咲「ん……」

    カーテンの隙間から漏れる、朝の白んだ陽光で目が覚める。

    今日は10月27日。世間的は特に祝日ということもなく、

    歴史的にはエドマンド1世がイングランド王に即位だとかアメリカ合衆国が西フロリダの併合宣言だとかが挙げられ、

    大蛇丸や志波海燕の生まれた日といわれてもピンとこないし、少なくとも今の自分とはあまり関係ない。

    手の甲で目元を擦りながら、上半身を起こす。ベッドの脇に置かれた写真立て。
  以前、部活中にふざけて撮った須賀京太郎とのツーショット写真が収められている。

    普段なら朝一で彼の顔を見るだけで笑顔になれる単純な自分だが、今日だけ鬱々とした気分を振り払えないでいた。

    咲「京ちゃんが起きろっていうなら起きるけど……」

    ベッドを這い出し、早々にパジャマを脱ぎ捨てる。壁にかけてある制服に慣れた動作で袖を通す。

    あっという間に着替えは終了。

    鞄の中身は前日に準備してあるので、そのまま取っ手を握りリビングへ。

    物音一つしない我が家。リビングに父の姿は見えず、テーブルの上に紙が一枚置いてあるだけ。

    『先に出ます。車に気を付けて行くように。父』

    ため息一つ。無作法にメモ書きをテーブルに戻すと、咲は黙って踵を返す。

    咲「それほど価値があるのかな。この世界には」

    小さく呟くと、身支度を整えるために洗面所の方へ向かっていった。

    優希「タコスUMEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!」ムッシャクッシャ!

    京太郎「レディースランチUMEEEEEEEEEEEEEEEE!!」ガッガッガ!

    昼休み。俺は咲と和、優希の1年生カルテットで連れ立って学食に来ていた。

    俺と優希はそれぞれタコスとレディースランチを頼み、咲と和は自前の弁当を突いている。

    ここ最近はいろいろ忙しかったのだがようやくまた呑気な日々が帰ってくる。

    心の余裕もありこのレディースランチの美味いこと美味いこと。

    和「御二人は本当に美味しそうに食べますね」

    和の呆れ半分、感心半分に等配合された言葉。

    京太郎「おう! やっぱりメシは美味そうに食わなきゃな」

    咲「…………」モシャモシャ

    そんな空気の中、一人だけ黙りこくっている奴がここに。

    和「咲さん。今日、なんだか暗くないですか?」

    咲「え?」

    和の言葉に弾かれたように顔を上げる咲。

    咲「なんで、そんなこというの?」

    和「いえ、なんだかいつもより口数も少ない気がして。違います?」

    咲「違うよ」

    口ではそういいつつも、どこか拗ねたような口調。

    京太郎「なに? 咲なんか落ち込んでるのか?」

    和「はぁ~」

    俺の疑問に和はあからさまに落胆したといわんばかりのため息を吐く。なにさ?

