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扉があった。


閉まっていて、もう開かない。


それだけ。




弘世菫は、名門白糸台高校の女子麻雀部の部長である。

その人徳と真面目な気性、そして何より。

白糸台における最大級の爆弾、宮永照の舵を二年間曲がりなりにも握れていた実績が、彼女が選ばれた最大の理由だ。

だがそれを彼女に伝えれば、彼女は反吐を吐いてからこちらに告げるだろう。


菫「アレの舵を握れる奴なんていない」

菫「私の忠告を聞くのは、あいつの気まぐれだよ」

菫「ハンドルを握っているように見えても、そもそもだ」

菫「ハンドルもブレーキも無視するタイヤが走るのを、誰が止められる?」

菫「アレは自分が行きたい方向にしか行かないし、生きたい様にしか生きないさ」



成程。全くもって正論である。

では、どう対処するのがいいのか? という問いを彼女にすれば。


菫「関わるな」

菫「地雷は触らない内は無害だ、わざわざ触りに行くことはない」


成程。全くもって正論である。

だがその方法は、提案した彼女自身は絶対に実行できないのだ。


地雷を処理する人間が必要であるように。
蜜柑の入った箱の中から、腐った物を選り分け捨てる人間が必要であるように。


貧乏くじを引く人間は必要で、それは誰かがやらなくてはならない。


そして彼女がそうする理由を、誰かが彼女に聞けば。


菫「誰かがやらなければならない事なら、私がやってもいいだろう」

菫「好きでやってる事じゃないが、誰かにやらせようとも思わない」



そんな風に、答えるに違いない。

そんな彼女も、全国の頂点に立つ白糸台の部長。

その実力はお飾りなどではない本物だ。一流と言って良い。


菫「……」


彼女の強さの基点となるのは、人並み外れた観察力と集中力。

これを用いて、待ちを寄せ相手の浮いた牌を狙い撃つ。

それが彼女が『シャープシューター』と呼ばれる所以。

しかし。


「リーチ。ダブリーね」

菫「(……こいつも、か?)」


そんな彼女も、勝てる相手と勝てない相手は存在する。


「カン」

「ツモ。見るまでもなく裏乗って、6000オール!」

菫「(少なくとも、普通の麻雀にはなってないな……)」

二年間。

二年間、弘世菫はただ一人、宮永照を近くで見続けてきた。

離れるでもなく、近づくでもなく。

その結果、彼女は『宮永照の同類』であるのならその眼を見れば判別する事が出来るようになる。

他人には絶対に真似できない、彼女だけの特質。

無論、彼女が望んで手に入れた力ではない。

そんな彼女が、今卓の向こう側に座る新入生の眼を見た結果。


菫「大星、淡といったか」

淡「はーい?」

菫「先輩には敬語を使え」

淡「えー、二つしか歳違わないんだからスミレでいいじ」

菫「使え」

淡「……はーい、菫先輩」



弘世菫は、まだこの子は取り返しが付きそうだと、そう思った。

一方その頃、菫の胃を激しく痛める二人の内片方は。


京太郎「……」

「……」

京太郎「お茶、美味しいですね。渋谷先輩」

尭深「そ、そうだね」

京太郎「……」

尭深「……」

京太郎「あ、お茶請け買ってきたんで、どうぞ」

尭深「わ、ありがとね」

京太郎「……」

尭深「……」

京太郎「……うん、美味い」

尭深「(……落ち着くなぁ)」


呑気に暖かいお茶で、胃を安らげていた。

尭深「(……あ、お茶切れちゃった)」

京太郎「……ん? あ、お茶淹れてきますね」

尭深「あ、えと、私がほとんど飲んでたんだから、私が」

