---ざぁざぁと、雨が降っていた。天から降りて、地に落ちる。そんな雨が、ざぁざぁと---

    全国的な豪雨になるでしょう、と予報されとった天気予報を思い出しながら、
  彼女はあらかじめ用意しておいた傘を開いて帰路についていた。

    多少の煩わしさを感じつつ、そういえば今日は娘達は学内合宿が
  あるんだったかと思いだし、コンビニで酒でも買っていくかと思いいたり、進路を変更。少し早足で行くことにした。

    --- 止まない雨はない。そんな言葉が嘘に感じられるような、強いつぶてが、地を穿つ---

    酒の缶が入ったビニール袋をガシャガシャともって歩いていると、司会の端に見慣れた公園を見つけた。
  よくあの公園で、娘達とその幼なじみの子供を遊ばせといたものだと、懐かしくなった。

    どれ、久しぶりだなと園内を覗いてみることにする。まぁ、時間は遅いし、この天気模様だ。
  彼女としても、こんな日に公園で遊んどる子供もおるまいと考えていた。

    だが。いた。

    いや、子供ではなぃ。園内のなかに設置されている年月の経過と共に色落ちしていた長椅子。
  そこに座っていたのは、少年と青年の間頃の歳であろう一人の男の子。
  その男の子は椅子の上で傘もささずに俯いて、ただただ降り注ぐ雨を一身に受けていた。

    彼女、無意識のうちに彼のもとへ歩を進めていた。自分はでもいつの間にとは思う。
  見知らぬ人間なら関わり合いにならず、とっとと帰ってしまえばいい。

    だが、彼女は知っていた。もう既に目の前にいる少年を。彼はつい先ほど、自分の思い出の中で笑っていた少年だ。

    俯いた頭に輝く金色の髪が、その証。彼の真ん前に立ち、それは確信に変わった。

    「なにしとるんや、京太郎・・・?」

    「・・まさえ・・さん?」


    ゆっくりと、ゆっくりと少年が顔をあげる。その顔を彼女が間違う筈がない。
  彼女にとっても息子同然の存在である、須賀 京太郎を。愛宕 雅枝は、間違えない。


    ---掴もうとしてもするりと、指の間逃げていく---


    体に力の入っていない京太郎を、半ば無理矢理自宅まで連れてきた雅枝は
  湯船に湯を沸かし、濡れじゃくった体をタオルで拭いていく。


    「あーもう、こんな濡れじゃくりおってからに」

    「・・・あの、自分で拭けます」

    「知らんわそんなん。あんな泣きじゃくっとったやつの」

    「・・・泣いてないです。ちょっと雨に打たれてただけです」

    「着の身着のままで、か?」

    「わざわざ新しい服おろすこともないでしょ。濡れますし」

    「・・・そか」

    おかしい。愛宕 雅枝は確信した。普段の彼では考えられないようなつっけんどんな対応。
  この反応だけで、自分にされるがままにされている彼に何かしらのトラブルがあったことが察せられる。

    そこで電子音が鳴り出した。お風呂の湯船にお湯が溜まったことを報せる文明の利器。それがピーピーと鳴り響く。


    「風呂、入ってきぃ」

    「いや、俺はもうこれで」

    「ええから」


    ここで帰すわけには、いかない。今の状態の彼を返してしまえば、また先ほどのように外をふらふらされても困る。
    ・・・腹を割って、少々話すべきかもしれない。

    ---ある日突然、大事な心を奪われたとき、僕はどうするんだろう---

    ぶくぶく。ぶくぶく。

    湯船の中にたんまりと張られたお湯の中で息を吐く。
  まるで心の中に溜まった気持ちを吐き出すように。
  まぁ、なくなるわけじゃないんだが。そんなあったかーい湯船の中で京太郎は思う。

    「(あーもう。やっちまったなぁ・・・)」

    自分のことを案じてくれた雅枝へに対しての冷たい発言。あれはダメだ。二重の意味で。
    十中八九雅枝は気づいているだろう。というか、気づかない方がおかしい。
  あれだけ普段の自分と違う行動・言動をしておいて、
  なにも察しないほど自分にとってのもう一人の母は鈍感ではない。


    「(話したくないし、話せねぇよ)」

    自らの内に燻る暗くて重い感情。これは愛宕家の皆に話したくないし、話せない。
  出来ることなら、墓場の中に持って行きたいい位だ。

    こう考えてしまうのは、俺の若さゆえか。もっと年食っていたら、これも笑い話で済ませられるんだろうか。


    「京太郎ーはいんでー」

    「どーぞー」


    そうそう、雅枝さんぐらいの歳であれば・・・はい?