    和「咲さんは絶対落ち込んでます! そうですよね?」

    咲「違うってば!」

    語気を強めてしまった咲はばつが悪そうに顔をしかめる。

    咲「ご、ごめんね? ちょっと用事思い出したから先行くね」

    矢継ぎ早にいうと、そそくさ弁当箱をたたみ早々に学食を出て行ってしまった。

    なんとなく声がかけ辛く、それをただ黙って見送る俺たち。

    京太郎「ホントに落ち込んでたの? それとも和が落ち込ませたの?」

    和「な!? ち、違います!」

    京太郎「みんなそういうね」

    優希「ロン! 悪いな咲ちゃん。その牌だじぇ」

    咲「はい……」チャラ

    京太郎「……」

    う~む。これは……。

    やはり和の言う通りなにか落ち込んでいるのだろうか。

    咲は部活中もあまり集中出来ているとは言い難く俺の眼から見ても不用意な放銃が目立つ。

    和「……」

    和はなにか言いたげだが、昼のことが尾を引いているのかなにも言い出せずにいる。

    久「ねぇ須賀君。今日の咲、なんだか調子が出てないみたいだけど」ボソボソ

    俺と一緒に見取り稽古に徹していた部長がソッと耳打ちしてくる。

    俺は相槌を打つ。

    京太郎「そうなんですよ。なんか落ち込んでるらしいんですが、俺もよくわからなくて」ボソボソ

    俺と部長が内緒話を続けていると、椅子の脚が床を擦る不愉快な音が響く。

    咲「ごめんなさい。ちょっと御手洗いに」

    あからさまな言い訳だが、誰も追及しない。

    なんともいえない空気を残しつつ咲は部室を出て行く。

    優希「咲ちゃんどうしたんだじぇ?」

    久「どう見ても心ここに在らずといった感じね」

    和「なにか心配事でもあるんでしょうか?」

    まこ「昨日までは普通じゃったよな?」

    和「はい」

    久「とすると今日ということかしら? 10月27日……なにかあったかしら?」

    まこ「ん……10月27日? それって確か咲の誕生日じゃなかったか?」

    和「それです!」

    染谷先輩の一言に和が声を張り上げる。

    京太郎「え? 咲って誕生日のことで落ち込んでたの?」

    意外な真実に思わず疑問が吐いて出る。

    和「そうです! ああ、なんでこんな大事なことを忘れていたんでしょう」

    優希「うう悪いことをしたじぇ。京太郎は覚えてなかったのか?」

    京太郎「いや、覚えてたけど」

    和優ま久「「「「は?」」」」

    京太郎「いや、咲の誕生日の話ですよね? 覚えてましたよ」

    いいながら俺は今日、学生鞄とは別に持ってきた鞄から保冷加工をした箱を取り出しみんなの前にかざす。

    京太郎「ほら。誕生日ケーキもこの通り」

    今日の日の為に龍門渕のハギヨシさんのもとに足繁く通い腕によりをかけて作った特性のホールケーキだ。

    京太郎「なんだそうならそうっていってくれればいいのに。俺、ぜんぜん別のこと勘繰ってましたよ」

    俺の言葉に誰も答えず、みんな黙って俺を見ている。その視線が心なしか冷たい。

    和「……」バシッ

    優希「……」バシッ

    まこ「……」バシッ

    久「……」バシッ

    4人から無言ではたかれた。

    痛いっていうか、息がぴったり合いすぎていてなにか魔術的な思考に洗脳されているのではと疑ってしまう。

    京太郎「なんすか? なんすか!?」

    優希「なんでそれを早く言わないんだじぇ!」

    和「そうです! 早く言っていただければ咲さんがあんな顔をすることもなかったのに!」

    京太郎「ええ~、だって俺まさか咲が誕生日ことで落ち込んでるとか考えたことなかったもん」

    まこ「他人の機微に疎いのか敏いのかようわからん奴じゃな……」

    久「とにかく今は咲よ。和、今から咲を追いかけて準備が出来たら連絡するからそれまで時間を稼いで」

    和「はい!」

    部長の指示に和は力強く頷き、部室をとび出して行く。

    久「優希、パシリ1号。あなた達は買出しよ」

    ん?

    久「今からじゃたいしたものは準備できないでしょうけど、とにかくなんでもいいから買ってきて」

    優希「了解だじぇ!」

    京太郎「ちょっと待って。なんか俺の格下がってない?」

    久「まこは私と残って飾りつけよ。まぁこれもたいしたことも出来ないでしょうけど掃除くらいはしておきましょう」

    まこ「そうじゃな。たまにはこういうのもいいじゃろ」

    京太郎「あの、ちょっと……」

    優希「なにしてるじぇ! 早く行くぞ犬!」ズルズル

    すごい力で俺を引きずって行くタコス娘。ちょっと待って俺まだいいたいことあるんだけど!?

    咲「はぁ……」

    今日何度目かわからないため息。それは今日という日の所為か、
  それとも気遣ってくれた友人に対する酷い態度のから来る自己嫌悪を所為か。

    あるいはその両方か。

    和「咲さん!」

    後方から自分を呼ぶ声。

    咲「和ちゃん?」

    振り返るとこちらに駆けてくる和の姿が目に入る。

    よほど急いできたのか肩で息をしており、前髪が少し乱れている。

    和「はぁ、やっと見つけました」

    息が整うのを待ってから、咲を和は並んで歩きだす。

    咲「追いかけてきてくれたの?」

    和「ええ、はい。まぁ……」

    言葉を濁す和。時間を稼ぐと言うことは即ちサプライズを狙っているということで、
  ここで不用意に感付かれてはせっかくみんなが準備しているのに台無しになってしまう。

    とは言え、咲にいつまでも暗い顔をさせたままというのも彼女の友人としては耐え難く、心の板挟みに和は精神をすり減らす。

    和(こんなことなら須賀君に代わってもらえばよかったです!)