京太郎「良いですって、先輩は座ってて下さい。俺、後輩ですし」

尭深「……あっ」

尭深「(……いい子だなぁ)」


ごく普通の光景だ。
何もおかしな所はない。
そう。


尭深「(私が喋らなくても、嫌な顔しないし)」

尭深「(……ちょっと、ぺちゃくちゃお喋りするのって苦手なんだよね)」

尭深「(それに、何も話してなくてもヤな空気にならないし)」

京太郎「お茶、入りましたー」

尭深「あ、ありがとう」


彼女の認識が根本的に間違っているという点に眼をつぶれば、何もおかしな所はない。

尭深「(……新入生は、私がお茶飲んでると変な顔するし)」

尭深「(慣れとかじゃなくて、普通に接してくれるのは嬉しいな)」


少年は笑顔だ。しかし。

……笑顔は善い物だが、笑顔の下もそうであるとは限らない。


京太郎「(この人、良い人だなぁ)」

京太郎「(良い人には、丁寧に接するのが常識だっけか)」

京太郎「(うんうん、それが普通だよな)」


例えば、目の前で転んだ子供が居たとする。

「かわいそうだ」「痛そうだ」と考えて、それから「助けてあげよう」と思うのは正常だろう。

だが、「助けるのが常識」「そうするのが普通」という思考だけで「助けてあげよう」と思うのは、明らかに異常である。

無論、そういう気持ちは誰の中にもある。
だが微塵も他人に同情していない状態で他人に向けられる善意は、普通はありえない。

まるで、人間のフリをしている人形だ。


京太郎「(この人はどうでもいい人だけど、良い人だし、優しくするのが普通だよな)」

表面上の付き合いをする内はいい。

それなら『ボロ』は出ないし、互いにいい人だという認識程度で終わる。

だが一歩踏み込めば、そのおぞましさに恐れおののく以外の結末はありえない。

ヤマアラシが考え無しに互いに踏み込めば、ただ血まみれになるだけだ。



京太郎「茶碗熱いんで、気を付けてくださいね」

尭深「あ、うん。ありがとう」


特に、相手に対して踏み込もうとしない内気な性格なら。

あまり喋らない、相手の内心を自分の中で推測して完結しがちな性格なら。


尭深「(この人、良い人だ。優しい後輩ができたなぁ)」

京太郎「(この人、本当にいい人だな)」


下手をすれば、最悪一生。


『これ』を良い人だと思って、生きていくのではないだろうか。

『腐りかけ』。

それが彼女の、とある新入生の眼を見た時の第一印象。


菫「(大星淡……まだ、たぶん手遅れじゃない。なら)」

菫「淡」

淡「なにー?」

菫「(念は押しておくべきだ。私は、そういう立場にある)」

菫「入部するにあたって、お前に一つ注意しておく事がある。それと敬語を使え」

淡「はーい」

菫「(……まあ、敬語の方はおいおい定着させていけば良いか)」

菫「いいか? 二人、お前が近付くべきじゃない人間が居る」

淡「え? なに? 危険人物ってやつ?」

菫「いや、触れなければ害はない。だから、近付くな」

淡「ふーん……? で、なんて名前?」


菫「宮永照。ここのエースと、そいつがいつも連れてるであろう須賀という――」

淡「やだ」



菫「は?」

淡「やだよ、そんなの」

菫「待て、詳しく説明をすると長くなるが、お前の為にも……」



淡「私、ここに宮永照を倒しに来たんだから」



菫「……は?」

淡「ふふん」

淡「日本人なら誰だって知ってる、高校生最強!」

淡「そいつを倒しちゃえば、誰がなんと言おうと文句なく最強でしょう?」

淡「テレビで見た時から、ずーっと思ってたんだ」

淡「挑んでみたいって、勝ってみたいって!」

淡「あの人が立ってる場所に、私も立ってみたいって!」

