「京ちゃん……絶対、絶対に会いに来てね」

その言葉が意味する事を、まだ幼なかった頃の俺は理解出来なかった。

「私、待ってるから……ゴールデンウィークも夏休みも……冬休みだって、京ちゃんに会えるの待ってるから……」


―――約束だよ。

そう言っておもむろに差し出された小さな手―――それを同じ様に小さな手と触れ合わせ、優しく絡ませた小さな指同士。
去り際に振り返った時の悲し気な顔も……涙を溜めて真っ赤に充血した両の瞳も、色褪せる事なく今も鮮明に思い出せる。

それは、俺と照さんが交わした指切りの思い出―――。


「―――待ってくれ照さんっ!!」

ガバッ、と勢い良く布団をはね除けた俺は、あの日に別れた背中へと手を伸ばし、

「……あ、あれ?」

その先には見慣れた壁があった。
オマケに耳障りな目覚ましの音と、カーテンの隙間から覗く朝の日差し。

「な、何だ……ゆ、夢かよ……」

幼い時分の幻からは一転し、今と言う現実に迎えられながら、カクン、と情けなくも首を垂れる。

そんな、朝の一コマだった。


麗らかな春の日を浴びながら、今日も俺は学校へと通う。
何故だろうか理由は分からないけれど、見慣れた通学路を変わらず歩く毎日と、見慣れた人並みはどこか物悲しく思えた。

―――あんな夢を見たから。

ふと、そんな考えが頭を過るも、まさか、と俺は首を振った。
あれはきっと初恋なソレで、例えるならマセたガキんちょが近所のお姉さんに抱く類いの様な物。
要するに憧れる事と恋する事とごちゃ混ぜにして、良く言う若気の何とやらを拗らせていただけの話しなんだ。
現に、あの人とは毎年、夏が来る度に会っているし、あの頃と変わらない関係のままだ。
そもそもの話し、去年のちょうど今頃に俺は別の恋をしてるじゃないか。
結局、最後まで告白は出来ず仕舞いで結果は散々だったけど、ちゃんと別の誰かを好きになったんだ。
だから、あれはもう等の昔に過ぎた話し―――言い方は悪いけど、過去の思い出と言うべきだろう。
でも、だ……なのに何で、どうして今になってこんな事を思ってしまうのか、それは実に馬鹿馬鹿しい話だと思えた。

「……また、夏が来るから、かな……ハハ、なーんてな」

んな馬鹿な、と笑い飛ばしながら俺は春の日差しの下を歩く。
退屈な日常が、欠伸の出る授業が待ってるから……

………………
…………
……

と、そんな事を思っていたのにも関わらず、どうした訳か今年はやけに慌ただしくなって……どこをどう間違えたのか、今までの出逢いやこれからの出逢い達が俺―――須賀京太郎の一生を色鮮やかに彩って行くのだった―――。


/2

今は昼休み―――。
多くの学生達がそれぞれの時間を過ごす中、俺は校舎を出て校庭へ足を向ける。
勿論、意味もなく来た訳じゃなくて、ちゃんと目的は存在した。
それは、寂しい文学少女を温かな昼食に招待する、と言う立派な目的を果たす為だった。
何て言うか、俺って優しい、と自画自賛してしまいたい気分になるが、所詮これは単なる名目と言うか下らない口実だっりする。

―――と、しばらくの間ぶらぶらと校庭を散策していると、木陰で一人読者に耽る女子生徒を発見した。

「おォーーーい!!」

大きく手を振って、俺は女子生徒へと声を掛けた。
すると、手にした本から顔を上げた女子生徒は立ち上がり、俺の元まで、トテトテ、と小走りで近付いて来る。
その動作がどことなく子犬っぽくて微笑ましいこの女子生徒は“宮永咲”と言って、俺と中学からの付き合いになる小柄で気の弱そうな印象を受ける少女だ。

「ど、どーしたの京ちゃん?」

ハアハア、と少しばかり息を切らせながら言う咲。
その姿に俺は、百メートルも無い距離で息を切らせる根っからの運動音痴が態々走ってまで来なくても、と思ったのだが心の中にし舞い込む事にした。

「いや、まだ昼はすませてないかなぁー、と思ってな?」
「え……お昼はまだ食べてないけど、それがどうかしたの?」
「お、そうか。なら良かった。じゃあ今から二人で学食に行かないか?」
「別に良いけど……あ、まさか京ちゃん。また私を利用するつもりでしょう?」

言って咲は頬を膨らますと、俺を上目遣いで見て来るのだが……

「―――プッ」

どこか避難がましいその表情も咲がやると可愛く見えてしまって、思わずも笑みが溢れた。


「あ゛ぁーー、何でいきなり笑うのかなぁ……京ちゃんは失礼だよ!!」
「ハハハハッ……わ、わるいわるい。いや、悪気は無いんだよ」
「むぅ~……」
「いや、本当にわざとじゃないんだって。このとーりだから信じてくれよ、な?」

