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ID:RH5OaJ/n氏:水たまり」(2014/03/30 (日) 22:49:41) の最新版変更点

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 その日の放課後は雨だった。それほど強く降っているわけではないが、昨日から降り続けているため、町のあちこちに大小さまざまな水たまりが出来ている。  その中をいつもの四人は、いつものように家路についていた。 「ふんふふーん♪」 「…雨だってのに、えらく上機嫌ね」  四人の先頭を鼻歌交じりに歩く泉こなたに、そのすぐ後ろを歩く柊かがみが胡散臭げにそう聞いた。 「今日の野球中継はドーム球場じゃ無いんだよねー。この分だと中止だよねー」 「そういうことか…」  嬉しそうに言いながら軽やかにターンを決めるこなたに、かがみはため息をついた。 「ねえ、こなた。今日の中継の球場って、関西の方よね?」 「そうだよー」 「…向こうは晴れよ」 「なにーっ!?」  心底驚いた顔を見せるこなたに、かがみはやはりため息をついた。 「全国の天気予報くらい見なさいよ…」 「理不尽だー!なんでこっちは雨なのに向こうは晴れなんだよー!」 「いや、わたしにキレられても困るけど…」  そんな二人の様子を少し後ろの方で笑いながら見ていた柊つかさは、となりを歩いていた高良みゆきに話しかけた。 「でも、こう雨が多いとお洗濯が大変だよね」 「そうですね」  みゆきはつかさに答えながら、ポケットから携帯を取り出した。 「先ほど母から、洗濯物を取り入れ忘れて濡らしてしまったと、メールが入ってまして…」 「あー、それわたしもよくや…あ、あれ?雨って昨日から降ってたよね?どうして干したの?」 「それが、三十分ほど止んだときに、このまま晴れると思って干したらしいんです」 「それは…あるのかなあ…」  少し苦笑い気味になったつかさに、みゆきは恥じ入るように俯いた。 「こなた!前!」  いきなり聞こえたかがみの鋭い声に、つかさとみゆきははじかれた様に前を向いた。 「ふえ?」  そして、こなたの間の抜けたような声。 ― 水たまり ―  パチャッと、軽い音がした。 「かがみー…やっちゃったー…」  こなたが情けない顔をしながら、情けない声でかがみの方を向く。その足元には、結構広くこなたの足首まではある深い水たまり。 「だからちゃんと前向きなさいって言ったのに…」 「うぇー冷たいー」  情けないを通り越して、なんだか泣きそうな顔のこなたを、つかさは苦笑しながら見ていた。 「こなちゃんがあんな大きな水たまりにはまるなんて、後ろ向いて歩いてたのかな…ねえ、ゆきちゃん」  そして、みゆきの方を向いて、首をかしげた。 「…ゆきちゃん?」  みゆきは表情の無い顔で、水たまりにはまっているこなたを見つめていた。 「…わたしは…長靴が…」 「え、長靴?長靴が何?ゆきちゃん?」  みゆきの様子がおかしい。よく見てみると、少し震えているようにも見える。みゆきが何を呟いているのかよく聞こうと、つかさが顔を近づけようとした。 「きゃっ!?」  しかし、その動作は足にかかった水の冷たさで中断された。つかさが水の飛んできた方を見ると、こなたが足を振り上げた格好で、かがみが大きく身をかわした格好で、それぞれ固まっていた。 「もうー…なにするんだよ、こなちゃーん」  つかさが濡れた足を気にしながらこなたにそう言うと、こなたはむくれた表情でかがみのほうを向いた。 「かがみが避けるからだー」 「いや、水かけられそうになったら普通避けるだろ…ってか、言い訳の前にまず謝れ」  反省の色の無いこなたを、軽くたしなめるかがみ。それを見ながらため息をついたつかさは、再びみゆきの方を向いた。 「こなちゃんはしょうがないなー…ゆきちゃんは水かからなかった?」  みゆきは俯いて、自分の足もとを見ていた。どうやらみゆきの足にも、水がかかったらしい。しかし、みゆきは水がかかったことを気にしているというよりは、何かに耐えているように身体を震わせていた。 「…えーっと…その、みゆきさん…ご、ごめん…」  さすがに様子がおかしいことに気がついたこなたが、謝りながらみゆきに近づいた。その接近に気がついたみゆきはゆっくりと顔を上げ、左右に首を振った。 「…わたし、長靴じゃないから…ごめん…ごめんなさい…長靴じゃ…ないから…」 「えっ…あの…みゆきさん?」  みゆきが何を言ってるのか分からず、こなたはさらに近づいた。みゆきはなにかに怯えるように、近づいてくるこなたから離れる。 「…いやっ!もうやめてっ!」  そして、みゆきにしては大きな声を上げ、さしていた傘を放り出してその場から走り去った。 「あ…れ…?」  こなたは唖然と走り去るみゆきも見つめ。その姿が見えなくなると、つかさとかがみの方へと顔を向けた。 「これ…わたしのせい?」  水たまりにはまったときとは違う、本当に泣きそうなこなたの表情。つかさはどうしていいか分からず、こなたとかがみを交互に見ていた。 「確かに、水をかけたのはこなたが悪いんだけど…」  かがみはみゆきが放り出した傘を拾い上げ、丁寧にたたんだ。みゆきらしいなんの飾り気も無い、シンプルな白い折りたたみ式の傘。 「あの反応はらしくないっていうか…おかしいわね」  そう言いながら、かがみはため息をついた。そして、いまだ雨の降り続く空を見上げた。明日には雨は止む。確か天気予報ではそう言っていたはす。そんなことを思いながら、かがみは手に持ったみゆきの傘に視線を移した。  翌日。雨はすっかり止んで、青い空が広がっていた。しかし、道路にはまだいくつかの水たまりが残っている。その中を、かがみとつかさは学校に向かい歩いていた。 「ゆきちゃん、やっぱりでないや…」  つかさが手に持った携帯電話を見ながらため息をついた。昨日から何度もメールを送ったり電話をかけてみたが、みゆきからの返信は来ず、電話に出ることも無かった。 「そうね…」  かがみも同じくみゆきに連絡を取ろうとしたが、まったく反応は無かった。 「こなたも出ないのよね…」  自分の携帯を眺めながら、かがみがため息をつく。 「まあ、あいつは無視してるのか気づいてないのか、後にしようとして忘れてるのか分からないんだけどね」  そう言いながらかがみは携帯をたたむと、スカートのポケットにしまった。そして、未だに携帯を見つめているつかさの方を向いた。 「つかさは、みゆきの事で何か心当たりないの?」  かがみがそう聞くと、つかさは首を横に振って携帯をたたんでポケットにしまった。 「こなちゃんはどうなんだろ?…やっぱり落ち込んでるのかな」 「たぶん、嫌われたと思ってるんでしょうね…あいつ、みゆきの事尊敬してるようなところがあるから、ショック受けてるんだと思う」  かがみは答えながら、今日返すつもりで持ってきたみゆきの傘を見つめた。 