俺はいつからこんな想いを抱えていたんだろうか。

 中学の時、なのかもしれない。

 いつも一緒で、いつもお互いにからかいあって、夫婦なんて茶化されて

 高校でも一緒。レディースランチを頼めば、咲はいつだって文句を言いながら頼んでくれる。

 咲にとって一番優先順位が高いのは本を読むことだ。

 それだって関係ない。


 いつだって俺は咲の手を取って振り回した

 咲はいつだってそれを受け入れてくれた


 それが俺と咲の関係だった。

 恋人関係なんかじゃない。幼なじみのような関係。

 俺が咲を引っ張って、咲が文句を言いながらついてくる。

 どちらかが手を伸ばせば、どちらかが受け取る。

 それだけの関係だ。俺はそれが楽しかった。

 ふと浮かんだ昔の話を振り払い、現実を見直す。



 【清澄高校。団体戦全国2位】

 1位は白糸台

 4チーム全ての接戦。最後に上がったのは宮永咲。

 裏ドラが乗れば白糸台を捲って全国優勝の場面だ。

 咲は自信満々に裏ドラに手を伸ばし

 ------途中で手を止めた。

 その後、数秒。無表情で裏ドラを返した。


 裏ドラは乗っていなかった。


 部員に広がるのは勝てなかったことへの悲しみ。

 全国2位にまで達することの出来た喜び。

 何もかもがぐちゃぐちゃになってしまった表情。

 そんな中、おおよそ全国に来ているものとは思えない顔をしていたのが俺と咲。

 咲の表情には何も見えなかった。悔しさすらもなく、それが当然だと無表情を貫いていた。

 俺は咲を見ていた。嬉しいとか悲しいなんて想いは浮かんでこなかった。他の全てを排除して、ただ咲だけを見ていた。

 ふと、届くはずもない咲に向かって手を伸ばした------途中で手を止めた。

 今の俺と咲の距離は、この控え室と対局場まである。




 全国個人戦。咲の初戦でそれは起こった。

 咲と照さん。二人が初戦でぶつかり合うという事態に会場が揺れた。

 後にインターハイの伝説と言われるほどのお互いのぶつかり合い。

 最後に上がったのは照さん。咲お得意の嶺上開花のお株を奪った。

 問題はその時に起きた。

 奇しくも決勝の状況の再現。裏ドラが乗るか否かが勝敗の差。

 照さんは手を伸ばした。------躊躇しないで裏ドラへと

 裏ドラは乗っていた。これで照さんの逆転勝ち。

 憔悴した照さんは、咲の方を見据えて、驚愕した。

 遠くから見ていた俺も、同じように驚愕した。

 咲が笑っていた。本当に嬉しそうに、全力で負けてしまったことが本当に嬉しかったんだと、その顔は言っていた。

 二人が抱き合って泣いている。ああ、何かが伝わったんだなと、他人事ながらホッとした。

 ……そう、俺には他人事なんだと、胸をチクリと痛めた。


 この対局を見たものは言った。宮永咲は宮永照の後継者だと。

 今後の麻雀界を引っ張っていく存在だと。誰もが確信した。

 しかし、その予想は裏切られることになる。

 この対局を最後に、全国で宮永咲が麻雀を打つことはなかった。




 照さんと和解した咲はまた迷子になったのか、ふらふらとどこかに行ってしまった。

 みんなで探そうという言葉を制止し、自分一人で探すと言い切った。

 思えば中学時代はずっと俺が探していた。高校時代は和の方が探しているくらいで、咲との関わりが減った気がする。

 どうしようもなく胸が痛い。


 「咲、こんなところで」

 「なぁに、京ちゃん?」


 咲は近くの公園のベンチに座っていた。

 ぼーっとしていて、簡単にさらわれてしまいそうなくらい無防備。ちょっとムッとした。


 「何やってんだよ、こんなところでさ。

  みんな待ってるぞ」

 「うん」

 「帰りたくないのか?」


 胸が痛い。自分で発しているはずなのに、言葉を発するたびに胸が痛い。

 俺は咲を帰らせたくないのか?

 咲はそんな俺を見通しているんじゃないかとこちらを見てくる。

 なのに、それだというのに、このポンコツは


 「どう思う?」


 そんなことを言ってのけやがった。


 俺は手を伸ばした。届かなかった。他人事だったからだ。

 照さんは手を伸ばした。届いた。何としてでも勝ちたかったからだ。

 咲は手を伸ばした。届かなかった。……本当に届いていなかったのか。届かせる気がなかったのか?


 俺にはわからない。咲の考えることなんて何にもわからない。

 昔はあんなにわかっていたのに、最近は何もわからない。

 そもそも俺は咲の家族関係の話すら知らなかったってのに、咲の何を分かったつもりでいたんだ?


 きっとここが分岐点。咲はトッププロになって活躍するだろう。俺とはどんどん疎遠になる。

 咲の持っていた本でもよくあったっけ。


 『幼馴染関係なんて簡単に崩れる。ずっと幼馴染でいることは出来ない。

  進もうとしなければ進まない。どんな本でも幼馴染は大人になって別の人と------』


 胸が痛い!