ごめんごめん、と俺は手を合わせて頭を下げたのだが、

「ふん、だ……もう知らないよ」

プイ、と咲は顔を反らしてしまう。
うーん、どうやらヘソを曲げてしまった様子……

「まあまあ、そう言わずにお姫様。ここは一つ私めにエスコートなどをさせて下さいませんかね?」
「お、お姫様って……京ちゃん。またそうやってすぐに変な事ばっか言うんだから……お、お世辞ばっかり言ったって、もう私は誤魔化されたりなんかしないんだからね……」

と、俯いて何やらブツブツと言い始める咲を尻目に、俺は手を差し出す。

「さぁ―――咲姫様。どうか私めのお手をお取り下さいませ」
「……あ、あぅ……きょ、今日だけ……今日で最後なんだからね?」

少し頬を染めながらに言って、咲は俺の手を取った。
照れ屋と言うかはたまたは純真と言うのか、相変わらずこのネタに弱い様で助かる。

「へへ、まいどあり~♪」

いや、実に天晴れだ。
今日も俺は、レディースランチに有り付ける。

「う、うぅぅ……何か毎回騙されてる気がする……」

何か一人ぼやいてる咲の手を引きながら、俺は意気揚揚と歩くのだった。


/3

「―――と言う訳で学食にやってまいりました我らが須賀京太郎と宮永咲のご一行。さあ、いったい今日はどんな旅になるのでぇ゛―――ッ!?」

―――突然だが説明しよう。

いきなり学ランの襟を横から引っ掴まれて、首が“――ゴキッ!!”と逝ったのだ。
お陰で俺は、ほんの僅かな間だけ視界の電源がオフになってしまう、と言う状態になり危うくは生命の危機に陥るところだった。

「……ねえ、京ちゃん。危ない人みたいだから、いきなり変な事を口にしない方が良いよ?」
「……お、俺もそう思ったけど口が勝手に動くんだから仕方ないだろ……だからそんな目で見るな。ついでに締めた襟を放してくれると非常に助かります、ハイ」

考えるよりも先に言葉が飛び出す瞬間、ってのが誰彼にもあると思う。
勿論、俺こと須賀京太郎もその誰彼の一人と言える……と言うか、さっきの発言がまさにそれだった。
しかし、そのせいで首が偉い目に遇わされたのが悲しい。

「それより、京ちゃんはいつもので良いんだよね?」
「おう。いつもので頼むよ。いやー、咲は良い奴だなぁ~」
「はいはい。どう致しまして」

パンッ、と手を叩きながら調子の良い事を言う俺に、仕方ないなぁ、と言った顔をするも咲は頷いた。

「んで、俺はその間に飲み物を買いに行こうと思うんだけど、咲はどうする?」
「私は……お茶か何か、サッパリしたので良いよ」
「了解。サッパリ系、ね……それじゃあまた後でな」

そう言ってさっさと買いに行こうと足を進めた矢先、

「―――あ、京ちゃん」

と待ったを掛ける咲の声。

「ん―――何だ、他に欲しい物でもあるのか?」
「違うよ京ちゃん。ただ……変なのは絶対に要らないからね、って言いたかっただけ……わかった?」
「おう……勿論、ちゃんとわかってるですよ」

どこか訝し気な目で見られたので、取り敢えず頷く……勿論の事を生返事で、だがな。

「……本当にわかってるのかなぁ……」
「へ、心配しなさんな。ご近所のおば様方から買い物の鬼・須賀の京ちゃん、とまで言われたこの俺を信じなさいな」

不満を溢す咲に自信満々に応えた俺は、そそくさと走り出したのだった。

「すごく不安だよ……」



「さて、何にするか……」

辿り着いた自販機の前で首を捻る俺。
サッパリの選択肢に収まるのは……と言うか飲み物のサッパリ系って難しくないか?
現に、今こうやって陳列された飲み物を見て思うんだが、サッパリ系の具体的な部分が綺麗サッパリなんだ。

「うーん、個人的なオススメは“マホ茶”なんだが、これじゃあ仕方ないよな……はい、ポン・チー・カン・ロン」

全く以て仕方ない、と目を瞑りながら右から順に捨て牌打ってバンバンバン、な感じで適当に選択する。

「ん、コーヒーか……ならこれは俺が飲むとして、もうワンチャン回してツモ―――って、オオゥ……我ながら運が良いのか悪いのかわからない不思議な引きだ……」

ちょっとアレなジュースが出てきてビックリだ。
一瞬、どーしたもんかと悩んだが、買ったからには仕方ない。
捨てるのは流石に勿体ないし、かと言って俺が代わりに飲むのは絶対に嫌だ。