    彼はなんというか、女性の気持ちの調整が上手い。
  たまに神経を逆撫でする時もあるが基本的に相手を思い遣れ、不思議と他人を笑顔に出来る人だと自分は評している。

    咲「ごめんね? 気、遣わせちゃって」

    和「そんな、私なんてぜんぜん……」

    言葉に窮した。

    和「……」

    和は考える。ここでなにも出来なくてなにが友達だろう。なにが仲間だろう。

    意を決し、足を止めて身体ごと咲へと向き直る。

    和「咲さん。深くはいえません。ですが、心配しないでください。世界は冷たくなんてありません、辛くなんてありません」

    和「咲さんが望めば、世界はいつだって優しくて美しいんです!」

    和はいって後悔した。いくらにも支離滅裂過ぎる。
  こんなだからいつまで経ってもファンタジー思考だのメルヘンチックだのはやりん星の住人だの言われるのだ。

    顔が熱い。耳まで真っ赤なのか自分でもわかる。

    顔を背け、俯かせる。

    和「ごめんなさい。やっぱり今のは無しで……」

    咲「ええ~……」

    顔を紅潮させている和を見ていた咲は口角が少しだけつり上がる。

    咲「でも、ありがとう。和ちゃん」

    和「はい。けど、いいですか? 今のは秘密ですよ? 
    特に部長とゆーきと須賀君と……いえ、もう全員ですね。とにかく秘密です」

    咲「ふふ、うん」

    ヴヴヴヴヴ

    ポケットから響くケータイのバイブレーション。

    和「失礼しますね」

    断りをいれ、ケータイを確認。

    和「咲さん。部室へ戻りますよ」

    咲「え? う、うん……わわっ!?」

    和が咲を連れて帰ってくるまで、俺たちは部室の飾りつけ。

    京太郎「しかしよくこんなデカい看板調達してきましたね」

    久「これでも私、生徒義会長よ? 侮ってもらったら困るわよ?」

    天井から吊られた縦20cm、横60cmほどのプラ製のボードに紙を貼り付け『宮永咲 誕生日おめでとう!!』と書かれている。

    京太郎「これやたら達筆ッスね」

    まこ「じゃろう? わしが書いたんじゃ」

    染谷先輩か。そういえばこの人も大概素性が知れないよな。古流式立ち泳法で2kmくらい余裕で遠泳出来るとか言ってたし。

    優希「紙コップは人数分買ってきたし……炭酸系もっと多い方がいいかな?」

    まこ「多すぎても余るしこれくらいでいいんじゃないか?」

    久「そうね。……っと、そろそろ和が戻ってくるわね」

    ガチャ

    和「お待たせしました!」

    部室の扉が勢いよく開け放たれ、和と和に手を引かれた咲が駆け込んでくる。

    咲「はぁ……はぁ…………はれ?」

    咲のなんとも間抜けな声が響いた。

    室内に響く発砲音。それから細かく刻まれたカラフルな紙片が宙を舞う。

    咲「あの……これ」

    和優ま久京「「「「「咲(さん/ちゃん)誕生日おめでとう!!」」」」」

    咲「みんな……」

    優希「おめでとうだじぇ! 咲ちゃん」

    まこ「おめでとさん。咲」

    久「おめでとう。咲」

    三者三様の祝福に咲は堪えるように顔を歪ませ、目尻浮かんだ雫を懸命に拭う。

    咲「みんな……ありがとう」

    京太郎「おめでとう。咲」

    咲「京ちゃん。覚えててくれたの?」

    京太郎「当たり前だろ? 忘れたことなんて一度もねぇよ」

    そういって俺は少し乱暴に咲の頭を撫でる。

    咲「やだ、もう……くすぐったいよぉ」

    京太郎「んな嬉しそうな顔でいわれたって説得力ねぇよ!」

    優希「京太郎! これ、ケーキ! ロウソクに火付けていいのか?」

    京太郎「バカ野郎! ロウソク点火権限は『清澄式裏武闘ジャンケン大会暗黒篇~光と闇の頂上決戦~』の
        勝利の末に俺が勝ち取っただろうが!!」

    優希の蛮行を止めるべく、俺はテーブルに駆け寄る。

    和「改めておめでとうございます。咲さん」

    咲「ありがとう。和ちゃん」

    はにかんだ様に笑いながら、咲はさらに言葉を続ける。

    咲「えへへ、和ちゃんの言う通りになったね」

    和「? なんですか?」

    咲「世界はこんなに優しくて美しいって」

    和「な! も、もう! そのことは忘れてください!」

    咲「あははは」

    優希「咲ちゃんにのどちゃんなにやってるんだじぇ! 早く早く!」

