俺は自宅兼事務所の居間兼応接室の長椅子で死んでいた。いや実際には死んではいないが所謂、死に体とうい状態だ。

その原因は応接室の中央に置かれた脚の低い長机の上に俺のやる気とともに放り出された封書である。

内容は市当局からの入金金額を記したもの。ただし規定報酬から4割8分2里ほど減額された数字だが。

反射で市役所の市民生活安全課に苦情の電話を掛けたところ、

受付「わっかんねー。私ただの電話係だし」

京太郎「いやいや、そんなこと言われても困るんですよ」

受付「いやーそれこそ知らんしー」

京太郎「それはおかしいでしょう? こっちは昨日そちらの要請があったから出動したのに」

受付「ふ~ん。で、その契約書は?」

俺は硬直。そのまま間をおかずに電話切った。っというやり取りがあったのが大体10分ほど前。

昨日の夕方に学校からの帰宅中、咲から「今晩、うちお父さんいないんだけどご飯一緒にどうかな? よければ京ちゃんちに作りにいくけど」

という魅力的過ぎる誘いを受けた時だった。一も二もなく快諾しようと思った矢先。役所から連絡が入る。

内容はうちの学校の近くの自然公園で怪異が発生。至急、駆除に向かえとのことだった。

よっぽど無視してやろうかとも思ったが、金の魔力には逆らえず渋々ながら承諾。直接現場へ向かった。

急な仕事だと告げ誘いを断ったときの咲の「お仕事なら仕方ないね」という優しい、けれど寂しそうな笑顔が忘れられない。

金に死ぬほど困ってなければ誰が好き好んで、天使との逢瀬を断ってまで地獄の悪魔の親戚共と殺し合いなどしにいくのだろうか?

