「はぁ………」


 小鍛冶健夜はこれ以上ないくらいに落ち込んでいた。

 秋の新人戦も各地での選抜が終わり、全国まで段階の進んできた11月7日。

 1日目のスケジュールをすべて消化し、予選の終わった当日。

 帰りの人間が目立ち始めてきた夕方に、一人会場内のベンチで沈んでいた。


「わたしのせいじゃないもん………こーこちゃんがわるいんだもん………」


 落ち込んでいる原因は単純明快、本日が28歳の誕生日(彼氏もしくはそれに準じるものナシ)だからである。

 しかも予選の実況中に相方のアナウンサーにそのことをネタにされた。

『さて、予選も後半荘1回を残すのみとなりました。会場は休憩時間に入ります。ところでラジオをお聞きの皆さん、今日は一つお知らせがあります!
 本日の解説役、小鍛冶プロは本日がお誕生日です! すこやんおめでとー!』

『え、ええ!?』


 てっきりここはこれまで目立った試合についての感想を述べあったりする時間だと思ったのに、いきなり身内ネタが始まって健夜は困惑した。


『えっと、ありがとうございま………』

『にしても小鍛冶プロ―、だめですよーアラフォーなのに彼氏もいないで仕事漬けの誕生日なんて―』

『アラサーだよ!』

『あははー。あと何年そう言ってられるかなー? そのうち私がすこやんのことアラサーって呼びかけたらアラフォーだよ! って訂正が来るようになるのもそう遠くない未来………』

『ひくっ』

『へ?』


 公共の電波に乗せてはいけないような声が健夜から洩れたと思った瞬間、スタジオはパニックになった。


『こーこちゃ、ひど………うえぇえええん………!』

『わー! わー! し、CM! CM入ってー!』

 休憩時間の間に健夜が泣き止むことはなく、スタジオは上へ下への大騒ぎとなった。

 幸い解説以外の仕事で来ていた牌のお姉さんを捕まえられたので、代役には困らなかったが、健夜がダメになった原因は口が裂けても言えなかった。


 「あなたと同い年になったことが相当ショックだったようです」など、死体処理の手間が増えるだけだ。


 現在予選1日目最終戦が終わり、健夜はスタジオの外に誰に何も言わずに出て、人通りの少ない通路のベンチに腰かけてうなだれていた。

 本番中に大泣きするのはさすがにまずかったが、今回は自分は悪くない。

 あのアナウンサーには一生良縁がないよう『三十周辺良縁殲滅(カラーレス・サーティ)』の呪いをかけてやることを誓いつつ拗ねていた。


「もう帰っちゃおうかな………」


 あんなことがあった後だし、姿を消してもスタッフたちは察してくれることだろう。

 それが知れてディレクターさんにさらに叱られてしまえと怒りつつ、健夜はベンチを立った。

「ふぅ………ぎりっぎり間に合ったな………。たくっ俺はドラえもんじゃねーっての………。誰かタコス専用でいいからグルメテーブルかけ作ってくんねぇかなぁ………」

「?」


 階段に差し掛かったところで、下の階の方からそんな声が聞こえた。

 すぐに相手の姿が見えるが、その背の高さに少し圧倒されてしまう。

 学生服でこのあたりにいるということは、出場選手の関係者だろうが、それはつまり18歳以下ということだ。

 しかし段ボール箱を身体の前で抱えて登ってくる少年は、どう見ても180センチ以上、いや、190センチ近くある。


(いいなぁ、歳とっても成長期っていう名目があって………)


 私なんて、もう「老化」っていう名目しか残ってないもんねと僻みつつ、その少年とすれ違うところまで来た。

「あ」


 目下の少年がぺこりと頭を下げてくる。

 つられて健夜も頭を下げるが、それで足を踏み外してしまった。


「わっ!?」


 慌てて手すりを掴もうとしたが、運動神経の鈍い健夜の手は空を掴んだだけだった。

 そのまま顔面から真っ逆さまかと思ったその時。


「危ない!?」


 バタンバタン! と何かかが階段を転がり落ちる音がしたが、健夜の身体は落ちる途中で止められた。

 きつく閉じられた目を恐る恐る開けてみると、自分が少年の腕で抱き留められているのが分かった。


「だ、大丈夫、ですか?」

「え、あ、は、はいっ!?」


 慌てて姿勢を直し、少年の腕の中から出る。

 階段数段分の落差があってもなお自分より少し目線の高い少年と目が合って、ドキリとしてしまう。

(うわ! うわわ! イケメンさんだ!)

