柊かがみ法律事務所──いじめ自殺事件

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住所 東京都台東区○○×丁目○○番地 氏名 ○○ ×× 性別 男 年齢 17歳 所属 陵桜学園高等部 死因 首吊り自殺 自殺動機 学校におけるいじめとみられる 1.依頼  秋葉原に居を構える柊かがみ法律事務所。  かがみは夫婦から話を聞き終えたところだった。  加害少年の親とは和解で決着がついており、加害少年自身は傷害罪で少年審判の手続に入っていた。  残る問題は、いじめに対する対策を充分にとらなかったと思われる学校側に対するアクションである。 「私が陵桜学園卒業生だということはご存知ですか?」  かがみが最初にした質問はそれだった。 「はい」 「それでも私にご依頼なされると?」 「柊先生のことは息子からよく聞き及んでおりました。信頼できる方だと思っております」  自殺生徒は、いわゆるオタクだった。  アキバ系なら、柊かがみ法律事務所の存在は誰でも知っているといってよい。 「分かりました。お引き受けいたしましょう。ただし、私のほかにもう一人弁護士を加えてもよろしいでしょうか? 私が不適任だと判断なされれば、直ちに私を解任して、その弁護士に引継ぎしてください。それが唯一にして絶対の条件です」  夫婦はただうなづくしかなかった。 「それでは、訴状の準備ができましたらまたご説明いたしますので、今日のところはこれで」  夫婦は頭を下げて、事務所をあとにした。  かがみは、電話をかけた。  相手の男は、仮に弁護士Aと呼ぶことにしよう(*男の扱いがぞんざいなのは、この世界のデフォということでご了承願いたい)。  かがみと交際して三日で破局したという最短記録をもつ男、エリート意識丸出しの鼻持ちならない弁護士。  本来なら忘却の彼方に追いやりたい相手であったが、互いに仕事を融通しあうことも少なくなかった。互いの得意分野はよく知っていたから。  しかし、協力して一緒に仕事をするのは、今回が初めてになるはずだ。  なお、蛇足ながら付け加えるならば、まもなく40歳にもなろうというのに、二人ともまだ独身である。  かがみは電話で事情を話した。 「なるほどね。僕としては全面的に引き受けてもいいぐらいだけど、なぜ共同で?」  いじめ自殺の損害賠償請求訴訟なら、弁護士Aの得意分野だった。  いつもなら、弁護士Aに仕事を丸投げして、かがみは手を引いていただろう。 「私情で仕事を放り投げたくないからよ」 「君は妙なところで強情だな。まあ、いいだろう。ただし、報酬はきっちりもらうがね」 「おいくらかしら?」 「そうだね。君と一日デートなんてどうかな?」  弁護士Aとしては、冗談のつもりだったのだが、 「いいわよ。一日ぐらいなら」  意外な答えが返ってきた。 「おいおい。どうしたんだい? 熱でもあるのかい?」 「あんたこそ、この40近いおばさんつかまえてデートだなんて、熱でもあるんじゃないの?」  彼は、ついさっきまで冗談だった言葉が、わずかで数秒で本気のものに変わっていくのを感じた。 「僕はいたって正気だがね。いっとくが、口約束でも契約は成立だ。あとで忘れたなんていわせないよ」 「呆れた。あんた、本気なの?」 「当然だ」  そのあと、打ち合わせの日時を決めてから、電話を切った。 2.辞職  弁護士Aに関係資料を集めさせ、二人で話し合って訴訟方針を固め、原告夫婦に説明をしてから、訴訟を起こした。  訴えは、不法行為に基づく使用者責任を問う民法715条による損害賠償請求と安全配慮義務違反による債務不履行責任を問う民法415条による損害賠償請求との選択的併合で、この手の訴訟では定石パターンのひとつだ。  そして、被告は、学校法人陵桜学園。  かつての母校の名は、今は対峙すべき被告の名であった。  個人を被告にしなかったのは、かがみの私情が全く絡んでなかったとは言い切れない部分もある。  しかし、個人相手に損害賠償請求権を得ても相手に資力がないことが多いのも通例で、ならば無駄なことはせずに法人だけに相手を絞りこむのも、近年では珍しいことではない。  裁判所から公判期日の決定通知が来た日に、かがみのもとに電話がかかってきた。 「おお、柊。久しぶりやな」 「黒井先生……」 「元気にやっとるか?」 「なんともお答えしにくいです」 「そうやな。まあ、そう気つかわんでもいいで。柊も仕事なんやしな」 「いいんですか? 私に電話なんかしても」 「うえの方からは余計なことしゃべるな、いわれとるけどな。うちは気にしとらん」  黒井先生は今回の事件には直接関係ないとはいえ、あっけらかんとしたものだ。  それが黒井先生らしいといえばそれまでだが。 「ご用件は?」 「ああ。まあ、なんや。知らせとかないのもなんやと思うてな」  ここで、黒井先生は少し間を置いた。 「天原先生、やめてもうたわ」 「そうですか……」  これはかがみにも予測できていたことではあった。  関係資料を分析する限り、いじめの兆候を最初につかんでいたのは天原先生だった。