淡「それが私の夢。だから私、その忠告は聞けないな」



キラキラした眼で、夢を語る淡。
腐敗しかけた瞳が、その間だけは真っ当な方向に戻る淡。

そんな彼女を見て、菫は。
彼女が腐り切ってはいない理由の一端を見た、菫は。



菫「(……ああ、くそったれめ)」

菫「(本当に、ままならない)」

菫「(神なんてものが本当に居るのなら、例え雲の上だとしても撃ち抜きたい気分だ)」


苦虫を噛み潰したような顔になりそうな自分を、必死に抑えていた。

菫の心中は、嬉々として崖に向かう者を見る心境だ。

菫は黙して見るには責任感がありすぎて。
淡を止めるには、力が足りなすぎた。

言葉だけでは『彼等』の危険性を伝えるには足りなすぎて。
実際会わせるには、淡にとって危険過ぎる。

だから菫が選んだ答えは、結局ベターな選択肢。


菫「……わかった、もう止めない」

淡「マジで!? やたっ」

菫「だが一つ、条件がある」

淡「なにー?」

菫「照と最初に会う時、私も同席させてもらう」

淡「……もー、心配症だなぁ」

菫「立場に付属する責任というものがある。約束できなければ、私もしつこく食い下がるぞ」

淡「はいはい、約束するよ」

菫「……本当に、分かってるのか?」

淡「私だって、菫先輩が本気で心配して言ってくれてる事くらい分かってるもん」

菫が心配しているのは、似ているからこそ、近いからこそ淡が引っ張られる可能性。

あちら側に半歩踏み出している淡が、完全に向こう側に行ってしまうかもしれない可能性。


淡「約束する。それは、ちゃんと守るから」

菫「……そうか。それなら、良かった」

淡「何か、私のお母さんみたい」

菫「それは若く見えんということか」

淡「痛い痛い、グリグリしないでー!」

菫「(……まあ、心配は要らないか)」


こんなにも真っ直ぐなら。

こんなにも素直なバカなら、きっと大丈夫。

淡は向こう側には行かないし、自分がそうならないように止めてみせる。

弘世菫は心の片隅で、そう誓いを立てた。




彼女はこの時の見通しの甘さを、長い間後悔し、苦悩し続ける事になる。

菫「それじゃあ、私は職員室に行ってくる」

淡「いってらっしゃーい」

菫「……すまん、危なっかしいコイツを頼む」

「はい、部長」

「おまかせですよっ」


部長として、部の用事を片づけに職員室に向かう菫。
見送る淡。
菫に頼まれた、名も無き部員二人。

結果的に言えば、これが運命の分岐点だったのかもしれない。

分かれ道の良し悪しなど、行ってみなければ分からないのは当然だが。


淡「……ん? アレ、誰?」

「あー、あの子? 宮永先輩の幼馴染さんだって」

「ふっつーの子だよ。麻雀弱っちいけど。あと私達先輩だから敬語ね」

淡「ふーん……?」


道の先に崖が待っているのなら、その選択は間違いだったと、断じて言える。

――いいか? 二人、お前が近付くべきじゃない人間が居る

――宮永照。ここのエースと、そいつがいつも連れてるであろう須賀という

――照と最初に会う時、私も同席させてもらう


淡「もしかして、須賀ってやつ?」

「そうだねー。須賀京太郎君」

「部長から聞いてたの?」

淡「(……スミレとの約束は、宮永照とだけだしね)」

淡「(なら、別に良いよね? あのチャンピオンの幼馴染ってんだから、弱くはないでしょ)」

淡「(スミレがあれだけ危険視してるヤツが、どんなのかすっごく気になるし)」


結果的に言えば。


淡「よっす、そこの少年!」

淡「私も新入生なんだけどさ、ちょっと打ってみない?」


弘世菫が出かけた隙の、この一局。





これが彼女の人生、最後にして最大の失敗だった。



 

