それは、彼の人生において、二度目の恋だった。

 海の底のように真っ暗で、音一つない孤独な世界。現実ではない、不思議な世界。

 そこは牌の世界だった。

京太郎(かわいい……)

 牌さんを一目見て、彼はそう思った。

京太郎「あの、あなたは……」

 声が震えそうになるのをなんとか抑えて、ブロンドの少女に話しかけた。

 少女はゆっくりと顔を上げ、彼の顔を見て、鬼のような形相で言った。

牌「ああん!? 男がわたしにしゃべりかけんじゃねーよ。百合は神聖なもので 男は汚いの。わかる?  わかったらさっさと消えろ」

 おおう。

京太郎(……ええと……この人もしかして)

 想像は当たる。

牌「この世界に男はいらない」

 ――牌さんは百合厨だった。


1・

中学三年生一月下旬

友人「なんだ、お前も清澄受けるのか」

 今日は高校へ願書を提出しに行く日である。同じ高校に出願する生徒はみんな集まって直接高校へ提出する。

 集合場所の教室で京太郎は友人に声をかけられた。

京太郎「ああ、清澄に行きたい理由があるからな!」

友人「しかしお前の成績で受かるか?」

京太郎「この前やった信学会の模試でB判定だった」

友人「お、成績上がったのか」

京太郎「英数理社は9割取れたしな!」

友人「マジかよ! なんでB判定なんだ」

京太郎「国語がな……9点しかなかった」

友人「漢字問題しか合ってないパターンか」

京太郎「……正解」

友人「つーか、あれ? お前ってわりと本、読んでなかったか?」

京太郎「ああ、あれは百合小説だからな。国語とは別物なんだよ。ちなみに最近のブームは主従百合だ」

京太郎なんせ主従百合は背徳感が二倍!まさにお徳なジャンル!ついでに主従どちらかのおもちが大きかったら完全に俺得!」

友人「マイノリティな趣味を大声で言うな」

京太郎「はぁ……。国語の問題が百合小説だったら得点取れるんだけどなー」

友人「ねーよ」

京太郎「僕っ娘百合小説とか問題に出たらたぶん俺、問題解くのそっちのけでその作品のssを書くと思うぜ」

友人「得点取れてねーじゃねーか」

京太郎「確かに……くそっ! 俺は一体どうすればいいんだ!」

友人「ほらよ、システム中学国語 論理入門編だ」

京太郎「……サンキュー」

友人「で、お前が清澄に行きたい理由って何なんだ?」

京太郎「え!? そ、そりゃあアレだ。清澄の図書館に百合姫の雑誌が置いてあるからだ!」

友人「……咲ちゃん目当てか?」

 京太郎の言葉を無視して、友人はそう言った。

京太郎「うおっ、やめ……咲に聞かれたらどうする!」

友人「まだ来てねーよ」

 京太郎は周りを見渡す。よかった、まだ咲は来てないようだ。

京太郎「あー……もう、からかうなよ」

友人「からかってねー。つーかさっさと告白しろよ」

京太郎「おおおうえっ  いやいやいや、受験前だし! 変な影響して試験に響いたら困るし!」

友人「焦れったいなぁお前は」

京太郎「ほっとけ」

友人「それにしても百合男子のくせに普通に恋するんだな」

京太郎「ああ……正直、困惑してるよ」

 女の子どうしの絡みにキュンキュンしたことは幾度となくあったが、一人の女の子を見て胸が苦しくなったのは始めての経験だった。

 そもそも恋なんてしないと思っていた。女の子は女の子と付き合うべきであり、そこに男は不要だと常々思ってきた。

 そして自分は男。自分は世界に不要な存在で、存在価値などない。そんなことを去年までは本気で考えていた。

 しかし今では違う。いまは自分がこの世界に生まれてきたことに感謝している。

 生きてるからこそ百合の妄想で楽しむことが出来る。

 生きてるからこそ咲という少女に出会えた。

京太郎(百合男子失格なのかな……俺って)

 そう、失格かもしれない、でも構わない。
 
 彼は普通に恋もする百合男子として生きていくことを誓ったのだ。

 ――そんなふうに自己問答をしていたそのとき、教室の扉がガラッと開かれた。

 入ってきた人物を見た瞬間、世界の色が鮮やかになったように感じた。

京太郎「(世界はどこまでも灰色なのに、好きな人はびっくりするほど色づいている。どうしてなんだろう)」

友人「(ポエムはやめろ)」

京太郎「(世界の美しさを時世時節で楽しむことができるならいつでも)」

友人「(だからやめろって)」

咲「すみません……道に迷っちゃって」

京太郎(三年間通った校舎で迷子! くそっ……かわいい!)キュンキュン

友人「(顔赤い顔赤い)」

生徒A「よーし、これでみんなそろったね! じゃ、清澄高校へ出発します!」

 清澄高校を受験する13人がバスに乗り込んだ。

 京太郎と友人の座った席の後ろに咲が座っている。

友人「…………」

京太郎「…………」

友人「(いやチャンスだろ、話しかけろよ)」

京太郎「(そ、そうしたいのはやまやまなんだが、どんな話をすればいいんだ)」

友人「(そりゃまあ、好きなものの話とか)」

京太郎「(え? 『私の世界を構成する塵のような何か。』の話をすればいいのか?)」

京太郎「(あの作品、男一人登場するけど必要か不必要かの話をすればいいのか!?)」

京太郎「(ちなみに俺は最初圧倒的不必要派だったけど最近はありかなとも思えるようになってきたぜ!)」

友人「(百合トーク以外で)」

京太郎「(え……思いつかねー。他に好きなもんねーし)」

友人「(お前は百合の純粋培養か)」

京太郎「(……いや、他にもあったな。最近は麻雀とかも好きだ)」

友人「(おっ、いいじゃねーか。麻雀って花形競技だし)」

京太郎「(だけどなあ……咲が麻雀やってるところって見たことないんだよな)」

友人「(へえ?)」

京太郎「(しょうがない……やはりここは『野ばらの森の乙女たち』の話を……!)」

友人「(だからやめろって! 百合好きは増えてきたとはいってもまだ少数なんだぞ! 軽蔑される危険性もあるんだ!)」

京太郎「(……悪かった。大丈夫、この趣味は他人に知られたらいけないってことは重々承知してるよ)」

友人「(……そのわりには俺に百合好きばらしちゃってるじゃねーか)」

京太郎「(それは、お前がこんなことで他人を迫害したりするやつじゃないってわかってるからだ)」

友人「(……はあ……まったく、こりゃずいぶんと信頼されてるな)」

京太郎「(事実だからな)」

友人「(ったく……よし、俺が話すきっかけを作ってやるよ)」

京太郎「(え、マジで!? どうするんだ!?)」

友人「(勉強会作戦だ)」

京太郎「(……おおっ)」

友人「(咲ちゃんは国語が得意科目、お前は苦手科目だ。これはお前が咲ちゃんに勉強を教えてもらう理由として十分だろ)」

京太郎「(なるほど……二人きり秘密の勉強会か……! 俺自作の百合名場面名鑑にも似たようなシーンが載ってるぜ!)」

友人「(それはしまってろ)」

京太郎「(はい)」


友人「…………というわけなんだ。こいつに国語の基礎を叩き込んでやってくれないか?」

咲「そういうことなら……うん、私で良ければ、いいよ」

京太郎「いいのか、咲?」

咲「うん、代わりに数学、教えてね」

京太郎「おう、国語以外なら任せろ!」

咲「国語以外は全部得意なの?」

京太郎「おう! 一番得意なのはゆr……」

友人「<●> <●>」

咲「ゆ?」

京太郎「ゆ……ゆ……ゆ、有機化学だ」

咲「中学分野の有機化学ってそんな範囲広くない気がするんだけど……」

 そんなことを言われても他に「ゆ」で始まる科目を思いつかなかったんだからしょうがない。

京太郎「咲はどうして清澄を受けるんだ?」

 会話が途切れないようにするためにそう聞いた。

 慣れ親しんだ関係ならば沈黙していても居心地を悪くは感じないというが、まだ京太郎と咲の関係はその域に達していなかった。

咲「う~ん……近いからかな」

京太郎「ふむ、流川タイプか」

咲「歩いていける距離じゃないと道に迷っちゃうからね」

京太郎「へえ、北海道に行こうとして沖縄に行くタイプか」

咲「図書館の蔵書も多いし」

京太郎「確かに、百合姫どころか5号までしか発行してない百合姉妹まで置いてあるし」

咲「学力的にもちょうどよかったし」

京太郎「まあ、やっぱりそれが一番だよな」

咲「須賀くんは?」

京太郎「………………」

 苗字+君付けかー。まだ壁を感じるな……。

 そうだ、目標を立てよう。中学を卒業するまでにあだ名で読んでもらう! 小さすぎる目標な気もするが気にしない!

