俺は陵桜学園に通う3年B組の男子生徒である。名前はA(仮)ということにしておいてくれ。俺はいつものように昼休みに友人のB(仮)と弁当を食べていた。
「また柊の姉ちゃん来てるな」
昼休みになるとほとんど必ずと言っていいほど柊つかさの姉がやってくる。自分のクラスに居場所がないのか、思わずそう突っ込みたくなる。
「そうだな。でも別によくね?」
一緒に飯を食っていた俺の友人Bの反応は淡泊だった。でも考えてみれば柊の姉が来ていようといまいと確かに俺らには関係ないことだ。
「最近お前あの4人組のこと気にするよな」「そうか?別にそんなつもりはないけど…」「好きなやつでもいるんじゃね?」
Bはさらっととんでもないことを言い出した。そういうことを昼休みのクラスで言うな。誰かに聞かれたらどうすんだ。そんな俺の様子にはおかまいなく友人は続ける。
「高良だな」
は?いやいやそんなんじゃないですから。高良さんとは委員会で会長と副会長ってだけでお前が期待してるようなことはないですから。
「そうか?その割にはいつも仲良さそうに話してるけど…」
だーかーらそれは、委員会とかの仕事の話だから。ったく、友人が変なことを言うせいで昼飯は食った気がしなかった。
放課後になっても友人はその話題をしつこく引っ張ってきた。
「だいたいお前が副委員長なんかやってんのがおかしいんだよ」
そう言われると返す言葉がない。自分でも、なぜ今自分が委員会などという面倒くさいものの権化のような組織に属し、あまつさえ副委員長にまでなっているのか分からなかった。
「だから高良さんがいるからだろ?」「なになに?Aってみゆきさんのこと好きなの?」
げっ、泉…こんな時に目ざとく割り込んできやがった。
「ちげーよ。あれは確か…」俺が委員会に立候補したときのことを思い出す。確か3年の初めだったっけ。
――――
新しいクラスになって最初のHR。
「誰か副委員長をやってくださる方はいませんか?」
早く終わんないかなぁ、HR。大体の生徒がそう思うように俺もこの退屈な時間が早く終わることを切望していた。誰か立候補してくれないかな・・・しかし、誰も好き好んで受験生になるこの年に面倒な役職につく気はさらさらないようだった。なぜか、委員長に立候補して(いや押し付けられてか?)前に立っているみゆきさんがみんなのひんしゅくを買うという理不尽な事態になっている。
「ちょっとちょっと、A!」
この微妙な雰囲気の時に誰だ?と声のする方を見ると泉だった。
「こんな時にどうかとは思うけど前で困ってるみゆきさん萌えるよね!」
そうだ。こいつは重度のオタクだった。1年の時に同じクラスになってオタク趣味を隠さずに喜々として語るこいつを初めて見た時は度肝を抜かれたものだ。それにしてもこの状況で萌えている場合ではないだろう。
「A、副委員長やってあげなよ」「は?なんで俺が?」「みゆきさん、困ってるし助けてあげたくないの?1年の時から同じクラスじゃん」
それは…まあなんとか力になってやりたいとは思う。前でおろおろしているみゆきさんを見て何も思わないほど俺は薄情なわけでもない。だが…自慢じゃないが面倒なことは極力避けてきた自称キング・オブ・面倒くさがりの俺だ。とても、『はい、ではやりましょう』なんて気分にはなれなかった。やっぱ無理だな、そう思ってふと視線を上げた瞬間、俺とみゆきさんの目があった。
「…俺、やるよ」
神の見えざる手でも働いたのだろうか。自分でもよく分からないが気がついたら右手をあげてそんなことを言っていた。
「「「おぉー」」」
予想外の展開にクラスメイトから拍手と歓声が沸き起こる。それを聞きながら、なんで立候補したんだろうと自分の行動が信じられなかった。そして内心で面倒くさいことになったな、と後悔していた。ため息をついて顔をあげるとみゆきさんが目の前に立っていた。
「ありがとうございます!一緒に頑張りましょう」
そう言って笑うみゆきさんを見たらそんなことはどうでも良くなってしまった。
「よく考えてみりゃ、半分くらい泉のせいじゃねえか。そのせいで余計な責任感じちまったんだよ」「まあまあいいではないか。おかげでみゆきさんとお近づきになれたんだから」
確かにその通りだ。もし委員会にでも入ってなかったらみゆきさんにとって俺は単なるクラスメイトの一人のままだっただろう。
「そうだけど…」「それにAってみゆきさんのこと好きなんでしょ?」「なっ…!いや、別に好きってわけじゃ…」「『好きってわけじゃないけど、なんだろう、この気持ち…』とかベタなギャルゲーの主人公みたいだね」「人の心を勝手に読むな!…じゃなくてそんなこと考えてねーよ!」
