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   あの長野県大会から少し時間が経った。
    私はあの後まこに引きずられるようにして控え室に戻り、須賀君に言い過ぎたことを詫びた。
    須賀君はそれに対して首を振り、私にもう一度詫びてこれからも頑張ると笑顔で告げた。
    その笑顔が私を責めているようで、また心が痛んだ。


    「久、どうした?」

    隣の席に座ったまこが話しかけてくる。
    長野4校での合同合宿へ向かう車内で、私は大会後の出来事を思い出してボーっとしていたようだ。

    「え、なぁに?」

    「いや、食べるか、と聞いたんだが……」

    その手にはチョコレートの箱。話しかけられていたことに全く気づかなかった。

    「ごめんなさい。貰うわ」

    「なぁ、本当に大丈夫なのか?」

    私の様子を見たまこが心配そうに尋ねてくる。
    空き部屋でへたり込んでいた私を見つけたまこはあれ以来、ことあるごとに私を心配してくる。
    まぁ、無理もない話なんだけど。

    「大丈夫。ちょっと寝不足だっただけ。合宿前でちょっと興奮して眠れなかったのよ」

    そう言いながらチョコレートを口に含む。
    甘さが心に染みた。

    「……わかった。まぁ、あまり溜め込まんようにな」

    まこはまだ何か言いたそうだったが、不承不承と言った感じで言葉を飲み込んだようだった。

    するとちょうどそのタイミングで咲が声をあげた。

    「あっ、京ちゃんからメールだ」

    びくり、と体が反応する。そして何気なく、咲のほうを向いた。
    咲の横から優希が覗き込んでいる。

    「『合宿頑張って来いよ。俺もちゃんと勉強してるから。皆によろしく』だって」

    「咲ちゃーん。正しく伝えないといけないじょ。『追伸:咲はふらふら出歩いて迷わないように』って最後に書いてあるじぇ」

    「もう、優希ちゃんやめてよー」

    固まって座っている1年生3人組が楽しそうに笑いあっている。

    「でも、残念だなー。京太郎一人お留守番ってのもかわいそうだじぇ」

    「仕方なかろう。うちだけならまだしも他校も来るしな。特に風越は女子高じゃけぇ、気を使わねば」

    「あの犬がそんな大それたことなんて出来っこないのになー」

    「いえ、須賀君も男ですからここぞと言うときには牙を剥きますよ、きっと」

    「男は狼なのよ、って歌もあったよね。そう言えば」

    「咲ちゃん、チョイスが古いじぇ」

    3人はここに居ない須賀君をからかいつつも、これからの合宿への期待などを楽しそうに話している。
    私はそれをぼんやりと眺めていた。

    先ほどまこが言ったように、須賀君は合宿には不参加となっている。
    他校の生徒も寝泊りすると言う関係上、やはり男子生徒が参加するのは難しい。
    そのため、今頃は部室か自宅でネト麻に勤しんでいるだろう。
    まこや和からいくつか課題も与えられているので、頭を悩ませているかもしれない。

    そんな風に彼のことを考えると、かさぶたの上から指を押し当てるような、ジクジクとした痛みを感じる。
    あれ以来、私は表面上平静を装っている。装えていると思う。
    だが、あまり須賀君と話ができていなかった。
    彼は相変わらず私に話しかけてくれるし、部のために働いてくれている。
    むしろ私の言葉が効いたのか、雑務をこなしつつも合間合間に必死に学習している。
    だが、私はそんな姿を見ていることが出来なかった。

    飽きられた「おもちゃ」がそれでも持ち主に尽くしているように見えて
    捨てられた「おもちゃ」が必死に持ち主の機嫌を取っているように見えて
    私を、責めているように見えて

    無論、こんなものは私の被害妄想だ。須賀君を責めるのはお門違いだ。
    わかっているが、思考は止まらなかった。
    ここのところこんなことばかりを考えており、正直部に顔を出すのが憂鬱な気持ちもあった。
    そのため、今回の合宿は須賀君と顔を合わせずに済み、幾らか気が楽だった。

    とにかく、今は全国。

    全国で勝つことだけを考えよう。

    須賀君のことは、「おもちゃ」のことは、一旦、忘れよう。

    それでいい。

    合宿は始まってしまえばあっという間に過ぎていった。
    各学校のエースと打ち、語り合い、ひたすらにお互いを高めあっていく。
    手前味噌だが、この試みは大成功だった。
    まこも咲も和も優希も、得るものは多かったようだ。
    私自身、鬱屈した気持ちを忘れ、麻雀に打ち込むことが出来た。

    「はー、今日も打ったわねぇ」

    合宿も残すところ今日を含めて2日。もうじき夕方となる時間帯に私は対局を追えて清澄の部屋に戻ろうとしていた。
    郊外から外れに外れたこの合宿所は周りに殆ど何もない分、非常に静かだった。

    「……あら?」

    そんなことを考えていると、清澄の部屋の前でまこと涙目の咲がなにやら話していた。
    何事かと、私は二人に小走りで近づき事情を聞いた。

    「どうしたの?」

    「あ、部長……ごめんなさい! わ、私、大会の牌譜、忘れてきちゃって」

    「えっ? 今夜の検討会で使う予定だった、あの牌譜?」

    「はい……。出発前に部室で京ちゃんから受け取ってたんですけど、置いてきちゃったみたいで」

    「あっちゃあ……」

    思わず頭を押さえた。
    今日の夜に県大会決勝の牌譜を使って合同検討会をする予定を組んでおり、
    その中で使用する牌譜はうちが持ってくる段取りになっていた。

    「か、紙袋に入れてて。でも、部室に他の忘れ物してるのに気がついて、慌てて引き返したときに、多分……」

    「置いてきちゃった、と」

    咲はすっかりしょげ返っている。

    「とにかく、まずは本当に部室にあるのかどうか確認しないと……」

    必然的に、彼に連絡を取ることになる。
    負の感情がまた鎌首をもたげてきそうになるが、それを振り払い、携帯を取り出して須賀君に電話をかけた。

    『もしもし?』

    数回のコールの後、いつもの彼の声が聞こえた。
    痛む心を抑えながら、私は口を開いた。

    「須賀君、今どこに居る?」

    『今ですか? 部室で本片手にネト麻を……」

    「ちょうどよかった! 須賀君が用意してくれた大会の牌譜、部室のどこかにない? 咲が忘れてきちゃって……」

    『えっ、マジですか!? ちょ、ちょっと待ってくださいね』

    電話の向こうからバタバタと音がする。
    そのタイミングで私は電話をスピーカーフォンに切り替え、2人にも会話が聞こえるように設定した。
    それと同じタイミングで須賀君の慌てた声が電話から聞こえてきた。