大星淡は、片足を邪道、もう片足を王道に突っ込んで歩いている。

扉を開きつつも、扉の向こう側の素晴らしさを知りつつも、その誘惑に負ける事無く。

今まで培って来た物をないがしろにする事も無く。

人を大事にして、人の気持ちを理解して、人に心から優しくしてきた。

そんな彼女は無邪気で、無垢で、今までの人生において無敵であった。


完全に向こう側に行ってはいないから、どちら側の気持ちも理解できる。

かと言ってこちら側でもないから、常人では歯が立たない。


そんな彼女は意識せずとも生来の性格で周囲に好かれ、彼女も周囲に好意を向ける。


腐りかけとはそういう事だ。


人の理の外側と内側の丁度境界に彼女は立っている。


夢、友情、絆、信頼、愛。
そういったものを、彼女は捨てては来なかった。


だから彼女にとって、完全に『向こう側』の人間と相対するのはこれが初体験である。

淡「(手は、抜かないから)」

淡「(弱かったら、さっさと飛んでいいよ)」

淡「リーチっ!」

「え、嘘ダブリー!?」

「安牌とか無いって、勘弁してよ……」

京太郎「(……んー)」


大星淡には、二つの武器がある。
最強の盾と、最強の矛だ。
矛盾は、その二つを一人の人間が持つのなら矛盾しない。

盾は『絶対安全圏』。
そこに最速であるダブリーと、槓裏の火力を乗せた矛。

常人であれば何も出来ず、ただ蹴散らされるだけの圧倒的な力だ。


淡「カン」

京太郎「(……どれだ?)」

淡「ツモ! ダブリー裏四、3000・6000!」

「(なんで裏ドラも見ないで、この子……)」

淡「(……なんか、期待ハズレ)」

淡「(弱っちいし、感じるものも無いし)」

淡「(同卓してる二人も、全然強くないし)」

淡「(これならスミレやセーコの方が、ずっと強かった)」

淡「(あーあ、つまんない)」


現代における麻雀のセオリーの一つに、『5向聴ならオリろ』というものがある。

配牌の向聴数の平均値が3~4であるため、そこまで配牌が悪いのならいっそ切ってしまえ、というものだ。

この事からも、絶対安全圏の『他人の配牌を5向聴以下にする』という特性の強力さが伺える。

加えてダブリーに、役を問わない槓裏。
待ちは読めない上に、高火力。まったくもってふざけるなという能力だ。

能力者でなければ抗う事すら出来ず、生半可な能力であれば蹴散らされる。


まるで、王者となるべくして創られたかのような能力だ。


京太郎「凄いな、お前」

淡「ん?」

京太郎「『それ』でそこまで強いなんて」

淡「ふふん。まーね、それほどでもあるかな」

京太郎「何か、目標でもあったりするのか?」

淡「もっちろん。アンタにも関係あることだしね」

京太郎「俺?」

淡「私の目標は、打倒宮永照!」

淡「そんでもって、テッペン取る事!」

淡「そのためにも、もっと強くならないとね!」

京太郎「……? お前、強くなりたいのか?」

淡「あったりまえでしょ。強くなりたくない奴なんて居るの?」

京太郎「そうか……強くなりたいのか」


小さな親切。


京太郎「分かった。俺も手伝おう」


大きなお世話。

淡「……あれ?」


違和感。
それは、手牌が来る直前に感じた事。

