9・

 その写真は、宮永みなもの最後の写真となった。

 それ以来、咲は写真が嫌いになった。

 わざわざアルバム委員になって、自分の写真が卒業アルバムにできるだけ載らないようにするくらい。

 写真はその当時の記憶を蘇らせるからである。

 咲は、カメラのレンズを避けるように生きている。

 たまたま映ってしまったときにはその写真を抹消するために全力を尽くす。

 昔は別に写真に映ることは嫌いじゃなく、むしろ好きだったのに。

 みなもの死は、咲を写真嫌いにした。

 みなもは、泳ぐことが好きであった。

 いや、正確には――水、海、川、魚、貝。そういう物ならなんでも好きだった。

 泳いでる魚をただ見てるだけでも楽しんでいたし、魚を食べるのも好きだった。

 魚は綺麗に食べた。みなもはよく、咲に対して魚のきれいな食べ方を伝授した。

 今でも咲はきれいに魚を食べる。

 そんな咲の姿をみなもと重ねて、京太郎は咲のことが好きになった。

 みなもの代用品として好きになったとも言えるけど。

 牌の世界は海に似ていた。

 みなもは自分の好きな海の世界を、牌の世界で再現したのだ。

 そこまでするぐらい、海のことが好きだったのだ。

京太郎「きっかけは事故、だったけ」

 咲はあの頃からよくこける子どもだった。

 道路の真ん中で、咲がこけたのだ。

 運悪く、そこにトラックが迫っていた。

京太郎「穏乃が言ってたのはこれか……」

京太郎「『あのとき、俺は足が動かなかった』」

京太郎「『そんな情けない俺の隣を、あいつは駆け出した』」

京太郎「みなもが、駆け出した」

京太郎「みなもは、咲を救ったんだ」

京太郎「自分の足を犠牲にして」



 みなもは泳ぐことができなくなった。

 泳ぐことは、みなもが好きなことの一つだ。

 それを奪われたことはそうとう悲しいことであったはずなのに。

 みなもは笑顔だった。

京太郎「そして、飛行機事故か」

 バイトでの、染谷先輩との会話を思い出す。

 親戚同士での海外旅行。

 宮永照、その妹のみなも。そして二人の従姉妹の宮永咲。その家族たち。

 楽しい旅行になるはずだった。



 整備不良による事故。

 それ以来、整備のことを学び、整備好きになった京太郎はここでは置いておく。

 ビルに突っ込んだ飛行機は、燃料を漏らし、ビルを燃焼させた。

 燃え盛るビルの中で、みなもは動けなかった。

 体を焦がす炎の中で、みなもは動けなかった。

 京太郎は蓋をした。

 好きだった少女、みなもの死を。咲との日々を。照との思い出を。

 蓋をして、無かったことにした。

 咲も、京太郎と一緒だったのだろう。

 ただ、咲は強くなろうとした。

 また誰かを傷つけてしまわないように。

 体育の内申点が10あるのは、強くあろうとしたからだ。

 ……結局、こける癖は治らなかったけど。

 だけど、照は違った。

 記憶に蓋を出来るほど、幼くはなかったのだ。

 そのときの記憶を保っていられるほどに強く、耐えられないほどに弱かった。

 照に、もう妹はいない。

 彼女は、咲を許していない。

 家を出た京太郎は、湖に来ていた。

 合宿の起床時間まであと20分。そろそろ戻らないとまずいけれど、どうしても来たくなったのだ。

 四人でよく遊んだ、思い出の場所だった。

京太郎「……もう、誤魔化す必要はないよな」

 認めたくなくて、心の中で否定したけれど。

 いいかげん、嘘をつくのにも無理が出てきた。

 だから、叫ぶ。湖にむかって。自分にむかって。過去にむかって。

京太郎「みなものことが好きだ! 牌のことが好きだ! 愛したい! 愛されてえ! そばにいたい! そばにいてほしい!

京太郎「ずっと見ていたい! ずっと見ていてほしい!」


 ああ、なんだ。

 認めてしまえばこんなに簡単。

 牌への気持ちを。

 ようやく、肯定できた。


 ――合宿終了。

 今日も牌の世界にやって来た。

京太郎「県予選まであと6日だぜ!」

牌「ついでにあと4日で、あの日だ!」

京太郎「あの日?」

 今日から4日後というと、7月7日だ。

京太郎「あ、七夕か」

牌「それで、おしまいかぁ……」

京太郎「おしまい?」

 何が終わるのだろう?

