「……主将」

何気なく呼び掛けたつもりの声が、自分の耳には予想以上に冷たく響いて、少女はひとりたじろぐ。


だが もとより部活動中の部室、大勢の部員たちの喧騒に紛れてそんな小声は彼女の懸念とともに掻き消され、少女ー末原恭子は内心ほっとするのだった。


ところでその声をかけたつもりの相手は全く気づきもせず、最近のお気に入りらしい後輩(須賀と話してるときのお姉ちゃんは目付きが猫じゃらしにじゃれつく猫みたいなんや、と絹恵からは聞いていた。本当のところはわからない)
を相手に漫談ばりのマシンガントークをぶっぱなしていく、ただし時折頭撫でたりしながら。

「はいお疲れさーん。……うん、最後の跳満直撃はあかんかったな。出るとこは出る、引くところはちゃーんと引っ込まなあかん。うちの魅惑のボデーのようにな!……なんや、ツッコミくれんと恥ずかしいやんか。あー後輩に恥かかされてしもーたわーもーお嫁にいけんわー」

賑やかしいことこの上ないが今に始まった話ではなく、他の部員たちもとりたてて訝しげな顔をすることもない。せいぜい「またやってんな主将」くらいなものである。

そんなごく普通の光景のはずなのに、目にすればどこか胸の奥の方をぬるりと駆けていく冷たいものの正体を、恭子はまだ明確に捉えられずにいた。

須賀君もテキトーにあしらっとけばええのに、とか思ったところで自分の思考と麻雀抜きにした主将への認識に軽く呆れる。女末原、そんな考え方をする奴じゃなかったのに。とかなんとか。

だいたいそんな状況に声をかけようとすること自体普通は憚られるもの、さほどためらいも見せずそうできたのは彼女が最上級生で かつ主将とも気の置けない仲であるからで、だがそれがただの言い訳で何の理由にもなっていないことは百も承知だった。

もちろん洋榎のことがイヤになったり嫌いになったり、そんなわけとは違う。むしろ好きだし、仲間として、また雀士として(ときどきアホやけど)尊敬すらしている。

だから原因はーー原因という一言で片付けるには複雑過ぎるもろもろの事情と感情とがあって自分も理解できずにいる。いや、感情の中身は朧に気づきかけていて、むしろ理解できないのはこうなってしまった自分自身のことだ。


これはあかんなと、頬杖ついてぼんやりとしてる風を見せながら、恭子は自戒していた。


だいたいの自分の強みは分析力と自身の客観化、その上で驕らずに対策を積み重ねていく堅実さだと思っている。
自分は凡人だというのは重々承知で、それでも何ができるのかできないのか、出来ないことはどうカバーすることができるか……それらはまず自分を把握し理解できなければ到底できないことだ。

だから理解できない以上前には進めない。Q.E.D.
としたところですぐにツッコミが入る大阪人気質。前って、なんや。

漫「なんかえらい考え込んで……どないしたんですかね?」

由子「きっとしょーもないこと考えてんのよー」

漫「……ホンマですか?」

由子「勘、ってやつなのよー。あ、それロン」

漫「」

由子「まずは自分の心配すべきなのよー」ニコニコ

「どないしたん辛気くさい顔して」


はっとして我に返るとその主将こと洋榎が目と鼻の先に顔を出している。近い、近いっちゅうねん。

なんか悪いもんでも食べたんちゃうかー、とかのたまってくれるので、主将とちゃうので拾い食いなんかしたりしません、などと返すと 誰が小汚ない野良犬や!言うてません!とお決まりの応酬。

赤いポニテを振り回しながら全身でリアクションを取る洋榎の後ろに、完全においてけぼりを食らった某金髪の後輩をチラッと見て恭子は一瞬身を固くし、努めて笑顔を浮かべる。


が、長くは続かない。

「だいたい恭子がうち呼んどったんとちゃうん?京太郎がいーよったけど」

それはつまりあの小さな声を京太郎が聞き分けてくれたということで、もっと言えばそれはこちらに注意を向けていなければ多分できない芸当で、たまたまとか偶然とかそんな可能性を考慮する間もなく頭は真っ白、

主将は名前呼びなんかそれもええなあとか関係ありそうでなさそうなことを頭のなかでぐるぐる回しながら、えへへ、京太郎、京太郎、と普段の彼女からは想像できないような蕩けた顔はすっかり上気、
声にならない声とともにばたりと机に突っ伏してその表情を衆人環視のもとに晒さなかったのが辛うじて救いだった。

末原先輩!? と彼の声が飛んできて、ちゃうねん、恭子、恭子先輩って呼んで欲しい、もっと言えば呼び捨てでも全然かまへん、口になんてとても出せないそんな気持ちがうずうずと、相変わらず口はパクパク、打ち上げられた魚のそれみたく何の用も果たせない。

顔を伏せたままプルプル震えるその姿は笑いを必死に堪えているようにも見えるらしく、きっとドヤ顔して
「大阪一おもろい雀士、愛宕洋榎とはうちのことやで!」とかなんとか言うてる主将はこのさいカモフラージュになってもらおう。落ち着いて顔が赤うなってるのが治るまでの辛抱や、なんて冷静に見ている自分もまた同時にいて少し新鮮さすら覚えた。

ようやっと落ち着いて見上げれば少し戸惑った顔の京太郎がいて、目があって微笑みかければ彼の表情も緩む。
その瞬間、あ、こういうことなんや、と思った。
過程を明確に説明も出来ないし理由だってよくわからない。強いて言えば京太郎が自分の後輩になったこと、それが今言える唯一の理由であり、また事実だ。
京太郎は自分の後輩、それ以上ではないから、前に進みたい。


そうなれば自然と行動は決まってしまう。さっきまで悩んでいたのが嘘のようだ。


はっきりした声で、言える。
「麻雀の特訓、うちも混ざってええかな?」

カンッ