新人戦、会場。
    会場内は沢山の高校生でごった返していた。
    1年生だけの参加者でこの人数であり、麻雀人口の多さが伺えた。
    そんな中、会場の隅の小さな控室で京太郎は自分の出番を待っていた。
    女子は強豪として名を知られるようになったが規模的には非常に小規模であり、
    男子は無名である清澄高校にはあまり広い部屋が割り振られず、5人が入れば多少手狭だった
    そんな控室の中を咲は落ち着かない様子で立ったり座ったりしていた。


    「ののの、和ちゃん。お、おトイレ、行っておいたほうがいいかな?」

    「落ち着いてください、咲さん。そうです、落ち着くにはまず茄子にカボチャという字を書いて人を呑み込めば」

    「のどちゃんこそテンパりまくりだじぇ。とりあえずタコスでも食べておちつくじぇ」


    優希はそう言いながらタコスを食べるが具がぼとぼとと横から零れていた。


    「ええかげんにせい、全く。昨日は3人とも落ち着いておったじゃろう?」


    そんな3人の様子をまこがたしなめた。
    女子の部の新人戦は先日に行われ上位3人が全国に行けるという枠をすべて清澄が占めるという快挙を成し遂げた。
    その時の3人は実に堂々としたものであり、これから3年は清澄の時代、と地方のローカル新聞に書かれたぐらいだった。


    「そ、そうなんですけど、なぜか、落ち着かなくて」

    「お前らがそんなんじゃ、京太郎にうつるじゃろう。まったく」


    ちらり、と京太郎を見る。
    何を考えているかわからないが、目をつぶって何かを考えているようだった。
    それを見てまこは少し考えて京太郎に呼びかけた。


    「京太郎、わしらは少し外す。試合前になったら、また戻ってくるけぇ」


    まこがそう言うと目を開けて軽く笑った。


    「すみません、染谷先輩。ありがとうございます」

    「うむ。ではまた後でな」


    そう言うと、挙動不審な3人娘を引っ張ってまこは控室を出て行った。
    控室が沈黙に包まれる。耳を澄ませば会場内の喧騒が聞こえるぐらい、部屋の中は静かだった。


    (……俺の相手)


    手元の対戦表を見る。
    京太郎のほか2名は無名の選手であったが、残り1名の名前を見て和が驚きの声を上げた。

    ―――――――

    『この陽皐(ひさわ)って人……去年のインターミドル3位の人です。特徴的な苗字ですから、覚えてます』


    和がそういった瞬間、控室は重苦しい空気が流れた。


    『そ、その人、強いの?』


    咲はある種当たり前の質問が飛ぶ。


    『えぇ、かなり。直接対局した数はあまりありませんが……』


    そして、何かを思い出すように少し考え込んでから言った


    『かなり面前思考だった記憶があります。平均打点はかなり高めだったかと』


    あまり役に立たない情報でごめんなさい、そうやって和は京太郎に謝罪する。


    『いや、いいさ。そもそも新人戦なんて誰が出てくるかほとんどわからないんだから、対策なんて立てようがなかったしな』


    京太郎は苦笑しながら、和にそう返した。


    『それにこの予選は2位までに入ればまだ次に命がつながる。だから、まだ終わったわけじゃない』

    ―――――――

    それからは、3人娘はあの有様であった。
    苦笑しながら京太郎は対戦表を脇に置き、再び目を閉じた。


    (まったく、くじ運までないとか……呪われてるのか、俺?)
    (いや、持ってないからこそ、選ばれたのか?)
    (もってるやつの引き立て役、噛ませ犬として選ばれたのか?)
    (……やめよう、こんなこと考えても、不毛なだけだ)


    そうしていると控室の扉からノックの音が聞こえた。
    京太郎は首をかしげた。
    出番にはまだ早いし、まこたちは出て行ったばかりだった。
    疑問に思いながらもどうぞ、と答えた。


    「やぁ、須賀君。試合前にすまないな」

    「加治木、さん?」


    そこに立っていたのはゆみだった。
    思いがけない来訪者に京太郎はあっけにとられた。
    そんな京太郎を見ながらゆみは京太郎に問いかけた。


    「今、少しいいか?」

    「あっ、はい、どうぞ」

    「ありがとう」


    そう言うと、ゆみは控室の扉を閉めた。


    「ど、どうしてここに?」


    予期せぬ来訪者に京太郎は思わず動揺した。


    「いや、昨日の女子新人戦の応援に来てたんだ。うちのモモの応援にな。まぁ、一歩及ばなかったが」


    どう声をかけていいのかわからず、京太郎は黙り込んだ。
    その様子を見て慌ててた様子で続けた。


    「いや、すまない。決して嫌みを言いに来たわけじゃないんだ。本当は須賀君の試合も見てから帰りたかったんだが」


    そう言うと、ゆみはどこか残念そうな顔をした。


    「今日はどうしても外せない用事があってな。もう戻らなくちゃいけない。だから、帰る前に少し激励に、な」


    ゆみは京太郎に向かい合う形で座り、軽く微笑んだ。


    「どうだった、あれからの1か月は?」

    「はは……授業と睡眠と食事と部活以外でしたことってほかに何かあったっけって思うぐらいには麻雀漬けの1か月でした」

    「そうか。……それで、どうだ? 宮永たちには」


    若干聞きにくかったのか、多少言葉を濁しつつも弓は答えた。
    京太郎はその問いに対して軽く首を横に振った。


    「いいところまでは行くことは何回かあったんですがね、やっぱりトップは取れなかったです」

    「そうか……。それで、その、大丈夫、なのか?」


    まだ倒れずにいられたのか、そうゆみは尋ねた。


    「そりゃ、何度か苦しい思いはしましたよ。あまりにも負けすぎて頭が痛くなったことがありました」


    1か月中の出来事を思い出して、苦笑しながらも京太郎は続けた。


    「でも、やっぱり、麻雀も、あいつらも捨てられないってわかったんです」
    「だから苦しいときも歯を食いしばって、何とか頑張りました」
    「ストレスたまった時は叫びながらグランドを走ったりして……ははっ、この1か月でなんだか体力着いた気がします」
    「それに、咲たちだっていろいろ考えてくれてるみたいで」
    「俺が行き詰まってるときとか、苦しんでるときとか……あいつらなりに俺を気遣おうとしてくれてるんです」


    ――京ちゃん。ふふ、肩でも揉んであげるよ。少し休憩しようね――

    ――須賀君、お茶でもいかがですか? 淹れてきますよ。なかなか集中しているようですが、ほどほどで力を抜かないと――

    ――京太郎! 新作のタコスだじぇ! ほらほら、口を開けろ!――

    ――ほれ京太郎。皆でつまめるようにと卵焼きを作ってきてやったけぇ。ほれ、あーんじゃ――


    「多分、もってる奴にはもってない奴の苦しみってを理解するってのは難しいと思います」
    「逆に、もってない奴がもってる奴の悩みや苦しみっていうのを理解することも難しいと思います」


    ネット麻雀を初めてした咲が「これは麻雀なのか」と言って半べそをかいていたことを思い出す。
    京太郎はその時、彼女が何に苦しんでいるかということは全く理解できなかった。


    「多分、どうしても、埋めようのない溝っていうのはあると思います」
    「でも……それでも」
    「お互いがお互いを理解しようとするっていう気持ちがあれば、相手を想ってるっていう気持ちがあるんだったら」
    「多分、やっていけるんじゃないかなって、そう思います」
    「やっぱり皆と麻雀をやってると苦しいことも多いですけど、そう言うお互いの気持ちがあるってわかったから」

    「何とか、耐えられました。多分、これからも……何とか、やっていけると思うんです」
    「向こうが俺のことを考えてくれるだけじゃなくて、俺も向こうのことを考えて、思っていけば」
    「やっていけるとおもうんです。この先も」


    そこまで言って、京太郎は目じりに浮かびそうになる涙堪えて、軽く笑った


    「麻雀が好きだからこそ、みんなに勝ちたいと思いますし、そのせいで苦しみ続けることになると思います」
    「皆に勝つまでに、これから沢山負けると思いますけど、多分耐えられると思うんです」
    「……すみません、『多分』とか『思う』ばっかりで」
    「やっぱり、正直なところを言うと自分がこの先本当に耐えられるかっていうのはわかりません」
    「でも、それでも、確かなことがあって」


    「みんなが好きだってこと、それだけは確かなことなんです。だからこの先も頑張り続けようって、思うんです」


    そこまで一気に言い切って、京太郎は息を吐いた。
    そこまで京太郎の独白を黙って聞いていたゆみは何かを考えた後、軽く笑った。


    「全く、15歳にしてずいぶんと悟ったな……」

    「ほんと、いろいろありましたから。この2か月で」

    「麻雀か、皆か。どっちかしか好きじゃなければ話は簡単だったんですけどね」


    ふと天井を見上げ、何かを思い返すように京太郎は言った。


    「麻雀しか好きじゃなかったら部をやめればいい。皆しか好きじゃなかったら麻雀をやめてマネージャーにでもなればいい」


    でも、とため息を吐いて、もう一度苦笑をしながらゆみに向き直った。


    「両方好きだから、麻雀部にいて、皆に勝ちたいって思うっちゃうんです。ままならないですね、ほんと」

    「……そうだな、本当、ままならないものだ」


    ゆみはそう言って席を立った。


    「邪魔をした。しっかりと、悔いの無いようにな。勝利を、祈ってる」

    「はい、ありがとうございます」

    「これから苦しいこともあるとは思うが……お互いにな」

    「えぇ、頑張りましょう」


    ゆみは拳を握り、京太郎の前に差し出した。
    それを見て一瞬戸惑うも理解した京太郎は同じように拳を差し出した。
    そして二人はこつりと拳を合わせた。
    すると、ゆみは満足そうに笑った後踵を返した。
    だが、ドアノブに手をかけたタイミングで京太郎のほうに振り返った。


    「ひとつ、言い忘れていた」

    「なんですか?」

    「私も負けたとはいえ、君みたいに毎日毎日全国レベルの人間に叩きのめされ続けたというわけではない」
    「絶望の度合いは君のほうが深かったかもしれない。だが、それでも君は立ち上がり苦難の道を選んだ」
    「大切なものを捨てられないという理由があったにしろ、君は選んだ」
    「だから、だからこそ」
    「私は君のことを尊敬するよ、須賀君。……それじゃあ、またな」