「俺にとって、咲は……可愛い奴だったんだ……」
「ねぇ……さっきから一人で喋ってるけど、頭でも打ったの?」
「―――うわぁッ!?」

なかなか恥ずかしい事を口にした瞬間、唐突に背後から声を掛けられ思わず、シエーッ、と跳び引いて情けない声を上げる俺。
バクンバクン、と暴れる心臓を手で抑えながら声の主へと振り返れば、

「うわぁ、って……ちょっと須賀君。それは失礼ってもんじゃないかしら?」
「ひ、久さん……」
「まあ別に構わないけど……それより須賀君。私も買いたいんだけど、そこ退いてくれる?」
「あ、はい。す、すいません……ハァ」

頭を下げながら俺は自販機の前から退いて、深い深いため息を溢した。
自業自得だが、一番見られたくない人に見られてしまった。
どーしようこれ、凄く後が怖いや……



「ところで須賀君―――」

と買ったばかりのジュースを片手に言う女子生徒―――名前を“竹井久”、と言って俺の先輩に当たる人だ。
俺がこの人との知り合ったのは中学二年の時、その時は互いの年や名前すらも知らないまま世間話をした程度の仲だったのだが、まさか入学式の翌日に再開するとは思わず……お互いに改めて自己紹介をして今に至る。

「……な、なんすか?」
「ちょと、そんな嫌そうな顔をしないでよね。別に取って食う訳じゃないんだからね?」
「……」
「……もう、相変わらず可愛げが無いだから……」

そう言っては無言でじと目を向ける俺に、やれやれ、と肩を揺らして見せる久さん。
どちらかと言えば美人な人なんだが、こうした仕草が不思議と可愛く見える。
だが、その可愛らしさの一つ一つに裏があって油断ならぬ人なのが悔やまれる。

「いや、男の俺に可愛げを求められても困るですが?」
「そーゆう事を言ってるんじゃないの。まあ、そんなのはどーでも良いのよ。それで、この前の話しなんだけど、少しは考えてくれたかしら?」
「それって……“麻雀部”に入れ、って事ですよね?」
「ええ……入れ、って言ったところで命令する訳じゃないから強制はしないけど、具体的にはそんなところよ」

それで須賀君はどうするのかしら、と少しの期待を含ませた視線を向けられた。

「どうって言われましても……」

……正直、断りたい。
麻雀が出来ない訳じゃないし、ましてや嫌いな訳でもない。
ただ、今の俺には麻雀を打つ理由が無い。
つーか、ぶっちゃけた話しをすれば下手くそだ。
こんなにも熱心な勧誘を受けては期待に応えなきゃならない、と思うのが一種の男らしさなんだろうが……しかしながら、そいつは無理って話しだ。
そもそも、麻雀なんて照さんと打ってたぐらいで、今に至るまでの通算成績もアヒルが行進するだけで花は一切咲かなかった。
思い出せるのは空の点棒と、苦笑を浮かべた照さんの顔だけだ。

「俺は―――」

さてどうするか、と口を開いた俺は、

1・マネージャーで良ければ
2・わかりました。任せてください
3・代わりを探して来ます
4・すいません。他を探して下さい


「俺は―――」

少し考えた後、俺はハッキリと言った。

「今のところ、部活に入ってまで麻雀を打つ気には……正直、なれないっす」

朝っぱらからの恥ずかしい夢に続いて、登校途中には軽いノスタルジーにも入ったと言うのに、わざわざ件の照さんを連想する様な事はしたくないと言うか、卓を囲みながらも一人思い出に耽って、切っては掴んで切っては掴んで、とツモ順の度にメランコリーに陥るのは嫌過ぎる。
ぶっちゃけたところ、同卓している人が嫌がる可能性の方が高く見込まれた。
つーかだ、もしも俺が同卓した側の立場だったのなら、間違い無くお断りのジェスチャーを入れてしまうだろう。
そう考えてみると、やっぱり自分がやられて嫌な事って、他人にしてはいけないんだな……

「そう……ええ、わかった。少し残念だけど、無理強いしても無意味だから諦める事にするわ」

そう言って久さんは苦笑いを浮かべた。
その表情に俺は何だか申し訳のない気持ちになるのだったが、気が乗らないのは事実だから仕方がない、と自分に言い聞かせては頭を下げるのだった。

「正直に言うと、気持ちとしてはスゲェ嬉しかったんす。だけど、中途半端な姿勢で貴方の期待に応じたく無かったし……何て言えば良いのか、久さんみたいな人が俺を目に掛けてくれて、それなのに本気で応える事が出来ないのが歯痒い、ってゆーかなんつーかそのですねぇ……」