今まで手の中にあったものが、すっぽりと抜けてしまった感覚。
掴めていたものが、急に遠くに行ってしまった感覚。

そして、体内をまさぐられるような不快な悪寒。


手牌を見た瞬間、その正体の一端を彼女は理解した。


淡「(……テンパってない!?)」

淡「(え、ウソ、なんで!?)」


そうしようと、彼女が思ったにも関わらず。

彼女の手牌は、配牌の時点で聴牌してはいなかった。


淡「(三人の捨て牌を見る限り……うん、絶対安全圏は、発動してると思う)」

淡「(何……なんなの、これ)」

じわり、じわりと、呑まれる。
足首から泥沼に浸かっていて、徐々に沈んでいく。

そんな感覚だけが、この卓を包んでいく。


淡「(手が……進まない)」

淡「(向聴が、変わらない)」

淡「(ありえないって、これ)」


大星淡の配牌時の向聴は、4向聴。
そして6巡目の現在。彼女の手牌は、いまだ4向聴のままだった。

不動の向聴。何をしようが、一向に手が進まない悪夢。
一度向聴をわざと戻してもみたが、次のツモで戻ってしまった。


淡「(……気持ち悪い)」

淡「(やだ、気持ち悪い)」


足元から這い上がってくる不快感。

蟻の群れが、肌の上を這いずりまわっている錯覚。

大星淡は、この悪夢の発生源をいまだに理解出来ていない。

淡「(……流、局)」

淡「(結局、何も出来ないまま、流局)」


淡「ノーテン」

「……ノーテン」

「……ノーテン」



京太郎「テンパイ。連荘だな」



淡「……え?」

淡「……ああ、そういう事」

淡「アンタ、だったんだ」

京太郎「? どうした」

淡「なんて、言うかさ」



淡「……私より終わってる人、この眼で見たの初めてかも」

気付けば、周りを見る余裕もできる。


淡「(私と、アイツ以外の二人)」

淡「(ひっどいことになってる)」


熱くもないこの部屋で、汗だくになって震える手で牌を掴む二人の名も無き部員。

……冷や汗、である。

滝のように流れる冷や汗が服を濡らし、椅子に垂れ、水滴となって床に落ちている。

脱水症状で死んでしまうのではないか、とばかりの汗。

語るべくもない。彼女達は、淡よりも先にこの卓の本当の異常さに気付いていたのだから。


淡「(私の、絶対安全圏は……)」

淡「(途中から発動すら、してなかった)」


この卓で、本当に全員の配牌を支配していたのは。
他人の向聴を完全に固定し配牌で聴牌するという、淡にも出来ない事をしてのけたのは。


淡「(この、死骸みたいな笑顔の男)」

京太郎「流局だな。テンパイ」

淡「ノーテン」

「…ノーテン」

「…ノーテン」

京太郎「連荘だな」


他家全員の向聴を固定して、自分だけは聴牌できるのなら。
理論上、永遠に連荘を続けられる。

あくまで理論上だ。小学生が考えるような稚拙な論理。

だがその論理が、今現実としてこの場所にある。

これを悪夢と呼ばずして、何を悪夢と呼ぶのだろうか。


淡「(これ、もしかしてずっと続けるつもり?)」

淡「(誰かが、飛ぶまで)」


牌を山から取る。切る。牌を山から取る。切る。
これをただひたすら四人が、山が尽きるまで続ける作業。

これを麻雀と、呼んでいいのだろうか?