 それだけは、嫌だ!!


 考えるより先に、行動していた。

 絶対に掴んでくれと、手を伸ばす。

 伸ばした結果なんて、知ったことじゃない。

 伸ばす動作をしなければ、結果を知ることすらできないんだから。


 「咲。東京観光するぞ」

 「……ふぇっ!?」


 このポンコツ幼馴染は、手を取ってくれた。

 「もー、京ちゃんったらいきなりなんだから!」

 「咲だって結構楽しんでただろ」

 「そ、それはそうだけどさ」


 なけなしの小遣いを使って電車を乗り降り、東京のメジャーどころをまわった。

 その間、あそこにいた理由について何も聞かない。

 本当にただ迷子になっていただけなのかもしれない。いや、そうならばあんな返答はしないだろう。

 お互いそれに触れるのはタブーだと言わんばかりに、観光を楽しんだ。


 「もうすぐ暗くなりそうだね。

  結構まわったな」

 「もー、ヘトヘトだよー、

  そろそろ帰る?」


 胸が痛くなった。


 「帰らない。

  まだ行きたいところがあるんだ」

 「えー」

 「東京スカイツリーからの夜景がめちゃくちゃ綺麗らしくてさ。

  どうしても見たいんだよね」

 「えー。もうすぐ暗くなるのに連れまわすって、どうなの?」


 咲を麻雀部に誘った日。

 あの時と同じように頼んで、あの時と同じように答えが来た。


 「一番高いとこは怖いからヤダ」

 「それでいいよ」


 スカイツリーの成り立ちを説明するエレベーターの中、咲はじと目でこちらを見てくる。


 「それに別料金だしね。

  もうお金ないし」

 「いっぱい連れまわすから……」


 ジト目でそんなことを言われても、急増のデートプランだったんだから仕方ない。

 と、着いたみたいだ。


 「うわぁ……」


 咲が感嘆の息を漏らしている。無理もない、俺も同じだ。

 夜景がすごく綺麗で、東京全体を見通せるようだ。

 いわゆるロマンチックな雰囲気というやつだ。


 「咲、ちょっと座って見ようか」

 「うん。あんまりガラスに近づくと怖いよぉ」


 確かに、高すぎて怖い。タマヒュンする。こわい。


 「咲」

 「なぁに、京ちゃん」


 咲は歩き疲れたのか足をプラプラさせたり、自分で揉んだりしている。

 ……うん。


 「全国大会、楽しかったか?」


 もう、後には戻れない。


 「……」

 「決勝の最後、照さんとの最後。

  変な顔してた。気のせいなら、いい。

  無理に話したくないなら、聞かない。ただ吐き出したいなら、付き合うよ」


 良くない。本当は無理矢理にでも聞き出したい。


 「本当はね」


 ボソッと、消え入るような声で呟き始めた。


 「すごく、怖かったんだよ?」

 きっと、これが俺の知っている宮永咲。

 他の人たちが通り過ぎるだけで腰を抜かすような存在じゃない。

 ちんちくりんで、ぽんこつで、優しくて、人見知りの宮永咲。

 対局相手は、咲のそういった部分を知らないんだ。


 「部長念願の団体戦出場なのに、私が大将。

  負けたら部長の夢が壊れちゃうって立場にいたのに、私はそんなこと考えてる余裕がなかった」

 「私にとってこの大会は、もう一度、言葉でなくてもお姉ちゃんと語れるかもしれないっていう大会」

 「これを逃したら、もうお姉ちゃんと会えなくなってしまう気がして」


 誰も知らない咲の本心。俺だけが知っている宮永咲。


 「全国から、お姉ちゃんに会うためには一戦も負けられなかった」

 「どんなに努力してきた人たちも関係なかった。全部倒す、それだけ考えてきたんだ。」

 「でも、団体戦のメンバーで、私とお姉ちゃんは打てなかった」


 周りにたくさんの人がいるのに、場が静寂する。

 まるでこの空間だけ、時が止まってしまったかのように。


 「今まで「お姉ちゃんと戦う」で誤魔化していた部分がドッと出てきてね。すごく焦った。

  それでも、勝たなきゃ、勝たなきゃ、部長のために勝たなきゃって、麻雀を楽しむことより、勝ちに拘っちゃった」

 「ここまで走り抜けてきた。でも後ろには何もなかったんだ。

  頑張った練習、みんなとの絆、他のチームは鬼気迫る勢いで来るのに、この瞬間の私には何もなくなっちゃった」

 「無理して最後の嶺上開花。でも、裏ドラが乗らないことはわかってた」

 『だから手を途中で止めた』

 「もう楽になりたい、って感じの一打だったんだけどね。負けちゃった」


 「咲……」

 「うん、ちょっと待って。

  もうちょっといいかな?」

 「ああ、いくらでも聞くぞ」


 「でも、そんなことより、対戦相手の努力が伝わってきたのが一番辛い。

  みんな、何年も、何年も麻雀をうってきてた。

  一瞬のために、全てをかけて倒れた人だっていた。