牌「秘密!」

京太郎「気になるだろ」

牌「知ったところで京太郎じゃどうにもならないし!」

京太郎「久しぶりにヒドイな」

 最近は牌ちゃんが優しかったから、この俺に対するヒドさ、なんだか懐かしい感じだ。

京太郎「さてと、そろそろ部室に誰かが来る頃だろうし、帰るわ」

牌「あ……うん」

 寂しそう声で牌は言った。

京太郎「どうした?」

牌「……もうちょっと、一緒にいてよ」

京太郎「……わかった」

 二人は、手と手を重ね合わせた。

 それが、今できる限界だった。

京太郎「今日の牌、少し変じゃないか?」

牌「……どこが?」

京太郎「どこって言われると困るんだけど」

牌「なら、気のせいだよ」

京太郎「…………そっか」

 どこか、おかしい感じがするのは確かだが、それが何であるかはわからない。

 もしかしたら本当に気のせいなのかもしれない。


 次の日。

京太郎「あと5日で県予選かぁ」

牌「緊張してる?」

京太郎「してる、してる、超してる。もともと俺、緊張しやすいタイプだし」

牌「高校入試の日も緊張しまくったんだっけ?」

京太郎「うわっ、懐かし……。あの日はひどい目にあった」

牌「かわいそう」

京太郎「……たしかお前、俺が試験の日にトラブルがいくつも重なってギリギリ合格になるように祈ってなかったっけ」

牌「オボエテナイヨ」

京太郎「覚えてる人の言い方だ!」



 次の日。

京太郎「この世界、また明るくなったな」

牌「そうだねー! あと2日でおしまいだもん」

京太郎「おしまい? 前も言ってたよな、『おしまい』って」

牌「そう、おっしまーい!」

京太郎「教えてくれよ、何がおしまいなのか」

牌「だから秘密だって!」

京太郎「乙女の秘密的な何かか?」

牌「はっずれー」

京太郎「むむむ」



 次の日。

京太郎「あと3日」

牌「うん」

京太郎「『おしまい』は明日だっけ?」

牌「そうだよー!」

京太郎「あのさ」

牌「うん!」

京太郎「……いや、なんでもない」

牌「へんなの」

 牌は、アハハと笑った。

 それにつられて京太郎も笑った。



 次の日。

久「新しい雀卓が来たわよー!」

 旧校舎の入り口で部長は言った。

京太郎「えーっと、この箱を部室に運べばいいんですか?」

久「ごめんね、昼休みなのに手伝ってもらっちゃって」

京太郎「いやいや、いいですよ。少しは雑用をしないと心がざわつくんで」

久「そ、そうなの」

 部費を溜め続けること10ヶ月。ついに新しい雀卓を買う資金が溜まったのだった。

京太郎「ようやく、ですね」

久「この雀卓はすごいわよ。洗牌はもちろん闘牌までやってくれるのよ」

京太郎「闘牌はやる必要ないですよね!?」

久「人間がやることは一つもない! これが本当の全自動麻雀卓よ」

京太郎「雀卓業界も迷走してますね……」

久「でも、これで――」

 おしまいの合図。

久「あの雀卓の出番も、おしまい――ね」


京太郎「――おしまい」

 世界のおしまい。

京太郎「……すみません、部長! ちょっと行ってきます!」

久「須賀君!?」

 京太郎は部室に向かって走りだした。

 階段を駆け上り、扉を壊す勢いで開き、牌を握りしめた。

京太郎「!? 牌の世界に行けない!?」

 いつも通りにやっているのに景色が変わらない。

 牌を手のひらに置いたまま、何度か手を握ったり開いたりしたが変わらない。

京太郎「……っ! 手遅れなのかよ!?」

 嫌だ。

京太郎「もう逢えないのかよ!」

 嫌だ嫌だ嫌だ!

