ギーコ ギーコ ギーコ


錆びついた車輪が耳障りな悲鳴を上げる中、俺はあくびまじりに自転車を漕いでいた。


京太郎「……ふわぁーあ、ったく、何で俺が朝っぱらからこんなことしなくちゃいけないんだよ?」コギコギ

咲「えへへ、えっと、ごめんね」

京太郎「そう思うんなら、自転車の荷台から降りてくれよな。お前が重いせいで、車輪が悲鳴あげてるんだけど」コギコギ

咲「お、重くないよ! 大体、京ちゃんがこんなボロボロの自転車を出すから悪いんじゃん」

京太郎「仕方ねえだろ。お前、何の連絡もなしにいきなり訪ねてくるし」

京太郎「大体、こっちはプロ入りが決まってるお前と違って、受験勉強が忙しかったんだぞ」

咲「あ……ごめん」


俺の八つ当たりじみた言葉に、咲は申し訳なさそうに謝る。


京太郎(はぁ、こんなこと言うつもりなかったのに、何やってんだよ、俺のばか)

京太郎「あ、いや、俺の方こそ僻みみたいなこと言って悪かったよ」

咲「ううん、私の方こそ無神経なこと言って、ごめんね。京ちゃんも忙しかったのに……」

咲「……って、思わず謝っちゃってたけど、よくよく考えたら受験勉強と自転車が錆びついてるのって全然関係ないよね!?」

京太郎「ん……そういえばそうだな」

咲「もうっ、罰として駅までちゃんと私を運んでもらうからねっ」ギュッ


そう言うなり、幼なじみは俺に抱き付いてくる。


京太郎「おっ、おいっ、咲っ、ばかっ、離れろって」

咲「へっへーん、離れませんよーだ」ギュゥッ

京太郎(ったく、こいつ、どういうつもりだ? こんな無防備に抱き付いてきやがって)


咲「ほらほら、京ちゃん、上り坂だからってペース落ちてきてるよー」

京太郎「あのなー、お前が抱き付いてくるから――」

咲「んー? 私が抱き付いてくるから、何なのかなー?」ギュゥゥ

京太郎「な、何でもねえよっ」

咲「ふふっ、京ちゃんってば、もしかして照れてるのかなー?」

京太郎「んなわけねーだろ。大体、お前のぺったんこな胸なんて押し付けられても嬉しくねえっての」

咲「むぅっ、何さっ、私だってちょっとは膨らんできてるんだからねっ」

京太郎「へぇ、膨らんでるってどこが? 俺には全然わからねえなぁ」

咲「ほんのちょっとだけなんだから仕方ないじゃんっ、京ちゃんのばかっ」ギュゥゥ


拗ねたように口を尖らせながら、ますます抱き付く力を強くする咲。


京太郎「だから、抱き付いてくんなって! わかったよ、ぺったんこなんて言って悪かった。咲の胸は優希よりあるから!」

咲「どうして、そこで優希ちゃんの名前が出るのかなー?」ジロッ

京太郎「いや、それは――」

咲「京ちゃん、もしかして優希ちゃんと……」

京太郎「ばかっ、そんなわけねーだろ!」

咲「……ふふっ、そうだよね。京ちゃんが優希ちゃんとなんて……そんなの、ありえないよね……」ギュゥゥ

京太郎「ははっ、当たり前だろ――って、あの、咲さん、さっきより抱き付く力が強くなってる気がするんですけど?」


というか、角が背中に刺さってるんだが。


咲「えっ!? あっ、うっ、うぅっ、ち、違うのっ、これはっ、そのっ、ほ、ほらっ、もうちょっとで坂道が終わるから、ラストスパートだよっ」アセアセ

京太郎(何がラストスパートなんだか。ったく、こんな朝っぱらから一人で怒ったり焦ったり忙しい奴だなー)