実際に考えていたことを泉に的中させられたので正直あせった。
「でも周りから見てたら好きなように見えるよ」
いつの間にか柊も会話に参加してきてるた。
「素直になった方がいいと思うな」
泉が言うなら冗談として流せるが、柊に真剣な口調でそう言われると、俺は何も言い返せなかった。
それからというもの、俺は事あるごとにみゆきさんを意識するようになってしまった。授業中も、休み時間も、委員会の仕事の時も…いつしか自分が面倒くさいと思っていたはずの委員会の仕事を待ち遠しくなっていることに気付いた。自分の中でみゆきさんに対する何かが変わっていることは感じてはいた。でもそのことからは無理に目をそらして考えないようにしていた。泉やBが変なことを言い出したからだと思ってごまかしていた。
しかしそんな自分に対する言い訳が通用しなくなる出来事が起こった。ある日、俺はみゆきさんと二人で教室に残って委員会の仕事をしていた。別にそのこと自体はこれまでにも何回かあったし、珍しいことではない。でも、この日はいつものように作業に集中できなかった。小さなミスが重なって一向にはかどらない。
「まだ終わってないですか?」
自分の分を終わらせたらしいみゆきさんが話しかけてくる。俺はまだ自分の分の作業の半分も終わってなかった。残っている分量を見てみゆきさんは少し首をかしげた。
「お体の調子でも悪いんですか?」「いや、そういうわけじゃ…」「私も手伝いますね」「そんな、悪いよ。みゆきさん先に帰りなよ。もう日も暮れてるし」「二人でやれば早く終わりますよ」
一つの机をはさんでみゆきさんと向かい合って作業を進める。夕日に映し出されるみゆきさんの顔から目が離せなかった。ふと顔を上げたみゆきさんと目が合う。そのときの笑顔はいまだに、はっきりと思い出せる。可憐で、上品で、それでいて愛らしい笑顔。その後の作業にも俺は上の空で全く集中できなかった。結局、残っていた俺の分の作業もみゆきさんがほとんど片付けてしまった。
帰り道、俺は一つの想いを確信していた。俺はみゆきさんのことが好きなんだ…
しかし、受験のこのくそ忙しい時期に気づいてもそれを伝える機会はなく、月日は経っていった。
「えっ?お前大学全滅だったの?」
受験の結果もほとんど出終わったころ、俺とBはお互いの結果を報告しあった。さすがに本気になった期間が短すぎたか、俺は願書を出した大学すべてに落ちるという不名誉なパーフェクトを達成してしまった。Bはなんとか滑り止めの大学に受かったようだった。
「どうすんだよ、お前。働くのか?」「まさか。浪人だよ」「そっかー、また勉強漬けの日々になるんだな。ご愁傷様」「ああ、滑り止めとはいえ大学に受かったお前がうらやましいよ」「言ってる割には、そんなに落ち込んでもなさそうだな」
Bの言うとおり、俺はそこまで落ち込んではいなかった。もちろん、勉強漬けの日々はつらいし、親に対して申し訳ないという気持ちもあった。でもそれ以上に、本気で勉強を頑張ってみたいという欲求がある出来事を境に湧き出していた。
それは受験期に放課後教室に残って勉強している時のことだった。
「あっ、Aさん。お疲れ様です」
急に話しかけられて後ろを振り返るとみゆきさんが立っていた。
「あ、みゆきさん。お疲れー」「いつもここで残って勉強してらっしゃるんですか?」「大体そうだね。みゆきさんも勉強?」「はい。私はいつも自習室で勉強しているんです。今日はたまたま席の空きがなかったもので…」「そっか」
そこからはお互い集中して勉強を始めた。放課後の教室に二人きり…シャーペンが机をたたく音だけ響いていた。
やべ、ここわかんねーな…みゆきさんなら知ってるかな…でも聞いたら迷惑かも。
「Aさん、どうかしたんですか?」
参考書を片手に迷っている俺は、周りから見たら挙動不審に見えただろう。もういいや、聞いてしまえ。
「あの、みゆきさん。ここ聞きたいんだけどいいかな?」
みゆきさんの説明は丁寧で明快で分かりやすかった。
「すげー、そういうことだったんだ。ありがとう!」「いえ、お役にたてたならうれしいです」
そう言って恥ずかしそうに俯く。やば、めっちゃかわいい…胸が高鳴るのを感じる。顔が紅潮しているのが自分でも分かった。それをごまかすように慌てて次の言葉をつないだ。
「あの、みゆきさんってさ。ほんと勉強できるしいろんなこと知っててすごいよね」「そうですか?でも勉強するのは苦痛ではないですし、本を読んだりするのも好きなので、それで少しは知識を得ているのかもしれませんね」「勉強が苦痛じゃない、かぁ。俺にはとても言えないわ」
思わず苦笑してしまう。
