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@軽口と膝に乗って

静かな部室にマウスのクリック音だけが響いている。

一人なのでネト麻を始めたのだが、今日はとても調子が良い。

気分良く始めた五戦目が南入したところで入口の扉が開いた。

「おはようさん」

染谷先輩だ。

「おはようございます」

一瞬だけ画面から視線を外して挨拶を返し、また画面に向き直る。

「まだ皆来ておらんのか。てっきり、わしが最後と思うたが」

「部長は一番に来てましたよ。途中で学生議会の方に呼び出されて行っちゃいました。今日は戻れないそうです」

「あん人も忙しいからのう」

「咲は風邪だそうです。死にそうな声で電話がありました」

顔も見ずに話すのも失礼かと思ったが、染谷先輩に気にした様子はない。

むしろネト麻を途中でやめた方が、真面目にやらんかと怒られそうな気もする。

「あとの二人はどうしたんじゃ?」

「家の都合と、タコスの食い過ぎだそうで」

「どっちが誰の理由か聞くまでもないのう……」

呆れたように笑いながら、染谷先輩はこちらに近づいてきた。

「お、トップ目のオーラスか」

ふむふむと画面を覗き込む。

「今のところ四戦して一位が二回です」

幾分か誇らしげに言うと、にっこり笑って、「やるのう」と誉めてくれた。

「でもまだ打牌に迷う場面が多いんですよね。勘で選んでたまたま上手くいってますけど」

「次から打ち方を見て、終わったらアドバイスしようか?」

染谷先輩の申し出に素直に頷く。

「ありがたいです。お願いできますか?」

「はいよ」

結局、五戦目もトップのまま終了した。

六戦目を始めると、染谷先輩は立ったまま画面を注視し始めた。

「座らないんですか?」

二人しかいないため、椅子は十分に余っている。

キャスター付の椅子も、簡易ベッドの辺りにあったはずだ。

「パソコンの前も狭いから、椅子を持ってくるんものう……。邪魔になるならもう少し離れるから言いんさい」

「邪魔ってことはないですよ」

そう答えてから、「なんならここに座りますか?」、にやりと笑いながら膝をぽんぽんと叩く。

呆れた染谷先輩が「何を言うとるか」、そんな返しをしてくれるのを期待した軽口だったが、その思惑はあっさりと外れた。

染谷先輩は、少しの間を置いてから何も言わずに近づいてくると、すとん、と俺の膝の上に座った。

「え……?」

ふわりと良い匂いがした。

使っているシャンプーの香りだろうか。

それとも、女の子はみんな、甘い香りがするものなのだろうか。

膝に感じる柔らかさに、自然と唾を飲み込んでしまう。

「どうした? ツモ切るんか?」

染谷先輩の言葉に画面を見ると、とっくに自分の番となっており、電子音が残り時間がわずかであることを報せてくれた。

慌てて浮いていた字牌を選んで捨てる。

ほっと一息をついて染谷先輩を見ると、わずかに覗く横顔は普段と変わった様子はない。

「ええと、染谷先輩?」

「なんじゃ?」

「これはどういう状況なんでしょう?」

俺の問いかけに、声だけが返ってきた。

「東三局二本場、トップ目が親じゃな」

違う、そういうことではない。

染谷先輩はわざとはぐらかしているのか、そ知らぬ顔だ。

甘い香りと、柔らかな感触、ズボン越しに伝わってくる温もり。

それらに意識を向けてしまうといろいろと大変なことになりそうなので、無理矢理麻雀に集中することにした。

しばらくすると、上家からリーチがかかった。

勝負するような手でもないので、素直に降りることにする。

「賢明じゃな」

うんうん、と頷きながら染谷先輩。

バランスを保つためにか、背筋を伸ばしているので、ちょうど手牌の部分に染谷先輩の頭がかかっていて、少しばかり見づらい。

「あの……、染谷先輩。ちょっと手牌が見づらくてですね……」

「ん? 頭が邪魔じゃったか。すまんのう」

染谷先輩がもぞりと身動ぎをした。

そのまま膝から降りるのかと思いきや、ゆっくりと上半身を倒してきた。

しばらくもぞもぞと動いていたが、やがて落ち着いたのか、「これなら邪魔にならんじゃろ」と聞いてきた。

染谷先輩は俺の左肩を枕にすることに決めたようだ。

少し斜めになっているが、俺の左腕に自分の手を絡み付かせることで、ずり落ちるのを防いでいる。

左腕に感じるこの格別の柔らかさは、ひょっとしたら胸ではないだろうか。

和には敵わぬまでも、少なからぬ存在感を主張している。

一つ唾を飲み込んでから、絞り出すように答える。

「邪魔では、ないです……けど……」

早鐘のような心臓の音は、染谷先輩の耳にも届いているはずだ。

時折、染谷先輩の柔らかな髪が顎をくすぐる。

さっきよりも距離が近くなったせいか、甘い香りが強まった。

女の子とろくに手を繋いだことすらなかったのに、今や全身でその柔らかさを甘受さている。

最早、麻雀どころではない――。

「もう昼か」

12時を報せるチャイムが響いた。

「昼食のあとに今日の牌譜をチェックして、終わりにしようかの」

染谷先輩が膝から降りて、すたすたと入口に向かっていく。

何かに耐えきった俺が画面に目をやると、いつの間にか十一回も対局数が増えていた。

何がどうなっていたのか、まったく覚えていない。

ただ、勝率は五割を突破していた。

無心でやっていたのが良かったのかもしれない。

「ご飯、行かんのか?」

扉を開けた染谷先輩が声をかけてきた。

「あ、行きます!」

慌ててパソコンの電源を落として立ち上がる。

染谷先輩のもとに駆け寄り、並んで食堂に向かう。

「調子良かったのう」

「ええ、まあ……」

覚えているのは染谷先輩の感触のみで、対局の話を振られても困ってしまう。

ちらりと横目で染谷先輩を盗み見ても、やはり普段と変わった様子はない。

先ほどの出来事が夢か妄想であったのかと錯覚してしまうほどに平静だ。

どうしてあんなことをしたのかと聞いてみたかったが、それを聞かせまいとしているように感じた。

なんとなく悔しくなったので、少しばかり反撃を試みる。

「きっと染谷先輩が膝に乗ってくれていたからですよ」

返事はない。

染谷先輩の様子を窺うと、表情は変わっていないが、その頬はほんのりと朱に染まっていた。

あまりにも可愛らしいその様子に、つい調子に乗ってしまう。

「今度からは対局の時は染谷先輩に膝にのってもらおうかな」

染谷先輩は耳まで朱に染めながら、「ご要望があればな」と呟いた。

後日。

咲、和、優希と対局をしていたが、全然振るわない。

何を切っても振り込んでしまうし、テンパイすらできやしない。

どうしたものかと困り果てていると、対面の咲の後ろで対局を見守っている染谷先輩と目が合った。

先日の出来事を思い出す。

――そうだ、こういう時こそ。

「染谷先輩」

俺の呼び掛けに、染谷先輩だけではなく、皆の視線が俺に集まる。

「どうした?」

不思議そうに首を傾げる染谷先輩に、膝を叩いてみせる。

「座りますか?」

途端に、卓を囲む三人から罵声を浴びた。

「何を言っているの、京ちゃん……」

「セクハラですよ」

「発情期にも程があるじぇ……」

そんな中、染谷先輩はと見ると、呆れた顔で「何を言うとるか」、と呟いていた。

――あれぇ?