そんなことを思いながら、それに付き合ってる自分も大概だなーなんて自転車を漕ぎつつ思う。

静かな街中、俺の自転車の耳障りな車輪の悲鳴だけが響いていた。


京太郎「…………」

咲「どうしたの、京ちゃん?」

京太郎「いや、まだ日も出てない朝っぱらだから仕方ないけど、町が静かすぎてさ」

京太郎(……なんか、こうしてると世界中に二人だけみたいだなって)

咲「ん? 何か言った? 聞こえなかったんだけど」

京太郎「な、何でもねえよ!」

咲「えー、意地悪しないで教えてよ~」

京太郎「絶対教えないっ」


こんなこと教えるくらいなら、死んだ方がマシだっての。


咲「いいじゃん、教えてよ――あっ……」

京太郎「ん、どうしたんだよ? 何かあったの――うわ……すげえな」


それ以外の言葉がなかった。

坂道を上った俺たちを迎えてくれたのは――


咲「うん、朝焼けってこんなに綺麗なものだったんだね……」

京太郎「ああ、そうだな……」


今まで見たこともないくらい大きくて綺麗な朝焼けだった。


咲「ふふっ、ありがとね、京ちゃん」

京太郎「何でありがとうなんだよ?」

咲「ん、何でだろ? 何となくかな、ふふっ」

京太郎「そっか……変な奴」

咲「私、変かな?」

京太郎「いや、そうでもないかも……」

咲「もうっ、どっちなのさ?」

京太郎「ははっ、どっちなんだろうなー」

咲「さっきから適当なことばっかり言って~私のことからかってるでしょ? 人と話すときはちゃんと顔を見て話すって習わなかったの?」

京太郎「ばかっ、自転車乗ってるのに後ろ向いて運転する奴がどこにいるんだよ?」

咲「むぅ、確かにそうかもしれないけど、少しくらいは私のこと見てくれてもいいじゃん」ムスッ

京太郎「無茶言うなっての……」

京太郎(……ったく、振り向けるわけねーだろ)