「そうですか?いろいろなことを知るのは面白いですよ」「でもさぁ、なんかこういうの勉強しても結局なんの役にも立たない気がしてさ」「そんなことはないと思いますよ」
思ったよりはっきりとした否定意見に俺は少し驚いた。
「たとえば世界史を学ぶと、今起こっている世界の問題とか、映画を見ているときでもその時代の背景がわかってより楽しめたりするんですよ。今挙げたのはほんの一例でもっともっと多くの場面で役に立つこともありますが」
勉強をそんな風に考えたことのない俺にとっては軽いカルチャーショックだった。授業はただ無為に耐える退屈なもの以外の何物でもなかった。だが、それ以来というもの勉強に対する見方が変わった。みゆきさんのように勉強が楽しい、と言いきれるほどではないが、少しだけその面白さがわかってきた。そうして勉強しているうちに自分が何を学びたいかということについても分かった。そして本気で学びたいと思えるようになったのだ。だから浪人という結果も甘んじて受け入れられたし、それほど苦痛でもなかったのだ。
思ったよりあっけなく、あっという間に卒業式はやってきた。卒業式自体はつまらなかったが一緒に過ごした友人と離れ離れになると思うと少し感傷的になった。廊下を歩いていると向こう側から泉が歩いてきた。今から帰るところのようだ。
「泉ー、次会う時にはでかくなってるといいな」「うわっ、ひど!!またねーん」「おう、じゃあな!」「って、そのまま帰る気?いいの?」「何がだよ?」
泉の言いたいことは分かっているけど一応聞いてみる。
「うーん、ま、Aがいいんならいいんだけどね。みゆきさんならまだ教室にいるよ」
気がついたら足が教室の方に向かっていた。泉の言葉通りみゆきさんが一人教室に残っていた。
「みゆきさん。何してるの?」「あ、Aさん。教室を去るのが名残惜しくて…」
そう言われて俺にも今までこの教室で過ごした思い出が蘇ってきた。友達と馬鹿な話をして笑ったこと、眠くて退屈だった授業も今となってはいい思い出だ。そしてなにより…今、目の前にいるこの人と出会えたこと。
「今までありがとう。みゆきさん」
言いながら右手を差し出す。
「私こそ、お世話になりました。ありがとうございました」
俺たちは固く握手を交わした。言うなら今だ…頭の中からもう一人の自分がそう言うのが聞こえた。『みゆきさんのこと好きなんでしょ?』『素直になった方がいいよ』泉と柊の言葉が頭をよぎる。みゆきさんと手を離して、大きく息を吸い込み、意を決して口を開いた。
「みゆきさん…」
そう言った瞬間、自分の中で言いたかった言葉が何かに引っかかった。そして頭の中で考えていた言葉はどこかに消えてしまっていた。
「じゃあね!」
それだけ言ってみゆきさんに背を向けた。
最後まで言えなかったな…
これが去年までの話。同窓会で一年ぶりの再会となった席で、気がつくと俺は泉と柊とBに全部を吐かされていた。もちろんみゆきさんに聞こえないところでである。
「そうなんだ~、みんなが受験で忙しい時にそんなこと考えてたんだね」
うるさい、そう言いたかったがまかりなりにも大学に現役合格した泉には何も言えない。
「そんなんだから現役の時大学全滅するんだよ」
同じく滑り止めとはいえ現役合格しているBにも何も言い返せない。くそっ、こいつらは…
「でも1年がんばってちゃんと第一志望に合格したんだからすごいよー」
ありがとう柊、分かってくれるのはお前だけだ。
この1年、必死でやれたのもみゆきさんのおかげだと思う。高校でみゆきさんに会わなかったら、あの時みゆきさんと話さなかったら俺は流れに流されるまま適当な大学に進学していただろう。だから伝えなきゃいけない。感謝とそしてあのとき伝えられなかった1年越しのもう一つの想いを…
俺は意を決して立ち上がった。卒業式の日、想いを伝えようとしたとき引っかかった何かが今でははっきりと分かる。あのときの俺はまだ中途半端な存在だった。中途半端な受験勉強しかできなくて浪人という状態ではみゆきさんに釣り合うわけがない。いや、みゆきさんは優しいからそんな俺に対しても、真剣に向き合ってはくれただろう。でもそれは、俺が、俺自身が許せなかった。想いを伝えるのは同じ立場になってから。無意識のうちにそう思っていたからこそあのときは何も言えなかったのだ。
柄にもなく声が緊張していた。それでも一年前伝えられなかった想いを伝えられるという確信があった。
一年前に出された、俺一人では解けない問題。その唯一の解答を知るその人の肩が少しだけ揺れた。
みゆきさんが振り返った。今、その答えが出る。
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