「ID:iAZlnbc0氏:柊かがみ法律事務所──人権啓発活動」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
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「はい。こちら、柊かがみ法律事務所です」
「こちら、東京弁護士会事務局の○○です。柊弁護士でしょうか?」
「はい」
「東京法務局人権擁護部から人権啓発活動での講演依頼が入っておりまして。弁護士会としては、柊弁護士が適任と判断しましてご連絡した次第なのですが」
「私なんかでいいんですか?」
独立してこの秋葉原に事務所を構えてまだ3年だ。二十代のうちに独立したということもあって、弁護士としてはまだまだ若手である。
「法務局からの話では、秋葉原で『カメコ健全化キャンペーン』というのをやりたいということでして。私には正直どういうものか理解できてないのですが……」
「内容はなんとなく想像はつきますが」
「さすがですね。やはりこれは柊弁護士が適任ですよ」
「そういうことなら、お引き受けいたしますが」
「のちほど法務局から連絡が入ると思いますので、よろしくお願いします」
「はい。分かりました」
その数時間後、電話があった。
「はい。こちら、柊かがみ法律事務所です」
「こちら東京法務局人権擁護部○○課長の○○と申します。お世話になっております。柊先生でいらっしゃいますか?」
女性の声だった。お役所の中で女性で課長ということは、優秀な人なんだろうとは推測がつく。
「はい。弁護士会からはお話は聞いております」
「このたびはご講演を引き受けてくださるということで、ありがとうございます。ついては、日程等の詳細をつめるためにそちらに参りまして打合せをしたいと思うのですが、ご都合のよろしい日時などをお聞かせ願えればと」
かがみは、スケジュールを確認して、希望する日時を伝えた。
「それでは、明日のその時間に参りますので、よろしくお願いします」
「お待ちしております」
翌日。
法務局から二名の職員が尋ねてきた。
一人は先日電話してきた課長、もう一人はその部下だ。
型どおりの挨拶と名刺交換をすませて、打ち合わせに入る。
カメコ健全化キャンペーンの背景としては、秋葉原で最近問題になっているカメコのマナー悪化があった。
早い話が、無断撮影の横行である。それだけならまだしも、さらに悪質な事例まで発生していた。撮影写真を卑猥なコラージュにして、ネットで公開したりといった事例である。
かがみも、ごく最近、被害者から相談を受けて、一仕事していた。
卑猥なコラージュを公開しているウェブサイトやアップローダーのホスティング会社に対して削除要請を出して問題のコラージュを削除させたり、UP主の身元を特定して損害賠償を請求したり、さらには各種検索エンジンのインデックスから削除させる手続もとった。
しかし、問題のコラージュをP2Pネットワークに放出した馬鹿者がいて、ネット上から完全に削除しきるにはいたらなかった。口惜しい限りだ。
「……これは、肖像権、場合によっては名誉権も侵害する人権侵害です。そこで、今回は、この秋葉原で啓発活動を行なおうということになりまして」
課長がキャンペーンの趣旨を一通り説明し終わった。
「ご趣旨は分かりました。私もカメコのマナー悪化は問題だと思っていたところですので、全面的に協力いたします」
「さすが、柊先生は話が早くて助かるッス。弁護士会に説明してもなかなか趣旨を理解してもらえなくて、苦労したッスよ」
「なんて口の利き方ですか。失礼ですよ」
課長が部下をたしなめた。
「かまいませんよ。このキャンペーンの発案者は彼なんでしょう?」
「ええ、まあ……やはり分かりますか?」
秋葉原でやろうという発想自体がオタクっぽいし、部下氏がオタクだということはかがみには雰囲気ですぐに分かった。
一般人で構成される組織の中で生きるオタクには、大別して二つのパターンがある。隠れオタと逃げも隠れもしないオープンなオタクである。彼は、間違いなく後者だろう。
「しかし、秋葉原で啓発イベントなんて、法務局内の決裁がよく通りましたね」
「これはオフレコでお願いしたいのですが、法務局も国民にアピールする活動が必要ということでして。地道な人権啓発活動はもちろん必要ですし今後も継続していくつもりですが、それだけではマスコミもなかなか取り上げてくれませんからね」
「そこで、秋葉原というわけですか」
地方分権改革の荒波を生き残った法務局組織であるが、それゆえに存在意義をアピールし続ける必要がある。登記部門が中心の法務局組織の中では人権擁護部門はマイナーなイメージがあるだけになおさらだ。
「はい。何かいいアイデアはないかと局内で募集したところ、彼が出してきた案がぴったりだということになりまして」
お役所もいろいろと大変ね、とかがみは思った。
そのあと、詳細なスケジュールなどを打ち合わせた。