    そう言ってゆみは控室を出て京太郎一人が残された。
    京太郎はその後ろ姿を見送った後、再び目を閉じて、自分の出番を待った。

    それからしばらくして、京太郎の出番がやってくる。
    京太郎は緊張した面持ちで対局室に入る。すでに3人は待っていた。
    そしてすでに席に座っている一人の男を見た。


    (こいつが……インターミドル3位の……)


    陽皐は京太郎のほうに特に興味を示すこともなく、ただ目を瞑っていた。
    対局室に京太郎が感じたことのない独特の緊張感が流れた。
    陽皐のほかの二人も落ち着かないように深呼吸をしたり、手を握ったり開いたりしている。
    やがて、審判員に声をかけられ、場決めの後、親決めが行われる。


    (俺は、ラス親か)


    京太郎は上家に座った陽皐を見つつ、激しくなる心臓の鼓動を感じながら必死に呼吸を整えた。


    「それでは、初めてください」


    審判員にそう声をかけられ、卓に座った4人はお願いします、と声を出し合う。


    (ここまで来たら……やることをやるだけだ)


    そう言いながら配牌を取っていった。
    京太郎は自分の配牌を見た。


    『京太郎配牌』
    14m24689s3499p西西 ドラ7m


    いい配牌とはとても言えなかったが唇をかみしめ自分の第1ツモを取る。
    5萬を引き、1萬切り出す。一歩前進したことに小さく喜び、気持ちを切り替えた。
    その後、特に仕掛けも入らず場は進み7順目


    『京太郎手配』
    45m24678s3499p西西 ツモ3m


    面子オーバーの形。とは言え、京太郎は場を見て西が切られてしまっていることを
    すでに確認しており迷うことなく西を切り出した。
    その次の順目だった。


    「リーチ」


    陽皐からリーチが入る。


    (来たか……)


    自分の手を見て、役もない待ちも悪いこの手に行く価値なしと即座に判断する。
    一発目には対子落としの片割れの西を切り出し、次順は現物の9筒を切り出したが、
    その次の順目に陽皐はツモりあがった。


    「ツモ」

    『陽皐手牌』
    678m23456s56788 ツモ1s ドラ7m 裏9m

    「リーチツモ平和ドラ1。1,300-2,600」


    淡々とした声で自分の点数を告げた。
    京太郎は小さくはい、と返事をして1,300点を払った。
    不安になる気持ちを振り払い、京太郎は自分の心に喝を入れた。


    (まだ、始まったばかりだ。これからだ)


    「京ちゃん、頑張って……」


    清澄高校控室。
    あまり広くない控室に4人は居た。
    1,300点を支払う京太郎を見ながら咲はそんなことを呟いた。


    「とりあえず安めでよかったと考えるじぇ」

    「えぇ、まだ始まったばかりです。まだまだ、わかりません」


    優希と和も食い入るようにモニターを眺めた。
    そして、まこもモニターを見ながら内心では何かに祈っていた。


    (頼む、初心者とは言え京太郎は凄まじい努力をした)
    (負け続け、勝てなくても京太郎は頑張った)
    (だから、頼む。京太郎に、証となるようなものをくれてやってくれ)


    その心に悲痛な願いを抱えながら、まこは京太郎の闘牌を見守った。


    「ごめんなさい遅くなって! バスが事故を起こしちゃって」


    そう叫びながら久が清澄高校の控室に駆け込んでくる。


    「状況は、どうなっているの?」


    息を切らせながら、椅子に座ってモニターを眺めた。
    久の問いに、扉の一番近くに座っていた和が手元のメモ翌用紙を見せながら言った。


    「今ちょうど、南1局が終わったところです。点差はこうなっています」


    『南2局開始時』
    上田  32,700
    松本  15,200(親)
    陽皐  35,700
    京太郎 16,400


    「少し離されているわね……」

    「はい、ただ。まだ親は残っています。まだ、まだ終わったわけではありません」

    「そうね」


    そう言って久と和はモニターに目を向けた。
    モニターの中では京太郎が配牌を取っていた。


    『京太郎配牌』
    34m34667s【5】678p白中 ドラ4m


    (来たっ!)


    手の中にドラが2枚。タンヤオも見え、跳満まで見える手恰好。
    内心の動揺を顔に出さないように第1ツモを取った。


    『京太郎手牌』
    34m34667s【5】678p白中 ドラ5s


    絶好の引き。2度受けの微妙な部分を解消し、好形が残った。
    白を切り出し、2シャンテン。
    高鳴る心臓を抑えようと京太郎は必死になった。

    2順目に西引き。場に1枚切れていることを確認して中を先切りする。
    3順目とは9萬引きと空振りだったが、4順目に8筒を引き、絶好の一向聴。


    『京太郎手牌』
    34m345667s【5】678p西 ツモ8p ドラ4m


    西を切り出し、何を引いてもリーチを打ことを考える。
    どうしようもなく、期待が高まった。
    だが、そこから京太郎の手は動かなかった5順、6順、7順と空振りが続く。
    そして8順目。


    『京太郎手牌』
    34m345667s【5】6788p ツモ南 ドラ4m

    (なんでこの形で引けないんだ……!)


    歯ぎしりしながら引いてきた南を見つめる。
    生牌。もう中盤ということもあり、若干の怖さもあったが京太郎はその南を切り出した。
    発声はかからず、ほっと胸をなでおろす。
    そして次順。


    『京太郎手牌』
    34m345667s【5】6788p ツモ南 ドラ4m

    (なんだよこの南!)


    即座にツモ切りする。そして、その直後だった。


    「リーチ」


    陽皐がそう宣言する。
    感情が全く見えないその姿にその声に歯噛みした。


    (くそ、この手で先制されるのかよ!)


    内心の苛立ちを隠しながら、陽皐の捨て牌を見る。


    『陽皐捨て牌』
    二五三⑨西9
    北67r


    独特の捨て牌であったが、自分が聴牌したときに出る牌は全て現物だった。


    (聴牌したら追っかける!)


    そう強く願いながらツモ牌に手を伸ばした。


    『京太郎手牌』
    34m345667s【5】6788p ツモ南 ドラ4m

    (っ!)


    まさかの南連続3枚引き。頭がかっと熱くなるのを京太郎は感じた。
    多少強打気味になってしまいながらも、南を切り出した。


    「ロン」


    だが、その打牌を咎めるように。


    「リーチ一発混一色七対子ドラ2」



    陽皐は手を倒した。


    『陽皐手牌』
    11225588s東東中中南 ドラ4m 裏ドラ2p


    「16,000」


    上田  32,700
    松本  15,200
    陽皐  51,700(+16,000)
    京太郎 400(-16,000)


    ぐにゃりと、京太郎の視界がゆがむ。
    その場に倒れこみたかった。逃げ出したかった。


    「は……い……」


    それを何とかこらえ、返事を返し、震える手で点箱から点棒を差し出した。
    それを淡々と自分の点箱に仕舞い込み、牌を落としていった。
    京太郎も牌を落とす直前に自分の手牌を見た。


    『京太郎手牌』
    34m345667s【5】6788p


    成就しなかった跳満手。
    受け入れも広く、どうしようもなく期待は高かった。


    (くそっ!)


    苦しい何かを振り払うように、京太郎も牌を卓に落としていった。


    「インターミドル3位の成績では伊達ではない! 山を読み切っていたのか? ここで陽皐の倍満が炸裂です!」


    実況席では男性アナウンサーが興奮気味に叫んだ。
    沢山の高校生が打っているこの会場だが、有名選手の卓と会って実況対象をなっていた。


    「この上ないタイミングだったな。これはある種試合を決定づけたか」


    アナウンサーの隣で解説としているプロ、藤田靖子も感心したような声を上げた。


    「しかし、これは清澄高校の彼の精神が心配だな」

    「えぇ。……あぁ、手が震えています。南を暗刻被りしての倍満打ち込みですからね。これは、心が折れても無理はありません」

    「あぁ。だが、折れてしまっては未来がない。最後まで戦い抜く意志を持ったやつじゃなければ……まくることはできない」


    そう言いながら、必死で震えを抑えながら南3局の配牌を取っている京太郎を見ながら言った。


    「ここから、彼がどう立ち回るのか。個人的にはそれにも注目してみたい」


    腕を組み何かを考え込んでいるかのような口ぶりだった。


    「ピンチの時、逆境の時こそ雀士の質が問われる。私はそう思っている」


    京太郎の精神状態は混乱の極みにあった。


    (なんだよ、なんだよあの待ち。っていうかタイミング良すぎだろ。倍満って)
    (やばい、400点しかない。リーチも打てない。どうする、どうする)
    (親、親は残ってる。次が親だ。そこで、なんとか、何とかしなくちゃ)


    牌を取るときにポロリと1枚落としてしまう。幸い見えることはなかったが呼吸を整え、その牌を拾った。


    (落ち着け、落ち着け、まだ、まだだ。終わったわけじゃない)


    配牌を取り終わる。京太郎の手元には伏せられた13枚の牌があった。


    (頼む。高い手じゃなくてもいい。何とか、上がれる配牌で……)


    京太郎は何かに祈りながら、牌を起こしていく。


    (頼むよ……)


    手牌が見えてくる。手の震えから崩してしまいそうになるのを必死で堪える。


    (頼む!)