「ほら犬! 発情してないでさっさと捨てろ!」

「京ちゃんにはお説教が必要だね」

「最低です」

続く罵声の中、再度染谷先輩に目をやると、染谷先輩はいたずらっぽい表情で笑みを浮かべながら、
可愛らしい舌をちろりと覗かせていた。










@いつかその口に

校舎の屋上。

すでに放課後で部活が始まる時間のせいか、他には誰もいない。

そんなところで、俺はお弁当を食べている。

今日の昼休みはちょっとした用事があって昼食の時間がとれなかった。

購買でパンを買って食べる時間くらいならあったのだが、そんな日に限ってお弁当を持たされていたのだ。

外を眺めながら食べていると、麻雀部の部室の窓が開くのが見えた。

開けたのは染谷先輩だ。

こちらに気付くかな、と手を振ってみると、やがて気付いてくれたようで、手を振り返してくれた。

眼鏡の割によく気付いたなぁ、そんなことを思いながら見ていると、染谷先輩はこちらから見えない位置に移動してしまった。

少し寂しく感じたが、仕方あるまい。

さっさと食べ終わって部活に行こう。

お弁当を食べ進めていると、ドアが開く音がした。

振り向くと、そこには先ほどまで部室にいたはずの染谷先輩がいた。

俺に会いに来てくれたのだろうかと自惚れた考えが浮かんでしまう。

「何をしておるのかと思えば、こんな時間に弁当か」

「お昼に食べ損ねていたので。終わったらすぐ部活に行きますよ」

染谷先輩は、ふうん、と答えながら俺が座るベンチに近づいてきた。

座るのかな?

真ん中を陣取っていたのを、端に移動する。

染谷先輩は、ありがとう、と言いながらベンチに腰を下ろすと、そのままこちらに向かって倒れてきた。

ベンチに身体を横たえ、頭は俺の膝の上。

俗に言う、膝枕の体勢だ。

「そ、染谷先輩?」

「なんじゃ?」

寝返りをうって仰向けになった染谷先輩と目が合う。

眼鏡越しに見える、綺麗な瞳。

それを見て、聞きたかったことは何も聞けなくなった。

「……お弁当をこぼしたら、かかっちゃいますよ」

「ほんなら、上手いこと口に入れてくれたらええわ」

あーん、と可愛らしい口が開いた。

その様子に思わず苦笑し、卵焼きを掴むと、落としてしまったー、と言いながら染谷先輩の口に放り込む。

「ん……、甘い卵焼き派か。美味い」

もぐもぐと咀嚼する振動が太ももに伝わってくる。

「行儀が悪いですよ」

「寝ながら食べることか? 食べながら喋ることか?」

「どっちもです」

俺の言葉に、あはは、と笑いながら、違いない、と染谷先輩。

「まだ部室には誰もいなかったんですか?」

「わし以外は来とらんかったよ。換気のために窓を開けてたら屋上に見慣れた金髪が見えての」

「よくこの距離で気付きましたね」

目線を上げて部室を見る。

目が良い俺でも何とか見えるかどうかって距離だ。

お弁当を置いて、空いた手で染谷先輩の眼鏡のフレームを撫でる。

こちらの意図が伝わったのか、なんでじゃろな、と首を傾げている。

なんででしょうね、と返し、お弁当を持つ。

また可愛らしい口が開いたので、次はアスパラの豚バラ巻きを放り込む。

「ベーコン巻きはよう作るが、豚バラ巻きもいけるのう」

「自分でお弁当を作ってるんですか?」

「まあな」

染谷先輩は目を瞑って、こくりと頷いた。

染谷先輩がお弁当か。

普段の様子からすると、意外に感じる。

「意外そうじゃな」

「え!? いや、そんなことは……」

「顔に出ておったわ」

「いやあ、ははは……」

ばればれだった。

「今度、俺の分もお弁当を作ってきてくださいよ」

誤魔化すように提案する。

「ん。機会があったらな」

「その時は俺が膝枕してもらいますからね」

その言葉に染谷先輩の頬が見る見る染まっていく。

そこは照れるんだ。

次に白米をあげたあと、バランスを考えて大きめのレタスを投入する。

大きすぎたせいか、半分以上が口からはみ出ているが、もくもくという口の動きに合わせて次第に口の中に消えていった。

小動物みたいで可愛いなぁ、などと思いつつ、自分、自分、自分、染谷先輩くらいの配分でお弁当の中身を消化していく。

そんな時、おーい、とどこかから声が聞こえた気がした。

なんだ?