    「・・・なぜ入ってきてんですか?」

    「んー?いや、入るってゆったやん?」

    「言いましたけど・・・えぇ」


    呆然としている俺のこともかくおいて、手に取ったシャワーノズルから
  溢れ出す温水を一身に受けて、気持ち良さそうにしている雅枝さん。

    ここまでお風呂モードでは、もはや抗議は無駄なのだろう。
  俺は半ば諦めつつ、こちらのことなどお構い無しにボディソープで体を洗い出した雅枝さんのことを考える。

    正直この人に詰め寄られたら、漏らさずにいられる自信がない。話したくないし、先に上がってしまおうか。


    「京太郎、ちょっちつめー」

    「あ、はい」


    ざばーんと、詰めた俺と向かい合うように湯船に浸かった雅枝さん。
  タオルもなにも巻いていないので、お互い裸の付き合いということになる。
  ぷかぷかとお湯に浮かぶ豊かな乳房を見て、うわーすげーとかまさしく現実逃避。・・・もうどうにでもなれ。

    「あぁぁぁあっ、気持ちえーなぁ京太郎」

    「気持ちいいですけど、いいですけどね」

    「なんや、煮えきらんやつやな。言いたいことがあるんやったらちゃんと言いや」

    「この歳になってお母さんとお風呂一緒に入るとか羞恥に悶え死にそうだよ」


    こう・・・嫌とかそういう類いのものじゃなく、恥ずかしいんだ。割りと切実に。


    「母親って思ってくれとるんやったら、話してほしいんやけどな」

    「いや、だから恥ずかしいと」

    「そっちちゃう」


    ・・・うん、知ってた。出来ることなら、はぐらかしたかった。
    雅枝さんにいうには、こう、辛いものがあるから。


    「・・・話さなきゃ、だめですか?」

    「ううん、べつに話さんでもええよ」

    「・・・え?」

    「あんたがホンマに話したくないしゆうんやったら無理にはきかんよ。でもな・・・」

    ぎゅうっ。

    目の前には、二つの柔らかな感触。あまりの心地よい柔らかさと、
  鼻腔をくすぐる甘ったるいミルクのようないつまでも嗅いでいたくなるような蠱惑的な臭い。
 それが、俺の思考を鈍らせる。
    追い討ちとばかりに雅枝さんは、俺の後頭部を右手で強めに抱き締め、撫でてくれる。


    「ウチはな、あんたのオカンみたいなもんや」

    「母親は、子供が泣いとったらどうすればいいんか考えないかん」

    「せやから、あんたが自分から話してくれると、ウチは嬉しい」


    ・・・ズルいなぁって思う。

    話さないわけには、いかないよなぁ。こんな柔らかくて、優しくて、暖かくて、幸せになってしまう。
  こんなに自分のことを思ってくれといる人に、打ち明けないなんてできねぇよ・・・!

    出来ることなら、話したくないし。自分の悪い出来事を、再確認したくなくて。出来ることなら、夢にでもしてしまいたい。

    ・・・でも、それでも。俺のことをこんなにも抱きしめてくれる人になら、吐き出すのも、悪くないのかもしれない。


    ---雨はまだやみそうにない。病まないことを、祈るばかり---


    ぐいっと、ウチの胸元に顔をうずめるこの子は、ほんの少し力を入れてきた。
 その胸に強まった心地のよい圧迫感をウチは受け入れ、ゆっくりと自分から押し付けるように頭を撫でてやる。

    5分か10分くらいやろうか。ウチの胸甘えてきてくれていた京太郎は、ほんの少しだけ顔をあげて話し出した。


    「・・・俺、フられちゃったんですよね」

    「・・・うん」

    「・・・洋榎さんに」

    「・・・そか」

    この子が洋榎に惚れとるんは、知っとった。そか、あかんかったか。
  そら泣くわな。あんたがんばっとったもん。洋榎に振り向いてもらえるよう、すごいがんばっとった。
  それに気付いとらんかったんは、洋榎だけやし。

    「・・・頑張った、つもりだったんだ」

    「届くように、か?」

    「違う。俺が俺であるために、です」

    「9年って、長いですから」


    ・・・・・・。


    「これでも、頑張ったんですよ?」

    うん、知っとる。服装もお洒落も、勉強もスポーツも、麻雀かて頑張って、洋榎らと同じとこ行けた。ただ、それでも。


    「足りなかった。届かなかった。それが、かなしい・・・」

    「もうええ」


    ぎゅうっと、強く抱き締める。この子の全部を、受け止めて、受け入れるように。強く、強く。


    「ちゃんと、吐き出し。受け止めるから」

    「・・・・っ!」


    くぐもった声と、湯船に落ちる水滴だけが、浴室に響き渡る。悲しみで押さえていた彼の心が、
  胸中の闇を吹き出させるかのように。嗚咽と、声にならない叫び声を混ぜて、響かせる。それをウチは受け止める。

    --- ウチは女やから。男の支えであるために---

    ---私は母親だから。息子の弱さを肯定する---

    ---明日は、晴れるといいな。天気も、心も---