京太郎「俺が清澄を選んだのは……」

 ――咲がいるから。

 女慣れしているイケメンとか、鈍感系ハーレム主人公とか、他の世界線の俺とか、

 少女向け恋愛漫画に出てくるキャラならそんな台詞も吐けるかもしれないが、自分には言える気がしない。

 どうせ言おうとしても噛んで

「さ、さきがいるから」

「ささき? 佐々木って誰? 長野県警察本部長の佐々木真郎さんのこと? へえ、あの人清澄出身だったんだ」

「え、ちがっ、そうじゃなくて」

「違うの? あ、分かった! 佐々木彩夏ちゃんだね! 須賀くん、ももクロ好きなんだ!」

「私も『行くぜっ! 麻雀少女』よく聴くよー。でも残念ながら清澄にあーりんはいないよ!」

 みたいなことになるに決まっている。

京太郎「……そうだな……学食のメニューに惹かれて、だな」

咲「確かにメニュー多いよね」

京太郎「レディースランチが特に美味そうだった」

咲「それは須賀くん、食べられないんじゃ……」

 当たり障りのない会話を続けている内にバスは八久保小学校前に到着。

 バス停から五分ほどの場所にあった清澄高校に入る。

 高校の先生にどこからか見られている気がして、普段は閉めていない第一ボタンと首のフックまできちんと閉め、

 ダサいからという理由で一度も付けたことがない名札バッジをきちんと付けた。

 友人はそんな京太郎を見て似合わねえと笑っていたが、その友人も同じような格好をしており、思わず笑ってしまった。

友人「さっきの会話、まだまだだな」

京太郎「うそだろ。けっこう話、弾んでたぜ?」

友人「レディースランチのくだり。あそこは『だったら俺の代わりに注文してよ』ぐらい言えよ。そしたら一緒に飯食う約束も出来るじゃん」

京太郎「ぐっ、確かに」

友人「しかも図書館のくだりじゃ百合姫の話に百合姉妹の話までしやがって」

京太郎「いやいやそんな話してねーよ」

友人「してた」

京太郎「してた?」

友人「してた」

 ……やってもーた。おそらくテンパりすぎて無意識に口に出ちゃったのだろう。

京太郎「何だろう……こう、俺が百合好きなのを隠すうまい方法ってねーかな」

友人「別のものを好きなふうに装うとか、どうだ?」

京太郎「なるほど……Aさんのことが好きなのにBさんを好きなふりをして、Aさんへの恋心を隠すんだな」

友人「そうそう」

京太郎「俺自作の百合名場面名鑑にも似たようなシーンが載ってるぜ! でもそういうことしてたら事態がややこしいことに!」

友人「それ持ち歩くな」

京太郎「そうだな……じゃあここは男らしくおっぱい好きでも装うか」

友人「装うも何もおっぱい好きだろ、京ちゃん」

京太郎「はい、胸の大きさに差がある百合ップルが好きです! 須賀です!」

友人「それにおっぱい好きって……印象よくねーよ」

京太郎「隠語を使うなんてどうだ?」

友人「プリンとかか?」

京太郎「白くて……柔らかくて……丸くて……すべすべ…………おもち……そうだ、『おもち』なんてどうよ!」

友人「妊娠中におもちを食べるとおっぱいが張りすぎて、赤ちゃんが飲みづらくなるらしいし、母乳の質が悪くなるらしいぞ」

友人「おもちとおっぱいの相性は良くないのに隠語に使うのはありなのか?」

京太郎「アリだな」

友人「ならいいけど」

京太郎「今日から俺はおもち好きだ!」

友人「正解は?」

京太郎「越後製菓!」

 校門の前に辿り着く。

京太郎「じゃ、俺は寄るところがあるから」

友人「どこ行くんだ?」

京太郎「麻雀部を見学してくる」

 校内マップで部室棟がどこにあるかを確認する。どうやら二階の連絡通路を通って行くのが一番近いらしい。

 部室棟に入ると汗っぽいにおい、絵の具のにおい、埃っぽいにおいが充満しており、ほとばしる青春の香りだぜ、と感じた。

 扉に貼られたプレートを一枚一枚確認していく。

京太郎「あれ?」

 見落としたのだろうか。麻雀部の文字を確認することが出来なかった。

京太郎「もう一回見なおすか」

 今度は見落とさないように心の中で部の名前を暗唱しながらチェックする。

 麻婆部で一瞬ビクッとなったがやはり麻雀部はない。

京太郎「おっかしいなー、案内には麻雀部あるって書いてたはずなんだけど」

 見つからない以上、諦めるか誰かに聞くかの二択だ。

 だが知らない人に声をかけるのは得意ではない。

 店で買物するとき目当ての物がどこにあるか分からなくてもなかなか店員に聞けないタイプだった。

京太郎「いやいや、落ち着け俺。ちょっと聞くだけだ。怖がる必要はないだろ」

 ちょっと聞くだけとはいえ高校生に話しかける度量はない。そのため教師らしき人を探す。

 部室棟に教師は来ないようだったので校舎の方へ戻った。

 どこかに話しかけやすそうな先生はいないかとキョロキョロしていたそのとき、印刷室からスーツの女性が出てきた。

 小中学生なみの小柄な女性で本当に教師なのか疑ったが、話しかけやすそうではあったのでその人に決めた。

京太郎「あの、すみません」

女性「はい、先生です」

 先生だった。

京太郎「麻雀部ってどこにあるかわかりますか」

女性「麻雀部?」

 聞きなれない単語を聞き返すときのような声で、彼女は言った。

女性「うちに……麻雀部はないんじゃないかと先生は思いますけど」

京太郎「そうなんですか? ホームページの部活一覧には載ってたんですけど」

女性「ちょっと待って下さいね」

 そう言うと女性は印刷室の扉を開けた。

女性「ねぇイッチー! うちに麻雀部ってあったっけ?」

一太「どうしたんですかササヒナ先生、突然」

 そう言いながら部屋の奥から出てきたのはフレームのうすい眼鏡を掛けた男子高校生だった。

一太「んっ? 君、麻雀部を探してるのかい」

京太郎「はい、部室棟になくって……」

一太「ああ、なるほど。麻雀部はね、旧校舎の最上階……正確には屋根裏なんだけど……そこにあるんだ」

京太郎「よかった……麻雀部、ちゃんとあったんですね」

一太「まあいろいろわけありでね……。竹井久、っていう人が部長だから、麻雀部のことはそこで聞いてみるといいよ」

ササヒナ「さすが副会長! 詳しいね!」

一太「元部員ですから」

 この副会長と教師、かなり仲が良いらしい。会話のテンポが小気味良かった。

京太郎「ありがとうございました。いってきます」

一太「おっと、最後にちょっといいかい」

 旧校舎に向かおうとした京太郎を、彼は呼び止めた。

一太「こんなことを強制はできないんだけど……君が清澄に合格したら、麻雀部への入部を前向きに検討して欲しい」

京太郎「そんなに俺、麻雀強くないですけど」

一太「君は、やめないタイプじゃないか?」

京太郎「えっと……『何を』かによりますけど、根気だけなら、まあ」

一太「うちの麻雀部には君みたいなタイプが必要なんだと思う」

 どういうことだろう。

一太「ま、頭の隅でもいいから、今の言ったことを覚えておいてくれないか」

 京太郎はさっきまでのことを思い出しながら旧校舎へ向かっていた。

京太郎「ロリ教師か……。百合の妄想に使いたいけど、男の副会長と仲良くしていたのが百合の妄想の邪魔だな」

京太郎「いや、何のために神は人間に妄想力を与えたと思ってるんだ! 副会長を女の子に変換するんだ」

京太郎「ほらあっという間に百合ップル完成! 教師と生徒の百合妄想って最初、抵抗あったのになぁ……」

京太郎「主従百合にハマってからはイケる口になっちゃったなあ……。学生やってると身近だもんな、先生×生徒は」

京太郎「でも商業作品の長編で先生×生徒の話、まだ見たことないんだよなぁ……」

京太郎「たくさんあると思うんだけど俺の検索網には引っかからない……誰か百合の師匠がいればいいんだけど、ちくしょう」

 そうこうしているうちに旧校舎に到着。古そうな感じではあったが、建物の造りがどことなくおしゃれだ。

 木目を上手く活かした壁や柱は、しゃれたペンションのようだった。

京太郎「おっ、ここか」

 ついに麻雀部のプレートを見つける。

京太郎「すみませーん!」

 扉をノック。硬い木だったので手が少ししびれたがカンカンといういい音が響いた。

 ところが返事がない。

 しばらくしてさっきよりも強めに扉を叩いたがやはり返事はなかった。

京太郎「失礼します」

 おそるおそる扉を開こうとする。が、やけに重い。強く力を込めるとギギギギキィーッという甲高い摩擦音がした。

京太郎「立て付け悪っ……」

 旧校舎というからにはやはりあまり整備されていないのだろう。

京太郎「勝手に油さしちゃってもいいんだろうか……安いしイイよな?」

 カバンを探る。

京太郎「しまったKURE 5-56、持ってきてねー……あ、でもシリコンスプレーがあるじゃん」

京太郎「そうそう、椅子がギーギー鳴るから今日スプレーしたんだったっけ。よしよしこれでいいや」

 蝶番のところに吹きかけ、扉を開け閉めする。徐々に開閉に要する力が減り、滑りが良くなっていくようだった。

京太郎「ひどく満足である」

「あなた、なにしてるの?」

京太郎「うおっ!?」

 後ろから急に声をかけられ、京太郎は動転し声を上げた。

「あら、扉が軽くなってる。もしかしてあなたが?」

京太郎「あの、すみません……整備の血が騒いじゃって」

「いやいや、ありがとう。新入生が来るまでに何とかしなきゃとは思ってたんだけど、手間が省けたわ」

京太郎「もしかして竹井さんですか?」

久「あら? どこか出会ったことあるかしら」

京太郎「副会長……だったかな……に聞いたんです」

久「そう、あいつ……ね。そっか」

 遠くを見るような目で彼女は言った。

久「今は麻雀できないんだけど、どうする須賀君? 部室見てく?」

京太郎「お願いします……ってあれ、どうして俺の名前を」

久「名札」

 そう言って久は京太郎の胸ポケットを指差した。

京太郎「ああ、なるほど」

 普段は名札なんか付けないので忘れていた。名札を外し、ようやく部室に入る。

 周りを見渡す。ステンドグラスにシーリングファン、高い天井と年季は入っていたが豪華な部屋だった。

京太郎「この部屋、学校に見えませんね」

久「元校長室だから」

京太郎(校長から部屋を強奪したのかこの人……)

久「……新校舎が出来るときに校長室は移動したのよ」

京太郎「よかった、強奪してないんですね」

久「一応言っておくけど、私はそういうことするタイプじゃないからね」
 
 そうは見えないと思いながらも、京太郎は卓の前に座る。かなり旧式タイプの卓で使い込まれている様子であった。

久「ごめんなさいね、実はその卓、故障しちゃってて、修理しないといけないんだけど……」

久「実は今、新しい卓を買う為に部費を貯めてるのよ」

京太郎「だいぶ古いですもんね、これ」

久「創部当時から使い続けてるらしいわ」

京太郎「いつ買えるんですか」

久「あー……えーっと、もうすぐ、かしらね」

京太郎「……もしかしてこの卓、だいぶ使用してないんじゃないか」

久「んー……まあね、かれこれ三ヶ月ぐらい?」

京太郎「よかったらこの卓、修理しましょうか」

久「できるの!?」

京太郎「中学じゃ『長野の整備王』として名を馳せてます」

久「なんだか雑用が得意そうな名前ね」

京太郎「それは風評被害です」

 毎日持ち歩いている整備グッズを取り出し、卓を解体していく。

京太郎「ベルトは――あと三ヶ月ぐらいは持ちそうですね。うん、部品の老朽が故障の原因ではなさそうです」

京太郎「シリコンスプレーとかを使えば何とかなりそうです」

 シリコンスプレー万能説。ホームセンターに行けば500円以内で買えるので、ぜひ買うべきである。

 手慣れた手つきで調整を続ける京太郎。

京太郎「これでいいかな……牌を借りてもいいですか」

久「ちょっと待っててね……はい、これよ」

 ケースに収められた140ほどの牌。

 ――それは、どこにでもある普通の牌。表面についた細かい傷は、この牌が長年使われてきたものであることを物語っていた。

 ――ただそれだけの牌。見た目には奇妙なところはひとつもない。

 ――だが京太郎は、その牌に触れるのが恐ろしかった。

京太郎「……お借りします」

 それでも彼は触れた。

京太郎「ぃいっぅがっっ!?」

 頭から血液が抜き取られたような脱力感が襲い、そして景色が白く染まり――。

 目を開けると真っ暗な世界に立っていた。

京太郎(ここは……いったい)

 前後も左右も上下だってわからない空間を、ただひたすらに歩く。

京太郎(進んでるんだよな、これ? 同じ場所でもがいてるだけってことはないよな?)