    『ありました! 入り口の脇に置いてありました!』

    「あったのね?」

    その声が聞こえてくると、咲はしょげ返りながらも少し安心した様子だった。

    『すみません、部長たちが出発してから今日まで部室には顔を出してなかったから……』

    「須賀君のせいじゃないわ……しかし、どうしましょう」

    そこまで言うとまこが何かを閃いたように声をあげた。

    「そうじゃ! 龍門渕の沢村が確かノートパソコンを持っておった。電子データを送って部室から送ってもらえば」

    「その手があったわね。須賀君、その牌譜の電子データってある?」

    『はい、PDF化したものがありますが……』

    「よかった。じゃあ、メールアドレスを聞いてくるからちょっと待ってて。その電子データをこっちに……」

    そこまで言ったところで須賀君が何か気まずそうな感じで私の話をさえぎった。

    『部長、送るのはいいんですけど……プリンタとかプロジェクタって、そっちにあるんですか?』

    「あっ」

    私は思わず声を漏らす。
    まこも気まずそうにその問いに対して答えた。

    「……プリンタやプロジェクタはさすがに持ち込んではおらんかったな」

    『やっぱり、そうですか。さすがにそっちの人数でノートパソコンの画面を見ながらってのは無理、ですよね』

    「えぇ、20人は居るからね……」

    そこまで言うと咲は今にも泣きだしそうな顔になった。
    須賀君はそれが見えてないはずなのに、そうはさせないとばかりに声を出した。

    『わかりました。俺が今からそっちまで牌譜を持って行きます』

    「えっ?」

    『わかってます。合宿所の中には入りません。合宿所の前まで行って、そこで受け渡しするぐらいだったら問題ないですよね?』

    「そ、それなら、まぁ」

    『場所は一応把握してますから、1時間ちょっとあればいけると思います。ちょっと待っててください』

    須賀君がそこまで言うと、咲が携帯に向かって震えた声で言った。

    「ごめんね、ごめんね京ちゃん。私のせいで。本当にごめんね」

    そう言うと須賀君はいつものように明るい声で答えた。
    いつもの笑みが、頭に思い浮かぶぐらいの。

    『いーんだって、別にこれぐらい。めそめそすんなよ』

    「でも……」

    『お前だって俺が苦しいときに助けてくれただろ? お互い様だ』

    「……うん。ありがとう、京ちゃん」

    なぜかそのやり取りが、私の心に刺さった。
    何かを言おうとするが、口が動かない。

    『ついでに陣中見舞いも兼ねてなんか買ってくよ。なんか欲しいものがあったらメールで連絡くれ』

    「本当にありがとう京ちゃん。また後でね」

    「すまんのう京太郎。頼んだぞ」

    「……よろしくね、須賀君」

    私は2人に続いてそうやって言葉を返すのが精一杯だった。

    『うぃっす。それじゃあ、また後で』

    それを最後に、電話は切れた。

    須賀君はそれから1時間半ほどしてやってきた。
    合宿所の前では連絡を受けた清澄高校一同と、各学校から何事かと見物に来た物好き数名が合宿所の前で待ち構えていた。
    須賀君は両手に大荷物を抱えながら、よたよたと坂道を登って合宿所の前に到着すると、荷物を下ろして息を切らせながら言った。

    「す、すみません。遅くなりました」

    「まったく、遅いじぇ!」

    たどり着くなり一番に口を開いたのは優希だった。
    口では憎まれ口を叩いているがどこか嬉しそうな表情だった。

    「あのなぁ、優希。お前がメールで送ってきた欲しいものリストに書かれたものを揃えるのに持間がかかったんだよ!」

    「そうか? いたって普通の食べ物やら飲み物やらのリストだったはずだじぇ?」

    「微妙に指定が細かかったりよく分からないものが多いんだよ! なんだよ、プロ麻雀せんべいだのエビフライが食べたいだの……」

    「いやー、各学校からそれぞれリクエストを聞いたらなんだかカオスなことになっちゃってなー。悪いな」

    優希と須賀君のいつものやり取り。
    遠巻きに見ている他校の生徒は届けに来るメンバーが男子だとは認識していなかったようで口々になにやら話している。

    「おっと、本題。念のため確認したけどちゃんと揃ってたから安心しろ」

    そう言いながら片手に持っていた紙袋を咲に差し出した。
    それを受け取ると咲は壊れ物を扱うかのように大事に受け取り笑みを浮かべた。

    「遠いところ本当にありがとう京ちゃん」

    「お疲れ様です。ここは最寄から少し歩きますし、その荷物じゃ大変だったんじゃないですか?」

    「全く。言ってくれれば迎えぐらい行ったぞ?」

    私を除く清澄高校の4人に囲まれて須賀君は楽しそうに話している。
    私はそれから少し離れたところでそれを見ていた。
    須賀君を労わなければならないのに、足が動かない。
    口元だけが軽く動くが、声が出ない。

    「清澄って男子部員も居たんですね。知らなかったです」

    そんな葛藤を抱えていると誰かから声をかけられた。
    顔を向けるとそこには福路さんが立っていた。
    若干言葉に詰まるものの、少し間を置いて頭を落ち着かせながら答えた。

