京太郎「(俺は何をやってるんだろ…)」

京太郎がそう思うのは、染谷邸の浴室の中だった。
薄紅色の上品なタイルで覆われたそこは決して綺麗にされている。
家の外観からは想像も出来ないくらいにしっかりとしているそれは、普段から掃除されている証だろう。
水垢一つ残っていないその空間の中で、京太郎は裸になりながら、身を縮こまらせていた。

京太郎「(いや…俺にだって分かってるんだ。これが一番だって事くらい)」

実家に帰れば着替えがあるまこと違い、彼に着替えはない。
その身体を多少拭いたところで服が吸い込んだ水分が体温を奪っていくだろう。
それを防ぐ為にもとっととそれを脱ぎ去って、風呂で身体を温めるべきなのは理解できていた。
しかし、異性である先輩が日常的に利用している浴室だと思うとどうにも場違い感は拭えない。
そうやって先を譲ってくれたまこに押し切られた事も含めて、どうしてこうなってしまったとついつい思ってしまうくらいに。

京太郎「(とりあえず…さっさと上がらないと)」

勿論、まこは既に身体を拭いて、着替えている事だろう。
だが、それで失った体温がすぐさま戻ってくるかというと決してそうではない。
彼女もまたびしょ濡れになっていた以上、出来るだけ早くシャワーを浴びたいだろう。
そう理解しながら京太郎はぎこちなく、シャワーコックをひねり、温水の雨を降らせた。

京太郎「(あー…温かい…)」

それに身体がジュッと熱くなっていくのを感じながら、京太郎は筋肉を緩ませる。
どうやら自分の身体は思っていた以上に冷え込み、温かさを求めていたらしい。
それが一気に充足へと傾く感覚に、ついついため息を漏らしてしまう。
出来れば、ずっとこのままで居たいと思うほどの心地良さに、しかし、何時までも浸っている訳にはいかない。
そう自分を戒めた京太郎はシャワーを止め、シャンプーで髪を洗い始める。

京太郎「(まぁ…髪は良いんだけれどさ…)」

程よく泡だった髪を再び温水で洗い流した京太郎。
その前に現れるのは青とオレンジの2つのスポンジであった。
明らかに別の用途に使われているであろうそれに京太郎は逡巡を覚える。
勿論、それは彼がどちらを使って良いかが分からなかったからだ。

京太郎「(…このどちらかを先輩が使っているんだよな…)」

恐らくその二つは女性と男性とで使い分けされているものなのだろう。
しかし、その色からはどちらがどちらなのかまったく想像がつかない。
一般的に青と言えば男性用のイメージではあるが、決して女性が使わないという訳ではないのだから。
オレンジもまた中性的な色で、男女どちらが使っていても決しておかしくはない。

京太郎「(い、いや…勿論、変な意味じゃない。意味じゃないんだけどさ!)」

しかし、普段はサバサバとした先輩に停留所でドキリとしてしまった所為だろうか。
そのどちらかをまこが日常的に使っていると思うと、妙にドキドキしてしまう。
それと同時に京太郎の脳裏に浮かんでくるのは、それで珠の肌を磨いているまこの姿だ。
まるで尊敬する先輩を自分で穢すようなその想像に自己嫌悪を浮かべながらも、京太郎の頭からそれが消える事はない。

まこ「湯加減はどうじゃ?」
京太郎「うわぁ!?」

だからこそ、唐突に扉越しに話しかけられたまこの言葉に、京太郎はオーバーなリアクションを返してしまう。
浴室内に響くそれはキンキンと京太郎の耳を慣らし、微かな不快感を沸き上がらせた。
しかし、それさえも気にならないくらい、今の京太郎は狼狽し、そして混乱している。
もしかして、自分の妄想のことがバレてしまったのではないだろうか。
そんなあり得ない想像すら沸き上がらせ、京太郎はその身を硬く強張らせる。

まこ「どうした?」
京太郎「い、いや、なんでもないです」

そんな京太郎の感情など露ほども知らないまこは曇りガラスがはめ込まれた扉の前でそっと首を傾げた。
幼い頃から雀荘にかようあけすけな年頃の男性 ―― 所謂、おっさんに接してきた彼女はある程度、シモネタに強い。
しかし、その半面、彼女は青少年と呼ばれる年頃の男性に対して、接した経験が殆どないのだ。
自然、思春期の男子特有のドキドキ感を理解する事は出来ず、その思考は虚しくから回る。

まこ「(まぁ、他人の家の風呂って言うのは緊張するもんじゃしな)」

そう結論づけながら、まこはそっと扉の横にパネルに目を向けた。
そこには彼女の父好みの高めの温度が設定されている。
まこもまたそれに慣れているとは言え、もしかしたら京太郎には辛い熱さかもしれない。

まこ「もうちょっと温めの方がええか?」
京太郎「いや…実はまだ浸かってなくて…」
まこ「なんじゃ。遠慮しとるんか?」
京太郎「ま…まぁ…それもあると言いますか…」