頭を掻きながら、あーでもないこーでもない、と言い訳に成りきれてない意味不明な言葉を繰り返す情けない俺。
すると、そんな見苦しさマックスな姿に久さんは、相変わらずバカね、と優しい口調で言っては微笑みを浮かべた。



「―――須賀君。飽くまで貴方は誘いを受けた側よ。気持ちは嬉しいけど、無理に言い訳を並べられても逆に失礼だわ」

だからね、と腰に手を当て俺を指差す久さん。

「今度、美味しい物でも食べに連れてってくれたらチャラにしてあげる」
「久さん……それって、デートの誘いっすか?」
「期待してるところに悪いけれど、須賀君とデートに行く程、私は困ってないのよねぇ……」
「し、しかしですねぇ……男と女が一緒に出掛けたらそれはやはりデート、またの名をランデブーになるんじゃないのかと僕は思う所存でして……」
「あらあら、口幅ったい後輩はお叱りを受けるわよ?」
「イ……イエス・マム。大変な失礼を致しました」

言って瞬時に敬礼した俺と、腰に手を当てたまま指を、ノンノン、と左右に振る久さん。
しばらく間、お互いに沈黙を守っていたのだが、次第に堪えきれなくなったのか、どちらともなく笑い出した。

「ふふふ、やっぱり面白いわ貴方……どう、明日からマネージャーとしてウチの部活に来ない?」
「いえいえ、こっちこそ……って、さっき断ったばかりじゃないっすか」
「……冗談よ、冗談。それより須賀君は、誰か待たせてるんじゃないの?」

言いながら俺の手に持ったジュースを指差す久さん。
はて、と思い自分の手元に目を向けると、そこには少し温くなった缶コーヒーと何を思って買ったのか不明過ぎるアレなジュース……

―――ゲェッ!?

か、完全に忘れていた……こ、こいつはヤバイ……

「す、すいませんけど学食の方に連れを待たしてるんで、俺はこれでおいとまします……ッ」

そう言うや否や素早く会釈をした俺は、びゅん―――ッ、と風の如し様で駆け出したのだ。

「……彼、相変わらず面白いわね……やっぱり、マネージャーでも良いから勧誘を続けてみましょうかしら?」




―――今日は希に見る見る散々な一日だった、と俺は今日一日を振り返るのだ……

あの後―――。
少しの誇張をすれば、俺はマッハ4ぐらいのスピードでソニックブーム撒き散らしながら咲の待つ場所へと駆け抜けた。
正直、半ばどころかまんまパシらせた様な状況で、その上に待ち惚けをくわせるのは流石に不味い、と思ったからだ。
だから俺は、学食に辿り着く途中で何人かの学生を弾きながら、脇目も振らずに急いだのだったが―――。

「よう京太郎。大事な嫁さんを一人で待たして、今までなぁ~にやってたんだぁ~?」

辿り着いて早々、鬱陶しい奴に絡まれた。
勿論、今はこんなバカタレに構ってる場合じゃないので、俺は完全にスルーしたのだが、

「おい、無視はヒドイだろ?」

と横を通り抜けた俺の肩を掴むバカタレ。

「―――邪魔するな嫁田ァ!!」
「……いや、何を怒ってらっしゃるんだよ?」

無論の事、無視を決め込んだ俺は学食中を見回す。

……咲は……咲はどこだ……俺の、俺の大事なレディースランチは……どこなんだッ!?

しばらくして、クルリ、と踵を反した俺は、嫁田の両肩を掴んだ。

「咲はどこだ嫁田……」
「……はあ?」
「俺の咲は―――いや、俺のレディースランチはどこなんだ……さっさと答えろ嫁田ァ!?」
「はっ―――ちょっ、何の話しッ!?」

俺の突然の慟哭に激しく狼狽える嫁田。
何の話しなんだよ、と言うが俺は一切構わず掴んだ肩を、ガクガク、と揺さぶったのだった。




気付けば早い物で俺は、トボトボ、と一人寂しく帰宅の途に就いていた。
今の気分は最悪で朝より物悲しい……と言うより腹の中に住み着いた獣が、寂しい寂しい、と強請る様な声で鳴いている。
結局、昼は食べられず缶コーヒーを胃に流し込んで終了。
放課後に咲を見付けて話し掛けるも、そっぽを向かれてしまい取り付く島もなかった。
俺がいったい何をしたと言うのだろうか?
誰か教えてくれと言うか、何か知ってるっぽかった嫁田に聞けば良かったんじゃないか、と今さらになって気付いたので明日になったら聞いてみたいと思う。

