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みなみはその日、学校の音楽室で作曲に取り組んでいた。数ヶ月前から取り組み始め、なんとか形になってきたところだ。
ふと、みなみは誰かが部屋を覗いているのに気がついた。
「…あ」
覗いていたのはゆたかだった。みなみは、演奏を止めて慌てて鍵盤の蓋を閉じた。
「え、やめちゃうの?」
ゆたかが、パタパタと小走りに音楽室に入ってきた。
「…今のは、まだ聞かせるようなのじゃないから」
少し照れくさそうに、みなみが呟く。
「そうかなあ、上手だったと思うけど…なんて曲なの?」
「…曲名はないの…今、作ってる曲だから」
みなみの言葉に、ゆたかが目を輝かせる。
「へー、みなみちゃん凄いね。作曲も出来るんだ」
「…い、いや…そんなのじゃ…適当にやってるだけだから…」
真っ赤になりながら、みなみが俯く。
「ねえ、みなみちゃん。最初から聴かせて欲しいな」
「…え…でも…まだ、出来てないから…」
「うん、出来てるところだけでいいよ。みなみちゃんが作った曲、聴いてみたいんだ」
「…うん…わかった」
かなり不本意だが、みなみは頷いた。
この親友の願い事は、出来る限り叶えてあげたい。みなみはそう思っていた。
鍵盤の蓋を開け、深呼吸してからみなみはさっきと同じように指を滑らせる。
「…なんだか、優しい曲だね」
ゆたかが、そう感想をもらす。みなみは演奏に集中しながらも、心の中で頷いた。
優しいのは当たり前。これはあなたの曲だから。
タイトルをつけるなら『豊穣』だろうか。
もしかしたら、寂しいものになっていたかもしれない学園生活。
そこに豊かな実りを与えてくれた、あなたのための曲だから。
「いつか完成したら、また聞かせてね」
そう言って無邪気に微笑むゆたかに、みなみは頷いて見せた。
目が覚める。みなみはゆっくりと上半身を起こした。時計を確認すると、まだ真夜中。
「…夢」
高校時代の夢。何故、今更そんなものを見たのだろう。
- 命の輪の調べ -
世間一般では平日のはずの昼間。みなみの家には二人の客人が来ていた。
ひよりとこなた、自由業に従事している彼女等は、忙しい時はとことん忙しいが、暇な時は平日だろうが暇なのだ。
「平和っスね~」
コップの中の氷をストローでかき混ぜながら、ひよりがのんびりと呟いた。
「…〆切は?」
どことなく呆れたようにみなみがそう言うと、ひよりはみなみに向かって親指を立てて見せた。
「今回はバッチリ。ねえ、先輩」
ひよりがこなたの方を向く。その視線を受けて、こなたもみなみに向かって親指を立てて見せた。
「うん。今回は、無茶苦茶余裕出来たよ」
元気よくそう言った後、こなたはそっぽを向いてため息をついた。
「ってーか、新しく担当になった人がね、お父さんの学生時代の友人だとかで容赦ないんだよね…」
「…先輩には、厳しいくらいが丁度良いんじゃないでしょうか」
「…みなみちゃんも言うようになったね」
こなたは不貞腐れた顔をしながら、くわえたストローをピコピコ動かした。
「そういや、ゆーちゃんと最近話した?」
ストローをくわえたまま、こなたが二人にそう聞いた。
「…二日前に、電話で少し…でも、忙しそうでしたから、あまり話せませんでした」
みなみがそう答えた。ひよりの方は黙って首を横に振った。
「そっか…ゆーちゃん、売れちゃったからねー」
ちょっとしたきっかけから絵本作家を目指していたゆたかは、デビュー作がいきなりヒットし、今はとても忙しい日々を送っていた。
「そッスねー。先輩あっという間に抜かされたッスからね…わぷっ!?」
ひよりの顔面に液体らしきモノがヒットした。発射元を見ると、こなたがストローを口に構えている。どうやら飲み物をストローに詰め、吹き矢の要領でひよりに向かって発射したようだ。
「悪かったねー売れない作家でー…気にしてるんだから言うなー」
「酷いッスよぉ…よりにもよってコーラ…うう、ベタベタしてきたー」
「先輩…飲み物で遊ばないでください…」
ひよりにナプキンを手渡しながら、みなみがこなたをたしなめると、こなたはストローをピコピコ動かしながら「ぶー」と唸った。
「高校の時からホント変わんない人ッスね…そういや、ゆーちゃん。身体の方は大丈夫なんスか?忙しいと負担が凄いんじゃ…」
受け取ったナプキンで眼鏡を拭きながら、ひよりはこなたにそう聞いた。
「ゆい姉さんから聞いたんだけど、全然大丈夫みたい。充実してるんだろうね。気力がみなぎってるとか、そんな感じだってさ」
