―― 雀荘のアルバイトと言うのは意外に重労働だ。

その根幹にあるのが麻雀という対戦競技である以上、客の挙動には気を配らなければいけない。
全自動麻雀卓であるが故に積み込みなどは出来ないが、牌の切り替えなどイカサマは決して不可能ではないのだから。
イカサマを使う客がいるとなれば、雀荘そのものの評判も悪くなるし、下手をすればトラブルにも繋がりかねない。
その上、代打ちとして呼ばれた時には勝ちすぎず負けすぎない事を求められるのだから、精神的に疲れるのが普通だろう。

京太郎「あー…」

そして、その精神的疲労は雀荘でアルバイトを始めてまだ一ヶ月の少年 ―― 須賀京太郎には重い。
そもそも彼は基本的に肉体労働派であり、頭脳労働と言うのは不得手なのだ。
気配りそのものは決して苦手ではないが、慣れないバイトでのプレッシャーというものは存外に大きい。
ましてやそれが部活の先輩から誘われたアルバイトであれば尚更だった。

京太郎「(失敗しちゃいけない…なんて思ってガチガチになるのは間違っているんだろうなぁ…)」

そうは思いながらも、それを止める事が出来ないのは彼がこうしてアルバイトをするのが始めてだからだろう。
気の抜きどころがまだ把握出来ていない彼は一日中、気を張っているしかない。
その上、バイト先が先輩の実家だとなれば緊張も一入だ。
結果、この一ヶ月の間、彼はバイト中に気が休まる事はなく、こうして休憩室で一人ため息を漏らすのが日課になっている。

まこ「や。お疲れ様」
京太郎「うっす。お疲れ様です」

そんな京太郎の視界の端に地味なエプロンドレスを身にまとった少女が映り込む。
少しばかり癖を残す髪や大きなメガネをつけるその顔は、格好に負けず劣らず地味だ。
しかし、良く良く見れば、その顔立ちは人並み以上に整っている事が分かるだろう。
京太郎も良く知る原村和のように決して華のあるタイプではないが何処か人を落ち着かせる雰囲気を持つ優しい少女。
それが京太郎の先輩であり、この雀荘の一人娘でもある ―― 染谷まこに抱いた彼の印象だった。

京太郎「(実際、この人に何度、助けられた事か)」

まだ不慣れな京太郎をバイトとして誘ったのはまこだ。
そして、失敗しそうな自分に誰よりもフォローしてくれたのもまた彼女である。
それは彼女にしてみれば、後輩を誘ったがゆえの責任をとっただけなのかもしれない。
しかし、京太郎にとって彼女の存在はとても有り難く、そしてその好意は感謝を抱くに足るものだった。

まこ「…なんじゃ。人の顔をじっと見て」
京太郎「あー…すみません」

そんな彼の視線にまこはクスリと笑いながら、手を振った。
まるで京太郎の視線を散らそうとするようなそれに彼はそっと肩を落とす。
どうやら考え事をしている間に、まこの事をじっと見つめすぎていたらしい。
そんな事にも気づかないほど疲れが溜まっている自分に一つため息を漏らしながら、そっと背もたれに身体を預ける。

まこ「大分、疲れとるみたいじゃな」
京太郎「はは…手間掛けてばっかですみません」

まこの心配そうな言葉に京太郎が自嘲混じりの笑い声を返すのは、条件的にはまこの方が辛いからだ。
自分の事で手一杯な京太郎とは違い、彼女はさらにバイト初心者の後輩にも注意しなければいけないのだから。
その上、キッチンで簡単な軽食まで作ってみせる彼女の方がよほど疲れているだろう。
そんな彼女の前で疲労を見せる訳にはいかないと思いつつも、張り詰めた緊張はそろそろ疲労を隠しきれないほどになっていた。