「ゆきちゃんがこなちゃんのこと嫌うなんて…そんなことないよね?」  心配そうにそう呟くつかさに、かがみは黙って頷いた。  こなたとみゆきのことが気になっていたため、学校についた二人はまっすぐにB組の教室に向かった。 「こなたっ!?」 「こなちゃんっ!」  教室に入ったかがみとつかさは、自分の机に座っているこなたを見つけ、同時に声を上げた。 「…あ…う…」  うつむいていたこなたは、二人の声に顔を上げて何か言おうとしたが、言葉にならずに再びうつむいた。 「どうしたのよ?随分早いじゃない」  思っていたより激しい落ち込み振りを見せるこなたに驚きながらも、かがみはこなたに近づきその肩を叩いた。 「みゆきは…まだ来てないのね」 「…うん…出来るだけ早くみゆきさんに会って、昨日のことちゃんと謝ろうって思ってたんだけど…」  顔を上げずに答えるこなたに、かがみはみゆきの傘を手渡した。 「かがみ…これは…?」  手に持った傘を見ながら、戸惑うこなた。そのこなたに、かがみは微笑みかけた。 「みゆきが来たら、こなたからそれ返してあげて。そういうきっかけがあった方が、話しやすいでしょ?」  こなたは傘とかがみを交互に見た後、少しだけ表情を和らげた。 「うん…ありがとう、かがみ」 「次の休み時間、また来るからね…つかさ」 「なに、お姉ちゃん?」 「ちゃんと見てあげといてね。なんかちょっと不安だからさ」 「うん、分かったよ。任せといて」  気負い気味に答えるつかさにかがみは苦笑すると、傘を見つめたままのこなたの背中を軽く叩いて、自分のクラスへと向かった。  一時間目の授業が終わり、かがみはこなたたちの教室へと様子を見に行った。 「…ん、柊か」  教室に入ろうとドアを開けると、丁度中から出ようとしていた、こなた達の担任である黒井ななこと鉢合わせた。 「泉の様子、見にきたんか?」  かがみが何か言う前に、ななこがそう聞いてきた。 「え?…そう、ですけど…」  急に出てきたこなたの名前に不安を覚えながら、かがみが呟くように言うと、ななこはため息をついた。 「…まあ、なんぞあったんは分かるんやけど…理由もなんも分からんしなあ」 「はあ…」  要領を得ないななこの言葉にかがみが生返事を返すと、ななこはバツが悪そうに頭をかいた。 「担任として無責任や思うけどな、うちには話してくれんかったから…悪いけど、頼むわ柊」  そう言ってかがみの肩を叩き、ななこはその場をトボトボと歩き去った。それを少しの間見送った後、かがみは教室へと入った。  教室に入ったかがみが見たのは、机に突っ伏して自分の腕に顔を埋めているいるこなたと、その背中に手を添えているつかさ、そしてその二人を心配そうに見ているほかの生徒たち。 「ちょ…ちょっと、こなたどうしたの?みゆきは?」  かがみはこなたに近づきながら、周りを見渡した。少なくとも見える範囲にみゆきの姿は見えない。 「お姉ちゃん…ゆきちゃん、今日お休みなんだって…」 「え…」 「それで、それ聞いたこなちゃんが泣いちゃって…『わたしのせいだ』って」  つかさの言葉を聞き、かがみは先程のななこの歯切れの悪さに納得がいった。昨日のことを知らなければ、訳も分からないだろうし対処のしようもないだろう。 「こなた…顔、上げられる?」  かがみがそう聞くと、こなたは顔を埋めたまま首を横に振った。 「わたしのせいだよね…みゆきさん来ないの、わたしのせいだよね…」  こなたのくぐもった呟きに、かがみは頭をかいた。 「だと、話は簡単なんだけどね…」 「どういうこと?」  思わず漏れたかがみの言葉に、つかさが疑問を投げかける。 「え、あー…みゆきの方にも原因あるんじゃないかなって。昨日のみゆき、明らかにおかしかったからね」 「…うん、そうだよね」  つかさは頷きながらこなたの方を見た。 「にしても。あんたもらしくないわよ」  かがみはこなたの頭に手を置くと、軽く一撫でした。 「いきなり泣き出すなんて…いつもみたいに、のんびり構えてなさいよ」 「で、でも…」  思わず顔を上げ、何か言おうとしたこなたの口に、かがみは人差し指を当ててこなたの言葉を止めた。 「そうしないと、みゆきが来たときに困るでしょ?」  かがみの言葉にこなたはしばらく口をあけて呆けていたが、やがて制服の袖で涙を拭うと、ぎこちないながらも笑みを浮かべた。 「そうだね。わたしがこんなんじゃ、みゆきさんが来たときにまた困らせちゃうね…もっと嫌われちゃうよ」  そう言いながら、こなたは照れくさそうに頭をかいた。それを見ていたつかさは、こなたにつられるように微笑んでかがみのほうを向いた。 「お姉ちゃん、凄いね。わたし、こなちゃんにどう声かけていいか全然分からなかったのに」 「そ、そう…?」  つかさに褒められ、かがみは照れくさそうに指で頬をかいた。そのかがみに、今度はしっかりとした笑顔に戻ったこなたが、顔を近づける。 「いやまったく。かがみんの愛を感じるよ」 「…やっぱ、あんたはもう少し落ち込んでなさい」  茶化してきたこなたの頭を、かがみは軽く小突いた。 「あ、そうだ。放課後、みゆきの家に行こうと思うんだけど、わたし一人で行くわ」  そして、思い出したようにそう言ったかがみに、こなたとつかさが訝しげな視線を向ける。 「かがみー。そこは一緒に行こうって誘うシーンじゃないの?」  そういうこなたに、つかさも頷いて同意する。 「昨日の事があるからね。話聞くにしても、何するにしても、こなたがいるとみゆきがやりづらいと思うのよ」  かがみがそう言うと、こなたは少し不満そうな顔をしながらも頷いた。 「…お姉ちゃん、わたしは?」  そのこなたの横から顔を出しながら、つかさが自分の顔を指差しながらそう聞いた。 「つかさがいると、わたしがやりづらい」 「えぇー」  つかさは不満そうな声を上げたが、こなたは納得がいったかのように手を叩いた。 「なるほど。妹の前で友人を拷問するのは忍びないと」 「ええっ!?お姉ちゃんゆきちゃんにそんなことするの!?」 「…するか。せめて尋問位にしときなさいよ」 「尋問はするんだ」 「しないわよ…っていうか調子戻しすぎだろ。いつも通りどころか、いつも以上じゃないの」  眉間にしわを寄せながらそう言うかがみに、こなたは少し柔らかく微笑みかけた。 「そこはそれ。かがみんの愛が、注入されすぎたということで」 「わたしのせいかよ…やっぱ、もう少しそこで突っ伏して泣いてろ」  そう言いながら、かがみもこなたに微笑み返した。  放課後。かがみはこなた達に言った通りに、一人でみゆきの家に来ていた。呼び鈴を押そうと門に近づくと、玄関のドアが開きみゆきの母であるゆかりが出てきた。 