    もはや悲痛な叫びのような願いだった。
    これほど強く願ったのは京太郎の人生で初めてだった。
    だが、その願いが届くことは





    『京太郎配牌』
    27m336s149p東北北白中



    なかった。



    時間は少し戻り、南二局。
    京太郎がなかなか聴牌を入れられず焦れているとき、控室でも落ち着かない様子で京太郎の手を見守っていた。
    8順目、生牌の南を引いてきた京太郎を見ながら咲が苦しそうに言った。


    「欲しい牌はまだ山に残ってるのに……お願い、引いてきて」

    咲が苦しそうな理由は陽皐にあった。彼は先ほど字牌を重ね混一色七対子の聴牌を入れていた。


    『陽皐手牌』
    112255688s東東中中

    「大丈夫、大丈夫です。単純な確率から言って須賀君のアガリのほうが……」


    和のそんな言葉は尻すぼみになって消えていった。
    モニタ上では陽皐が7索を引いてきて、6索と待ちを入れ替えていた。
    京太郎は南をもう一枚引いてきてそれをツモ切る。


    「正直……呪われてるとしか思えないぐらい、手が入らないわね」


    2枚並べて切られた南を見て久は苦しそうに言った。
    優希はその言葉を振り払うように、だがそれでもどこか、不安を隠すように言った。


    「大丈夫だじぇ! 京太郎だって、あんなに頑張ったんだじぇ。きっと……」


    モニタの中で陽皐が南を引いてきた。ここで、彼の手が止まった。
    そして、何かを考えた後、陽皐は7索を切り出してリーチを打った。


    「……地獄待ち? だったら、何故北でリーチを打たなかったんですか」


    8順目に切られた陽皐の北。それはすでに2枚切られており、地獄待ちを避けたのかその時は6索待ちを選択した。


    「あまりにも一貫性がありません。何を考えているんでしょうか」


    だが、それでも控室の中では嫌な予感、嫌な空気が流れていた。
    京太郎がリーチの発声に若干体をびくりと反応させた後、山に手を伸ばしていく。
    京太郎の闘牌をみていた全員、何かの予感があった。
    だが、全員、それが起こるまではありえないと一蹴し、こう思っていた。

    ――まさか、引くはずがない――

    だが、それでも、それでも京太郎は引いてきた。
    連続で、3枚の南を。


    「嘘じゃろ……」


    まこが絶句する。他のメンバーもありえない引きに言葉を失っていた。


    「だめ、京ちゃん、だめだよ」


    うわごとのように咲が画面に向かって呟く。
    画面の中の京太郎はいら立った様子で南を河に叩きつけようとしていた。


    「だめっ! 京ちゃん、やめてっ!」


    咲のその声はもはや悲鳴だった。
    だが、隔離された対局室にはそれは届くことなく、南は場に打ち出された。
    そして、投げられた牌に対して当然のようにアガリを宣言し、無情にも点数を告げた。
    モニタの中の京太郎は、震えながらもなんとか倍満の支払いをしていた。


    「酷い、酷いよ……京ちゃんが、京ちゃんが何をしたっていうの。あんなに、あんなに頑張って……」


    咲の眼から涙がこぼれる。


    「ありえないです、こんな、こんなオカルト……こんな」


    和も悲しそうに、悔しそうに顔を伏せた。


    「ま、待つんだじぇ。親は、オーラスの親はまだ残ってる。この、この南3局を乗り越えれば……」


    虚勢が丸わかりの声だったが、優希は必死にそうやって二人に言葉をかけた。


    「そうじゃ、まだ、まだ終っとらん」

    「えぇ。この一局を何とかしのいで、できればリー棒を作って、オーラスの親に臨めれば……」


    まこと久も何か祈るような視線でモニタを見つめ続けた。
    和は小さく頷きつつも手元のメモに記入した。


    『南三局開始時』
    上田  32,700
    松本  15,200
    陽皐  51,700(親)
    京太郎 400


    京太郎が配牌を取っていくのを5人も固唾を飲んで見守った。
    京太郎が、配牌を取り終り、恐る恐る配牌を見た。
    そして、モニタにも京太郎の配牌が映し出された。


    『京太郎配牌』
    27m336s149p東北北白中

    「あぁ……」


    何かが折れたような、普段からは想像もできないような声が優希の口から漏れた。


    「和ちゃん、これって……」


    先は目の前の現実を信じられないかのように、和に問いかけた。


    「……最速で七対子の四向聴です。普通の面子手もしくは国士無双として見るのであれば」


    そこで顔を伏せ何かに耐えるかのように、苦しそうに続けた。


    「六向聴です。私だったら、状況が許すのであればこの時点でオリを検討します」


    ですが、と言葉を置いて和は過酷な現実を告げた。


    「須賀君には、点数がありません。流局したときノーテンで、誰か一人でも聴牌を宣言したら、ノー聴罰符でトビです」

    「そんな、そんな……」

    「だから、須賀君は何が何でも聴牌を取りにいかなくちゃいけません。でなければ、最後の親をする前に……」


    自分が口にしている現実があまりにも絶望的すぎて和の眼にも涙が浮かびそうだった。
    咲は、堪えきれないように顔を手で覆って鳴き声を漏らした。


    「酷いよ、何で、何でこんな、京ちゃんばっかり。何で京ちゃんだけが苦しまなくちゃいけないの」


    咲のすすり泣きの声が部屋の中に響く。和も優希も顔を伏せて何かに耐えているようだった。
    そんな3人の様子を見て久が何かを言おうと息を吸ったが、その前に凛としたまこの言葉が響いた。


    「顔を上げぇ!」


    普段はほとんど聞けない、まこの大きな、鋭い声に3人はびくりと体を震わせた。


    「苦しいのはわし等か? 違うじゃろ。あそこで、あそこで……」


    まこも、必死で何かに耐えながら、息を吸い込み3人を見渡して言った。


    「あそこで何も、何もない状態で必死に戦っている京太郎じゃ!」


    モニタの京太郎を指差した。京太郎は震えながら自分の配牌を見つめていた。


    「その姿を、わし等が、仲間のわし等が見届けてやらないでどうする! 応援してやらないでどうする!」


    それを聞いて、和と優希ははっとした様子で顔を上げる。
    咲も涙をぬぐいながらモニタを見つめた。
    そして、手を祈るようにくみ、祈るように言った。


    「京ちゃん、京ちゃん……頑張って、頑張って」


    その言葉に優希と和も続いた。


    「京太郎、大丈夫。まだやれるじぇ! 頑張れ!」

    「須賀君。そんな絶望的な状況から勝ち上がった例なんていくらでもあります。だから、だからあきらめないでください!」


    遠い対局室にその言葉は届かないだろう。
    だが、それでも3人は京太郎の勝利を願い、祈り、応援の言葉を口にした。


    「京太郎、わし等が見守ってるけぇ。頑張るんじゃ」


    そんな言葉を口にするまこを見ながら、嬉しさと、ほんの少しの嫉妬心を抱えながら久は思った。


    (貴方は私をすごい部長ってもてはやしてくれるけど……。そんなことない。立派な部長よ、まこ。私より、ずっと、ずっと)


    息を吐いて天井を見上げた後、モニタに向き直った。


    「頑張って、須賀君。皆、応援してるわ。だから、だから……」
    (自分に、負けないで)


    久は最後の言葉は口に出さず、心の中で願った。

    京太郎の心にパキパキとひびが入っていく。
    理不尽なツモ、理不尽な振込み、理不尽な配牌。
    大切な何かが壊れようとしている、折れようとしている。
    そんな中、親の陽皐が第1打に1筒を切り出す。
    京太郎はそれにつられるように漫然とツモに手を伸ばした。


    『京太郎配牌』
    27m336s149p東北北白中 ツモ5m ドラ西

    (六向聴が五向聴になったけど、どうするんだよ、これ……)
    (国士? 6種7牌で? ありえない。何が何でも聴牌取らなくちゃいけないんだぞ)
    (七対子か? いや、そんなもん聴牌欲しいときに狙うもんじゃない……)
    (あぁ……何も、わからなく、なって)


    実況席の2人はそんな京太郎の姿を見ながら話していた。


    「清澄高校須賀、第1打から長考に入ります」

    「どちらかというと、これからどうすればいいのか途方に暮れているんだろうな」

    「確かに、聴牌欲しい状況でこの配牌は……」

    「五向聴。面前で行くには苦しすぎるが鳴くには役がない。リーチも打てないという何もかもが悪すぎる状況だが」


    モニタ上で青い顔をしている京太郎をこつこつ、と指でたたいた。


    「だが、もう牌は配られた。これで何とか勝負をするしかない。さぁ、どうする?」


    (まだだ、落ち着け。とにかく、受け入れを、広く。広くするんだ)


    京太郎は長考の末、1筒を切り出した。


    (真ん中を、集めるんだ)


    朦朧とする意識、折れそうになる心。
    それらを必死に繋ぎ止める。


    【2巡目】
    『京太郎手牌』
    257m336s49p東北北白中 ツモ5s 打東

    (これで、向聴数アップ……っていうかこの手恰好じゃ向聴数が上がらない引きのほうが少ないか)


    そういったことを考えていると、対面から北が出た。
    その北を鳴くか京太郎は考えるが、この巡目で役無しには受けられず、それをスルーした。
    そして、場は続く。


    【3巡目】
    『京太郎手牌』
    257m3356s49p北北白中 ツモ9s ツモ切り

    【4巡目】
    『京太郎手牌』
    257m3356s49p北北白中 ツモ6p 打中

    (役牌……出来たら重ねたい)


    場に2枚出てしまった中をみて京太郎もそれに倣い中を切り出す。
    この苦しい手恰好では役牌は是非とも欲しいところであった。


    【5巡目】
    『京太郎手牌』
    257m3356s469p北北白 ツモ6s 打9p

    【6巡目】
    『京太郎手牌』
    257m33566s46p北北白 ツモ3p 打2m


    6巡目の打牌が終わったタイミングで京太郎は自分の手を見つめなおす。


    『京太郎手牌』
    57m33566s346p北北白 

    (駄目だ……大分ましな形にはなったけど、面子ができない)


    ぴしりと心のヒビが大きくなった音が聞こえる。
    京太郎はその音を聞かないようにして、もう一度場を見た。
    ちょうどそのタイミングで、親の陽皐から場に2枚目となる白が切りだされる。


    (くそ、この白も、駄目か)


    とりあえずこの白は安牌として抱えることに決め、自分のツモ牌を引いた。


    【7巡目】
    『京太郎手牌』
    57m33566s346p北北白 ツモ1m ツモ切り

    【8巡目】
    『京太郎手牌』
    57m33566s346p北北白 ツモ撥 ツモ切り

    【9巡目】
    『京太郎手牌』
    57m33566s346p北北白 ツモ1p ツモ切り

    (この忙しいときに……!)


    3連続無駄ヅモ。1筒を河に捨てながら京太郎は心の中で焦りを感じていた。
    あと8順。単純に考えてあと8順の間に3枚の有効牌を引いて来なければならない。


    (頼む……来てくれ)


    その9巡目、現在3着目の北家、松本は力を込めてツモを取った。


    『松本手牌』
    【5】6m45567788s567p ツモ7m ドラ西

    (持ってこれたっ!)


    リーチをかければ出上がり跳満ツモり倍満確定。理想的なタンピン三色であった。
    松本は手元の点数を確認しながら思案した。


    (もう親はない。さすがにこの点差でトップを取りに行くのは無理だ)
    (そもそも、次があるかどうかわかんねーな……清澄が飛んじまう。ならっ!)


    力強く発生して、松本は7索を場に切り出した。


    (リーチかけてツモなら2着だ。ここは当然っ!)


