が付いたら、私は自分の家の前にいた。どうやってここまで来たのか、覚えていない。とりあえず家に入ると、お味噌汁のいい匂いが漂ってきた。時計を見ると、午後五時半。ゆーちゃんが晩ご飯の準備をしてるのかな。「あれ、もしかしてお姉ちゃん? 今日はかがみさんの家に泊まる予定じゃ……」案の定、台所から聞こえたのはゆーちゃんの声。玄関を開ける音と足音だけで判断したようだった。お父さんは部屋で仕事してるはずだし、家の中にまで入ってくるのは私しかいないからね。「うん。かがみが風邪引いちゃったらしいから、帰ってきたんだ。迷惑になるだろうから」「そうなんだ……」荷物を階段に置いて、ゆーちゃんのお味噌汁の出来具合を見るために台所に入った。
「どう? うまくできてる?」「うん! 前にお姉ちゃんに教えてもらった通、り……?」私を見上げたゆーちゃんが固まった。何が起きたのかわからず、私は首を傾げた。「お、お姉ちゃん……? な、んで……泣いてる……の……?」頬に手をやって初めて、その事実に気が付いた。「あ、あれ? 本当だ……なんでだろ……」私はふらふらと歩きながら洗面台へ歩き、顔を洗う。少しだけさっぱりして、だけど心は晴れなくて。なんで泣いてるのか、か……。多分、予想がつく。私、悔しいんだ。諦めなくちゃいけないことが。本当は諦めたくない。どうしても、かがみとずっと一緒にいたい。この思いを伝えたら、曇った心も、少しは楽になるだろう。でもそれは、私を取り巻く世界の終わりを意味する。だから私は、絶対に言わない。言うつもりもない。私はただ、かがみの世界の周りを回るだけの小っぽけな星。遠くはないけど近くもない。この位置にいることが、一番いいんだ。『友達』でいる、今のままが……――かがみ、愛してる――それは、決して伝えてはならない言葉。少し触れただけで、相手を簡単に傷つけてしまう、言葉の刃。その言葉の刃を強く抱えながら、私はこの気持ちを深い心の海に沈めた。深く斬り込んでいる見えない傷の痛みを、癒すこともできないまま――
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