「あら、かがみちゃん」 「あ、こんにちは」  かがみが挨拶をしながら軽く頭を下げると、ゆかりは自分が出てきたドアの方を見て、またかがみに視線を戻した。 「もしかして、みゆきに会いに来てくれたのかしら?」 「はい、そうですが…」 「わたしは今からお買い物なのよねー…んー…ま、かがみちゃんなら良いわね」  そう言いながらゆかりは、玄関のドアを開けて中を覗きこんだ。 「みゆきー。かがみちゃんだったから入ってもらうわよー」  そして、中に向かってそう言って、また玄関を閉めた。 「じゃ、そう言う事だから、あとよろしくね」  ゆかりはかがみに手を振りながら、横を通り抜けて買い物へと向かった。 「あ、そうそう」  ふと、ゆかりは何かを思い出したように、かがみの方に向き直った。 「あの子がなにしちゃったか分からないけど、わたしに似て繊細なところあるから、あんまりきつい事言わないであげてね」  そう言ってゆかりはもう一度かがみに手を振ると、少し急ぎ足で歩き出した。 「…どこが繊細なのかしら」  かがみは、ゆかりに聞こえないように小さく突っ込みを入れると、玄関のドアに手をかけた。 「………」  しかし、そこで動作が止まる。 「…わたし…ゆかりさんにまで攻撃的な人物だと思われてるのかなー…」  ドアを開ける動作を再開しながら、かがみは深くため息をついた。  家に入ったかがみは、みゆきの部屋の扉の前に立ち、ドアノブを握って大きく深呼吸をした。そして、結構な勢いでドアを開け放つ。 「うーす。元気?」  そんな感じの軽快な挨拶をしながら部屋に入るかがみ。部屋の中では、かがみを待っていたかのように、みゆきがベッドに座っていた。 「あんま元気そうじゃないわね…ってかひどい顔ね」  かがみはみゆき近づき、その顔を覗き込みながらそう言った。髪はボサボサのままで、表情は暗く、目の端には泣いた後も見える。普段のみゆきからは想像もつかないような有様だ。 「…あの…なんの御用でしょうか?」  恐る恐るみゆきがそう聞くと、かがみは鞄の中から紙の束を取り出した。 「今日配布されたプリントと、委員会の資料。これ届けに来たのよ…あと、ついでに昨日のこと聞きにね」 「…そっちがついでなんですね」 「そ、ついで。わたしはツンデレだから、口が裂けてもそっちがメインだとは言えないわ」  かがみはおどけてそう言いながら、手近にあった椅子をベッドの傍に引いてきて座った。それを見ながら、みゆきは少し眉間にしわを寄せた。 「かがみさん、いつも自分はツンデレじゃないって仰ってるじゃないですか。それに、クラスが違うのにプリントとか持って来られるなんて、わたしの家に来る理由付けをしてるとしか思えません」 「…ネタにマジレスとか…」 「え?…マジレス…なんでしょうか?」 「さあ?こなたが前に言ってたのを真似てるだけだから、意味はよく知らないわ」  お手上げのジェスチャーを交えてそう言いながらも、かがみはみゆきがこなたの名が出たことで身を強張らせたのを見逃さなかった。 「…なんだか、かがみさんらしくありませんね」  不満気に聞こえるような口調でそう言うみゆきに、かがみは微笑んでみせた。 「そうね、らしくないわ。昨日のみゆきも、今日のこなたも…らしくないことだらけよ」  かがみが、こなたの部分を強調してそう言うと、みゆきは顔を伏せてしまった。 「泉さんが…どうかなさったのですか…?」 「泣いたらしいわよ。あんたが休んだって聞いたときに」 「…そんな…どうして泉さんが…」 「あんたに嫌われたって思ったみたいよ」  かがみのその言葉に、みゆきは顔を上げた。 「ち…違います!…そんな、嫌うなんて…」 「じゃあ、今日学校来てちゃんとそう言えば良かったじゃない」  かがみがそう言うと、みゆきはまた顔を伏せてしまった。 「…怖かったんです…泉さんにご迷惑をかけてしまいましたから…顔をあわせるのが怖くて…」 「あれくらい、あいつからいつも受けてる迷惑に比べたら、全然たいした事無いと思うんだけど…」  かがみは呟くようにそういうと、大きくため息をついた。 「まあ、こなたは迷惑だなんて思ってないわよ。自分のせいだって思ってるからね。お互いそう思ってるみたいだし、ちゃんと顔つき合わせて話し合いなさいよ」 「でも…」  みゆきはまだ顔を上げようとはしなかった。そのみゆきの顔を、かがみが強引に覗き込む。 「昨日、なんであんな事したのか聞かせてくれない?」 「…どうしてですか?」 「そこをスッキリさせれば、いつものみゆきに戻ってくれるような気がするから」  みゆきはしばらく黙っていたが、やがて唇をあまり動かさないくぐもった声で話し始めた。 「かがみさんは、いくつくらいまで長靴を履いていましたか?」 「長靴?…そうねえ…小学校の三年くらいまでは履いてたかしら」 「わたしも、それくらいまでです…でも、あの日は長靴を履きませんでした…」  その日は前日から続く雨で、町のあちこちに水たまりができていた。普段なら長靴を履いて学校へ行くのだが、みゆきは新しく買ってもらった靴をどうしても履きたくて、長靴ではなくその靴で学校に行った。  その帰りの事だった。学校で友人に靴を褒められて浮かれていたのか、みゆきは大きな水たまりにはまってしまったのだ。靴を台無しにしてしまった悲しみと、足に滲みてくる水の気持ち悪さに、みゆきは動けなくなってしまった。  そこに、別の小学校の男子が数名通りかかった。その男子たちは水たまりで立ちすくんでいるみゆきを面白がり、取り囲んでみゆきの足に水をかけ始めた。  みゆきはただ怖くて泣くことしかできなかった。何度止めてと訴えても、余計に面白がらせるだけで誰も止めてはくれず、男子達が飽きるまでみゆきは水をかけられ続けていた。 「なるほど…ね」  みゆきの話を聞き終わると、かがみは納得したように頷いた。 「昨日のこなたに、その時のことを重ねちゃったってわけ?」 「はい…この事はほとんど忘れていたんですが。昨日の水たまりにはまった泉さんを見て…」  多分こなたの小学生じみた体格も関係してるのだろうと、かがみは思った。もしかしたら、その時のみゆきの身長が、今のこなたと同じくらいだったのではないかと。 「…こなたが聞いたら、凄く複雑な顔しそうね…」  かがみは思わずそう呟いてしまったが、みゆきには聞こえなかったらしく、言葉を続けた。 「…足に水がかかったときに、はっきりとその時の恐怖を思い出しました…そして、そんなこと絶対に無いはずなのに…無いはずなのに、わたしは泉さんがあの時の男の子たちのように水をかけ続けてくるんじゃないかって…」  みゆきはそう言いながら、肩を震わせていた。泣いているのか、少し嗚咽が聞こえてくる。 「偶然とは言え、トラウマ穿り返しちゃったってことか…」  かがみはみゆきを見ながら少し考えると、立ち上がり部屋の扉へと向かった。 「ちょっと台所借りるわね」 「…え?」  