牌を切る音だけが流れる。

鳴いても無駄だ。結果的に、向聴は戻ってしまう。
よって全員、流れるまで無言となる。

牌を取って、切って、流れるのだけの作業。
既にこの卓を囲む四人の内二人は、心が折れている。

しかし、折れていない者も居る。


淡「(こんな所で折れてちゃ、てっぺんまで届かない!)」

淡「(私の目標は、もっと高いんだ)」

淡「(こんな所で躓いてなんて……!)」


そんな彼女の諦めない、強く輝く思考は。



京太郎「これも、閉じておくか」



そんな彼の発した、意味の分からない言葉で停止した。

淡「(……あれ?)」


大星淡も、扉を開けた人間だ。
だから扉と鍵という概念も、しっかりと分かっている。


淡「(……あれ?)」


だから彼の言葉から扉を連想し、ふと見直してみた。
自分の扉。自分の中の、自分を構成する要素である扉。


淡「……あれ?」


気付けば、何故か扉が片っ端から閉じられている。
閉じた覚えはない。閉じる理由がない。


淡「……あれ?」


そして、気付く。


目の前の男が牌を打つ度に、己の扉が一枚締まっていく事に。

淡「やめて」


鍵を持つ者なら、開く事も閉じる事も出来る。
そしてこの瞬間、須賀京太郎は鍵を司る力に関して、大星淡の上位に居た。


淡「やめてよ」


閉じられていく。もう開けない。
本人の意志と関係無く。


淡「やめて、やめて」


家族愛。
中学時代の友人。
進路の相談に乗ってくれた先生。
優しい近所の住人。

それらに対する感情が、扉を閉められる度に、削がれていく。


淡「やめてってば」


愛も、友情も、信頼も、絆も。
人間の中にある、扉の向こう側にあるものの一つでしか無い。

淡「お願いだから、やめて」


彼がこの卓をこういう状況にした目的は、ただ一つ。
時間が必要だったのだ。予想以上に、淡の中の『余分』な扉が多かったために。


淡「やめて、やめて、やめて」


もう逃げる事すら出来ない。
全員足に根が生えてしまったかのように、立ち上がる事すら出来ない。
ただ、牌を切っていくしか無い。


淡「だめ、だめだってば、やめて、お願い」


そして彼の手番が来れば、彼女の扉が一つ閉まる。

彼女の大切なものが、扉の向こう側に取り残される。


淡「いや、いやだ、いやだってば!」



そして彼女の心も、一つ欠ける。

京太郎「ああ、分かるぜその感覚。すっげー怖いんだよな、自分が自分でなくなるみたいで」

京太郎「大丈夫だ、最初は怖いけどそのうちだんだんどうでも良くなるから」

京太郎「そしてその内、余分なものが無くなって、素晴らしい景色が視えるようになる」

京太郎「経験者の体験談だ、信じろよ」

淡「そんな事して欲しいなんて、頼んでない!」

京太郎「? 強くなりたいんだろ?」

京太郎「それなら足を引っ張る余分な扉は閉めて、さっさと扉の先に進んだほうが早いんだよ」

京太郎「お前は俺より見込みがあるのに、俺より弱いのがその証拠だ」

淡「余分なものなんかじゃない! 私には大切なもので、捨てたくなんかない!」

淡「こんなものまで捨てたら、本当に『人間』じゃなくなっちゃう!」

淡「だからやめてってば! 私は、こんな――」




京太郎「大丈夫だ。やる前は俺もそんな事言ってたけど」

京太郎「やった後はどうでも良くなって悩む事も無くなった奴が、ここにいるだろ?」

京太郎「心配するな。終われば、どうでもよくなる」

淡「こんなの、麻雀じゃない……!」



京太郎「何言ってんだ、これも麻雀だろ?」



京太郎「麻雀って楽しいよな。一緒に楽しもうぜ」

薄れていく。
彼女の中の大切だったものが、薄れていく。



家族の顔を思い出す。
……?
あれ、私の家族、こんなのだったっけ?
なんか、他人の家族の写真見てるみたい。


あれ、中学の時私の友達だった奴って、男だっけ?女だっけ?名前なんだっけ?
まあいいや、どうでもいいし。
親友がどうでもよくたって、別に何か変わるわけでもないしね。


今日、夢とかなんか先輩に語った気がするけどなんて言ったんだっけかなー。
昨夜の晩御飯は思い出せるんだけど、ううん。
まあいいや。思い出せないって事は、どうでもいいってことだし。