    和「もう、ゆーき。そんなに焦ってもパーティーは逃げたりしませんよ」

    優希をたしなめながらみんなの輪に加わっていく和。

    京太郎「なに話してたんだ?」

    咲「ん? ふふ~、なーいしょ♪」

    即席の誕生会も終わり、各々が家路に向かう夕刻。

    久「それじゃ忘れ物もないわね?」

    和「はい」

    まこ「こっちもOKじゃ」

    久「それでは」

    清澄麻雀部「「「「「「お疲れ様でした!」」」」」」

    恒例の挨拶を済ませそれぞれ帰路につく。

    優希「京太郎! 咲ちゃんをきっちり家まで送るんだじぇ!」

    京太郎「わーってるよ!」

    和「咲さん、須賀君。また明日」

    まこ「気を付けて帰りんさい」

    久「送り狼になっちゃダメよ~」クスクス

    京太郎「なりませんよ!」

    言いたい放題言うだけいって散っていく面々。まったく、好き勝手からかってくれおってからに。

    咲「///」

    先ほどから黙りこんでいる咲向き直る。お前もなんかいってやれと思うがまぁ咲には無理か。

    京太郎「帰るか」

    咲「うん」コクン

    俺の言葉に小さく頷いた。

    夕日が沈んでいくのを見つめながら、俺たちは並んで歩く。

    京太郎「楽しかったか? 咲」

    咲「うん!」

    心からの笑みに、俺の顔も自然と綻ぶ。

    いろいろとすれ違いやハプニングもあったがそれでも最後は咲が笑っていてくれてよかった。

    そして、そろそろやり忘れないうちにやっておかなければいけないことを。

    京太郎「さ、咲! あのさ」

    咲「? なに京ちゃん?」

    俺は足を止めたことで、つられて咲も立ち止まる。って言うか、思いっきり声が上擦った。恥ずかしい……。

    京太郎「えっと、その……これ」

    俺は今日、ずっと胸ポケットに忍ばせていたものを取り出し押し付けるように咲に手渡す。

    咲「これ、栞?」

    それは厚紙を淡く色付けされた端切れで包み、アクセントとして白いバラの刺繍をあしらった。手作りの栞。

    京太郎「その、た、誕生日プレゼント……」

    なんとなく気恥ずかしいので一気にまくし立てる。

    京太郎「ほら、咲って読書好きだろ!? 調べたんだけど10月27日って読書の日でもあるらしいじゃん?」

    京太郎「それに咲って文庫本とかよく持ち歩いてるし、栞ならいつでも肌身離さず持っててくれるかなって!」

    京太郎「それにほら、えっと咲の誕生花って野バラ……ノイバラだっけ? だからその……どうかなって……」

    身振り手振りで必死に言い繕い、最後は俯きながら咲の顔色を窺う。正直かなり情けに様相だと自分でも思わなくもない。

    京太郎「えと……すまん。本当ならもっと良いもの買ってやりたかったんだけど……」

    咲「ううん。これでいい、私、これがいい」

    俺の言葉を遮り咲は俺の渡したプレゼントを本当に大事そうに両手で包み胸元へ寄せる。

    咲「京ちゃん。本当にありがとう」

    そういって笑う咲の顔はとても綺麗だった。

    咲「ねぇ京ちゃん。野バラの花言葉って知ってる?」

    京太郎「え? いや、そこまでは……」

    咲はイタズラっぽく笑うと、俺の耳元に唇を寄せ小さく呟く。

    咲「野バラの花言葉は『素朴な愛』……だよ」

    京太郎「っ///」

    自分の顔に朱が差すのがわかる。

    咲の顔も心無しか赤い。

    咲「えへへ」

    おかしそうに笑う咲。

    咲「ね! 手、繋ごう京ちゃん!」

    京太郎「え? あ、お……おう!」

    雰囲気に推されて俺は咲と手を繋ぐ。

    手の平をあわせ指先を絡める。

    咲「京ちゃんの手、大きくてあったかいね」

    京太郎「咲の手は小さくてすべすべしてて、ひんやりしてて気持ちいいな」

    咲「手繋いだのなんていつ振りかな?」

    京太郎「しょっちゅう繋いでないか?」

    咲「そんなことないよ。頭撫でてくれたり、ほっぺ突かれたりしたけど手繋いだ記憶ぜんぜんないもん」

    京太郎「そうだっけか?」

    記憶を掘り起こしてみると、確かにここ最近は思い出せない。

    咲「確か……そうだ! 中学2年生の林間学習のオリエンテーリングで山登りしたときだ」

