「はじめまして、須賀です。よろしく」

 私が初めて見たときの彼は、笑顔を浮かべながらもどこか暗い目をしていました。
 4月の2週目ももう終わり頃だったはずです。
 部長に引きずられるようにしてやってきた彼。
 その時は特に気にもしませんでした。
 むしろ品定めし、良からぬことを考えているような
 いやらしい視線を向けられるよりもよほど良い、そんな風に思っていました。

「おい京太郎、いやエロ犬! 
 いくらのどちゃんがおっぱいで美人だからって変な目で見るんじゃねーじぇ!」

 ゆーきはあれで聡い人です。きっと須賀君の何かを察していたのでしょう。
 胡乱な目、邪険な態度。からかう度に向けられるそれらをものともせず。
 気付けば10年来の親友のような憎まれ口の応酬で笑い合うまでになっていました。
 憧に似ていたこともあって割とすぐに打ち解けたはずの私とゆーきですら、
 気の置けない間柄になるのに半年以上がかかったというのに。
 須賀君のことが少し気になりました。

「カモ連れてきたぞー!」

 そう言って連れてこられた――宮永咲さん。
 まさに私達の運命を変えることとなった人です。
 どこか達観して諦めたような表情を浮かべることが多くなっていた部長が
 4月にはよく湛えていた不敵で油断のならない片頬だけを吊り上げる笑みを取り戻し。
 ゆーきは対抗心と尊敬から、染谷先輩は部長の様子が戻った安堵から。
 私も悔しさと好きなものを貶されたという怒り、それだけじゃありません、
 私達を軽くあしらってしまえるほどの強さにのめり込みました。
 須賀君のことはいつからか意識することもなくなってしまっていました。

「はい、これ買出し表。よろしくネ?」

 部長のいつもの押し付けでした。
 咲さんが入部したことで野心が燃え上がったのかそれとも元からだったのか。
 部長は須賀君を追い出すかのように度々、
 部室から離れなければならないような雑用を押し付けるようになりました。
 咲さんというジョーカーが手に入るまでは、
 零細ながらもそれなりに和気藹々とやっていたはずです。

 週に1回あるかどうか、染谷先輩の案内などを経てみんなで買出しに行ったり。
 掃除や簡単な雀卓整備、牌磨きも分担していました。
 私は自室の麻雀グッズなどの整備は全て業者に委託していましたから、
 牌磨きなんて小さい頃に父にもらった
 プラスチックの安っぽい玩具の牌の手垢落とし以来。

 みんなで他愛のない話をしながら、
 滲んだ汗を垂らして拭き直しになってそれを笑い合ったり、
 大変でしたけどそれでも楽しい時間だったはずです。

 ふと見やった須賀君の目が、いつかのような目に戻っていたような気がしました。
 けれど強くなろうと足掻いていた私は特に考えもせず、忘れました。

「みんなッ! 優勝、やったな!! すげーよほんと!」

「くっそー、マジで惜しかったな! 和ならイケるってみんな応援してたんだけど。
 でもすごいぜ。なんたって高校生で5番目だぜ!?
 しかも上には3年生が2人だから、実質3位だ! かっこよかったぜ和!」

 全国大会団体戦制覇。そして個人戦5位入賞。
 須賀君が涙を浮かべて、そして満面の笑みで祝福の声を上げてくれました。
 でも、彼は抱き合って喜ぶ私達からは一歩引いた位置で。
 決して輪の中に入ろうとはしませんでした。
 今思えばこのときの須賀君の涙は、感動や歓喜の涙だったのでしょうか……?