こっちは今にも泣きそうで、それどころじゃねえんだから。


京太郎「ちゃんと切符買えたかー?」

咲「もうっ、子供扱いしないでってば。いくら私が方向音痴でも切符くらい買えるよっ」

京太郎「ははっ、そりゃそうだよな。これから東京に行くのに、長野で迷ってたら洒落になんねえもんな」

京太郎「今度、俺が東京に行くことがあったら、咲に案内頼むからよろしく頼むぜー」

咲「そんなっ、案内なんて無理だよ~」

京太郎「冗談だって」

咲「もうっ、京ちゃんのいじわるっ」

京太郎「ごめんごめん、悪かったよ。でも、マジで気を付けろよ。お前、ただでさえ危なっかしいんだから」

咲「ふふっ、心配してくれるんだ?」

京太郎「ばっ、そんなんじゃねえよっ。ポンコツな幼なじみが迷子で警察に保護されたりしたら、こっちが恥ずかしいだろ」

咲「わ、私だって少しは成長してるんだよっ」

京太郎「へぇ~、この三年間のインターハイで、お前の迷子で何回、俺が駆り出されたか知っててそれを言えるのか?」

咲「あっ、うぅ、ごめんなさい」

京太郎「……とにかく、お前はすぐに迷子になるくせに、うろちょろするからな」

京太郎「俺がいたときはまだ良かったけど、もう俺はいないんだから、うろちょろすんなよ」

咲「うん、わかってる。向こうには京ちゃん、いないもんね……」シュン

京太郎「あ……い、いや、そういう意味じゃなくて」


だったら、どういう意味かって聞かれたら、俺も困るけど。


京太郎「ほ、ほら、和も東京の大学に合格したし、照さんだって東京でプロやってるんだから」

京太郎「咲の迷子なんて、そこまでたいした問題じゃないかも」

咲「ふふっ、どっちなのさ?」ニヤニヤ

京太郎「えっと、だから、それは……」


俺が答えに困って、しどろもどろになっていると咲がニヤニヤしながら、こちらを見ていた。


京太郎「おい、お前、もしかして俺のことからかってないか?」

咲「えっ、な、何の事かな~」


目を逸らしながら、吹けもしないくせに口笛を吹こうとする咲。


京太郎「ったく、心配して損したぜ。そんだけ図太けりゃ、問題なさそうだな。っと、俺も入場券買うから、そこどいてくれよ」

咲「えっ、ホームまで見送りしてくれるんだ?」

京太郎「まあ、いくらポンコツでも幼なじみだし、それくらいはな」

咲「もうっ、ポンコツじゃないもんっ」

京太郎「どの口が言ってんだよ」


軽口を叩き合いながら、券売機の前に立つ。

入場券のボタンを押しながら、咲に気付かれないように小さくため息を吐いた。


京太郎(咲はこれから東京なのに……俺はただの入場券か)

京太郎(ほんの少し前まで、隣りにいる幼なじみと思ってたのに、なんかもう遠い世界の人間みたいだ)


咲「京ちゃん、どうしたの?」

京太郎「いや、何でもねえよ」

咲「でも――あっ、鞄の紐が……」グィッ


改札口に鞄の紐を引っ掛けた咲が俺を見ていた。


京太郎(おいおい、これからってときに何してんだよ……)

咲「きょ、京ちゃ~ん」グィグィ


今の情けない咲の姿を見て、絶対無敵のインターハイチャンピオン『清澄の嶺上使い』として

君臨していた姿を想像できる人間が、果たしてどれだけいるだろうか?

そんなことを思いながら、目を合わせないように頷いて、鞄の紐に手を掛ける。


京太郎(こんな紐なんてすぐ外せるだろうに、咲も何やってんだか……)


咲「……京ちゃん、取れそう?」

京太郎「…………」

京太郎(ほんと、何やってんだろうな……俺)


どうしてだろう?

こんな紐なんて簡単に外せるはずなのに、なかなか外れてくれない。


京太郎(ああ、そうか。このまま紐が外れずに咲が電車に乗り遅れたら――なんて、そんな……)

咲「……あっ、外れた。ありがとね、京ちゃん」

京太郎「……ほら、そろそろ電車の時間だろ。行こうぜ」


そんなことあるわけないのに、そんな都合のいいことを考えてしまう俺がいた。


ジリリリリリリリリリリ


京太郎「電車、来たみたいだな」

咲「うん、そうだね」

京太郎「…………」

咲「…………」

京太郎「…………」

咲「…………」

京太郎「……見送り、俺だけで良かったのか?」


無言の中、絞り出すように俺はどうでもいい疑問を口にする。


咲「うん、大勢に見送られるのって苦手だし、それにみんながいたら、私、電車に乗る勇気が消えちゃうかもしれなかったから」

京太郎「そっか……」


咲「それじゃ、京ちゃん」

京太郎「……ああ」

咲「行ってきます」グッ

京太郎(行ってきます、か……もしも、もしも、俺がここで引き留めたりしたら、咲はこの一歩を踏み出さずにいてくれるんだろうか?)

京太郎(だとしたら俺は、俺は――)

京太郎「咲っ……」


何万歩よりも距離のある一歩を踏み出そうとする咲に声をかける。


咲「ん? どうしたの?」


振り返る咲に向かって、俺は――


京太郎「――が、頑張れよ……」

咲「……うん」


幼なじみは笑顔で頷いた。

俺は――結局言えなかった。


京太郎(……駄目だ。俺なんかが咲を引き留めて良いわけがない)

京太郎(咲はもう俺とは違う世界の人間なんだ)

京太郎(きっと遠くない未来、咲は世界を舞台に戦うことになる……そんな凄い奴の未来を俺のわがままなんかで壊せるわけがない)

京太郎「…………」

咲「京ちゃん……」

京太郎「何だよ?」

咲「約束だよ、必ずいつの日かまた会おう」

京太郎「…………」

京太郎(……無理だよ。お前はもう俺とは違う世界の人間なんだ。お前だって、それくらいわかってるだろ!?)