    京太郎「いやちげぇ、そんときは咲が途中でへばったから俺が背負って登ったんだ。おんぶはしたけど手は繋いでない」

    咲「そうだっけ?」

    京太郎「そうだ思い出した。中3の文化祭の後夜祭のキャンプファイヤーのフォークダンスのときだ」

    咲「え~違うよ。そのときは私たちの番になる直前でカセットテープが壊れたから結局私、京ちゃんと踊ってないもん」

    京太郎「あれ? そだったか?」

    咲「そでしたよ?」

    京太郎「あれ? じゃあ俺ら……」

    ずっと一緒にいて、まさか今日はじめて手繋いだのか? 少なくとも記憶にある中ではそういうことになる。

    京太郎「っ///」

    咲「あう///」

    咲も同じ結論に至ったのか、顔が赤く見える。それは夕日の赤さか咲自身の赤さなのかは俺にはわからない。

    それにたぶん俺も似たような顔をしてるだろうし。

    咲「ずっと……」

    京太郎「うん?」

    咲「ずっとこのままでいられたらいいのに」

    それは憂いと寂しさと、切なる願いを込めたおそらく咲の本心。

    京太郎「時よ止まれ、お前は美しい―ゲーテ。ってか? なぁ咲」

    俺は静かに告げる。












    京太郎「それは無理だよ」



    咲「……」

    京太郎「変わらないものなんてない。今は一緒にいられてもこれから先がどうかなんてわからない」

    京太郎「それは、変わってしまうのは俺かもしれないし、咲かもしれない」

    咲「それでも私……」

    京太郎「でもさ!」

    俺は咲の言葉を強く遮り、自分の言葉を続ける。これは、これだけは言っておきたいから。

    京太郎「たった一つだけ、我侭が許されるなら。咲にはずっと変わらないでいてほしい」

    京太郎「俺の隣で、いつでもほっとできる。咲のままで」

    咲「うん」

    咲は目を伏せ小さく頷いた。

    咲「夕日が綺麗だね」

    夕映えの西の空。咲は目を細めながらその先を見つめる。手を繋ぎながら肩が触れ合うくらいの距離で。

    京太郎「遠くばっか見てると転ぶぞ」

    咲「ちゃんと前も見てるよ」

    咲「京ちゃんも見なよ。すっごく綺麗だから」

    京太郎「ああ、うん。確かに綺麗だな」

    お前の方が綺麗だよなんてことは言わない。柄じゃないからな。分不相応なことはしない。

    咲「遠くばっかり見てると転ぶよ」

    京太郎「ちゃんと前も見てるさ」

    互いに顔を見合わせ。同時に笑う。

    京咲「「あの……」」

    声の二重奏。後の静寂。

    京太郎「なんだよ」

    咲「京ちゃんこそ」

    京太郎「いや、ん……やっぱやめた」

    咲「京ちゃんがいわないなら私もいわない」

    京太郎「なんだそりゃ」

    咲「京ちゃんこそ」

    また可笑しそうに笑い合う。


    京太郎(今はまだ『好きだ』っていわなくていいか)/咲(今はまだ『好き』っていわなくていいや)

    家に帰ってからはいろいろ大変だった。

    宮永父「すまん咲! 娘の誕生日を忘れるなんて父親失格だ!」

    本気で忘れていたらしいおとーさんがすごい勢いで謝罪してきたり。

    宮永父「そういえば照とかーさんからプレゼントとカードが届いててたぞ」

    咲「ホントっ!? わーい!」

    お姉ちゃんとおかーさんからの贈り物に大喜びしたり。

    咲「もしもしお姉ちゃん? うんちゃんと届いたよ! ありがとうすごく嬉しい」

    お姉ちゃんと電話したり。

    それからベッドに潜り本を読もうとしたものの京太郎に貰った栞を眺めていたらつい夜更かしをしてしまった。

    ―――――
    ―――
    ―

    翌朝。

    朝の陽光が差し込む。

    咲「ん~~~」

    大きく伸びをしながら起き上がる。夜更かしをしたにも関わらず、今日の目覚めはすっきり爽やかだった。

    咲「今日の朝は最高だね」

    呟きながら脇に飾られた写真立てに視線を移す。

    咲「現金な奴って? あはは確かに、そういわれてもしかたないかもしれないね?」

    それをそっと手に取り胸に抱きしめる。

    大事な家族がいて、大切な友人がいて、大好きな人がいて。

    その人たちが自分を受け入れてくれる。愛してくれている。

    そう思うだけで、昨日より今日が、今日より明日が。

    優しく、美しく、輝いて見えた。


    カンッ!