「へー、そりゃいい事ッスね」
「うん。好きなことで稼げて体調も良くなってるんだから、ゆーちゃんとしては願ったり叶ったりなんだろうね…みなみちゃん?」
こなたはそこで、みなみが俯いているのに気がついた。
「どうしたの?気分でも悪くなった?」
「え…いや、なんでもありません…なんでも…」
こなたに話しかけられて、みなみは慌てて顔を上げて手を目の前で振って否定した。
「…無理はしないでよ?」
ひよりにそう言われ、みなみは体を強張らせた。
「…大丈夫…大丈夫だから…」
力のない声で呟くみなみを、ひよりは心配そうに見つめた。
「本人が大丈夫って言ってるんだから、大丈夫でしょ」
未だにストローをピコピコさせながら、軽い口調でそういうこなたを、ひよりはジト目で見た。
「…先輩は、もう少し危機感とか持ったほうが良いんじゃないスか?」
ひよりの言葉に、こなたのストローがピタリと止まった。
「…ひよりん、今度からイラストレーター変えようかと思うんだけど…」
「うわあ!それだけは勘弁してください!今先輩に干されたらマジで仕事が無くなるんスから!」
何故かふんぞり返っているこなたと、平謝りしているひより。その二人を見ているみなみは、少しだけ気が楽になるのを感じていた。
二人が帰った後、みなみは自室にあるピアノに座っていた。
「…ゆたか」
その名を呟く。そして、高校の時にゆたかのために作った曲を弾き始めた。
『いつか完成したら、また聞かせてね』
その約束は未だ果たされていない。
曲はとっくに完成している。しかし、ゆたかが忙しくなってから、直接合うことが少なくなり、ゆたかの邪魔にならないように、みなみの方から連絡を取ることをほとんどしなくなった。
ゆたかが遠くなっていく。そう思うと、今弾いているこの曲が、酷く軽いものに感じられてきた。
ゆたかのための曲。ゆたかに聞かせる以外に、この曲にはなんの価値もない。
みなみは演奏を途中で止め、ベッドに寝転んだ。
高校の時は、自分がゆたかを支えているという自負がみなみにはあった。
一年生の時に、身体が弱いゆたかの助けになろうと保険委員になった。その後運よく三年間同じクラスになることができ、みなみは保険委員を続けた。
しかし、今ゆたかは自分が支えなくても立派にやっている。こなたの話だと、体調の方も良いようだ。
もしかして、ゆたかに自分は必要なかったのではないか?みなみはそう思い始めていた。
高校の時、自分と出会わなくてもゆたかはちゃんとやれていたのではないだろうか?
少なくとも、いまのゆたかには自分は必要ない。下手に会うと、自分がゆたかにすがってしまい、邪魔になるだけだ。
自分の弱さに嫌気がさしたみなみは、布団を頭まで被った。
今はこれでいいんだ。あの頃とは違うんだ。ゆたかが幸せになれるのなら、何の問題もないんだ。
みなみはそう自分に言い聞かせて、無理にでも納得しようとしていた。
高校生活が始まったあの日に繋がった、二人の輪。みなみは、その繋がりが千切れてしまいそうな、そんな気がしていた。
数日後、みなみは小さな音楽堂で行われたコンサートを終えて、控え室で帰り支度をしていた。
『少し音が重かったね。何かあったのかい?』
聴きに来ていたピアノの師に、そう言われたことを思い出し、みなみはため息をついた。
自分の感情が音に出てしまう。悪い癖だとは思って治そうとはしているのだけど、なかなか上手くいかなかった。
気落ちしてしまい、帰り支度の手が止まっている所に、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「…はい、どうぞ」
「や、お疲れさん」
ドアをあけて入ってきたのはひよりだった。
「はい、これ」
そのままみなみの方に歩いてきて、手に持った花束を渡した。
「…あ、ありがとう…来てたんだ」
花束を受け取りながらみなみがそう言うと、ひよりは盛大にため息をついた。
「…気付かれてなかったんだー…ちょっとショック」
「あ、あの…ご、ごめん…緊張しないように、観客の方はあまり見ないようにしてるから…その…」
慌てて言い訳を始めるみなみを見て、ひよりは今度はニヤリと笑った。
「ま、みなみちゃんらしいっちゃらしいけど…その分だとこっちも気がつかなかったみたいだね」
そう言いながらひよりは、花束に付いていたカードを指差した。みなみがそれを手に取り、内容を読んだ。
『みなみちゃんへ 小早川ゆたか』
みなみは驚いて目を大きく見開いた。ひよりの方を見ると、彼女はニヤニヤしながらドアの方を指差していた。
