ドアノブが回され、蝶番が擦れ小さく金属音を上げながら扉が開けられる。

    淡「キョータロー?」

    少女、大星淡は部屋の主の名を呼びながら戸口から顔を覗かせる。

    呼び掛けに答える声は無い。自身の澄んだソプラノが無人の部屋に反響するだけ。

    淡「なんだ、いないのかー」

    合鍵を制服のポケットに押し込みながら後ろ手に扉を閉める。

    勝手知ったるなんとやら、外履きを脱ぎ捨て自分用のスリッパに履き替える。

    お世辞にもお洒落とはいえない閑散とした部屋。

    正面に窓が一つ。向かって右手の本棚には学校の教科書や麻雀の参考書、

    少しの漫画と小説が無秩序に押し込まれ入り切らない雑誌や週刊誌が床に乱雑に積み上げられている。

    中央には小さなテーブル。左手には簡素なベッド。いかにも学生の独り暮らしといった風体の部屋だった。

    淡「……」ジッ

    視線がベッド、その上へと注がれる。

    淡「はっ!?」

    ハッと我に返り頭を振って思考を追い出す。

    僅かに赤らんだ頬をペチペチ叩いて気を静める。

    淡「ん~、待ってればその内帰ってくるかな~」

    そう結論付け、他人の部屋だということもお構いなしに好き勝手に歩き回る。

    何か暇を潰せるような面白いものはないかと室内を物色するが、
  ことある毎に押しかけて来ている場所で昨日今日に目新しいものが発見できるものでもない。

    淡はベッドに腰を落ち着けると、掛けられたシーツを手で撫でながらもう一度視線を走らせる。

    その双眸が部屋の片隅、ある一点で停止し収束する。

    それはなんの変哲もない洗濯籠。そこから少しだけはみ出した衣類。

    几帳面な彼には珍しく、溜め込んだ洗濯物が籠の半分程まで詰め込まれていた。

    床に両手と両膝をつきゆっくりと這い寄っていく。

    無造作に籠の中に手を突っ込み、その中から一着、京太郎が肌着として着ている黒いタンクトップを掴み取る。

    淡はあまり物事を考える側の人間ではない。

    どちらかと言えば、その場その場で直感で物事を決めるタイプだ。

    だからその行為が特に考えたものという訳でもなく、半ば無意識の行動だった。

    淡「……」クンクン

    微かに鼻先をひくつかせながら、自分の顔にタンクトップを押し付けた。

    感じたのは汗の匂い。そしてその奥の京太郎の芳香。

    自然と心を落ち着けてくれる、自分の好きな彼の匂い。

    淡「ん……」

    両足を外側に投げ出し、床に尻をつけて座り込む。

    淡「ふわぁ……」

    一呼吸、二呼吸と空気を吸い込むごとに彼の香りが流れ込んでくる。

    下腹部が熱くなるのを感じる。

    淡は右手に肌着を握り、空いた左手で下丹田をソッと撫でる。

    淡はタンクトップを鼻先か口元に宛がいながら、ベッドの上を転がりまわる。

    このベッド、この肌着の持ち主はこの場にはいないのに、
  まるでいつもの様に彼に抱きしめられている様な幸福な気持ち。

    そして内側から沸き上がる熱。

    淡「これじゃ、まるで変態さんだよぉ」

    ゆっくりと制服のスカーフを緩め、抜き取る。

    下へ伸びた手が、スカートのファスナーに掛かる。

    自分の今の姿を見て今の彼はどう思うだろうか?

    呆れるだろうか? それとも、もしかしたら興奮してくれるのだろうか?

