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朝、私は目を覚ますと時計を見て、約束の時間を過ぎていない事に安堵した。昨夜は珍しく目覚まし時計をセットするのを忘れていて、寝坊をしてしまう危険があったのだ。数日前こなたに、なかなか面白いと言われている映画を見ようと誘われたのだが、私には不満があった。考えても仕方が無い事ではあるが、私の行くという返事に、つかさが「暇だからね」と付け加えたのだ。確かに用事は無い。それでも、私の気持ちを考えずに他人のクリスマスの予定を喋るのはどうかと思う。私だって、好きで誰かと出かける予定を入れなかったわけではない。受験生にだって息抜きは必要だ。あの日は峰岸たちからの誘いを断ったばかりで、自分からこなたを誘ってみようと考えていたのだ。私をどう思うか、おしえてもらうために勇気を出すつもりだった。友達止まりか、恋人までいけるのか。それなのに喜劇と題された物語のように、私達は暇人として映画を見に行く。こなたは何も知らずに。時間が無い。今日を逃せば告白をする次の機会がだいぶ先になるというだけではなくて、卒業までの時間が。もう同じ学校に行くこともなくなり、すべてが思い出になってしまう。だから不安と戦わなければいけない。今までの関係が壊れてしまうのは怖いけれど、前に進むために、今日中に言うべき言葉を私は考えていた。こなた、好きだよ。そんなシンプルで、何の偽りもない言葉を彼女に伝えよう。本当の自分であるために。
私とかがみには共通項がほとんどない。同じ文系でも、私にはかがみのような明確な進路の希望が無かった。漫画の影響で探偵に憧れたり、裏組織で悪の化学者になってみたいと思ったり。どれもふざけた夢ばかり。だれにも話したことはないけれど、去年の夏祭で友達が年上に誤解されたのは大きなショックだった。私は心も身体も幼くて、年上の引率者たちの後をついて歩くほうが自然なんだと思えた。それなのに。あのひとは私を友達だと言う。釣り合わないのに。そんな事を気にするほうがバカだと思うくらいの笑顔で。かがみはいつも優しい。本当に優しすぎて、彼氏がいないのは私に気を使っているのではないかとも思う。私は当たり前のように彼女を好きになって、女同士だという事実に打ちのめされた。私の願いは異常なんだ。それでもクリスマスに一緒にいられるのは友達だからだ。私はこの気持ちを一生隠し通せるのだろうか……。
また新しい人間関係をつくらなければいけないと、入学したばかりの頃の私は重い気分になっていた。固い規則の中学とは違い、自由な校風の高校では口下手な自分は馴染めないのではと不安に思っていたのだ。もしまわりを見回す事でゆたかの顔を見つけていなければ、自己紹介で名前を言えたのかさえ怪しい。彼女と私は同じクラスになれた事を喜んで、帰る前にお互いに覚える必要のある場所を見て回る約束をした。はじめて私たちが行く保健室には綺麗な先生が座っていて、その笑顔からは彼女の人となりを想像させた。弱い人々の力になって守りぬく。そんなイメージを私は持ち、事実その想像は間違っていなかった。誰が求めようと、この人ならば真剣に悩みを聞いて解決に導いてくれると思わせて、期待を裏切らない。私にむすめが出来た時も同じように出来るかな? 私の呟きにゆたかは笑って言った。「もちろんだよ」
小さな頃の私は臆病で、こわい話が大の苦手な、四人姉妹の末っ子だった。ふたごの姉は怯えて泣くわたしに、好物のチョコアイスを譲ってまで泣き止ませようとしてくれた。本当ならば自分の楽しみとして、すきなテレビ番組を見ながら食べられるはずの物なのに。それ以来自分の甘える性格が嫌で、なんとか姉のようになれないだろうかと努力をしてきた。そして今日。こなちゃんが貸してくれた妹と姉の人格の入れ替わる漫画は、私に素晴らしい思いつきを与えてくれた。数日だけ姉妹が入れ替わるという私のアイデアを話すと、姉は笑いながら「今日だけならいいよ」と言った。今から一日でよければ、という事で役割を交換した私たちは、互いにどんな仕事があるかを確認した。何かあったような。あ、そうだ。昼に「晩ご飯は作るから、お母さんは休んで」って、言っちゃんたんだ。困った私はかがみの調理に立ち会いたい、と言った。