ここは日本のどこかにある、とある県のとある町。その真ん中、東から西へ、小さな路面電車の線路が通っていた。決して速くはないけれど、今日も東から西へ、西から東へ走っていた路面電車。
その車庫には2両の古い電車がいた。片方の電車には「かがみ」もう片方の電車は「つかさ」と言う名が付けられていた。町の東側に住む人たちも、西側に住む人たちも町の中心地に用事のあるときや、町の外の川や海岸、さらに山へ行くときも、近くを走る鉄道の駅に行く時だって、かがみやつかさに乗るのであった。子どもたちは自分の小遣いで、かがみとつかさに乗るのが、何よりも楽しみにしていた。
ところが…いつの頃からだろうか、この電車通りを、自動車が走るようになった。モータリゼーションの到来である。この自動車の大攻勢に、ほとんどの町の路面電車が邪魔者扱いされ、そして消えていった…。それは決して、かがみとつかさにとっても他人事ではなかったのである…。
ある日、電車の車庫に運転士のみさおとあやのがやって来た。彼女たちは出発前にかがみとつかさの点検を済ませて運転台に乗り込む。
みさお「よぉ、相棒…聞いたか?今日、隣町の市電が廃止されたんだってよ…」かがみ「そう…」つかさ「お姉ちゃん、私…なんだか怖いよ、この市電がなくなったら私たちどうなっちゃうの?」あやの「大丈夫、きっと皆が乗ってくれるから大丈夫よ」そう、大丈夫…少なくともこの2人の運転士と2両の電車はそう思っていた。
ところが、どんなに一生懸命頑張っても、モーターが焼ききれるまで頑張っても、かがみやつかさは旧型の電車。ほかの電車たちはどうだったかと言っても、性能はほとんど同じなので足は遅い。それでも電車たちは頑張った。減っていく乗客を何とか取り戻そうと、かがみもつかさも一生懸命であった。
つかさ「はぁ…はぁ…運転士さん…私、もう、ダメ…」あやの「何を言ってるの、ここで止まったらあなたに乗ってくれるお客さんもいなくなっちゃうかもしれないのよ?」つかさ「でも、でも……」客A「なんだなんだ、遅いぞ!」客B「もっと速く走れ!昔はそんなに止まらなかったぞ!?」車内の乗客たちが次々と、遅い電車に文句をつける。どんな言い訳をしても、飛んでくるのは非難と罵声ばかり。つかさもあやのも、ほかの電車もただ堪えるしかなかった。
つかさはギシギシという音を体中から響かせて車庫に戻った。同じく草臥れたかがみが、つかさに語りかける。かがみ「おかえり、つかさ…どうしたの、随分ヨレヨレじゃない」つかさ「そういうお姉ちゃんだって…」みさお「ごめんな…あたしがもっとしっかり運転してればよかったんだ…」あやの「私も…」かがみ「運転士さんたちは悪くないわよ…すっかり古くなった私たちのせいなの…わかってる」みさお「それにしても車の数、増えたよなぁ…」あやの「せめて、車が減ってくれればねぇ…」
ところがそんなみさおとあやのの思いとは裏腹に、街を走る自動車の数は増えるばかり。道路がどんどん整備され、性能のいい車がどんどん出てきて、いつしか市電は遠慮しながら走るようになってしまった。
客C「遅いぞぉ、バスに抜かれとるじゃないか!」みさお「すいません、渋滞が酷くて…」客D「ここの電車は金だけ高くてちっとも進まんじゃないか!バスに乗った方がマシだよ!」かがみ(ひどいよ…私…こんなに頑張ってるのに……)今にも泣き出しそうなかがみに、さらに乗客の一人が怒鳴りたてる。客E「もうここに何分止まってると思ってんだ!対向電車はどうした!」かがみ(対向電車?…そう言えばここで交換するのは確か…)
そう、この停留場がある場所は単線区間の行き違い部分。本来のダイヤどおりであればここでかがみとつかさが行き違うことになっていたのだが…。何分待ってもつかさがこないので、かがみは発車することが出来ずにいたのである。客の怒号。次第に青ざめていくみさおの顔。だんだん不安になっていくかがみ。と、そこにようやくつかさが現れた……かがみやみさお、乗客たちも予想していなかった姿で。