そう思ったまこの疑問に、京太郎は要領を得ない言葉で返す。
まさか二つのスポンジのどちらかをまこが使っているか分からないから手が止まっているだなんて言えないのだ。
しかし、ここでまこが来てくれたのは、千載一遇の好機である。
湧き上がる羞恥心にヘタレそうになる自分にそう言い聞かせながら、京太郎はゆっくりと口を開いた。

京太郎「えっと、つかぬ事をお聞きしますが…」
まこ「ん?」
京太郎「俺はどっちのスポンジを使えば良いんでしょう…?」
まこ「あっ」

京太郎の言葉にようやくまこは彼の躊躇いの理由を知った。
そう言えば伝えていなかったと今更ながらに思いながら、まこは肩を落とす。
それは勿論、性差に関してあまりにも疎い自分に対して、自嘲を覚えたからである。
結果、京太郎にかかさなくても良い恥までかかせてしまった。
そんな後悔に浸ろうとする心を感じながら、まこはそっと首を振るう。

まこ「(そういうのが自信がないってゆわれる所以なんじゃ)」

勿論、後悔を忘れてはいけない。
しかし、失敗に一々、自嘲を覚えていればその分、歩みは遅くなってしまう。
折角、変わるように頑張ると言ったばかりなのに、こんな事ではいけない。
そう自分を戒めながら自嘲を振り払ったまこは、彼に応えるべく口を開いた。

まこ「オレンジの方を使えばええ」
京太郎「うっす。了解です」

そう応える京太郎の声には安堵が強く現れていた。
本格的に分からなければ最終手段として自分の手を使うつもりだったが、それはいい気分ではない。
正直、ヌルヌルした自分の手が身体を這いまわると想像しただけで、妙な吐き気を覚えるくらいだ。
そんな彼にとって、スポンジの使用許可が降りた事はかなり有難い。

まこ「後、ぼちぼち浸かってええぞ」
京太郎「いや、でも…」
まこ「風邪でも引かれたら大変じゃしな」

しかし、次いで放たれたまこの言葉に京太郎はありがたすぎて遠慮を覚えてしまう。
勿論、シャワー程度では冷えた身体は温まり切らず、湯船にゆっくりと浸かりたいと思っているのは事実だ。
だが、自分の後ろにはまだまこが身体を冷やして待っているのである。
それを知りながらも、一人だけじっくりと浴槽に使っている訳にはいかない。
元々、ここはまこの家の浴室だという事もあって早めに明け渡したいというのが京太郎の本音であた。

まこ「後、着替えここに置いとくぞ」
京太郎「あ…ちょ…っ!」

そんな彼の返事を聞かず、まこはそっと脱衣所のカゴに着替えを置いた。
父のパジャマから拝借したそれは比較的がっちりとしている京太郎の体格でも大丈夫だろう。
まぁ、大丈夫でなければ、また次のヤツを見繕って来れば良い。
そう判断しながら、まこはそっと京太郎の服を掴み、洗濯機へと放り込む。

まこ「元の服は乾燥に回すしもうちょい待っとれ」
京太郎「え……?」

そのまま手慣れた様子で脱水を選択するまこの言葉に、京太郎は驚きの声を返す。
何せ、それは自分の服を、まこが手にとった証なのだから。
勿論、そこにはさっきまで自分が履いていたトランクスも入っているだろう。
異性の先輩に下着を見られたというショックは、健全な男子高校生にとってはあまりにも大きすぎるものだった。

まこ「じゃ、ゆっくりな」

そう言って脱衣所から出て行く彼女には狼狽はない。
忙しい両親に変わって洗濯をする事も多い彼女にとって、それはただの布なのだ。
父親のものと何も変わらず、普通に洗濯槽へと入れる事が出来たのである。
勿論、まったく意識していない訳ではないが、それは京太郎のものよりも遥かに弱いものであった。

京太郎「うあー…」

そんな彼女とは対照的に、ショックから立ち直った京太郎の心は羞恥心で一杯だった。
一体、これからどんな顔をしてまこに会えば良いのか分からないくらいである。
勿論、まこが平常運転であった以上、変に意識してしまう方がおかしいのだろう。
だが、胸に湧き上がるそれらはどうしても彼の意識をかき乱し、顔を赤く染めるのだ。

京太郎「(とりあえず…とっとと身体を洗おう…)」

このまま上がってしまったら、折角、用意してくれた着替えまで汚してしまう事になる。
そちらへと京太郎は意識を動かしながら、ゆっくりとスポンジで身体を洗っていく。
しかし、その最中も、下着を見られた恥ずかしさが胸をつき、時々、腕が止まってしまう。
結果、彼が身体を洗い終え、浴槽に身を浸した頃には普段の数倍もの時間が経過していた。

京太郎「はぁ…あぁ…」

そんな彼にとって幸いだったのは、熱めに沸かされた風呂が身体に良く効いた事だろう。
シャワーのそれとは比べ物にならないほど身体があたたまるその感覚に彼は羞恥心を忘れる事が出来た。
そのまま浴槽に背を預けながら、天井を見上げた彼は、ほぅと熱いため息を吐く。
倦怠感混じりのそれお湯の熱さに身体から疲労が抜けている証だろう。
それにまこに一つ感謝の感情を抱きながら、京太郎は内心で100を数え始めた。