    「えぇ。彼は初心者で、たった一人の男子部員だから大会では目立った活躍してなかったし、知らなくても無理はないわ」

    「そうなんですか。……ふふ、皆仲良さそう。うちは女子高だから新鮮です」

    「確かに、男の子一人っていう環境なのにみんな仲良くやれてるわね」

    「うちの子がいろいろ買い出しお願いしちゃったみたいだからお礼を言いたかったんですけど……今は邪魔できないですね」

    見つめる先には楽しそうに話す5人の姿があった。
    私もその姿を遠くから見ていた。

    「……混ざらないんですか?」

    少々の沈黙の後、福路さんがそんなことを聞いてくる。

    「えっ?」

    「あの男の子と話したそうな顔をしてましたよ? 喧嘩でもしているんですか?」

    「喧嘩……ではないわ」

    そう、私が勝手に彼と距離を取っているに過ぎない。
    須賀君はずっと変わらないままで居るのに。
    勝手に利用しようとして、勝手に落ち込んで、勝手に距離を取っているだけ。
    私は自分の「おもちゃ」をどうすればいいのかわからず、それから目を逸らしているに過ぎないのだ。

    「あの……」

    そんなことを考え込んでいると福路さんが恐る恐ると言った感じて声をかけてきた。

    「私でよければ、相談に乗りますよ?」

    「えっ?」

    「すごく、つらそうな顔をしてますよ。事情はよく分かりませんが、せめて話を聞くことぐらいはできます」

    本当に心の底から心配するような顔を私に向けてきた。
    確かに、誰かに吐き出したいという気持ちはあったが、誰にも言うことはできずこうして過ごしてきた。
    だが、福路さんなら問題ないだろう。
    学外の人間であり、かつ相談の内容を人に言いふらすようなタイプでもないだろう。

    なにより、この世界で最も綺麗な物を集めて作ったようなこの子が、私のような人間の話を聞いてどう考えるのか、興味もあった。

    ちらりと須賀君の方向を見ると他校の人も交えていろいろ話をしていた。
    どうやら須賀君は固辞しているがお茶ぐらい飲んで行くように誘われているようだった。
    何か、後ろ髪を引かれるものがあったが私と福路さんはその場から離れた。

    「そんな、ことが……」

    合宿所の中の一室で私と福治さんは向かい合って話をした。
    一通り、これまでのことを話したら言葉を詰まらせていた。

    須賀君を「おもちゃ」として見ていたこと
    彼を利用しようとしていたこと
    でも彼は私に憧れてくれたこと
    その真っ直ぐさに耐えられなくなたこと
    自分の醜さに耐えられなくなったこと
    これから彼にどう接せばいいのかわからなくなったこと

    多少オブラートに包んだところもあったが、一通り話した。

    「どう、幻滅した? 私ってこういう人間なの。嫌な女なの」

    「……いえ、そんなこと、ないです」

    見るからにショックといった面持ちだが福路さんは首を振っていた。

    しばらく、沈黙が流れた。
    福路さん何を言えばいいのか迷っているようだったが、何か意を決したように私に向き合って言った。

    「あの子……えっと、須賀君のこと、好きなんですか?」

    いきなりそう切り出されたが、不思議と動揺はなかった。
    自分自身、そのことについてはここ最近よく考えていた。
    だが、どれだけ考えても、結論は出なった。

    「……正直、わからないの。今まで意図してそういう目で見ないようにしてたから」

    そう、自分の「おもちゃ」としてみていた。
    だから「おもちゃ」として好きか嫌いかとしか考えていなかった。
    だから、わからない。
    私が須賀君を須賀君として見た時、どう思っているのかがわからなかった。

    「そう、ですか」

    「でも……」

    私はぽつりと、反射的に呟いた。

    喜怒哀楽がはっきりしていて

    子供っぽいところもあって

    エッチなところもあって

    そこまで物覚えがいい方でもないし

    そこまでカッコいいわけでもない

    だけど

    ひたむきで

    まっすぐで

    努力家で

    人のために力を尽くせて

    私のことを、想ってくれる


    だから


    「きっと、嫌いじゃない……とは、思う」

    そんな私の呟きを聞いた福路さんは何か嬉しそうに笑った。
    パチン、と手を叩いてまるで夕食のメニューを提案するかのように優しげに言った。

    「じゃあ、きっと大丈夫です」

    「えっ?」

    「やり直しましょう、もう一度」

    「やり、直す……?」

    私は福路さんの言っていることが理解できなくて思わずそのまま言葉を返した。

    「はい。その、「おもちゃ」とかじゃなくて。今度は先輩として、後輩としての彼に向き合えばいいんです」

    「そ、そんな。今更そんな、都合のいいこと……」

    想わぬ提案に思わず動揺した声を漏らすが、福路さんは首を横に振って続けた。

    「えぇ。なら、彼が尽くして、想ってくれた分を今度は彼に尽くして、想ってあげましょう」

    「私……が、須賀君に?」

    「はい。彼が一人前の麻雀打ちになれるように、彼が楽しい学校生活を送れるように、
      彼が卒業するときに笑って楽しい高校生活だったって言えるように」

    その言葉を聞いて


    ――昔の話する部長、つらそうで、悲しそうでしたから――

    ――部長には、報われて欲しかったんです――


    彼の言葉が、脳裏によみがえった。

    「確かにそういうことって、足し算引き算で考えられるものじゃあないのかもしれません。
      けど、それでも、お互いに思いあうって、素晴らしいことだと思います」

    「でも、もう、取り返しのつかないことが……」

    私は彼の好意を利用してろくに麻雀も打たせず、彼に勝てた勝負をドブに捨てさせることをしてしまった。
    自分で選んだことだと言い訳することもできたが、ほんの少し、もうほんの少し目を向けてあげれば、止められたことなのだ。

    そんな私の心の声を強く否定するように福路さんは続けた。

    「まだ、大丈夫です。まだ、取り戻せます。まだ終わりじゃありません! まだ、先はあります!」

    なぜか、相談に乗っている福路さんの眼に涙が浮かんでいた。

    「そうです、絶対に取り戻せるはずです。これからもう一度彼と向き合えば……きっと」

    思う、で結んでいるくせに反論を許さないような強い言い方だった。
    私はため息を吐きながら目の前の福路さんを見た。

    「できる、かしら。私に?」

    「できます。きっと……きっとできますから……」

    目じりに浮かんだ涙をぬぐって福路さんは真剣な顔で、言った。

    「これからは「おもちゃ」とかじゃなくて須賀君として、彼のことを考えてあげてみてください。
      きっと、見えてくるものがあります。きっと、取り戻せますから、絶対に……」