    小さな音を上げて、留め金がゆっくりと下げられる。

    戸の開く音。

    京太郎「あれ、開いてる? ……淡? 来てるのか?」

    跳ね上がった頭が入り口を凝視する。そこにはこの部屋の主。須賀京太郎がコンビニの袋を提げて立っていた。

    淡「」

    自室に帰ってきた須賀京太郎は困惑していた。

    確かに施錠して出た筈の部屋の鍵が開いていた。

    思い当たる節は一つ。自分が一人だけこの部屋の合鍵を渡している相手の留守中の訪問。

    近くのホームセンターに一緒に合鍵を作りに行き、
  その場で手渡したときの彼女の嬉しそうな顔を思い出すと今でも口角が綻んでしまう。

    その、ささやかの思い出のアルバム鑑賞も吹き飛ぶような不思議な状況。

    淡「あわわわわ!? キ、キョータロー!?」

    ベッドの上でスカートを脱ぎ掛けている少女と、その手に握られた自分の洗濯物。

    視線が動き部屋の隅に置かれた洗濯籠へ。さらに視線を水平移動、淡とその手に握られているものへ。

    閃き。そして理解。

    京太郎は買い物袋をテーブルに置くと、いまだなにやら喚き続けている淡にゆっくりと近付いていく。

    淡「あのね、これは違くて……遊びに来たらキョータローいなくて、だから」

    自分の言葉を聞いているのかいないのか、返事の無い京太郎がゆっくりとこちらに近寄ってくる。

    京太郎「なぁ、淡」

    静かに自分の名を呼ぶ声。

    細められた目に緩くつり上がった口元。

    淡の脳裏に危険信号。

    経験上、この表情をした時の京太郎は危険だ。

    京太郎はいつだって優しかった。自分のわがままに嫌な顔一つせず付き合ってくれた。

    少しのことでいっぱい褒めてくれて、いっぱい頭を撫でてくれた。

    淡はそんな京太郎が大好きだった。

    だからたくさんわがままを言った。けれどそれは彼を困らせるようなものでは決して無い。

    それは自分の望むところではなかったし、それで嫌われてしまうのはイヤだった。

    これが自分の甘え方で愛情表現だった。彼もそういう自分が良いといってくれた。

    けれど、稀に。極稀に彼のなにかのスイッチを押してしまうことがある。

    それがなんなのかはいまだよくわからないが、そういう時、京太郎っは決まってこういう表情をする。

    そして彼は、なんと言うか……とてもいじわるになるのだ。

    ベッドの脇に立った京太郎を淡が見上げる。

    元々の身長差もあるがベッドに座り込んでいる自分と
  立っている京太郎とでは京太郎が淡を見下ろす形になるのは必然だった。

    淡「キョ、タロー……?」

    そういえばスカートのファスナーを下ろしていた事を今思い出した。

    そう思うと急に羞恥心が湧き上がり、再び顔が紅潮する。

    立ち上がって着衣を正したいが、京太郎の視線に射竦められて動くことができない。

    京太郎「淡」

    いつも以上に優しい声。
  普段ならそれだけで笑顔になってしまうのだが、今はただ不安を煽るだけでしかなかった。

    スプリングを軋ませながら京太郎はベッドに、その上にいる淡に覆いかぶさるようにあがって来る。

    淡「キョータロ、顔、怖いよ?」

    搾り出したような声。

    京太郎「これ、俺の服だよな?」

    顎で示しながら問うて来る。

    淡は答えられない。

    京太郎「これ持って、俺のベッドでなにしてたわけ?」

    淡「えと、それは……」

    口ごもる淡。なにをしていたか、なにをしようとしていたかなんて言えなかった。

    京太郎の両手が淡の両の手首を掴む。
  後退って逃げようとするが両足の間、スカートの裾を膝で押さえ付けられる。

    無理に逃げようとすると、緩められたスカートが脱げてしまう。

    京太郎は淡の首筋に顔を寄せると、大きく息を吸い込む。

    京太郎「淡って良い匂いするよな」

    その言葉に朱の差していた淡の頬の赤みがさらに増す。

    淡「待って、待ってって、キョータロー!」

    淡の制止の声を無視し、京太郎はさらに迫ってくる。

    京太郎「いいじゃん。淡もこうしてたんだろ?」

    事実その通りなため、二の句が継げない。