京太郎「はぁ…さっぱりした」

風呂から上がった頃には、京太郎の身体はもう十分温まっていた。
ポカポカと熱が肌の下で蠢き、心地よさがジィンと広がっている。
ついさっきまで震えそうなほど冷えていたとは思えない温まった身体を、京太郎は丁寧に拭いていく。
勿論、下手に時間を掛けた以上、今すぐ出て行ってまこと後退してやりたいが、彼は着替えを貸してもらう側なのだ。
下手に濡らして汚す訳にはいかないと逸る気持ちを抑えながら、京太郎は身体から水気をタオルへと移す。

京太郎「(で…着替えは…多分、これか)」

そうやって身体を拭き終わった京太郎の視界に映ったのは群青色の甚平であった。
これからの時期にはぴったりなそれは見るからに涼しげで、どことなく情緒のようなものを感じさせる。
腕を通してみたが、体格もそれほど違いはなく、鏡の中の自分は特に違和感のないものであった。
これからの時期だと意外と部屋着として甚平を使うのも良いかもしれない。
そんな事を思いながら、京太郎はそっと脱衣所の扉を開き、まこが待ってくれているであろうリビングへと足を踏み入れた。

京太郎「すみません。お待たせしました」
まこ「おう。あがったか」

京太郎がリビングに入った時、彼女はキッチンで鍋をかき回している最中だった。
しかし、まだ夕食を作るのには時間が早く、まことて今すぐ風呂に入りたい状況のはずである。
料理の準備ならばまだしも、そうやって鍋をかき回すほど本格的なものは作れないはずだ。
一体、何をしているのだろうと首を傾げながら、京太郎がそちらへと近づく。

まこ「ん?なんじゃ。気になるんか」
京太郎「えぇ…まぁ…」
まこ「ふふ…じゃあ、好きな方を選ばええ」
京太郎「…選ぶ?」

そう言いながらまこの手元を覗きこんだ彼の視界に二つのパックが目に入る。
ぐつぐつと煮えたぎるお湯の中で微かに動くそこにはキノコ雑炊という文字と、卵雑炊という商品名が書いてあった。
どうやら、まこは夕食を作っていた訳ではなく、お互いの身体を温める為の間食を用意してくれていたらしい。
気遣いの仕方に隙がない彼女に京太郎は感心とも感謝とも言い切れない感情を抱いた瞬間、まこがそっと彼の脇を通り過ぎる。

まこ「時間も時間じゃし、腹も減っとるじゃろ」
京太郎「あ…はい」

実際、京太郎の身体はそれなりに食べ物に飢えていた。
スイーツパラダイスでお腹一杯にはなったものの、冷えた身体を温めるには新しくカロリーが必要であったのである。
勿論、夕食もあるので本格的に食べる訳にはいかないが、ちょっとだけ口寂しい。
それを満たすには目の前の雑炊のレトルトはまさに最適と言っても良いものだった。

まこ「それじゃわしゃぁ風呂に入ってくるが…覗くなよ?」
京太郎「覗きませんよ」

さっきはドキドキしたものの、京太郎にとってまこは異性である以前に先輩だ。
その上、先に風呂を譲ってもらったり、食事まで準備してもらったりと良くしてもらっているのである。
そんな彼女の入浴を覗くだなんて、恩をアダで返すような真似は出来ない。
それこそ不遜であるという感情さえ抱きながら、京太郎は首を横へと振った。


まこ「なんじゃ残念」
京太郎「えっ?」

しかし、そんな京太郎に帰ってきたのはまこの意外な言葉であった。
まるで自分が覗いて欲しいと言うようなそれに彼の胸はドキリと跳ねる。
彼の意識がどうであれば、既にその身体はまこの事を異性として認識し始めているのだ。
その艶やかな髪に水気を乗せて、唇を尖らせるその姿に妙な期待と興奮を覚えてしまう。

まこ「それを弱みに一生こき使ってやれると思うたのに」
京太郎「俺は今、絶対に染谷先輩が入浴してる場所には近づかないと心に決めました」

だが、その期待はまこの言葉であっさりと霧散し、散り散りになってしまう。
それを肌で感じながら、京太郎はそっと肩を落とした。
勿論、それが冗談であるという事くらい、意識は理解していたのである。
だが、それでも根が青少年である彼はほんの少しだけ期待していたのだ。
そんな純情を弄ぶようなまこのそれに徒労感めいたものを感じてしまう。

まこ「(ま…まぁ…そうなるわなぁ…)」

そんな彼にクスリと笑いながら、彼女の内心は複雑なものだった。
勿論、京太郎に覗いて欲しくてそんな事を言った訳じゃない。
それは単純にいつも通りのやりとりがしたくて放った言葉なのだ。
しかし、それでもまったく狼狽を浮かべない彼に肩すかしめいたものを感じてしまう。
それは何だかんだ言いながらも、自分が女性として意識されている事をまこが望んでいたからだ。