「あれ? ひょっとして、泣いてます………?」

「え、あ、ちょっとまって!」


 自分の泣き跡を見られて、健夜が慌ててごしごしと袖で顔を拭う。

 どうせラジオで顔は出ないんだしと化粧をしてこなかったのが幸いした。

 もししてきていたら大変な惨状になっていただろう。


「えっと、ありがとうございます………。その、泣いていたのは別件なので大丈夫です!」

「そ、そうですか………」

「あああ!」


 目線を下げた瞬間、床に散乱した段ボールの中身を見て健夜が悲鳴を上げる。


「ん? あちゃあ………こりゃどうしよっかなぁ………」

「ご、ごめんなさい!」


 ほとんどはラップでくるんでいたから大丈夫だったが、いくつかは包装が解けてぐちゃぐちゃになって飛び散っていた。


「ああ、大丈夫ですよ。気にしないでください」

「でも………」

 とりあえず健夜も無事な分を一緒に拾うが、30個近くあるうち5つほどダメになっていた。


「あちゃあ………いくつか余裕があったから、まぁ大丈夫か」

「ごめんなさい……」


 健夜は自分がみじめでまた泣きそうになった。

 生放送中に泣き出したり、助けてくれた男の子の運んでいた食べ物をダメにしてしまったりと、大人として情けない。

 何が誕生日だ、無駄に年だけ取って、そんなのちっともうれしくない。


「あの………お姉さん。今、お時間ってありますか?」

「え? は、はい………」

「よかった。じゃあコレ、おひとついかがですか? もちろん無事だった奴を。俺もこの後時間少しあるんで、お話でもできたらなぁって」


 健夜は断る理由もなかったので、少年のはにかんだ笑顔に対し、曖昧にうなずき返した。


「はい、どうぞ」

「い、いただきます………あ、おいしい」


 タコスを食べたことがなかった健夜が恐る恐る一口目をかじると、好きな味だと分かってもしゃもしゃ咀嚼する。

「よかった。俺飲み物買ってきますね」

「んん!?(そんな、わるいよ!)」


 健夜は止めるが、口の中に物が入ったままで、言葉にならない。

 少年は止める間もなく傍の自販機で購入を済ませてしまった。


「はい、ホットココアです。コーヒーでもいいかなって思ったんですけど、苦手な人もいるしこっちのほうがいいかなって」

「あ、ありがとうございます………」


 年上の面目丸つぶれで、健夜は小さくなって温かい缶を受け取った。


「その………変なことをお聞きするようですが………何か、泣くようなことがあったんですか?」

「え?」


 ちびりちびりとココアを呑んでいると、少年が尋ねてきた。

 健夜は何と答えたらいいものか悩んで、黙ってしまう。


「あ、いえ! もちろん他人に話すようなことじゃなければ構いません! 話さなくても」

「う、ううん。その、下らない話なんだけど………私、今日が誕生日なんだ」

「え、おめでとうございます」

「それが、全然めでたくなくて………。今日は仕事で来てて、彼氏もいない灰色の28年間で、そのことを友達にからかわれて………泣き出しちゃって………」

「ひっでぇ………」


 掻い摘んで話すと、少年は顔を歪めて絶句した。


「………そんなの気にしなくていいですよ。28歳! いいじゃないですか別に! 
 俺、はやりんの大ファンですけど、あの人の年齢なんて一切気になりませんよ! 
 むしろあんなに若々しく見えてすごいなって思います! その人が若々しく在れたら、歳なんて関係ないですよ!」