    いや、本人の匂いを直接嗅いでいたわけじゃないし。
  っと思う淡だがそれを言ったところで聞き入れてもらえる訳が無いだろう。

    淡は両目を硬く閉じそっぽを向く。

    京太郎「……ん」

    淡「ひゃわっ!?」

    可笑しな声が出た。

    京太郎が襟元から僅かに覗く鎖骨を舌先でちろりと舐め上げたのだ。

    淡は掴まれた両腕を必死にバタつかせながらなんとか顔だけは隠そうと抵抗を試みる。

    しかし彼と自分では体格も膂力も違い過ぎる。

    自分の顔はみっともないほど真っ赤になっているだろう。

    淡「お願い! キョータローやめてってばぇ!!」

    決死の叫び声と共に目尻に浮かんできた涙が、一筋、頬を伝った。

    やってしまった。

    冷静になった頭で最初に浮かんだ感情は後悔。

    京太郎は自分の下で、両腕で顔を覆い頬を濡らす雫を拭いながら
  鼻を啜り上げる彼女を見下ろしながら、尋常じゃない量の脂汗を流していた。

    淡「グス……ヒック……」

    京太郎「……」ゴクリ

    生唾を飲み込む。

    羞恥の悶える淡を見ていると、息を潜めかけた加虐心がまたも湧き上がりそうになる。

    正直、可愛過ぎる。それが京太郎の率直な感想。

    京太郎(普段生意気なくせに、こっちが攻勢に出ると急にしおらしくなるとか反則過ぎだろ)

    内心でひとりごちつつ、これからどうするべきか考える。

    自分の欲望を満たすためにいじわるを続けるか、素直に謝るか。

    欲求と呵責を両天秤にかける。

    淡「恥ずかしいの、やだぁ……」

    天秤のはかりは傾いた。

    淡「ふえ……」

    ベッドの端の腰を下ろし膝の上に淡を座らせる。右手で一定のリズムで背中を打つ。鼓動のリズムだ。

    自分の胸に縋りついていまだに鼻を啜っている淡の頭をゆっくりと、なだめるように左手で撫でる。

    京太郎「ごめんな。ちょっとやり過ぎた、反省してるから許してくれ」

    淡「キョー、タロ……の、あほぉ! ホントに恥ずかしかったん、だもん」

    もっと恥ずかしいこといっぱいしただろ、とは言えない。ここでふざけて余計ヘソを曲げさせてしまうのは得策ではない。

    京太郎「うん。俺もそう思う。だから素直に謝る、ごめんなさい」

    今の姿勢では物理的には頭を下げられないので、言葉に誠意を持たせる。

    淡「……し、たら、許……」

    京太郎「ん? なんて?」

    一度こちらを見上げ、それから顔ごと視線を逸らし拗ねたように口先を尖らせながら小さく呟く。

    淡「チューしてくれたら、許す……」

    京太郎「ふふ、……畏まりました」

    京太郎から苦笑がもれた。

    淡の横髪を一房掴み口元に寄せ、それから耳に掛かるように回し左の耳を露出させる。

    右手を淡の頬に添え、指先が顔の輪郭を撫でる。

    くすぐったそうに逃げる仕草をするが
  本気で嫌がっているわけではないとお互いにわかっているため、京太郎はそのまま続ける。

    右手は下へと下がり、親指だ顎先を撫でる。

    ゆっくりと上を向かせる。左手は掬うように極上の金糸の髪を梳く。

    唇に粘膜同士が触れある濡れた感触。

    薄目を開けて観察すると、ギュッと目を閉じ必死に唇を突き出してくる淡の表情。

    角度を変えついばむ様に何度も触れ合う。

    舌を入れたりしない。しかし自身の口先で、薄い桜色の上唇と下唇を甘く何度も咥え舐めあげる。

    触れ合うだけのもどかしいキスを何度か繰り返し、呼吸の限界を迎えあたりでようやく2人はどちらともなしに顔を離す。

    淡「キョータロー……」ポー

    ふやけた、熱病に中てられたかのような顔。淡は完全に出来上がっていた。

    京太郎「機嫌直ったか?」

    淡「もっと~」

    首に腕を回し、強く抱きしめてくる淡。

    京太郎「しょうがないな、淡は」

    苦笑を漏らしつつ自分に抱きつく少女の身体をそっとベッドの上に横たえる。

    京太郎「いいな?」

    京太郎の確認の声に、淡は小さく首肯する。

    夕暮れの室内に、制服に手をかける衣擦れの音と、僅かに軋んだベッドの音が響いた。


    カン!