まこ「(仕方ない。だって、わしゃあ…こんなんじゃしな)」

その感情はまだ決して大きなものではない。
寧ろ、それ本来が持つイメージとは裏腹に、まこの感情は小さく、まだ根を張り始めたばかりだ。
しかし、今日一日で、京太郎という後輩のイメージを見つめなおした彼女にとって、それは決して無視出来るものではない。
彼もまた自分と同じように意識してくれたら良いと、まこはそんな風に思い始めていたのだ。

まこ「とにかく…行ってくる。雑炊は好きな方を適当に皿に移して食べてええ」
京太郎「分かりました。ありがとうございます」

そんな感情から逃げるように、まこはそう言いながら背を向ける。
その背に御礼の言葉を放つ後輩に手を振りながら、彼女は脱衣所へと逃げ込んだ。
瞬間、そっと肩を落とす理由に、まこは未だ気づいては居ない。
さっきの自分が胸中に浮かべたそれもからかいがいのない後輩に対するものだと思い込んでいる。
しかし、彼女の心は明確に変化し、その色を変え始めていた。

まこ「(意外と…甚平似合っとったなぁ…)」

その手で自分のパジャマを脱ぎながら、まこが脳裏に京太郎の姿を真っ先に思い浮かべるのもそれが理由だ。
金髪で軽そうな外見をしているのに、群青色のそれは意外なくらい彼の顔立ちに合っている。
彼自身の体格が良く、また肉付きもしっかりしているという事も無関係ではないのだろう。
薄布から見える引き締まった身体は、彼には希薄な男性的雰囲気を強めていた。
その上、普段よりも少しは真面目そうに見えるのだから、見慣れているまこの目から見ても格好良く思える。

まこ「(それに比べてわしは…)」

パジャマを脱ぎ去ったまこはそっと洗面台の鏡と向き合った。
そこに居たのはすっきりとした顔立ちの美少女である。
そのスタイルも細身でありながら、意外と出るところは出ていた。
勿論、巨乳というほどではないにせよ、標準くらいはあるだろう。
普段から実家の手伝いをして動き回っているそのウェストはキュっと括れ、腰に向けて緩やかなカーブを描いていた。
決して女性的ではないにせよ、女性らしい身体つき。
けれど、まこはそれを認める事がどうしても出来なかった。

まこ「(なーんも面白味のない…)」

女性としては間違いなく及第点をつけられる自身の身体。
だが、それを素直に受け止める事が出来ないのは身近に久や和と言った魅力あふれる同性がいるからだろう。
久のように蠱惑的な足や、和のように豊満なバストを持っていない自分がまこはどうにも劣って見えるのだ。
勿論、そんなものなどなくてもまこの身体は高いレベルで完成されており、男に欲情を与える事だろう。
だが、そうやって裸を見せる相手などいない彼女にとって、それはまったく未知のものであるのだ。

まこ「(とりあえず…入るか)」

何時までも自分とにらめっこしている訳にはいかない。
そうやって見つめ合っている間に自分の身体が魅力的になるならまだしもそんな事はないのだから。
それに飄々としているものの、まこの身体は未だ冷えているままなのだ。
べたついた感覚もまだ肌に残っているし、さっさとシャワーを浴びたい。
そんな欲求に従って、まこは浴室の扉を開き、中へと一歩踏み出した。

京太郎「んー…旨ぇ…」

そんなまこの様子など欠片も知らない京太郎は一人リビングで座り、雑炊へと舌鼓を打つ。
丁度良い感じに出汁が効いたそれは、温まった身体をさらに温めてくれるものだった。
お陰でじっとりと肌に汗が浮かぶが、それは決して不愉快ではない。
実際、彼はその感覚に怯む事はなく、一皿分の雑炊をあっという間に完食して見せた。

京太郎「(まぁ…問題は…だな)」

それをシンクへと運び、手慣れた様子で洗いながら京太郎は考える。
既に雑炊を平らげてしまった以上、彼にはもうやる事がないのだ。
勿論、リビングにはテレビがあり、それをつけていても、きっとまこは許してくれるだろう。
だが、先輩の実家で一人テレビをつけてそれに没頭出来ないくらいには、京太郎はまこに敬愛の感情を抱いていた。

京太郎「(つっても…何をやるよ)」

京太郎たちが走って抱えてきた荷物は、既にまこの手によって水気を拭き取られ、大事そうに置いてある。
コンビニで買ったレインコートも玄関に干され、きちんと処理されていた。
自分が風呂でゆっくりとしている間に、するべき事を終えてくれたその手際の良さに京太郎は幾度となく助けられている。
しかし、今だけはそれが恨めしくなるくらい、彼にはやる事がなかった。

京太郎「(つか…今、先輩が風呂に入っているんだよな…)」

とは言え、そうやってやる事がなくなると、京太郎はそんな邪な考えを浮かべてしまう。
幾ら彼が彼女に敬意を抱いていると言っても、それはあくまでも意識レベルでの事だ。
若い本能に忠実な身体は既にまこの事を異性として認識しているのである。
自然、美少女と言っても過言ではない先輩がすぐそこで風呂に入っているというシチュエーションにドキドキしたものを感じてしまうのだ。