目線を上げると、部室の窓から優希が手を振っているのが見えた。

箸を持ったまま手を振り返す。

「どうした?」

「優希が来たみたいですね。こっちに手を振っています」

「ふむ。……わしは起き上がらんほうがええな?」

「……そうですね。今起き上がったら、二人で何をしてたのかと追求が来ることは確実ですね」

しかし、放っておいてもこちらに走ってきそうな勢いだ。

しばし考えた後、電話をかけることにした。

『よう』

『屋上で何してるんだ?』

『お弁当を食べてるんだよ』

『早弁ならぬ遅弁だじぇ』

何が可笑しいのか、あはははは、と笑い声が響いた。

『もう皆来てんのか?』

『咲ちゃんが図書館に寄ってから来るとかで、まだだじょ』

『相変わらず文学少女だな』

『あと、染谷先輩もまだだじぇ』

染谷先輩の名を聞いた途端、どきりとして視線を落とす。

当の本人はそ知らぬ顔で目を瞑っていた。

『ふーん、そっか。まあ俺もそろそろ食い終わってそっちに行くから、雀卓の準備をして待っておけ! 
今日こそはぐうの音も出ないほどコテンパンにしてやるぜ!』

『言ったな!? 大口叩いたからには負けたら帰りにタコスおごってもらうからな! 覚悟しとくと良いじぇ』

『そっちこそ負けたら俺におごれよ!』

こんだけ煽っておけばこっちに来ることはあるまい。

じゃあな、と電話を切ると、電話の間静かにしていた染谷先輩は目を瞑ったまま、
「負けたら半分持ってやるけえ、心配しなさんな」と言った。

その後、雑談を交えながらとは言え、二人がかりで食べ進めた結果、
男子高校生向けの大きなお弁当もあっという間になくなってしまった。

さて、どうしたものか。

食べ終わったからには部活に行くべきなのだろうが……。

なんとなくこの状況が名残惜しい。

うーむ、と一人悩んでいると、染谷先輩の口が可愛らしく開いた。

お弁当はもうないし、でもまだこの時間を終わりにしたくないし、そんなこと考えながら、
本当についなんとなく、左手の人差し指を染谷先輩の口に差し入れた。

はむっと染谷先輩の口が閉じて、甘噛みをされた。

眉根に僅かに皺を寄せ、はむはむと噛んでいた染谷先輩は、ややしてから、「これは噛み切ってもええんか?」と聞いてきた。

「……勘弁してください」

俺が指を引き抜くと、染谷先輩は、「美味しかったわ。ありがとう」と手を伸ばして俺の頭を撫でた。

「じゃあ、俺が先に行きますね」

「うん。わしはしばらくここにおるわ」

とは言っても今起き上がっては優希あたりに見つかってしまうかもしれない。

「ちょっと失礼します」

上着を脱いで丸めた後、染谷先輩の頭をそっと支えながら足をどけていく。

手に触れた柔らかな髪がさっきまで自分の太ももの上にあったかと思うと、心臓がどきりと高鳴った。

できた隙間に、枕代わりに上着を挟んでおく。

「こん上着はどうしたらええんじゃ?」

「部室のどっかに置いといてくれたら良いですよ」

染谷先輩は難しそうな顔をしている。

染谷先輩が俺の上着を持ち歩いていたら怪しさ満点だが、そこは何とかしてもらおう。

「ではまたあとで」

「はいよ」

まだ後ろ髪を引かれる思いはあったが、染谷先輩のひらひらと振られる手に送られながら、屋上を後にした。

部室に着くなり始まったタコス争奪戦は、熾烈を極めることもなく、優希の圧倒的優勢で進められた。

「なんでタコスがかかるとお前はそんなに強いんだよ……!」

「京太郎が弱いだけだじぇ! またまたリーチ!」

早い順目でのリーチに降りようにも安牌が少ない。

ぐぎぎ、と頭を悩ませていると、入口からそうっと染谷先輩が入ってくるのが見えた。

さっき自分が入ったときに扉を開けっ放しにしていたおかげで誰もそれに気づいていない。

染谷先輩はそのまま静かに入口横の棚に俺の上着を置くと、「遅くなってすまんかったのう」と声を上げた。

「あら、まこ。遅かったじゃない」

「ちいと用事があっての」

「染谷先輩! 染谷先輩の分も京太郎からタコス代を出させて見せるじぇ!」

鼻息荒く声高に叫ぶ優希に、「期待しておるぞ」と声をかけ、部長に現在の収支を聞いていた染谷先輩は苦笑いを浮かべていた。

すいませんねえ、弱くて!

半分出すと言ってくれた染谷先輩のためにも多少はマイナスを取り返したいところだが、
とりあえず目の前のリーチをかわしきることが先決だ。

何とか粘っていたものの、ついに安牌が完全に切れた。

どうしよう……。

「ちょい待ってな」

声をかけてから長考に入る。

無意識に爪を噛んでしまうが、そんなことをしても良い打牌は思いつかない。

うーむ……。

そんな俺の思考を遮るように部長の声が聞こえた。

「ちょっと? どうしたの?」

顔を上げて部長を見ると、視線は染谷先輩へ。

その染谷先輩はと見ると、顔を耳まで赤く染め上げていた。

なんだ?