「それでは、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
帰り際に、部下氏が、
「ナマ柊先生を拝めて感激ッスよ。サインいただいていいッスか?」
「そういうのはやってませんので」
かがみは即答した。
そのやりとりを見て、課長が感心したようにつぶやいた。
「なんというか。さすがですね……。私なんか正直、彼のノリにはついていけないのですが」
「まあ、この秋葉原で仕事してる身ですからね」
イベント当日。
秋葉原の主なショップには、一週間前から啓発ポスターが張られていた。
「カメコ健全化キャンペーン」の題字の下にアニメキャラを配して、そのフキダシに「無断撮影はダメ。肖像権の侵害です」とある。下部には小さく、「共催 東京法務局 東京都人権擁護委員連合会 東京弁護士会」と記載されていた。
まあ、啓発ポスターなんてこんなもんだろう。お役所の仕事としては、アニメキャラを使用したという点だけでも、褒めてもいいぐらいだと思う。
あの部下氏の話によると、著作権者と粘り強く交渉して、破格の安値の著作権使用料で、使用許可をもぎとったそうだ。
彼は、オタクの本領発揮とばかりに精力的に働いているようだった。
講演会場は、黒山の人だかりとなっている。
普段写真撮影を許可しない柊弁護士の写真が撮れるとあって、カメコたちが集まっていたのだ。
また、普段は取材を受け付けない柊弁護士の画が撮れるということで、マスコミ関係者も多数集まっていた。
カメコたちへの啓発と人権啓発活動自体のアピールという法務局の目的からすれば、まずは成功しているといってよかった。
最初に、法務局作成の人権啓発のDVDが上映される。
さすがに、ここにまでアニメを採用することはかなわず、よくありがちな内容のものだった。お役所が作成するこの手の映像作品の常で、はっきりいってつまらない。
その上映が終わったあと、かがみが演台に上った。
カメコたちがいっせいにカメラを構えて写真を撮る。
それが収まったころを見計らって、かがみは口を開いた。
「はい、写真撮影の時間は終わりよ。みなさん、カメラはしまってね」
カメコたちはいっせいにカメラをしまいこんだ。
「さっきまで法務局作成のDVDの上映があったけど、はっきりいってつまらなかったでしょ? 秋葉原でやるなら、京アニにでも作らせればよかったのにね」
「そうだ、そうだ」という声が、会場からあがった。
「役所の人に聞いたんだけど、そこまでやる予算がつかなかったんだって。そういうわけだから、あんなつまらないものは忘れちゃっていいから」
会場が笑いに包まれる。
つかみはOKと判断したかがみは、本題に入った。
原理原則論から話しても素人には難しいだけだ。だから、かがみは、具体的な話から始めた。
上述の悪質コラージュの例なんかを出しながら、被害者のどんな権利を侵害しているのか、それに対して弁護士や公権力がどのような対応をするのか、そして、加害者がどのような落とし前をつけさせられるハメになるのかを、分かりやすく説明する。
聴衆は吸い込まれるように、かがみの話を聞いていた。
「……というわけなので、無断で写真を撮るのは駄目よ。きちんと相手の許可をとること。許可をとるときも、あまりしつこくしちゃ駄目よ。あと、さっき撮った私の写真で卑猥なコラージュなんか作ったら、がっつり賠償金をいただくので、そのつもりで」
カメコたちはしきりに首を縦にふった。
「以上で、私のお話は終わり。ご静聴ありがとうございました」
拍手に送られながら、演台を降りる。
会場裏。
「ありがとうございました」
部下氏と課長に頭を下げられる。
「いえ、こちらこそ、そちらに失礼なことを言ってしまってすみません」
かがみも頭を下げる。
「郷に入れば郷に従えともいいます。ここでは、あれでよかったんだろうと思います」
「そうッスよ。さすがは柊先生、アキバのノリを心得てるッス」
かがみは部下氏の顔を見ながら、高校時代のとある後輩女子のことを思い出していた。
かがみは、改めて講演料の支払手続について説明を受けたあと、事務所へと戻っていった。
歩きながら、部下氏からもらった名刺を改めて眺める。
彼の姓は「田村」であった。
事務所に戻ると、雇っている事務員が、
「お客様が来てます」
事務所の奥に目をやる。
「やふー、かがみん」
そんなふざけた挨拶をするのは、こなたのほかにはありえない。
「こなた。あんた、まさか……」
「はっはっはっ。もちろん、かがみんの今日の勇姿はナマで見させてもらったよ」
考えてみれば、秋葉原でやるオタク関係イベントにこいつが来ないはずもない。
「ばっちり写真もとらせてもらったしね。卑猥なコラージュなんか作らないから、安心してくれたまえ」
「当たり前だ」
「講演もよかったよ。かがみん、言葉の魔術師? カメコたちも聞き入ってたもんね」
「あんたのおかげで、高校時代にきたえられたしね」
「感謝したまえ~」
「そういう言い方されると、感謝する気がうせるぞ」
その後は、久々にあった親友と雑談をしてすごした。