ID:bRzQ2q.0氏:ケーキ

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夕方、ひかげはケーキショップの前で店の中を見ていた。 店内では仕事帰りのOLや子連の母親達が、どれにしようかとケースに並べられたケーキ達を眺めている。甘い香りが店の外まで漂ってくる。 ケーキ、それはひかげにとって近くて遠い食べ物だった。 牛乳と小麦粉があれば自分でもホットケーキくらいなら作ることができる。 でも、それ以上は無理。作り方は難しいし、第一お金がかかる。 お金のないひかげにとって、この類のお店で売られているケーキは、まるで、異世界の食べ物だった。 ベルの音とともに1人の女性が店から出てきた。 一気に広がる匂いがひかげの鼻を擽る。 「今から帰るから。あ、それと、まつりにちゃんと言っといてね?母さん」 不機嫌そうに女性はそう言って携帯を閉じ、それを鞄に仕舞って駅の方へと歩いて行った。 立て続けにもう1人の女性が、今度は笑顔を綻ばせながら、ドアから外へやってきた。 「おじさん、ありがと!……むふふふふ、きっよたっかさ~ん、待っててね~」 女性は一言店内に声をかけ、そんな、歌うように声を弾ませ、駅の方へと足を弾ませていった。 彼女達の手には当然の様にケーキの入った小箱が握られていた。 彼女達の小箱には一体どんなケーキが入っていたのだろう? ショートケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン、タルト、考えるだけで涎が垂れそうになってくる。 また人が出てきた。あまり店には相応しくない出で立ちの男性。 作務衣姿のその男性は、顎に無精髭を顎に生やし、とても眠そうな顔でぬぼ~っと店の外へとやってきた。 「あ、先生!」 彼が店を出てくるや、早々にスーツ姿の男性が彼に近づいてきた。 「ふぁ?……ああ、君か。どうした?……俺、忘れ物でもしたかな……?」 「いえ、授賞式の件で伝え忘れてた事が……早速お祝いですか?」 「あ、ははは。自分で買うのも気が後れるが、娘達がいるもんでね、何もないってのも寂しいだろ?  ああ、で、伝え忘れてた事って?何なら電話でもメールでも良かったのに」 「出られた直後に気づいたもので、それで急いでかけてきてしまいました」 スーツ姿の男性は自嘲気味に言うと、一言二言無精髭の男性に伝えて、駅とは逆の方へと走って行った。 ひかげはそんな2人をぼ~っと見ていた。 「……」 髭の男と目があった。彼はひかげを見て顔をにんまりさせ、 「やあ」 声をかけてきた。 「誰かを待っているのかな?そうだ、おじさんが美味しいケーキを買ってあげよう。おじさん、今日ね」 そう言い掛けたところで、男の声にもう一つ別の声が重なった。 「お待たせ」 男の背後に1人の女性が立っていた。 「あ、お姉ちゃん!」 それは、ひかげの姉の、ひなただった。 「あの、妹が何か?」 「えっ、いや~、あは、は、は、は」 髪をかきながら、男はバツが悪そうに去っていった。 「……何かあったの?ひかげちゃん。あの人……」 「ううん、道を聞かれてただけ」 「そう?……ダメよ?知らない人について行っちゃ。ひかげちゃんが誘拐でもされたら、私……」 「大丈夫よ。私、そんなにぬけてないもん。……あ、お仕事はもう終わったの?」 「ええ。さっき終わったところよ。さあ、ひかげちゃん」 ひかげはひなたに背を押され、店内へと入っていった。 「今日はひかげちゃんのお誕生日ですものね」 ひかげはどっと来る濃厚な香りに頭がくらくらしそうになった。 スーパーのお菓子コーナー等では決して味わう事のない、特別な、高級な匂いだと、ひかげは思った。 今日は久しぶりにケーキが食べられる日。誕生日。 ひかげは何を買ってもらえるのかと、ケースの前にやってきた。 ショートケーキにチョコレートケーキ、モンブラン、タルト、シュークリーム、 散りばめられた数多くのケーキがどれもひかげに呼ばれるのを待っているかのように、綺麗に並べられ、待機していた。 「あの、予約していた宮河です」 「少々お待ち下さい」 ひかげはひなたと店員のやりとりを聞いていなかった。 ひかげはどれか一つを買ってもらえると、そう思っていた。 だから選んでいた。甘い誘惑と、戦っていた。 (神様の言うとおり……やっぱりもう一回!どれに) 「ひかげちゃん?」 「ちょっと、待ってて……しようかな……」 ひかげは歌に合わせて小刻みにケーキを指差していた。 「ひかげちゃん、コ~レ。それとも、そっちの小さい方が良かった?」 ひなたに肩をつつかれ、ひかげはようやくひなたの方を見た。 「あ……」 そこには、円い大きなケーキがあった。 それは小さく切り分けられる前の、デコレーションケーキだった。 苺が周りを囲んで、その中心にはチョコレートの板が置かれている。 板にはホワイトチョコで、 『Happy Birthday ひかげちゃん』 そう書かれていた。 「お姉ちゃん、これ?」 「だって、今日はお誕生日じゃない?だから予約して、お願いしておいたの」 店員はひかげの方にそれを向けた。 滅多にお目にかかることのないそれを、ひかげ憧憬の眼差しで見つめていた。 ベルの音とともに2人が店の外へてやってきた。ひかげの手にはケーキの入った大きな箱があった。 他の誰が持っていた物よりも大きな箱、その中には自分だけのケーキが収められている。 自分の為だけに作られた、デコレーションケーキが。 鼻の所まで持ってくれば匂いが鼻腔の奥、頭の中をもときめかす。 「ひかげちゃんももう12歳だもんね」 「ん?」 「ごめんね。いつも無理させちゃって」 いつもなら、「ホントだよ、まったく」と愚痴を言ってやるところ。でも、今日は、 「ひかげちゃん?」 空いてる手をぎゅっと握って応えるひかげだった。 「ありがとう」 蚊の鳴くようなひかげの声が、雑踏にかき消されていった。 「どういたしまして」 ひなたはその声を聞き逃すことなく、優しくそう答えたのだった。 2人きりの誕生日会が、間もなく開かれようとしていた。 ー終わりー **コメント・感想フォーム #comment(below,size=50,nsize=50,vsize=3)

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