京太郎「(だぁ~!そういうの止めろよ…!節操ねぇんだから!!)」

そんな自分に自己嫌悪を感じるのは、京太郎には既に特別な女性がいるからだろう。
原村和というこれまた一流の美少女に、彼は懸想をし続けていた。
勿論、そういったものに疎い和にはまったく気付かれず、また部活仲間以上には意識されていない。
だが、それでも京太郎にとって和の存在は特別で、不可侵であったのだ。
そんな彼女ならばともかく、自分に良くしてくれている先輩に邪な想像を向ける自分が何とも愚かで節操なしに思えて仕方がないのである。

京太郎「(まぁ…確かに先輩は可愛いけれどさ)」

まこが思っているよりも京太郎は遥かに彼女の事を意識している。
可憐と言う訳でもなく美しいという訳でもないが、それでもまこは魅力的だ。
気心の知れた気安い関係の中、時折、恥じらいを浮かべるその姿にはギャップさえも感じる。
正直、それに庇護欲を擽られた事は、今日だけで何回もあった。
普段が頼り甲斐のある先輩であるだけに余計に顕著に感じられるそれに京太郎がどれだけドギマギしていたかまこは知らない。


京太郎「(それに…さっきのパジャマ姿も可愛かったな…)」

まこが身につけていたのは薄桃色に無地のパジャマであった。
殆ど飾り気のないそれは、サバサバしている彼女らしいと思えるものである。
だが、薄桃色という女の子らしいその色は、まこの姿を数割増しで可愛らしく見せていた。
普段は奥底に鎮めている女の子らしさを引き出すそのチョイスに、京太郎はつい可愛いと言ってしまいそうになったくらいである。

京太郎「(だー!違う!違うんだからな!!)」

再び自分の意識がおかしな方向へと流れつつあるのを悟った京太郎は言い聞かせるようにして胸中でそう叫ぶ。
しかし、それは虚しく彼の中で響き渡り、なんら変革のキッカケにはならない。
どれだけ彼が認めまいとしても、彼は少しずつまこの事を意識し始めているのだ。
それはまだ和に対するそれよりも遥かに小さいものだが、着実に京太郎はまこの事を異性として認識し始めている。

まこ「あがったぞー」
京太郎「うへぇあ!?」

瞬間、聞こえてきた声に京太郎はビクリと肩を跳ねさせた。
そのままバッと脱衣所へと入り口を見れば、そこにはさっきと同じまこの姿がある。
しかし、その顔は何処かさっぱりと気持ち良さそうなものへと変わっていた。
何より、その肌は急速に温まった所為か紅潮を浮かべ、何とも言えない艶やかさを演出している。

まこ「なんじゃ。人気投票一位になれそうな声をあげて」
京太郎「な、何でもないです!!」

そのまま首を傾げるまこの首元は何とも緩い状態であった。
風呂で温まった所為か、数段開いているそこはもう少しで谷間が見えてしまいそうである。
肌が紅潮し、髪が濡れる湯上がりの状態だけでも青少年にとっては目に毒なのに、何とも緩いその胸元。
そこから急いで目を背けながらも、京太郎の記憶にその光景は既に記録されてしまっていた。

京太郎「(そ、それに…なんでブラつけてないんだよ…!!)」

勿論、ついさっきまでまこも一応、ブラはしていた。
しかし、風呂あがりの熱い状況に一々、そんなものはしていたらすぐに痒みを覚え、汗疹が出来てしまう。
それを防ぐ為に、まこは普段から風呂から上がってすぐにはブラをつけないようにしていた。
そんな習慣そのままに出てきてしまった彼女のパジャマには今、微かにその突起が浮かび上がっている。

まこ「ん?」

そんな京太郎の様子にまこはそっと首を傾げた。
ついさっきまでまったく自分を意識していなかったはずの後輩の姿が何となく引っかかるのである。
しかし、まさか自分がブラを忘れて乳首を浮かばせている所為で、京太郎が恥ずかしがっているだなんて彼女は露ほどにも思わない。
これまで異性の前で風呂から上がってきた事のない彼女にとってそれはあくまで何時もの事であったのだ。

京太郎「せ、先輩…その…」

まこが一体、どういう意図を持っているのか京太郎には分からなかった。
また自分をからかっているのかもしれないし、まったく意識されていないだけなのかもしれない。
しかし、それでも今の無防備すぎるまこの状態は決して看過して良いものではないだろう。
少なくとも自分にとってそれが刺激的過ぎる事くらいは伝えなければいけない。
そう思って京太郎は口を開くものの、そこから言葉が出てくる事は中々、なかった。

京太郎「う…あ…その…」
まこ「???」

そのまま口ごもる京太郎の前で、まこはそっと首を傾げた。
瞬間、京太郎の視界の端で、プルンと柔らかな何かが揺れるのが見える。
まこの細身な身体の胸元で自己主張をしたそれは、勿論、彼女の乳房だろう。
そう思っただけで顔を真っ赤に染めてしまう初心な京太郎は大きく深呼吸をしながら、ゆっくりと口を開いた。