 清澄高校麻雀部。
 優勝したことで部費も急遽増額、部室も旧校舎の一室から
 現校舎の視聴覚ルームなどがある一角に移りました。
 全自動卓も何台も寄付され、今では部員数が両手の指では足りないほどです。

 元部長の竹井先輩は国麻出場を考えてまだ引退こそしていませんが、
 佐久フェレッターズからのスカウトを受けているらしく、
 メインの練習はプロチームのお世話になっているとか。

 現部長の染谷先輩も、御実家のメイド雀荘が繁盛しているとのことで
 団体戦優勝メンバーで部活に出ているのは私とゆーき、咲さんの3人だけ。

 新たに入部した人達は一年生だけでなく二年生もいました。
 部長たちが顔を出さないからか私達だけでは彼らの手綱を取れず、
 指導や自己研鑽に追われて以前とはすっかり部の雰囲気が変わってしまいました。

 そんな中、彼らが目の敵にしているのが須賀君です。
 彼のことを良く知りもしないくせに。
 竹井先輩に教えてもらっていたからと、
 彼は部の雑用だけでなく秋季大会や国麻に向けた牌譜整理なども一手に引き受けました。
 対局に誘う隙も無く、むしろなるべく部室にはいないようにしているのが分かってしまいます。

 私も問い詰めました。インハイ前までは役も覚えていたでしょうと。
 彼はばつが悪そうに目を逸らし、忘れてしまったとだけ言いました。
 須賀君はあんなに暗い目をしていたでしょうか。
 裏方とはいえ支えてくれた彼の表情をまるで覚えていないことに気付き、愕然としました。

「――和、今日の放課後、部活前にちょっといいか?」

 部活が終わってからではダメなのでしょうか。
 そう問い返すこともできましたが、私はそうしませんでした。
 おおかた麻雀部で私の誕生日を祝う準備でもしてくれているのだろうと思ったんです。
 彼の澄んだ真っ直ぐな目に気圧されたわけではありません、ええ、決して。


「俺、麻雀部辞めるよ」

 須賀君が何を言ったのか、すぐには理解できませんでした。
 冗談にしては笑えないです。最悪の誕生日プレゼント?
 眦を吊り上げ怒ろうとする私を手で制し、彼は言葉を続けます。
 私の頭の中では、彼との思い出を必死に手繰り寄せようとしていました。

「前から決めてたんだ。竹井先輩にも染谷先輩……部長にも。
 だいぶ前からインハイ終わったら辞めますってさ。
 そんで、これから俺が言うことはただの自己満足。すぐ忘れてくれていい。

 俺、須賀京太郎は原村和のことが好きだ。

 周りに嫌気がさして腐ってた俺を馬鹿にせずに普通に接してくれたのは
 優希と咲、和だけだった。
 久しぶりに純粋な友達が出来た、そう思ってた。
 でも咲が入部して、みんなから拒絶されて。

 そんなとき、この気持ちが恋だって気付いた。
 和と離れたくなかった。俺を見て欲しかった。
 だから少しでも役に……いや、気を惹けるように雑用だって頑張ったんだ。
 でもダメだった。和どころか他のみんなも俺を居ない者扱いだ。今だって。

 悪いな、こんな泣き言……。さようなら和。咲達によろしく頼む」

 唐突な告白。そんなことはないと途中で叫んで遮りたかった。
 だができませんでした。須賀君との想い出が……無かったんです。
 記憶の端々に彼の表情が残ってはいました。
 でもこれといった特別な何かは何一つ無かったんです。


 背を向けて去って行く須賀君。焦燥感が胸を焦がします。
 このままでは必ず後悔する。そんな確信だけが空回りして。
 『彼のことを良く知りもしないくせに』
 あの時私はなぜそんなことを思ったんでしょうか。
 そこに行きつけば後は簡単だったんです。

 最初は、須賀君がいやらしい視線を向けてこないことに安堵しました。
 彼と仲良くなるにつれ、あの視線を向けられるようになり失望しました。
 でも失望だけではなかったんです。
 父から転校話を切り出され追い詰められ、自分のことしか考えられなくなっていた
 そんな時でも、須賀君の表情は片隅に残っていたんです。

 それにようやく気付きました。
 失いそうになってやっと。でもまだ間に合います。
 南四局、海底牌はめくられていないのですから。
 怯懦をねじ伏せ、一歩前に。

「待ってください。私――――――――――――」


カンッ