    「リーチっ!」


    (マジかよ……)

    先制される。この手恰好から考えれば当たり前の話なのだが、余りにも苦しい状況であった。
    そのリーチを受けて陽皐は手出しでリーチ宣言牌の7索を切り出す。
    そして、京太郎のツモ番


    【10巡目】
    『京太郎手牌』
    57m33566s346p北北白 ツモ西 ドラ西


    (ド……ラ?)


    場を見渡す、どこをどう見ても西は切られていなかった。
    超がつくほどの危険牌。吐きそうになりながらもその西を手に仕舞い込み、確保していた白を切り出した。
    とりあえず1順しのぐが、あくまで問題を先送りにしたにすぎなかった。
    そして、次なる試練が京太郎を襲った。

    その10巡目、現在2着目の西家、上田はそのツモを見て長考に入った。


    『上田手牌』
    234m4【5】78s5567p西西 ツモ6s ドラ西


    絶好の聴牌。ただ、親の現物は7索しかなく、それを切るということはほぼアガリを失う1打であった。


    (つーか、そうした所で他の現物はないしな)
    (まぁ、何とか頭を下げて清澄が飛んでくれるか松本が届かないツモをしてくれることを願うっていう手もあるけど)


    上田はその思考を笑い飛ばした。


    (ねーよな、そんなの。役無しドラ3だけど、それにこの待ちなら戦える。ならば)
    「リーチだっ!」
    (勝負しかねーだろ! 2位は渡さねぇ!)

    その意思の元、5筒を卓に叩きつけ、1,000点棒を場に出した。
    その二件リーチを受けて陽皐は自分の手を見た。


    (何とか間に合ったか、やれやれ)


    『陽皐手牌』
    6789m33s999s8p西撥東


    陽皐は途中で西をつかみ、その時点でこの局を諦めた。
    2着目の風でドラ。生牌とあっては切れるものではない。
    何事もなければ点数的にほぼ2着以上は確定している状況。
    方向を修正して、安牌を抱え込んだのが正解であった。
    撥も東も場に切られており、最低2順は稼げる。

    ちらり、と京太郎を見る。
    そこには必死に押し隠そうとしているが苦渋の色が漏れている京太郎の姿があった。
    恐らく、前局の倍満振り込みが尾を引いているのだろう。


    (精神状態はもう限界って感じだな。残り400点じゃ無理もないけど)


    前局の南地獄単騎リーチに深い意味はなかった。
    ただ、彼の中の第六感的なもの、感覚的なものが南でリーチを打てと告げていたから、打ったにすぎなかった。
    デジタルとはかけ離れたカンの世界だが、陽皐はそれで勝ち続けてきた。
    誰に何と言われようと譲る気はない自分のスタイルであった。


    (女子チャンプの原村和がいるあの清澄高校だからどれほどの選手かと思ったけど、まぁ、全員が全員強いわけじゃないよな)


    そう思いながら、撥を切り出した。
    それを受けて幽鬼のような表情で牌をツモる京太郎の姿を見て、彼の第六感的なものが告げていた。

    ――こいつ、飛ぶな――


    【11巡目】
    『京太郎手牌』
    57m33566s346p北北西 ツモ5m ドラ西

    (が……ふ……)


    危険牌じゃない牌を探すほうが難しい状態。
    あまりの状況に涙が出そうになる。
    京太郎はもう一度場を見渡した。


    『上田捨牌』
    一中撥白八⑨
    撥九四5r

    『松本捨牌』
    南北中東⑨東
    六27r一

    『陽皐捨牌』
    ①③⑨八南二
    白三27撥

    (なんだよ、この状況)


    共通的に通りそうなのは北の対子のみ。
    ただ、これを切れば当然向聴数は下がる。
    もう11巡目、北を落としたところで間に合うかどうかは非常に疑問であった。
    「絶望」の2文字が京太郎の頭によぎった。


    (なんで、俺ばっかり……)
    (無理、だったのか。やっぱり)
    (もってやるやつに勝ちたいっていうのは)


    北に、手をかける。それを河に投げようとする。


    (そう、無理だったのか……不相応な、願いだったのか)


    ひびの入った彼の心がそれを後押しする。


    (北を切ってとりあえず回って、聴牌とれたらいいな)
    (そうだよ、しょうがない、これはしょうがない)
    (しょうがないんだ)


    指に力を込めて、北を持ち上げる。


    (もう諦め……)


    心が、今にも折れそうだった。


    そして、その北を――

    (……違う!)


    だが、それでも京太郎は北を切らなかった。
    すんでのところで、踏みとどまった。
    ヒビだらけ、傷だらけの心であったが、それでも踏みとどまった。


    (闘うって、決めたんだ。最後の最後まで。諦めずに、前に進むって決めただろ!)


    西に指を向ける。超危険牌だがもう迷いはなかった。


    (そうだ、格好にこだわるな。みっともなくてもいい、鼻水やら鼻血垂らしながら、泣きながら、這いつくばりながらでもいい)


    そして、西を河に、投げた。


    (どんな姿でもいい。だから、最後まで、諦めるな!)


    場に、打ち出される西。


    (通ってくれっ、頼むっ!)


    発声は、かからなかった。


    「これは、手を膨らませたの仇になったか! 手の中が危険牌だらけの状態。これは、厳しい!」


    アナウンサーがあまりの悲惨さに悲痛な声を上げた。


    「藤田さん、幸い今の西を通すことはできますけど、この状況は……」

    「あぁ、かなり厳しいな。面子がないのには変わりないしな」


    何か面白いものを見つけたように、まくりの女王と呼ばれているプロはにぃ、と笑った。


    「しかし、一瞬北の対子を落とすか悩んだようだが……腹、括ったみたいだね」


    笑みが崩れない。何かを楽しむかのように、モニタを見続ける。


    「うん、いいまくりが、見られる気がする。なんとなくだがね」


    1枚の牌を切っただけで、京太郎の精神は大きく削れた。
    通ったことが確定したのだとわかっても、動悸が激しい。


    (とにかく、通ったんだ)
    (まだ、行ける。まだ、戦えるんだ)


    涙がこぼれそうになる。叫びだしたかった。それでも必死に歯を食いしばった。
    呼吸を整え、場を見る。下家も対面もアガリ牌は引けなかった。
    陽皐は対面がツモ切った6萬に合わせて手出しで6萬を切った。
    そして、その6萬に反射的に飛びついた。


    「チーッ!」


    【12巡目】
    『京太郎手牌』
    5m33566s346p北北 チー567 打5m

    「そこからチー? で、でも役が」


    普段自分が目にしないものを見て、驚いた様子で咲が声を漏らす。
    そんな咲に幾分かは落ち着いた様子で和が言った。


    「もう終盤です。須賀君は形式聴牌をとりに行ったんです。さっきも言ったようにように、聴牌を取らねばトビですからね」


    画面の中では京太郎が本当に苦しそうな顔をしながら危険牌である5萬を切り出していた。


    「じゃが、この形は……」


    まこは京太郎の手恰好を見て唸るように言った。
    直後、対面が北を切る。それにも飛びつく京太郎。


    「ポンッ!」


    モニタの中で必死の形相で北を仕掛ける。


    【13巡目】
    『京太郎手牌』
    33566s346p ポン北北北 チー567 打6p


    6筒も超危険牌だが京太郎は何とか切った。


    「あ、あぁ、この形は」


    優希も気づいたようにうめき声をあげた。


    『京太郎手牌』
    33566s34p ポン北北北 チー567

    『松本手牌』
    【5】67m45567788s567p

    『上田手牌』
    234m4【5】678s567p西西


    「聴牌したら、当たり牌が出ちゃうじぇ……」


    暗い顔で和が頷いた。


    「……9索はもう全枯れですから考えなくていいとして、3索も6索も全員の手で使い切っています」


    酷な現実を告げるように、和は続けた。その表情は非常に重苦しいものだった。


    「つまり、3索や6索を暗刻らせて放銃を防ぐのは無理……ですね」

    「えぇ。願わくば須賀君が2筒か5筒を先に引いて5索切りのシャボ受けにしてくれることを祈るのみね」

    「でも、それって、4索か7索を先に引いちゃったら……」


    最後に咲が言ったその言葉に返事を返すものは誰もいなかった。


    【14巡目】
    『京太郎手牌』
    33566s34p ポン北北北 チー567 ツモ7m

    (また危険牌っ!)


    のたうちまわりたくなるほど苦しい状況だったが、そのままツモ切りしていく。
    発声はかからなかったが、先ほどから京太郎が危険牌を切るたびに心臓が削り取られていくよう感覚だった。
    京太郎はこの4枚連続の危険牌切りで心臓がなくなってしまったのではと思うぐらいであった。


    (もう、時間がない。そんなにツモがない。そろそろ引かないと、マズイ)


    そして、何も発声がかからないまま再び京太郎のツモ番が回ってきた。
    そこに書かれた絵柄を見た瞬間、京太郎の心臓は跳ねた。


    【15巡目】
    『京太郎手牌』
    33566s34p ポン北北北 チー567 ツモ4s


    (……来たっ! ようやく聴牌!)


    京太郎にとって、待ち焦がれていた聴牌となる牌だった。


    (よし、この牌が通せればっ!)


