「「ゲレンデ恐怖症」 ID:3twZPJI0氏」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
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揺さぶられる感覚でわたしは目を覚ました。<br>
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「ふぁ……あれ、着いたのか?」<br>
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「ええ。交代の時間になっても起きなかったから。そのまま運転してきたの」<br>
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「そうか。悪かったな」<br>
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ふゆきの誘いで久しぶりに二人で旅行に出かけた。いつもは公共の交通機関を使って移動するのだけど、今回はそんなに遠いところではないのでふゆきの家の車が移動手段。目的地はふゆきの家が経営している温泉旅館。モチロン無料での宿泊だ。<br>
少し前に黒井先生も誘って三人で旅行に行った時は、このオールふゆき持ちのシステムに黒井先生はふゆきに頭が下がりっ放しだった。でも、このシステムがわたし達にとっての普通なのだ。周りから見れば黒井先生の反応こそが『普通』なんだろうけど。<br>
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「さてと」<br>
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寝ぼけた頭が勝手に再生していた過去の映像を停止させ、車から降りた。雪の積もった駐車場のすぐ近く。天原家経営の温泉旅館が見え――って……<br>
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「ちょっと待て。ふゆき、どういうことだ?」<br>
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「どういうこと、と言うと?」<br>
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「この『スノウリゾート・天原』ってのはなんだ? わたし達の目的地は温泉旅館だったハズだ」<br>
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「ええ、温泉もあるのよ。ここで間違いないわ」<br>
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――ハメられた。<br>
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完全に油断していた。以前あれだけ拒否したから流石にないと思ってたのに。何時にも増して『全部わたしに任せておいて』とか言ってたのも油断を誘う為か? もしかしたら、車でわたしが眠ってしまったのもふゆきが一服盛ったのかもしれない。<br>
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「……よし、さっさと鍵貰って部屋に入るか。寒いしな、早く温s――」<br>
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「あっ、鍵ならわたしが持ってるわ」<br>
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「……」<br>
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「じゃあ、さっそく行きましょうか」<br>
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「嫌……止めろ…頼むから鍵を貸してく――!」<br>
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「はいはい、行きましょー。あっちがスキー場の受付ロビーと更衣室よ。直接ゲレンデに行けるから」<br>
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普段の様子からは考えられないくらいの腕力でわたしを引きずっているふゆき。襟首を掴まれているから顔は見えないけど、満面の笑みを浮かべているに違いない。反面、わたしの気分はスキー場に近づくにつれてマイナス方向に進んでいく。歯がカチカチ鳴っているのは、たぶん寒さのせいだけではない。<br>
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初めてスキーに行ったのは学生時代、20代になって間もなかった頃。あんなに怖い思いをしたのは後にも先にもあの時だけだ。<br>
あの一日は完全なトラウマとなってわたしに『ゲレンデ恐怖症』という他人が聞いたら「は?」と聞き返してきそうな恥ずかしい症状を植えつけた。<br>
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大学3年の時、わたしとふゆきを含めて5人1泊2日のスキー旅行。全額ふゆき負担ではなく全員がお金を出し合って全ての経費をケチりながらの典型的な学生旅行だった。<br>
スキー初体験のわたしだったけど、初日にみっちり3時間程みんなに教え込まれて人並みレベルには滑れるようになった。<br>
みんなに「へぇ、初めてなのにけっこう滑れるじゃん」と言われた時は嬉しかった。<br>
事が起きたのは2日目。みんなはゲレンデの上級者コースに行こうと誘ってきた。スキー暦半日だったわたしは当然断ろうとしたけど、「案外大丈夫よ」と言うふゆきの言葉を信じてみんなについて行った。<br>
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そして、ふゆき以外の全員が病院に運ばれるという大惨事が起きた。<br>
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わたしが急な斜面のせいでスピードがつき過ぎバランスを崩したのが始まり。方向の修正が出来ない状態で柵に突っ込みそうになった。柵の向こうは殆ど壁と言っていい急斜面に生えた林。「もうダメだ」と思った瞬間に軽く何かにぶつかりなんとか方向を変えることが出来た。「助かった」と思い後ろを振り向くと急斜面を転がり落ちる友達が見えた。絶句し、後ろを見ながら滑っていたわたしに再び衝撃が走った。今度は一度目のような軽いものではなくわたしの体が浮くぐらいの強さだった。斜面を転がりリフトの柱にぶつかって止まったわたしが見たのはバランスを崩した所をぶつかられてもつれ合って転んだ二人の友達。そこで力尽き、フッと首の力を抜いて真上に視界が移った瞬間に見えたのはわたしの顔に降ってきた1枚のスキー板。それが顔に迫ってくる光景を最後にわたしは意識を失った。<br>
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結果として、転んだ二人は、それぞれ右足首の捻挫と肋骨にヒビ。柵の向こうに落ちていった友達は命に別状はなかったけど、意識不明の状態で右の手足を骨折と打撲が多数。わたしは左足の骨折と右肩の脱臼と額に裂傷、それと右頬にスキー板がかすった、絆創膏を張っておけば直るような切り傷。<br>
みんな無事に退院したけれど、わたしは、ふゆき以外の3人との間に微妙な距離を置くようになった。<br>
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それ以来、わたしはゲレンデ恐怖症でテレビでスキーをやってるシーンを見るのもダメだし、一時期は少し急な下り坂を降りることも出来なかった。どうしても、あの時のことを思い出してしまうからだ。<br>
その何年か後にふゆきにスキーに誘われた時は自分でも驚くくらいの拒否反応を示していた。<br>