俺は応えられず俯いたまま手を振った。

せめて、この別れを互いに笑顔で迎えられるように。

咲の顔を見たら、俺は泣いてしまうかもしれない。

だから、咲が笑って行けるように。

けれど、

咲は泣いていた。

閉まっていくドアの向こうで、俺の幼なじみは大粒の涙をこぼして泣いていた。

震える声で、声にならない声を上げて、咲は泣いていた。

瞬間、俺の中で何かが弾けた。


京太郎「咲っ、俺はっ、俺は――」


走り出す電車に向かって、喉が張り裂けそうなくらい大声で名前を呼ぶ。

俺の声に気付いた咲が俺の方を見る。


京太郎「俺は、お前のことが――」


走って走って電車を追いかける。

けれど、

京太郎(駄目だ。届かない……)


そう思った瞬間、俺はフェンスを乗り越えて、立てかけていた自転車に飛び乗っていた。


京太郎「はぁっ、はぁっ、くそっ、根性出せよ、このボロチャリ!」


さっきまで咲を乗せて上っていた坂を、今度は電車を追いかけて全速力で下っていく。

錆びついた車輪が、これ以上無理だと悲鳴を上げるが、そんなの知ったことか。


京太郎「はぁっ、はぁっ、咲っ、俺はずっとお前のことが――」

線路沿いの下り坂を風よりも早く飛ばしていく。

俺の頭の中にあるのはただ一つ。


京太郎(俺はずっと咲に追い付きたかったんだ)


ずっと隣にいると思っていた幼なじみは、気付いたらずっとずっと遠くを歩いていた。

俺なんかのボロチャリじゃ追いつけないくらい、ずっと遠くに。


京太郎「でも、それでも俺は――」


錆びついた車輪が自分でも耳障りなくらい悲鳴を上げて、電車と並ぶ。

最後尾の車両から、こちらを見ている咲の姿が見えた。

幼なじみは泣きながら俺に向かって、何かを叫んでいた。

電車がスピードを上げる。

なんとか精一杯電車と並んでいたけれど、やっぱりどうしようもなくて、ゆっくり離されていく。

遠くなっていく幼なじみの姿。

その姿を目に焼き付けながら、俺は、


京太郎「――約束だ! 必ずいつの日かまた会おう!」


離れていく幼なじみに見えるように大きく手を振りながら、大声で叫ぶ。

俺からはもう咲の姿は見えない。

けれど、電車が見えなくなるまで手を振り続けた。


京太郎「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


ここ数か月、ずっと受験勉強をやっていたせいか、なかなか息切れが治まってくれない。


京太郎(我ながら、バカなことしたもんだな……)


そんなことを思いながら、目を閉じる。

どれくらい、そうしていただろうか。

気付けば、俺の周りには通行人の姿。

ほんの数十分ほど前に『世界中に二人だけみたいだな』なんて言ったのが嘘のように、町は賑わいだしていた。

京太郎(でも、もう俺の隣りにあいつはいないんだよな)

遠い世界に行ってしまった幼なじみ。

それを思うと、


京太郎「まるで……世界中に一人だけみたいだなぁ」


こんな風に小さくこぼすくらい、許してくれよ、なんて思う。



ギーコ ギーコ ギーコ


錆びついた車輪に悲鳴を上げさせながら、俺は自転車を漕ぐ。

京太郎(元々ボロチャリだったけど、無理させすぎたせいか、車輪の悲鳴がひどくなってきたな)

それでも先ほどまでとは違って、後ろに幼なじみは乗ってないから、家に辿り着くまでは踏ん張ってくれると思うけど。

通行人を避けて、車輪の悲鳴を響かせながら街中を行く。

穏やかな春の早朝。

ふと気が付けば、まるで先ほどまでの出来事は夢だったのかもしれない、そんな風に思ってしまう自分がいて。

でも、


京太郎「確かに咲は俺の後ろにいたんだよな」


背中に残る微かな温もりとともに、俺は小さく笑った。







咲(……やっぱり、こういうパーティーとか苦手だな)