    そう思いながら、京太郎は3索に手をかけた。
    清澄高校控室では京太郎は4索を引いた瞬間に悲鳴が上がった。


    「そっちを、引いてしまったか……」


    まこが天を仰いだ。画面の中の京太郎は3索に手をかけていた。


    「あとちょっと、あとちょっとだったのに!」


    咲が悔しそうに拳を握りしめた。


    実況席の2人も思わず声を漏らした。


    「あー、引いてしまいました。これで聴牌ですが、当たり牌が出る形」

    「あぁ……本当に、頑張ったんだがな」


    そう、その対局を見ていた会場の誰もが京太郎の振り込みを確信していた。
    そして、京太郎本人も3索を切ろうとしていた。
    牌を持ち上げ、河に切り出そうとした瞬間、それが目についた。


    『上田捨牌』
    一中撥白八⑨
    撥九四5r【5】九
    ⑧中

    『松本捨牌』
    南北中東⑨東
    六27r一六2
    ⑥

    『陽皐捨牌』
    ①③⑨八南二
    白三27撥西
    ⑧

    『京太郎捨牌』
    ①東9中⑨二
    一撥①白西五
    ⑥七


    京太郎はそれに気づいた。気づいてしまった。


    (……いやいやありえないだろ。仮に一人に通用してももう一人には通用しないぞ)
    (それに、切らないとしてもどうするんだよ。もう順目は残ってないぞ?)
    (大体、止めたとしてもどっちにしろ危険牌切らなくちゃいけないんだぞ? ありえない)


    京太郎は頭では必死に3索を切れと訴えかけた。
    だが、体が反応しない。
    気付いてしまったから、体が動かない。


    (……わかったよ)
    (そうだよな。最後くらい、自分のそれを、信じてみたいもんな)
    (行こうか、信じたほうへ)


    長考であった。そして、京太郎は散々迷い、苦しみぬいて牌を抜いた。




    33566s34p ポン北北北 チー567 ツモ4s 打4p



    その打牌を見た瞬間、清澄高校部室では悲鳴とはまた違う驚きの声が漏れた。


    「す、4筒!? なんで!?」


    優希が驚きの声を上げる。


    「ど、どうして? どうして?」


    放銃を回避したはずなのだが、余りに不可解な打牌に咲も喜びより驚きが出ていた。


    「わ、わかりません。3筒4筒が安牌というわけでもありませんし……」

    「……不可解だけど、何かに気づいて、3索6索が危ないってわかったのかしら。というか、そうとしか考えられないわね」


    和の動揺した声に久も自分の言っていることに疑問を感じながらそう予想した。


    「た、確かに3索6索を止めると考えれば3筒4筒を払うのが一番広い、な?」

    「え、えぇ。9索以外の索子を引けば聴牌ですが……」


    一同は呆然としながらもモニタを見ながら京太郎の手牌の行く末を見守った。


    その驚きは実況席でも同じであった。


    「ふ、藤田さん。私はてっきり3索か6索を切ると思ったんですが、これは、どういうことでしょうか?」


    アナウンサーが戸惑いながら靖子に助けを求めるが、考え込んだ後首を振った。


    「正直、わからん。私も3索を切ると思っていた。まぁ、確かに場に索子は高いが、筒子が通る保証は全くないしな」


    むしろ危険だ、そういって言葉を締めくくった。


    「そうですよね……清澄高校、須賀。いったい何を考えているんでしょうか?」

    「何を考えたのか、もしくは何かを感じたのか……やっぱり何か、起こりそうだな」


    (通った、か)


    京太郎は吐き気を堪えながら切った自分の4筒を見つめていた。
    か細い理論、直感とある種の感情に任せて切った牌だったが、通った。


    (だがこれからが問題だ)


    余りツモは残っていない。その数少ないツモで聴牌を入れなくてはいけなかった。
    心臓だけじゃなくて全身の血管が破裂しそうなほどの何かを京太郎は感じていた。
    ツモ牌に手を伸ばす。


    【16巡目】
    『京太郎手牌』
    334566s3p ポン北北北 チー567 ツモ4p 打3p

    (お前じゃない!)


    【17巡目】
    『京太郎手牌』
    334566s4p ポン北北北 チー567 ツモ3m ツモ切り

    (お前じゃないんだ!)


    内心のその声はほとんど悲鳴であった。
    残すツモはたった1枚。ここで引けなければ終りであった。
    京太郎の番が、回ってくる。


    (頼む)


    ツモ山に震える手を伸ばす。


    (引かせてくれ)


    最後の1枚に手を触れる。


    (ここで、終わりたくない)


    そしてゆっくりと


    (まだ)


    牌を、ツモった。




    (麻雀がしたい!)


    その後、3人とも最後の1枚をツモり、流局となった。


    「ノーテン」


    親の陽皐が手を伏せる。そして南家の京太郎に3人の注目が集まった。
    だが、京太郎の体は動かない。


    「君、宣言を」


    審判員に注意を受け、その時漸く流局になったことに気づいた京太郎はびくりと体を震わせた。
    そして、カラカラに乾いた口を開き、ゆっくりと牌を……倒した。



    「聴牌」




    『京太郎手牌』
    3345668s ポン北北北 チー567m


    京太郎はリーチ者2人の聴牌形をみて、内心ほくそ笑んだ。


    (まさか本当に3索6索がアタりとはなぁ……麻雀の神様ってのは俺のことが嫌いなのか好きなんだか)


    そう思いながら、京太郎はアガれずに若干悔しそうなリーチ者2人と、
    何やら京太郎の手を驚愕の顔で見ている陽皐を見渡して、内心うそぶいた。


    (どうだ、止めてやったぜ? ざまあみろ!)


    上田  32,700(+-0)
    松本  15,200(+-0)
    陽皐  48,700(-3,000)
    京太郎 1,400(+1,000)
    (供託2,000点)


    その聴牌形を見て陽皐は愕然としていた。
    牌はもうすでに落とされており、オーラスの山が積まれていたが、それは陽皐の脳にはっきりと焼き付いていた。


    (形式聴牌なのは想定通り。待ちが愚形なのはどうだっていい)
    (だが、何故。何故その3-6索が止められたんだ!?)


    自分の勘が外れたこと、ありえないブロックに陽皐の精神は激しく混乱していた。
    まるで前局の京太郎のように若干の震えを伴いながら陽皐は配牌を取った。


    (全ツッパだったはずだ。オリなど考えていなかったはずだ)
    (なのに、何故そこが1点で止められるんだ!? 止めたことで切った3筒、4筒だって相当な危険牌だろ!?)


    配牌を取り終わる。陽皐にとってはあるはずのないオーラス。


    『陽皐配牌』
    223m99s356p東西白白白 ドラ7p


    面子候補は足りていないが好形。
    役牌もあり、流すにはもってこいの形だった。


    (とにかく、とにかくだ。さっさと蹴って終わらせる)


    そう思いながら第1ツモを手に取る。4索を引き、さらに形がよくなる。
    西を切り飛ばし、2巡ほど空振り4巡目。


    【4巡目】
    『陽皐手牌』
    223m99s3456p東白白白 ツモ5p ドラ7p


    磐石の形。ポンにもチーにも行ける理想的な形だった。
    東を切り飛ばす。だが、1巡空振りして次の6巡目だった。


    「リーチっ!」


    3着目、松本からの早いリーチが入った。
    捨牌を確認する。


    『松本捨牌』
    628北九⑧r

    (また妙な捨て牌だな……)


    そう思いながら自分のツモに手を伸ばす。


    【6巡目】
    『陽皐手牌』
    223m99s34556p白白白 ツモ4m ドラ7p


    ストレートな聴牌。だが2萬という危険牌を切ってまで聴牌を取る気はなかった。
    何も考えず、ノータイムで9索の対子を手に取り場に打ち出した。

    精神的な動揺があったのかもしれない。
    万全の状態であれば勘が働き何かを察知できたのかもしれない。
    だが、それはすでに場に打ち出され


    「ロン!」


    アガリを、宣言された。


    『松本手牌』
    111789m1119s111p ドラ7p

    「リーチ、一発、純チャン、三色、三暗刻」


    松本はゆっくりと役を数えた。
    そしてゆっくりと裏ドラに手を伸ばし、めくった。
    裏ドラは、9索。今ちょうど、陽皐が切った牌であった。


    「……裏2! 三倍満で24,000は24,300!」


    まくられた。陽皐がその現実を認識するのに多少の時間がかかった。
    長かった対局が、終わった。


    『終局』
    上田  32,700
    松本  41,500(+26,300)
    陽皐  24,400(-24,300)
    京太郎 1,400


    それが決まったとき、実況席は一瞬の沈黙に包まれた。


    「まさか、まさかの……インターミドル3位、陽皐がここで敗退です!」


    あまりにドラマティックな展開にアナウンサーも最初言葉を失った。


    「素晴らしいまくりだ、いい物を見れた」


    隣でまくりの女王が満足そうな顔をして微笑んだ。


    「藤田プロの言うとおりになりましたね……ここまで劇的な大まくりが出るとは……」

    「そうだな。まず3着目の松本、南3局で大物手を潰されたのにもかかわらず、腐らずオーラスに望んだ」
    「その執念をまずは褒め称えたい」


    そして、と前置きしつつモニタの中でうなだれた表情をする京太郎をみた。


    「自身は及ばなかったが、このまくりが出たのは南3局で清澄の彼が土俵際であきらめず踏ん張ったからだな」

    「えぇ。普通であれば彼が飛んでこの局はなかったわけですからね」

    「あぁ。無論彼は悔しいだろうが……。まだ若い」


    モニタをこつりと指で軽く叩いて微笑みながら言った。


    「この先もあのように諦めなければ、きっといい雀士になるな」


    「ありがとうございました!」


    対局後、挨拶の後喜びを隠せないように1位と2位は弾かれたように対局室を飛び出していった。
    京太郎はそれを気にもせず、目の前の牌をぼんやりと眺めた。


    『京太郎手牌』
    456m224789s57p東東


    東が鳴ければ、勝負になっていた。
    だが、東は山に深く、場に打ち出されることはなかった。
    結局京太郎の新人戦は一度もアガることなく、終わった。


    「少し、いいかな?」


    そうやって京太郎が自分の手を見続けていると声がかけられた。
    京太郎ほどではないが、暗い顔をした陽皐だった。


    「……なんすか?」

    「いや、すまん。俺と話なんかしたくないとは思う。だけど、教えてほしいことがある」


    陽皐は京太郎の返事を聞かないまま、殆どめくられることがなかった山を返し、京太郎の前に牌を並べた。


    「南3局で2軒リーチが入ったてから、途中でこんな手格好があったと思うんだが?」


    『京太郎手牌』
    33566s34p ツモ4s ポン北北北 チー567

    「あぁ、はい……」


    京太郎はその手牌を見ながらあの時の状況を思い出し、頷いた。


    「教えてほしい。何でここから、3筒と4筒を切り出していったんだ? 何故聴牌を取らなかったんだ?」


    納得がいかないと言った顔をして陽皐は続けた。


    「確かに、3索と6索は危険牌だった。だが、それまでも無筋を切り続けていたし、3筒と4筒だって安全じゃない。むしろ危険牌だ」


    拳を握る陽皐。敗北の悔しさが徐々にこみ上げてきたのか、その言葉には有無を言わせない何かがあった。


    「教えてくれ、頼む」


    沈黙が流れる、陽皐は話すまで梃子でも動かないと言った空気が感じられた。
    京太郎はそれを受けて若干悩んだ後、口を開いた。


    「あの時、対面さんの捨牌……リーチの直前、確かこんな感じだったはず。全部は覚えてないけど」

    『松本捨牌抜粋』
    六27r一

    「……確かに、そんな感じだったな」

    「ほらこれ、ここ」


    そういってリーチ宣言牌とその直前に切られた2索と7索を指差した。


    「間四ケン。だから、危険だと思ってどうしても切れなかった」

    「……はぁ!?」


    陽皐は思わず間抜けな声が聞こえた。
    間四ケン。今回のように2と7や3と8のように牌が切られた際に間のスジが危ないと言う読み筋である。
    だが、読み筋の中では当てにならないと言われる物のひとつであった。