……ああ、ちなみにアレなジュースは人の不幸を横目に、ヘラヘラ、と笑ってた嫁田の野郎に流し込んでやった。
首を横に、ブンブン、として激しく嫌がっていた様に思えたが、そんな事は問題ではない。
飲ませると一度心に決めたら、後はただ飲ませるだけだ。
美味い不味いの感想は後日、咲の動向と共に聞かせて貰うとする。



「しっかしまぁ、腹が減ったなぁ……」

鞄を肩に担ぎ上げた体勢で、俺は腹を押さえながら空を仰いだ。
俺は現在、成長期の真っ只中……色々な面で考えて、一食抜くだけでも死活問題となる。
ただでさえ朝は食べたり食べなかったりなんだから、昼間で抜いたら余計に成長を害してしまう。

「これは駄目だ……早く帰って何か摘まもう……」

トホホ、と俺は夕陽をバックに肩を沈ませて歩いたのだった……




―――メールが二通届いてます。

「……ん、アイツからか?」

夜も良い時間―――親父から貰った年季の入ったパソコンを開いたら、珍しい相手からメールが届いていた。

「何々……“部活に入った。麻雀、頑張る”……うん、相変わらず味も素っ気も無い簡潔な内容だな……」

もう少し他に書く事は無いのだろうかと思うも、それがアイツらしい、と逆に納得の行く文明と内容だった。

―――ん、備考が添えてあるじゃないか?

“追伸―――どうでも良い事。部活でてるてると遭遇……本当にどうでみも良い事ね”

「……いや、普通はそれがメインなんじゃーないのか?」

モニター画面に向かい、まあ良いけどさ、とボヤく俺が居たのだった……




照さん……色々な人と絡みながらも、今日が暮れて行きます。
今、貴女はここには居ませんけど、だからどーしたって事じゃないんです。

ただ一言―――また、夏になったらお会いしましょう。





 あれはいつだったか……確か、照さんがまだこっちに居た頃の話しだ。
 当時の俺は正にやんちゃ盛りと言うかマセガキで、生意気な事ばっかり言っていた。
 そして、ちょうどそんな時に、俺はアイツと出会って一つ大人になったんだよな……


 そいつが家にやって来たのは、蝉の鳴く頃―――。


 夏休みの宿題に追われ、頭にはじいちゃん特製の捻り鉢巻きを巻いた時代誤差が半分と間抜けが半分な出で立ちの俺は、

「うぅぅ……ち、ちくしょう。何で宿題なんかあるんだよぅ……」
「……」
「だいたい、姉ちゃんもケチだよなぁ……あんだけ“ちゃんと勉強しないと後で困るのは京ちゃんだよ”って言ってたくせにさ、宿題の一つや二つくらい手伝ってくれたって良いじゃんかよぅ……まったく、だから照姉ちゃんはオッパイちっせーんだよ」

 只今、地獄の真っ只中だった。

「…………」




 キン○ョーの夏/京太郎の夏休み
 ~俺が一番バカだった時分~ / ①


 ○月×日、天気は天晴れ空模様~

 今日も僕は近所の空き地で姉ちゃんと遊んだ
 今日も姉ちゃんは不機嫌な顔で、家族の事を僕に話すんだけど、僕は空を泳ぐ雲を眺めて綿菓子が食べたいなぁって思いました

 ”おしまい“

「……よし。後は渾身の絵日記、二週間何も変わらない青空、を描いて終わりだぜ―――あぁ゛!? 絵の具がカピカピになってるじゃんかよぅ!!」

 この時、辞書で読んだ“青天の霹靂”とはこの事か、とまた一つ賢くなった気がしたが今はそんな場合じゃない。

「お、俺のアホ。昨日使った後、蓋を締め忘れてたじゃないか……くそぅ、水で戻せばまだいけるはずだ……」
「……」
「あ゛ぁぁーー。手が汚れるばっかで、全然進まねぇーーーッ!!」
「……」
「駄目だ、頭が可笑しくなるぅぅぅッ!!」

 ガシガシ、と俺は狂ったかの様に鉢巻き越しの頭を掻き毟った。

「…………」

 ……いや、ちょっと待て?