 何か目印がほしい。目印がなければ行動の指針も立たない。

 必死で目を凝らして、なにか特別なものがないか探す。

 そこに、ちいさな光が見えた気がした。

 金色に輝く小さな光。

 それは少女だった。

京太郎(かわいい……)

 彼女を一目見て、彼はそう思った。

 少女のイメージを一言で表すと――咲に雰囲気が似ている少女だ。

京太郎「あの、あなたは……」

 声が震えそうになるのを根性で抑えて、金髪の少女に話しかけた。

 少女はゆっくりと顔を上げ、彼の顔を見て、鬼のような形相で言った。

少女「ああん!? 男がわたしにしゃべりかけんじゃねーよ。百合は神聖なもので 男は汚いの。わかる?  わかったらさっさと消えろ」

 おおう。

京太郎(……ええと……この人もしかして)

 想像は当たる。

少女「この世界に男はいらない」

 ――完全に百合厨だった。

京太郎「お前が……!」

少女「ん?」

京太郎「貴様らのせいでマナーのいい百合好きまで白い目で見られるんだぞ!!」

少女「なんだお前は」

京太郎「ただの百合好きだ!」

少女「男が百合好きィ? 何言ってんだお前? 男は不要なものだろ、つまりお前も不要物だろ。お前の存在が百合の邪魔だろ」

京太郎「一理あるぜ、お前の意見! 俺もそう思ってずっと苦しんできたからな! しかし今の俺はそんなものは乗り越えた!」

少女「乗り越えたんじゃないだろ、男不要の真理を悟って諦めたんだろ? 真理を覆しようがなくって考えるのをやめたんだろ」

京太郎「言いたいことを言いやがって……! 貴様とは決着を付けなくてはならないようだな……!」

少女「いいだろう……私が世界の真実というものを教えてやろう」

京太郎「俺の名は須賀京太郎……あるときは男子中学生、またあるときは『長野の整備王』……」

京太郎「しかしその正体は『百合男子連合雑用担当《エピ百合アンの須賀》だ!」

少女「わたしの名前は《麻雀 牌》。表の顔は牌世界の支配者! しかしその正体は――全麻雀少女百合化計画の主導者!」

京太郎「全麻雀少女百合化計画だと!?」

牌「くくくく、恐ろしいか?」

京太郎「いや、その計画いいっすね」

牌「えへへー/// でしょ?」

京太郎「その計画が達成されれば竹井久先輩も百合になるのか……イェスイェスイェス!」

京太郎「きっとあの人、中学のときはちょい不良で純粋な女の子を何人か落としてるタイプだぜ」

牌「わかるー絶対本人は無自覚で口説きまくってそう!」

京太郎「素晴らしい世界だな、百合世界! その世界で少女たちはプラトニックな愛を育んで……」

牌「おいコラちょっと待てプラトニック派かよお前はエロティックのない百合なんて紅生姜のない牛丼屋みたいなものだろ」

京太郎「べっ……紅生姜のない牛丼屋だと!? ほほう……言ってくれるじゃねーか。やっぱり俺達は戦う運命にあったようだな」

牌「来いよ京太郎! 貴様の百合の花びらを全部むしりとってやる!」


久「大丈夫!? 須賀君!?」

 そこで目が覚めた。

京太郎「……俺、この麻雀部に入ります」

久「え? そりゃ嬉しいけど……なにがその決意を引き出したの?」

京太郎「戦い相手がいるんです!」

 百合愛好者というのは数が少ない。迫害される立場にあるのだ。

 だからこそ少数の百合好きたちは手を取り合って協力していかないといけないと百合ーダーは言っていた。

 それを京太郎は納得していたはずだった。

京太郎(だけど目の前に現れた牌ちゃん! 俺は彼女とは相容れない……だからこそ強く想う。)

京太郎(これは本能だ。アイツにだけは絶対……負けたくない……!)

京太郎「俺は牌を超越するっ!!」

 ――こうして、牌と京太郎という二人の戦いが始まったのだった。

1・終



2・0

京太郎「俺は牌を超越するっ!!」

 そう言い残し、彼は帰っていった。

 ――ああ。

 この部室がこんなに騒がしくなったのはいつ以来だろう。

 須賀君が帰ったあと、私は部室でだらだらと過ごしていた。

 やることのない日でもついここに来てしまう。その習慣は私が一年生だった頃から変わっていない。

 待っていれば誰かが来るんじゃないかという思いに支配されているのだ。いや、実際今日は一人来た。

 私のこの習慣もあながち悪いものではないらしい。

 五時になる。

久「さてと、帰るか」

 部室の施錠をし、旧校舎の玄関から外に出る。

一太「どうでしたか会長、彼は」

 旧校舎から出るとすぐに、一太はそう尋ねてきた。

久「……用があるなら入ってくればいいのに」

一太「無理ですよ、会長。僕にはもう麻雀部はもちろん、この校舎に入る資格すらありませんし」

久「誰がその資格、与えてくれるのよ」

一太「それはもちろん自分自身です」

 私から視線をそらして、彼は言った。

久「私はまたあなたと麻雀がしたいわ」

一太「うれしいです。僕もですから」

久「なのに、麻雀部に入ってくれないのね」

一太「今の僕じゃ、昔と同じことを繰り返すでしょうし……何よりもまだ僕自身が僕を許してないんです」

 変わらない。本当に変わっていない。負わなくていい罪悪感を背負って、自分を責める。そんなところはどうしても好きになれない。

久「つくづくあなたって変なやつね」

一太「でも、もっと変なやつが来るかもしれませんよ?」

久「須賀くん、ね」

一太「彼となら、僕も麻雀を打ち続けることが出来るかもしれません」

 彼は嬉しそうにそう言って笑った。

 私は少し須賀くんに対する嫉妬心にかられたのだった。


2・

中学三年生ニ月

 受験まであと少しということで、私と京ちゃんの勉強会は追い込みにかかっていた。

 私が図書室に着いたときにはすでに京ちゃんは勉強を開始していた。

咲「ごめん、遅れちゃって」

京太郎「掃除?」

咲「卒業アルバムの仕事」

京太郎「俺の写真たくさん入れてくれたか?」

咲「だめだよ、京ちゃん。誰かをひいきしたりはできないよ」

京太郎「そう言いつつ自分の写真は極力載せないようにしてるんだろ」

咲「バレてる……」

 私は写真に映るのが嫌いで、カメラのレンズを避けるように生きている。

 たまたま映ってしまったときにはその写真を抹消するために全力を尽くす。

 昔は別に写真に映ることは嫌いじゃなく、むしろ好きだったのに、今ではどうしてもダメなのだ。

京太郎「ありがとな、咲」

咲「急にどうしたの京ちゃん」

京太郎「咲のおかげで国語で得点取れるようになったしな」

咲「国語って面白いでしょ?」

京太郎「ああ、昔は教科書を読むのも退屈だったけど今では好きな作品が増えたよ」

咲「教科書作品の中じゃ何が一番好き?」

京太郎「ピピキキだな」

咲「うん?」

 そんな作品載っていただろうか。記憶力には自信があるのだが聞き覚えがない。

京太郎「三回宙返りができるようになったピピに対してキキが強い劣等感を抱く……」

京太郎「そしてなんとかピピに勝とうともがくキキ……イェスイェスイェス! ふぅ……萌えたな、あれは」

咲「って、ああ! 『空中ブランコ乗りのキキ』のことか! 登場人物二人並べて言うからわけが分からなくてビックリしたよ」

京太郎「咲は?」

咲「そりゃもう断然『少年の日の思い出』だね。失ったものは取り返しがつかない……」

咲「その加害者になってしまったら贖罪することすら許されない……あれを読んだあとは色々考えちゃった」

 私たちは勉強を始める。勉強会をやり始めたころは頻繁に教え合っていたけど、最近では黙々と問題を解くようになった。

 教えるべきこと、教わるべきことはやり尽くしたのだ。

 それに私も京ちゃんも過去問を解いた限りでは合格ラインに十分乗っている。あとはテストに慣れるだけなのだ。

京太郎「あのさ、咲」

 勉強会からの帰り道、私たちは並んで歩いていた。

京太郎「神社、寄ってかね?」

咲「なんか用事?」

京太郎「受験の前に最後の神頼みでもしようと思って」

咲「元旦にしたんだけどなぁ……」

京太郎「あっ、そうだよな! わるい、変なこと言って!」

咲「いいよ」

京太郎「え?」

咲「行こうよ、神頼み。一回頼んだだけだと神様も忘れちゃうかもしれないし」

 神社は自治体が管理している小さな神社で、私たちの他には誰もいなかった。

咲「京ちゃんの家、神職でしょ? 他の神様に祈ったりしていいの?」

京太郎「もしかしてダメなのか?」

咲「知らないんだ……」

京太郎「まあ、元旦にしたお願いごとは叶ったし、大丈夫だろ」

咲「あれ、京ちゃん、元旦に合格祈願しなかったの」

京太郎「実は別のことを……な。だから今日は叶ったお願いごとへのお礼と追加の合格祈願をしに」

咲「へえ~別のことをお願い、ねぇ。何を願ったんだろう」

京太郎「……秘密だ」

咲「む、もしかして私に言えないこと?」

京太郎「秘密ったら秘密だ!」

咲「ふふ……そっか」


 試験3日前。京太郎は牌に会うため再び清澄高校に来ていた。

 2日前から試験準備期間として学校内に入れなくなるので、この日がラストチャンスだった。

京太郎(忘れ物は……ない。よし!)

 部室に入る。

久「久しぶり須賀君。調子はどう?」

京太郎「お久しぶりです、完璧です」

久「別に入試前に無理して来なくても良かったのに」

京太郎「いえいえ、来たいから来たんです」

久「あら? その紙袋どうしたの」

京太郎「あ、これは……えっと、し、私物です。じゃ、じゃあ卓の調子見させてもらいます」

 この日の京太郎は、修理した卓の調子を見るという建前でここに来ていた。

 本当の目的は牌に会うことである。

 牌に触れると前回と同じように周りの空間が深海のようになった。

牌「……また来たんだ、うっとおしいなぁ……」

京太郎「ライバルなんてそんなもんだぜ?」

牌「ま、それはそうかもね。で、何の用?」

京太郎「百合姫持ってきた」

 紙袋から百合姫を取り出した瞬間。

牌「え、ほんと? えへへ、やったー! 読みたくて読みたくてしょうがなかったのだ!」

牌「ぅおおお表紙すごい! もう表紙だけでひとつの物語が完成してるよ! SS書きたい!」

牌「あ、この世界ネット環境ない!  NTTさん工事はよ! それにしても表紙の絵師、ほんと光の使い方うまい!」

牌「覆い焼きモードの魔術師! フォトショのレイヤーどうなってんだろ、うわすっごく気になるよー!」

牌「ブラシの設定どうなってるか晒してくれないかなー! メイキング希望!」

京太郎「俺と牌ちゃんの間には読んだことのある百合作品に差があるからな。このままじゃ公平に語り合えないだろ?」

京太郎「だから俺が清澄に合格して入部するまでの間、それを読んどいてくれ」

牌「ぅわお、適当に開いたページがキスシーンだった。こりゃもう次はベッドシーン!?」

牌「そうに決まってる、ここまできたならいけるところまでいけばいいよ」

京太郎「聞いてるか」

牌「聞いてるよー」

京太郎「俺の合格、祈っといてくれよ?」

牌「それはめんどくさ……」

京太郎「待て待て、戦う約束しただろ! 俺が合格しなきゃ戦えねー」

牌「はいはい、わかったって。試験の日にトラブルがいくつも重なってギリギリ合格になるように祈っとくよ」

京太郎「受験生は丁重に取り扱え」

 泣きそうだった。

 帰り、将来の部長が合格祈願のお守りをくれた。泣いた。


中学三年生三月中旬

 試験日である。

京太郎(内申点は十分ある。学力も合格ラインは超えてる。実力を出せば受かる!)