まこ「(まぁ…ようやってくれとるしなぁ…)」

そんな自嘲を覚える京太郎とは裏腹に、まこの中で京太郎の評価はそれなりに高いものであった。
勿論、新人故に失敗する事はあれど、同じミスは繰り返さない。
その上、気配りも上手く、常連からの評判も決して悪くはなかった。
物覚えも良く次々に仕事を覚えていった彼は一ヶ月で即戦力として数えられる程度にはなっている。

まこ「(実際、疲れとるんもそがぁなくらいバイトに真剣なんじゃし…)」

そう思えばダレる彼の姿も悪い気がしない。
寧ろ、それだけ頑張ってくれて有難うと労いの言葉ひとつ掛けたくなるくらいだ。
とは言え、まことてそれを京太郎が望んでいない事くらい分かっている。
彼が望んでいるのはそういった言葉ではなく、自身が足手まといの状態から一秒でも早く脱却する事なのだから。

まこ「…じゃ、今日の特訓は中止にするか?」

代わりにまこが漏らした言葉は彼女たちの日課に言及するものだった。
それにもたれかかる京太郎の身体がピクリと反応するのは、それを決して彼が望んでいないからである。
勿論、身体に影響が出てしまうくらいに疲れているのは確かだが、中止だなんて冗談じゃない。
そう思うのは彼がその『特訓』の事を心から楽しみにしているからだ。

京太郎「いや…やりますよ。それが楽しみでバイトしてるようなものですし」
まこ「じゃあ、バイト代は要らんのじゃの?」
京太郎「それとこれとは話は別です」キリリッ

そう言いながら背もたれから身体を離す京太郎にまこはクスリと笑みを浮かべた。
疲れているのは確かではあるが、楽しみにしている事を餌にされればまだまだ動けるらしい。
ならば、遠慮なんてしてやる必要はないと、胸中で言葉を漏らしながら、まこはそっと京太郎へ口を開いた。

まこ「それじゃもうちぃとしゃきっとせんか。じゃないとわしの部屋は拝めんぞ」
京太郎「それは困りますね…っと」

冗談めかしたその言葉に京太郎は一つ笑いながら立ち上がった。
そのまま大きく背伸びをして身体を回せば、グキグキという音が筋肉から鳴り響く。
何処か不快なそれに一つ息を吐いた頃には、疲労感が多少は抜けていた。
それを確認した彼はそっとまこに頷いて、自身が大丈夫である事を知らせる。

まこ「それじゃ行くか。荷物は持ったな?」
京太郎「うっす。大丈夫です」

まこの言葉に学校指定のカバンを持ち上げながら、京太郎は小さく頷いた。
それを確認してから歩き出す京太郎たちは裏口からそっと雀荘を抜け出す。
そのまま一分も歩いた頃にはこじんまりとした民家が二人の視界に入ってきた。
そして、年季の入った、けれど、くたびれている訳ではないその家の扉を二人はそっとくぐる。

まこ「ただいま」
京太郎「お邪魔します」

二人別々の挨拶をしながらも、その返事はない。
まこの住むこの家にはまだ両親ともに帰ってきていないのだ。
二人が勤める雀荘は昼ごろから夜遅くまで開いているのだから。
時間的にはまだピークを抜けた頃くらいである以上、主戦力である二人が抜ける事は出来ない。

まこ「京太郎は部屋に上がっといてくれ」
京太郎「…良いんですか?」

勿論、そんな事はまこも京太郎も分かっている。
だからこそ、尋ねる京太郎の言葉は当然のものだろう。
本人にそのつもりはないとは言え、その気になれば幾らでも犯罪行為だって出来るのだから。
警戒されすぎるのは悲しいが、後輩とは言え、男なのだからもう少し気をつけた方が良いのではないか。
無防備と言っても良いまこの言葉にどうしてもそう思ってしまう。

まこ「今更、京太郎が何かするたぁ思うとらんわ」

「ヘタレじゃしな」と笑いながら付け加えるその言葉は、彼女の本心だった。
幼い頃から雀荘に出入りしているまこは多少は男慣れしている。
とは言え、本当に信用していなければ、部屋にあげるような事はしないのだ。
ましてや、彼女が先に上がれと言う男なんて京太郎か父くらいしかいない。

