「あっ」

と声を上げたのはどちらからだったか。

この部室に通い続けて二年半と少し。

すっかり馴れてしまった空間のはずなのに、この頃むず痒さを感じてしまうのはきっと、奥で笑みを浮かべて手を振る金髪の(かわいい)彼のせいだ。

そんな思考に至って一瞬の間、その意味を理解して頬がじぃっと熱くなるのを慌てて両手で隠すようにしながら、何気ない風をして歩を進める。

いやきっと隠しきれてはいない。
両手は不必要な力で鞄の持ち手をぐっと握りしめてるし、歩き方もどこかもぞもぞとしてぎこちない。何より、軽くでも挨拶しておこうとした喉も掠れてろくな声が出てこない。

不自然に聞こえたかもしれない咳き込みの後に、小さくごめんねと付け加えるので精一杯だった。


幸いこの大柄な彼は超がつくくらいの鈍感で、きっとこの赤面だって風邪のひき始めくらいにしか思わないだろう、と私はこの半年の経験から結論付けて一人安心する。

座ってるのにこの子、私とさほど目線が変わらないんだよね。

手をすっすっ、と往復させて視線を延長してみると本当に数センチの差しかない。京太郎大きすぎ。

ここまで生きてきて自分の小ささにも随分慣れてきたはずだけけど、こんな瞬間は必ずあるもの。

……なんかムカつく。

「……先輩、俺何かしました?」

しまった、口に出てたか。

先の挙動不審とあわせて、京太郎に悪い印象しか与えていない気がして一瞬思考停止に陥りかけるのをどうにか踏みとどまって、
けれど謝罪の言葉を探して逡巡していたその時、頭に乗っかる温かいものがあった。


「な、なにやってんの」

「いや、丁度手の届くいい位置にあっ
たので」

「なにそれ。ひどいなあ」

「嫌でした?」

「ずるいよね、京太郎は」

「?」


……本当にズルい。




本当に何もわかってない顔をして後輩がこちらにぎこちない笑みを浮かべるのを見て、わたしは大袈裟にため息をつく。
こいつ何もわかってないとでも言いたげな呆れ顔を、上手く作れているだろうか。

隠し通せるとは自分でも思っていない感情を、それでも説き伏せて自分のイメージであろう「自分」を懸命に演じているのは、先輩としての矜持でもあり、また自分の性格上の問題でもあった。

だからあの日、演技と演技のちょっとした間隙にそれを口走ったのは、後から思えばとてつもなく恥ずかしいことだったし、何も自覚していなかった自分が一番驚いた程。

同じく驚いた顔をした彼が、それでもその願いを聞き届けてくれたから、今があるのだった。


首を傾げた京太郎が一拍置いて、座ったまま椅子を引く。その一挙一動にわたしは目を離せず、次の展開を今か今かと待ちわびて表情はきっと落ち着かない。
そしてその期待通り、京太郎が自分の膝を掌で二度打つ。

「充電、しましょうか?」

二人っきりのわたしたちはその行為を
充電、と呼んでいる。

黙って彼の膝にポスン、と座って、わたしはすぐに変調を自覚する。


体が、熱い。
鼓動はいつもよりも忙しく、接している背中から京太郎に聞こえるのではと思えるほど。


ぼおっとした目線の先で机に置いてあるのは京太郎のプリント。多分宿題かなにかだろう。
わたしの後ろから延びた腕がペンを走らせている。そしてもう一方は、プリントを押さえる役目を教科書やら筆箱やらに委ねて、体に触れるか触れないかの絶妙な距離を保ってわたしをシートベルトのように支えてくれている。


そんなささやかなことがわたしの頬を緩ませたりするのだ。





彼がこの部室に来て間もない頃か、部の誰か、もしかしたら塞だったかもしれない。おそらく興味本位で、京太郎に質問が投げ掛けられたことがあった。

好みの女の子のタイプは、と。

わたしは牌譜を眺めて会話の端のほうにいたのは覚えている。
時折視界の隅で動いている金髪頭が、四方八方からの追及をついにかわしきれずに、スタイルの良い子が好みだとーこれはかなりマイルドな表現に改変しているのだがー自白したことも覚えている。

そして自分が

「ふーん」

とつまらなそうに相槌を打って、

先輩、これは誘導尋問です、誤解です、なんて弁解を始めた彼にジト目で応じたことも覚えている。

きっとそんなこと、京太郎は覚えていない。
わたしだって、今になってまで覚えていられるようなシーンだとは、その時は思っていなかったから。

京太郎の体温がわたしの背中を温め、わたしの体温が京太郎に伝わっていく。
まるで一つに溶けていくような感覚の中で、その記憶がわたしを現実に縛り付けている。


京太郎にとってわたしは恋愛対象なんだろうか。
良く言ってスレンダー、その実ただの小学生体型のわたしは、おそらく彼の好みとは正反対のはずだ。

この充電だって、兄妹のような感覚でしてくれているのかもしれない。
先輩として普段振る舞うわたしが、見た目通りの年下の少女として甘えてくるのが楽しいだけなのかもしれない。


でもそんなことは、もうどうでもいいのかもしれなかった。
温厚でかつ快活、だれとでも仲好くなれるその彼を、ほんの少しの間でも独占できる。互いの体温を感じて、吐息を聞いて、身動ぎに心が揺れる。

そんな時間は、むしろわたしにできる精一杯の、京太郎へのささやかなアプローチなのだった。

「先輩」

わたしのお願いを彼が聞いてくれたあの日から、わたしはこの特別な時間を時折享受している。二人っきりの時だけの、贅沢な時間。

「ううん。そうじゃないよね」

だからもう少しだけ、もう少しだけわがままを聞いてもらっても罰当たりではないだろう。
この瞬間が特別だって、
京太郎にも気づいてもらえるように。

「……胡桃、さん?」

さんづけされるのは不満だが、そんな関係ではない以上仕方がない。京太郎への信頼感が上乗せされる一方で、自分のチョロさが心配になる。



だから今だけは心配されるような女の子として、精一杯甘えていよう。

「なぁに、京太郎?」

カンッ






番外編


部室前

豊音「胡桃、また京ちゃんにだっこされてるよー(いいなー、ちょーうらやましいよー)」

エイスリン「ナカガイイノハ、イイコト!(NZでもあんなの見たことないのに……日本の習慣って奥深いのね)」

塞「あぁもう、一番規律正しい胡桃があれなんだもん……(あれ絶対、絶対入ってるよね)」

シロ「ダル……(面倒臭いなぁ、胡桃)」

今度こそカンッ