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それが、なんで今さらふゆきはわたしをスキーに連れてきたのか? 理由はまったくわからない。わかっているのは過去を思い出している間にスキーウェアを着させられてストックとスキー板も持たされていたということだけ。<br>
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「さて、滑りに行きましょう。……ひかる、大丈夫?」<br>
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「……全然平気じゃない…やっぱり無理だよ……」<br>
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出入口に近くにあった鏡を見てみる。病人と疑うくらい青い顔をした自分がいた。<br>
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「……どうして連れてきたんだよ。もう二度とスキーなんかしたくないのに……」<br>
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「どうして? 前に来た時はあんなに楽しそうだったでしょう?」<br>
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「ふゆきは見てただけだからだよ……わたしのせいであんな事になったんだ。それでまたスキーをしたいって思う奴なんていないよ」<br>
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「あれはどう考えてもわたし達のせいよ。あなたの責任じゃない」<br>
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そう言っているふゆきの目はわたしを慰めて言っている感じではなかった。ふゆきは本気で自分達の責任だと言っている。<br>
それに比べてわたしは、全部自分の責任だったと思っているのだろうか? 心のどこかで、あの事件をみんなのせいだと思っているんじゃないだろうか?<br>
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「……でも、わたしがついていかなかったら……少なくともあの子が林に突っ込むことはなかった!」<br>
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「あなたがついてきたのは、わたしの言葉のせいでしょ?」<br>
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「!」<br>
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「わたしが悪いの。『案外大丈夫』なんて言ったわたしのせい。だから、そんなに自分を責めないで」<br>
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「でも……」<br>
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「もういいじゃない。ふゆきもそう言ってるんだからさ」<br>
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「えっ?」<br>
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後ろを振り返ると、そこには懐かしい顔があった。スキー場のスタッフのジャンパーを着ている彼女は、林に突っ込んでいったあの子だ。<br>
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「そうそう、誰も死ななかったし後遺症も残ってないし」<br>
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「まぁ、わたし達は軽症だったけど」<br>
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ロビーにあるソファから立ち上がったのも、懐かしい二人だった。<br>
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「な、なんで? なんでみんな……」<br>
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「わたしが呼んだの。ここで全部終わりにしましょうってね。ちなみに、見ての通り彼女はここのよ」<br>
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「わたし達もさ、あれ以来ちょっと気まずい感じだったじゃん? やっぱりこのままってのはねぇ」<br>
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「だから、ここでみんなで一回謝ってさ」<br>
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「そうそう、それでチャラね」<br>
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「……そんなのでいいのか? そんなので許して――」<br>
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「だ~か~ら! 誰もひかるを恨んでないの!」<br>
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「謝る理由はそんなのじゃないでしょう。全員が自分が悪いって思ってたんだから」<br>
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「ふゆき……」<br>
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「自分一人で抱えてスイマセン! でいいんのよ。……そりゃ一番辛かったのはひかるだろうけど、わたし達だって辛かったんだから」<br>
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「……わかったよ」<br>
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きっと、みんな同じだったんだ。誰かのせいにする方が、自分一人のせいにするより辛いし後悔するって思ったから。<br>
でも、こんな簡単な解決方法に誰も気が付かなかったとは。少しおかしな話だ。<br>
旅費も同じ額を出し合って、部屋も5人で共有の学生旅行。『事故』であった以上、責任もそうするべきだった。<br>
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わたし達は輪になって同時に同じ言葉を言った。ただ一言『ごめんなさい』と。<br>
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それからわたし達はゲレンデに出ることにした。スキーをしに来たのだから当たり前だ。<br>
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ゲレンデへ向かう足は震えている。スキー板やストックを持つ手も震えているし、歯はカチカチなっている。<br>
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『ゲレンデ恐怖症』なんて存在しない。それはきっと寒いせいだ。そう思うことにした。<br>
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だからきっと滑っている内に収まるだろう。<br>
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だって、スキーは楽しいから。わたしはゲレンデへの扉を開けた。<br>
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ま、開けたって言っても自動ドアだったけどな。<br>