かがみとしては、最初に尋問しなければならない被告側の人間だ。  あの優しい性格であるから、事件が起きてからずっと罪の意識にさいなまれていたに違いない。 「あと、桜庭先生もな……」 「えっ?」  かつての担任の名が出てきたことに、かがみは絶句した。  桜庭先生も黒井先生と同じく、自殺した生徒とは違う学年のクラスの担任で、今回の事件とは無関係なはずなのに。 「うちも天原先生も止めたんやけどな。ふゆきに付き合ういうてきかんくてな」 「そんな……」 「仲ようしてたからな、あの二人は」 「……」 「まあ、うちからの用はこれだけや。柊もがんばりぃや」  電話は切れたあとも、かがみはしばし呆然としていた。 3.尋問  被告側は、自殺の事実、自殺動機がいじめであること、いじめの事実については全く争わなかった。  主要な争点は、当時の学校側の過失あるいは安全配慮義務違反の有無に絞られている。  ゆえに、教諭たちへの尋問こそがこの裁判の山場であった。 「天原さんは、平成○○年○月○日から平成××年×月×日まで、陵桜学園高等部において、養護教諭の職にあった。これは間違いないですね?」  かがみの問いに、天原ふゆきは素直に答えた。 「はい」 「天原さんは、自殺した生徒について、何かいじめの兆候のようなものをつかんでいましたか?」 「はい。生徒さんがケガをしたといって保健室に来たことが何度かあるのですが、どう見ても暴行を受けていたとしか思えませんでした」 「生徒本人はなんといってましたか?」 「転んでケガをしたといってましたけど、それにしては不自然すぎました」 「あなたは、そのことを誰かに伝えましたか?」 「はい。生徒さんの担任教諭に伝えました」 「その担任教諭は何か対策を講じてくれましたか?」 「転んでケガをしたんだろうといって、まともにとりあってくれませんでした」 「そうですか。しかし、あなたは暴行を受けていたと判断したんですよね?」 「はい」 「ならば、その担任教諭にはもっと強く訴えるべきではなかったのですか? あるいは、学年主任や教頭、校長などに訴えるべきだったのでは?」 「確かにそうだったのかもしれません」  ふゆきの目から涙がにじんできた。  しかし、かがみは、ただ淡々とこう告げた。 「裁判官。天原元教諭は、結果回避義務違反による過失を認めました」 「裁判官。発言許可を求めます」  被告弁護人が発言許可を求める。 「許可します」 「天原元教諭は、生徒の自殺防止に関しては補助的な役割しか負っておりません。一次的な責任は担任教諭が負うべきものであり、天原元教諭の責任は、担任教諭にいじめの兆候を伝達した時点で充分に果たされたというべきです」 「原告弁護人。反論はありますか?」 「ありません」  かがみは、あっさりそう答えた。  被告弁護人の主張は予想されていたものだ。  そして、かがみとしても、これ以上、ふゆきを責める気はなかった。 「担任教諭の過失あるいは安全配慮義務違反については、このあとの担任教諭の尋問において立証したいと思います」 「では、天原ふゆきに対する尋問を終了とします。異議ありませんか?」 「異議ありません」 「異議なし」  引き続いて、担任教諭の尋問に移る。  ここからが本番だ。  被告弁護人は、担任教諭の第一次的責任を認めたのだ。ならば、担任教諭の過失あるいは安全配慮義務違反を立証すれば、この裁判は勝ちである。  担任教諭の過失を立証すれば民法715条の使用者責任にもっていくのは容易である。  また、学校法人陵桜学園が有する生徒に対する安全配慮義務を具体的に履行するのは校長や教頭、教諭たちであるから、担任教諭に安全配慮義務違反があれば、それがすなわち学校法人陵桜学園の安全配慮義務違反にほかならない。  傍聴席。 「柊のやつ。ふゆきを泣かせたな」  桜庭ひかるがつぶやく。 「仕事やなかったら、うちもいますぐしばいてやりたいぐらいやけどな」  黒井ななこは、正直なところ、淡々と容赦なくふゆきを追い詰めていったかがみに対して薄ら寒い思いすらしたが、それは口には出さない。 「柊の仕事は、これからが本番や。しっかり目に焼き付けたるで」 「うむ」  担任教諭への尋問開始。  二人の同僚でもある男に対して、かがみは淡々と容赦なく質問をあびせかけていく。その鋭さはさきほどのふゆきに対する尋問の比ではなかった。  ときどき被告弁護人から反論が入るが、かがみはそれに対してもあくまで論理的に返してみせた。  そんなかつての教え子の姿を見て、傍聴席の二人の教諭は、思わず背筋を震わせた。 4.沈鬱なるデート  それからも何回か公判があり、結審したのは、最初の公判から3ヶ月後だった。  そして、判決の日。  判決は、原告勝訴。  原告夫婦は歓喜をわきかえるということはなかったが、息子の無念を少しでも晴らしたことに涙ぐんでいた。  かがみは、夫婦に何度も何度も頭を下げられて、恐縮することしきり。  被告は控訴しなかった。  被告弁護人が弁護を降り、後任が見つからなかったからだ。  