    後半は感情が高まりすぎて取り留めもなくなってきた。
    だが、言いたいことは痛いほど伝わった。

    「よく、わかったわ。ありがとう、福路さん」

    「いえ、ごめんなさい。大した力になれなくて……」

    福路さんはそう言ってポケットからハンカチを取り出して目元を抑える。
    あぁ、これは、慕われるわけだな。
    私は目の前の風越キャプテンを見ながら、そんなことを想った。

    「そんなことないわ。ありがとう……ついでに、もう1つ相談に乗ってほしいことがあるんだけど」

    「……なんですか?」

    思いがけない話だったせいか、若干きょとんとしながらも福路さんは佇まいを直した。
    私は苦笑しながら、尋ねた。



    「初心者の育成について。うちのメンバー、経験者ばっかりだから育成経験がある人が少なくて」

    そう、これからの私に必要なこと。
    相談するにはうってつけの人間が目の前にいた。

    「大所帯の風越をまとめるキャプテンさんに是非アドバイス、頂けるかしら?」

    「は、はい! 私でよければ!」

    私の言葉の裏に気が付いたのだろう。本当にうれしそうに福路さんは笑った。
    それからしばし、私たちは育成について話し込むことになった。

    彼が私にしてくれたことを
    私が彼にしてあげる

    単純な話だけど、できるだろうか?
    人を動かすことに快感を覚えるような人間にできるだろうか?
    散々彼を利用してきた私に、できるだろうか?


    不安はある。
    それでも


    都合がいいと思われるかもしれない
    今更と思われるかもしれない
    神様がいるとしたら間違いなく天罰が下るだろうけど

    もう一度、やり直してみたい

    普通の先輩後輩として、もう一度


    だから、私ができることをしてみよう
    彼だって手さぐりで私にできることをしてくれたのだ
    やってみせる
    私が彼に、できることを、頑張ってみよう


    彼の好意や憧れに対して、胸を張って誇れるように。

    最近、私こと竹井久の生活はとても充実している。
    インターハイで全国まで進み、いい成績が残せたこともある。
    強豪の大学からいい条件でお誘いを受けたこともある。
    プロチームのスカウトから声をかけられたこともある。

    そして何より

    「うっ、く、くっ……ぷっ」

    「……笑いたきゃ笑ってもいいんですよ」

    「わ、笑ってなんていないわ。ちょっと、さ、寒くて」

    「今日はこの夏最高の暑さだそうですけど?」

    「そ、そう? あ、あれよ。ちょっと冷房が……き、効きすぎ」

    「……お帰りなさいませ、お嬢様」

    「ぷっ、あはははははははははは!」

    須賀君のために力を尽くしているこの現状が、とても楽しい。
    彼のために力を尽くして、今まで知りえなかった一面が見えてくるのが、とても楽しかった。
    ……この状況じゃあ、あまり信じてもらえないだろうけど。

    私は悪くない。
    執事服を着込んだ、本人なりにキリッとした顔をしたであろう須賀君が悪い。
    まだまだ貫禄やら渋さやらそう言ったものとは程遠い須賀君がそんな格好をしているのが悪い。
    どうしても服に着られている感がある須賀君がそんなことを言うから悪い。
    そう、私は悪くない。

    インターハイが終わり、後始末もようやく片付いて夏休みも残り少なくなった。
    私はその残り少ない夏休みを須賀君をまこの店に武者修行へ出すことに決めた。
    須賀君が着ている執事服は、まこがこれが店の制服だと持ってきたものだった。
    そのまこは電話のためちょっと席をはずしているが、私はどうしても我慢できずに須賀君に着てみるように言って、この状態である。

    「やっぱ染谷先輩に言ってこの格好はやめてもらいます……」

    須賀君はため息をついてげんなりとした顔をしている。

    「えー、いいじゃない。似合ってるわよ」

    「散々笑った後でそれじゃあ全然説得力ないですよ」

    「あら、そう? でも、ほんといいと思うわよ。なんていうかこう、背伸びしている感じが出てて。おば様方に人気が出そうな感じ」

    「そんな風に褒められても嬉しくないです。あーあ、ハギヨシさんはあんなにかっこよく着こなすのになぁ」

    須賀君は首もとに指を差し込み少し窮屈そうに首を振った。

    「ふふっ。まこからいろいろ話は聞けた?」

    「あ、はい。メンバーの仕事とかマナーの話とか、後は接客についてとか……」

    「よろしい。明日からだっけ? とにかく、打って打って打ちまくってきなさい」

    「正直、結構不安なんですけど……」

    「大丈夫。もちろん強い人も居るけど弱い人も居るのが町の雀荘よ。須賀君が一方的にやられるってことはそうそうないわ」

    「そう、ですか?」

    先ほどから自信なさげな言葉を繰り返す須賀君がその格好とのミスマッチさもあって思わず笑いがこみ上げてくる。
    さすがにここで笑っちゃうのはかわいそうなので必死に堪える。

    「やっぱ、インターハイを見続けてきたから須賀君の感覚麻痺しちゃってるわねぇ……」

    「えっ?」

    須賀君が私の言っていることがよく分からないとばかりにきょとんとした顔をする。
    そんな須賀君を見て私は思わず苦笑しながら続けた。

    「やっぱりよく分かってなかったわね……。一度、自分がどの程度の実力なのかをいろんな人と打って確かめてみるといいわ」

    須賀君を別の環境で打たせてみる。
    これは福路さんと相談した中で考えたことであった。

    『ごめんなさい。正直、いまの清澄の環境はあまりにも初心者には辛すぎると思います』

    『うちの部にも初心者の子は入ってきますけど、初心者が1人だけってことはまずないですから。
     そういう子達はお互いを励ましあいながら頑張っています』

    『でも清澄のように初心者の男の子1人を除いて残りの女子が全員が全国レベルじゃ、同じ学年でもあまりに違いすぎて……』

    『これから麻雀を本格的にやるにつれて須賀君はレベル差を感じて苦しむと思います』

    『でも、多分それはどうしようもないことで……』

    『他にもこれから先にどうしようもない部分って、出てきちゃうと思うんです』

    『私たちの部にも、初心者で入ってきたけど、ついていけなくてやめちゃう子は居ましたから』

    『本当に、本当に悲しいことですけど』

    『だからせめて、須賀君がなるべく嫌な思いをせずに済む環境を作ってあげましょう』

    福路さんの言葉が蘇る。
    さすが大所帯をまとめるキャプテンとあって、私が目を逸らしていたことをズバズバと指摘してきた。
    私はそれを聞いて今更ながらもう少し勧誘活動を頑張るべきだったと後悔し、
    出来るメンバーが5人集まって満足してしまったことを自分を責めた。