「……って、オイ。さっきっから何でこっち見てんだよ。ただ黙ってジーっと見詰められと落ち着かないし、俺は今まさに絵日記描いてる最中なんだから邪魔すんなよ―――って言うか、そもそもお前は誰だよ!? 何で俺の部屋に居るんだよ!??」

 言いながらも俺は咄嗟に手を伸ばし、戦隊物の定番アイテム・プラスチックの何とかソード、を瞬時に構え臨戦態勢を取ったのだが、

「……?」
「こ、答えねぇーし。強いて言えば首を傾げてるしよぅ……ああ゛もうぅぅ、何か部屋に知らない奴が居るよ母さぁあぁぁーーーーんッ!!」




「……大星(おおほし)淡(あわい)……です」

 言って我が家の不法侵入者は、ペコリ、とお辞儀を一つした。

 ―――大星淡。
 母さん曰く、遠い親戚らしのだが……どうやら詳しく聞くところ、俺の父親の従兄弟の再従兄弟の姪っ子に位置するらしい。
 え、それって……既に真っ赤な他人様じゃないのだろうか?
 むしろ、それを言ったら人類の皆さんがもれなく家族になるんじゃね、と幼心に思ったが敢えて言わない。
 何故なら俺は、周りに気を使える聡い子供だからだ。


 ※


「ふーん。お前ん家の父さんが俺の父さんと仲良しとか初耳だと言うか、そもそも大星一家に面識ねぇーや……お前としてもさ、ぶっちゃけどーよこれ?」
「……」
「……いや、何か言えよ」
「……」
「……いやいや、だからね?」

 あの後―――。
 俺の悲鳴を聞き付けやって来た母さんから簡潔な説明を受けた俺は現在、簾(すだれ)と並んでぶら下がった風鈴の音が涼とやらを演出している縁側に腰掛け、カタカタ、と首を回す扇風機の風に吹かれながらさっきまでの不法侵入者と涼んでいた。
 チラリ―――、と視線を横に向ければ、そこには置物の様に鎮座し微動だにしない少女が一人。

「「…………」」

 ―――ミーン、ミンミンミン……ミーン、ミンミンミン……ッ……

 流石は夏の真っ只中なのか、蝉が良く鳴いて居た。


 ……ミーン……ミーン……ミンミンミーン……

 ……ミーン……ミンミン……ミーン……

 ……ミンミンミーン……

 ……ミン、ミン……

 ―――か、会話がねぇよッ!!

「あ゛ぁーー……お、お前も飲むか?」

 言って俺は、ぼぉー、と眠たげな瞳で横に座る大星に麦茶を差し出しては切り出す。

「なあ、麦茶飲みながらでも良いから聞いて欲しいんだけど、お前―――確か大星って言ったか……大星は俺ん家の父さんとは結構会ってるのか?」
「……」

 俺の言葉に、フルフル、と首を横に振って返答する大星。
 どうやら、やっと話しに食い付いてくれたみたいだ。

「ん、あまり頻繁には会ってないのか……じゃあ母さんとは何回か会ってたのか?」
「……どっちも会った事ない」
「そうか、じゃあ今日が初対面なんだなぁ……って、どっちも会った事ないのかよ……」
「ん……」

 コクリ、と大星は小さく頷いた。

「まあ良いけどさ……それで、お前は家に何しに来たんだよ?」
「……淡」
「ん、何だよ?」
「淡って……呼んで欲しい……」
「……はぁ? 何を言ってんだよお前は……」

 いきなり名前で呼んで欲しいと言われても、訳がわからなかった。
 そもそも、今日が初対面だぞ?

「俺、お前を名前で呼ぶ理由ねぇーし。つーか……女を名前で呼ぶとか、恥ずかしいし……それに、俺達は友達でもないじゃんかよ?」

 そう俺が言うと大星は、

「大丈夫―――」

 と今までの表情の貧しさからは一転、微かな微笑みを浮かべながらハッキリとした口調で言うのだ。

「―――私は君と……友達になりに来たから……」



 …………ハイ? こいつは今……なんつった?

「大星。お前……」

 ポリポリ、と頭を掻きながら俺は言ってやった。

「こんな片田舎まで、わざわざ冗談を言いに来たのか?」

 何て言うか君って暇人なんだね、って具合にな。

「……本気と書いて―――」
「―――“マジ”、とは言わせねぇーからな」
「……しばらくお世話になります……」
「ワハハハハッ……それは何の冗談だ?」
「……本気と書いて―――」
「だからマジとは言わせねぇよ。って言うか冗談抜きでしばらく居座るつもりかよ?」
「……本気と書いて……何と読む?」
「あ、マジなんですか」


ワルガキ京太郎とクーデレ(?)淡の昔話し / ②

 正直な話をすると、当時の俺は彼女―――大星淡の事を、実に面倒臭い奴だと思っていた。
 何故なら当時の淡は年相応の感情と言った物が非常に乏しく、俺や周りの大人が何を話しても会話が成立しない上に、考えている事や機敏などが全く伺えなかったからだ。
 偏った知識と間違った方向にばかり早熟で、誰かを思いやる心なんてかったるいでぷー、なんて真顔で口にしていた程にと言うか頭に超弩級の“クソ”が付くガキチョだった頃の自分から言わせればそれが不気味だった。
加えて言えば、京太郎は私と友達になる、と言う訳のわからない主張だけはいっちょまえなのがたまらなく鬱陶しかったんだ。


