「京太郎先輩はやっぱり和先輩が好きなんでしょうか?」

 後輩のどこか悲嘆を帯びた声に本のページを捲ろうとしていた手が止まる。

「先輩は何時も和先輩を目で追っているじゃないですか。マホだって気づきますよ…」

 数瞬前まで心を踊らせていたはずの文字が脳裏から薄れていく。ため息の一つと共に栞を挟み、パタンっと咲は本を閉じた。

「それで? 京ちゃんが和ちゃんを好きだったら、何?」

 小さな悲鳴がマホの口から漏れた。
 咲の放つ禍々しい雰囲気と射殺すような視線に怖気が走る。麻雀にて本気で対峙したときよりも、ずっとずっと悍ましい。

「ふふ、京ちゃんが和ちゃんを好きだろうと関係ないよ。和ちゃんは京ちゃんとは付き合わない」

「そ、そうなんですか?」

「そうだよ」

 マホは口を噤む。
 普段から和も盗み見るように京太郎を見ていることに少女は気づいていた。だから、二人は相思相愛なのだと思い、マホの心はずっと苦しんでいた。
 だから、京太郎の幼馴染みである咲に確認を取ろうとしたのだが、それが過ちであったことに漸く気づく。

「お姉ちゃんも、部長たちも、鬱陶しかったけど、マホちゃんもかなぁ?」

 近づいてくる、逃げたいのに、動けない。
 部室にはカタカタと何かが鳴る音が木霊していた。それが怯え、縮こまり、震えが止まらない自分の体が椅子を揺らしている音だとマホには分からない。

 見下ろし、見下し、見下げる、目。

「その程度の気概なら邪魔しないでね?」

 いつもの雰囲気で咲はそう告げた。
 先までの恐ろしさは嘘のように霧散し、幻だったのではないかと思えてしまう。しかし、そんなはずがない。
 マホの体は間違いなく恐怖に支配されていたのだから。

(マホ、ちびっちゃいました……)

 パンツは濡れ、足を伝い、椅子からもポタポタとアンモニアの臭気とともに黄色い液体が零れていく。
 不快感を感じながらもマホはまだ動けない。タコスを両手に持った京太郎と優希が部室に現れるまで、少女は固まっていた。

カンッ!






「それロンだじぇ、京太郎」

「ぐはっ、負けたぁぁぁぁああああ」

 大仰なリアクション、そして京太郎と優希は何時ものように戯れ始める。

「相変わらず犬は弱いな」

「うっせー、お前らが相手じゃなければ俺だってそうそう負けねえよ」

「はあ、負け犬はよく吠えるってほんとだじぇ」

「なんだと、ちんちくりん」

 ワイワイと言い争い出す二人、日常の光景である。それでも少し度が過ぎればフォローするように和が口を挟む。

「優希、昔と違って京太郎くんは強くなりましたよ」

「やっぱ、俺のことを分かってくれるのは和だけだぜ。オカルティックなお前や咲に俺の強さが分からないんだな。今年のインハイ個人戦では優勝してみせるぞ」

「京ちゃんが強い?」

「お前が優勝とかつまんない冗談だじょ」

「SOA」

「ひでえなぁ……」

 三者からの総否定にガクッと肩を落とした京太郎だった。
 和気藹々と卓を囲んで興じる四人の姿は一年生の時から変わらない。二人の先輩が卒業し、幾人かの後輩もいる最上級生になっても相変わらずである。

「さて、負けたし買い出しに行ってくるけど、何か欲しいものあるか?」

「京太郎くんの入れたお茶を美味しく味わいたいですから、お茶菓子をお願いします」

 和が希望し、もちろんタコス馬鹿は好物を遠慮なく要求する。

「じゃあ、今日発売の新刊をお願いしてもいいかな?」

「本屋まで行けと?」

 天然なのか、少し遠くまで足を伸ばさなければいけないものをさらっと欲する幼馴染みに京太郎はため息を吐いた。
 皮肉気に苦言を申しつつも結局、彼は本屋に赴くのである。

 部室の扉が開閉し、彼の気配が遠ざかる。

 部屋には彼がいない。
 戻ってくるには少し時間が掛かる。

 これもまた日常の一頁。

「はあ、京ちゃんを犬って呼ぶの止めてくれないかな? ちょっと距離が近いよね」

「はっ、幼馴染み面して鬱陶しい」

 空気が淀み張り詰めていく。
 触らぬ神に祟りなしと、後輩たちは堪らずに距離を取り出す。

「いい加減二人とも諦めたらどうですか? 彼は私のことが好きなんですよ」

「万年発情期の淫乱ピンクは京ちゃんを誑かそうとしないでよね。アレ、ばら蒔いても良いのかな?」

 咲の言葉に苦虫を噛んだように和は表情を歪めて押し黙る。

「一々、人を脅さないとダメとか咲ちゃんは情けないな。京太郎に相応しくない。変態ののどちゃんもな」

 睨み合う三人に口を出すものは一人もいない。おどろおどろしい雰囲気が三人から漂っていく。
 京太郎のいない所で行われる醜悪な争い。これもまた彼女たちが一年の頃から続いている慣例の姿だ。

「マホちゃん」

 名前を呼ばれて少女の肩が跳ねる。
 最近まで知らされていなかった裏の顔も、彼女に隠す理由はもはやない。

「卓に着きなよ」

 有無を言わさぬ命令に震える足はゆっくりと歩を進める。恐怖に心臓は鷲掴みされ、逃げられない。
 自動卓が牌をかき回し、積まれる山。クルクルと運命を紡ぐ賽子が揺れ動く。

 東場で暴れる怪物、電子世界の精密機械、卓を支配せんとする魔王。

 幼さ、あどけなさの残る少女は蹂躙される。ボロボロに、心を壊すかのように嬲られ弄ばれる。
 逃げ場はない。
 寄る辺もなし。
 この地獄の麻雀に自らが生け贄として捧げられないことを他の部員たちは安堵していた。

 彼が戻ってくる頃には、生気の抜けた顔で少女はベッドに倒れていた。それを彼が訝しもうと部員が全員でフォローする。

 故に、京太郎は気づかない。
 部の影で行われている女の争いを彼は知らない。


カンッ!