突然のかがみの行動に対処できず、みゆきは呆けたように部屋から出て行くかがみを見つめていた。  しばらくして戻ってきたかがみは、手にガラスのコップを持っていた。中に入っているのは、少量の水。 「…あの…かがみさん?…それは一体…」  みゆきは訳が分からず、かがみにそう尋ねた。 「うん、これはね…こうするの」  パチャッと、軽い音がした。 「…え?」  みゆきは何が起こったのか分からずしばらく呆けていたが、顔に水が垂れてきたことで、かがみが自分の頭にコップの水をかけたのだと理解した。 「な………何するんですか!」  思わず、みゆきは大きな声を出してしまった。 「おお、怒った」 「怒ります!なに考えているんですか!」  わざとらしく驚くかがみに、みゆきはベッドから立ち上がり詰め寄っていた。 「…泣きもしないし、怖がりもしないじゃない」  かがみは、間近まで迫っていたみゆきの髪を撫で付けて、微笑んだ。 「今のコップの水も、水たまりの水も、どっちもただの水…なにも怖いことなんてないのよ」 「…かがみ…さん…」 「怖くないのよ…みゆき」  かがみが言い終わると同時に、みゆきは顔をかがみの肩に預けもたれかかった。 「大丈夫、みゆき?」 「…はい…」  かがみは弱々しく返事をするみゆきをベッドに座らせ、自分もその横に座った。 「みゆき、カメムシって知ってるよね?」 「はい…臭いが凄い虫ですよね」 「そ。わたしね、昔それを頭から大量に浴びたことがあるのよ」 「…え…」  みゆきは絶句してかがみの顔を見た。その視線を受けて、かがみが悪戯っぽく笑う。 「つかさってさ、引っ込み思案なところあるじゃない。だから、小さいころは男子のからかいの対象になることが多かったのよ。それで、その度にわたしが出張って相手を懲らしめてたのよ。つかさをいじめるなーって」  かがみは照れくさそうに頬をかいた。 「こんなのこなたに聞かれたら、小さいころから凶暴だったんだとか、言われそうだけどね」 「いえ、でもつかささんを守るためですから…」 「うん…でね、その内に男子の間でわたしを倒そうって事になったらしくて、その作戦が袋いっぱいのカメムシを頭から浴びせるってのだったのよ」  その光景を想像したのか、みゆきは少し眉間にしわを寄せた。 「…あの…それ、やっぱり…」 「ええ、臭かったわよー。さすがにアレはわたしでも泣いたわ。もう、大泣きよ。実行した男子が、謝りながら一緒になって泣き出すくらい泣いたわ」  その時の事を思い出し、かがみは心底嫌そうに鼻をつまんだ。 「そんな風にね、心の傷とかって多かれ少なかれ誰にでもあると思うのよ。つかさにもあるだろうし、なんか自信ないけどこなたにもあると思うの」  そう言いながらかがみは、濡れたみゆきの髪を手櫛で整え始めた。 「そういうのには、ちゃんと折り合いつけていかなきゃいけないんだけど、どうしても難しいって言うなら…ちゃんと、頼りなさい」 「頼る…ですか?」 「家族とか…友達とかに、ね」  みゆきはかがみに身を任せながら、目を細めた。 「…はい」  そして、小さく…しかし、はっきりと答えた。 「んじゃ、帰るわね」 「はい。ありがとうございました、かがみさん」  すっかりと遅くなった時間。みゆきはかがみを玄関先で見送っていた。 「明日、学校来れるわね?」 「はい、もちろんです」  みゆきはかがみの質問にしっかりと答えた。 「…そうそう忘れるところだった。みゆきの傘こなたが持ってるから、明日ちゃんと受け取っておいてね」 「え?…あ…忘れてました」 「おいおい…って忘れるっていえば、こなたが持ってくるの忘れるかもしれないわよね。後でメール打っとくか」  いかにも嫌々ながらといったかがみのしかめっ面に、みゆきは思わずクスッと笑ってしまった。 「じゃ、また明日ね」 「はい、また明日です」  お互いに手を振り合い、みゆきは家の中へと戻り、かがみは門をくぐって…足を止めた。 「…何やってるんですか、ゆかりさん?」  かがみが向いた先には、門柱に隠れるようにして立っているゆかりが居た。 「えーっとー…帰ってきたら、なんかお邪魔になりそうな雰囲気だったから、隠れて見てたの」  そう言いながら小さく舌を出すゆかりに、かがみは大きくため息をついて見せた。  翌日の朝。登校途中で会った四人は、連れ立って学校へと向かっていた。 「ほい、みゆきさん。これ傘」 「はい、すいませんでした」  こなたが差し出した傘をみゆきが受け取り、大事そうに鞄へしまった。 「それにしても、かがみー。いくらなんでもこんな大事なものわたしだって忘れないよ。あんなしつこくメールしてこないでよー」 「心配だったのよ。ここであんたが傘忘れたら、なんか色々台無しになりそうな気がしたのよ」  そんな話をしていると、少し前を歩いていたつかさが、道の前方を指差した。 「あれ、あの時の水たまりじゃないかな?」  そこにあったのは、大きさが半分くらいになった、あの日の水たまり。 「まだあったんだ」  こなたが感心したように呟いた。 「ここ、日が当たらないみたいだから、なかなか乾かないのかもね。  近くの建物を見ながら、かがみがそう言った。 「…泉さん。少しこちらに来ていただけますか?」  そして、みゆきがそう言いながら、こなたに手招きをした。 「ん、なに?」  こなたは言われた通りにみゆき近づいた。 「その辺りに立ってもらえますか?」  みゆきが指定したのは、水たまりの淵の辺り。こなたは首を傾げながらも、みゆきの指示に従った。  かがみやつかさも不思議そうに見ている前で、みゆきは水たまりの中へ自ら足を踏み入れた。 「えいっ」  そして、小さな掛け声と共に足を蹴り上げ、こなたの足に水をかけた。 「…え」  こなたは呆気に取られながら、みゆきと濡れた自分の足を交互に見つめた。 「一昨日のお返しです」  そう言いながら、悪戯っぽく微笑むみゆきに、こなたは苦笑いを返した。 「…そーきたかー…くそーなんか可愛らしくて怒れない…」  そのこなたの隣で、かがみが頬をかきながら呟いた。 「どうでもいいけどみゆき。今が下校中じゃなくて登校中って忘れてない?」 「…あ」  みゆきの動作がぴたっと止まる。 「…そ…そうでした!どうしましょう、泉さん!?」 「いや、どうしようって言われても…足濡らしたまま授業受けないと駄目なのかな…」  慌てふためくみゆきと、心底困り顔のこなた。その二人を見ながら、かがみは大きくため息をついた。 「途中でコンビニ寄って靴下買っていって、学校で履き替えればいいでしょ」  言いながらかがみは、大きく足を踏み出した。 「…お姉ちゃん、前!」  そこに、つかさの鋭い声。  パチャッと、軽い音がした。 ― 終 ― **コメント・感想フォーム #comment(below,size=50,nsize=50,vsize=3) - う~ん、違和感が拭えないなぁ。 -- 名無しさん (2012-03-18 22:54:09)