染谷先輩は真っ赤な顔で口をぱくぱくとさせていたが、俺と目が合うと踵を返した。

「飲み物! 暑うて敵わんけえ、飲み物買うて来る!」

そのまま足早に部室を出て行ってしまった。

後に残された5人は何事かと顔を見合わせていたが、よくわからなかったので、とりあえず麻雀を再開することにした。

さて、何を捨てようか。

かりっと爪を噛んだところで、はたと気づく。

そう言えば、俺が噛んでいるこの指って……。

左手の人差し指。

もっと言うならば、先ほど染谷先輩に甘噛みされていた指。

それに気づいた途端、自分の体温が急上昇するのがわかった。

染谷先輩のあの反応も頷けようものだ。

急に挙動不審になった俺に「どうした? はよ切れ!」と優希から声がかかった。

訝しがる皆を前に、打牌選択どころではない思考状況になった俺は、適当に掴み取った牌を捨てた。

捨てた牌はリーチに当たることはなく、その後も上手いことかわし続け、最終的に流局で終了した。

その後、染谷先輩のことで頭がいっぱいになった俺は、自分でもよくわからないうちに優希に対して連勝した。

膝枕のときといい、何も考えていないほうが強いと言うのも悲しいものである。

結局、おごりではなく、皆で買い食いをして帰ることになった。

優希はタコスを主張していたが、ほかの女性陣が希望した甘い物との折衷案の結果、クレープを買いに行くことになった。

優希は、甘いかしょっぱいかの違いだから問題ないじぇ! などと言っていた。

それで良いのか。

あの後、リンゴジュースを手に持ちながら戻ってきた染谷先輩は、すっかりいつもの調子だった。

部長の鋭い追求もひらりひらりとかわしきった。

ああいうところは見習わなくてはなるまい。

そんな染谷先輩も、総合で俺が優希を逆転したのには目を丸くして驚いていた。

無心で打った結果です、と告げると、なにやら思い当たる節があったのか、ふうん、とそっぽを向いてしまった。

夕日に照らされながらクレープを片手に部長と話している染谷先輩を見つめる。

かぷりとクレープを食む口に、つい注目してしまう。

じっと見ていると、部長が優希に呼ばれて行ってしまった。

話し相手のいなくなった染谷先輩がこちらを向いて目が合ったが、すぐに伏し目がちに目を逸らされてしまう。

構わず見続けていると、ちらりと上目遣いで様子を窺ってきた。

それがあまりにも可愛らしかったので、つい笑みを浮かべてしまったところ、染谷先輩は少しだけむっとした表情を浮かべた。

その表情のままクレープをじっと見つめていたかと思うと、指で生クリームをすくいとり、ぱくりと口に含む。

染谷先輩の左手の人差し指が、ちゅっ、と可愛らしい音を立てた。









@そういうことなら許してあげる

先日来、俺の頭から離れないものがある。

先日というのは、染谷先輩が俺の膝の上に乗った時のこと。

あの時、染谷先輩は俺に身体を預け、俺の腕に自らの腕を絡ませていた。

頭から離れないものとは、その時に味わった感触のことだ。

具体的に言うならば、おっぱいである。

二の腕に触れたあの柔らかな感触。

マシュマロのような、との形容はよく聞くけれども、そんな言葉で言い表すことなどできやしない。

触れたら消えるメレンゲに弾力が付いたような、いや、違う。

そんな言葉も不粋だ。

あの感触は、おっぱいとしか言い表せない。

そう、おっぱいの柔らかな感触を形容する言葉は、『おっぱい』しかあり得ないのだ。

そんな深遠なる思考の後、麻雀部の面々を観ていく。

のどっぱい。

最早、説明は不要だろう。

あの大きさ。

しかして垂れているでもないあの形。

そして触れるまでもなくわかる柔らかさ。

まさにキング・オブ・おっぱいの名に相応しい。

これを見た後では他のおっぱいは、『ぉっぱい』くらいにスケールダウンしてしまう。

圧倒的偉容である。

「…………」

さきっぱい。

大きくはない。

小さく……はあるか。

やや小さい。

でも普通である。

お前はこんなところでも普通か。

麻雀は異様なくせに。

しかし、堂々たる普通さを誇るさきっぱいもおっぱいに他ならない。

その柔らかさは、天女の羽衣の如く、である。

触ったことないけど。

「…………」

ゆうきっぱい。

ん?

見当たらねえな。

「…………」

ひさっぱい。

俺はこのおっぱいに出会って気付いた。

おっぱいは単体では語れない。

部長の醸し出す大人っぽさ、踏み込んで言えば悪女っぽさの割に控え目なおっぱい。

その落差に魅力される。

すなわち、持ち主との相乗効果もおっぱいの魅力を語る上での大きな要素となるのだ。

それに、控え目と言っても、ひさっぱいは決して小さくはない。

クラスの女子を見渡せば、普通よりやや大きいと言うところだろうか。

しかし、麻雀部にはどうあっても比較対象となってしまうおっぱいの王がいる。

王と比較されれば全てはぉっぱいとなってしまう。

のどっぱいの功罪ここに有り、と言ったところか。

「…………」

まこっぱい。

俺が唯一、その柔らかさを知るおっぱい。

こうして見ると控え目に見えるが、なかなかどうして。

それはおそらく、あの胸元の大きなリボンによって引き起こされる錯覚に過ぎないのであろう。

触れたときのあの感触からそれなりの大きさを誇っているだろうことは、想像に難くない。

まあ、大きいと言えるほどでもないだろうが。

特筆すべきは柔らかさと瑞々しさ。

そう。

あの弾力は筆舌に尽くしがたい。

俺の二の腕に当たった途端、俺の腕を包み込むように形を変え、かと思えばその瞬間に、元の形に戻ろうと押し返してくる。

かつて体験したことのない感触。

魅力されるも已む無しである。

そして。

なぜだろう。

最近はおっぱいの王たるのどっぱいよりも、まこっぱいの方が気になるのだ。

唯一触れたという身近さ故だろうか。

いや、違う。

ひさっぱいで俺は気付いたではないか。

おっぱい単体ではなく、その持ち主との相乗効果こそが大きいのだと。

そうなんだ。

染谷先輩のおっぱいだからこそ、あのおっぱいは魅力的に輝いている。

まこっぱいをこの掌に納めることができたなら、さながらルーベンスの祭壇画を見たネロのように、俺も天へと昇ることであろう。

俺の黄金の林檎は、ここにあるのだ。

「…………」

部活も終わり、帰宅の時間となった。

俺は部室を後にし、一人校門で佇んでいる。

今日は対局の約束があって染谷先輩の雀荘に寄るのだ。

染谷先輩の雀荘に入り浸っていたら常連のおじさんと仲良くなったが、上手い人ばかりで良い勉強になっている。

そのため、染谷先輩と一緒に下校する約束をしているのだが、
その染谷先輩は「女子だけで話すことがあるけえ、先に校門に行っとれ」と言ったきり、一向に来ない。

何の話をしてるんだろうなぁ。

茜空を飛んでいくカラスを十羽ほどぼうっと見送った辺りで、ようやく染谷先輩がやって来た。

「待たせたのう」

「いえ、俺も今来たところです」

「……なんじゃそれ」

染谷先輩が小さく笑う。

「人生で一度は言ってみたい台詞の一つです」

帰路、夕陽に向かって歩く。

どこぞの青春映画のようだ。

歩きながら、染谷先輩に尋ねてみる。

「何の話をしてたんです? 女子だけってことは団体戦の話ですか?」

その質問に、違うと否定した染谷先輩は難しそうな顔をしていたが、ややしてから「単刀直入に言うわ」と話を切り出した。

「あんた、皆の胸を見すぎじゃ」

ぴしり、と空気が凍った音が響いた気がした。

染谷先輩を見ると、冷たい流し目で俺を見ている。

「ええとですね……」

言い訳をしようと口を開くと、「言うとくが、そういう視線はばればれなんじゃからな」と言い捨てられた。

「あ……、あははははー……」

こうなっては笑って誤魔化すしかない。

「笑うとる場合か。まったく……。優希は『最近は毎日のように視姦されてるじぇー』などと言っておったぞ」

「え? 見ようにも、あいつに見るべき胸なんて付いてないですよ」

俺の言葉に呆れ顔になった染谷先輩に「そういうことを言うでない」と裏拳で小突かれた。

「なんにせよ、嫌な思いをする人もおるんじゃ。絶対に見るなと言うのも酷とは思うけえ、程々にしときんさい」

そう言われては何も言えない。

素直に「わかりました」と返事をした。

「それにしても皆の胸を見回すなど、どういった了見じゃ」

「この件に関しては染谷先輩にも責任の一端がですね……」

その言葉に染谷先輩は、はて、と小首を傾げている。

「この前、染谷先輩が膝の上に乗って腕にしがみついたときに、胸が当たってまして」

「…………」

「それ以来、胸に焦がれるお年頃になったと言いますか、あの感触が忘れられなくなったと言いますか……」

「……ふうん」

染谷先輩はぴたりと歩みを止めた。

「染谷先輩?」

その表情は、俺の長い影に覆われていて窺い知れない。

染谷先輩がゆっくりと口を開いた。

「それなら、もう一度、触れてみるか?」

「え?」

無意識に聞き返す。

今、なんて?

