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「未来とは、原理的に予測不可能である」 大学時代、そんな文言に出くわしたことがある。 確か、『カオス理論』とか、そんな感じのタイトルの本の、はしがきを読んでいた時だ。 初めて見たとき、私はそれを嘘ではないかと疑った。 なぜなら、世には占星術という未来予知の手段が実在するし、 それはきちんと理論体系に基づいて組み立てられたものだと記憶していたから。 だが、本の内容を読み進めていくにつれ、私はなるほどと納得するようになった。 理論に対する感覚が養われたからだろう。 それ以来私は、占いというものを一段上の目線から眺め下ろすようになった。 例えば、テレビに細○数子さんの顔が映るとき。 午前零時、子供もすっかり寝かしつけた後、 私はいつもの様にベランダに出て、デジタルカメラを構え、真南の空に向けてシャッターを押した。 今日の日付は七月七日。私と双子の妹の誕生日だ。 星空を眺めつつ、これであの子よりも十歳年上になったのか、とぼんやり思った。 一息つくと、私は部屋に戻り、机の上に束ねて置いてあるUSBケーブルを手に取り、作業を開始した。 撮った星空をパソコンに取り込むのだ。 ペイントソフトを起動し、今取り込んだ写真を開く。 ところで、私がこうして南の空を写す習慣をつけたのは、星空そのものを観察したかったからではない。 その空には、ある一つの星が浮かんでいる。 十年前に観測を始めたこの星は、明るさで言うと五等星で、夏の間しか現れない。 それは別に、何の変哲もないただの恒星なのだが、長年観察しているとこれが少しずつ位置を変えているのだ。 その星がどのような軌道で動いていくのかは、わからない。 本によると、天体の運動というのは、単純ではなく、捕えどころのないものらしい。 私はペイントソフトのツールバーから適当な機能を選び、 その観察対象としている星に薄く赤い点をかぶせ、印をつける。 それにしても、この星の軌道は、随分と気まぐれだ。 東に寄ったと思えば、西へ大きく動いていたり。 まるであの子のようだな、と思った。 ……天気予報とは外れるものだ。 前日のテレビでは晴れだと言っていたのに、外は見事な土砂降りだった。 私とつかさが二十歳を迎えた日だった。 天気予報が外れるといえば、石○良純さんの顔が浮かぶが、 彼でなくとも予報をしくじることはある。 そもそも彼の天気予報を見たことはないが。 とにかくも、予報外れの豪雨の中、つかさは安っぽいビニール傘を持ち、家路を歩いていた。 傘代の500円は、妹にとって予定外の出費だっただろう。 私は家で、手慣れないケーキ作りに励んでいた。 時折お茶目な姉の冷やかしを浴びながら。 そういえば、高校時代までの、通う先が同じだった頃は、私とつかさはいつも二人揃って帰宅していた。 また、大学生になってからも、六月になってつかさが料理関係のサークル活動を始めるまでは、 電車の駅から家までの道を一緒に歩いていた。 だから、一人帰りを始めて間もないつかさが帰路を来ることには、少々の不安があった気がする。 冷蔵庫の中に、予想以上に形の崩れた、ホイップクリームまみれの円柱形スポンジが収められた頃には、 雲の切れ目から月が冷やかに地上を覗いていた。 雨とはいえ、つかさが家の外にいる時間としては、遅い時間帯だった。 私はつかさの携帯電話に連絡を入れてみた。 応答は全く無い。 プルル、という発信音にピッ、という通話終了の音が繰り返すだけの無用な時間が過ぎていく。 痺れを切らした母が自宅の電話から警察に通報を入れたのは、 私の携帯電話の発信履歴の約半数が、「つかさ」の文字で埋め尽くされた頃だった。 翌朝、警察官の押したインターホンとともに、つかさは私達家族の前に姿を見せた。 ロープでぐるぐる巻きにされ、海水で潮にまみれた死体となって。 事の経緯は次のようなものだったらしい。 つかさは家の300mほど手前の道路を歩いていた。 いつもならそれは大通りなのだが、日付が日付で浮足立っていたからか、 大通りから数区画離れた、細い脇道を歩いていたという。 晴天の日なら、その道はある程度人の通行がある。 しかし、あいにくの大雨で、その一本道はまったくの無人状態だった。 だから、後ろから黒い自動車が近寄っていることに、つかさを含め誰も気が付かなかったし、 その子の身体を車内に引っ張り込むのは容易だったのだろう。 車は家とは反対の方向に向かいスピードを上げていく。 目撃者によると、その運転の様子は随分乱暴だったという。 犯人は初犯だったらしく、慎重に運転するには余裕が足りなかったのかもしれない。 数分もしないうちに、二車線の、少し大きな通りに出た。 そこは川の右岸に沿う、曲がりくねった道だ。 道に入り200mほど進んだ所に、やや急な右カーブがある。 路面は雨で濡れていて、行き交う車が、派手な水しぶきを噴きかけ合っていた。 黒い車が、そのカーブに差し掛かる。 犯人はアクセルを踏みこみ、ハンドルを勢いよく右に切った。 車体が順応して右に傾きかけた。 その瞬間だ。 タイヤがスリップした。 制御が利かない。 犯人はパニックに陥る。 どうすることもできなくなった車体は、大きく回転しながら古びたガードレールに突っ込み、そのまま川へと転落した。 発見されたその車の窓は開いていたという。 恐らく、転落直後に、動転した犯人が脱出を試みたのだろう。 しかし溢れ返った川の水流は、空いた窓から勢いよく車体内へ流れ込み、二人を車外へ放り出した。 川の下流の方へ流され、海に漂着するころには、二つの体は力を失っていたという。 翌日、新聞の一面には、大きな見出しとともに、この気まぐれすぎる事件の成り行きが記されていた。 記事名は「雨の日の生んだ悲劇」だった。 「未来とは、原理的に予測不可能である」 真っ黒な空に赤い印付きの星の画像を映した、パソコンのモニタの前。 私は、あの日の出来事を思い返しながら、この言葉を幾度となく反芻していた。 あの日私の頭の中には、あの出来の悪いケーキを食べながら、 つかさとお互いの誕生日を祝うという未来しか組み立てられていなかった。 だから、そのつかさが哀れをとどめぬ姿になって帰ってきたことは、全くの予想外だった。 私でなくともそうだ。 家族の誰が、つかさのあのような悲惨な最期を予想できただろうか。 つかさも、帰りの道中に突然体をさらわれ、 連鎖した不幸の果てに海へ流され絶命するという未来を予想できただろうか。 そして世間の誰が、こんな仕組まれたカラクリのような事故が現実に起こり得るなどと、予想できただろうか。 この世に未来を100%予知する術は無い。 占いや天気予報だって、当たるときもあれば、外れることもある。 そして、よもや起こるとも考えなかった事態が、突然やってくることもある。 それはあの五等星が、突然方向や速度を変えて動くように。 溜息をつくと、時刻は午前一時を回ろうとしていた。 私は今モニタに映っている画像を、名前を付けて保存した。 ファイル名、「tsukasaboshi_20200707.jpg」。

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