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    俺は校舎の中を全力で走っていた。
    すれ違った教師から注意の声がかかるがそれを振り払うように一目散に走る。
    階段を下り、再び廊下を走り、そうして着いた目的地である保健室の扉を開いた。

    「失礼します!」

    室内を見回す。
    養護教諭の姿は見当たらない。
    そして片隅にカーテンで遮られた一角があった。
    俺は黙ってそこに近づき、小さく声をかけた。

    「園城寺先輩?」

    「須賀君か。いらっしゃい」

    何やらあまり場にそぐわない返事を返してくる。
    思わずちょっと笑ってしまいながらも、俺はカーテンを開けた。
    そこには、半身を起こし窓の外を見つめる園城寺先輩の姿があった。

    「心配しましたよ、倒れたって聞いたので」

    「ごめんな。ウチ、病弱やから」

    「もうそれは聞き飽きました。わかってるなら無理しないでくださいよ」

    「厳しいなぁ」

    部活中に園城寺先輩が倒れたと聞いたのは、ついぞ10分前だ。
    俺はその時庶務の仕事で部に居なかったため、二条から連絡を受けて……今に至る。

    「清水谷先輩と江口先輩は?」

    「須賀君がすぐ来るからってことで、いったん戻ったで。他のメンバーも混乱しとるみたいだし」

    「そうですか」

    俺はそういいながら近くにあった椅子を引きずり、ベットの横に座った。

    「どうですか? 体の具合は」

    「もう大丈夫。ちょっと眩暈がしただけや」

    そういいながら笑う園城寺先輩の顔色はあまり良くなかった。
    ズキりと心が痛む。

    「……すみません」

    「ん? 何で須賀君が謝るん?」

    「昨日、俺への指導に時間を使わせちゃったせいですよね。すみま」

    「ストップ」

    不思議と先輩に目をかけてもらっている俺は、個別にちょくちょく指導してもらっている。
    昨日も普通の練習後わざわざ残って俺の対局の指導をしてくれた。
    その時は見てもらえることへの嬉しさで舞い上がっていたが、冷静に考えれば体が弱い先輩に
    時間外まで指導をお願いするということは負担になるのはわかりきった話だった。
    昨日の自分を殴りたくなり、思わず謝罪の声が出た。
    だが、そんな謝ろうとした俺の声を先輩は遮った。

    「私が好きでやったことや。須賀君のせいやない」

    「でも」

    「でも、やない。私も好きでやっとるんや。楽しみ奪わんといてな」

    そう言ってにこりと笑う先輩を見ると、罪悪感が薄れ胸が温かくなってくる。
    嬉しい。先輩が俺と同じ気持ちを持ってくれているということが、嬉しい。

    「それに」

    だが、その感情は先輩の次の一言で吹き飛ぶことになった。

    「どうせ、ウチは須賀君より先に死んでまう。だから何か須賀君に遺してから逝きたいんや」

    先ほどと同じ笑顔。
    先輩は最近こうやって『死』を匂わせる発言をする。
    本人は冗談のつもりで言っているのだろう。
    自分の体の弱さをネタに軽い気持ちで言っているのだろう。
    だが、先輩はわかっていない。
    先輩がそれを口にするたび、俺がどれだけ苦しい思いをしているかわかってない。
    俺がどれほど悲しんでいるのかわかっていない。

    いつもは流せていた。
    縁起でもないこと言わないでください、とか、そんなこと言わないでください、とか言えていた。
    でも、今日はそれが口に出なかった。
    積もり積もったものが溢れてしまったのか。
    俺は唇を噛みしめたまま俯くことしかできなかった。

    「す、須賀君。どうしたん?」

    いつもと違う俺の様子に驚いたのだろう。
    先輩は心配そうな声で俺に声をかけてきた。
    俺は噛みしめていた唇を開き、俺が感じていた『それ』を吐き出した。

    「……なんで、何で死ぬとか言うんですか」

    「だ、だって。ほんとのこと」

    「それでも!」

    先輩のか細い反論の前に、思わず大きな声が出てしまう。
    顔を上げると驚いた表情の先輩が体をすくませていた。
    構うものか。
    こうなったらやけだ。
    言いたいこと言ってやる。