 その日の放課後は雨だった。それほど強く降っているわけではないが、昨日から降り続けているため、町のあちこちに大小さまざまな水たまりが出来ている。  その中をいつもの四人は、いつものように家路についていた。 「ふんふふーん♪」 「…雨だってのに、えらく上機嫌ね」  四人の先頭を鼻歌交じりに歩く泉こなたに、そのすぐ後ろを歩く柊かがみが胡散臭げにそう聞いた。 「今日の野球中継はドーム球場じゃ無いんだよねー。この分だと中止だよねー」 「そういうことか…」  嬉しそうに言いながら軽やかにターンを決めるこなたに、かがみはため息をついた。 「ねえ、こなた。今日の中継の球場って、関西の方よね?」 「そうだよー」 「…向こうは晴れよ」 「なにーっ!?」  心底驚いた顔を見せるこなたに、かがみはやはりため息をついた。 「全国の天気予報くらい見なさいよ…」 「理不尽だー!なんでこっちは雨なのに向こうは晴れなんだよー!」 「いや、わたしにキレられても困るけど…」  そんな二人の様子を少し後ろの方で笑いながら見ていた柊つかさは、となりを歩いていた高良みゆきに話しかけた。 「でも、こう雨が多いとお洗濯が大変だよね」 「そうですね」  みゆきはつかさに答えながら、ポケットから携帯を取り出した。 「先ほど母から、洗濯物を取り入れ忘れて濡らしてしまったと、メールが入ってまして…」 「あー、それわたしもよくや…あ、あれ?雨って昨日から降ってたよね?どうして干したの?」 「それが、三十分ほど止んだときに、このまま晴れると思って干したらしいんです」 「それは…あるのかなあ…」  少し苦笑い気味になったつかさに、みゆきは恥じ入るように俯いた。 「こなた!前!」  いきなり聞こえたかがみの鋭い声に、つかさとみゆきははじかれた様に前を向いた。 「ふえ?」  そして、こなたの間の抜けたような声。 ― 水たまり ―  パチャッと、軽い音がした。 「かがみー…やっちゃったー…」  こなたが情けない顔をしながら、情けない声でかがみの方を向く。その足元には、結構広くこなたの足首まではある深い水たまり。 「だからちゃんと前向きなさいって言ったのに…」 「うぇー冷たいー」  情けないを通り越して、なんだか泣きそうな顔のこなたを、つかさは苦笑しながら見ていた。 「こなちゃんがあんな大きな水たまりにはまるなんて、後ろ向いて歩いてたのかな…ねえ、ゆきちゃん」  そして、みゆきの方を向いて、首をかしげた。 「…ゆきちゃん?」  みゆきは表情の無い顔で、水たまりにはまっているこなたを見つめていた。 「…わたしは…長靴が…」 「え、長靴?長靴が何?ゆきちゃん?」  みゆきの様子がおかしい。よく見てみると、少し震えているようにも見える。みゆきが何を呟いているのかよく聞こうと、つかさが顔を近づけようとした。 「きゃっ!?」  しかし、その動作は足にかかった水の冷たさで中断された。つかさが水の飛んできた方を見ると、こなたが足を振り上げた格好で、かがみが大きく身をかわした格好で、それぞれ固まっていた。 「もうー…なにするんだよ、こなちゃーん」  つかさが濡れた足を気にしながらこなたにそう言うと、こなたはむくれた表情でかがみのほうを向いた。 「かがみが避けるからだー」 「いや、水かけられそうになったら普通避けるだろ…ってか、言い訳の前にまず謝れ」  反省の色の無いこなたを、軽くたしなめるかがみ。それを見ながらため息をついたつかさは、再びみゆきの方を向いた。 「こなちゃんはしょうがないなー…ゆきちゃんは水かからなかった?」  みゆきは俯いて、自分の足もとを見ていた。どうやらみゆきの足にも、水がかかったらしい。しかし、みゆきは水がかかったことを気にしているというよりは、何かに耐えているように身体を震わせていた。 「…えーっと…その、みゆきさん…ご、ごめん…」  さすがに様子がおかしいことに気がついたこなたが、謝りながらみゆきに近づいた。その接近に気がついたみゆきはゆっくりと顔を上げ、左右に首を振った。 「…わたし、長靴じゃないから…ごめん…ごめんなさい…長靴じゃ…ないから…」 「えっ…あの…みゆきさん?」  みゆきが何を言ってるのか分からず、こなたはさらに近づいた。みゆきはなにかに怯えるように、近づいてくるこなたから離れる。 「…いやっ!もうやめてっ!」  そして、みゆきにしては大きな声を上げ、さしていた傘を放り出してその場から走り去った。 「あ…れ…?」  こなたは唖然と走り去るみゆきも見つめ。その姿が見えなくなると、つかさとかがみの方へと顔を向けた。 「これ…わたしのせい?」  水たまりにはまったときとは違う、本当に泣きそうなこなたの表情。つかさはどうしていいか分からず、こなたとかがみを交互に見ていた。 「確かに、水をかけたのはこなたが悪いんだけど…」  かがみはみゆきが放り出した傘を拾い上げ、丁寧にたたんだ。みゆきらしいなんの飾り気も無い、シンプルな白い折りたたみ式の傘。 「あの反応はらしくないっていうか…おかしいわね」  そう言いながら、かがみはため息をついた。そして、いまだ雨の降り続く空を見上げた。明日には雨は止む。確か天気予報ではそう言っていたはす。そんなことを思いながら、かがみは手に持ったみゆきの傘に視線を移した。  翌日。雨はすっかり止んで、青い空が広がっていた。しかし、道路にはまだいくつかの水たまりが残っている。その中を、かがみとつかさは学校に向かい歩いていた。 「ゆきちゃん、やっぱりでないや…」  つかさが手に持った携帯電話を見ながらため息をついた。昨日から何度もメールを送ったり電話をかけてみたが、みゆきからの返信は来ず、電話に出ることも無かった。 「そうね…」  かがみも同じくみゆきに連絡を取ろうとしたが、まったく反応は無かった。 「こなたも出ないのよね…」  自分の携帯を眺めながら、かがみがため息をつく。 「まあ、あいつは無視してるのか気づいてないのか、後にしようとして忘れてるのか分からないんだけどね」  そう言いながらかがみは携帯をたたむと、スカートのポケットにしまった。そして、未だに携帯を見つめているつかさの方を向いた。 「つかさは、みゆきの事で何か心当たりないの?」  かがみがそう聞くと、つかさは首を横に振って携帯をたたんでポケットにしまった。 「こなちゃんはどうなんだろ?…やっぱり落ち込んでるのかな」 「たぶん、嫌われたと思ってるんでしょうね…あいつ、みゆきの事尊敬してるようなところがあるから、ショック受けてるんだと思う」  かがみは答えながら、今日返すつもりで持ってきたみゆきの傘を見つめた。 「ゆきちゃんがこなちゃんのこと嫌うなんて…そんなことないよね?」  心配そうにそう呟くつかさに、かがみは黙って頷いた。  