    「あ、間四ケンって、それだけ? しかももう一人の立直にはまったく意味をなさないだろ!?」


    陽皐の語気が荒くなった。
    あれほどの1点読みをしたのだから何かしらのすさまじい理論か自分と同じ勘の打ち手だと考えていた。
    だが、蓋を開けてみればそのどちらかでもなく、誰でも知っているか細い理論であった。


    「わかってる。俺だって、馬鹿だなと思う。その証拠に切るとき、結構、迷ってただろ?」

    「……あぁ、確かに」


    京太郎の苦しそうに悩み、今にも死んでしまいそうな顔で4筒を打ったこととを思い出す陽皐。
    それでも納得がいかなそうな陽皐をみて京太郎は天井を見上げながら、何かを思い出すように言った。


    「でも、さ。間四ケンって言う知識は……」


    あの日の部室での出来事を思い出す。
    お互いに泣きながら、気持ちをぶつけ合ったあの日。
    優希と笑いながら、話したあの日と出来事を思い出していた。

    ――そうだ、聞きたいことがあったんだが……間四ケンって――

    ――読み筋の話か? 間四ケンとかよりまだ――


    「雀士としての俺が、初めて覚えたこと」

    「俺が、もってなくても、勝てなくても、それでもやっていこうって決意して、初めて覚えたことなんだ」

    「だから、どうしてもそれを信じてみたくなった」


    それだけ、と言って京太郎は黙り込んだ。
    陽皐は何かを言い返したかった。だが、何も言葉が出なかった。


    (人のこと、言えないよな。俺だってありえない打牌して周りからいろいろ言われてきたってのに)
    (自分が今までしてきたのに、自分が不条理な打牌をされて相手を咎めると言うのも、ないよな)

    「わかった、ありがとう。また、機会があったら打とう」


    軽くため息をつき、陽皐はそうやって京太郎に軽く礼を言った。


    「……あぁ」


    京太郎は、そう返すのが精一杯だった。
    心の中に吹き荒れる激情を抑えるのが精一杯でそれ以上話すことが出来なかった。
    陽皐はそれを見て何も言わず、対局室を出て行った。

    京太郎もそれから少しして、ふらつきながら対局室を出た。
    頭には霞がかかったようだった。
    控え室に向かい、会場内の通路を歩く。
    京太郎は周りは相変わらず人が多いがその喧騒が遠くから聞こえるように感じた。
    すれ違う人にぶつかりそうになりながらも、京太郎は歩く。


    (何も)


    次のステージへの進出を決めたのか、一人の高校生が周りから撫で回されたり小突かれたり、手荒い祝福を受けていた。


    (何も、できなかった)


    このステージで敗退したのだろうか、一人の高校生が涙を流していて、顧問と思われる壮年の男性が何も言わずに頭を撫でていた。


    (終わっちゃったんだ、な)


    周りから自分はどう映っているのか、京太郎はそんなことを考えるがわかりったことだ、と即座に切り捨てた。


    (俺の、新人戦)


    ぼんやりとする頭の中で京太郎は自分の置かれている状況を少しずつ理解していく。
    そんな時、目の前に見知った顔が居た。通路に立っている5人の顔。
    まこ、優希、和、咲、久。皆それぞれ、痛ましい顔で京太郎を見ていた。


    「京、ちゃん」


    咲が京太郎の名を呼ぶが、その後が続かなかった。
    咲は必死に慰めの言葉、励ましの言葉をかけようと頭を巡らせるが、何を言えばいいのかわからなかった。
    それも至極当然のことであり、麻雀において常に強者で居た咲に、
    敗者に対して何を言えばいいのかわからないのは自明の理だった。

    だが、ほかのメンバーも何を言えばいいのか、わからなかった。
    あまりにも、一方的な敗北。善戦であれば何かが言えただろう。
    だが、ここまで言い訳も出来ないほど完膚なきまでに叩きのめされれば言葉に迷うのも無理はなかった。
    最後の形式聴牌で踏みとどまったことは驚きだったが、それが大した慰めにもならないことも、彼女たちは理解していた。


    (なんだよ、まったく)


    そんな5人の様子を見ながら、京太郎は苦笑した。


    (俺以上に、つらい顔しやがって)


    何か湧き出そうになる、どうしようもない感情に蓋をして、京太郎は笑った。


    「すいません、負けてしまいました」


    そう言って頭を下げる。
    それを口に出した瞬間、感情が爆発しそうになったが、それでも京太郎は耐えて、頭を上げた。


    「はは、俺なりに必死にやったんですけど、ほんと、すみません、み、みんな、一生懸命、お、俺の、た、ために」


    言葉が震えてくる。笑顔が崩れそうになる。
    そんな状況を必死でこらえながら、京太郎は続けた。


    「そ、そうだ。な、なんか飲み物でも、買ってきましょうか。ほら、ほら、その、えっと、皆、喉でも渇いたでしょ?」


    誰が見ても、無理をしているというのがわかる顔であった。
    優希が顔を伏せる。和が口に手を当てて声を押し殺す。
    そして、咲が泣きそうな顔で京太郎に駆け寄ろうとした。
    だが、その手をまこが握り、そして、京太郎に向き直って言った。


    「じゃあ、適当に頼む。金は、後で渡すけぇ」

    「わ、わかりました。じゃあ、いって、きます」


    もう限界だとばかりに、京太郎は顔を伏せてきびすを返した。
    そして、走り出す直前の京太郎にまこがもう一度声をかけた。


    「京太郎!」

    「……はい」


    振り返らず、押し殺した声でまこの呼びかけに反応する。
    まこは、京太郎が見てはいないとはわかっていても、その背中に笑いかけた。


    「会場は広いけぇ、迷うかもしれん。……ゆっくりでええからな」

    「……ありがとうございます」


    そう言って軽く頷くと、京太郎は駆け出して行った。


    「染谷先輩、京ちゃんを、その……」


    控え室に帰る道すがら、咲はそんなことを言った。
    何かを言いたかったようだが言葉にはならなかった。


    「京太郎も男じゃけぇ。プライドっちゅうもんがある。今は、一人にさせてやるんじゃ」

    「……はい」


    咲は不承不承、と言う感じで頷いた。
    その様子を見て、3人を見渡しながらまこは続けた。


    「なにより、今回の新人戦で勝者であるぬしらが敗者にかける言葉はなかろう」


    しばらく、沈黙が続くがぽつりと優希がこぼした。


    「京太郎、また麻雀がいやにならなきゃいいな」

    「……そうですね。この敗北は心にくると思います。本当に、今日は巡り合わせが悪かったとしかいいようがありません」


    和もそう言いながらどこか辛そうな表情をした。
    まこがそんな空気を払拭するかのように、大きな声で言った。


    「とにかく、京太郎を信じるんじゃ! まずは、帰ってきたら暖かく迎えてやろう。結果が伴わなかったとは言え、必死に戦ったんじゃ」


    その言葉に、3人は小さく返事を返した。
    そのとき、まこが何かに気がついたように辺りを見回した。


    「ん? ……久は、どこへ行った?」


    そういうと3人も辺りを見回したが、久の姿はどこにも見えなかった。

    会場の一番はずれにあり、辺りには控え室も無い自動販売機コーナー。
    京太郎はそこに全力で走り、辿り着いた。


    「はぁ……はぁ……」


    大した距離を走ったわけではないのだが、なぜか酷く呼吸が乱れた。
    震える手でポケットから財布を取り出す。
    小銭を取り出そうと財布の口を開いた瞬間に震えからか、財布を取り落としてしまう。
    甲高い音が響いて、辺りに小銭が散らばった。


    (何やってんだ、俺)


    心の中で愚痴りながらも、しゃがみ込む。


    「くそっ」


    小銭を拾いながら、京太郎は言葉を漏らした。
    何に苛立っているのかはよくわからなかったが、それでも何かを堪え切れなかった。


    「くそっ」


    目頭が熱くなってくる。


    「くそっ」


    鼻の奥がツンとした。小銭を拾う手が止まり、体が震えだす。
    その時だった。
    京太郎に影がかかる。その影は京太郎と同じようにしゃがみ込み、
    一番遠くにあった最後の一枚の小銭を拾い上げた。


    「はい」


    そう言うと、影――久は微笑みながら手を差し出した。


    「ぶ、ちょう」

    「部長じゃないってば」


    そう笑いながら小銭を京太郎に渡した。
    京太郎はそれを受け取り、財布に入れる。


    「ど、どうし、て?」

    「ほら、6人分の飲み物持って帰るの大変でしょ。手伝ってあげようと思って」


    久はいつもの笑いを浮かべながら京太郎に言った。
    京太郎はそれに対してどう返せばいいのかわからず黙り込む。
    そうしていると、久はせかすように京太郎の手を引いた。

    「ほら、さっさと買っちゃいましょ?」

    「……はい」


    京太郎は小銭を自動販売機にいれ、適当にボタンを教えていく。


    「ねぇ、須賀君」


    久は自販機横のベンチに座り、京太郎の買ったジュースを自分の隣に置いた。


    「なんですか?」


    京太郎は自動販売機に向かい合ったまま、答えた。
    久は少し間を空け、何かを迷う素振りをしたが、結局その言葉を発した。


    「……麻雀、嫌になっちゃた?」


    京太郎はその問いに、自動販売機のボタンを押す手を止めた。
    そして、何かを考え込む。久は黙って、その返事を待った。
    しばらくして、京太郎は途切れ後切れだが、久に向けて言った。


    「……やっぱ、悔しいです。だけど、まだ、がんばれると思います。」
    「あの南3局。たぶん、3人ともが俺のこと飛ぶって思ってたんでしょうが、なんとか、踏ん張れました」
    「ただの頼りない理論、意味も無い勘でしたけど、当たり牌、止めること出来ました。その上で、聴牌できました」
    「その瞬間、ちょっと、嬉しかったんです」
    「苦しい苦しい対局ですけど、嬉しさも見いだせました。だから」
    「だから、その、もうちょっと、がんばれるかなって、そう思います」