 ―――居候が我が家に居着いてから早一週間。

 “アッ”―――と言う間に時は経ち夏休みも残すところ後一周間となった。
 やっとこさ宿題との仁義なき闘いに捏造と模範を駆使し辛うじて勝利を納めた俺は、久しぶりの解放感に浮かれ朝早くからあっちこっちへと遊び歩いていた。
 小脇に……全く、全然、これっぽっちも望まないお供を傍らに引き連れながら―――。

「オイ……どーしてお前は付いて来るんだよ……」
「……ん?」
「いや、不思議そう首を傾げたって騙されねぇーから……正直に言ってやるけど、朝から付いて回られても迷惑だからな?」
「私……迷惑なの?」

 と言って上目遣いで悲しげな表情をする大星に俺は、ピキリ、と硬直する。
 ずっと無表情な奴が突然そんな顔をするからか、―――ズキンッ、と胸に痛みが走ったのだ。

「う゛っ……め、迷惑かも知れませんね。で、でも迷惑じゃないかも知れませんね……た、多分だけどな」
「……どっち?」
「いや、どっちと言われましても……ハハ、そういやー姉ちゃんが良く言ってたけど、俺って素直じゃないらしいから困っちゃうんだよなぁ~?」
「……」
「あぅ……め、迷惑じゃねぇーし。ふ、ふふふ、普通に嬉しいよ馬鹿野郎がッ!!」

 そう、俺って奴は実に馬鹿野郎だった……


 少しばかりの時は経ち―――。
 一匹のお供を連れ合いにママチャリを押す俺は、自宅から自転車で十分の徒歩では三十分程の場所にある雑木林を目指していた。

「……大丈夫?」

 と少し心配そうな口調の大星。

「ハアハアッ―――だ、大丈夫に決まってんだろーがぁぁぁ……ゼェ……ゼェ……ッ!!」

 この時、俺の押す自転車の荷台には、とても口には出来ない“ナニカ”がパンパンに詰まったミカン箱が括られていて、その重量は中々のものとなっていた。
 ちなみに現在、地元民の間では“地獄坂”と揶揄されて呼ばれる―――傾斜にして凡そ30度°、の急斜面を攻めている真っ最中だ。

「ハァ……ハァ……な、長いんだよここは……た、頼むから、少しは平らにしてくれよ……」

 お天道様は中天とやらに存在しながら大地を見下ろす時刻と、外光気温はまさにピークに達している。
 おかげで全身が汗だくの息も絶え絶え、と俺の体力と気力も今まさにピークへと達していた。

 ―――ここは地獄の何丁目だい?
 ―――ちなみに我が家は三丁目だが?

 暑さと息切れで朦朧とする俺の酸素欠乏中な脳内では、そんなふざけたやり取りが行き交う。

 ―――あ、このままでは死んでしまう……

「お、大星ィ~……ちょ、ちょっと押すのを手伝ってくれぇ~い……」
「……わかった」
「おお、そうかそうか。そいつはマジで助かるわ」

 これで少しは楽になるぜ……と言うか端からこうすれば良かった。
 まあ本音を言えば、ミカン箱に触れて例のブツが看破される様な事態を危惧したんだ。
しかし、良く良く考えてみれば初なネンネの大星にダンディーな男の至高の品が想像出来る訳がない(注:どっちも小学生)

「それで……どうすれば良いの?」
「ああ、なら後ろの荷台に乗ってるミカン箱を押してくれ。そしたら俺も多少は楽になるから、二人で押してさっさと登っちまおうぜ」
「ん、わかった……エイッ」

 と言う大星の掛け声と共に自転車は難なく進む。
 うーん、大星が加わった途端に全然快適じゃないか……最初から二人で押せば良かったね。

「……もっと強く押す?」
「うむ、出来るもんならやっちまえ大星」
「……ラジャー」

 途端に、グンッ―――とさらなる推進力が加わった。
 さっきまでの重量感がまるで嘘の様だ、と言うか俺は最早ハンドルを握ってるだけで、一切の力を入れてない。
 正直な話し、もしかしてこれなら大星一人で押せるんじゃね、と思ってしまう程だ。

「オオゥ……高級羽毛布団が羽の様な軽さ……やるじゃないか大星。そのチンマイ体に不釣り合いのハイパワーぷりを褒めてつかわすぞッ!!」
「……」
「おや、何だ大星。まさかお前……照れてるのか?」
「……ち、がう……照れてない」
「嘘をつけ。知り合って数日とは言え初めて俺に褒められて、柄にもなく照れてるのはわかってんだよ。だからここは、ニヘラ、と笑って素直に喜べや」