「もう一度、触れてみるか、と言ったんじゃ……」

染谷先輩が一歩近づいてくる。

手を後ろに組み、強調するように胸を反らしている。

思わず唾を飲み込む。

染谷先輩はまだ俺の影に入ったままで、どんな顔をしているのか薄暗がりでよくわからない。

そっと右手を上げ、おそるおそる動かしていく。

手が近づいていく。

あの時の、柔らかな胸へ。

後少しで、手が触れる――。

「なんてな」

あと僅かの距離を残し、俺の手はぺしりと叩き落とされた。

「……えぇぇ」

我ながら情けない声が漏れた。

「ふん。乙女の胸をそう易々と触らせてたまるか」

勝ち誇ったように言う染谷先輩。

諦めきれずに再び手を伸ばすが、今度はぎゅっと握られて阻まれてしまった。

「染谷先輩、生殺しはあんまりですよ……」

俺の泣き言に、手がいっそう強く握られた。

「知らんわ。目移りしとった罰じゃ」

染谷先輩は手を握ったまま歩き出す。

「ほれ、対局の約束があるんじゃろ。さっさと帰るぞ」

へーい、と情けなく返事をして、手を引かれるままについていく。

歩く二人は無言だ。

二人の間にあるのは強く握られた手だけ。

染谷先輩を見ると、平静に見えるが、どことなく怒っているような気もする。

話題を探して、思い付いたことを口にする。

「いや、でも、目移りしていたと言ってもですね。結局、染谷先輩の胸が一番良いなって結論になりましたからね?」

染谷先輩の様子を窺うと、眉根を寄せて幾分か険しい顔になっていた。

しまった、話題の選択を間違えた……。

心の中で後悔する俺に、染谷先輩が呟く。

「……阿呆か」

なんとも言葉を返せずに苦笑いを浮かべていると、染谷先輩はこちらを向いて、笑顔で言った。

「あんたは、本当に阿呆じゃな」

その後は、二人、優しく握り直された手で、静かに歩いて帰った。








@花よりも団子よりも

今日は近くの河原で花火大会がある。

行きたいと駄々をこねる優希に根負けした部長は、部活開始早々に終了時間切り上げを宣言した。

あれを食べる、これを食べるとおおはしゃぎの優希。

お目当ては屋台か。

花より団子娘め。

咲と和も楽しみなようで嬉しそうに話をしている。

染谷先輩はと見ると、一人、申し訳なさそうに眉尾を下げていた。

「せっかくなんじゃが、わしは店の手伝いがあるけえ、皆で行ってくるとええ」

そんなぁ、と優希から悲鳴が上がる。

「染谷先輩と一緒に花火見たいじぇ……」

ふと考えてみれば、この二人は意外と仲が良い。

中学生どころか小学生気分すら抜けていないお子様と、落ち着いた大人っぽい先輩。

うまくかみ合っているんだろう。

「すまんのう。明日、土産話でも聞かせてくれな」

よしよしと頭を撫でる染谷先輩に、優希は悲しげに頷いていた。

それにしても、染谷先輩は来ないのか……。

ふむ。

「おい、京太郎! タコス屋台を探しに行くぞ!」

「ん? 聞かれなかったから言ってなかったけど、俺も用事があるから行けないぞ?」

俺が行くことは優希の中では確定していたようだ。

「え? なんでだ? デートか? 誰かとデートなのか!?」

ワイシャツを掴んで上下左右にと振り出す。

やめんか、ボタンが取れる。

「ちげえよ。そんな色気のある話じゃねえ!」

なんとかワイシャツから優希を引き剥がす。

優希は「つまんないじぇ」とむくれていたが、和が「仕方ないでしょう?」とたしなめて、ようやく落ち着いたようだ。

「染谷先輩と違って、京太郎にはお土産話してやんないからな!」

「いらねえよ……」

そんなやり取りを見ていた部長が、手を打ち鳴らす。

「はいはい、夫婦漫才はそこまで。花火に行くなら早めに移動しないと混むわよ」

「いやん、夫婦だなんてー」と身をくねらせる優希をあしらいながら染谷先輩を盗み見ると、
「仕方ないやつらじゃ」などと呆れたように笑っていた。

「わしはここでお別れじゃ。また明日のー」

花火組み、帰宅組み、途中までは一緒なので並んで帰っていたが、まず染谷先輩が離脱していった。

お疲れ様です、また明日、などと各々が声をかける。

しばらく行くと、俺の家と、河原へ向かう道との分かれ道となった。

「じゃあ、気をつけてな」

花火組みと別れて家に向かう。

家に着くなり押入れを漁ってみると、思ったとおり浴衣が出てきた。

少しごろごろして時間を潰してから着替え、夕飯はいらないと母親に告げ、家を出る。

この時間なら終わるまでにはつくだろう。

からんころんと下駄を鳴らしながら、向かうはルーフトップ。

染谷先輩の家でやっている雀荘だ。

ルーフトップにつくと、煌々とした明かりが外まで漏れている。

花火を見るために、窓を開け放しているのだろう。

ドアベルを鳴らしながら入店する。

「いらっしゃ――」

かけられた声が途中で止まる。

あんぐりと口を開けているのは染谷先輩だ。

「あんた……、こんなところで何をしとるんじゃ」

「何って、麻雀を打ちに来たんですよ」

「用事があるって……」

「ええ、麻雀を打つ用事です。色気がある用事じゃないでしょう?」

染谷先輩が俺の上から下までを見渡す。

「そん格好は、花火に行くんじゃないんか?」

浴衣姿で雀荘に来た俺に首を傾げている。

「これは単なる私服です」

そんなわけあるか、と言いたそうな染谷先輩。

「染谷先輩こそ、その浴衣可愛いですね」

今日の染谷先輩は浴衣姿だ。

普段はメイド雀荘であるこの店も、今日ばかりは夏祭り仕様になっている。

勿論、そんなことはイベント案内で知っていたので、俺もこうして浴衣で来たのである。

お揃いで浴衣を着て、ちょっと遠いけど雀荘の窓越しに、一緒に花火を見る。

自己満足だけど、それでも良いじゃないか。

店内を見ると普段よりも客は少ない。

まあ、そうなるのも仕方ないだろう。

卓についているのは花火に興味が無さそうなおっさんばかり。

「席が空いたら案内するけえ、ちいと待っておれ」

へーい、と返して適当な雑誌を読もうとすると、「おーい、須賀君」と声がかかった。

そちらを見ると、この雀荘で知り合ったおじさんが手を振っている。

「ここ、一人欠けるんだが、入らんか?」

その言葉に染谷先輩を見ると、こくりと頷いている。

構わないらしい。

よろしくお願いします、と挨拶をして席に着く。

「若い者が、花火大会にも行かずに麻雀かい?」

「いやあ、一緒に行くような相手もいないですしね」

「それにしちゃあ、気合の入った格好じゃないか」

「雰囲気だけでも楽しもうかと」

話しながらも麻雀は滞りなく進んでいく。

窓の外を見ると、時折、赤や青の花火によって夜空が彩られている。

きれいだなー、と花火を見ながら打った牌に、ロン、と声がかかった。

「ぐはぁ……」

椅子にもたれかかり、大きく息をつく。

ただでさえ実力で劣っているのに、余所見などしていたらこうなるのも当然だろう。

3戦連続で箱割れぎりぎりの4位。

「今日は散々じゃなぁ」

ぽん、と頭に冷たいおしぼりが置かれる。

振り向くと染谷先輩が苦笑しながら立っていた。

「わしは休憩に入るけえ、続けるなら頑張ってな」

「あ、俺もちょうど一休み入れようかと思っていたところで……」

卓の皆を見ると、にやにやとこちらを見ている。

「ああ、そういうことかい」

「それなら卓割れで良いぜ」

「頑張れよ、若人」

麻雀が目的じゃないことは、ばればれだったようだ。

それでも快く送り出してもらって、染谷先輩の後に続いて外に出る。

「なんじゃ。もうええのか」

「負け続けなので、一休みです」

連れ立って歩く。

特に目的はないけれど、足は自然と花火会場の方へと向いていた。

勿論、今から行っても間に合うはずはないし、行くつもりもないんだけど。

「休憩はどのくらいなんです?」

「んー。晩飯込みで30分くらいかのう。まあ、今日は客が少のうて忙しゅうないけえ、一時間くらいは大丈夫じゃろ」

「じゃあどこかで一緒にご飯でも食べますか」

「そうしようか」

染谷先輩の言葉にかぶせるように、一際大きな花火が連続で上がった。

その音と光に紛れるように、そっと染谷先輩の手を握る。

染谷先輩の手は一瞬驚いたようにびくりと震えたが、ややしてからそっと握り返してきた。

無言で歩く夜道。

星と花火が道を照らしている。

赤、青、緑、黄、橙……。

夜空は様々に彩られ、染谷先輩の横顔も七色に照らされている。

どきりと高鳴った鼓動に押し出されるように言葉が口をつく。

「花火大会。来年は行けると良いですね」

「……そうじゃな」

どんっ、と大きな音が響く。

「一緒に、見に行けるとええな」

薄紅色の大輪が、夜空に咲いた。







@衝撃でもない事実

「染谷先輩、一つ聞いて良いですか?」

「ええよ。なんじゃ?」

ぱらりと雑誌のページを捲りながら染谷先輩が頷く。

「俺たちって付き合ってたりしませんよね?」

「うん。しとらんな」

即答する染谷先輩。

「ですよねー」

好きだと言ったことも、言われたこともない。

付き合おうと言ったことも、言われたこともない。

でも二人きりの部室で、染谷先輩は胡座をかいた俺の足の間にすっぽりと収まってくつろいでいる。

これって第三者からすればどう見ても……。

――30分前

「こんちゃーっす」

部室に入ると、パソコンの前に座る染谷先輩しかいなかった。

「あれ? 今日って部活ありますよね?」

「皆、なんだかんだで休みじゃなぁ」

部長は家庭の事情、咲は親父さんとお出かけ、和と優希は中学時代の後輩に会いに行くそうだ。

「今日は休みにしても良かったかも知れんな」

「そうっすねえ」

俺は染谷先輩と二人きりってのも嬉しいけどな。

「せっかく来たし、のんびりして行きますよ」

染谷先輩はネト麻をしているようだ。

「調子はどうです?」

「まあまあと言ったところかのう」

染谷先輩と俺とでは、ネト麻において文字通り住む世界が違う。

最上級卓でまあまあと言うのは、俺のいる一般卓での連戦連勝くらいに思って良いんだろう。

ごろごろしようと簡易ベッドに向かうと、麻雀雑誌が置いてあった。

ナンバーを見ると最新号らしい。

「この雑誌は染谷先輩のですか?」

「うん? ああ、そうじゃ。来る途中に買ってきた」

「読ませてもらって良いですか?」

「ええよ」

許可をもらってから雑誌を手に取ってベッドに腰を下ろし、ヘッドボードに寄りかかって足を伸ばした。

雑誌をめくる音に、マウスのクリック音が混ざる。

「この半荘で終わりじゃが、交代するか?」

どうしようか。

少し迷ったが、断ることにした。

一度ベッドに落ち着いてしまうと、降りる気にはなかなかなれない。

「今日はいいです」

「はいよ」

その後しばらくすると、染谷先輩がふぅっと息を吐きながらこちらに向かってきた。

ネト麻の時間は終了らしい。

「お疲れ様です」

俺の言葉に無言で頷く。

「ベッド使います? 使うならどけますよ」

尋ねると、んー、となにやら思案している。

「いや、ええわ。その代わりといっちゃなんじゃが、そこで胡坐かけるかのう?」

胡坐?