手伝うと言いながら、ほぼ全てを私がやるつもりで。「なにを言ってるの。この場所にいて夕食を作るのは妹でしょ。お姉ちゃんは用事もないし、部屋にいて」追い出されたわたしは部屋で何をするでもなくベッドに座り、しばらくして無理に手伝えばいいと気づいた。「今なら姉としてこれ以上ないほどの自然さで、妹の役に立てるよね」私がかつて思い描いた、助ける側になるという夢を実現できると喜び歩いていると、話し声が聞こえてきた。「なんだ。うまく丸め込まれて全然らしくない事をさせられてる、って話かと思った」「違うわよ。いつもあの子ばっかり、料理の手伝いをしてるじゃない。だから姉として、たまにはと思って」一番年上の姉と、二番目の姉がいてどういうわけか、かがみを手伝いながら会話をしていた。「たぶんあの子ががんばるのは、ちっとも自分の価値に気づいてないから」「今でも十分頼りになるのにね」私には姉の役は無理だとバ力にされちっとも姉らしくないと言われているのではなかった。「タマゴを割って、ボウルにいれるが終わってるから、次の段階は……」「まつり。かき混ぜるのやってよ」「なんで気がつけないのかな。私と姉さんたちが喧嘩をした時にだって、あの子のおかげで解決してるのに」「本人は、大きな声をおそれて小声だから。それで自分の声は届いてないと思ってるんじゃない?」どうして、変わる必要は、ないんだって私は気づかなかったんだろう。どうして私だけが、甘えているなんて思ったりしたんだろう。みんなが同じように助け合っているのに。三人の会話から私はどんな事あってどんな風に私の存在が役に立ったのかを知って、涙がこぼれた。私はこれからもこの姉たちが語るように頑張ろう。もちろん心配をさせないためにも無理をしない程度で。私が涙をそでで拭き、扉をあけて、でていくと三人は目を見開いて驚いた。「あれ今日は、みんながいるね。私も手伝うよ」「つかさ…なんで。あ、あのね勘違いしないで。姉さんたちはお腹減ったから早く完成するようにって」「なら、早く出来るようになおさらいっしょに頑張らないとだね」私が笑うと双子の姉はますます焦った。「本当だって。暇だったから二人は。って、なに笑ってるのよ」「なんでもないよ。かがみお姉ちゃん」
白石はおそろしく暗い森を歩いていた。自身がどこにいるのかすら、彼はわからなくなっている。すでにつかれはピークに達しており、自分がどうして樹海などであの女のために苦労しているのだと悩んだ。最初はかんたんだと思っていて、ところがいまではスタッフたちともはぐれて、彼は一人きり。もうこれ以上は動けないと感じた彼は、あすに備えて携帯食料を食べはやめに眠ることにした。あきら様は今頃どうしているだろうか。きっと何の心配もしないで、たのしい都会生活を過ごしている。考えると涙が出そうになった。もしあきらが自分と同じ状態ならば、しんぱいで食事も喉を通らない。いつも言葉は乱暴でも、表に出ない彼女の優しさは自分が誰より知っている。なのにその姿が思い出せない。もしはっきりと、嫌いになったと言われたのなら諦めがつく。だけど、これは自分の被害妄想だ。つかれている頭が見せる意味のない何度めかの悪夢。人を馬鹿にした笑い顔が浮かぶが、これは違う。こんなものは彼女じゃない。もちろん稀にこんな顔で、わがままを言ってくる事はあるが、すべてではない。立ちくらみのように眠気が襲うが、水を汲んで早く帰ろうとだけ考えて白石は足早に樹海の奥を目指した。足が震え、木々にぶつかりながらどんどん奥地へと進み、彼はようやく見つけた目的地に倒れこむ。やっとたどりついた。あとは持ちかえるだけでいい。達成感によりそれまでの悩みは消え去った。これくらいの事であきらが喜ぶのなら。湧き上がる充実感に満たされるのを感じて、白石みのるは笑った。番組で告知していた行動の半分は達成できた。あとは水を汲んで彼女の待つスタジオに帰り着くだけだ。既に面白くもないの笑う嫌な顔は消えて水面には傷だらけの自分の顔だが映っていた。帰り道を考えればまだ危険は去ったのだとは言えないが熊は出ないだろう。遭遇しても逃げ切ってみせる。今度はしぜんな笑顔のあきらが浮かび、一度だけその名を呼んだ。そうしたら、今の状況が伝わる気がして。恋人のように呼んでみたことは絶対に内緒にしなけれいけないが、誰かに聞かれてみたいとも思った。さけぼう。みのるは声が出なくなるまでに叫んだ。聞こえるかあきら?お前のことが好きなんだぞ……と。