 わかった様な口調でそう言って俺は大星の頭を、ワシャワシャ、と荒っぽく撫でてやった。
 するとまあ何と髪質の柔らかな事か、さらさらでふわふわな髪のさわり心地は癖になりそうだ、なんて実にアホな感想を浮かべてしまう最中、

「―――ッ!?」

 俺の手が触れた瞬間に、ビクンッ―――と体を揺らす大星がそこに居る訳で、常時眠たげな瞳を見開いて過敏に反応するその姿には、何だか臆病な子猫の様な印象を受けてしまった。
 な、何でだろうかなぁ……よけいに弄りたくなる不思議な気分。

「か、髪がグシャグシャになるからやめて……」
「じゃあ正直に照れてるって言えよ」
「て……照れて……なんかない」
「へぇ~……お前って素直じゃねぇなぁ?」

 俺は呆れながらも大星の頭を撫で続け、時々さりげなく耳を弄ったり顎をさすったりした。
 ちなみに、もう俺は自転車を押していない。
 頭を撫で始めた瞬間から、目の前で唇を尖らせる小型エンジンに運転の全てを任せてしまった。

「なあ大星……照れてる照れてないは別として、お前って顔は可愛いんだからさ、もう少し笑ったらどうだよ?」
「か、可愛くない……それに、そんなの関係ない……」

 と言って大星は頬を少しばかり赤に染めて、プイッ、と可愛らしく顔を反らした。
 その仕草に、こいつ意外と可愛いじゃないか、と思った俺はきっと悪くない。
 ぶっちゃけ妹に欲しい、と思ったけど俺は何一つ悪くない。

「うぅ゛……は、早くこの手を離しなさい京太郎……じゃ、じゃないと噛み付くわよッ!!」
「へッ、出来るもんならやってみやがれってんだ。お前みたいな子猫がいくら吠えたってェ―――ッ!?」

 そう言った次の瞬間、“ガブリッ”―――と豪快に補食された我が右手。

「い゛っ―――痛ってェェェーーーーーーいッ!!?」

 俺は全力で叫んだんだ。
 そりゃーもうアレだ、力の限り叫ばせてもらったんだ。

「バ、バッキャローーーイィィ……は、離せっての!!」
「―――あむぅぅぅ゛ッ!!」
「ガ、ガジガジするなよぅぅぅ!!」

 犬歯を立てて肉に食らい付くその様はまるで狂犬であると同時に、まさしくスッポンの如し執拗さで噛み付いて離れない。

「は、離しやがれ―――ッ」

 そんな大星を引き剥がそうと、俺は必死になって腕を振り回す。
 すると大星は俺の手を両腕で抱き締め頑丈にロックを極めると、いっそうの事に噛む力を強くした。
 何と言うか恐ろしいまでの悪循環か……まさに不の連鎖と呼ぶべき瞬間だった。

 ……その時、ふと気付くと―――。

「ばっ、マジで早く離せよ―――って、自転車が遥か彼方にッ!?」

 ―――ミカン箱を搭載した無人のママチャリが、なんと器用にも後退しながら猛スピードで坂道を滑り降りて行く……
 と言うのは途中までの話しで、驚愕のバランス感覚に頭が下がる思いでいっぱいの俺を置き去りにして、すぐにバランスを崩すと電柱にクラッシュしてミカン箱共々チャリは宙を舞った。
 まあそりゃそうだろうねぇ~……そもそも重力に逆らう様に押していた物を、その押していた二人が二人して手を離せば必然的にそうなる事ぐらい、小学生の俺にだってわかるよね。
 そりゃあ、ミカン箱の中身を一面に散乱させながら坂を転がり落ちるのも……悔しい事に納得するんだよ。

「あっ……あ゛ぁあぁぁぁ~~~~~……」

 俺は手の痛みも忘れて、ただただ呆然と膝を屈した。

 ヘェ~~イ……これは何の冗談なんだい?
 この一連の展開は、いったいどこのチャンネルで放送されたコント番組を真似てるんだい?

「……自業自得」

 突然の惨状に項垂れる俺へ大星のキツイお言葉。
 流石の口達者な俺も返す言葉が無い。
 須賀京太郎の夏休み、“淡き地獄坂に墜つ”の巻きだ。

「京太郎……怒ったの?」
「へ……違うさ大星……ただ、少しだけ泣きたくなっただけさ……」

 そう……ちょっとだけ、汗が目に染みたんだ……

「京太郎……元気、出して……アレ、私が全部……拾ってくるから」

 俯いて肩を震わす俺が可哀想に思えたのか、大星は優しげな表情を浮かべて言った。
 勿論、その思い遣りと慰めの言葉に俺は、

「いや―――そいつはご勘弁」

 キッパリと断りを入れたのだった。


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