ID: > 8OTd7s0氏:命の輪の終わりに

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 私は彼の背中を見た事がない。  もちろん、比喩的な意味でだけど。  彼はいつも、私と顔を突き合わせて話をしてくれた。  黙って付いて来いとか、背中で語るなんてことは一切しなかった…似合いもしなかったし。  どんな些細なことでも、どんなくだらない話でも、私の嫌な部分も、いい部分も、いつも面と向かって受け止めてくれていた。  だから私は彼を好きになった。  最後のこの瞬間まで、好きでいられた。  だから私は彼に託そうと思う。  私の命の輪が終わるその時に、その繋がりと満ちる幸せの全てを。 「ん…目が覚めたかい?」  彼がそう言いながら、私の顔を覗き込んだ。どうやら私は少し眠っていたみたいだった。 「もう、起きないかと思ったよ」 「…うん、ごめんね。心配かけて」  誰かのすすり泣く声が聞こえる。  私はもう長くない。この部屋にいる誰もが、それを理解している…いや、たった一人だけ理解していないかも知れない。 「あなたの夢を見ていた気がするわ…」 「…そうか」  最後に見た夢が最愛の人のものならば、私は最後の瞬間まで幸せなのだろう。  伝えたい。そう強く思った。 「…こなたはいる?」 「ああ、ここに」  少しだけ首をめぐらすと、愛しい娘の姿が見えた。私を見て微笑んでいる。  多分、この子だけが私のことを理解していない。 「ごめんね、こなた…あなたのお母さんでいられなくて」  きっと、それは悲しいこと。逝ってしまう私には分からない悲しさ。 「あなたは、私みたいにならないでね?ちゃんと生きて、いつかあなたがお母さんになって欲しい…私の出来なかったことを、あなたにして欲しい…」  自分でも酷い我儘だとは思う。この言葉が、この子の重荷になるかもしれないというのに。 「…そう君」 「…なんだ?」 「私、幸せだったよ…」  そう、いつの日も。あなたと出会ってから、今のこの瞬間までずっと。 「私があなたと繋いだ輪は、幸せに満ち溢れてる…それをちゃんと次へと託せるってことは、凄く幸せなことだと思うの」 「…ああ、なら俺はそれを繋ぎ続けて見せるよ…ちゃんと次に託せるまで」 「うん…お願いね」  瞼が重くなる。自分の終りが、すぐそこまで来ている。  微笑んでるつもりなんだけど、ちゃんと笑えてるかな? 「…かなた?」  彼の声が遠い。最後まで、私と向かい合ってくれている、彼の声が。 「…おやすみ…かなた」  うん…おやすみなさい…そう君…。 - 命の輪の終わりに -  お父さんが酒を飲んで荒れているところを、一度だけ見たことがある。  お母さんの名前を何度も呼んでいた。  小学生だったわたしには、何故そんなことをするのか少しも理解できなかった。  でも、今は分かる気がする。  お父さんがそうしたかった気持ちが、今のわたしには分かる気がするんだ。  やりきれないんだ。誰も悪くないのに。何も悪くないのに。  誰かの泣く声だけが、ずっと聞こえるんだ。  命の輪の終わりは、きっとそういうものなんだ。 「…目が覚めた?」  わたしは、お父さんの顔を覗く込みながらそう言った。 「俺は…寝てたのか?」 「うん…もう起きないかと思ったよ」 「そうか…すまないな」  誰かのすすり泣く声が聞こえる。  もう、お父さんは長くない。この部屋にいる誰もが、それを理解している。 「かなたの夢を見ていたよ」 「…うん」  最後に見た夢が、最愛の人の夢なんだから、きっと今のお父さんは幸せなんだろう。  なにか伝えなきゃいけないことがあったのに、どうしてか思い出せない。 「俺は…幸せだったのかな」  そんな事、言わないで欲しい。あなたは、間違いなく幸せだったはず。ずっと傍にいたわたしが、そう思うのだから。 「そんなの、自分で決めるものだよ」  そう言ったわたしの言葉に、お父さんは深く頷く。  伝える言葉は、まだ思い出せない。 「そうだな…こうしていられるのは、幸せだよな」  わたしは伝える言葉を思い出そうとしながら、お父さんの言葉を待った。  お母さんの夢を見たときに、思い出したことがあったのだろうと思って。 「俺が繋いだ輪が、まだ幸せに満ちているのなら、それを次に託せるのは、凄く幸せなんだろうな」  託されるのは、わたしだ。 「ということを、確かかなたが言ってたな」  余計なことを付け足す。どうしてこの人は、最後までかっこつけていられないのだろうか。  でも、おかげで伝えることを思い出した。 