見かけたのは全くの偶然だった。
特にこれといった用事もなくイ◯ンの中を部活帰りにうろついていたら、女子にしては妙に高い上背と長い黒髪が短冊の前で屯しているのが見えたのだ。
そのある種特徴的な出で立ちに心当たりがあった自分はまさかと思いつつゆっくりと気取られぬように近づいたところ、まさにビンゴだったというわけだ。

「……」

そのせっせと短冊を結ぶ様子にそっとしておいたほうがいいのかもしれないと思いその場を離れようと思った矢先、

「……」
「あ……」

目が合ってしまったのだった。
向こうが向こうなら自分も結構人目につく自覚はあるため下手に逃げるのも下策だろう。俺は覚悟を決めてその女性へと近づいていった。

「こんにちは。えっと、奇遇ですね?菫さん」
「……そうだな」

いかにもばつの悪そうな表情で、菫さんは顔を伏せがちに俺へと挨拶を返す。
……分かってはいたが空気が重い。長居はしない方が良さそうだ。

「えっと……それじゃあ、俺はこれで……」
「待て」

速やかに踵を返そうとした俺に対し菫さんが俺の肩をガッと掴んだ。

「何か言いたいことがあるのならはっきりと言ったらどうだ?」
「えっ……」

自嘲めいた、あるいは開き直ったような口ぶりで俺に意見を求めてくる。
正直言ってそんなひきつった表情で申されましても……と思ったが、向こうが譲歩してきた所をはぐらかしても逆に逆鱗に触れる気がした。
それに、実際の所俺としても興味があったのは確かだ。

「じゃあその……何をしてらっしゃるんでしょうか?」
「……短冊だ。見ればわかるだろう」

そりゃそうですけれども。
半ばめんどくさいと思いながらも俺は菫さんが丁度吊るしていた短冊の枝を指でつまんで引き下げた。

『全国大会で活躍できますように』

「おぉ……」
「何だ、笑いたければ笑えばいいだろう?私がこんな」

そんなやけくそめいた口調で愚痴をこぼす菫さんは、なんだかにわかに等身大の女性になったみたいで少し嬉しくなった。

「いえ、素敵だと思いますよ?そりゃいつもの部長からすると意外には感じましたけど」
「……そうか?」
「そうですよ。部の短冊といい部長はやっぱり部にとって大切な人だと思いますよ」
「う……あ、ありがとう」

部の短冊とは文字通り麻雀部の部員が持ってきた短冊のことだ。
菫さんが『目指せ3連覇』というのは確認していた。若干願い事とはズレている気もしたが、菫さんらしいと俺も他の部員よろしく考えていた。
その他はおかしだの野菜だの釣りだの説明不要だろう。淡に至っては天才だから必要ないもんねーなどと書いてすらいなかった。
ちなみに自分は『麻雀が強くなりますように』と月並みな願いだった。

「部長としての手前、あそこで書くのは躊躇われたんだが……誤算だったな」
「いや、正直自分もここにいるなんて思いもよりませんでしたし。だって菫さん寮住まいじゃないですか、まさかこんな」
「まぁ……君みたいな奴に見られるなら良かったかもしれないな、まだ」
「えっ……」

一瞬心臓がどきりと跳ねたが、当の本人は「?」と言った様子でいつもの淡々とした表情のままだ。
つまりそこに他意のないことを確認しながら、俺はふぅと深く息を吐いた。

「えっと……しかし、菫さんも結構ロマンチックな所があるんですね」

動悸を悟られないようにそっと話題を逸らすことにした。

「……といっても、私は七夕自体はそんなに好きでもないんだがな」
「えっ?」
「あれは情欲に溺れた者たちへの罰という話だからな。いわば説話のようなものだ」
「そうなんですか?」
「ああ。織姫と彦星は互いの使命を忘れて逢瀬に耽ってしまった。だから神の怒りに触れて引き離されてしまったのさ。職務に励めば一日だけ会わせてやるとな」
「へぇ……お詳しいんですね」
「その手の話は子供の頃に沢山聞かされたからな」

グリム童話に代表されるように、お伽話ってものは案外えげつない話が多いものなんだなと俺は思った。
そんなふうに思っていると菫さんはこほんと一つ咳払いをしてこう付け加えた。

「ーーただ、それはそれとして、願いを持つということ自体は嫌いじゃないんだ。
 願いは人を力付けてくれるから」
「……そうですね」

そんな菫さんの空へ溶かすようなつぶやきに、俺は何かに動かされたように別のまっさらな短冊を手に取っていた。

「君も、何か書くのか?」

こくりと頷くと共にさらさらと筆を進め、短冊へ吊るした。菫さんがそれを追って読む。

「……君というやつは」
「二人なら、もっと願いは強くなるんじゃないですか?」
「……かもな」

ふっと漏らした彼女の溜息には、先程までの自嘲は消え失せていた。
手に持っていた傘をおもむろに掲げ、しめやかに進言する。

「送らせてください。そろそろ日も落ちますし」
「いいのか?」
「ええ。部のみんなのための部長の大事な体ですから」
「……そうか。わかった、お願いしよう」

若干彼女の目線が下がった気がしたが、それが何なのか俺には推し量れなかった。



帰路に自分が傘を持って並び歩いていると、不意に菫さんが呟くように俺に言った。

「……なぁ、須賀君」
「なんですか?」
「七夕に降る雨は織姫と彦星の涙が起こすと言うがーー」
「……え?」
「……いや、何でもない」

その気持ちが何となくわかったかもしれない。
そんな風に聞こえた気がしたが、雨音に遮られ俺には正確に聞き取ることはできなかった。


カン