 だが。

京太郎(腹痛ええええええええっ!!)

 京太郎の人生における一つ目のピンチが、彼に襲いかかっていた。

京太郎(くそぅ! くそぅ! 試験の日に緊張で腹痛になるとかいうありきたりな展開になるなんて!)

京太郎(ひねりがないぞ俺の人生! もしかしてこれ俺が清澄にいかない世界線なのか!? 嫌だ嫌だひでーよ!)

咲「だ、大丈夫、京ちゃん? 顔色ひどいよ」

京太郎「……咲は緊張してねーの?」

咲「うーん……私、あんまり緊張したことないから」

 でしょうね……。

 関わりの薄かったとき、京太郎は咲のことを少しポンコツな少女だと思っていた。

 しかし関われば関わるほど、知れば知るほど少女に対する見方が変わっていった。

 まず咲は他人に対して物怖じしない。自分から知らない人に話しかけるようなことは少ないのは確かだ。

 だが逆に話しかけられたときはたとえそれが誰であれ何の緊張感もなく接する。

 頭の回転が速い。会話をしていても、こっちの話したことに対し一手二手先を読んで返答する。

 そして驚いたのは体育の内申点が10であったことだ。

 しょっちゅう何もないところでこけているため、運動は苦手だと思っていた。

 ……正直な話、今でも体育の内申点が10であることが信じられない。

 あ、それに料理がうまい。これは素晴らしいことだ。毎日味噌汁飲みたい。

 そして何よりも特筆すべきなのはこの精神力である。

 さっぱりまったく緊張しない。緊張という感情を知らないのではないかと思うぐらいだ。

京太郎(……もう二ヶ月も咲と会話してる俺でも、まだ咲と話すときは緊張するってのに)

 咲は初めから緊張していないようだった。たいした対人スキルである。

咲「あうっ」

 こけた。平らな道で。

京太郎「だ、大丈夫か?」

 やっぱり体育の内申点が10あるのはおかしい。保健体育力がえげつないパターンか?

咲「右手ひねっちゃった」

京太郎「お……おいお前それはマズイんじゃ」

咲「どうして?」

京太郎「今から試験だぞ……文字書けるのか」

咲「あ、大丈夫! 左手で書くの得意だし」

 本当に無駄なところで超人だ。

咲「さ、京ちゃん! 早く行こう」

京太郎「そっちは清澄とは真逆の道だ」

 やっぱりポンコツなんじゃなかろうか。


 咲とは試験を受ける教室が違った。

友人「腹痛てーの、お前?」

京太郎「き……緊張で」

友人「ストッパ飲むか? 水なし1錠」

京太郎「さ……、さんきゅーゆーと。よく……持ってきてくれた」

友人「まあ京ちゃんならこうなるだろうなと思ってたからな」

京太郎「さすが伊東」

友人「エスパーじゃねえよ」

 一時間目、数学。

京太郎(薬が効くまで約20分……! 痛みの波は五分に一回! 四回耐えれば俺の勝ちだ!)

 五分。

京太郎(くそ……来やがった……!)

 詳しい描写をする精神的余裕はない。

 便意に耐えるために脳内でBGMを流す。

♪(深いー闇を俺は抜ーけー出した~疾風みたいに逃ーげー出した~)

♪(生きた屍みたいだった俺達は、ケツの外へ~またっ会おうぜ~便器のない場所で――!)

京太郎(便視点になってどうする俺! JASRAC申請不可!)

 十分。

京太郎(やべえ……パロネタしか思いつかねえ……。あきらめたらそこで云々ぐらいしか言うことがねえ……!)

京太郎(ジョジョネタ使っていいだろうか? いや、ジョジョネタ使いすぎって言われたらショックで立ち直れねえ!)

京太郎(ちくしょう、便意がここまで人間のアイデア力を損ねるなんてよぉ……!)

京太郎(助けて安西先生! 下剤先生に殺される! いや下剤飲んでねーよ!)

 十五分。

京太郎(今の俺を救える人はいない。頼れるのは自分だけ。これはまさにフリテンの状態……!)

京太郎(これがフリテン人生……! くっくっく、おもしれー……乗り切ってやろうじゃねーか!!)

 二十分。

京太郎「トイレ行かせてください」


 ――1科目終了。

京太郎「終わったあああああ! 数学得意なのに半分しか解けてねえええええ!!」

京太郎「もう俺、私立の龍門渕に行く! 《京太郎「龍門渕ですか?」衣「よく来たな!」 スレ》でまた会おう!」

友人「誰だよ衣って」 

 十五分間の休憩。本来なら次の教科の最後の見直しをしたり、リラックスしたりする時間。

 だがそんな気分にならない。

京太郎「どこか……落ち着ける場所……ないのか」

 見つけたのは自動販売機の隙間。人ひとり分しかないスペース。

 狭いとこがおちつくのってなんだろうねあれ。

京太郎「って、あれ? 先客か」

 そこにいたのはおそらく京太郎と同じ受験生の少女。制服から判断するに高遠原中学の生徒だろう。

京太郎(高遠原か……制服がものすごい百合っぽいんだよなぁ……何でだろう、白いからか?)

少女「タコス……タコス……」

 高須? 高須はいないよ。ちなみに自動販売機の隙間にいるヒロインは負けヒロインらしい。

京太郎「……数学、できなかったのか?」

少女「……うっさい」

京太郎「川嶋! お前がいなくなったらみんながっかりするぞ!」

少女「え……いや、カワシマじゃないじぇ」

京太郎「じゃ、逢坂?」

少女「いや、ぜんぜん違う」

京太郎「じゃ、なんだ」

少女「……片岡」

京太郎「下は」

少女「……優希」

京太郎「ま、優希ちゃん。元気だそーぜ」

優希「何だお前……なれなれしいな」

京太郎「まあまあ……いいだろ? 実は俺も……数学に殺されてな……」

京太郎「数学に殺された者同士、仲間じゃないか……はぁ……つらいやめたい消えてしまいたい」

優希「お、落ち込みすぎだじぇ」

京太郎「清澄高校受験生連続殺人事件――犯人は数学」

優希「東の高校生探偵――困惑」

京太郎「そういうわけで優希、俺にもここでリラックスさせてくれよ……」

優希「…………」

 無言を同意と受け取り、優希の近くに座る。

京太郎「さっきうわ言のように高須高須呟いてたのは何だったんだ」

優希「クリニックじゃない、タ・コ・スだ!」

京太郎「タコスがどうしたんだ」

優希「ここの食堂にはタコスがあるんだじぇ……それ目当てに清澄受験したのに……このままじゃ、ううっ」

京太郎「それ目当てに受験って」

優希「むっ、悪いか」

京太郎「いや、俺も似たよーなもんだし」

優希「そ、そうか」

 ちなみに俺は咲と図書室目当てである。

京太郎「……なんか俺達、いろいろ似たもん同士だな」

優希「いきなりなんだじぇ」

京太郎「まだ四教科ある」

優希「……うん」

京太郎「受かって、一緒に食堂で飯食おうぜ」

優希「……うん、やってみる…………じぇ」

 教室に戻る前にトイレに入る。個室は3つ。一番奥にある個室に小走りで駆け込む。

京太郎(恥っずううううううううぅぅぅぅぅぅっ!!)

 咲とはまだ食堂で飯食う約束できてないのに! 初対面の女の子誘っちゃったよ!

京太郎(でもなんか放っておけなかったんだよな……)

 それは優希が自分と似たような境遇に陥っていたからだろうか。

京太郎(ま、いいや。残り時間を使って優希で百合妄想を……)

京太郎(……………………………………………………)

京太郎(……………………あれ)

京太郎(どうしちまったんだ俺の前頭葉? 発達し過ぎて怖いと医者に言われた俺の前頭葉。何も……何も思いつかない)

京太郎(咲のことは好きだけど、それでも咲を使って百合妄想は出来た)

京太郎(百合男子な俺と一般男子な俺は共存してるから)

京太郎(なのにどうして優希じゃ百合妄想をできない?)

 ルックスの問題か? いやいや、むしろルックスに自信がない少女と美少女の百合ってかなりそそる分野だし。

 格好の問題? 高遠原の制服は百合のための制服だぞ?

京太郎(もしかして百合妄想できないあいつこそが)

 ――俺のお姫様なんじゃないだろうか?

京太郎(違う違う違う!!)

 トイレの個室からダッシュで抜け出す。

 そのまま廊下へ飛び出て――一応手を洗っとくべきだと思い直してトイレに戻り手を洗い。

 咲のいる教室に向かった。

京太郎「咲!」

咲「ぅわわ!? どうしたの京ちゃん」

京太郎「……お姫様」

咲「へ?」

京太郎「残りのテストも頑張れ、俺のお姫様!」

咲「なにが姫だ」

京太郎「応援してるぜ、ピーチ姫!」

咲「さらわれてない」

京太郎「じゃあまた後でデイジー姫!」

咲「誰がモブだ」

 そのあとの教科はストッパが効き始めたのか順調だった。ストッパはすごい。

 12錠入りなら薬局に行けば千円以下で買えると思うので是非。

 五時間目、国語。試験開始の合図を聞いた京太郎は一息深呼吸。

京太郎(いける……これはいけるぞ! この国語でヘマをしなきゃ、俺は受かる)

 問題の表紙をめくる。

京太郎(小説は……ウンター・デン・リンデンの薔薇?)

 よかった。「薔薇」なのだから百合とはまったく関係ない話だろう。

 もしここで百合ものの話とか出たら大惨事。テストそっちのけでSS速報にスレ立てして百合もののSSを書いてしまうところだった。

京太郎(さて、まずはざっと読んでみるか)

 ゆりーんれずーんゆやゆよん。

 結果。

京太郎(百合ものじゃねーか!!)