周りの人が楽しそうにお酒を飲みながら談笑している中、私は部屋の隅でちびちびとお酒を飲んでいた。


はやり「咲ちゃーん、飲んでる~?」

咲「あっ、瑞原さん」ペコッ

はやり「もうっ、今夜は無礼講なんだから、はやりんで良いって言ってるのに」

咲「あはは……じゃあ、はやりんさんで」


私は苦笑いを浮かべながら、頭を下げる。


はやり「……ねえ、やっぱり、こういうパーティーってまだ苦手?」

咲「いえ、そんなことは……すみません、やっぱりまだ苦手です」

はやり「そっか。でも、スポンサーの人たちも私たちの優勝を祝ってくれてるんだから、せめてパーティーの間くらいは笑顔でないとね」ニコッ

咲「……すみません。そうですよね」ニコッ


無理やり笑顔を作る。

プロになって一番上手くなったのは、麻雀じゃなくて作り笑顔かもしれない。

そんなことを考えながら、私はずいぶんと遠いところまで来てしまったんだな、なんて思った。

実際、プロの雀士になったからといって、ただ麻雀を打っていれば良いというわけではなかった。

今さらな話だけど、プロになって数年が経ち、当初は受け入れられなかったそのあたりのことも、

ようやく呑み込めるようになったのかもしれない。

国内の大会だけじゃなくて、海外の大会にも参加して活躍するようになると、ますますそれは増えていったし。

お姉ちゃんはそのあたりのことは完全に割り切ってるみたいだけど、私はまだそうはいかない。

なんとか呑み込んではいるけど、喉の奥に何かが引っ掛かる感じが取れなかった。

もしかしたら、小鍛治さんもそういうのが嫌で、隠居しちゃったのかな、なんて。

でも私には小鍛治さんほどの勇気はないし、自分に期待してくれている人たちに背を向けられる度胸もなかった。

それにあの日、頑張れって言ってくれた幼なじみがどこかで応援してくれてる。

あの時の思い出があれば、私はどんなことでも頑張れる。

そう思えたから。


はやり「あれ? 咲ちゃん、良い笑顔だね。もしかして、昔の彼氏のことでも思い出してた?」

咲「ち、違いますよっ。それに彼とは恋人なんかじゃ……ありませんでしたし」

はやり「だとしても、咲ちゃんみたいな良い子を何年も放っておくなんてひどいよ」

咲「別に……私はいいんです。思い出は綺麗な思い出のまま取っておいた方が素敵ですし」

はやり「ふぅん、本当にそう思ってるのかな?」


瑞原さんは3■歳とは思えないほど澄んだ目で、私の目をじっと見てくる。

私はこの人のこういう真っ直ぐなところが苦手だった。


はやり「ふふっ、いじわるしてごめんねっ☆」

咲「いえ、私は別に……」

はやり「そうそう、咲ちゃんも最近忙しいし、マネージャーさんが付くって話聞いてるよね?」

咲「話だけは聞いてますけど。マネージャーって言われてもピンと来なくて」

はやり「監督に聞いてみたんだけど、長身のイケメンさんなんだって」

咲「そうなんですか……」

はやり「反応が薄いねー。やっぱりまだ昔の彼氏さんのことが――」

咲「だから違いますって!」


パーティー中だというのに、大きな声を上げてしまった。

みんなの視線が一斉に私に向く。

会場内は何とも言えない空気になっていた。


咲(やっちゃった。どうしよう……)

はやり「はややっ、咲ちゃん、飲みすぎちゃって気分が悪いの?」

咲「えっ? あの、瑞原さん?」

はやり「うーん、それは仕方ないね。気分が良くなるまで、外の風に当たってきたらどうかな?」

咲「瑞原さん……そ、そうですね……そうします。すみません」

周りの人たちに頭を下げながらパーティー会場を出る。

その際、瑞原さんが「ごめんね」とウィンクしながらテヘペロしているのが見えた。


咲(後で瑞原さんにお礼言っておかなくちゃいけないかな)


そんなことを考えながら歩く。

お酒で火照った体と頭に夜風が気持ち良かった。


咲(京ちゃん、色々とつらいこともあるけど、私、頑張ってるよ)


確かに楽しいことばかりじゃないけど、瑞原さんや一緒に戦ってくれるチームメイト、それに応援してくれる人たちが私にはいる。


咲(ねえ、京ちゃん、貴方は今どこで何をしてるのかな?)