まこ「(まぁ…あんまり交友関係が広い訳じゃないしの…)」

学年を超えた親友でもある竹井久とは違い、まこは狭く深く交友するタイプだ。
そして、そのこじんまりとした交友関係の中に収まる異性と言うのは殆どいない。
男性とも気兼ねなく話せるタイプとは言え、彼女自身はあまり友人作りという事に積極的ではないのだ。
結果、彼女が最も親しい異性となると父か京太郎くらいしかいなかった。

まこ「それにまぁ…今更じゃろうに」

これが始めて部屋にあがるというのであれば京太郎の躊躇いも分かる。
しかし、こうしてバイト上がってからの『特訓』は既に二人の中で日課になっているのだ。
それなのに部屋にあがるのを躊躇われても彼女には今更としか思えない。
そんな風に警戒するような相手であれば、最初から自分の部屋には上げたりしないとまこは思うのだ。

京太郎「それじゃ…上がらせて貰いますけれど…」

そんなまこに何を言っても無駄だと悟ったのだろう。
その瞳に諦観を混じらせながら、京太郎はそそくさと二階へと上がった。
そのまま右へと曲がった彼の視界に、木のプレートが下げられた扉が目に入る。
「まこの部屋」と書かれたその扉をゆっくりと開き、脇のスイッチを押せば、そこには綺麗に整理整頓させられた部屋があった。

京太郎「(相変わらず…片付き過ぎてるよなぁ…)」

京太郎がそう思うのはそこには何ら人の気配を感じないからだろう。
勿論、戸棚に並んだ本や部屋の脇に片付けられた雀卓など生活臭は感じる。
しかし、それは彼が今まで感じてきたどんなものよりも薄いものだった。
異物めいた雀卓を除けば、本当にここに人が住んでいるのか疑問になるくらいその空間は綺麗に整頓されている。

京太郎「(染谷先輩らしいと言えばらしいんだろうけれどさ)」

京太郎の知る染谷まこは地味ながらもしっかりとした女性だ。
おおよそ全ての事を人並み以上にこなす彼女はオールラウンダーという言葉はよく似合う。
そんな彼女が部屋の片付けを疎かにするタイプだとは到底、思えない。
こうして自分を上げる事を簡単に選ぶ事が出来るのも普段から整理整頓しているからだろう。

京太郎「(でも…毎回、何か違和感を覚えるんだよなぁ…)」

勿論、客人としては片付いているに越した事はない。
これが彼の幼なじみの部屋のように時折、下着が落ちているとかになると居心地が悪くなってしまうのだから。
しかし、それを肯定的に捉える事が出来ないのは、微かに感じる違和感の所為だろう。
そもそも彼の知る染谷まこは地味であるとは言え、決して暗いタイプではないのだから。
ある種、無味乾燥と言っても良いようなこの部屋が彼女の自室とはあまり思えなかった。

京太郎「(ま…あんま踏み込む事じゃないか)」

これが気心の知れた同性ならば、京太郎とて家探ししようという悪戯心を浮かばせたかもしれない。
しかし、相手は異性で、そして部活の先輩であり、バイト先の一人娘でもあるのだ。
幾ら無謀と勇敢を履き違えやすい年頃とは言え、無茶は出来ない。
結果、京太郎に許されたのは来客用の座布団に腰掛けて、まこの帰りを待つ事だった。

まこ「っと…ちぃと開けてくれんか?」

そんな京太郎の耳に届いたのはまこの声だった。
扉越しに聞こえたそれに彼が後ろに目を向ければ、いつの間にか扉が閉まっている。
それに腰を上げた京太郎がそっと扉を開けば、その向こうから両手で盆を持ったまこの顔が現れた。


まこ「お待たせ。何かいなげなところ弄っとらんか?」
京太郎「んな事したら怒られるじゃすまないんでやりませんよ」
まこ「って事は怒られんかったらやるんじゃな?」
京太郎「まぁ…考えるくらいはやるかもしれませんね」