こなたとみゆきのことが気になっていたため、学校についた二人はまっすぐにB組の教室に向かった。 「こなたっ!?」 「こなちゃんっ!」  教室に入ったかがみとつかさは、自分の机に座っているこなたを見つけ、同時に声を上げた。 「…あ…う…」  うつむいていたこなたは、二人の声に顔を上げて何か言おうとしたが、言葉にならずに再びうつむいた。 「どうしたのよ?随分早いじゃない」  思っていたより激しい落ち込み振りを見せるこなたに驚きながらも、かがみはこなたに近づきその肩を叩いた。 「みゆきは…まだ来てないのね」 「…うん…出来るだけ早くみゆきさんに会って、昨日のことちゃんと謝ろうって思ってたんだけど…」  顔を上げずに答えるこなたに、かがみはみゆきの傘を手渡した。 「かがみ…これは…?」  手に持った傘を見ながら、戸惑うこなた。そのこなたに、かがみは微笑みかけた。 「みゆきが来たら、こなたからそれ返してあげて。そういうきっかけがあった方が、話しやすいでしょ?」  こなたは傘とかがみを交互に見た後、少しだけ表情を和らげた。 「うん…ありがとう、かがみ」 「次の休み時間、また来るからね…つかさ」 「なに、お姉ちゃん?」 「ちゃんと見てあげといてね。なんかちょっと不安だからさ」 「うん、分かったよ。任せといて」  気負い気味に答えるつかさにかがみは苦笑すると、傘を見つめたままのこなたの背中を軽く叩いて、自分のクラスへと向かった。  一時間目の授業が終わり、かがみはこなたたちの教室へと様子を見に行った。 「…ん、柊か」  教室に入ろうとドアを開けると、丁度中から出ようとしていた、こなた達の担任である黒井ななこと鉢合わせた。 「泉の様子、見にきたんか?」  かがみが何か言う前に、ななこがそう聞いてきた。 「え?…そう、ですけど…」  急に出てきたこなたの名前に不安を覚えながら、かがみが呟くように言うと、ななこはため息をついた。 「…まあ、なんぞあったんは分かるんやけど…理由もなんも分からんしなあ」 「はあ…」  要領を得ないななこの言葉にかがみが生返事を返すと、ななこはバツが悪そうに頭をかいた。 「担任として無責任や思うけどな、うちには話してくれんかったから…悪いけど、頼むわ柊」  そう言ってかがみの肩を叩き、ななこはその場をトボトボと歩き去った。それを少しの間見送った後、かがみは教室へと入った。  教室に入ったかがみが見たのは、机に突っ伏して自分の腕に顔を埋めているいるこなたと、その背中に手を添えているつかさ、そしてその二人を心配そうに見ているほかの生徒たち。 「ちょ…ちょっと、こなたどうしたの?みゆきは?」  かがみはこなたに近づきながら、周りを見渡した。少なくとも見える範囲にみゆきの姿は見えない。 「お姉ちゃん…ゆきちゃん、今日お休みなんだって…」 「え…」 「それで、それ聞いたこなちゃんが泣いちゃって…『わたしのせいだ』って」  つかさの言葉を聞き、かがみは先程のななこの歯切れの悪さに納得がいった。昨日のことを知らなければ、訳も分からないだろうし対処のしようもないだろう。 「こなた…顔、上げられる?」  かがみがそう聞くと、こなたは顔を埋めたまま首を横に振った。 「わたしのせいだよね…みゆきさん来ないの、わたしのせいだよね…」  こなたのくぐもった呟きに、かがみは頭をかいた。 「だと、話は簡単なんだけどね…」 「どういうこと?」  思わず漏れたかがみの言葉に、つかさが疑問を投げかける。 「え、あー…みゆきの方にも原因あるんじゃないかなって。昨日のみゆき、明らかにおかしかったからね」 「…うん、そうだよね」  つかさは頷きながらこなたの方を見た。 「にしても。あんたもらしくないわよ」  かがみはこなたの頭に手を置くと、軽く一撫でした。 「いきなり泣き出すなんて…いつもみたいに、のんびり構えてなさいよ」 「で、でも…」  思わず顔を上げ、何か言おうとしたこなたの口に、かがみは人差し指を当ててこなたの言葉を止めた。 「そうしないと、みゆきが来たときに困るでしょ?」  かがみの言葉にこなたはしばらく口をあけて呆けていたが、やがて制服の袖で涙を拭うと、ぎこちないながらも笑みを浮かべた。 「そうだね。わたしがこんなんじゃ、みゆきさんが来たときにまた困らせちゃうね…もっと嫌われちゃうよ」  そう言いながら、こなたは照れくさそうに頭をかいた。それを見ていたつかさは、こなたにつられるように微笑んでかがみのほうを向いた。 「お姉ちゃん、凄いね。わたし、こなちゃんにどう声かけていいか全然分からなかったのに」 「そ、そう…?」  つかさに褒められ、かがみは照れくさそうに指で頬をかいた。そのかがみに、今度はしっかりとした笑顔に戻ったこなたが、顔を近づける。 「いやまったく。かがみんの愛を感じるよ」 「…やっぱ、あんたはもう少し落ち込んでなさい」  茶化してきたこなたの頭を、かがみは軽く小突いた。 「あ、そうだ。放課後、みゆきの家に行こうと思うんだけど、わたし一人で行くわ」  そして、思い出したようにそう言ったかがみに、こなたとつかさが訝しげな視線を向ける。 「かがみー。そこは一緒に行こうって誘うシーンじゃないの?」  そういうこなたに、つかさも頷いて同意する。 「昨日の事があるからね。話聞くにしても、何するにしても、こなたがいるとみゆきがやりづらいと思うのよ」  かがみがそう言うと、こなたは少し不満そうな顔をしながらも頷いた。 「…お姉ちゃん、わたしは?」  そのこなたの横から顔を出しながら、つかさが自分の顔を指差しながらそう聞いた。 「つかさがいると、わたしがやりづらい」 「えぇー」  つかさは不満そうな声を上げたが、こなたは納得がいったかのように手を叩いた。 「なるほど。妹の前で友人を拷問するのは忍びないと」 「ええっ!?お姉ちゃんゆきちゃんにそんなことするの!?」 「…するか。せめて尋問位にしときなさいよ」 「尋問はするんだ」 「しないわよ…っていうか調子戻しすぎだろ。いつも通りどころか、いつも以上じゃないの」  眉間にしわを寄せながらそう言うかがみに、こなたは少し柔らかく微笑みかけた。 「そこはそれ。かがみんの愛が、注入されすぎたということで」 「わたしのせいかよ…やっぱ、もう少しそこで突っ伏して泣いてろ」  そう言いながら、かがみもこなたに微笑み返した。  放課後。かがみはこなた達に言った通りに、一人でみゆきの家に来ていた。呼び鈴を押そうと門に近づくと、玄関のドアが開きみゆきの母であるゆかりが出てきた。 「あら、かがみちゃん」 「あ、こんにちは」  かがみが挨拶をしながら軽く頭を下げると、ゆかりは自分が出てきたドアの方を見て、またかがみに視線を戻した。 「もしかして、みゆきに会いに来てくれたのかしら?」 「はい、そうですが…」 「わたしは今からお買い物なのよねー…んー…ま、かがみちゃんなら良いわね」  そう言いながらゆかりは、玄関のドアを開けて中を覗きこんだ。 