初めてあいつと出会ったときは、お互いまだ小さな子どもだった。あいつの家の扉の前で、ドアノブの高さほどもない俺達二人を並ばせ、俺の親父はカメラを向けた。はにかむ俺の隣であいつはとびっきりの笑顔をしていた。そのモノクロームの写真は我が家の食卓の真ん中に立てられた。
……
幼稚園の門の前、たまたま親父が迎えに来るのが遅くなったある日、俺はあいつに手を合わせて写真を撮らせてもらうことにした。レンズを通して写る、明るいながらも、少しの羞恥を含んだあいつの笑顔。その笑顔はフィルムに焼けついた。俺の心にも焼けついた。写真は食卓の真ん中を作り替えた。
小学生になり、「グループ」なる物の形成するにしたがってクラスの中じゃ疎遠になりがちだった頃、あいつは楽しそうに女友達ととりとめも無い話をしている最中だった。俺はランドセルに潜めて来たカメラを静かに取り出し、隙を狙ってあいつを写した。「パシャ」というシャッター音に気が付いたあいつは俺に目を吊り上げてきたが、もう遅かった。あいつの、元気のいい笑顔が収められた写真は、俺の勉強机に立てられた。
中学生の頃、あいつはソフトボール部に入っていた。俺の文芸部が使う部室からは、屋外の運動部が活動するグラウンドがよく見えた。俺は地の利を使い、あいつが動き回る度にその姿をカメラで捕らえた。そして出来上がった写真の群れは学習ノートにむら無く貼り付けていった。ノートは五冊にまで嵩張った。
卒業時、冷やかし半分でそのノートを見せてやったら、あいつは顔を火照らせて、文にもならぬ言葉を喚き始めた。面白かったので、俺はぱっとカメラを取り出しその様をフィルムに収めてやった。するとあいつはとうとう激怒して足早に逃げ出した。
高校生のある日、俺は一つの決心を固め、あいつを夕暮れ時の人気のない海岸へ呼び出した。あいつが来ると、俺は丁度良いタイミングを作るべく前置きをし、そしてあの曲がった言葉であいつを口説いた。
あいつはしばらく怪訝そうに考え込んだ後、はにかむ顔に直り、ストレートな返事を俺にくれた。俺はすぐさまカメラを取り出しその顔を収めた。あいつはまた少し不機嫌な顔をした。その顔も写した。するとあいつは呆れたように俯いた。
それからしばらく、俺はカメラを取り出すことは無くなった。写真など無くてもそいつは俺のすぐ近くにいる。そういう思いがあったからだ。時々、休みを利用して二人旅に出かけたときに、記念写真を撮るぐらいだった。そこに写ったあいつは、どれもなんてことはない、平凡な笑顔をしていた。その写真群は、適当な文具屋に行けば買えるような、何の変哲もないアルバムの中に収められた。
大学での修学を果たして数年経ったある日、俺は急な報せを聞いた。あいつの容態を聞くと既に危険だそうだった。
俺はカメラを忘れはしなかった。病室に着くとすぐに、あいつに一枚を頼んだ。あいつは嫌がる素振りは見せなかった。レンズ越しにあいつの見せた表情は、滲んだ視界のせいでよくわからなかった。あいつが表情を浮かべることができなくなったのは、シャッター音が響いてから数分後のことだった。
今までに撮った全ての写真を見直した。使い物にならなくなった写真立てに五冊のノート、そして一冊の安っぽいアルバム。全て見比べてみた。結果、それらは意味がなかった。
俺はその中の何処にも収められていない、最も色素の鮮やかな写真を写真立てに収め、リビングの中でよく目に映る棚の上に飾った。その中に写るあいつは、今までで一番優しく、清らかな笑顔をしていた。
終
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