そんな風に軽口を交わしながら入ってきたまこの盆にはサンドイッチが幾つか並んでいた。
軽食として雀荘で売りに出しているそれをそのまま運んで来たの二人ともお腹が空いているからだ。
雀荘のピークと言うのは遅く、今はもう夕食には遅めの時間帯となっている。
その間、殆ど食べずにバイトを続けていた二人にとって、空腹とは無視出来ないものだったのだ。

まこ「正直、引いたわ。これは通報じゃろなぁ…」
京太郎「ちょ…っ!?信じてるって言ったじゃないですか!?」

そう言いながらまこは部屋にそっと盆を下ろし、彼にガラス製の冷水筒を渡す。
それを受け取りながらも焦った声を出すのはまこの言葉に妙な真実味があったからだ。
冗談と分かっていても無視出来ないそれは思わず頬を引き攣らせてしまう。

まこ「はは。それより時間もないし、食べながらで良いからそろそろやるぞ」
京太郎「うっす」

そんな彼にクスリと笑いながらの言葉に京太郎は冷水筒からコップへとお茶を入れながら頷いた。
こうしてまこと話している時間は楽しいが、こうして彼女の部屋にお呼ばれしているのはそれが目的ではないのだから。
こうして無為に時間を過ごしている余裕は自分はともかく、まこにはない。
それを誰よりも知る京太郎はそっと腰をあげ、部屋の隅においてある雀卓を組み上げる。
その間に本棚と一緒になった小物いれに仕舞いこんである雀牌をまこが取り出せば、もう準備は完了だ。

京太郎「んじゃ…やりましょうか」
まこ「ん」

そう言いながら二人が始めるのは決してサシ麻雀ではない。
京太郎がまこ以外の他家を兼任するという変則的なものではあれど、それは普通の麻雀であった。
とは言え、三人分の打牌を行う京太郎とまこでは決して対等な条件ではない。
故に二人の勝利条件はお互いに異なるものだった。

京太郎「(さて…と…今日こそは振り込まないようにしないとな)」

京太郎の勝利条件はまこに振り込まない事だった。
勿論、口で言うのとは裏腹に、それは決して簡単な事ではない。
三人分の打牌を繰り返す彼にとって、当たる確率は単純で三倍になるのだから。
勿論、情報量も三倍である以上、まこの待ちの推察は容易い。
しかし、それでどうにかなるような領域に、京太郎はまだ達する事が出来ていなかった。

京太郎「(染め手好きだからって他で和了らない訳じゃないしなぁ…)」

まだ京太郎は麻雀の全ての役をようやく覚えられたという段階だ。
点数計算だってまだ危うい彼にとって、三人分の手牌は氾濫する情報も同じである。
それに翻弄されている彼は未だ初心者の領域から抜け出せてはいない。
しかし、その出口がそう遠くない事を、まこはその打牌から感じ取っていた。

まこ「(ん…二筒捨ててこっちを探りに来たか…)」

こうして二人きりの『特訓』を始めた頃、京太郎はひたすらまこの河しか見ていなかった。
勿論、それが彼の勝利条件から考えれば、安全策なのは確かである。
だが、そうやって現物ばかり捨てて逃げられるほど麻雀というのは甘くはない。
特に清澄の中でも飛び抜けて経験値が高いまこを相手にそんな打ち方が通用するはずがなかった。

まこ「(なんじゃ、ちぃとずつ分かってきとるじゃないか)」

まこを相手に逃げ切ろうとすれば、手探りながらも前に進むしかない。
三倍の情報量に負けず、山を読み取りらなければ勝機はないのだ。
河を見るのはそのさらに後だという基本を、京太郎は少しずつ抑え始めている。
その変化に人知れず笑みを浮かべながら、まこはそっと一索を打ち出した。