 途中でエスから男役女役に分かれるとはいえ、完全にレズビアン。薔薇という言葉の筋ひっかけに惑わされ、見事な振り込み。

京太郎(イェスイェスイェス! スレ立ての時間だ、コラァ!!)

 今まさに二次創作を開始しようとしたそのときだった。

京太郎(……ダメだ)

 今までどんな思いで勉強してきたと思っているんだ。

 動機は咲を追いかけるという不純なものだ。だが真剣だったのだ。

 足りない成績を唯一自分が誇れる根気で底上げし、ようやくここまでやってきたのだ。

 その積み重ねを無駄にしていいはずがない。

京太郎(それに今日は……SS速報恒例である月一の鯖落ちの日! どっちにしろ書き込みは出来ない!)

京太郎(書き溜めなんてめんどくさいことはやらねーし)

 だから目の前の問題を解くしかないのだ。 


 試験終了後。

友人「えーっと……どうだったよ」

京太郎「まさか……古文に清少納言と中宮定子が出てくるとは……百合じゃねーかもうあんなのよぉ」

京太郎「しかも論説文まで同性愛の話……概ねは著者に同意できたけど一部どうしても相容れない部分があったぜ」

京太郎「今すぐ会談の場を設けていただきたい」

友人「めんどくせーな百合男子」

京太郎「はっきし言って異常だ今年の長野県。百合だらけじゃねーかすばらしい」

友人「……で。受かるのか」

京太郎「わ……からねぇ。ギリギリな気がする」

友人「は……はは……今日のことは忘れてパーッと遊ぼうぜ」

 特に仲の良い友人5人で集まってカラオケパーティーを敢行。

 ゆりゆららららゆるゆり大事件はこの日に歌うために創られたのだと思う京太郎だった。

 そして迎えた合格発表日。

京太郎「咲ー」

咲「おはよう、京ちゃん」

 二人は一緒に合格発表の場へ行くことになった。

 正直なところ落ちている可能性はそこそこあるので一緒に行くべきではないのかもしれない。

 せっかく咲が受かっていても俺が落ちていたら、彼女は気を使って喜べないだろうからだ。

京太郎「自信、あるか」

咲「うーん……一応、できたと思うけど」

京太郎「受かる確率はどれくらいだ?」

咲「ビックリした人が心を落ち着かせようと素数を数えるときに、まちがえて奇数を数える確率と同じくらい、かな」

京太郎「ほぼ100%か……すげー自信」

咲「京ちゃんは? どれくらいの確率で受かると思ってるの?」

京太郎「邪気眼と中二病を正しく使い分けてる人の割合と同じくらい」

咲「10%……もっと自信を持っていいと思うけど」

 発表の時間は10時。

 現在の時間は10時10分。

 混雑を避けるために少し時間をずらした。

京太郎「……行くか……」

 ここで運命が決まる。

 もし受かっていたら――そろそろ決着をつけよう。

 叶わないとわかっているけど、咲に気持ちを伝えよう。

 そういう思いで京太郎は校門をくぐ――。

友人「おっす、京ちゃんに咲ちゃん! よかったな二人とも受かってて。なんか知らんが感動しちまったぜ」

 ――る前に、人生で最高のネタバレを喰らった。

京太郎「」

咲「あ、そうなんだー、よかった」

京太郎「え」

友人「おっと俺のことは心配するな。もちろん俺も合格だ」

京太郎「お、おい」

咲「よかった、また一緒の学校に通えるね、京ちゃん!」

京太郎「あ、はい、ソウデスネ」

 現実なんてこんなものだ。

京太郎「……しまらないよなぁ」

京太郎「……俺らしいといっちゃ、俺らしいのか、これ」

 予想外のことは起こったが、それでも一度決めたことだ。

 京太郎は咲を例の小さな神社に呼び出していた。

京太郎「ここも、久しぶりだな」

咲「あの神頼み、無駄じゃなかったね」

京太郎「ああ、2つも願い事がかなったしな」

 その日はきれいな夕日だった。

 夕日で染まった咲はどこか神秘的で、手が届かないところにいるようだ。

 こんなに近くにいるのに、咲との距離は遠かった。

咲「……この前は教えてくれなかったけど、今日は教えてくれるんだよね」

京太郎「…………」

咲「京ちゃんがした、1つ目のお願いごと」

京太郎「……そのつもりだ」

 咲との関係に、特別な何かはない。

 命を救ったとか、結婚の約束をしたとか、そういうわかりやすいものなんて、あるわけがない。

 だから、かっこいい言葉なんて思いつかないけど。

京太郎「――咲。俺は、お前のことが――」

 森が揺れた。

 その日、京太郎の一度目の恋は終わりを告げた。

 しかしそれは新しい恋への始まりで。

 咲への想いは、まだ消えていなかったけど。

2・終




3・

京太郎「もう嫌だ……やっぱりこの世界に男とかイラネーし……もう俺、百合に生きる……」

京太郎「え? きんモザ最終回? なんか涙でてきたわ……陽綾……二人のゆりんゆりんももうすぐ終わりか……」

京太郎「陽綾……最強だよ……見れなくなるなんて……考えられない……ああ……もう終わるのか……」

京太郎「死ぬ……死のう……もういいんだ……何もかも終わった……え? なんだこれ、桜Trickアニメ化?え、マジで?」

京太郎「地上波で百合キス見れるのか! 公共の電波に百合キス流すのか!? く、くくくく……来た……百合の時代がよぉ!!」

友人「おい……京ちゃん、しっかりしろ」

京太郎「百合は素晴らしいんだぜ? 恋愛なんて……しなくていいんだ」

友人「んなこと……」

京太郎「女の子は女の子とくっつくべきなんだ……俺が咲と付き合おうなんておこがましかったんだ……」

友人「……ばかやろう」

京太郎「え」

友人「ばっかやろおおおおおおーーーーーー!!」

京太郎「……ゆーと!?」

友人「お前誓ったんじゃないのかよ! 普通に恋もする百合男子として生きていくことを!」

 それは、咲に恋することによって生まれた誓い。

 確かに存在していた、大事な誓い。

京太郎「でもあれは咲に対する誓いで……」

友人「お前……どんな風に振られたんだ?」

京太郎「や、やめろよ、俺の傷口をえぐるのは」

友人「違う、癒してーんだ」

 友人は、真剣であった。

京太郎「……詳しくは覚えてねーけど――今の状態じゃ付き合えない――だったかな」

友人「ならまだチャンスは有る!」

京太郎「チャンスって……またアタックするのか? ストーカーみたいになるのやだぜ、俺」

友人「もちろん新たな恋を探してもいい」

京太郎「咲……以外?」

友人「ほら、まだ未来は広がってるじゃねーか。うじうじしてんじゃねーよ」

 顔を上げると、世界は桃色に染まっていた。

 桜は、新たな旅立ちの象徴だ。

 目の前にひらひらと飛んできた桜の花びらを、右手で掴もうとした。

 しかし握るときの風圧で花びらは軌道を変え、つかむことが出来なかった。

 たった一度の挑戦で物事がうまくいくとは限らない。

京太郎(チャンスがあるなら、また挑戦すればいい)

 また新たに飛んできた花びらを、今度は受け止めるようにしてつかんだ。

 手に一枚の桜の花びら。

 今度は、つかめた。


友人「入学式だ――行こうぜ」

京太郎「……おう」

 咲への想いは消えないけれど。

 咲への想いが叶わなくても、人生は続いていく。

 人生は深海のように暗闇だ。

 前後も左右も上下だってわからない空間を、ただひたすらに歩く。

京太郎(進んでないかもしれねーけど、同じ場所でもがいてるだけかもしれねーけど)

 目印がなくとも、彼は進んでいく。

 そこに、ちいさな光が見えた気がした。


 高校1年生――4月。

 合格していた。はっきり言ってもうタコス生活は諦めていた。

 滑り止めの高校でたこ焼きやタコさんウインナーを食べる生活を覚悟していた。

 いや、もちろんたこ焼きもタコさんウインナーも好きだけど、タコスと比べると数段落ちる。

優希「タコスうまー」

和「それ、何個目ですか」

優希「本日5個目ー」

和「まったく、ゆーきは……ずいぶんと食べた個数、少ないですね」

 のどちゃんも、ずいぶんと私の行動に慣れたものだ。

 高校で新しく担任になったササヒナには

「タコス一個が約150kcal……これを消費するのに必要な階段昇降は30分……」

「タコスを5つ食べた場合2時間30分も階段昇降をしなくてはならない……フルマラソン並みの時間が……!」 

「ひいいいいい!!」

 と驚かれたのに。

和「そろそろ行きましょうか、ゆーき」

優希「食堂へかー? まだ6個目はいらないじぇ」

和「違いますよ……麻雀部へ、です」

 麻雀部は旧校舎にあるようだ。

 普段授業を受けている校舎からそこそこ距離があって、踏切を一つ超えた先に旧校舎は建っていた。

 ……それにしても、よかったのだろうか?

 私の横を歩くのどちゃん――原村和は麻雀のインターミドルチャンピオンだ。

 本人が望みさえすれば、麻雀の強豪校ならどこでも特待でいけたはずだ。

 なのに彼女は、清澄を選んだ。

 それは嬉しいことであり、心残りのすることだった。

 私がのどちゃんの可能性を潰してしまったのではないか、と。

 旧校舎に到着。

優希「なんか幽霊が出そうな校舎だじぇ」

和「……」

優希「のどちゃん?」

和「ゆ、幽霊なんているわけありません!」

優希「もしかしてのどちゃん、怖いのか?」

和「こ、怖くなんかありませんよ! 幽霊なんか非科学的です、ありえません!」

優希「の……のどちゃん」

和「どうしました?」

優希「の……のどちゃんの後ろにいるやつ……なんだ?」

和「ひいいいい!」

優希「やっぱり怖がってるじょ」

和「だ、だましましたね、ゆーき!」

優希「幽霊を怖がる必要ないじぇ。もしのどちゃんに襲いかかってきたら私が守ってやるからな!」

和「ゆーき……」

優希「ふっふっふ」

和「さっき私を怖がらせようとしたことを、いいセリフでごまかそうとしてませんか」

優希「さあ、部室まで直行だ!」

和「こら、待ちなさい、ゆーき!」

 私はのどちゃんの可能性を潰してしまったかもしれないけれど。

 それでもやっぱり、一緒にいるとが楽しかった。

 ――一緒に、か。

 あの日、試験の日に出会った少年のことを思い出す。

 結局、一方的に名前を聞かれただけで、あいつは名乗らなかった。

優希(受かったのかなぁ……)

 もしかしたら落ちてしまったのかもしれないけど。

 彼のおかげで私が受かったというのも、ほんの少しはあるから。

 もう一度、会いたいと思っていた。

 もし彼が別の高校へ行っているならば、奇跡でも起こらないと無理なんだろうけど。

優希「たのもーだじぇ!」

 麻雀部の扉を開く。

京太郎「ん? お、優希。よっ」

優希「な、な、な、な……」

京太郎「な?」

優希「なんでお前がここに!!」

 奇跡も感動もなく、普通に再会したのだった。


 仮入部期間初日。

 京太郎は優希と再会した。

 やけに優希は驚いていたようだったけど、まあこれくらいよくあることだろう。

 そんなことよりも大事なことがあった。

 優希の後ろにいた少女のことだ。

 それは入学当初、男子の間でかわいいと話題になっていた少女、原村和だった。

 しかも麻雀のインターミドル覇者。

 この麻雀部には不釣合いの超大物だ。

 ……しかし一番大事なのはそこではない。

 一番大事なのは、和が背負っているカバンだ。

 原村和はお金持ちな家のお嬢様のような少女だ。

 そういうタイプの少女が持つカバンは、お淑やかなカバンであるはずだ。

 なのに、彼女が背負っていたのは。

京太郎(ワイルドなワンショルダーバッグだとォ!?)