    そこまで言い切って、京太郎は自販機のボタンを押した。
    久はジュースを受け取り自分の隣に置いて軽く微笑み、そう、と言った。


    「さ、行きましょうか。みんな待ってますよね」

    「待って。須賀君、ちょっとこっちに座りなさい」


    ジュースを手に取り歩き出そうとした京太郎に、久は自分の隣をぽんと軽く叩きながら言った。


    「……なんですか? 何企んでるんですか?」

    「いいからいいから」


    口元は笑っていたが、どこか真剣な感じを受ける久に京太郎も何かを感じ取ったのか、言われるがままに隣に座った。


    「はい、座りました。で、なんでしょうか」


    京太郎が久に問いかける。すると、久は何も言わず、京太郎の頭を撫でた。


    「……えっ?」

    (そう、私は、あなたにとっていい部長ではなかったと思う)

    「何ですか、先輩。何を企んでるんですか?」

    (でも、あなたは私を責めることなく立派に成長した)

    「先輩?」

    (私は、あなたに対してほとんど何も出来なかった。だから)

    「どうしたんで……!」

    (これぐらいは、させて頂戴)


    そう言いながら、京太郎の頭を自分の胸に抱いた。


    「た、竹井先輩。ど、どうしたんですか? と、突然何を」

    「いいの」


    動揺した様子の京太郎の言葉をさえぎりながら京太郎は抱きしめた久の頭を撫でながら言った。


    「あなたが麻雀を続けると言ってくれたことは嬉しい。がんばれる、といって笑ってくれることは嬉しい。でも」


    さらに、京太郎の頭を強く抱きしめる。
    京太郎は久のやわらかい胸の感触を感じつつも何故か下心も無く、それに身を預けていた。


    「辛いときは、悔しいときは、泣いていいのよ?」


    その言葉に、京太郎はびくりと反応し体を震わせた。
    それでも尚、何かに耐えている様子の京太郎に久はその背中を撫でて言った。


    「辛かったわね、苦しかったわね……。須賀君が苦しい中、一生懸命がんばっていたのは見たわ。あなたは、あなたは」


    久の目にも涙が浮かんでいる。それを1回ぬぐい、再び京太郎の背中を撫でた。


    「あなたはよくやったわ。お疲れ様、須賀君」


    京太郎の精神はそれが限界だった。堪えていた何かが噴出していく。
    涙が大量にこぼれ、久の制服を濡らした。


    「うっ、うぅ、ぐ、ぐぅ……」


    引きつった声を漏らす京太郎。
    一度噴出したそれはもう堪えが聞かなかった。


    「悔しい、悔しいです。あんなに、あんなに打ったのに。みんなと、あんなに……!」

    「うん、うん」

    「ぜんぜん、うまくいかなくて、お、思い通りにならなくて」

    「うん……」

    「な、なんとかしようとしたんですけど、で、でも、どうしようも、なくて」

    「うん……!」

    「できることをしようと、おもった、のに、たいしたこと、できなくて」

    「うんっ……」

    「みんな、と、みん、なとあんなに、がんばった、のに」

    「えぇ……! あなたは、あなたは、頑張ったわ、須賀君」


    久は京太郎の言葉に頷き、自分も涙を流しながら京太郎の背を撫でた。


    「なのに、なのに、俺、俺……う、ぐ、ううううううああああああ」


    それ以降は言葉にならなかった。
    京太郎は久の胸の中で呻く様な鳴き声をあげた。
    久の腕を掴み、子供のように泣いた。
    久はそれに対して何も言わず、ただ京太郎を抱きしめて子供をあやすように背をさすり続けた。
    沸き立つ会場の片隅で、京太郎の嗚咽の声が響いた。
    それは、しばらく止むことはなかった。


    それからも京太郎はただ麻雀を打ち続けた。
    毎日毎日、打ち続けた。
    そして、毎日のように麻雀部メンバーに負け続けた。

    久が学校から去り、新入生が入ってきたときも打ち続けた。
    ほかのメンバーに比べての実力の低さを笑われるときもあったが、それにも負けずに打ち続けた。
    その真摯な姿に後輩も感じ入るものがあったのか、不思議と男女問わず信頼を得るようになった。
    もともと、人当たりのいい性格と言うこともあり、慕われるようになった。

    夏の大会で2回戦負けしたときも打ち続けた。
    男子はメンバーが集まらず団体戦には挑めず、個人戦での参加となった。
    その時、初めて公式戦で1勝をあげることができた。
    結局2回戦負けとなり、清澄は女子だけ、などと揶揄されることもあったが勝利に胸を躍らせた。

    夏の大会後、まこから部長職を引き継いだときも打ち続けた。
    京太郎は自分の実力も考えて和のほうがいいと強く固辞したが、京太郎以外の一同が京太郎を推薦した。
    結局京太郎は部長職を引き受けた。
    周りからは一番実力が無い者が部長はどうなのかと懸念の声もあったが、それでも周りが京太郎を盛り立てた。

    秋の新人戦で後輩たちが活躍したときも打ち続けた。
    数少ない男子メンバーの一人が全国への切符を手にした。
    もともと中学から打ち込んでおり、京太郎が教えられることはあまり無かったが、
    それでも京太郎は後輩をかわいがり、公開も京太郎を先輩として敬意を持って接した。
    その後輩が全国への切符を手にしたときは自分のことのように喜び、泣き、称えた。
    胴上げをした際に危うく落としかけ、まこと和に酷く叱られたこともあったが。


    そして、まこが卒業を控え最後に1卓囲んだときも京太郎は全力で打った。


    「あっという間の3年間じゃったな。もう打つことが無いと考えると寂しくなるのぅ」


    まこは麻雀中そんなことをぽつりと言った。
    京太郎はそれを聞いて、何を言ってるんですか、と前置きした後に言った。


    「みんな卒業してからでも、それこそ就職してからでも、打ちましょうよ。だって」


    京太郎はにっと笑いながら残りの4人に笑いかけた。


    「俺、まだ皆に勝ってないんですよ? 勝ち逃げは許さないです」


    そういうと、全員がとても嬉しそうに、可笑しそうに笑った。


    「そうじゃな……。うん、そうじゃったな」

    「えぇ、時間を見つけて、また皆で打ちましょう」

    「京太郎もたまにはいいこというじぇ!」

    「ゆ、優希ちゃん。それはちょっとひどいよ」

    「そうね、私も大賛成よっ!」

    「どわっ! 竹井先輩、どっから出てきたんですか!」


    そしてその局も勝てなかった。
    それでも、打ち続けた。
    辛いことがあっても、苦しいことがあっても、敗北に心が折れそうになっても、ただ、ひたすらに打ち続けた。


    ――――――――――――――――――――

    ―――――――――――

    ――――――


    「ツモ。嶺上、混一色、ドラ3。3,000-6,00です!」

    「ふぅ、最後の親が終わってしまいました……」


    咲の発声に和が呻いた。ここまで焼き鳥だった咲の改心のアガリで点棒状況は大きく変動した。


    『オーラス開始時』
    京太郎 22,300
    咲   26,600
    和   13,300
    優希  37,800(親)

    「満直跳ツモで逆転か……」


    あごに手を触れ、ざらざらとした感触を感じつつ京太郎は点棒を確認した。


    「さて、京太郎。私をまくれるかな?」


    オーラス、トップで親を迎えた優希がどこか不遜な態度でそう言った。
    それに対して京太郎は口元に笑みを浮かべた。


    「言ってろ。今日こそまくってやる」


    そう言いながら京太郎は配牌を取った。
    全員が、トップを取るために真剣な眼差しだった。


    『京太郎配牌』
    24m35779s34p東西北北 ドラ北


    ドラヘッド。この状態から何かしらの手役を作れば跳満が見える。
    配牌を見て、こういった状況で逆転の種が来てくれたことに感謝する。


    「……(今日こそ、決めるんだ)」


    場は進んでいく。優希を除く3人はごく普通の捨て牌だが和は捨て牌から国士無双であることが伺えた。


    【8巡目】
    『京太郎手牌』
    45m57799s344p北北北 ツモ6s ドラ北

    (いける、か?)


    手ごたえを感じるカンチャン引き。7索を切り出す。だが、まだ手役が足りない。
    ドラは6巡目に暗刻らせることはできた。だが、手役は見えずツモっても裏ドラ期待の手となってしまっている。


    (咲なら、ここで北を引いてくるんだろうな)


    そう思いながらツモに手を伸ばす。


    【9巡目】
    『京太郎手牌』
    45m56799s344p北北北 ツモ9m ドラ北

    (4枚目……)


    場に3枚見えている9萬。
    和の捨て牌が露骨に国士無双を訴えかけていた。
    この9萬を止めることは出来るが、それだとほぼアガリを逃すことになる。

    ――国士無双。32,000です――

    いつかの記憶を振り払うように、大きく息を吸ってから、切り出す。
    和がちらりと京太郎のほうを見るが、発声は、かからなかった。
    京太郎は胸をなでおろす。

    そして、和のツモ番になった。


    【和手牌】
    1m19s19p東東南南西白発中 ツモ北

    (一手間に合わず、ですか)


    自分はここまでだ、和はそう思いながら心の中でため息をつき、場切れの白を切り出していく。


    (後は、3人にお任せしましょう)


    そして、10巡目。


    (裏期待じゃ、駄目なんだ)


    そんなことを思いながら京太郎は山に手を伸ばした。
    裏ドラも確率である。乗る人間、乗らない人間と言うのもオカルトな話だ。
    だが、京太郎は今までの経験上、こういう状況で裏ドラ期待の手を売って乗った試しがなかった。
    ただ、聴牌したらリーチを打たざるを得ない。


    (だから、俺に、あれを……くれ!)


    京太郎は、強く念じながら力強く牌をツモった。


    【10巡目】
    『京太郎手牌』
    45m56799s344p北北北 ツモ【5】p ドラ北

    (! お前を待ってたぞ!)