京太郎「あ、あの…う、浮いてるんですけど…」
まこ「…え?」

その言葉に、まこがピシリと硬直するのは、彼女がそれを完全に誤解したからだ。
浮いているという言葉でまこが真っ先に連想するのは、自分の格好の事だったのである。
精一杯の少女趣味とオシャレを兼ねて、買ったそのパジャマが似合っていない。
恐らく京太郎はそう言いたいのだろうと判断したまこの顔が引きつり、気分が昏く落ち込んでいく。


まこ「そ、そんなに浮いとるんか…?」
京太郎「い、いや…そこまではっきりしてる訳じゃないですけど…でも、見れば分かるなって…」

そして勿論、そんなまこの誤解を京太郎は知らない。
自分が主語を抜いてしまった所為で、勘違いをさせてしまった可能性など彼には考える余裕などないのだ。
見た目は遊んでいるように見えて、その実、京太郎は初心で、性的な経験も一切ないのだから。
そんな彼にとって異性の乳首が浮き上がっていると伝えるだけで頭が一杯になってしまうのである。

まこ「そ、そうか…大丈夫だと思うとったんじゃが…」
京太郎「え…い、いや、それは(俺が)きついっすよ」
まこ「ぐっ…」

そんな遠慮のない後輩の言葉がまこの言葉に突き刺さる。
精一杯の趣味を満たそうとしたその格好を根本から否定するそれに思わずよろめいてしまいそうになった。
それを歯を食いしばる事で堪えながら、まこは大きく深呼吸する。
いきなりの新事実にショックを受けているのは確かだが、それはこのままにはしておけない。
どうせならば問題解決の為にもう一歩踏み込もうと、まこはゆっくりと口を開いた。

まこ「じゃあ…どういうのがええんじゃ?」
京太郎「え?」
まこ「…どういうんだったらわしに似合うと思う?」

そう京太郎に尋ねるまこは既に冷静ではなかった。
何とか狼狽を表に出す事は堪えているものの、その内心はショックと恥ずかしさで滅茶苦茶だったのである。
だからこそ、彼女は普段であれば、絶対に聞かないであろう言葉を口にしてしまう。
ともすれば八つ当たりにも取られかねない詰問であり、また論理的ではないものだと言う事に動揺した彼女は気づいていなかった。


京太郎「え、えぇっと…」

しかし、そんな彼女の問いを、京太郎はまた大きく取り違える。
頭の中がブラの有無で一杯になった彼にとって、彼女がブラの事を尋ねていると勘違いしたのだ。
とは言え、男である彼がまこに対して何かアドバイス出来るはずがない。
そう言ったものとは縁遠い人生を送ってきた彼にとって、オススメのブラなんて言えるはずがなかった。

京太郎「さ、サイズさえ合っていれば大丈夫なんじゃないですかね…?」
まこ「さ、サイズが合っとらんのか…?」
京太郎「合っていないどころか…無いっていうか…」
まこ「ぐふ…」

後輩のその言葉を自分のセンスを貶めている言葉だと理解したまこの口からついに苦悶の声が漏れる。
そのままガクリと崩れ落ちる膝が、彼女のダメージを何より如実に物語っている。
しかし、京太郎にはそれが一体、どういう事なのかまったく理解出来なかった。
彼からすれば、まこのブラがない事を指摘しただけなのだから。
恥ずかしがるならともかく、こんなにもショックを受ける姿を見るだなんて想像してもいなかったのである。

京太郎「だ、大丈夫ですか染谷先輩!?」
まこ「う、うん…大丈夫。大丈夫じゃ…」

そんな後輩の気遣うような言葉に、まこは何とか自分を取り繕う。
しかし、その内心は、最早、泣きそうなもので溢れていた。
もしかしたらさっきのワンピースも内心、似合っていないと思われていたのかもしれない。
いや、それ以前に久をはじめとする友人たちにも迷惑をかけ続けていたのではないだろうか。
過去に遡ってまで後悔を覚える彼女の目尻がじわっと滲み始めた。

京太郎「(え…えぇぇぇぇ!?)」

勿論、それに一番の困惑を覚えるのは京太郎だ。
まさかブラがないという事が泣くほどショックを受けるだなんて一体、どういう事なのだろう。
それに違和感を感じながらも、彼の意識は目の前で瞳を潤ませるまこの方へと引きずられていった。
今にも泣き出しそうな彼女に一体、何を言えば良ってあげれば良いのか。
混乱する頭の中で必死でその答えを求めた京太郎はある言葉へと辿り着く。

京太郎「だ、大丈夫ですよ!そういう趣味もありますよね!!」
まこ「ふ…ふぇぇ…」

結果、それがまこへのトドメとなった。
ギリギリであった涙腺を一気に爆破するそれにまこは子どものような声をあげながら涙を漏らす。
それを手の甲でグジグジと拭う彼女に、京太郎はさらなる困惑を驚きを覚えた。
そうやって露出する趣味まで肯定したのに一体、どうすればよかったのか。
胸を突くような良心の痛みと後悔にそう思いながら、京太郎は再び言葉を探す。