そして行ったら行ったでこれである。もうなにもかもがいやになる。

事務所の扉が開けられる音が耳朶を打つ。呼び鈴が鳴らずに開いたということはたぶんあいつだろう。俺は顔を上げない。

縁に鉄片、裏面に鋲が打ち込まれた強化靴の足音が室内に響く。

塞「なに昼間から不貞寝してるの?」

そこでようやく俺は億劫な動作で顔を上げる。

そこにいたの学校の先輩であり我が熊倉綜合相談事務所の俺以外の唯一の所員であり、仕事上の相棒である臼沢塞だった。

生真面目そうな目元に理知的な片眼鏡をかけ、袖のない赤い漢服に白一色に塗られた紙垂を模した長裳。

赤と白を基調とした長外套を肩口が見える程度に着崩し、結い上げられた燃えるような赤髪の後頭部のお団子ヘアには蒼瞳宝珠が煌く簪が二本挿されている。

俺は頭を起こした動作に倍する緩慢さで机に放り出されている封書を指差す。

塞は肩を竦めながら、封書を手に取りその内容を確認する。

塞「あれま」

危機感がないというか、まるで他人事のような感嘆の声が余計癪に障る。

塞は俺の感慨など歯牙にもかけず対面の椅子へ腰をおろした。

京太郎「今うちが抱えてる仕事は?」

まったく感情を込めずに問いを投げる。

塞「逃げたペット探しに、家出した娘さんの捜索、それから賞金首の結婚詐欺師の追跡」

塞は今時珍しい紙媒体の手帳を開き内容を読み上げる。

京太郎「けち臭い仕事ばかりだな。恐ろしいほど気乗りしない」

塞「それからついさっき新しい依頼が来てたよ」

俺は身を起こしながら長椅子に座り直し、顎をしゃくって先を促す。今度は携帯端末を開きそちらを確認する塞。

塞「アイドルの佐々野いちごは知ってるよね?」

京太郎「ああ」

佐々野いちごはちゃちゃのんの愛称で知られる今世間で売り出し中の女子高生アイドルだ。

元々は地方誌の単なるファッションモデルだったらしいが、それがたまたま腕利きのプロデューサーの目に留まり見事デビューを果たすこととなった。

確か先月に1stシングルを出しておりそちらの売り上げも上々らしい。

これは極めて内密な件だが俺もちゃちゃのんのファンである。別ににわかとかそういうのではない、けっしておそらくたぶん……。


京太郎「それが?」

塞「その佐々野いちごさんが今度りつべ市に来るらしいの。その案内と身辺の護衛」

塞はいったん言葉を切り、それから目を輝かせながら視線を向けてくる。

塞「さらに報酬はなんと300万!」

京太郎「300万!?」

飛び出た数字に思わず身を乗り出す。

塞「久し振りに大きな仕事が来たね。ああ、これだけあれば戒能さんとこの月賦に、なぜか利息がついてる三箇牧の治療請求書に、必要経費、必要研究費」

塞「それから今期の学費を払ってもまだ少しだけど余る。久々に事務所の帳簿に黒字がつけれそう」

興奮気味の塞とは逆に俺のテンションは下落。長椅子に身を深く沈めるように座りなおす。

塞「もちろん受けるよね?」

京太郎「やだ」

塞「え? なんで?」

京太郎「第一に、売り出し中の芸能人とはいえたかがアイドル1人の護衛に300万はちょっと金額が大きすぎる」

京太郎「第二に、外部の、しかも専門の警備会社でもなくわざわざうちのような零細個人事務所を選ぶ意味がわからない」

京太郎「第三に、情報収集能力は並程度で資金力も組織力もついでに横の繋がりの友情力も不足気味な俺たちだけど戦闘力”だけ”はある」

京太郎「以上のことからなにか不穏なものを感じる。加速度的に面倒なことになりそうな何かを」

俺の見解に塞は黙って耳を傾けている。

京太郎「ってか、これくらい塞ならはじめから考えてないわけじゃないだろ?」

塞「それは、まぁ……そうだけど」

塞「けど京太郎が言うとおりならたかがアイドルの警護よ? そんな剣呑な事態になるかしら」

それを言われると今度は俺が黙るしかない。しかしそれでも300万という数字の大きさはそのまま怪しさになる。

京太郎「本人じゃなくても周りはどうだろうな」

塞「いい? 高度文明社会の正義と法の担い手、その末端として無垢な女の子を護り理解の裾野を広げて行くのも私達の仕事の一つでないかしら?」

塞「それとも君は文句を言うだけで何もしない口先だけ野郎なのかしら?」

言いながら鼻先に人差し指を突きつけてくる塞。

京太郎「本音は?」

俺の核心を衝いた言葉に塞は一瞬押し黙り、考える素振りを見せてから再び続ける。

塞「本音はこうよ。事務所の財政は常に切迫してる」

塞「それに単なる女の子のお守りなら無闇に誰も傷付けないし化物も殺さない比較的安全で、とてもいい仕事よ」

京太郎「おいしい話にこそ裏があると思うんだけどなぁ……」

塞「じゃあ京太郎は他にお金を工面する方法があるの? 間抜けな呪文唱えながら石ころを金に変えてくれるの?」

塞の詰問に肩を竦めながら、俺は壁に掛けられた時計を確認する。時刻はちょうど正午になろうとしていた。

京太郎「取り敢えず、もうじき染谷先輩の店から出前が届くからそれ食ってから考える」

塞「出前なら来ないよー」

京太郎「え? なんで?」

首を戻し、胸の前で腕を組みさらにスカートの下の脚を組み替えている塞を見やる。

塞「ここに来る前に染谷さんの店に寄って言ってきたから。京太郎がツケ全部払うまで出前は届けなくていいよ。ってね」

京太郎「……」

塞は懐から10円硬貨を取り出し、指先でそれをはじき手の甲で受け止める。もう片方の手を重ねているため柄は確認できない。

京太郎「…………裏」

硬貨は表を示していた。塞の口元に笑みが浮かぶ。

塞「京太郎。ギャンブルは負け組ね」

京太郎「うっせ」

どうやらこの依頼、受けるしかないらしい。

俺は半ば以上自棄気味に立ち上がり掛けてあった長外套を羽織る。

同じく立ち上がった塞も俺の左側へと続く。

俺たちは並んで扉を開け放ち、外へと向かって歩き出した。