あ、色違いの扉だ。
さっさと開けて、追いつかないと。


あー。



扉の向こう側は、やっぱ良いなぁ。

淡「……」

京太郎「ハッピーバースデー」

淡「……」

京太郎「おめでとう、大星淡」

淡「……」

京太郎「お前は今日一度死んで、生まれ変わった」

淡「……」

京太郎「気分はどうだ?」

淡「……最っ高」

京太郎「悪いな、乱暴なやり方になった」

淡「良いよ、別に」




淡「そんなどうでもいいことより、続き打たない?」



結果だけを言わせてもらうのなら。その卓は、僅差で淡が勝利した。

菫「……なんだ、これは」

菫「何故、こうなった」

菫「私か? 私が……私が、悪いのか!?」


帰って来た彼女を迎えたのは、新入生の生意気な後輩でもなく。
日常風景である、白糸台女子麻雀部の練習風景でもなく。

彼女の想像の遥か上を行く、悪夢の光景。



淡「キョータロー、ちょっと椅子に座ってよ」

京太郎「ん? まあいいけどよ」

淡「よいしょっ」

京太郎「……なんで、俺の膝の上にわざわざ座る」

淡「座布団無いし」

京太郎「我慢しろよそのくらい!」

淡「えー、役得だって素直に喜びなよ」


目の輝きが、穢され朽ちて腐り果て、終わり果てた少女の眼。

京太郎「ちょっとは役得だと思ってるけどな、前が見えねぇんだよ」

淡「……重い?」

京太郎「軽いぐらいだ、そっちは心配すんな」

淡「そっか、よかったー」

京太郎「……なんか、いい匂いするな」

淡「ちょ、かがないでよっ、エッチ!」

京太郎「お前から座っといてなんつー言い草だ」

菫「……おい」

京太郎「あ、弘世先輩」

菫「お前、これは、一体どういう」

淡「あ、菫先輩。お疲れ様です。用事はどうでしたか?」

菫「……!!」


敬語。

菫「お前、その、敬語は」

淡「あれ? 敬語を使えと言われたのでそうしたんですが……どうかしましたか?」

口調が、癖が、性格が。

そんなに簡単に、変わったりするものだろうか?

否、変わらない。だからこそ菫も、淡の口調を時間をかけて強制しようと思っていた。

しかし、菫につきつけられた現実は。


菫「(……ああ、そうか。淡)」

菫「(お前はもう、本当に……)」


そして、変えたのは。


菫「(照は向こう側ではあるが、この部で同類を増やした事はない)」

菫「だが、お前は……」

京太郎「? ええと、何か御用ですかね?」


菫「(……お前は。お前達は)」

菫「(この世に、存在すべきじゃない)」

菫「(お前達が在る事自体が、絶望的に間違っている)」

例え話をしよう。とある宗教には、全知全能と定義された神が居る。

しかしその神は、全知全能でありながら『悪』であるサタンという悪魔を生み出した。
悪として生まれた、悪になった、悪を行った、それは関係ない。

善く在れと、善く生きろと全ての存在に命じたにも関わらず、生み出したのだ。


神が全知全能であるのなら、神が許さなかった存在は生まれない。ならば何故なのか?


それはつまり、『悪』であっても存在する事だけは許されるという事。

『悪』は否定され、いつか滅ぼされるものであっても、存在を否定される程のものではないという事だ。


必要悪という言葉が存在する時点で、それは当たり前の事。


でなければ、『贖罪』という概念の意味が分からなくなってしまう。


だが。それでも、存在を否定されるべき存在は居る。


菫「(悪でもなく、善でもなく。そのどちらにも存在を否定されるであろうお前達は)」

菫「(在るべきじゃないんだ、この世界に)」

菫「(……誰にも、止められないのか)」

ここで、視点は移る。
遠く離れた、清く澄んだ空気の満ちる地で。


「咲ちゃん咲ちゃん! もしかしてこの雑誌に乗ってるチャンピオンって、咲ちゃんの知り合いか?」


雑誌には、『宮永照』の文字。


「ううん。違うよ、優希ちゃん」

「私に、姉は居ないから」

「じぇ? そうなのかー」


華奢な体躯はどうにも健康的には見えないが、他者の目を引くのはその瞳。

雑誌を閉じた少女の瞳は、清濁併せ呑む器の大きさを持ちながら。

どこまでも清く澄んだ、美しい輝きを宿している。


「……待っててね」


そして、その視線の先は。

彼女の友人が持ってきた、その雑誌に注がれていた。