つかさ「ふえぇ~ん、おねえちゃ~ん…」かがみ「つかさ!」みさお「うわっ、こりゃひでえ…一体何があったんだ!?」あやの「つかさちゃん…走っている途中で後ろからトラックにぶつけられちゃったのよ…」それを聞いた乗客がさらに怒鳴りたてる。客D「聞いたか!?この電車は高くて遅いだけじゃなく乗客に怪我をさせるところだったんだ!」客C「冗談じゃない!こんな危ない電車乗ってられるか!」かがみ「ちょ、ちょっと……」ほとんどの乗客が腹を立て、かがみやつかさから降りていくのであった…。
つかさ「ねえ、お姉ちゃん…」かがみ「なに…?」つかさ「もう、ダメなのかな…私たち……」かがみ「つかさ……」泣きじゃくるつかさを見たかがみは、車内に取り付けられたベルを鳴らす。かがみ「大丈夫、ああいうお客さんもいるけど…私たちはまだまだ走らなきゃいけないもの…」つかさ「お姉ちゃん……」かがみ「泣いたってしょうがないじゃない。また明日、頑張ればいいだけなんだから」
しかし、現実は厳しかった。どんなに頑張っても、頑張っても、自動車に行く道を阻まれ、市電は思うように動けない。そのうちに誰言うとなく、「かがみは古くてガタガタだ!」「つかさはのろくて使いものにならん!」「それどころか、市電はもうジャマっけだ!!」と、言い出すようになった。それでもかがみは、つかさは、そして市電は、休む間もなく走っていたのだ。いつか乗客が戻ってきてくれることを信じて。
その頃市役所では、市長である黒井ななこが市電をどうするか、役員を集めて会議をしていた。議員A「…で、ありますからして、当市の市電の収益は下降の一途を辿っております」議員B「ですが市電の利用客がいるのも確かですよ」議員C「いや、考えてみてください。現に市内を走る自動車の数は増えてきて、電車はまともに走ることすら出来ないではないですか。余計な経費ばかり食ってどうしようもありません」 ななこ「ふむ……」ななこは思った。確かに市電は大切な足かもしれない。だがその足としての機能がなくなっているのではどうしようもない。市議会は決断を迫られていた。そして時が過ぎること数時間……。
ななこ「……よし、わかった。これで…決定や」議員B「市長、それは…」ななこ「決まりや、市電は廃止する……代わりに当市は、市営地下鉄の建設をする!」
そして廃止決議が確定した朝のことであった…。みさお「たっ、たっ…大変だぁ!大変だってヴぁ!!!」みさおが慌てて車庫に駆け込んできた。
あやの「いったいどうしたの、みさちゃん!?そんなに慌てて…」みさお「どーしたもこーしたもねえってヴぁ!これ見てくれよ!!」そう言ってみさおが取り出した1枚のビラ。そしてそのビラを見た運転士、整備士、車掌、そして車庫にいる電車たちは愕然とした。無理もない。今まで走ってきた市電が地下鉄建設の絡みで廃止されてしまうというのだから。
かがみ「そ……そんな……!」確かに地下鉄が出来れば、渋滞に巻き込まれることもないので安心かもしれない。だがそうなれば、道路の上をのろのろと走る自分達は用済みだ。もう二度とは走ることが出来なくなるかもしれない……。
あやの「あーぁ、私たちもついに失業かー…」みさお「ビラに書いてある限り、地下鉄の運転士に転職しようと思えば出来るらしいけどな…」みさおはチラリと後ろを振り向く。みさお「…コイツらを見捨てるなんて出来ねえしな…市電が廃止されたら、キッパリ辞めるよ…」あやの「みさちゃん…」
一方その頃、市役所では…議員C「しかし市長、仮に市電を廃止したとして、残された電車は、運転士や車掌たちはどうなるのです?」ななこ「運転士や車掌は地下鉄に転職させる…まぁ希望があれば、の話やねんけどな」議員B「ですが、人材は地下鉄に回せても、車輌は回せませんよ」議員Bの言う通りである。確かに人間は転職できるかもしれない。でも電車は転職できない。転職できない。転職できない。敷かれたレールをずっと走るだけ。ななこ「ふぅむ…」議員A「やはり解体、ですかね…」議員C「とんでもない、あの電車は解体するよりも使い道があるはずです。漁礁にするのは如何でしょう」議員B「そんなことをするのはあんまりです!やはりしかるべき場所で保存をすべきです」ななこ「ううむ……」