京太郎誰に対しても丁寧語で話すお嬢様風の少女には似つかわしくないカバン……)

京太郎(いや待て……もしかしてあのカバンは誰かからもらったものなんじゃ……?)

京太郎(引っ越しが多くてなかなか友人が作れない和……)

京太郎(そんな彼女はとある引っ越し先で快活な少女に出会う。生活スタイルの全く違う二人は最初、お互いの文化の違いに戸惑う)

京太郎(しかしその二人にはある共通の趣味があった。それが麻雀!)

京太郎(二人は麻雀を通じて友情を深めていく……だが、和は再び引っ越しをしなければならなくなった!)

京太郎(離ればなれになる、そのことに気づいたとき、二人は気づく……お互いの関係はすでに友情ではなくなっていたことを……)

京太郎(山登りが趣味である快活な少女は普段自分が山登りで使っているカバンと同じものをプレゼントする)

京太郎(ワンショルダーバッグは二人の絆の証なのだ!)

和「えっと……部員さんですか?」

 不信そうな目。警戒されているようだった。

京太郎「はっ……いや、俺も一年で見学にきたんだ。入部する気満々なんだけど……部長! 新入生、来ましたよー!」

久「うっ、やば、寝ちゃってた」

 部室の奥にベッドがあり、そこからモゾモゾと部長が這い出てきた。

和「えっと、確か……議会長さん?」

久「ここでは部長だけどね」

まこ「おー今年はよう揃っとるね。久しぶりじゃのぉ、この部室にこれだけ人が集まるんは」

久「まこ! まだお店の手伝い忙しいんじゃ」

まこ「せっかく新入生が来るかもしれんときにここに来ないなぁもったいなかろ?」

京太郎「染谷先輩は優しいなぁ」

まこ「やめぇ」

京太郎「(本当は部長のことが心配で来たに違いない! お互いに信頼しあった熟年夫婦系百合ップル!)」

京太郎「そう思うだろ、牌ちゃん?」

牌「いきなり来ていきなりどうした」

京太郎「部長と染谷先輩の関係の話」

牌「むふふ、怪しいよね、あの二人。一年間部室で二人きりだったわけだよ? 」

牌「二人きりの部室とかさ、百合の花が咲かないほうがおかしいよ」

京太郎「二人きりの部活動は百合名場面名鑑にも記載されてるほど百合の世界じゃコモンセンスだからな」

牌「でもね! 私ここで一年間二人を見張ってきたけど、エロティックな展開なかったんだよ? おかしくない?」

京太郎「だから俺はプラトニック派だっつうの」

牌「プラトニック派とかもうそれ百合じゃない」

京太郎「エロティックの方が邪道だ」

牌・京太郎「ぐぬぬぬぬぬ」

京太郎「それはそうと、牌た……ちゃん」

牌「いま牌たんって言おうとしなかった?」

京太郎「やっぱりお前って人間の配牌を操ったりできんの?」

牌「んにゃ、配牌は別の神が担当してる。私が操れんのはツモ牌だから」

京太郎「配牌とツモ、別の神がやってたのか」

牌「配牌がいいのにツモ運が悪かったり、逆に配牌最悪なのにツモ運がよかったりするでしょ?」

牌「別の神が担当してるのが原因なのだ!」

京太郎「あのさ……俺の過去の牌譜持ってきたんだけど」

牌「えーなになに? ぶっ! あはははっ、なにこれ! くふふふふ、ひどい! これはひどい!」

京太郎「これはお前のせいじゃないんだな」

牌「違うよーあはははははっ、おなか、いたい、ぷぷぷぷぷ、ある意味いい配牌!」

京太郎「かわいそうだろ」

牌「あははっ、まあ流石にねぇ」

京太郎「じゃあ俺のツモ運あげてくれよ」

牌「なんで? イヤだよ。私は気に入った女の子のツモ運を上げることにしか興味ないし!」

京太郎「ほんのちょっとでいいからさぁ……」

牌「あんまりしつこいと、むしろツモ運下げちゃうよ?」

京太郎「勘弁してくれ……」


 仮入部期間2日目。

 部室にて。

京太郎「新しい人、来ませんねぇ……」

まこ「この辺で麻雀する人は女子は風越に、男子は松商に行くけぇね、こんだけ集まっただけで奇跡じゃろ」

京太郎「……団体戦、出たいですね」

まこ「あと一人くらいなら助っ人でも呼べばええが」

京太郎「男子は……」

まこ「絶望的じゃのぉ」

京太郎「まさか俺しか男子部員がいないとは」

 子供のときから憧れてきた高校麻雀団体戦で全国へ。

 それは野球で言うと甲子園みたいなもので。

 少年少女の憧れの一つだ。

久「男子でひとり、麻雀できる人を知ってるわよ」

京太郎「本当ですか!? 誰ですかそれ、教えてください!」

久「2年の本藤君なんだけど……ただ、ちょっと怖いかもね」

京太郎「怖い……?」

久「なんというか……片手で卓を担げそうなタイプ?」

京太郎「ま、まあ最近のは軽いですし」

久「五つまとめて」

京太郎「指一本あたり雀卓ひとつですか」

 化け物だ。

京太郎「どこにいるんですか、その化け物さん」

久「2-Cにいるはずだけど……え、本当に行くの?」

京太郎「そのつもりですけど」

久「……がんばっ!」

 なんだろう、嫌な予感しかしない。

京太郎「優希、ちょっといいか」

優希「んー? なんだじぇ」

京太郎「一緒に勧誘に行こうぜ!」

 2-Cに到着。

京太郎「そういえばどんな見た目か聞いてなかったな。誰かに聞かないと」

 そう言いながら教室に入る。

 天井の柱にぶら下がって懸垂をする巨漢がいた。

京太郎(あ、絶対あの人だ)

 雀卓でジャグリングしそうなタイプだった。

京太郎(それにしても)

 目がヤバイ。

 人殺したことある系男子。

 喋りかけたら踏みつぶされそう。

京太郎「……優希」

優希「………………」

京太郎「色仕掛けの時間だ」

優希「いやいやいやちょっとまままままま」

京太郎「このためにお前を連れてきたんだ」

優希「京太郎、適材適所って言葉、知ってるか」

京太郎「たとえお前に不幸が襲っても、俺が人体錬成するから」

優希「禁忌だじぇ、もっていかれるじぇ」

 帰ろうかと一瞬思ったが、考え直す。

 きっと大丈夫だ。

 怖そうな人が実は優しいというのは定番パターンである。

 頭がいいやつは絶対天然キャラだ。

 ボーイッシュなキャラは絶対乙女趣味を持っている。

 いつも笑ってる細めのキャラは絶対裏切る。

 普段優しいキャラは絶対、怒ると怖い。

 美少女には絶対、解決したら好感度の上がる辛い過去がある。

 きっと彼はその見た目の怖さでいろいろ勘違いされてきたのだろう。

 本当は優しいのに、誰もそれを理解しない。

京太郎(そうだ……俺が、本藤先輩の理解者になれば……!)

本藤「なんだてめーらは、ジロジロ見やがって」

 普通に怖かった。

本藤「要件があるならさっさと言え、おい」

京太郎「えっと……あのですね! 麻雀部に入ってくれないかと」

本藤「麻雀部ぅ!?」

京太郎「はい!」

本藤「麻雀部……ねぇ」

京太郎「うっす!」

本藤「ふん。俺を満足させられたら、入ってやってもいいぜ」

 部室に帰還。

 生還ともいえるかもしれない。

久「本当に連れてくるとはね……」

本藤「か、会長がいるじゃねーか! こ、怖い! こんなところにいられるか! 俺はもう帰るからな!」

京太郎「ちょちょちょ待ってください! なんで怖いんですか!」

本藤「前に懸垂で柱を壊したとき……会長に超怒られた」

京太郎「は、ははは……」

本藤「超怖かった。今も震えが止まらない。帰りたい」

 部長は「怖いかもね」と言っていたが、部長が本藤先輩のことを怖いのではなく

 本藤先輩が部長のことを怖い、という意味だったのだ。

まこ「……わりゃぁいったいどれだけ恐ろしいことをしたんじゃ」

久「ひっどーい! 私、うら若き乙女なのよ? そんなひどいことするわけないじゃない」

まこ「似合わんからやめんさい」

 五分後。

本藤「よし、トラウマは克服した。須賀、麻雀やるぞ」

京太郎「トラウマ克服するの早いですね、本藤先輩」

本藤「いつまでも男がビクビクするわけにはいかねぇだろ」

久「本当に大丈夫?」

本藤「ひいっ! やめてください! 解体しないでください! お願いします!」

優希「もう見ていられないじぇ」

 十分後、ようやく麻雀を開始する。

 卓についたのは京太郎、本藤先輩、染谷先輩に優希だ。

 ただし今回は京太郎と本藤先輩の対決なので、染谷先輩と優希は基本的には降りるように打つことになった。


京太郎配牌

一四七②⑤⑦158東南西發

京太郎「(配牌は……いつも通りか)」

京太郎ツモ3

京太郎(まずは、本藤先輩がどんなタイプなのか見極める)打、西


八巡目

本藤「ツモ、3000・6000」

京太郎「はい」

 京太郎がテンパイする前にツモあがり。初っ端から跳満。

京太郎(リーチしなくても満貫の手でリーチをした……か。高火力タイプ……だったら怖いな)


京太郎配牌

二五九②⑥158南西北白中

京太郎(まったくいつもどおり……流したいな)

ツモ、白
打、西

京太郎(助かる)


十二巡目

京太郎(やった、聴牌……上がれないのはわかってるけど)

京太郎「……リーチ」

本藤「悪いな……ロン、8000」

京太郎「! はい」

京太郎(この順目で追っかけリーチは無謀だとは思ってたが……やっぱりダメか)