「お父さん」 「ん、なんだ?」 「…大好きだよ」 「初めて、聞いたな。それ」 「うん、初めて言ったからね」  お父さんは満足そうに頷いた。そして、目を閉じた。 「…ありがとう、こなた」  お父さんは幸せそうに微笑み、深く息をついた。 「そろそろ、休ませてもらうよ…」 「…うん」 「おやすみ…こなた」 「おやすみなさい…お父さん」  誰かの泣き声が、大きくなった。    通夜の晩。わたしはお父さんの棺に付き添っていた。  夫は娘の傍についている。  娘も、人の死が分からない歳じゃない。だからこそ、傍にいてあげる人が必要なんだ。  棺の中のお父さんは、綺麗な顔をしている。いつも生えてた無精髭も、綺麗に剃られていた。  抱きつかれた時のチクチクとした感触を、わたしは思い出していた。  ふと、人の気配を感じてそちらを向くと、ゆーちゃんが立っていた。 「こなたお姉ちゃん、大丈夫?少しなら代わってあげれるけど…」 「大丈夫だよ。徹夜なんて慣れっこだから。ゆーちゃんこそ、ちゃんと寝とかないと葬儀の時に居眠りしちゃうよ?」 「…うん、そうだね」  答えながらゆーちゃんは、わたしの隣に来た。座布団の上に座り、お父さんの棺に手を合わせた。  さっきまで泣いていたのだろうか。ゆーちゃんの目が少し赤い。 「お姉ちゃんは、泣かないんだね」  わたしの方を見て、ゆーちゃんがそう言った。  お父さんが事切れた時も、通夜の時も、わたしはずっと泣いていない。 「わたしはね、ゆーちゃん。泣く時と泣く場所を、ちゃんと決めたんだ…だから、いまはまだ泣かないんだよ」 「…そうなんだ」 「うん…ねえ、ゆーちゃん。ほんとにちゃんと休んだほうがいいよ?」  ゆーちゃんの顔色が、少し悪い気がする。多分、精神的に参っているのだろう。  ゆーちゃんが高校時代にこの家で過ごした三年間は、わたしが思っている以上に幸せな思い出だったのかもしれない。 「…うん、ごめんねお姉ちゃん。わたし、泣いてばかりで、なんにも出来なくて」 「そんな事、気にしなくていいよ…今泣くのは、きっと悪いことじゃないから」  ゆーちゃんはもう一度「ごめんね」と呟くと、立ち上がり部屋を出て行こうとした。 「…お姉ちゃんは、やっぱり凄いね」  ドアをくぐる時に、こちらを振り向いてそう言った。  それは違うよゆーちゃん。わたしは逃げてるだけなんだ。  嫌なことは後回しにする、いつものわたしの悪い癖なんだよ。  今泣くことは、きっと悪いことじゃないはずなのに。 「…全部、終わったな」  座り込んだわたしの肩を抱きながら、夫がそう言った。 「…うん」  わたしはそれに頷いて答える。  お父さんを送る儀式は全部終わって、明日からまたいつもの日々が始まる。  家にお父さんがいないだけの、いつもの日々が。 「もう、いいだろ?」  そう言う夫に、わたしは黙って頷くと、その胸に顔を埋めた。  泣くべき時は今。泣くべき場所はここなんだ。  でも、どうしてかわたしは泣けなかった。 「…泣かないな」  夫がそう言う。 「…泣けないね」  わたしが答える。  まるで泣き方を忘れてしまったかのように、一滴も涙がこぼれない。 「思い出してみたらどうだ?お養父さんのこと、なんでもいいから」 「…うん」  わたしは目を瞑り、お父さんのことを思い出そうとした。  色々なことを思い出した。  そして何か一つ思い出すたびに、涙が溢れてきた。 「…大きな声、出してもいいかな?」  わたしがそう言うと、夫は黙って頷いてくれた。 「…う…あ…うあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」  わたしは泣いた。大きな声で、小さな子供のように。  お父さんと、何度も呼びながら。  わたしはお父さんの背中を見た事がない。  もちろん、比喩的な意味でだけど。  お父さんはいつも、わたしと顔を突き合わせて話をしてくれた。  黙って付いて来いとか、背中で語るなんてことは一切しなかった…似合いもしなかったし。  どんな些細なことでも、どんなくだらない話でも、わたしの良いところも、悪いところも、いつも面と向かって受け止めてくれていた。  だから、わたしはお父さんが好きだった。  最後にそれを伝えられたことは凄く嬉しかった。  だからわたしは、お父さんから繋がり託された輪を、しっかりと守っていこうと思う。  わたしの命の輪が終わり、次へと託すその時まで。 - 終 -

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