「みゆきー。かがみちゃんだったから入ってもらうわよー」  そして、中に向かってそう言って、また玄関を閉めた。 「じゃ、そう言う事だから、あとよろしくね」  ゆかりはかがみに手を振りながら、横を通り抜けて買い物へと向かった。 「あ、そうそう」  ふと、ゆかりは何かを思い出したように、かがみの方に向き直った。 「あの子がなにしちゃったか分からないけど、わたしに似て繊細なところあるから、あんまりきつい事言わないであげてね」  そう言ってゆかりはもう一度かがみに手を振ると、少し急ぎ足で歩き出した。 「…どこが繊細なのかしら」  かがみは、ゆかりに聞こえないように小さく突っ込みを入れると、玄関のドアに手をかけた。 「………」  しかし、そこで動作が止まる。 「…わたし…ゆかりさんにまで攻撃的な人物だと思われてるのかなー…」  ドアを開ける動作を再開しながら、かがみは深くため息をついた。  家に入ったかがみは、みゆきの部屋の扉の前に立ち、ドアノブを握って大きく深呼吸をした。そして、結構な勢いでドアを開け放つ。 「うーす。元気?」  そんな感じの軽快な挨拶をしながら部屋に入るかがみ。部屋の中では、かがみを待っていたかのように、みゆきがベッドに座っていた。 「あんま元気そうじゃないわね…ってかひどい顔ね」  かがみはみゆき近づき、その顔を覗き込みながらそう言った。髪はボサボサのままで、表情は暗く、目の端には泣いた後も見える。普段のみゆきからは想像もつかないような有様だ。 「…あの…なんの御用でしょうか?」  恐る恐るみゆきがそう聞くと、かがみは鞄の中から紙の束を取り出した。 「今日配布されたプリントと、委員会の資料。これ届けに来たのよ…あと、ついでに昨日のこと聞きにね」 「…そっちがついでなんですね」 「そ、ついで。わたしはツンデレだから、口が裂けてもそっちがメインだとは言えないわ」  かがみはおどけてそう言いながら、手近にあった椅子をベッドの傍に引いてきて座った。それを見ながら、みゆきは少し眉間にしわを寄せた。 「かがみさん、いつも自分はツンデレじゃないって仰ってるじゃないですか。それに、クラスが違うのにプリントとか持って来られるなんて、わたしの家に来る理由付けをしてるとしか思えません」 「…ネタにマジレスとか…」 「え?…マジレス…なんでしょうか?」 「さあ?こなたが前に言ってたのを真似てるだけだから、意味はよく知らないわ」  お手上げのジェスチャーを交えてそう言いながらも、かがみはみゆきがこなたの名が出たことで身を強張らせたのを見逃さなかった。 「…なんだか、かがみさんらしくありませんね」  不満気に聞こえるような口調でそう言うみゆきに、かがみは微笑んでみせた。 「そうね、らしくないわ。昨日のみゆきも、今日のこなたも…らしくないことだらけよ」  かがみが、こなたの部分を強調してそう言うと、みゆきは顔を伏せてしまった。 「泉さんが…どうかなさったのですか…?」 「泣いたらしいわよ。あんたが休んだって聞いたときに」 「…そんな…どうして泉さんが…」 「あんたに嫌われたって思ったみたいよ」  かがみのその言葉に、みゆきは顔を上げた。 「ち…違います!…そんな、嫌うなんて…」 「じゃあ、今日学校来てちゃんとそう言えば良かったじゃない」  かがみがそう言うと、みゆきはまた顔を伏せてしまった。 「…怖かったんです…泉さんにご迷惑をかけてしまいましたから…顔をあわせるのが怖くて…」 「あれくらい、あいつからいつも受けてる迷惑に比べたら、全然たいした事無いと思うんだけど…」  かがみは呟くようにそういうと、大きくため息をついた。 「まあ、こなたは迷惑だなんて思ってないわよ。自分のせいだって思ってるからね。お互いそう思ってるみたいだし、ちゃんと顔つき合わせて話し合いなさいよ」 「でも…」  みゆきはまだ顔を上げようとはしなかった。そのみゆきの顔を、かがみが強引に覗き込む。 「昨日、なんであんな事したのか聞かせてくれない?」 「…どうしてですか?」 「そこをスッキリさせれば、いつものみゆきに戻ってくれるような気がするから」  みゆきはしばらく黙っていたが、やがて唇をあまり動かさないくぐもった声で話し始めた。 「かがみさんは、いくつくらいまで長靴を履いていましたか?」 「長靴?…そうねえ…小学校の三年くらいまでは履いてたかしら」 「わたしも、それくらいまでです…でも、あの日は長靴を履きませんでした…」  その日は前日から続く雨で、町のあちこちに水たまりができていた。普段なら長靴を履いて学校へ行くのだが、みゆきは新しく買ってもらった靴をどうしても履きたくて、長靴ではなくその靴で学校に行った。  その帰りの事だった。学校で友人に靴を褒められて浮かれていたのか、みゆきは大きな水たまりにはまってしまったのだ。靴を台無しにしてしまった悲しみと、足に滲みてくる水の気持ち悪さに、みゆきは動けなくなってしまった。  そこに、別の小学校の男子が数名通りかかった。その男子たちは水たまりで立ちすくんでいるみゆきを面白がり、取り囲んでみゆきの足に水をかけ始めた。  みゆきはただ怖くて泣くことしかできなかった。何度止めてと訴えても、余計に面白がらせるだけで誰も止めてはくれず、男子達が飽きるまでみゆきは水をかけられ続けていた。 「なるほど…ね」  みゆきの話を聞き終わると、かがみは納得したように頷いた。 「昨日のこなたに、その時のことを重ねちゃったってわけ?」 「はい…この事はほとんど忘れていたんですが。昨日の水たまりにはまった泉さんを見て…」  多分こなたの小学生じみた体格も関係してるのだろうと、かがみは思った。もしかしたら、その時のみゆきの身長が、今のこなたと同じくらいだったのではないかと。 「…こなたが聞いたら、凄く複雑な顔しそうね…」  かがみは思わずそう呟いてしまったが、みゆきには聞こえなかったらしく、言葉を続けた。 「…足に水がかかったときに、はっきりとその時の恐怖を思い出しました…そして、そんなこと絶対に無いはずなのに…無いはずなのに、わたしは泉さんがあの時の男の子たちのように水をかけ続けてくるんじゃないかって…」  みゆきはそう言いながら、肩を震わせていた。泣いているのか、少し嗚咽が聞こえてくる。 「偶然とは言え、トラウマ穿り返しちゃったってことか…」  かがみはみゆきを見ながら少し考えると、立ち上がり部屋の扉へと向かった。 「ちょっと台所借りるわね」 「…え?」  突然のかがみの行動に対処できず、みゆきは呆けたように部屋から出て行くかがみを見つめていた。  しばらくして戻ってきたかがみは、手にガラスのコップを持っていた。中に入っているのは、少量の水。 「…あの…かがみさん?…それは一体…」  みゆきは訳が分からず、かがみにそう尋ねた。 