 少年は肩を上下させて力説する。

 なんて素晴らしい考えを持った少年かと感心しながら、健夜はわずかに笑みを漏らした。

「はは………そういってもらえてうれしいけど、はやりちゃんは特別だよ。私は……全然女としても魅力がなくて、地味で、男っ気もなくて、情けなくて………アラサーで……」

「そんなことありません!」


 未だ現実を引きずっている健夜が肩を落ち込ませると、少年はことさらに大きな声で健夜を叱咤した。


「俺はまだ15歳のガキですけどね、もし惚れてしまった相手が現在28歳でも気にしませんよ!
 歳の差なんて関係ありません! いいじゃないですか地味だって!
 確かにそんな特別はやりんみたいに際立って美人とかではないけど、お姉さんだって素で結構きれいです!
 それに情けなくなんてないです。俺の周りにいるポンコツ同級生や鬼畜元部長に比べればすごく頼りに思えます!
 で、えっと………だから、お姉さんが落ち込む必要はどこにもないです!」

「あ…………」


 健夜の中で、何かが弾けた。

 恥ずかしさ、嬉しさ、幸福さ、心地よさ。

 そのどれでもあって、どれでもなさそうな、それらの少しずつ混ざったような、一緒くたにしたようなもどかしい感覚。

 だが、決して不快ではない。

「えっと………済みません、いきなり変なこと力説して………」

「あっ、いやっ、その………!」


 顔を赤く染めながら、肩を落とす少年に、健夜が慌てる。

 だが、すぐに呼吸を落ち着け、少年の頭を撫でる。

 精いっぱいのお姉さんらしさを出してみたつもりだ。


「ありがとう、そういってくれて。すっごく、嬉しかったよ」

「そ、そうっすか、よかった………」

「うん、とっても嬉しかった」


 朗らかに笑いかけるが、実は健夜の心中は穏やかではない。

 こうしている今も、心臓はバックンバックン鳴って、手はひょっとして嫌がられてる!? と危惧するくらいに手汗が湧き上がってくる。

 だが、この少年への思いが湧き上がってきて止まってくれないのだ。


「君、お名前は?」

「あ、須賀京太郎です」

「須賀君は、誰かの付き添い? 今試合中だから、選手じゃないみたいだけど………」

「あー………清澄高校の、付き添いです」

「清澄………って、宮永選手達の!?」

「やっぱ知ってますか」

 夏のインハイ優勝校の名前が出てきて、健夜が仰天する。

 まさかそこまでの大物だったとは。


「あいつらは勝ったからいいけど………俺は県予選落ちで………」

「そっかぁ………」

「はい。夏は予選午前の部落ちだったんで、頑張って二日目の本選には残れたんですけど、
 やっぱり県代表になれるほどじゃなくて………」


 どこか達観したようなまなざしで中空を見つめる京太郎を、健夜は気の毒に思った。


「でも………大丈夫だよ」

「はい?」

「牌は、必ずあなたみたいな子を見捨てたりしない。
 まっすぐ頑張れる子に応えないほど、麻雀って意地悪じゃないゲームなのよ。
 きっと君も来年には、宮永さんたちみたいに強くなれるはずよ。私が保証したげる」


 聞く人が聞けばこれ以上なく頼りがいのある言葉だろう。

 未だに健夜の正体に気付かない京太郎ですら、その言葉を疑おうという気持ちにはならなかった。


「そういってくれて、うれしいっす………」

「うんうん、お姉さんの言うことを信じなさい」


 ざわざわ…………


「あ、予選そろそろ終わったみたいっすね」

「ん、そうだね」


 会場のアナウンスが聞こえてきて、1日目の日程が終わったことを悟る。

 まもなく、帰りの人間がここらまで来るはずだ。


「じゃあ、俺そろそろ行きますね。うちの片岡が、知り合いの選手たちとタコスパーティやるっていきなり言い出して、
 さっきまで急いで人数分のタコス作ってきたんですよ」

「あ、そうだ………ごめんね、落っことしちゃって」

「なぁに、大丈夫ですよ。ダメになったのが5個で、お姉さんに上げたので6個。
 うちの部員たちだけ我慢すればいいだけっすよ。優希にはいいお灸です」


 意地悪な笑みを浮かべて、京太郎は無事だったタコスの入った段ボール箱を抱えて立ち上がった。


「じゃあ、失礼します」

「うん、ばいばい。会えてうれしかったよ」

「はは、俺もです」


 手を振って、京太郎は選手の控室のある区画へと歩み出す。


「………京太郎君! 来年は、選手になってきて、応援させてね!」

「はは………! お姉さんも、誕生日おめでとうございます!
 来年は、優勝をプレゼントできるように頑張りますね!」