    ともかく、彼はまだまだ対局経験が足りない。
    座学は自分なりにちゃんと勉強して、ネト麻はそこそここなしているようだった。
    だけど、やはり卓について実際に打つ際にそれらが生かせなければ意味がない。
    かといって私たちとただ闇雲に対局しても、須賀君が潰れてしまうかもしれない。

    そう考えた上での結論だった。
    残りの夏休みは元々活動日にはしておらず、他の部員は休みだ。
    その間、須賀君には麻雀を楽しんでもらおう。

    「戻ったぞー。っと、もう着とるとはやる気満々じゃな」

    携帯を片手に部室に入ってきたまこはにやにやとした顔で須賀君を茶化した。

    「染谷先輩……この格好何とかなりませんか? びっくりするほど似合わないと思うんですけど」

    「何を言う。うちは女子の制服はメイドときまっとる。ならば男子は執事服になるのは当たり前じゃろう?」

    「マジですか……。しかしこれ、結構窮屈で落ち着かないんですけど」

    須賀君は首もとの蝶ネクタイを指でいじりながらなにやら落ちつかなそうに体をもぞもぞと動かした。

    「以前のバイトのお古だがサイズはあっとるじゃろ? なぁに、すぐに慣れる」

    須賀君はまだ何か言いたげだったけど、そうはさせぬとばかりに私はまこに向き直って話題を切り替えた。

    「そう言えば、須賀君のシフトは決まったの?」

    「あぁ。なるべく多めに入れるように調整したぞ」

    まこはポケットからメモ帳を取り出して私と須賀君に見せる。
    須賀君はそれをしばらく見つめていたが納得したように大きく頷いた。

    「はい、この日程なら問題ないです。お願いしたどうしても駄目な日はちゃんと外してもらえましたし」

    「そうか。じゃあ、早速明日からじゃな。遅刻せんようにな」

    まこの言葉に返事をする須賀君を見ながら、私は何とか話がまとまったことに安堵の息を漏らした。
    急な私の申し出だったが、まこは私の案に賛成してくれたようで何とか都合をつけてくれた。
    須賀君も雀荘に興味がなかったわけではなく、実際に打てるということもあり結構乗り気なようなのが助かった。
    執事服というのは、想定外だったようだけど。

    「須賀君、私が思うに今あなたに一番足りないものは実戦経験よ。
      実際に牌を握って打って、そのうえで課題や足りないものが分かってくると思うわ」

    そこまで言って私は須賀君の前に立ち肩を軽く叩いた。

    「だから、頑張ってね。私もちょくちょく様子は見に行くから」

    「……はい、ありがとうございます」

    どこか嬉しそうにお礼を言う須賀君を見て私は不思議な充足感に包まれた。
    須賀君からの感謝の言葉に胸を張って応えられるというこの、とても心地よかった。

    そんなことを考えながら、私はまこと話している須賀君を伺いながら携帯を操作してメールを打ち、カメラを起動して須賀君に向けた。

    「須賀くーん?」

    「はい?」

    こちらを向いたタイミングで即座にシャッターを押す。
    とっさに撮った割にはきれいに撮れた。
    すぐに保存して、1年生3人娘に一斉送信する。

    「どわっ、何撮ってるんですか! 消してください!」

    「ざーんねん、もうみんなに送っちゃったっ」

    「……他のメンバーには黙ってようと思ったのに」

    やっぱりからかうのだけはやめられない。
    私は頭を抱えた須賀君を見ながらそんなことを思った
    そうこうしていると携帯が震えてメールの着信を告げた。

    「あっ、早速優希から返事が来たわよ。えっと、須賀君が合同合宿で知り合いになった人たちにも送信しておいた、だって」

    「優希ぃぃぃぃぃ!」


    須賀君はふらつく足取りで制服に着替えに出て行った。
    携帯に続々届く写真へのレスポンスメールを見ながらニヤニヤしているとまこがどこか不思議口を開いた。

    「最近、楽しそうじゃな」

    「そう?」

    「あぁ、一時は時折ボーっとすることも多かったから心配しとったんじゃが、もうそんなこともなさそうじゃな」

    「うーん、そうね。まぁ、充実はしている、かな」

    「不思議な話じゃのう。インターハイ終わって気が抜けてもおかしくないのに充実しとるとは」

    もっともな話だ。
    高校に入ってからそれだけのためにと言っていいぐらい力を尽くしてきたことが終わったのだ。
    大なり小なり、気が抜けてもおかしくなさそうなものだが不思議とそういうことはない。
    むしろ新人戦に向けて須賀君をどうするかと言うことに頭を悩ませる日々だ。

    「そうね、まだ仕事が残ってるから。大きな大きな仕事が」

    ちらり、と須賀君が出て行った扉に目線をやる。
    まこは大体を察していたようで腕を組みながら難しい顔をした。

    「なにもあんただけが背負うことはあるまい。わしだって京太郎の先輩じゃぞ?」

    「わかってる。それでも部長として、あの子に殆ど教えてあげることが出来なかったことに」

    そして、彼を利用していたことに

    「責任を、取りたいの。だからせめて、11月の新人戦までは私に任せてもらえるかしら?」

    「……あんたも受験やら何やらで忙しいじゃろ? 大丈夫なんか?」

    「大丈夫よ、ちゃんと自分なりにやっているから」

    まぁ、そもそも受験するか分からないけど、と言葉を付け足すとまこは腕を組んだままなにやら考え込んだ。
    まこも大概世話焼きな性格だ。ほぼ渡し一人に任せているという状況が腑に落ちないんだろう。
    将来はいいお嫁さんになるだろうな、と正直あまり関係ないことを思った。