その夜、ななこは三日三晩眠らずに考えた。思えばあの市電は、ななこの父の代からずっと続いてきた電車だった。ななこにとってしてみれば、市電の廃止はななこの人生の半分を捨てるに等しいものだった。ななこは考えた。ひたすらに考えた。
ななこ「解体…か……。あかんあかん、もっての外や!そんなことできるわけあらへん…、かというて漁礁にするのも気が引けるなぁ……となれば保存…保存か……博物館を建設する予算あるんかなぁ…ううむ……」
そうして考え悩んでいたある朝、市役所の市長室にいたななこの元に一本の電話が届いた。
ななこ「はい、奈児賀(なにが)市役所ですぅ…えぇ、えぇ、市電廃止の件で………え?」ななこはその言葉に耳を疑った。ななこ「……車輌を譲渡してくれ?……はい、はいわかりましたぁ、おおきに……」思わぬ取り引きだった。電車の引き取り手が見つかったのだ。ななこ「ふう…ひとまず安心やな……」ほっと胸をなでおろすななこ市長なのであった。そして廃止当日、最後の朝を迎えた電車車庫では…みさお「たっ、たっ…大変だぁ!大変だってヴぁ!!!」またしてもみさおが慌てて駆け込んできたのであった。
かがみ「もぅ……今度は何……?」もはや生きる希望を失ったようなかがみは、少々気だるそうに答える。みさお「とっときのニュースだ……美水市の路面電車に転職決まったってよ」かがみ「ふぅん……がんばってね……」あやの「あら、何を言ってるの?」かがみ「だって……はぁ、いいわねアンタたち人間は転職できて。なんだかんだいって結局は私たちを見捨てるのね。よくわかったわ…」自分達が見捨てられたと思ったのか、かがみはみさおに食って掛かる。だが、みさおはそんなかがみの言葉に動じる様子もなく、こう答えた。みさお「ちっちっち…お前らを見捨てるなんて誰が言ったよ?」かがみ「だってそうじゃない、自分達だけ転職して…」みさお「……あのな、相棒。転職が決まったのはウチらだけじゃない。『お前たちも一緒』なんだ」
かがみ「……え?ど、どういうこと…?」かがみには何がなんだかわからなかった。今の今まで、市電が廃止されたらもう二度と線路の上を走ることが出来ないと思っていたのだから。あやの「ここの市電の車輌の譲渡が決まったの。また一緒に走れるわね」つかさ「ほほほほほ、本当!?」その話を聞いたつかさが急に食いついた。つかさ「よかった…私たち……まだ走れるんだね……」あやの「ええ、ずっと一緒よ……ずっとね」つかさ「お姉ちゃん!私たち…走れるよ、鉄屑にならずに済むよ!」かがみ「つかさ…つかさぁぁぁ……!!」2両の電車は泣いた。もし彼女達が人間だったらきっと抱きあっていたことだろう。傍らではみさお、あやのの2人も涙を流しながら深く頷いていた。
こうして長い間この街を走り続けてきた市電は、市民に惜しまれつつ姿を消すことになった。大勢の乗客が名残を惜しみ、電車に花束を贈った。地下鉄が開業したのは、市電が廃止になった1ヵ月後のことであった……。
そして、かがみとつかさは廃止の翌日、美水市にある路面電車会社に引き取られたのである。会社の社長である泉こなたがかがみとつかさを出迎えた。……誰だよ、電車は転職できないなんて言った馬鹿は!……スマソ、それ俺だ。
こなた「どうも、初めまして。遠路はるばるご苦労さん。そうです、私が美水電気軌道社長のこなたです」つかさ「…こちらこそ、初めまして…よ、よろしくお願いします」かがみ「私も…よろしく…」こなた「噂は聞いてるよ。そっちの市電がなくなっちゃったのは残念だけど、今日からはここで働いてもらうから安心したまへ」かがみ「そりゃどうも…でも、私みたいな旧式で本当に良かったの?」こなた「使えるものは使えってね。わが社の社訓~」かがみ「な、なんつうか微妙な社訓だな…」つかさ「どんだけ~」
こうして2両の電車は今、新しい町で、新しい職場で…今度は自動車に邪魔されることもなく、きびきびと走り続けているという事だ。めでたし、めでたし。
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