    「先輩が死んでしまうとか、そんな、そんなこと、聞きたくないです」

    上手く話せない。
    抱えてきた、言いたいことがあった。
    伝えたい想いがあったはずだった。
    それでも、悲しくて悔しくて辛くて、なぜか言葉にすることができなかった。

    「お願いですから、そんなこと、言わないでください。死ぬとか、そんなこと……」

    結局、俺が言えたのはそんな言葉だった。
    まるで子供が駄々をこねているかのようなそれしか、口から出てこなかった。
    もっと言いたいことがあるのに、伝えたいことがあるのに。
    上手く伝えられないのがもどかしい。

    「先輩が死んじゃうとか、そんなの、嫌です。だから、だから……」

    何故かぽろぽろと、涙がこぼれた。
    みっともなさすぎる。
    言いたいことも言えず、ただ泣くしかできない。
    悔しい。
    口惜しい。
    自分の未熟さに腹が立つ。

    せめてもの抵抗で、先輩にその顔を見られないように顔を伏せるのが精一杯だった。

    「ごめんな」

    そんな声とともに、俯いたままの俺の頭に先輩の手が乗せられたのを感じた。
    そしてその手はゆっくりと俺の頭を撫でてくれた。

    「須賀君が私のことをそんなに思ってくれとったなんてな。私が無神経やったわ」

    その声に俺は小さく首を振った。
    先輩はそのあと何も言わずに頭を撫でてくれた。
    優しげな手つき。
    頭を撫でられるなんていつ振りだろうか。
    ぐちゃぐちゃだった頭が落ち着いてくる。

    だが、唐突に口を開いた先輩が発したその言葉は俺の心臓を激しく揺さぶった。

    「須賀君、ウチのこと好きなんか?」

    何処か冗談めいた口調だった。
    何時も清水谷先輩たちとふざけているときのような口調。
    だけど、この問いは冗談じゃない気がした。
    その問いにはきっと真剣に答えなくちゃいけない。
    先輩もそれを望んでいる。
    そんな気がした。

    だから、俺は軽く胸を抑えて口を開いた。
    心臓が激しく動いている。
    精神的にはいっぱいいっぱいだが、だからせめてと、ありったけの気持ちを込めた。

    「好きです」

    「そっか」

    俺の小さな呟きに先輩も小さく返した。
    沈黙が流れる。
    冷静に考えると、恥ずかしいやり取りだ。
    促されて告白することになるとは。
    もちろん、前から抱いていた心からの気持ちだけど。

    「嬉しいわ。ありがとう」

    大阪に来て大分経つが、一番気に入っている大阪弁がこの「ありがとう」という言葉だった。
    標準語とは全く違うイントネーションで言われるそれは何故か心に沁みた。
    少なくとも、そこまで悪印象ではないようだった。
    ちょっと安心した。
    そして、同時に照れ臭くなった。

    俺は先輩の返事を待ったが、沈黙が流れていた。
    いつの間にか頭を撫でる手は下げられていた。
    先輩は俺のことをどう思っているのだろうか。
    俺のことを、後輩とかじゃなくて男として好きでいてくれるのだろうか。
    恋人として、付き合ってくれるのだろうか。

    そんな不安を抱えて俺はゆっくりと顔を上げた。

    目の前の先輩は何も言わずに微笑んでいる。



    先輩の笑顔は今まで何度も見てきていた。




    だが、目の前で微笑んでいる先輩は別人かと疑うほど、いつもとは違う何かを感じた。



    何故かその笑みは今まで見たことのないような笑みで、




    儚げだが強い幸福感を感じさせた。




    本当に嬉しそうな、幸せそうな笑みだった。




    「須賀君」




    それに気づいたと同時に、先輩は口を開いた。





    「私と、心中せぇへん?」





    まるで一緒に帰ることを提案するかのような軽い口調。






    俺はその言葉に返事を返せず、ただ先輩の顔を見つめ、状況を理解できずに呆然としていた。