繰り返し同じ夢を見る。
ああ、これは夢だな、とわかる類のもので、いわゆる明晰夢、というものだ。

夢の中での私は母親で、夫と娘と三人、仲良く暮らしている。
一軒家にて、ささやかだけれども、溢れんばかりの幸せを噛み締めるようにして、過ごしている。

娘の顔は、起きたあとでもよく覚えている。
黒髪で可愛らしく頬を赤らませた、柔らかな笑顔が似合う子。
こんな子が娘なら、きっと誰もが可愛がる。そう思える子だ。

ただ──夫の顔は、よく分からない。

輪郭さえもぼやけて、どんな顔立ちなのか、髪の色や髪型はどうであったとか、まるで覚えていられない。

ただ、一言。
『霞』と、私の名前をいとおしげに呼び掛けるその声の、あまりに優しい暖かな色が心に焼き付いている。

──誰だったのだろう?
起きれば忘れる朧な記憶を、心が追い求めて。
私の、石戸霞の1日はそんな風にして始まる。

何があるわけでもない。
普通の朝。
それでも、どこか物足りなさを感じるのは、やはり夢のせいだろうか。
あんな温もりが、起きてもあってくれたら……とりとめもなく考える。

今の自分の周囲に、環境に、不満がないわけではない。
六女仙という肩書も、その役割も、辛くないと言えば嘘になる。

しかし、辛いだけのものでは断じてない。
嬉しいことや楽しいことも幾つもある。
小蒔ちゃんをはじめ、いくつもの確かな絆があるから、私はどうにかやってこれているのだ。

けれども。
夢で見た、あの娘を抱いて眠り……あの人に起こされる。
そんな自分を夢想するとき、ひどく、物寂しくなることも確かだ。

洗面台へ行き、顔を洗い、歯も磨く。
冷たい水が、私の意識をはっきりと覚醒させる。

──東京の夏は、あるいは鹿児島よりも厳しいものかもしれない。

インターハイのため、上京した私たちだが、都会の喧騒と熱気に呑まれ、夏バテ気味だ。
それでも対外的には毅然とした態度でいなくてはならないのだから、巫女というのも、大変である。

だからかもしれない。
仲間内だけになると、私も含めた永水メンバーは一度に気が抜けてしまいがちになる。
今の私がまさしくそうで、インターハイの中休みにあたる今日は、どうにも、外に出る気はしなかった。

ホテルの、割り当てられた自室。
その窓から外を見る。
燦々とした太陽の下、懸命に歩き回る人たちが見える。皆、思い思いに忙しそうで頭が下がる。

大都会に憧れを持たないわけでもないが、いざ来てみると、少しの間の上京でしかないのに、どうにも心寂しさが募る。
いつも見る夢の、その暖かさとの落差もあるのだろうか。ひどく、心細い。

こんな時に、夢で見るあの人がいてくれれば。
そう、思う。
そんなことを考えながら、外を眺めていると。
ふと、金色の髪が目について。
──私は息を呑んだ。

遠目で見ただけだ。
一目見ただけだ。
ほんの少し、僅かな刹那、見ただけだ。
なのに……気がつくと私は、寝巻きのまま部屋を飛び出していた。

息が苦しい。胸が揺れて鬱陶しい。
それでも走る。走る。走る。

胸が苦しい。期待が膨らむ。まさか、という想いが募る。
それでも走る。走る。

会いたい。あいたい。あなたに、あいたい。
走る。……止まる。

ホテルを出てしばらくのコンビニエンスストア。そこに彼はいた。
マンガ雑誌を立ち読みしている。
ガラスを隔てて中と外。私たちは向かい合う。

まだ気づいていない彼を見る。
端正な顔立ちに、黄金のような髪が目映い。
軽薄そうな印象も受けるが…不思議と、誠実さが伝わる雰囲気を持っている。
少なくとも私には、素敵に思える男性だった。

彼が気づいた。……目が合う。
それだけで、それだけなのに、そんなことでしかないのに。
私には心から、彼こそが夢のあの人、私の、夫になる人だと受け入れられた。

コンビニへと入る。
きょとんとした彼に近づく。
私やりも大分、背の高い彼は、僅かに膝を折り、目線を合わせて応じてくれた。

「どうしました?」

彼が問う。
私は。私は。わたしは。
──そこで、現実に思いいたり、答えられない。

どう、答えればいいのだろうか。

はしたなくと寝巻きの女が、息せききって目の前にいる。
その理由とは? 「夢で貴方と結婚して子供もいました。付き合ってください」とでも?

とんでもない話だ。
自分でもバカな妄言だと分かる。
ただただ夢中で来たけれど……こんなことをして、私はどう言う?

黙ったままの私に、彼が優しく告げた。

「えっと。鹿児島の永水女子の、石戸選手ですよね? 長野の清澄高校の須賀といいます。なにか、あったんですか?」

「あ……」

やさしい、ひとだ。
私を気遣ってくれている。
須賀。須賀さん。
名前を心に刻み込む。

須賀さん。須賀さん。須賀さん。
三度呟く。
──不思議と気分が落ち着き、勇気が湧いてくる。

「──ごめんなさい、急に」

「いえ……大丈夫ですか?」

「はい。……その」

「?」

「き、清澄の選手といるところを以前、見まして。それで、気になって」

「あ、ああー。まあ、女子ばっかのインハイ会場に男ですもんね」

「麻雀……その、おやりに?」

「素人ですよ。今回はただの雑用でして」

「そう、なんですか……」

どうにか違和感のない誤魔化しを行えた。
内心、安堵の息をつく。
寝間着なのはどうしようもないけれど……とりあえず、突然意味不明なことを言い出す女にはならずにすんだみたいだ。

そして。
そうして生まれた少しの余裕が、私に、強引なまでに話を進めさせていく。

「もしよろしければ……私が麻雀、教えさせてもらってもいいでしょうか?」

「えっ」

「そ、その……お近づきのしるしと言いますか友好のあかしと言いますかなんと言いますか」

「俺としては嬉しいですけど……お忙しいんじゃ?」

「いえ! まったく!」

「は、はあ」

戸惑う彼に電話番号、メールアドレスを教える。
これで、私と彼には縁ができた。

ふと、あまりに積極的な自分に苦笑する。
こんな風にして、衝動的に動いた経験はさて、どれ程あったことか。

須賀さんを見る。
嬉しそうに笑っていて、それだけで胸が高鳴る。
きっとこれこそが恋なのだと──疑う余地もなく、受け入れることができた。

だから、最後の一押し。

「──霞」

「?」

「霞と、呼んでください」

「え、いや、それは」

「仲良くしたいですもの。ね?」

「……じゃあ、俺のことも、京太郎で呼んでください。俺、須賀京太郎って言います」

「きょう、たろう……ええ。よろしくね、京太郎さん」

「はい、霞さん」

──『霞』

夢と現実が重なる。
ああ、ああ。
この人だ。この人が。
私の夢の、あの人だ。

──私はもう迷わない。
ひたすらにこの人の隣にいよう。
いつか夢で見たあの日々を、現実のものにするのだ。

末永くよろしくお願いいたします。
京太郎さん──


カン!