それは勿論、できるけども。

意図が読めず、曖昧に頷きながら胡坐をかくと、染谷先輩は何も言わずにベッドに上り、俺の胡坐を円座代わりに腰を下ろした。

俺が言葉を発せないでいると、「雑誌、一緒に読もうか」と染谷先輩が提案してきた。

はい、と返事をして雑誌を染谷先輩に渡す。

「最初のほうは読んじゃったんで、染谷先輩のペースで読んでくれて良いですよ」

「うん、わかった」

染谷先輩は雑誌を受け取ると、俺にもたれかかり、優雅な読書を開始した。

そんなわけで、今の質問である。

いやあ、付き合ってないのは知ってたけど、この状況はどうなんだろう。

染谷先輩の目が文字を追うのにつられて、きれいな髪がゆらゆらと揺れている。

一緒に雑誌を読もうとの提案であったが、それどころではない。

肩越しに雑誌を覗き込もうとすると、うなじが、髪が、甘い香りが、俺を魅了してくるのだ。

思わず両手を染谷先輩のお腹に回し、ぎゅっと抱き締める。

んっ、と染谷先輩から吐息が漏れ、雑誌をめくる手が止まった。

強すぎたか、と少し緩めると、染谷先輩は一つ息を吐き、読書を再開した。

怒られたら離そうと思っていたが、そんな気配はない。

甘い香りに惹かれるように、そして僅かに生まれた劣情に導かれるように、首筋に顔をうずめる。

くすぐったかったのか、少し身動ぎをした染谷先輩は、掌で撫でるように俺の頭をぽんぽんと叩いた。

耳元で囁くように、もう一度聞いてみる。

「俺たちって付き合ってたりしませんよね?」

「うん。しとらんな」

またしても即答する染谷先輩。

「ですよねー」

顔を上げ、頭までもヘッドボードに寄りかからせる。

開いた窓からは涼しい風が入ってきていた。

しばらく窓の外を見ていると、染谷先輩が雑誌を畳んだ。

そして、「ちいと仮眠するわ」と言い捨てると、完全に俺に体重を預けてきた。

「え、ちょっと、染谷先輩?」

慌てて顔を覗き込むと、まだ寝てはいないだろうが、目を瞑って開ける気配はない。

「えー……」

俺の腕に中にいる可愛い少女。

完全に身を委ねているその様子を見ると、何かをしてやろうという気持ちは薄らいでいった。

少なくとも今日のところは、であるけれども。

この状況で眠れるかは疑問だったが、気持ち良さそうに眠る染谷先輩を見習い、俺も午睡に落ちることにした。






@いつまでも続きますように

明日の部活は午後からとなった。

咲を誘ってどこかで食べるのも良いが、それなりに倹約家なので断られそうだ。

優希は確実に昼飯がタコスになるからやめておこう。

そうなるとやっぱり……。

手に持つ携帯には染谷先輩の番号が表示されている。

一番誘いたい相手だけど、店の手伝いとか、いろいろと忙しい人だからなぁ。

うーむ、と唸り声をあげてから、携帯を放り投げる。

断るのも心苦しいだろうし、やめておくか。

明日はおとなしく家で食べてから部活に行こう。

すると、そんな決意を見透かしたようなタイミングで携帯が鳴り響いた。

ディスプレイの表示を見ると、染谷先輩からだ。

急いで通話ボタンを押す。

「もしもし」

『こんばんは、染谷です。今、電話大丈夫じゃったか?』

「はい、大丈夫ですよ。どうしました?」

『ええと、明日の昼御飯なんじゃが、何か予定はあるんかな?』

その言葉に心が沸き立つ。

「家で食べて行こうかなって考えてました」

もしや、お昼のお誘いか!?