まこ「(…ちぃとだけ…感慨深いもんがあるの…)」

そう思うのは最初の頃の京太郎があまりにも酷いものだったからだろう。
麻雀初心者という事をさておいても、最初の頃の京太郎は酷いものだった。
頭脳労働を不得手とする彼はすぐさま思考を放棄し、感性に頼る癖があったのだから。
勿論、始めたばかりの初心者に感性だけでどうにか出来るはずがない。
結果、それを狙い撃ちにされてボロボロになっていた頃から考えれば、今の彼は別人と言っても良いくらいだった。


まこ「(あんまり…構ってやれんのになぁ…)」

最初の頃はまだ完全に初心者であった京太郎に構ってやる事が出来た。
清澄の麻雀部は四人で、団体戦に出るのには一人足りなかったのだから。
勿論、各々が個人戦に向けて努力はしていたものの、それは今のように真剣なものではない。
それが変わったのは、京太郎が連れてきた宮永咲が麻雀部に入部してくれたからだ。

まこ「(お陰で団体戦出場が見えて…)」

まこにとって、それは念願と言っても良いものだった。
親友である竹井久は三年で、もう今年しか団体戦出場のチャンスがないのだから。
出来れば彼女の引退までに一勝でも二勝でも良いから団体戦で勝たせてやりたい。
そう思って挑んだ県予選で、清澄は優勝候補であった龍門渕と風越を破り、インターハイ出場を決めたのだ。

まこ「(それは間違いなく嬉しい。嬉しい…けれども…)」

だが、その結果、京太郎の指導に裂ける時間というのはさらに大きく減ってしまった。
全国にひしめき合う魑魅魍魎たちに何の準備もなく勝てるほど清澄と言うのは強い訳ではない。
そもそも龍門渕に勝利したのもギリギリで、一歩間違えば負けていてもおかしくはないくらいだったのだから。
結果、インターハイに向けての練習に追われる彼女たちにとって京太郎の指導と言うのは二の次どころか三の次四の次になっていたのである。

まこ「(けれど…京太郎は文句を言わん)」

それどころか、率先して雑用として動き、データの収集や整理を手伝ってくれている。
それが有難いと思うものの、同時に申し訳なさをまこは感じていた。
まだ麻雀に興味を持ったばかりの初心者に必要な仕事を全て押し付けているのだから。
本来であれば彼が抱いた興味を趣味へと変えられるようにサポートするのが部活として正しい姿だろう。

まこ「(でも、その時間がないゆぅて思うてバイトに誘ってみた訳じゃが)」

インターハイに向けての練習の為に麻雀に参加する事さえ出来ない京太郎。
そんな彼を不憫に思ったまこは両親が経営している雀荘に京太郎を誘ってみたのだ。
結果、彼の負担は増えはしたものの、こうして喜々として麻雀へと向かう彼の姿が見れる。
それが嬉しくて、ついつい頬を緩ませてしまう彼女は、京太郎の打ち出した5索に対して、そっと牌を傾ける。

まこ「ロン」
京太郎「ぐあー…そこかよぉ…」

短いその宣告に京太郎が悔しそうな声をあげる。
だが、すぐさま河の確認に入るその目には麻雀に対する興味が溢れていた。
もっと強くなりたいもっと上手くなりたい。
そんな意思が透けて見える彼の仕草にまこはバイトに誘ってよかったと心からそう思えるのだ。

まこ「(それに…京太郎との特訓はわしにもメリットがある)」

まこは自らの経験を頼りに場を自分に対して有利なものへと変えていくタイプの雀士だ。
自然、その能力が発揮出来るか否かは似たような打ち手と出会えているかどうかに掛かっている。
それは彼女自身も理解していたものの、県予選決勝でただ豪運なだけの初心者に負けてしまったのだ。
それを克服する為にもまだ初心者に近い京太郎と打てるのはかなり有難い。
その経験一つ一つが経験となり、そして雀士としてのまこの血肉へと変わるのだから。

まこ「(まぁ…それは決して飛躍的なものではないんじゃが…)」

雀士としてのまこは既に完成されている。
原村和や片岡優希とは違って、その拡張性を殆ど残してはいない。
勿論、それは彼女の伸び代がない事を意味しないとは言え、劇的な成長が望めない事をまこ自身が良く理解していた。
どれだけ経験を積んだところで、大きく伸びる事はない。
ただ不得手な相手が減るだけで、地力で負ける相手には太刀打ち出来ないままであろうという事も。