 これでおしまいだなんて。

 これで最後だなんて、そんなのは絶対に嫌だ。

京太郎「頼む、少しでいいから、牌に会わせろおおおおおおおおおおっ!!」

 強い衝撃が脳に直撃した。

 それは今までに味わったことがないほど強烈な痛みだった。

京太郎「ぐっ……」

 世界が反転した。

 視界がぼやける。

 吐き気もこみ上げてきた。

 それでも京太郎は目を大きく開き、世界を確認した。

牌「……来ちゃったんだ」

京太郎「牌……」

 牌の世界は崩壊しつつあった。

 空間にヒビが入り、砂のように細かく分解され、空間に溶けていく。

 世界の終わりとはこういうものなのだろうか。

牌「……もともと、終わるはずの世界だったんだ」

牌「今よりももっと早いタイミングで、この夢は醒めるはずだった」

牌「付喪神の一生って、そういうものなんだよ」

牌「取り憑いた道具が、壊れてしまったら、それでおしまい」

牌「そんな、脆い世界だったんだ」

牌「この世界も、あの日――消えるはずだった」

京太郎「あの日……」

 牌は京太郎の顔を見た。

 泣いてはいなかった。

牌「そこに、誰かさんが現れた」

牌「その誰かさんは、この世界の寿命を伸ばしたんだ」

牌「ほんと、余計なことをしてくれたよね」

京太郎「よけいな、こと?」

牌「あのときこの世界が終わっていたら、こんな気持ちにはならなかったのに」

牌「京太郎のせいで、すごく、イヤだよ」

 世界が崩れていく。

 音はなかった。

 世界の終わりって、こんなに静かでいいのだろうか。

京太郎「聞いても、いいか」

牌「なんでも」

京太郎「俺の世界には、牌に愛された子と呼ばれる存在がいる。咲とか、照姉とか」

牌「……うん、そうだね」

京太郎「ということはさ、愛してるんだよな、咲のこと」

 牌――みなもは、咲を守ったことが間接的な原因となり、命を落とした。

 みなもは、咲を恨んでいないのだろうか――ずっと気になっていたことだ。

牌「好き、大好きだよ、二人とも」

京太郎「どうして、好きなんだ?」

牌「……なんでだろう、私が神様になったときにはもう好きになってたんだ」

 なるほど、そういうシステムなのか。

 人間だったときの記憶は引き継がれず。

 けれど、感情は残っている。

 思いは、つながっている。

京太郎「……教えてやるよ、牌。お前の感情の理由」

牌「――え?」

 世界が、消えた。

 崩壊は完了したのだ。

 でも、あと一言だけ。一言だけでいいから伝えさせてほしい。

京太郎「お前の名前は、宮永みなも――だ」

牌「――!」

みなも「――ありがとう」

 ――ああ。

 世界の崩壊って、こんなに――綺麗なんだ。

みなも「だいすきだよ、きょーにぃ!」

 気づくと、京太郎は部室で一人、牌を握りしめていた。

京太郎「……こんなにお前は近くにいるのに」

 どうしてこんなにも遠くなってしまったのだろう。

 牌のことが好きなのに、愛せない、愛されない、そばにいれない、そばにいてくれない、ずっと見れない、ずっと見ていてくれない。

 もう、いいよな。

 終わらせちゃってもいいよな。

 誰も見ていないし、誰も気にかけないだろうし。

 なんてことはない、ここで一つの小さな思いが消えてしまっただけなのだから。

京太郎「そういや今日、七夕だっけ」

 ――七夕?

京太郎「あ」

 そこに見えたのは、一つの希望。

京太郎「紅生姜のない牛丼って、そういうことなのか?」

京太郎「そういう意味なのか?」

 大切なモノが抜けているとか、そういう単純なものじゃなくて。

 もう一つの意味があるじゃないか。

京太郎「……つーことは、――はあいつで、――は俺?」

京太郎「は」

京太郎「あはははははっ!」

 こじつけにも程があるだろ。

 でも、今日という日に世界が崩壊したのなら。

 とても偶然とは思えない。

京太郎「信じてみるか」

京太郎「紅生姜のない牛丼屋を」

京太郎「俺は」

京太郎「全国優勝してみせる」

 止まっていたと思っていた時間は、止まってなんかいなかった。

 ずっと、流れ続けていたんだ。

 それに気づかないふりをして、両手から大切なモノをたくさんこぼしていたんだ。

 ――それを取り戻すための大会が、始まろうとしていた。

9・終