(何で続けているんでしょうか?)

 プロですら素人に負けることがある。
 サマでもしない限り勝ち続けることなど絶対に不可能であるのが、運の要素が絡むゲームというものの宿命だ。
 しかし、田舎道をとぼとぼと歩く少女は負け続けている。小さく丸まり、煤けた背中は敗残者のそれである。

(もう、嫌です……)

 つい先日まで楽しかったはずの部活動は今では苦しくて辛いばかりだ。
 ただの一回も、繰り返されること百数局、その一度足りとて少女は和了することが出来ていない。それどころか、実力差を見せつけるかのように嬲られていた。
 憧れた先輩たちの容赦ない心を折るような打ち筋に、恐怖し、絶望し、擦り切れ、摩耗する。度重なる敗北、叩き潰され、自信や自尊心はもう粉々だ。

(麻雀なんて……)

 幼い乙女の精神は限界を迎えようとしていた。
 だからだろう。少女は周囲への注意が散漫となり、畦道に足を滑らせる。傾いていく身体、咄嗟に受け身を取る余裕もない。
 危急の事態に意識だけが加速し、水の張られた田園が接近することを認識する。
 泥だらけになることを想像し、目を閉じた。

「…………」

 されど、訪れるはずの衝撃も、濡れて汚れる感触も、いつまで経ってもやってこない。おそるおそる目を開けて少女は状況を確認する。

「京太郎…先輩?」

「おう、危なかったなマホ」

 はにかんだ笑顔、抱き締められて腕の中にいる状況。向けられる無償の優しさと緊張からの解放に張り詰めていた心の糸がプツリと切れた。
 突然、声をあげて泣き出した後輩を前に、京太郎はどう対応すれば良いのか分からなかった。

「ず…びまぁ…じぇん…………服汚しちゃって……」

「気にすんな」

 気にしないはずがない。
 鼻水と涙で京太郎の胸元には染みが出来ている。子供のように泣いたことも相俟ってマホは恥ずかしさや申し訳なさやらで穴にでも入りたい気分だった。
 そんな思いを紛らすようにマホは疑問を尋ねる。

「京太郎先輩は何でここにいるんですか?」

 当然の疑問である。
 マホと京太郎では帰る家の方向が違うのだから、彼がこの場にいるのは不自然であった。
 少女の脳内に電流が走る。

「はっ! まさか先輩がマホのストーカーさんだったなんて!?」

 真実に気づいたとばかりに後ずさるマホ。

「誰がストーカーじゃぁぁあ! 一太先輩じゃあるまいし、俺はロリよりも胸の大きな子が好きだわ!!」

 嘘偽りのない魂の咆哮。
 即座の否定にマホのない胸が少しだけ痛みを覚える。それに気づかない、気づかない振りをする。

「それじゃあどうして?」

「ここ最近元気がないようだったからな。今日なんてフラフラな足取りだったし、ちょっと心配したんだ。来て正解だったぜ」

 嬉しくないはずがない。
 しかし、それだけに染まってしまえるほどお花畑でもない。そんな心を写す鏡のようにマホの表情は複雑に彩られる。

「何を思い詰めてるのか知らないけど、俺なら相談に乗るぞ? 立ち話もなんだし、どっかの店にでも入るか? 先輩が奢ってやろう」

 その優しさに惹かれた。
 故に、苦しむことになったのだ。
 全てを話すことはできないけれど、彼に甘えたいと言う誘惑に抗うことはできそうにない。

「……それなら、京太郎先輩の家でも大丈夫ですか?」

 諦めることもできず、中途半端に踏み込む愚かさ。勇気か蛮勇か、無謀であるのか。逆鱗に再び触れることになっても、マホは甘えたかった。

「俺の家?」

「はい」

 少し逡巡しつつも京太郎は承諾した。
 二人は仲良く歩いていく。その様子を見ていたものがいたことに気づかないまま彼らは進む。


カンッ!

清澄ドロドロ、泥澄キヨキヨ♪


(う、噂には聞いてましたけど、京太郎先輩って本当にお金持ちなんですね)

 豪邸と呼ぶに相応しい大きな家。
 地方であるから当然ではあるが、複数所持されている車はどれもがマホでも知っているお高い車。
 ペットのためだけに用意された空調完備の室内プールまであり、見る所をしっかりと観察すれば本当にお金があると分かる。

(この部屋で先輩は…いつも生活している……)

 自分の部屋とは異なる匂いや雰囲気。
 初めて訪れた異性の部屋に心臓の鼓動がドキドキと高まる。それも気になる人が寝起きする生活空間とあれば尚更である。
 だから、落ち着きなくキョロキョロと目が所々に向いてしまうのも致し方ない。

「っ!?」

 カチャリと取手が回る音にビクンと反応する。
 ドアを開いたら変な顔のマホがいたものだから京太郎は訝しむように首を捻った。

「別におかしなものなんてないだろう?」

「そ、そうですね!」

 裏返った声が返ってきた。

「普通……だよな?」

「マホは全自動の麻雀卓があるのは普通じゃないと思います」

「和の部屋にもあるじゃんか。それに咲の家にも雀卓はあるぞ。まあ、優希は持ってないけどな」

 四人の三年生の内で三人までも自宅に所持している。そう言われてみればそれが普通なようにも思えてくる。

(あれ? マホがおかしいんでしょうか?)