    「お願い。卒業する前に、須賀君にも何かを残していきたいの」

    「……わかった。とりあえず新人戦まで京太郎の教育はあんたに一任しよう。ただ、くれぐれも」

    「わかってるわ。無理はしないし、助けて欲しいことがあったら必ず言うから」

    そこまで言って、まこはようやく納得したようだ。不承不承と言った感じだけど。

    「しかし、そこまで京太郎のことを考えておったとはな」

    「あら、意外?」

    「……正直、全国で勝つこと以外は眼中にないと思っておった」

    鋭い。
    と言うより真実なのだが。
    いや、ここは真実「だった」と言いたいところ。

    「まぁ、否定しないわ。つい最近まで、そう思っていた。だけど」

    後悔の念が胸に刺さるが振り払う。
    悩んでいる時間は、ない。

    「部のために……自惚れが強いかもしれないけど、私のために力を尽くしてくれた分、私が彼に何かをしてあげたいって思ってね」

    それを言うと何が面白いのか、口元に笑みを浮かべた。

    「確かに京太郎の働きぶりはまるで忠犬じゃったな。あんたに褒められる時なぞ尻尾があったら千切れんばかりに振っておったぞ」

    まこにそう言われて褒められているときの須賀君の姿を思い出してみる。
    ……確かに、そんな感じだった。

    「しかし、それだけか?」

    「えっ?」

    「京太郎のために頑張ろうと思うのは、感謝とか責任とか、本当にそういうものだけか?」

    からかうような言い方に私の心はざわめいた。
    言いたいことは、なんとなくわかる。

    「……ないわよ、そんなこと。私と彼は、ただの先輩後輩で、そういうのじゃないから」

    「そうかのう?」

    「そうよ。そうに決まってるじゃない」



    そのことについては自分でもまだよくわからなかった。
    嫌いではないと思う。人間として好ましい。
    いい子だ。欠点もあるけど美点もたくさん。

    でも、私は彼を「おもちゃ」として扱って、それを言いように利用していた人間だ。
    そんな彼と私が、恋人として付き合う。

    そんなことありえるのだろうか?

    わからない。
    そこに行き着こうとすると思考にブレーキがかかり、先に進まない。
    だから、わからない。



    「……なんともまぁ。もうちょっと器用な人間じゃと思っとったが」

    「何よ」

    私の返答を聞いて、私の顔を見つめていたまこはなぜか呆れ顔だった。
    ため息をひとつついてやれやれと首を振っている。
    その仕草が若干憎たらしい。

    「久、おんしは麻雀では悪形待ちが得意じゃな?」

    「えぇ、そうね」

    何をいまさらと言った感じだが素直に返答を返す。

    「何も生き方までそんな悪く狭く窮屈に、ひねくれる必要があるんか? もうちっと視野を広く、素直に生きてみてもええじゃろ?」

    「えっ?」

    言っていることが、よく理解できない。
    そんな私を無視してまこは続けた。

    「どうも、ひとつの意識にとらわれすぎてる感があるのう。一度、感謝とか責任とか、そう言う物を捨ててゆっくり考えてみるとええ」

    そこまで言うとまこはカバンを手に立ち上がった。

    「わしはこれから店の手伝いで戻らねばならん。先に失礼させてもらう」

    まこは扉を開けて、外に出る直前に私に手を振りながらにやりと笑った。

    「じゃあ、京太郎によろしくな。ひねくれ者」

    「戻りましたーってあれ? 染谷先輩は?」

    まこが出て行って5分ほどしてから須賀君は執事服を片手に戻ってきた。

    「えっ? ……あぁ、お店の手伝いがあるから先に帰ったわよ」

    私はまこが出て行ってから椅子に座り込んでボーっとしており、須賀君に話しかけられたときとっさに反応できなかった。
    気恥ずかしさから私は話題を変えた。

    「ところで、ずいぶん着替えるのに時間がかかったわね?」

    「あぁ、咲から電話がかかってきてまして。執事服についていろいろ聞かれましたよ」

    「あぁ、なるほどねぇ」

    須賀君は私の返事を聞きながら荷物を置き、カバンの中から牌譜を取り出した。

    「言われたとおり、ここ最近で大きなラスを引いたときの牌譜を持ってきました」

    「ありがとう。じゃあ、ちょっと確認させてもらうからこのテストをやりながら待ってて」

    私は須賀君から渡された牌譜に視線をやりつつ、あらかじめ用意しておいた何切るや状況判断の問題が記載されたテストを差し出した。

    「……あれ? このテストってもしかして、部長が作ってくれたんですか?」

    受け取ったテストを見て須賀君は驚きの声を漏らした。
    まぁ、例題に出てくる人間が咲や和じゃ気づかないわけがないのだが。

    「えぇ、一応須賀君のレベルを考えて作ったつもりだけど?」

    「……すみません」

    須賀君はテストを持ったまま頭を下げた。

    「これから受験だ何だって忙しいのに、俺のためにこんなに時間割いてもらって」

    暗い顔をする須賀君を見て私は慌てて口を開いた。

    「大丈夫よ。進路にことについてもちゃんとやってるわ。そっちも疎かにしてないから」

    「でも、全国大会終わってからずっとこんな感じじゃないですか? いろいろ教えてもらえるのはすごい嬉しいんですけど」

    須賀君は顔を伏せて、消え入りそうな声で続けた。

    「その、部長の負担になってるんじゃないかって……」

    何故だろう。

    彼が遠慮して、申し訳なく感じているのが

    私の負担になっているのかと心配する姿が

    そんなことないのに、そういう風に思われるのが、悲しい。

    私がしたくて、そうしたくしているのに、そういう風に思われて、悲しい。


    私が須賀君の立場だったとき、私は彼の負担だとかそんなこと一切考えなかったのに。

    彼は、私のことを考えてくれる。

    言いようのない感情に、手が震え、叫びだしそうな気分だった

    それでも、手を握り締め、叫びだしそうな声を飲み込み、私は口を開いた。

    「負担じゃないわ。これは、私がしたくてしてることなの」

    そう、これはあの時彼が私のかけてくれた言葉。

    「須賀君が私の勝利を願ってくれたように、私も須賀君が今度の新人戦で勝ってくれる事を願ってる」

    何故ここまで頑張れるのか、と聞いたときに須賀君が言ってくれた言葉。

    「だから、私もできる限りのことはしてあげたいの」

    それを、私が須賀君に言う日が来るとは当時の自分では思いもしなかっただろう。

    「で、でも」

    なかなかに強情な子だ。
    そんな性格だから、私のような人間に付け込まれるのだろう。
    くすり、と微笑む。そして彼の言葉をいつかの彼の言葉でさえぎった。