扉をあけてみると誰もその部屋にはいなかった。普段ならば常にこなたが占領しているコタツのある部屋だ。てっきりもう家にかえっているだろうと思ったのに……。昨日怒った事をまだ気にしているのだろうか。つまらない。私は書店で買ったばかりのラノベを取り出して開くと、椅子に座った。それから一時間後。私は様子がおかしいと感じた理由に気づいた。こなたの私物が無い。共用していた物を除いて全部だ。私達の生活において、もちろん喧嘩は一度や二度の事ではない。だけど今回はおかしい。何の話もせずにかくれるように消えてしまうなんて、今までには一度もなかった。彼女がいない。それだけの事で、いつもの部屋は倍以上に広くなってしまったように感じた。私は読書を続けるなんてわけにはいかず、けれど何をするべきか思いつかずにいた。とりみださず、れいせいに。そんな言葉を繰り返し頭の中で呟く。そうだ、私はまだ電話もしていない。こなた。お願いだから電話に出て……。私は謝るための言葉を考えながら必死に祈るが、繋がらなかった。どこいっちゃった? ねえ、私を置いてどこにいっちゃったのよ、こなた。
(上の続き)
私の代わりになるおとこの人はいるのだろうかと、ふと疑問に思った。あるいは女性かもしれないが。もしわたしが、難題を出すかぐや姫のようにかがみの前から消えたとして、どんな反応があるのだろう。代わりなんてまるで思いつきもしない…と、かがみが答えた翌日、私は計画を実行に移した。どこに行ったのか書いたりはせずに、私の部屋のドアに貼った紙に一言、「ありがとう」とだけ残す。既に私の荷物はかくしてあり、おかげで自分も隠れる部屋は足の踏み場が無いほどだった。待つこと数時間。退屈も極まり、この計画は失敗だったと思い始めた頃に、かがみの呼び声が聞こえた。携帯は切ってある。私は指向性マイクで音を拾い、近づいてくる足音を確認して息を潜めた。扉を挟んですぐそばに彼女はいる。質に定評のある信頼性の高いマイクは、メモを剥がす音、そして子供のような泣き声を私に伝えた。激怒されようが、みぎストレートを腹に受けようが笑って誤魔化すつもりだった。それなのに声だけで。泣かれるだけで私までもが悲しくなった。気づかなかっただけで、私だってかがみがいなければダメなんだ。開けた扉の前にはすごい顔をしたかがみが座り込んでいて、説明の数秒後にはすごいパンチが飛んできた。
近づいてみると、まつりから聴いていたとおり、妹の様子がおかしかった。所在無いといった様子で見守っているつかさを見つけたが、私は何も尋ねなかった。のこさず食べてくれるかな、という独り言を呟きながらかがみはチョコを作っている。店で買ったもので済ませないのは、おそらく本命相手へのチョコだからだと思う。はにかみながらチョコを渡して告白をすれば、かがみならきっと上手くいくはずだ。焼かれて炭になった物体を無視して、私はそんな光景を想像した。魚心あれば水心と言うように――最初から作り直した上で――きちんと気持ちを伝えれば相手の心に届く。定められているかのように、その成功は確実だ。食べ物であるのかさえ疑わしい物を遠めに見ながら私は、妹のバレンタインが成功に終わる事を祈った。にらを混ぜ込んでいるのは問題ない。みそを使ってオリジナリティを出そうとしているのも、たぶん問題ない。それで味が向上するのかは知らないが、食用の素材を選んでいる分だけ、まだ良いと思う。汁状の物の正体だけは謎のままだったが、真実にたどり着くことを私の無意識が拒否していた。がしゃがしゃと音を立てながら、かがみは焦げた物にそれらを混ぜていく。付加価値という言葉のように、妹の脳内では、既製品に新しい美味しさが追加されているに違いない。かなしい事に、追加されているのが悪夢の欠片だとは考えもせずに。なにも言葉が出てこないまま、私はつかさを連れてキッチンから出て行くことにした。いつか、今日のチョコを送られた男の子が家に遊びに来たら、絶対に謝ろうと考えながら。
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