まこ「(それでも…わしは…)」

俗にいう悪待ちを得意とする久。
南場での高火力を誇る優希。
どんな相手にもポテンシャルを最大限発揮できる和。
支配とも言うべき豪運で全てをねじ伏せる咲。
そんな中で自分が一歩劣っているのをまこは自覚していた。
恐らく来年、優秀な一年生が入って来れば抜けるのは自分であろう事もまた。
しかし、だからと言って、まこは腐らない。
自分に出来る最大の結果を引き出そうと様々な打ち手が集まる実家でバイトを続け、終わった後も京太郎と共に特訓を続ける。

京太郎「ふぅ…」

軽食として用意したサンドイッチがなくなり、そろそろ日付が変わりそうになった頃。
京太郎が漏らした吐息にまこは申し訳なさを感じる。
京太郎がバイトでまだ疲れている事くらい彼女にだって分かっていたのだ。
それなのに少しずつ成長する京太郎の姿が嬉しくて、そして少しずつ不得手な分野がなくなっていく感覚が嬉しくてついつい続けすぎてしまったのだから。

まこ「…すまんな」
京太郎「何謝ってるんですか」

それについ謝罪の声を漏らすまこに京太郎が困惑しながらそう返した。
実際、彼からすればまこは忙しい時間の合間を縫って自分の指導をしてくれている先輩なのである。
その上、自分が上手くなれるようにバイトまで斡旋してくれたのだから、感謝以外に抱くものがない。
そんな彼女にいきなり謝られたのだから、彼としては驚愕を通り越して困惑を覚えてしまう。

まこ「いや、バイトでもこっちでもこき使っている訳だしなぁ…」
京太郎「俺にとっても嬉しい事なんですから謝らなくて良いんですよ」

勿論、京太郎とて、自分との対局がまこの訓練にもなる事を知っている。
しかし、だからと言って、それは決して彼女の優しさを否定するような事にはならない。
寧ろ、そうやって自分にも返せるものがなければ、申し訳なさ過ぎて萎縮してしまう。
そう思う彼にとって感謝する先輩の役に立てているという事は嬉しい事だったのだ。

京太郎「それより俺の方こそダラダラ居続けてすみません。そろそろ帰りますね」
まこ「あ…」

そう言って雀卓の片付けを始める京太郎にまこは何を言えば良いのか分からなかった。
代わりに片付けに慣れたその手はスルスルと動き、あっという間に箱へと牌を片付ける。
それを確認した京太郎が雀卓を同じ場所にしまい直した頃には、まこはもう立ち上がり、その手に盆を抱えていた。

京太郎「んじゃ…降りましょうか」
まこ「そうじゃな…」

京太郎の言葉に頷いてかまこはそっと部屋を出て、階段を降りていく。
その間、まこは京太郎に何と言えば良いのか迷っていたままだった。
謝るのも感謝するのもズレているような気がしたまま二人が玄関へと辿り着く。
そのままスリッパを脱いで靴を履き替える京太郎にまこはふと手渡さなければいけないものがあるのを思い出した。

まこ「あっ!ち、ちぃと待っておれ!!」
京太郎「え?」

そう言ってリビングへと飛び込んでいくまこの背中を京太郎は呆然としつつ見送る。
その胸中にはいきなり大声をあげた先輩を心配するもので溢れていた。
けれど、待っていろと言われて追いかける訳にはいかず、京太郎は一分ほどそこで立ち尽くす。
そんな彼の元にまこが戻ってきた時には、その手に小さな茶封筒が握られていた。

まこ「ほれ、今月の給料じゃ」
京太郎「え…い、いや、でも…」

そう言って手渡されるその封筒に京太郎は躊躇いを見せる。
勿論、バイト代は欲しいものの、彼が働き出したのはつい一ヶ月前なのだ。
今日が給料日である事は理解していたものの、自分とは無縁であると思っていたのである。