    「それでも申し訳ないと思うんだったら、新人戦で勝ってちょうだい。そうすれば、私も報われるわ」

    あのときの須賀君の気持ちがようやく分かった。
    どういう気持ちであの言葉を言っていたのか、ようやく分かった。
    あまりにも遅すぎたのかもしれないけど、須賀君ともう一度向き合い直して。
    相手のことを想って、自分なりに考えて、ようやく、気付けたのだ。

    須賀君の目が潤んでいることに気づく。
    私だって涙を流したい気分だったけどちょっとした見栄で、それを堪えた。

    須賀君は目じりを押さえ、しばらく上を向いた後、真剣な瞳で私を見た。
    悔しいけど、その目には少し、ほんの少しだけ……ドキリとした。

    「俺、頑張ります。絶対、絶対勝ってみませます。頑張ります、ほんと、頑張ります!」

    「うん、よろしい。では手始めにそのテスト、頑張って解きなさい」

    「はい!」

    須賀君は元気に返事をすると真剣な表情でテストを解き始めた。
    私はそれを見て満足感を覚えながら須賀君のネト麻での牌譜をチェックする。

    一通りチェックしてみるが、かなり落手も減ってきていた。
    須賀君の教育でインターハイが終わってからすぐに取り組んだのがこの牌譜チェックだ。
    これであればインターハイ後のドタバタの合間でも出来るし、どうしても孤独感に陥るネト麻にも多少の張り合いが出るだろう。
    そう考えて続けてきているが、インターハイ中でもホテルで1人頑張っていたのだろう。
    以前よりずいぶんと立派な打ち筋になっている。
    うん、やっぱりここまで打てるんだったら雀荘でもそうそう負けないと太鼓判を押せる。

    そんなことを考えつつ牌譜にコメントを書き入れながら、テストに頭を悩ませる須賀君を見た。

    ――感謝とか責任とか、取り巻くその辺を捨てて――

    ふと、まこの言葉がなんとなく思い出された。
    言うとおりにするのも癪だが少し考えてみる。
    私はこの目の前の男の子をどう考えているのだろうか。

    ……いい子だとは思う。うん、いい子だ。
    それは間違いない。

    後輩として大好き。
    それも間違いない。

    じゃあ男の子としては?
    そもそも私のタイプとはどんな人だろう?
    漠然と芸能人で誰それがかっこいいなどと話すことはあるけど、好みのタイプと言われるとぴんとこない。
    なんとなく、須賀君が恋人になっているところを想像してみる。

    ……

    顔が熱くなってきた。気恥ずかしさに逃げ出したくなる。
    まこめ。
    へんなことを私に考えさせ、動揺させてどうするつもりだ。

    大体、須賀君は私のことをどう思っているのだろうか。
    ずいぶんと私になついているのはわかる。
    少なくとも嫌われては居ないだろう。
    ただ、具体的にはどう見られているのだろう?
    先輩として? 女性として?

    ……もし、女性としてだったら、どうなのだろうか?

    部のために頑張ってくれたのも、私を好きだったから。
    どんな労力もいとわずに働いてくれたのも、私が好きだったから。
    私の打ち方を真似したのも、私が好きだったから。
    全部全部、私が好きだったから。

    そういうことに、なる。

    もし、もしそうだったとしたら
    もし、須賀君に好きと言われたら私はどう答えればいいんだろう?
    そんな状況を想像してみる。

    ……

    さらに顔が熱くなった気がする。
    これはまこの陰謀だろうか。
    おのれまこ。この前卵焼きをとった事に対する恨みだろうか。
    そうだったとしたらまこはなかなかの策士だ。やってくれる。


    「部長?」

    どこか遠いところへ旅立っていた思考が須賀君の一言で引きずり戻された。

    「あー、えっと、何?」

    「いや、テスト出来ましたけど……」

    きょとんとした顔で私にテスト用紙を差し出してくる。
    その何も知らないお気楽そうな顔に私は内心腹を立てた。
    まったく、私の気も知らないで。

    「な、なんでもないわ。じゃ、答え合わせしましょっか」

    とにかくまた後で考えよう。今は須賀君の教育だ。
    私は先ほどまで考えたことを心の隅に追いやり、気持ちを切り替えた。

    このことはゆっくり考えればいいのだ。
    まこだってそう言っていた。
    ただまこに言われてちょっと考えて、妙にリアルな想像になったから照れているだけなのだ。
    たまたま、たまたまなのだ。