 反撃しようと試みるが……。

東四局三本場、京太郎は飛ばされてしまった。

本藤「終わり、だな。お前の実力はわかった」

京太郎「ま、待ってください! もう一度チャンスを!」

本藤「なんか勘違いしてないか」

京太郎「え」

本藤「今回の対局で入部するかしないかを決めるわけじゃない。俺が見たいのは、どれだけお前が骨のあるやつかということだ」

本藤「一週間後、もう一度俺と麻雀を打て」

本藤「それまでに強くなって俺を満足させろ」

本藤「俺を満足させられるのは、強くなろうとしているやつだけだ」

 そう言い残して、本藤先輩は去っていった。

久「須賀君、さっきの対局見てたけど……」

京太郎「配牌のことですか」

久「こう、なんて言えばいいのかしら、牌の神様に嫌われてるって感じ?」

京太郎「確かに嫌われてますけど、あの配牌は牌の神様とは関係ないですよ」

 本人に聞いて確かめたし。

久「なんだか、本当に会ってきたみたいな言い方ね」

京太郎「ははは」

 するどいよこの人。

京太郎「俺が麻雀を始めたのは中学3年からですけど――最初にやったとき、すでにあんな配牌でした」

京太郎「それから今まで、ずーっとあんな配牌です」

 あんな配牌。

 七対子を考えなければ8シャンテン、つまり上がるのに九枚の有効牌が必要な形。

 七対子を考えたら6シャンテンで済むが、ひとつも対子のない状態から目指すのは無謀すぎる。

 平均のシャンテン数は3.5前後であることを考えると、結構笑える運の悪さだ。

 いや、まったく笑えないけど。

 そして現在の問題は、1週間で本藤先輩を満足させるくらいの成長度を見せること。

京太郎「1週間でどれだけ強くなれますかね……」

久「まだ須賀君、打ち慣れてないのよね」

京太郎「リアルだと五十局前後しかやってませんから」

久「とにかく慣れないとね」

まこ「それじゃったら、京太郎。うちでバイトしてみんか?」

京太郎「バイト……ですか」

久「まこの家は雀荘をやってるのよ」

京太郎「は、破産しそうなんですけど」

まこ「ノーレートじゃけぇ心配せんでええよ」

京太郎「……わかりました」

 やれることは何でもやってみよう。

京太郎「俺、やります!」

 なんであれ、必ず力になるはずだから。

 そのバイト中に聞く話が彼の人生を狂わせていくことを、彼はまだ知らない。

3・終


4・

京太郎「別に俺、メイド服でもいいですよ」

まこ「いや、そりゃぁちぃと……」

京太郎「ていうか、メイド服の方がいいです」

まこ「別にそがぁに頑張らのぉても……」

京太郎「ぶっちゃけ、メイド服が着たいです」

まこ「本音はそれか!」

 長期的な麻雀ブームの到来により、雀荘も増加傾向にある。

 それにつれて雀荘同士の客取り競争は激化しており、サービスの多い雀荘も最近では珍しくなくなってきた。

 ペット雀荘。カラオケ雀荘。レストラン雀荘。添い寝雀荘。膝枕雀荘。ネットカフェ雀荘。

 商売って大変である。

 そして、雀荘「Roof-top」はメイド雀荘であった。

京太郎「メイド雀荘なんだから俺もメイド服を着てしかるべきですよね」

まこ「執事服を着んさい」

京太郎「メイド服がダメなら全裸でも……!」

まこ「執事服を着ろ」

京太郎「……うっす」

 しぶしぶ執事服を着る。メイド服のほうが良かったけど、それでもやはり普段しない格好というのは新鮮だ。

 執事服を着ると、不思議と気持ちがシャンとした。

 紳士的な性格になったかのようだった。

まこ「お、ええのぉ。似おぉとるよ」

京太郎「ふふ、ありがとうございます。染谷先輩のメイド服も美しい! 私、ドキッとしました」

まこ「な、なんかキャラが変わっとらんか?」

京太郎「そうですか? 私は、いつもどおりですよ。普段と格好が違うので、そういう風に見えるのかもしれませんね」

まこ父「君が今日のバイト……須賀君だね。ふむ……私の若いころにそっくりだ」

京太郎「そうなんですか? 光栄です」

まこ父「麻雀の修行も兼ねてるんだったか?」

京太郎「はい。バイトで修行というのは誠実さに欠けるかもしれませんが……」

まこ父「はっはっは、構わないよ。……実はね、私も高校生だったころ、ここで君と同じようなことをしたんだ」

京太郎「バイトしながら修行、ですか」

まこ父「そのときこの雀荘の看板娘だった染谷奏――それが今の私の妻だ」

京太郎「婿入りですか? ロマンチックな話ですね」

まこ「な……なんか恥ずかしぃけぇ、あんたら、やめぇ」

まこ父「奏の父――つまりまこの祖父も似たような経験があるらしい」

京太郎「なにか……運命のようなものを感じますね」

まこ「ひょっとしてこれわしで遊んどる?」

客A「すみませ~ん! アイスコーヒーアリアリで!」

客B「あ、俺はナシナシ頼むわ」

客C「こっちはアリナシー」

客D「アリアリこっちにもひとつ」

客E「二人目と同じやつ、よろしゅう」

客F「じゃあこいつの逆をひとつ」

客C「やっぱりアリとナシ逆にしてくれる?」

客A「俺も逆にしてもらおうかな」

客G「どん兵衛お願い!」

客H「ソースかつ丼」

客I「かつ丼にとき卵じゃなくソースかける野蛮人が! あ、レモンステーキお願いします」

客J「レモンステーキはステーキじゃない。佐世保市民はおかしい。冷茶ひとつ」

客K「私は熱茶をお願いしようか」

客L「ここまでで一番多く注文されたやつをひとつ」

客M「それじゃ僕は二番目に多く注文されたやつにしようかな?」

京太郎「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

 暗記ゲームかよ。

 暗記力にはそこそこ自信があるけど。

客N「わー今日は執事さんがいるー! 私今日この人と打つー!」

京太郎「ご指名ありがとうございます」

客O「ふっ、執事か。たまには趣向を変えて執事と打つのも悪く無い」

京太郎「ありがとうございます」

客P「ちょっと執事さん。手袋かじってみてください」

京太郎「はい」

客P「……イイッ」

京太郎「ありがとうございます」

 5半荘終了。だが10半荘ぐらいやったような疲れだった。

京太郎(今日の成績は……連対率4割、トップは0……ノーレートじゃなかったらタダ働きになるところだった)

客Q「店員さん、本走、入ってくれよ」

京太郎「はい、ただいまー……って、あっ」

客Q「よう、京ちゃん」

 それは京太郎の新しいクラスメイトである八坂という少年だった。

京太郎「やっさん……麻雀打つんだな」

八坂「遊びだけどな」

京太郎「麻雀歴は?」

八坂「秘密」

京太郎「強いのか」

八坂「俺にとって麻雀は遊びだから……」

京太郎「強いんだろ?」

八坂「……どうしてそう思う」

京太郎「纏っているオーラが強者のそれだ――なんて言えたらかっこいいんだけどな。俺はそういうの見えないし、ただの勘だ」

八坂「頼りにならない勘だな。……俺は弱いよ」

 サイコロを回す。親は八坂だった。

八坂「正直、諦めてたんだ」トンッ

京太郎「なにを」

八坂「麻雀」

京太郎「……へえ」

八坂「ありがちな挫折を経験してな。本当にありがちでつまんない挫折を」

京太郎「麻雀が嫌いになったってか」

八坂「お前は好きなのか」

京太郎「……………………」

八坂「まあいい。別に嫌いになってなんかいねえよ。ただ麻雀を真剣にやるのがアホらしくなっただけだ」

京太郎「真剣にやったほうが楽しいだろ」

八坂「思ってもないこと言うなよ」

京太郎「ははは……ひどいな」

八坂「俺はな、去年までクラブチームに入ってた」

京太郎(やっぱりか……)

八坂「恵比寿のJrユースだ」

京太郎「!」

八坂「俺はプロになりたかった」

京太郎(おい……おいおいおい、まじかよ……。只者じゃないって気はしてたけど、Jrユース出身とはな……)