    待望の赤5筒引き。これで4役。リーチをかけてツモれば文句なしの跳満である。


    「リーチ!」


    力強く発声して、場に千点棒を出した。


    (来たね、京ちゃん)


    【10巡目】
    『咲手牌』
    333【5】5578m45567p ツモ7p ドラ北


    その同じ巡目で咲も聴牌を入れる。
    ツモれば2000-3,900でトップに届く。


    (私だって、負けないよ)


    先も5筒を切り出し追いかける。
    それを見受て、優希は自分の手を睨みつけた。


    (2軒リーチか)


    もとより、優希は配牌がガタガタであり、ツモも噛み合わなかったためいまだ2向聴である。


    (こりゃ、流局期待だな)


    即オリを選択する優希。奇しくも、咲と京太郎の勝負と相成った。
    11巡目、12巡目、13巡目……。
    重苦しい場が進行していく。京太郎も咲も強く、強く念じながら牌を取っていく。
    よもやの流局か、と和が思った、15巡目。

    勝負はその巡目に付いた。


    「ツモ!」

    『京太郎手牌』
    45m56799s34【5】p北北北 ツモ3m ドラ北 裏ドラ 2s

    「リーヅモドラ4! 3,000-6,000だ!」



    『終局』
    京太郎 35,300(+13,000)
    咲   22,600(-4,000)
    和   9,300(-3,000)
    優希  31,800(-6,000)


    京太郎がそう宣言した後も沈黙が包まれた。
    そんな中、咲が嶺上牌に手を伸ばした。なんとなく咲はわかっていたが、そこにあったのは9萬。
    京太郎の引いた3萬を自分が引けばカンして嶺上ツモアガリであった。
    咲はそれを見てくすりと笑って、言った。


    「京ちゃん、トップだよ。おめでとう」


    最初京太郎は呆然と我を失っていたようだったが、見る見る顔が血色ばんできて、喜びを爆発させてた。


    「よっっっっっっっっしゃあああああああああああああああああ!」


    あまりの声の大きさに周りの卓に座っていた者たちが何事かと京太郎の達を見た。
    席から立ち上がり大きくガッツポーズをする京太郎。
    雄たけび、と言っても過言ではないような勝利の咆哮であった。
    世界中で今一番幸せなのは自分だ、そういいきれそうな満面の笑みだった。


    「す、須賀君、声が大きいです」


    和は京太郎の大声に思わずたしなめた。


    「あ、あぁ、す、すまん」


    京太郎はあわてて周りの人間にすみませんと頭を下げた。


    「まぁ、でも、無理もないなー。長かったな、京太郎?」


    優希はそんな京太郎の様子を嬉しそうに、本当に嬉しそうに見ながら言った。


    「あぁ、ほんと」


    京太郎はその言葉に頷きつつ、天井を見上げて言った。


    「ここまでくるのに、15年もかかっちまった」


    最上級生になり、それぞれの進路に向けて歩き出し、別々の道を進んでも京太郎たちはこうやって集まり時たま麻雀を打っていた。
    それぞれが働き始め、仕事や居住地の都合もあり学生時代とくらべれば頻度は下がった。全員集まらないことも増えてきた。
    それでも、その機会が途絶えることはなかった。

    そして、15年目の今日、京太郎はようやく大願を成就した。

    「まったく。もうみんなそろって三十路になっちゃったじぇ」

    優希はみんなといると時々こうやって昔の口調に戻るときもがあった。
    本人は気づいていないようだがあえてだれも指摘しなかった。


    「だな。俺らも老けたな」


    そう言いながら、京太郎は伸びてきた顎髭を撫でた。


    「……やめてください。現実に戻さないでください」

    「和は最近、年齢の話になるとそんなんだな……」

    「女にはいろいろあるんです」


    ぷいっと顔を背ける和。優希はそれを見て和をからかう。
    そして咲は感慨深げな顔をしながら微笑み、誰にともなく言った。


    「でも、とうとう、負けちゃったね、私たち」

    「えぇ。今の須賀君の実力と確率を考えれば遅すぎるぐらいですが」

    「まったくだじぇ」


    3人娘――今もこの表現が正しいかは疑問だが――は笑いあった。
    それを見て京太郎は笑いながらも少し真剣味を取り戻して言った。


    「でも、皆には感謝してるよ」

    「……どうしたの、京ちゃん?」

    「15年間、たくさんたくさん打った。たくさん負けて、いろいろあって喧嘩したり、気まずくなったこともあったよな」


    その言葉に3人は何かを思い返すような顔をしながら、京太郎の言葉の続きを待った。


    「で、やっぱり仲直りして、またぶつかったりしたりしたけど」
    「麻雀に関しては一度だって、手を抜かなかった。俺のことを1人前の雀士として扱ってくれて、いつだって全力だった」
    「卒業後もそれぞれがそれぞれの形で麻雀に携わり続けて」
    「皆、ずっと強いままで居てくれて」
    「それが、なんていうか、すごく、うれしかった」


    ありがとう、そう言って京太郎は3人に頭を下げた。
    それを見て和があわてた様に言った。


    「やめてください須賀君……どんなときでも、相手に対して全力を尽くすのは礼儀です。当たり前のことですよ」

    「そうだよ、京ちゃん。そりゃ確かに京ちゃんにも勝ってほしい、って思うことはあったけど……
    「手を抜いて京ちゃんが勝っても、それは京ちゃんを傷つけるだけだもん」

    「そうそう、ライオンはウサギを狩るのにもなんとやら、ってやつ」

    「ほざけ、タコス娘」


    最後の優希の発言につっこみを入れつつ京太郎は笑った。
    それに対して優希も笑うが、少し寂しそうな顔をして、京太郎に尋ねた。


    「なぁ、京太郎?」

    「なんだ?」

    「京太郎は、これで満足か? 私たちに勝てて、もう、満足か?」


    優希は恐れていた。
    京太郎が自分たちに勝ったことにより、満足してこうやって皆で集まる機会は失われてしまうのではないか、と。
    だからここ最近、優希は京太郎の勝利を願いつつも、心の底では勝ってほしくない。
    そんな複雑な感情を抱え、後ろめたい気持ちだった。
    だが、優希のそんな発言を京太郎は軽く笑い飛ばした。


    「なーに言ってんだよ! たったの1勝だぜ? 俺がお前らに何敗してると思ってるんだよ?」


    尋ねた後、数えるのも面倒なぐらいだ、自分で答えて軽く笑った。


    「これから俺の逆襲劇が始まる! 勝って勝って勝ちまくって、今までの負けを取り返してやる!」


    そういうと京太郎はふっと落ち着き、何か訴えかけるように、ゆっくりと語った。


    「だから、さ。これからも打とうぜ。もっともっとおじさんおばさんになっても、爺ちゃん婆ちゃんになっても」


    一旦言葉を切り、その先を万感の思いを込めて、言った。


    「俺は、このメンバーで麻雀が打ちたいって、そう思うんだ」


    優希はその言葉を聴いて涙がこぼれるのを我慢できなかった。
    自分だけではなった。もっともっと打っていたい、と言うその気持ちを持っているのは自分だけではなかった。
    そう思うだけで、とても嬉しくて涙が出た。


    「ま、まったく、犬の癖に、な、泣かせやがって」

    「ゆーき……」


    和は優希にハンカチを差し出し、優希はそれを受け取って目頭を拭った。


    「あー、年取ると涙もろくなっていかんじぇ」


    そう言って優希がぼやくとそのタイミングで和の携帯がなった。


    「あっ、染谷先輩。竹井先輩と合流できました? はい、はい……はい、わかりました。じゃあ、今行きますね」


    和は携帯を切ると脇においてあった車のキーを手に取り立ち上がった。


    「染谷先輩と竹井先輩が合流して駅まで来てるそうです。ちょっと迎えに行ってきますね」

    「おっ、そうか。今日は久しぶりにあのメンバーが揃うから楽しみだなぁ」

    「おっと、のどちゃん、私もいく!」

    「和ちゃん、気をつけてね」

    「はい、それじゃあちょっと行ってきます」


    そう言って和と優希は店を出て行き、京太郎と咲が残された。


    「さーて、ちょっと休憩だな」


    京太郎は手元のウーロン茶をすすり、肩を軽く回した。


    「うん……」

    (今なら……聞けるかな?)


    咲の心には1本の棘が刺さっていった。
    15年前の京太郎とのあの1件で心に刺さった棘であった。
    あれから京太郎の中は修復され、ずっと仲のいいまま過ごし続け、傷は塞がったが、その棘だけは残り続けた。
    その棘は京太郎と話しているとき、麻雀を打っているときに時々ちくりと痛んだ。


    「ねぇ、京ちゃん」


    その棘が刺さる原因となったあの一言、今だったらもう一度聞ける気がする。
    咲はそう考え、京太郎に呼びかける。


    「ん、どうした、咲?」


    京太郎は咲のそんな決意を知らずいつもの笑みを浮かべながら咲に向き直った。
    口を開こうとするが、直前になってまた迷い始めた。


    (怖い、怖いよ。また、またあんなことになったらどうしよう)
    (やだよ。あんな、あんな苦しいの、もう……)


    あのときの絶望感は今思い出すだけで心が引き裂かれそうだった。
    それを味わうぐらいだったら、棘の痛みぐらいには耐えるべきなのか。


    (……でも)


    咲は一瞬そう考えたが、自分の考えを否定した。


    (でも、でも、私、私はやっぱり)
    (聞きたいよ)
    (京ちゃんの、あの言葉が聞きたい!)


    決意して、咲は口を開いた。
    声が震えないように大きく息を吸い込み、ゆっくりと噛みしめるように言った。


    「京ちゃん。京ちゃんは……」





    「私たちと麻雀を打って、楽しい?」



    その一言を聞いて京太郎はぽかんとした顔をする。
    言ってしまった、もう後戻りはできない。
    そう考えて咲は叱られる寸前の子供のような顔で京太郎の言葉を待った。
    最初はぽかんとしていた京太郎は――満面の笑みを浮かべていった。


    「何言ってんだよ咲。馬鹿だなお前、当たり前だろ」



    「すっげー楽しいよ、お前らと打つ麻雀!」


    (!)


    それは15年前に咲が聞きたかった言葉であった。
    15年間咲が聞きたいと願っていた言葉であった。


    (聞け、た)


    それが今日、ようやく叶った。
    咲の心に刺さった小さな棘、それがようやく抜けた。


    (よかった、本当に、よかった)


    咲の目から涙が一粒零れた。


    「さ、咲?」


    びっくりしたように京太郎が咲に声をかけた。
    一粒零れたらあとはもう止めようがなかった。
    ぼろぼろと涙をこぼし始める咲。


    (よかった……よかったよ……)


    自分でも泣きすぎだと咲は自覚していた。だが、涙が止まらなかった。
    堪えようとも止めようともしているのだが、まったく止まる気配はなかった。


    「咲、どうしたんだよ突然、だ、大丈夫か?」


    京太郎がおろおろとしながら咲に声をかける。
    咲はそんな京太郎の姿を見て涙を拭いながら考えた。


    (ほら、京ちゃんが心配してる。私も言わなくちゃあの一言)

    「京、ちゃん……」

    「お、おう。どうした?」


    京太郎が動揺しながらも返事を返す。
    咲は涙を流しながらも笑顔を咲かせて言った。






    「私も、京ちゃんと麻雀打てて、すっごく楽しいよ!」





    カン!