『前に、機会があったらお弁当を作るっちゅう約束をしとったが、もし良かったら明日どうかと思うてのう』

「是非お願いします!」

かぶせぎみに即答する。

『そうしたら、場所はこないだの屋上で。時間は11時くらいでどうじゃろ』

「わかりました。じゃあ、その場所時間で明日! 楽しみにしてますね!」

小躍りしたくなる衝動を抑え、少し雑談をしたあと、電話を切った。

「やったぜ!」

思わず叫ぶ。

膝枕付きで染谷先輩の手作りお弁当。

これがはしゃがずにいられるだろうか。

いや、無理だ。

結局、小躍りしていたのを母親にうるさいと怒られたところで、ようやく就寝することにした。

明くる日、約束よりだいぶ早く学校の屋上に着くと、そこにはすでに染谷先輩が待っていた。

「おはようございます」

「ああ、おはようさん」

染谷先輩の座るベンチに駆け寄ると、「あんた、随分早いのう」と染谷先輩。

「いやあ、楽しみ過ぎて……」

染谷先輩は部室に用があったらしく、それで早めに来たそうだ。

まだ昼食には少し早いが、待ちきれない旨を伝えると、「仕方ないやつじゃなぁ」とお弁当を広げてくれた。

お弁当箱にはぎっしりとおかずが詰まっていた。

ご飯物はと見ると、おにぎりが用意されていた。

「お茶もあるからな」

染谷先輩は水筒から紙コップにお茶を注いでいる。

準備ができたところで、では早速、と膝枕をしてもらおうとすると、「まてまて」と止められた。

「何をするつもりじゃ?」

「膝枕です」

「そっちはすると言った覚えはないぞ」

「え……」

絶句する。

でも確かに、お弁当については機会があったらと言ってくれたが、膝枕は頷いてくれなかったような……。

「わかり……、ました……」

がっくりと項垂れながら渋々と諦める。

お弁当が食べられるだけ良いと思おう……。

よほど残念そうな顔をしていたらしく、不憫に思ったのか、染谷先輩は「お弁当を食べ終わって、時間があったらな」と言ってくれた。

染谷先輩のお弁当はとても美味しかった。

あまりの美味しさに、味の感想を聞かれても美味いとしか答えられず、
「なんの参考にもならん返事じゃなあ」と染谷先輩を呆れさせてしまった。

「いやあ、本当に全部美味しいんですよ。もう毎日作ってほしいくらいです」

その言葉に照れたのか、染谷先輩は「ふうん、そうかい」とそっぽを向いてしまった。

心なしか頬が少し赤らんでいるように見えた。

眼前の山々を見ると、天気の良さに山際が際立っている。

今日は部室があるのとは逆側のベンチに座っているため、景色が開けている。

こんな日には外でのんびりしたいものだけど、インドアな部活なのでそうもいくまい。

二人分にしては多いかに見えたお弁当も、好天の下、染谷先輩と話ながら食べるとあっという間になくなってしまった。

「ごちそうさまでした!」

「お粗末さまでした」

水筒だけを残し、お弁当を片付けていく染谷先輩は、「量は足りたんか?」と聞いてきた。

「満足ですよ。勿論、染谷先輩の手作りならまだまだ食べれますけど」

「ほんなら良かったわ」

広げたお弁当をしまってにっこりと微笑む姿に、思わず抱きつきたくなる。

それをぐっとこらえ、お弁当に並ぶ本日のメインイベントを切り出す。

「では染谷先輩。部活までまだ時間があることですし、その……、膝枕をですね……」

染谷先輩は少し笑いながらいずまいを正すと、「おいで」と膝を叩いた。

「ああ……、世界にはこんな素晴らしいものがあったのか……」

「大袈裟じゃなぁ」

苦笑する染谷先輩と俺の間には、それほど大きくはないが柔らかそうな双丘が見える。

思わず手を伸ばしたくなるが、そんなことをすればこの至福の時間は失われるだろう。

視線を空へ移すと、遠くの方で鳶が回っているのが見えた。

「良い天気ですねえ」

「うん」

暖かな日差しに目を瞑ると、どこかから携帯の振動する音が響いてきた。

俺の携帯ではない。

となると、染谷先輩か。

「はい」

『やっほー』

漏れ聞こえる声からすると、相手は部長のようだ。

「どうしたんじゃ? 今日の部活は午後からじゃろ?」

染谷先輩は電話中の手慰みに俺の頭を撫で始めた。

『そうなんだけどね。まこが行くのに合わせて行こうかなって思って。何時くらいに行くつもりなの?』

時計を見ると、いつの間にやら12時を回っている。

もうすぐこの時間もおしまいか。

眉尾を下げた情けない顔を晒すと、染谷先輩は静かに微笑んだ。

「すまんが、わしはぎりぎりに行くわ。先に行っといてくれんか」

『あら、そうなの? んー……。わかったわ。じゃあ、また部室でね』

「ああ。すまんのう。またな」

染谷先輩が電話を切ったのを確認して声をかける。

「良かったんですか?」

「こんな情けない顔をされたんじゃあのう」

俺の頭を撫でていた手で、眉間をつんつんと突っついてくる。

「遅刻するわけにはいかんが、始まる直前まではこうしとくわ」

その言葉に、やったね、と声をあげつつ目を閉じる。

「ん? 寝るんか?」

「ちょっと眠くなってきました」

美味しいご飯を食べて、心地よい風を受けながら膝枕をしてもらっている。

この状況で寝るなと言う方が無茶だろう。

「染谷先輩、もう一度頭を撫でてください」

「はいはい」

柔らかく暖かな手のひらが触れる。

「染谷先輩、子守唄を歌ってください」

一瞬、俺を撫でる手のひらが止まったが、「はいはい」と染谷先輩は小さく歌い始めた。

優しく涼やかな歌声が聞こえてくる。

どこかで、かなりやが鳴いた気がした。






@辛くて幸せな日々

土曜日。

時計を見ると、まだ6時前だ。

学校は休みだが部活はある。

そうは言っても部活があるだけではこんな早起きをする必要はない。

染谷先輩にメールを送るのが目的だ。

『おはようございます。今日、部活前に会えませんか?』

送信ボタンを押す指が震えたが、躊躇わずに送信する。

ディスプレイに浮かぶ送信中の文字が、送信しました、に変わった。

大きく息を吐き、携帯を置く。