 Jrユースとは中学生対象のプロ養成組織。恵比寿はあの小鍛治健夜が過去に所属していた強豪チームだ。

 そこのJrユースのメンバーということはつまり、麻雀のエリート中のエリートということ。

京太郎「かんべんして欲しいぜ……負けてもへこたれない精神とか、俺にはねーのに」

 他者を圧倒する強運も。

 負けても次に向かおうとするガッツも。

 ……麻雀が好き、とかいう言った者勝ちな言葉も。

八坂「お前の麻雀歴は」

京太郎「一年とちょっと、お前とは比べ物にならないくらい短いよ」

八坂「嘘だろ、それ」

 確信めいた言い方だった。

京太郎「勘、か?」

八坂「違えーよ。見たことあるんだ、お前を」

京太郎「………………」

八坂「ジュニアチームでな」

 Jrユースが中学生対象のプロ養成組織なら、ジュニアは小学生対象のプロ養成組織だ。

八坂「確かあれは長野のジュニアチームだった」

八坂「たった一度だけ戦って――それ以降そいつに会うことはなかった」

八坂「あのとき俺は誰よりも強かった」

八坂「小学生に敵はいないと思ってた」

八坂「井の中の蛙の典型だな」

八坂「だけど、お前に――負けた」

八坂「運が悪いとか、調子が悪いとか、そういう言い訳もできないほど完敗だった」

 なにも、答えられない。

 言葉がなかった。

八坂「……配牌6シャンテンから和了る確率は10パーセントを切るとも言われてる」

八坂「お前の配牌は6シャンテンと言っても最悪な方の6シャンテン」

八坂「七対子がなきゃ8シャンテンのクズ配牌。和了る確率は5パーセントも無いんじゃないか?」

八坂「本来、お前は一回も和了れないのが正しいんだ」

八坂「なのにお前は、負けてるとはいえ和了れてる」

八坂「それはお前が強いから」

八坂「配牌運は最悪。ツモ運も凡人並」

八坂「だけどお前は、それ以外のパラメータがマックスなんだ」

八坂「麻雀漫画でよくいるよな? すごい観察眼を持つやつ」

八坂「相手の視線移動、発汗、理牌の動き、どこから捨てたか、文字で書くだけなら簡単だからみんなが使いたがる設定」

八坂「言うまでもなく、リアルじゃほとんどありえない、出来るわけがない、そういう観察眼」

八坂「そんな馬鹿げた技術を馬鹿なお前は本当に身につけちまってるんだ」

八坂「当然、点数期待値の計算を完璧にこなして、どこで押すか引くかを理解してな」

八坂「言うまでもなく強くなりえたのに」

八坂「それを無に帰す配牌の運の悪さ」

八坂「苦労も努力も水の泡と化す悪運」

 一呼吸おいて、彼は言った。

八坂「……お前、いったい何をした」

八坂「何をしでかしたらそんなことになる」

八坂「なぜお前は麻雀をやめた」

八坂「8年前、なにがあった」

京太郎「……さあ、知らね」

八坂「知らないってことはないだろ」

京太郎「……誤魔化してるわけでも、煙にまこうとしてるわけでもないぜ? そんな昔のことはもう忘れた」

八坂「ふーん、忘れた、か」

京太郎「でも1つだけ言っとく。長野のチームをやめたのは、たぶん引っ越しが原因だ」

八坂「引っ越し?」

京太郎「小2の頃に長野から奈良の方へ引っ越したんだよ。それが原因でやめたんじゃねーの」

八坂「まるで他人事のようだな」

京太郎「奈良に行く前のことはもう記憶も薄いし……なによりその頃を思い出そうとすると頭が痛くなる」

八坂「やっぱりなんかあったんじゃねえか」

京太郎「知らない。あったのかもしれないし別に何も無かったのかもしれない。無理に思い出そうとは思わない」

八坂「ふん、ならいい」

 そのとき京太郎は二萬五萬の両面待ちでテンパイ。

 珍しく役がすでに一つあったためリーチをかけない。

 リーチすべき局面ではあったが、そのとき京太郎は八坂の力を見たいと考えた。

 リーチをかけてしまうとその力を見過ごすかもしれなかったのだ。

八坂「カン」

 二萬でカン。京太郎の和了り牌が一種類消えた。

八坂「追加のカンだ」

 五萬でカン。これで現在の形からは和了れない。

京太郎(三萬と四萬の使い道がほとんどなくなった……。これがやっさんの当たり牌なら……恐ろしい打ち手だ)

京太郎(試してみたい)

 選択したのは三萬。四枚見えてる五萬から考えてもっとも妥当なはずの牌。

八坂「ロン、6800」

京太郎「70符……こんなに符が怖いと思ったことはないぜ」

 そして今日のバイトはこれで終了。

 いろいろあった一日だった気がする。


 牌の世界。

 今日も来た。

 部室に一番乗りして牌に触れ、この世界に来るのが京太郎の日課だった。

京太郎「ひさしぶり」

牌「昨日も来たじゃん」

京太郎「24時間ぶり」

牌「……うん」

 一番最初に来たときより、この世界は少し明るくなった気がする。

 深海から少し海面に上昇したかのような。

 いや、比喩はいらない。

 この世界は海の中を模した世界だった。

 暗くて分かりにくいが泡があり、変な形の魚がいる。

 息苦しいとかそういうのはなく、水族館にいる感じ。

京太郎「今日はBDプレーヤーとまどマギを持ってきたぞ」

牌「まどマギ!? SFの皮をかぶった百合ものとして有名な、あのまどマギ!?」

京太郎「そうそう、ガチ百合アニメとして人気なまどマギ」

牌「グッジョブ!」

京太郎「任せろ」

牌「ちょ、これの使い方は? BDプレーヤー使うの初めて!」

京太郎「あ、これはな」

牌「近づかないで!」

京太郎「無茶言うな」

 いけすかない神様にささやかな仕返しをしてやろうと後ろから抱きつくように使い方を解説する。

牌「く……屈辱!」

京太郎「こうしないと教えにくい」

牌「うそだうそだ! 嫌がらせしようと企んでるんだ!」

京太郎「んなわけないだろ……俺はそういうことはしないよ」

 嫌がらせじゃなくて仕返しだし。

牌「くぅぅ……まどマギのために我慢、まどマギのために我慢……」

京太郎「……一応神様なんだろお前」

牌「一応も何も神様なのだ!」

京太郎「はいはい」

 そういえばまどかも神になったわけだし、こういう神様が居てもおかしくはないか。

 そして、操作方法を教え終わり、そっと牌から離れる。

牌「体が温い……」

京太郎「はっはっは」

牌「気持ち悪い……」

京太郎「あきらめろ」

牌「まどマギを見て忘れるのだ……」

京太郎「おーう、そうしろそうしろ」

 二日目のバイトが始まる。

 昨日より慣れたとはいえ、やはり忙しい。

 やっさんが来るんじゃないかと待ち構えていたが、姿を現すことはなかった。

 三日目。

京太郎「な、なんですか……このメイド服」

 休憩時間、京太郎はピンク色と青色の奇妙な改造メイド服を発見する。

まこ「いいじゃろ、それ」

京太郎「だ、誰が着るんですか……これ」

まこ「それがのぉ……誰も着なぃんじゃ。寂しぃわ」

京太郎「百合的には正統派メイド服しか認めない」

まこ「百合的……? 着てみたら良さがわかるゆぅて思うんじゃが」

京太郎「これはないと思いますけどねえ……。あ、ちょっと着てみていいですか」

まこ「着るんかい」

 精神を女の子にして、服に袖を通す。

まこ「どうじゃ?」

京太郎「アリですね」

 アリでした。

 広がっていくストライクゾーン。アウト取り放題になりそうで怖い。

 四日目。

女性A「ソースかつ丼はないだろ! カツ丼好きをバカにしている!」

女性B「そっちこそ! んな心の狭さでかつ丼好きを名乗るなんて、おこがましいにも程がある! ソースカツ丼のほうが旨いのよ!?」

女性AB「ぐぬぬぬぬぬぬぬ」

まこ「京太郎」

京太郎「はい」

まこ「行ってこい」

京太郎「嫌すぎる……」

 結局二人をなだめるために麻雀を打ち、京太郎はミンチにされる。

京太郎「これじゃ出来上がるのはミンチカツ丼……これが話のオチじゃないことを祈る、ぜ……」ガクッ

 結局二人は「カツ丼ってなんでも美味しいよね」という結論に到り、二人仲良く外へかつ丼を食べに行った。

 疲れ損である。


 五日目。

 今度は牌の世界。

 ちなみに三日間ほど牌がアニメに夢中で、話しかけてもほとんど返事をしなかったので、語るに語れない。

牌「私、まどか教の信者になる!」

京太郎「こらこら神様」

牌「まあそれは冗談として」

京太郎「冗談でよかった」

牌「急いでコミスタとパソコンを買ってきて」

京太郎「……おい、お前」

牌「今ならコミスタを持ってれば無償でクリスタも手に入るんだよ! このサービスもうすぐ終わるらしいから! 急ぐのだ!」

京太郎「時間軸おかしくなるからやめろ」

牌「同人誌描いて……コミケで発表するのだ」

京太郎「コミケ行けないだろ」

牌「大丈夫、私が行くのは天上界のコミケだから!」

京太郎「何やってんだよ神様たちは!」

牌「ブッダさんがいつも開催するんだけどね」

京太郎「オーケー、わかった。バイト代で買ってくるから……そこまでにしておこう」

 楽しそうだな天上界。

 百合オンリーイベントはあるんだろうか。

牌「まどマギについてだけど」

京太郎「続くのか」

牌「男にうつつを抜かした青いやつが不人気なのは納得だね」

京太郎「いや待てよ不人気だなんて誰が決めたんだ捏造だよそんなのは。『杏さや』も『さや杏』も最高だったろ」

牌「……京太郎ってさ、最初は対立してる系が好きだよね」

京太郎「確かに」

牌「それも良かったけど『ほむまど』には勝てないよね」

京太郎「何でだよ!」

 一人分、キャラ不在のまま、激論が始まったのだった。


 バイト最終日。

まこ「お疲れさん、よう頑張ったの」

京太郎「一週間、ありがとうございました。……なんだか寂しいですね」

まこ「一生うちで働いてもええよ?」

京太郎「それも、いいですね」

 本当に、そう思った。

まこ「この一週間、どうじゃった?」

京太郎「こう言ったら失礼なのかもしれませんけど……楽しかったです」

まこ「失礼じゃない、わしもそう思うとるし」

京太郎「そうなんですか?」

まこ「わしゃぁね、将来この雀荘を継ごうて思うとる」

京太郎「……他のことをやりたいと思ったことってないんですか」

まこ「ある。当然な。昔はわしも『親の敷いたレールは嫌』なんて軒並みなことを言ぅとったし」

まこ「ホンマはここでの仕事が一番好きなんにのぉ」

まこ「ただ反発したいっちゅう理由ばっかしでそがぁなことを言ったんじゃ」

京太郎「何だか、染谷先輩がそんなことを言う姿、想像出来ないです」

まこ「初めはのぉ、この雀荘はお姉ちゃんが継ぐはずじゃったんだんじゃ」

京太郎「お姉さんいるんですか?」

まこ「知らんかったか?」

京太郎「なんとなくお兄さんがいるイメージでした」

まこ「カツオお兄ちゃんなんかおらんわ」

 そこまでは言ってない。

まこ「お姉ちゃんはキャビンアテンダントになる、って言ぅて、家を出てったわ」

まこ「今は海外の航空会社のキャビンアテンダントをやっとる」

京太郎「うおっ、海外ですか」

まこ「海外から徐々にステップアップして、日本の航空会社に入るんが普通のルートらしい。今はベトナムじゃって」

京太郎「すごいなぁ……真似できない」

まこ「この前は研修で無人島に行って、『この蛇は食えるから探して捕まえてこい!』やら『この虫は毒があるから倒し方を教える!」

まこ「こうだ! さあお前ら、探して殺して連れて来い!』やら『イカダを作ってここから脱出しろ!』とか言われたらしいわ」

京太郎「わお……」

 なんだかイメージと違う。

 きらびやかなイメージとは真逆の体育会系的な研修。

京太郎「今どき、そんなの必要なんですかね……。遭難してもすぐに救助が来るでしょうし」

京太郎「なにより、飛行機ってほとんど事故らないんでしょ?」

まこ「そうじゃのう……確か……最後に飛行機が事故を起こしたのは……」

 この話をするべきじゃなかったのかもしれない。

 深く掘り下げてはいけなかったのかもしれない。

 今さら後悔しても遅いのだけど。

 そう思わずにはいられなかった。


まこ「8年前。そう8年前じゃな。あれが最後の飛行機事故じゃ」


 目の前の景色が目まぐるしく変わっていく。

 巻き戻すかのように、意識が過去に過去にへと向かっていく。

 血液の流れがはっきりと感じられるようになった。

 吐き気がする。

 意識は、奈良へ引っ越したあのときに到達した。

京太郎(戻るな……!)

京太郎(これ以上、戻るなっ!!)

 思い出せないはずの、消えてしまったはずの9年前。

 そこにいたのは見覚えのある少女、見知らぬ年上の少女――。

 ――そして、牌ちゃん。

京太郎(俺は、昔――牌に会ったことがあるのか?)

 止まっていたと思っていた時間は、止まってなんかいなかった。

 ずっとずっと、進んでいたのだ。

 ただそれを、止まったと信じて投げ出した。自分を騙して消し去った。

 彼は、その一つを取り戻す。

4・終