まこ「構わん構わん。正当な報酬なんじゃから遠慮無く受け取れ」
京太郎「あー…分かりました」

そんな彼に押し付けるようにしてまこはその封筒を手渡した。
それに諦めながら受け取った瞬間、ズシリと重い感覚が指へとのしかかる。
思っていたよりも遥かに強いそれは一瞬、手から滑り落ちてしまいそうになった。

京太郎「って結構、重いんですけど…」
まこ「まぁ、ほぼ毎日、働いてる訳じゃしの」

勿論、毎日と言っても、学生であるし、雑用の仕事もこなしているのだ。
一日に換算するとその時間は決して長いものではない。
しかし、それが一ヶ月も続けば、それなりの金額にはなる。
今の京太郎の手の中には二桁にギリギリ及ばない数の諭吉さんが詰まっていた。

京太郎「俺、こんなに貰って良いんですか…?」
まこ「つか、バイトじゃし、受け取って貰わんとうちが困る」

勿論、自分の手の中にある額がどれほどのものなのか京太郎には分からない。
しかし、彼はバイトでも麻雀でも初心者で、足手まといのままだと思い込んでいるのである。
麻雀してお金まで貰えるってだけでも凄いのに、こんなに貰えるだなんて本当に良いのだろうか。
そう思う彼にまこはクスリと笑いながら、手を振った。

まこ「まぁ、悪いと思うなら、今度、わしに何か買ってくれ」
京太郎「あー…んじゃ、今度、一緒に出かけますか」
まこ「え?」

その言葉はまこにとって冗談に過ぎないものだった。
しかし、それは本気で悪いと思っている京太郎にとって冗談に聞こえないものだったのである。
こんなに貰って悪いのだから、少しくらいは世話になった先輩に還元しなければいけない。
そう思った彼の言葉にまこが驚きの声を返すものの、全てはもう遅かった。

京太郎「あ、やべ。もうこんな時間だ。流石にこれ以上はやばいんでそろそろ帰りますね」
まこ「ちょ…まっ!?」
京太郎「あ、出かける日はまた今度、メールで送ります。それじゃ!」
まこ「え…ちょ・・え、えぇぇ!?」

そう言って染谷邸から去っていく京太郎はもうまこの声なんて殆ど聞いてはいなかった。
バイトを始めて門限を多少、緩くなったものの、それでも長期でオーバーすれば説教が待っているのだから。
その門限もそろそろ危険域に近づいている以上、あまりのんびりと話してはいられない。
そう思った彼の走りは止まらずにあっという間に夜の闇へと消えていった。


まこ「ど…どうしよう…」

結果、一人残されたまこはポツリと呟く。
まさかただの冗談でこんな風になるだなんて思っても見なかったのだ。
しかし、京太郎の顔は真剣そのもので、決してこっちをからかっていたようには思えない。
あの様子だと恐らく本気で自分を買い物に誘うつもりだろう。
そう思うと何故かこそばゆい感覚が湧き上がり、ムズムズと落ち着かなくなってしまった。

まこ「(これってデート…になるんじゃろか…)」

勿論、二人の関係はただの部活仲間であり、バイトの先輩後輩でしかない。
そのような艶っぽい感情はお互いに持ってはおらず、またそのような感情が入る余地は彼女から見てもなかった。
しかし、それでもデートと言う単語にドキドキしてしまうのは、まこもまた乙女だからだろう。
清澄の中では比較的サバサバしている方だとは言え、そういったものの対する憧れは彼女にもあるのだ。

まこ「(と、とりあえず…)」

女性誌の一つでも買って、出かける時の格好を決めよう。
そう思いながら部屋へと上がった彼女はその日、京太郎からのメールが来るのではと思って中々、寝付く事が出来ない。
結果、次の日をほぼ一睡もせずに迎えたまこは、その日、ろくに麻雀をする事が出来ず、当の本人である京太郎にも心配されたのだった。