まこ「う…うぅぅ…」
京太郎「(どうすりゃ良いんだよおおおぉぉ!)」

けれど、何を言ってもまこを追い詰める言葉にしか今の京太郎には思えない。
そもそも彼女がどうしてそこまでショックを受けているのかさえ彼には理解出来ていないままなのだ。
そんな彼に出来る事と言えば、泣きじゃくるまこが落ち着くのを狼狽しながら待つ事だけ。
それに無力感を感じながらも、下手をすればまた追い詰めるだけなのかもしれないと思うと何も出来なかった。

まこ「ふ…ぅ…すまん…見苦しいところを見せた…」
京太郎「いえ…」

数分後、まこも落ち着きを取り戻し、そうやって言葉を紡ぐ事が出来た。
しかし、それで全てが元通りになるかと言えば、決してそうではない。
二人の間には気まずい雰囲気が流れ、何ともぎこちない状態になっている。
お互いに自分が悪いと思い込んでいる二人はチラチラと相手の事を伺いながらも何も言えない。
一体、どう話を切り出すべきなのか、それともさっきの事は完全に忘れてしまうべきなのか。
困惑の中、その選択さえ出来ない二人は、牽制するようにお互いに視線を贈り合う。

まこ「(う…ぅぅ…き、京太郎の前で泣いてしまうだなんて…)」

そんな中、まこが思い浮かべるのは、さっきの自分の失態の事だった。
自分のセンスを全否定されたとは言え、あそこで泣いてしまうのはあまりにも子どもっぽ過ぎる。
それは微かに芽生えた気になる異性としての意識がそうさせたのだが、彼女はまだそれには気づいていない。
それほど自分がショックを受けた理由に、余裕のない彼女が思い至る事は出来ないのだ。

まこ「(と、とりあえず…何とかリカバリーせんと…)」

勿論、泣き顔を見せた程度で、自分の事を舐めるような後輩ではないとまこは知っている。
こうして休日に時間を割いてまで尽くしてくれる彼の敬意はそんなものでは薄れないだろう。
だが、それは自分の中のプライドが無事であるという事は決して=ではないのだ。
このままでは自分はもう二度と先輩として京太郎に接する事が出来なくなってしまう。
それだけは防がなければいけないと、まこは必死に言葉を探した。

まこ「そ、その…な。さっきの事なんじゃが…」
京太郎「え、えぇ…」
まこ「えっと…ごめんな。わしはええと思うとったんじゃが…迷惑かけてたみたいで」

ポツリポツリと漏らすその言葉に、京太郎はズキリと胸が傷んだ。
確かに狼狽したのは事実ではあるが、迷惑だなんて事はない。
精々、驚きと気まずさを覚えただけで、何か傷ついた訳でもないのだから。
それよりも過剰に反応し、まこを泣かせてしまった自分の方が遥かに迷惑だっただろう。
そう思いながら、京太郎は首を横に振り、口を開いた。

京太郎「いや…良いんですよ。俺も意識し過ぎていました」

そうやってまこが下着で出てきたのも、全ては自分を異性として意識していない証拠だ。
それを何だかんだと真っ赤になって指摘し、意識してしまった自分がこの騒動の元凶なのである。
全ては自分がまこの趣味を許容出来る程度の器か、意識しないくらい強固な理性があれば済む話だった。
そう結論づける京太郎は自嘲気味に肩を落とし、まこをじっと見据える。

京太郎「考えても見ればここは染谷先輩の実家ですし…下着身につけないのくらい普通ですよね」
まこ「へ…?」

ようやく京太郎から漏れでた事の核心を突く言葉。
それにまこが間抜けな声をあげて、再びその身体を硬直させる。
まるで身体を動かす力全てを思考へと回すようなその身体の中で、彼女の脳がフル稼働した。
麻雀をしている時と大差ないほどにニューロンを活性化させるそれは数秒後、視線を下へと向けさせる。

まこ「~~~~~っ!!!!!」カァァァ

瞬間、首元から真っ赤に染まったまこはバッと自分の胸元を隠した。
今更、そんな事をしても遅いと理解しながらも、彼女の身体は反射的に動いていたのである。
しかし、それと同時に湧き上がる羞恥の波が、彼女の心へと打ち寄せ、ただでさえ少ない平静さを失わせた。
結果、理性という留め具を外した彼女を身悶えさせる羞恥心は誤解させた京太郎への怒りへと変わり、その左手を振り上げさせる。

まこ「さ…最初から…!」
京太郎「…え?」
まこ「最初からそう言わんか馬鹿ぁああっ!」
京太郎「たわばっ!」

そのままビタンと叩きつけられた一撃に京太郎の首がグルンと回る。
瞬間漏れ出す悲鳴のような声を聞いても、まこの心は収まらない。
怒りと羞恥心は未だ彼女の胸を突き、心を揺さぶり続けているままなのだ。

まこ「(あぁぁ!もう!もうっ!!)」

勿論、まことて分かっている。
確かに京太郎は言葉足らずではあったが、誤解した自分にも責任があるという事を。
寧ろ、事態をややこしくしたのが自分であるという認識も彼女の中にはあったのである。
だが、それでも泣き顔とパジャマから浮き上がる乳首を見られてしまったという羞恥心が、それらを全て遮っていた。