 そう思考の一部は働きつつも、京太郎の発言に鈍い痛みも覚えた。
 彼は咲の家にも、和の家にも、優希の家にもおそらく訪れたことがあるのだろう。その事実にマホの心は打たれ、苦しさに喘ぐ。

「ジュース作ってきたし飲もうぜ! お菓子もあるしな」

「あっ、はい……」

 持ってきたではなく作ってきたであったり、ツッコミ所がある。しかし、マホにはもうよく分からなくなっていた。
 一口含めば、ジュースとお菓子のお美味しさに暗い思考は流され出す。

「それでマホは何に悩んでるんだ?」

 マホの緊張が解れた頃を見計らい、京太郎は本題を切り出した。
 急かすでもなく、焦らせる気もなく、京太郎はマホが話し始めるのゆっくりと待つ。目を見て、ただ待つ。
 数分の沈黙。
 静寂の中で思考を取り纏め終えたのか、ポツポツと少女は語る。

「マホはもう麻雀を打ちたくないです。先輩たちみたいになりたくて、頑張って来ましたけど……マホは、マホは先輩たちのようにはなれません」

 絞り出すように続けていく。

「和先輩みたいなコンピューターのように間違えずに打ち続けられないし、優希先輩みたいに東場で暴れ続けるのも無理です。咲先輩のように、あんな、あんな風には打てません……」

 憧れて、追い付きたくて、だから人を真似て打つ。
 マホが模倣できるのは一日一回、一度の対局。それ以上は上手くいかず、素の実力はヘッポコな雀士である。
 その未熟で弱いという事実をここ数日で徹底的に叩き込まれた。
 真似をしてもオリジナルはそれを上回り、何をしても裏目に出る。減り続ける点棒、増え続ける黒星、無力さと理不尽に対する絶望を前にマホの心は折れた。
 心の発露に従い漏れ出す苦渋の声を、京太郎は黙って聞き続ける。そして、マホが全てを吐き出し、落ち着くまで待った。

「マホは麻雀がもう嫌いになったか?」

 尋ねられたマホは縦にも横にも首を振りはしなかった。
 その反応を見て京太郎はタブレットを立ち上げ、幾つかの操作を行ってからマホへと手渡した。

(牌譜? これは……和先輩、優希先輩に咲先輩の?)

 特徴のある打ち方からマホはそのように当たりをつける。同じ面子で打たれたと思わしき幾つもの麻雀記録だ。

(この四人目は誰でしょうか? マホも人のこと言えませんがずっと酷いです、下手っぴです)

「どう思う?」

「先輩たちの記録ですか? この四人目の人は下手過ぎると思います」

 マホの正直な言葉に京太郎は苦笑いを浮かべた。

「はは、まあそうだよな。その四人目は二年前の俺だ」

「あうっ、ご、ごめんなさい」

 京太郎の回答にマホは恐縮し頭を下げるも、彼は気にするなと続けた。

「でも、本当にこれって京太郎先輩なんですか? 信じられないです」

 マホと京太郎は二年前から面識はある。しかし、卓を実際に囲んだりしたことはなかった。だから、彼女は現在の京太郎の実力しか知らない。

「間違いなく俺だよ」

 部内での京太郎は三年生の面目躍如たる強さを誇っている。本気の咲や東場の優希には殆ど勝てないが、全く太刀打ちできないわけでもない。相性が良いのか最近は和にだけは勝ち越しているほどだ。
 それ故に、牌譜の四人目であると言われても一致しないのである。

「あの夏、インターハイで活躍する咲たちの姿を見て俺は憧れた。あんな風に打ちたいと思っちまったんだよな。だから、必死に頑張ったんだぜ」

 ニカっと笑う彼の表情には確かな自信で満ちている。だからこそ、マホは思ってしまった。

「京太郎先輩は高校に入ってから麻雀を始めたんでしたよね。それなら、才能があったから、マホと違って強いんです」

 京太郎よりもマホの方が倍近く麻雀を打ってきた。小学生の頃から高遠原中学の麻雀部に足を運んでいたし、自分なりに努力してきたのだ。
 しかし、そんなマホよりも京太郎の方が今では強い。その事実を鑑みれば彼は自分よりも才能があるとの結論を出しても仕方がない。

「俺に麻雀の才能がある? はは、それは微妙な所だな。俺の公式記録は昨年の秋季大会決勝卓が最高だし、インハイに限れば一次予選、二次予選での敗退だ。国麻には一回も出たことないし」

「着実に成績が上がってますよ」

「そうだな。だけど、俺は咲のように牌に愛されてなんていない。むしろその逆だ」

 牌に愛されることの逆と言われてもマホにはよく分からない。

「俺も昔、今のマホと同じように麻雀を打つのが嫌になったことがある……」

 京太郎は遠くを見つめるように語りだした--


カンッ!