  ……本当は、私が居るべき場所じゃないんだな、って思ったよ」

 「なんで私が家族に怒られたのか、お姉ちゃんに怒られたのか、和ちゃんに怒られたのか、今更分かっちゃった」

 「お姉ちゃんに会うために来た、ってのは、違ったんだね」

 「私は団体戦の最後に負けた時、負けて悔しいなとは思っても、それだけ。

  優勝を逃して泣いているみんなの前に、出られないでしょ」


 長い年数をかけてきたものならばそれが自信になる。

 全国大会の咲は一枚の薄いガラスのような精神で綱渡りをしてきていた。

 だから最後、『努力をしてきたもの』に負けて安堵したのだ。


 「……それだけだよ。

  うん、吐き出せてスッキリしたかな。

  京ちゃん、ありがとう」

 「何もしてないよ。

  ……お姉さんと仲直りできて良かったな」


 違う。

 咲が楽になったのはいい。

 俺はもっと低俗な考えでここにきた。

 違うんだ、咲。


 「そろそろ帰る?」

 「……いや、待ってくれ」

 「どうしたの?」

 「咲」

 「なぁに、京ちゃん」


 きっと、お前は俺のことを嫌いになる。

 けど言わなかったら、俺は自分のことを嫌いになる。


 「俺は、咲のことが好きだ」



 時間が止まった。

 胸の痛みが増した。

 咲がポカーンとしている。

 ムードも何もあったもんじゃない。

 どこの世界に女の子の愚痴を聞いた勢いで告白するバカがいるんだ。

 普通なら100%断られる。

 でもこのタイミングしかないんだ。

 俺の好きな宮永咲がいるのは、このタイミングしかないんだ!

 中学時代の咲、麻雀をしている咲。

 どっちだって好きだ。

 俺は、咲と一緒にいたい。

 ポンコツのお前でいいんだ。

 なんて傲慢なんだ。

 それでも、それでも!

 俺から咲が離れていってしまうと思った以上


 「俺は咲と一緒にいたいんだよ!」


 もう我慢なんて出来るわけがない!


 「前にお前が貸してくれた本、あっただろ。

  幼馴染が離れて別の人と結婚する話。

  両思いだったのに、想いを伝えるのを怖がって別の人と結婚した話。

  俺はそうなりたくない」

 「え、え、え、きょ、京ちゃん」

 「俺は咲が好きなんだよ。

  他の人と一緒にいて欲しくない」

 「ふえぇ!? い、いきなり、いつから!?」

 「そんなの知らない!

  気づいた時だよ!

  お前と離れたくないって思ったら、言うしかなかったんだ!」

 「う、嘘? え、夢?

  ……夢じゃない」


 咲が自分のほっぺをつねる。そのまま俯いてしまう。

 咲の表情を見て取れない。心臓がバクバクで落ち着かない。


 「離れて行って欲しくないんだ。

  咲っ! 付き合ってくれ!」


 そう言って俺は、手を伸ばした。


 「……普通、女の子の愚痴を聞いた後に言う?」

 「……」

 「京ちゃんはいつだって女心がわかってなくて、中学校から、ずっとそう。

  確かに場所はロマンチックだけど……」


 もっと俯いてしまう。


 「中学校から……、ずっと……。

  そう、幼馴染はいつも一緒になれないんだ。

  大抵、どっちかが想いを伝えないまま、気づいたら大人になって、別の人と結婚しているのを見る、そんなのばっかり。京ちゃんの言ってた通り。

  でも、怖くて、今の関係すら終わっちゃうのが怖かった」


 泣きはらした顔で、こっちを見る。


 「男の子に慣れてない女の子はね!

  中学校の頃、ちょっと優しくされただけで惚れちゃうんだよ! ばかぁ!

  ちゃんと捕まえておいてよね!」 


 咲が俺の手を握った。

 スカイツリーから駅に向かう。


 「場所はいいけど、ムードが0点!」

 「うっ、返す言葉もないです。

  でもな! 今しかなかったんだよ!」

 「何が!」

 「さっきも言ったろ、想いを伝えないまま、気づいたら大人になって、別の人と結婚しているって。

  咲が麻雀にのめり込んで、俺と疎遠になって離れていくのが嫌だった。

  嫌だと思ったら、言うしかないと思ったんだ」


 咲が遠くなって、理解できなくなるのが嫌だった。


 「ふーん……、随分入れ込んでるんだね!」

 「そうだよ! 悪いか!」

 「ひゅ!?

  わ、悪くない、よ」


 咲が真っ赤になって俯いてしまう。

 でも、これだけじゃ終わらせない。


 「まだ咲から好きって聞いてない」

 「ええっ!? ここでそれ言う!?」

 「……」

 「う、うぅぅ、ばかぁ……。

  わ、私も、京ちゃんのことが大好きです! 宜しくお願いします!」


 きっとこれからも、チグハグで、喧嘩して、辛いことも楽しいこともあるんだろう。

 俺はそれでもコイツと生きていきたい。

 カン!