みなみがそちらに視線を移すと、ドアの向こうからゆたかが覗き込んでるのが見えた。
「ゆ、ゆたか…」
みなみが名前を呼ぶと、ゆたかは申し訳なさそうに頭をかきながら部屋に入ってきた。
「えへへ…びっくりした?」
返事をするのも忘れ、みなみはゆたかを見つめていた。最後に会ったのはいつだったかなど、どうでもいいことばかりが頭の中に浮かんでいた。
「昨日、田村さんがね、今日のコンサートに来ないかって誘ってくれたの」
ゆたかが、みなみの持っている花束をチラリと見た。
「急だったからなんにも準備できて無くて、これくらいしかできなかったんだ…ごめんね」
そう言うゆたかに、みなみは首を振って見せた。
「…来てくれただけでも、嬉しいから…」
それを聞いたゆたかが俯く。
「…ごめんね…わたし、みなみちゃんの事考えてなかった…たまにお話しても、自分のことばかり話してて…今日のことだって、田村さんに聞かなかったら分からなかったし…」
「それは、ゆたかは忙しかったから…」
「それで、みなみちゃんが遠くなっちゃうのは嫌だよ」
ゆたかの言葉に、みなみは息が詰まる思いがした。
遠くなるのは嫌だ。離れるのは嫌だ。それは、自分だって思っていたはずだ。なのに、何故自分はそれを容認しようとしてたんだろう。
みなみはふと。少し前に見た高校時代の夢を思い出した。
今しかない。
みなみはそう思い、部屋の出口へと向かった。
「あ、みなみちゃん、何処に?」
「…少し待ってて…約束、ちゃんと果たすから…」
そう言ってみなみは部屋から出て行った。
残されたゆたかとひよりは、顔を見合わせて首を傾げた。
数分後、みなみが部屋に戻ってきた。
「…二人とも、こっちに」
ドアの外から手招きするみなみ。
「う、うん」
ゆたかはそれに素直に従ったが、ひよりはその場に残って、何か考え込んでいた。
「どうしたの、田村さん?」
ゆたかそう聞くと、ひよりは何故かニヤリと笑った。
「わたしはこの辺でおいとまさせてもらうッスよ」
「え?どうして?」
「いやー…若い二人の邪魔するのは野暮ってもんスから」
「田村さん…変な風に言わないで…」
ニヤニヤしながら手を振るひよりを、みなみは少し強い口調でたしなめた。
ゆたかがみなみに連れてこられたのは、先ほどまでみなみがコンサートを行っていたホールだった。
舞台の上にはみなみが弾いていたピアノが、シートをかけて置かれていた。
「…ここの人に頼んで、少しだけ使えるようにしてもらったの」
そう言いながら、みなみはピアノのシートを外し、演奏の準備を始めた。
「何するの?」
ゆたかがそう聞くと、みなみは少しだけ微笑んだ。
「…高校の時の夢を見たの」
みなみの言葉が良く分からず、ゆたかは首を傾げた。
「…その時に約束してた…『曲が完成したら、もう一度聞かせる』って」
「…あっ!」
ゆたかが思わず声をあげた。
音楽室。未完成の曲。約束。
ゆたかは全て思い出していた。
「…ごめんなさい…わたし、すっかり忘れてて…」
申し訳なさそうにそう言うゆたかに、みなみは首を振って見せた。
「…わたしは、ゆたかと離れようとしてた」
囁くようにそう言いながら、みなみはピアノの前に座り、鍵盤の蓋を開けた。
「ゆたかが忙しいから…その方がゆたかのためになるからって、言い訳して」
深呼吸して、指を鍵盤に置く。
「でも、それって結局、ゆたかのことを何にも考えてないって事だった…ゆたかは、わたしと離れるのは嫌?」
「え?…えと…嫌だよ…多分、高校の時にみなみちゃんと出会わなかったら、わたしここまで来れなかったよ…」
みなみに唐突に聞かれたゆたかは、慌ててそう答えた。それを聞いたみなみが微笑む。
「ありがとう、ゆたか…この曲はね、最初ゆたかの為に、ゆたかをイメージして作ってたんだ」
「…わ、わたしを?」
「うん…でも、それじゃダメなんだと思う。ゆたかのこと勝手にイメージして、勝手に決めつけて…それで、自分で勝手に追い詰められて」
「そ、そんな事ないよ…わたしだってそう言うところあるから…」
「…ゆたか。だからこの曲は二人の曲。二人のための曲…これからもずっと離れないための」
「…うん」
感情が曲に出てしまうのは、自分の悪い癖。ならば、ゆたかのために作ったこの曲も、この瞬間に二人の曲へと変えてしまえるはずだ。
みなみは演奏を始めた。誰もいない二人だけのホールに、優しい音が響く。
曲の名は『豊穣』。
二人の輪を繋ぎ続け、ゆたかな実りを与え合う、二人だけの曲。
- 終 -