    生来のひねくれもの気質から、私はそんなことを考えていた。

    ――それでも、後から思えばその日確かに私の心に「種」が植えられたのだと思う。


    「須賀くーん、遊びに来たわよー。執事服も大分様になってきたわねー」

    「勘弁してくださいよ……。昨日は咲と和が遊びに来て、さんざんからかわれたんですから」


    ――その「種」は毎日少しずつ成長していった。


    「新学期以降もバイトを続けたい?」

    「はい、土日だけでもやろうかと思いまして。常連さんに大分気に入ってもらえましたし、結構楽しいんですよ」

    「なるほど、じゃあ須賀君の執事服はまだまだ見られるってことね」

    「……変えるように頼んでるんですけどね」


    ――「種」から芽が出て、根を張ってくると私は「それ」を自覚し始めてきた。


    「だー! 改めて咲の引きは何なんだ! 全然勝てねぇ!」

    「まぁあの子は規格外だから。いまは難しいかもしれないけど、須賀君もきっとなにか武器が見につけられるようになると思うわよ」

    「そうですかねぇ……」

    「えぇ、そうすればきっと、勝負になるわ」

    ――最初は戸惑った。目を逸らしたりもした。


    「須賀くーん、眠そうね」

    「す、すいません。常連さんとセット麻雀で朝まで打ってたものですから……」

    「あらら。あんまり無理はしないようにね。コーヒーでも淹れてあげるわ」

    「ありがとうございます。打った人の中にはインターハイ経験者とかも居て結構勉強になるんですよ」

    「へぇ……」


    ――でも、意外と「それ」は悪くないように思えてきた。


    「須賀君、そんな大げさなものじゃないけど他校の人たちが集まって打とうって言う機会があるんだけど、須賀君も来ない?」

    「いいんですか? 是非!」

    「そう? えっとね、日程はここと、ここと……」

    「あぁ、この日はどうしても外せないんですけどこっちの日なら……」


    ――前以上に彼が喜んでいると私も嬉しい。彼が笑っていると私も笑みがこぼれる。


    「須賀君は仕掛けに対する意識がまだ甘いわねぇ」

    「やっぱ、ネットみたいに進行が止まらない分どうしても……」

    「バイト中ももう少し鳴きを意識してみなさい。親の第1打から勝負は始まってるのよ」

    「はい、やってみます」


    ――「種」から芽がでて花を咲かせると、私ははっきりと「それ」を意識した。


    「メンタンピンツモドラ1! 裏はっ……乗らねぇ。2,000-4,000でラスト……」

    「あ、危なかったじぇ」

    「うむ、乗ったら逆転じゃったからな」

    「でも2位には上がりましたね。まくられてしまいました」

    「惜しかったけど、すごいよ京ちゃん。後ろで見てたけどすごく上手くなってた!」

    「おっ、そうか? まぁ、なんたってコーチが優秀だからな」

    ――私は



    「竹井先輩! どうでしたか!?」



    ――須賀君に



    「うん、100点満点よ。よく打てました」






    ――恋をしている




    「……来ちゃったわね。我ながら、なんというか」

    新人戦前日。
    私にはほとんど関係ない行事なのに酷く落ち着かなかった。
    3人娘には特に心配していないがここ最近面倒を見続けていた須賀君についてはどこまでいけるのか未知数だった。
    居てもたってもいられず、以前須賀君が言っていた言葉を思い出し、

    「人のこと言えないわね、まったく」

    こうやって諏訪大社まで必勝祈願にやってきた。

    「いつ振りに来るかしら?」

    日本でも有数の神社仏閣にあたるとは思うのだが、地元の人間がそれほど立ち寄るかと言われるとそういうわけでもない。
    やはり多少なりと距離もあるし、移動もなかなかに大変だ。
    だが、須賀君がお参りに来てくれたおかげ、とまでは言わないが、結果として優秀な成績を残した。
    だったら担げるゲンは担いでいこうと思い立った。

    まったく、晴れの舞台のために人知れず神頼みとはこんなに健気な人間だっただろうか。
    自分に呆れながらも神前に立ち、財布から500円玉を取出し、賽銭箱に入れた。
    私的には結構奮発したのだからぜひともご利益が欲しいところである。
    頭を下げ、柏手を打ち、もう一度頭を下げる。

    (うちの1年生が新人戦に勝てますように)

    (特に須賀君は初心者ながらに一生懸命頑張ったので勝たせてあげてください)

    強く念じて、目を開けた。
    これを建御名方様が叶えてくれるかどうかはわからないが、少し気持ちが軽くなった。
    苦しい時の神頼みとはよく言ったものだと感心する。

    「さて、用事が終わっちゃったんだけど」

    ひとり呟く。
    流石にここまで来て即とんぼ返りというのも馬鹿馬鹿しいのでふらふらと境内を歩き回った。
    休日なので当然人でもそこそこあるが、私みたいな女子高生1人というのはいなかった。
    ちょっとした寂しくなる。まこでも誘えばよかったか、とちょっと後悔した。

    そんなことを思いながら特に目的もなく歩いていると何となく目についたものがあった。

    「すごい量ねぇ……」

    それは大量に結えられた絵馬だった。
    私はこういうものを書いたことはないが何となく気になった。
    結えられた絵馬のいくつかを手に取って見てみる。

    子供が描いたであろうほほえましいもの

    意外と重い内容で思わず目を逸らしたもの

    はいはいバカップルバカップルと言いたくなるようなもの

    いろいろな絵馬があった。
    いろんな願いがあった。
    それを見て私も書いていこうか、と思った時だった。


    私はその絵馬を手に取った時動きが止まった。

    私は重ね重ね悪運がいいようだ。
    この境内地が4箇所あるこの諏訪大社の中にある大量の絵馬の中からそれを見つけてしまった。

    最初は、自分の目を疑った。だけど、それはどうしようもなく見覚えのある字だった。
    ここ最近、よく見ている字で、よく見る名前だから間違えようがなかった。


    『目指せ、公式戦1勝! 須賀京太郎』


    同姓同名の別人じゃない。どう見ても須賀君の字だった。
    それだけならいい。

    だが、女性らしい丸文字で一緒に書かれているものが、私の心を酷く揺さぶった。







    『京ちゃんが今度の新人戦で勝てますように。あと、ずっと仲良くいられますように。 宮永咲』









    絵馬に書かれた日付を見る。つい最近だ。


    ――あぁ、この日はどうしても外せないんですけど――


    彼が、そう言っていたその日だ。
    休日に2人でここまで来たのだ。
    そして一緒の絵馬に願い事をしたのだ。

    頭が、痛い。
    手が、震える。

    「違う……」

    心の中の葛藤を否定するように私はそれを口に出していた。

    「ほら、須賀君と咲は長い付き合いだから、いっしょに、たまたま、いっしょ、に、来た、だ……け」

    だが、それも弱弱しく消えていく。

    嘘だ

    嘘だ、こんな

    須賀君がもう、誰かのものだなんて

    そんなこと

    「嘘……」

    そう、嘘だ

    そんなこと、ない。

    ないんだ。

    たまたま

    本人から、聞いたわけじゃない。

    嘘

    嘘だと

    嘘だと、言ってほしい

    私はひどく震える体を引きずるように、その場を離れた。
    それから家に帰るまでの記憶が殆どない。
    気が付けば自分の部屋で携帯を前にして、震えていた。

    須賀君に、聞きたい。
    本当の話を、聞きたい。

    そう思うのに、携帯に手が伸ばせなかった。
    何度も手を伸ばそうと思ったのに、それができなかった。



    結局私は、ほとんど眠れないまま新人戦を迎えた。