あの日から京ちゃんとは連絡を取ってない。

実家に帰った時も会えずじまいだった。

久しぶりに会った優希ちゃんから聞いた話だと、大学でも麻雀を頑張ってたみたいだったけど。

咲(私とは違って、やっぱりもう彼女とかいるよね?)

でも私が活躍したら、もしかしたら連絡くらいはしてくれるかもしれない。

そんな風に考えて――本当はそんなことあるわけないのに――気付いたら、こんな遠くまで来てしまっていた。


咲(ほんと私ってバカだよね)


自分から電話すればいいのに変な意地を張って、こうして一人で落ち込んで。


咲(あんな約束、京ちゃんだって忘れてるに決まってるのに)

咲「……って、あれ? ココどこ?」キョロキョロ


気付くと私は全く知らないところに立っていた。

咲「もしかして、迷子になっちゃったのかな?」

ううん、もしかしなくても迷子に違いないんだけど。


咲(連絡を取ろうにもパーティーの途中だったから、携帯電話も持ってきてないし)


多分、オフィス街だとは思うけど、遅い時間帯なせいか、怖いくらいに人通りがなかった。


咲「……ふふっ、迷子なんて、何年ぶりかな」


面白くもないのに、なぜか笑ってしまう。

東京に来てからは、できるだけ一人で出歩かないようにしてたから、久しぶりの感覚だった。

この感覚はちょっとだけ懐かしくて、ちょっとだけ寂しい。


咲(あの頃は迷子になっても京ちゃんがすぐに見つけてくれだけど)


今はもういないんだよね。

ここには私が迷子になっても見つけてくれる人はいない。


咲「ううん、違うか……」

咲(私はあのときからずっと迷子のままで、それに気づかない振りをしてただけなんだ)

咲(ずっと遠くまで来た気になってたけど、やっぱり私は一歩も前に進んでなくて)

咲(本当に大切なものを置き去りにして、目に見えないものを必死に追いかけてた)


そんな大事なことに、今になって気付くなんて。


咲(私ってほんとバカだよね)

咲「こんな歳にもなって、迷子だなんて……」


視界がぼやける。

それが涙だって気付いたときには、もう目から溢れ出していた。


咲「……うぐっ、ひぐっ、また会おうって約束したのにっ」

咲「……ひぅっ、何で会いに来てくれないのさっ」


堰を切ったように流れ出した涙は止まってくれない。


咲「……うっ、うぅっ、私が迷子になったらっ、見つけてくれるんじゃ……なかったの?」


道路に座り込んで私は泣いていた。


咲「……会いたいっ、会いたいよっ」








「――ったく、ようやく見つけたぞ」





懐かしい声が聞こえた気がして、私が振り向くとそこにいたのは――


咲「……なん……で?」



「何でも何もあるかよ。迷子になったお前を見つけるのが俺の仕事だろ?」



咲「で、でも……何でここにいるの?」

「まあ、色々あってな。そこらへんは瑞原プロに聞いてくれ」

咲「もしかして、瑞原さんの言ってたマネージャーさんって……」

「約束……したからな、お前と」

咲「……覚えててくれたんだ」

「ずいぶんと遅くなっちまったけどな」

咲「でも、ちゃんと約束守ってくれたんだね……京ちゃん」

京太郎「ああ、ようやくお前を見つけられたよ――咲」


困ったように笑う幼なじみの顔を見ながら、私も小さく笑う。

どこかで祝福するように、錆びついた車輪が悲鳴を上げた気がした。