専門家から見れば負け戦が確実な案件。そんなものを進んで引き受ける弁護士はいなかった。  判決の翌日。  自殺生徒の担任教諭が辞職したという事実が、新聞の地方版の小さな記事となった。  その週の日曜日。  かがみは、約束どおり、弁護士Aとデートをしていた。  今回の裁判での弁護士Aの裏方での働きぶりには申し分なく、彼には約束どおりの報酬を受け取る権利があったから。  とはいえ、かがみは終始沈鬱な表情で、弁護士Aとしてもどうしてよいものやら困り果てていた。少しでも元気づけようといろいろとやってみたが、まるで効果がなかった。  夕方、誰もいない公園のベンチに二人きり。  本来ならロマンチックな光景であるのかもしれないが、二人は今にも別れそうな末期の夫婦のようにしか見えなかった。  そして、事実はそれにほとんど近い。 「やっぱりつらかったか?」  弁護士Aが唐突にぽつりとつぶやく。 「そうね……この仕事にはそういうところがあるってことは分かっていた。そのつもりだった……」  思い出のたくさん詰まった母校を敵に回すのは身を引きちぎられるぐらいにつらいことだったし、かつての恩師二人を辞職を追いやってしまったことも心に重くのしかかっていた。  あの今にも泣きそうになっていた天原先生の顔は生涯忘れられそうにもない。 「君はどうしようもなく意地っ張りだな。泣きたいときは我慢するもんじゃない」  かがみは、ついに泣き出した。  今まで溜め込んでいたものをすべて吐き出すように、彼の胸の中で泣き続けた。  しばらくしてから泣き止み、かがみは顔をあげた。 「今のは忘れなさいよね……」 「泣き顔でいわれても説得力がないな。まあ、他言はしないと約束しよう」 「……」  かがみは、涙をふき無言で弁護士Aをにらみつけた。  彼は話をそらすように、別の話題を持ち出した。 「ああ、そうだ。君に黙っていたことがあったんだった」 「何よ?」 「被告弁護人だがね。彼も陵桜学園出身だそうだ。君より3年先輩だってさ」 「えっ? なんで言わなかったのよ?」 「裁判に決着がつくまで言われないでくれ、って念を押されててね。僕にはその理由は分からなかったけど」 「……」  弁護士Aには分からなくても、かがみにはその理由はなんとなく分かるような気がした。  互いに母校には思い入れがある身だ。阿吽の呼吸で、あの裁判を出来レースで展開することも、やろうと思えばできたのかもしれない。でも、彼はそれをしたくなかったのだろう。 「あの担任教諭は、彼の恩師でもあるそうだ。彼にしてみれば、これで母校と恩師に対する義理は果たしたといったところなのだろうな。本来なら、まだまだ賠償金はとれたんだけどね。彼の巧妙な弁護のせいで、うまく賠償額を下げられてしまったよ」  思い当たる点はあった。  被告弁護人は、「今回の自殺は、担任教諭のみならず、学年主任や教頭、校長などの過失が複合したいわば組織的な過失が原因である」という方向に誘導しようと必死だった。  今回の損害賠償請求は、個々人に対するものではなく、学校法人陵桜学園だけに対するものであったから、誰か一人に決定的な過失があろうと組織的な過失であろうと、どちらにしたって結果は同じだったはずだ。  それなのに、組織的な過失という構成にこだわったのは、かつての恩師に責任を集中させたくなかったからだろう。  また、自殺生徒の過失──いじめの事実を訴えるどころか自ら隠そうとまでしたこと──を主張して、ついに過失相殺による損害賠償額の減額(今回の判決では、自殺生徒の過失:学校側の過失=5:95、とされた)を認めさせたことは、負け戦の中での被告弁護人の具体的な成果でもあった。  それが母校への義理ということだったのだろう。  もちろん、かがみも反論したのだが、被告弁護人の主張を崩しきれなかった。実際、自殺生徒には、救いの手が差し伸べられる可能性を「能動的」に避けているとしか思えない行動が多々あったのも事実だったからだ。 5.その後  その後の弁護士Aとかがみの関係について詮索する者がいるかもしれないが、事実だけを記述しておく。  以前と同様、仕事上だけのドライな関係。それだけだ。  ただ、仕事を融通しあうだけでなく、一緒に協力して仕事をすることが多くなったことは事実だった。  かがみの親友の言を借りれば、「かがみんは、いくつになってもツンデレだよ」ということに尽きるのかもしれない。  あれから数ヵ月後、柊かがみ法律事務所にたずねてきた人物が二人。 「おーす、柊。久しぶりだな」 「お邪魔します」 「先生……」  そこには、桜庭先生と天原先生が立っていた。 「再就職先が決まったからな。報告に来てやったぞ」 「どちらにですか?」 「北海道の私立高校だ。ふゆきの実家のコネでなんとかなった。北海道なら余計なしがらみもないし、再出発するにはちょうどいい」 「柊さん」  天原先生が前に出る。 「私、がんばりますね。あんなことは二度と起こさせないように」

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