まこ「う…うぅぅ…」

しかし、それだって何時までも続かない。
時間が経つ毎に少しずつ冷静さを取り戻したまこは、ゆっくりとその唇からうめき声をあげる。
そのままチラチラと京太郎を見つめる目には自責と自戒のものが強く浮かんでいた。
そして、それは彼の頬にピッタリと張り付いた真っ赤なモミジを見る度に、さらに強くなっていく。

京太郎「あー…なんか…すみません」
まこ「い、いや…京太郎は何も悪ぅないじゃろ…わ、悪いのはわしじゃ」

そんな彼女に謝罪の言葉を漏らす京太郎にまこはそっと首を振った。
ようやく口に出来たその言葉に、彼女はほんの少しだけ心が軽くなったのを感じる。
しかし、そうやって非を認めたところで、自分のやった事が帳消しになる訳ではない。
そう思う彼女の中では未だ、自責の感情が湧き上がり、その表情を落ち込ませていた。

まこ「勝手に誤解して…泣いて…張り手まで…本当にすまん…」
京太郎「あー…」

そのままシュンと肩を落とすまこは再びその顔に泣きそうなものを浮かべ始めていた。
どうやら、先輩は本気でさっきの事を後悔しているらしい。
それを感じさせる姿に京太郎は必死になって言葉を探した。
今度こそ、まこを元気づけられるような…そんなものがどこかにあるはず。
そう必死に脳細胞を活性化させる彼に、一つの答えが見つかった。

京太郎「…それじゃお詫びとして麻雀教えてくれません?」
まこ「え?」

京太郎のその言葉に、まこがそっと顔をあげた。
それは勿論、この場には決して相応しくはない言葉だったからである。
そんなもの先輩として言われずともやるつもりだったのだから。
少なくともお詫びとして求められるそれは相応しくはない。
そう思う彼女の前で京太郎はそっとテーブルの上の袋を掴んだ。

京太郎「どうせ服が乾くまで暇ですし…それに丁度、教本もあるじゃないですか」
まこ「あ…」

そう言ってウィンクする彼に、まこはそれが気遣いである事を知った。
何とも不器用で遠回しなそれに彼女の表情も少しだけ綻ぶ。
勿論、気分そのものが上向いた訳ではないが、彼からお詫びを求められた事で幾らか気も楽になったのだろう。
そんな風に自己分析が出来た頃には、彼女は悩んでいた自分が馬鹿らしくなり、そっと笑みを浮かべた。

まこ「…はは。まったく…馬鹿」
京太郎「いやぁ…割りと常日頃から実感しております」

まこの言葉に後頭部を掻くのは、こうした失敗が初めてではないからだ。
幸いにもアルバイト中にやらかした事はないものの、日常から細かいケアレスミスと言うのは多い。
それが分かっているのに中々、直せない自分に自嘲を覚えながら、京太郎はそっと目を背ける。

まこ「まぁ…折角のお詫びなんじゃし…ビシバシ行くぞ」
京太郎「お、お手柔らかにおねがいしますね…?」

まこは先輩としてほぼ理想的な要素を兼ね備えたタイプだ。
物事は順序立てて教えるし、後輩の質問には嫌な顔一つせずに答えてくれる。
失敗した時のフォローも上手く、ただ叱るだけの後処理はしない。
だが、それは決して、彼女がスパルタでない事を意味しないのだ。
本気になったまこがどれだけ厳しいかとバイト中に嫌というほど知っている彼は思わず表情を強張らせる。

まこ「それじゃ…着替えてくるからちょっと待っとれ」
京太郎「うっす」

そのまま自分に背を向けるまこに京太郎はそっと肩を落とした。
その仕草には特に違和感はなく、彼女がそれほど深く自分を責めている訳ではない事が分かる。
少なくともさっきのように泣き出すような事はないようだ。
それに一つ安堵した瞬間、まこの顔がそっと振り向き、その唇をゆっくりと動かす。

まこ「あ…後…あ、有難う…な」
京太郎「え…あ…」

そのままポツリと言葉を漏らしながら去っていく先輩に京太郎は何も言えなかった。
それは勿論、逃げ去るように脱衣所へと戻るまこの動きがあまりにも早かったからではない。
微かに振り向いたまこの顔が気恥ずかしさで紅潮するそれにドキリとし、そして見惚れていたからである。

京太郎「(…やっばいよなぁ…)」

停留所で雨宿りしていた時とは明らかに毛色を変えつつある自分の感情。
それをここで自覚した京太郎はそっと肩を落とした。
しかし、やばいと思いながらも、彼の頬は明らかににやけている。
実際、去り際の彼女は良い物を見れたと思うくらいに可愛らしく、そして魅力的だったのだ。
未だ彼の脳裏に焼き付くその姿は彼の表情筋を緩ませ続け… ――


―― 数十分後、それを与えたまこ自身の手によって、それは苦悶のものへと変えられたのだった。