なんて返事がくるかわからないが、とりあえず部活に行く準備をしておこう。

顔を洗って、ご飯を食べて戻ってくると携帯のLEDが点滅していた。

高鳴る鼓動を抑えながら差出人を見ると、染谷先輩からだった。

『おはよう。ええよ。何時頃、どこへ行ったら良いんかな』

時間は部活が始まる1時間前くらいで良いか。

場所は学校の近くの公園っと……。

無事に約束を取り付けることができてほっとするのと同時に、動悸が激しくなるのがわかった。

気分を落ち着かせながら制服に着替え、早めに家を出る。

約束の時間まではまだ間があるが、早めに行って気分を落ち着かせたい。

「おはようさん」

「……おはようございます」

公園にあと少しで着くという辺りで、染谷先輩に出会ってしまった。

そりゃ、通学路が途中まで同じなんだからそうなるよね。

なんとなく気まずい。

染谷先輩も同じなのか、時折こちらの様子を窺ってくる。

でもこんな道すがらで話すのもな……。

「ええと、話は公園に着いてからでも良いですかね」

「はいよ」

了承を得て、公園まで歩く。

別に無言で行く必要はなかったのだけれど、結局公園に着くまでお互いに話そうとはしなかった。

公園に着いては良いものの、連れ立って歩いていたせいか、頭の中は混乱の極みだ。

気分を落ち着かせるはずが、まったくの逆効果になっている。

なんと話を切り出そうか、非常に悩む。

高校受験の時よりも頭を働かせて、悩む。

悩むが、何も思いつかない。

それもそうだ。

告白など、今までの人生で一度もしたことなどないのだから。

染谷先輩は先ほどから俺をじっと見て、言葉を待っている。

黙っていたからと言って怒り出すような人ではない。

俺が怖気づいて、「すみません、やっぱりまた今度に……」などと言い出しても、
「仕方のないやつじゃなぁ」と笑いながら許してくれる気がする。

でもそれじゃ、染谷先輩の優しさに甘えているようじゃ、だめだ。

「染谷先輩」

なるようになれと口を開く。

そうだ、大好きだと、一言伝えれば済む話ではないか。

「だ……」

目前に立つ染谷先輩の目を、眼鏡越しに見つめる。

きれいな、吸い込まれそうな瞳だ。

もし告白して、振られたら。

こんな間近でこのきれいな目を見つめることは二度とできないかもしれない。

そんな怖気が言葉を変える。

「だ、抱きしめても良いですか」

大好きです、と告白するより大胆な発言となってしまった。

「……まあ、ええけど」

訝しげに首を傾げていた染谷先輩は、おいでと言わんばかりに両手を広げてくれた。

失礼します、とその手の内に入り、優しく染谷先輩を抱きしめる。

ふぅっと漏れた吐息はどちらのものだっただろうか。

雀のさえずりが近くで聞こえる。

まるで見られているように思えて、少し気恥ずかしくなった。

身体を離す。

でも、その両手は染谷先輩に添えたまま。

ゆっくりと顔を近づけていく。

染谷先輩は特に嫌がるそぶりは見せていない。

互いの顔が近づいていく。

鼻先が触れる。

それでも止まらずに、なおも近づいていく。

吐息がかかり、唇に相手の体温が伝わる距離。

でも、零ではない。

見えない何かがあるかのように、そこで止まる。

少し唇を動かすだけで、そこに相手を感じ取れる距離で、染谷先輩は言った。

「これが、呼び出してしたかったことなんか?」

近すぎて、染谷先輩の表情は見えない。

染谷先輩がどうしてそう言ったのかもわからない。

だから、その意図が読めない以上、俺は素直な気持ちをぶつけるしかない。

「違います」

同時に口を開けば唇が触れ合うような距離で、それでも触れさせない何か。

きっと、その何かはこの言葉で壊れる。

もし壊れなかったら?

知るもんか。

その時は、その時だ。

「俺は染谷先輩が好きです。今日は、それを伝えたかったんです」

それを聞いた染谷先輩は、「そうか」と呟いた。

短いような長いような、不思議な時間が流れたあと、染谷先輩が目を閉じる気配がした。

「ありがとう。わしも、あんたが好きじゃ」

その言葉を合図に、見えない何かは跡形もなく消え去った。

互いの唇が触れる。

外界の音が消えていく。

聞こえてくるのは内から湧き上がる、鼓動。

これは俺の心臓の音だ。

そしてきっと、染谷先輩の音。

どちらからともなく、離れ、吐息を漏らす。

そしてまた近づき、もう一度キスをした。

二人、手を繋いで学校へと向かう。

染谷先輩は手を揺らしながら上機嫌だ。

「ふふん。ようやっと言うてくれたな」

「いやあ、ははは……」

「どう考えても両想いじゃったろうに」

「そうかもしれませんけど、ね。なんなら年上の余裕ってことで染谷先輩から言ってくれても良かったんですよ」

「何を言うか」と強く手を握られる。

いてて、と顔をしかめると、やれやれと溜息をつきながら染谷先輩。

「わしはこう見えても乙女じゃけえ、そっちから告白してほしかったんよ」

その言葉にじっと染谷先輩を見つめると、見る間に頬が朱色に染まっていく。

「な、なんじゃ」

「いや、可愛いなあと思って……」

耳まで真っ赤になった染谷先輩は、「今頃気づいたんか!」とそっぽを向いてしまった。

「この手、どうします?」

そろそろ学校だ。

皆に内緒にしておくのなら離したほうが良いが、さて、染谷先輩はどうすのだろう。

「このままでええじゃろ」

即答だった。

「染谷先輩がそういうのなら」と改めて手を握りなおす。

「部長には盛大にからかわれそうですね」

染谷先輩はそれを聞いて、「あー……」、と可愛い唸り声を上げながら複雑そうな顔をしている。

ややしてから、「でも、まあ」とこちらの顔を覗き込んできた。

「もし、厳しい追求があっても守ってくれるんじゃろう?」

ふわりと笑う染谷先輩。

心臓が飛び出さんばかりに脈動する。

その笑顔は、反則だ。

あまりにも可愛すぎて、辛い。

けれど。

毎日のようにこの辛さを味わえるのなら、これから歩む染谷先輩との日々は、きっと幸せなのだろう。





終わり