「うん、これはね…こうするの」  パチャッと、軽い音がした。 「…え?」  みゆきは何が起こったのか分からずしばらく呆けていたが、顔に水が垂れてきたことで、かがみが自分の頭にコップの水をかけたのだと理解した。 「な………何するんですか!」  思わず、みゆきは大きな声を出してしまった。 「おお、怒った」 「怒ります!なに考えているんですか!」  わざとらしく驚くかがみに、みゆきはベッドから立ち上がり詰め寄っていた。 「…泣きもしないし、怖がりもしないじゃない」  かがみは、間近まで迫っていたみゆきの髪を撫で付けて、微笑んだ。 「今のコップの水も、水たまりの水も、どっちもただの水…なにも怖いことなんてないのよ」 「…かがみ…さん…」 「怖くないのよ…みゆき」  かがみが言い終わると同時に、みゆきは顔をかがみの肩に預けもたれかかった。 「大丈夫、みゆき?」 「…はい…」  かがみは弱々しく返事をするみゆきをベッドに座らせ、自分もその横に座った。 「みゆき、カメムシって知ってるよね?」 「はい…臭いが凄い虫ですよね」 「そ。わたしね、昔それを頭から大量に浴びたことがあるのよ」 「…え…」  みゆきは絶句してかがみの顔を見た。その視線を受けて、かがみが悪戯っぽく笑う。 「つかさってさ、引っ込み思案なところあるじゃない。だから、小さいころは男子のからかいの対象になることが多かったのよ。それで、その度にわたしが出張って相手を懲らしめてたのよ。つかさをいじめるなーって」  かがみは照れくさそうに頬をかいた。 「こんなのこなたに聞かれたら、小さいころから凶暴だったんだとか、言われそうだけどね」 「いえ、でもつかささんを守るためですから…」 「うん…でね、その内に男子の間でわたしを倒そうって事になったらしくて、その作戦が袋いっぱいのカメムシを頭から浴びせるってのだったのよ」  その光景を想像したのか、みゆきは少し眉間にしわを寄せた。 「…あの…それ、やっぱり…」 「ええ、臭かったわよー。さすがにアレはわたしでも泣いたわ。もう、大泣きよ。実行した男子が、謝りながら一緒になって泣き出すくらい泣いたわ」  その時の事を思い出し、かがみは心底嫌そうに鼻をつまんだ。 「そんな風にね、心の傷とかって多かれ少なかれ誰にでもあると思うのよ。つかさにもあるだろうし、なんか自信ないけどこなたにもあると思うの」  そう言いながらかがみは、濡れたみゆきの髪を手櫛で整え始めた。 「そういうのには、ちゃんと折り合いつけていかなきゃいけないんだけど、どうしても難しいって言うなら…ちゃんと、頼りなさい」 「頼る…ですか?」 「家族とか…友達とかに、ね」  みゆきはかがみに身を任せながら、目を細めた。 「…はい」  そして、小さく…しかし、はっきりと答えた。 「んじゃ、帰るわね」 「はい。ありがとうございました、かがみさん」  すっかりと遅くなった時間。みゆきはかがみを玄関先で見送っていた。 「明日、学校来れるわね?」 「はい、もちろんです」  みゆきはかがみの質問にしっかりと答えた。 「…そうそう忘れるところだった。みゆきの傘こなたが持ってるから、明日ちゃんと受け取っておいてね」 「え?…あ…忘れてました」 「おいおい…って忘れるっていえば、こなたが持ってくるの忘れるかもしれないわよね。後でメール打っとくか」  いかにも嫌々ながらといったかがみのしかめっ面に、みゆきは思わずクスッと笑ってしまった。 「じゃ、また明日ね」 「はい、また明日です」  お互いに手を振り合い、みゆきは家の中へと戻り、かがみは門をくぐって…足を止めた。 「…何やってるんですか、ゆかりさん?」  かがみが向いた先には、門柱に隠れるようにして立っているゆかりが居た。 「えーっとー…帰ってきたら、なんかお邪魔になりそうな雰囲気だったから、隠れて見てたの」  そう言いながら小さく舌を出すゆかりに、かがみは大きくため息をついて見せた。  翌日の朝。登校途中で会った四人は、連れ立って学校へと向かっていた。 「ほい、みゆきさん。これ傘」 「はい、すいませんでした」  こなたが差し出した傘をみゆきが受け取り、大事そうに鞄へしまった。 「それにしても、かがみー。いくらなんでもこんな大事なものわたしだって忘れないよ。あんなしつこくメールしてこないでよー」 「心配だったのよ。ここであんたが傘忘れたら、なんか色々台無しになりそうな気がしたのよ」  そんな話をしていると、少し前を歩いていたつかさが、道の前方を指差した。 「あれ、あの時の水たまりじゃないかな?」  そこにあったのは、大きさが半分くらいになった、あの日の水たまり。 「まだあったんだ」  こなたが感心したように呟いた。 「ここ、日が当たらないみたいだから、なかなか乾かないのかもね。  近くの建物を見ながら、かがみがそう言った。 「…泉さん。少しこちらに来ていただけますか?」  そして、みゆきがそう言いながら、こなたに手招きをした。 「ん、なに?」  こなたは言われた通りにみゆき近づいた。 「その辺りに立ってもらえますか?」  みゆきが指定したのは、水たまりの淵の辺り。こなたは首を傾げながらも、みゆきの指示に従った。  かがみやつかさも不思議そうに見ている前で、みゆきは水たまりの中へ自ら足を踏み入れた。 「えいっ」  そして、小さな掛け声と共に足を蹴り上げ、こなたの足に水をかけた。 「…え」  こなたは呆気に取られながら、みゆきと濡れた自分の足を交互に見つめた。 「一昨日のお返しです」  そう言いながら、悪戯っぽく微笑むみゆきに、こなたは苦笑いを返した。 「…そーきたかー…くそーなんか可愛らしくて怒れない…」  そのこなたの隣で、かがみが頬をかきながら呟いた。 「どうでもいいけどみゆき。今が下校中じゃなくて登校中って忘れてない?」 「…あ」  みゆきの動作がぴたっと止まる。 「…そ…そうでした!どうしましょう、泉さん!?」 「いや、どうしようって言われても…足濡らしたまま授業受けないと駄目なのかな…」  慌てふためくみゆきと、心底困り顔のこなた。その二人を見ながら、かがみは大きくため息をついた。 「途中でコンビニ寄って靴下買っていって、学校で履き替えればいいでしょ」  言いながらかがみは、大きく足を踏み出した。 「…お姉ちゃん、前!」  そこに、つかさの鋭い声。  パチャッと、軽い音がした。 ― 終 ― **コメント・感想フォーム #comment(below,size=50,nsize=50,vsize=3) - なかなか面白かった! -- チャムチロ (2014-03-30 22:49:41) - う~ん、違和感が拭えないなぁ。 -- 名無しさん (2012-03-18 22:54:09)

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