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―― 麻雀部の合宿はとても楽しいものでした。

久しぶりに会った皆は私のことを快く受け入れ、歓迎してくれたのです。
それは宮永さんも同じで、私に晴れやかな笑みを向けてくれました。
あの日、私にキスを魅せつけた人と同じとは思えないその表情に私もまた笑みを返します。
その奥にある狂気をひた隠しにするその笑みの意味を、彼女はきっとまだ理解していないのでしょう。

―― でも、私にとってそれは宣戦布告も同じでした。

必ず私が須賀君を取り返し、…あの時の宮永さんのように幸せな笑みを魅せつけてみせる。
その感情を込めたそれは宣戦布告以外の何物でもありません。
勿論、それが彼女に伝わっていなくても…私には関係なんてないのです。
私がやりたいのは正々堂々とした戦いなどではなく、手段を選ばない『戦争』なのですから。

―― だから…宮永さんの傍にいるのも苦ではありません。

宣戦布告を終えたとは言え、私はまだ準備が完全に整っている訳ではありません。
こうして合宿に来る前に必要なものを揃えておきましたが、合宿中は最後に必要な条件をクリア出来ないのです。
しかし、だからと言って合宿という時間の中で仲を深める二人を指を銜えて見ていられるはずがありません。
それを防ぐ為にも私は彼女の傍に近づいて、須賀君と二人っきりにはさせなかったのです。

―― それをゆーきが複雑そうな目で見ていましたが…私には関係ありません。

何だかんだ言っていまだ仲直り出来ていない彼女にとって、宮永さんと仲良くなっていく私の姿が複雑に映るのでしょう。
それはきっと昔の私であれば抑止力に働いたのだと思います。
けれど、今の私にとってはそんなもの何の関係もありません。
どれだけゆーきが傷つこうと須賀君さえ傍にいれば…私は幸せになれるのですから。

―― それに…友達なんて…決して一生続く訳じゃありません。

そう思う私に浮かんできたのは阿知賀で仲良くなった皆の事でした。
あの時…親友と言っていいほど仲良くなった皆と私はろくに連絡が取れていません。
それはきっと…ゆーきも同じでしょう。
どれだけ友人と仲が良くても、それは一生、続きません。
所詮は一時、馴れ合うだけの関係に過ぎないのです。

―― でも、夫婦ならそうじゃありません。

父と母がお互いの事を深く想い合っているように…夫婦の絆は永遠なのです。
それを須賀君と結ぶ為であれば、何時か途切れてしまうであろう関係を犠牲にするのだって吝かではありません。
いえ、寧ろ、そんなもので須賀君が手に入るのであれば、私はきっと喜んでそれらを差し出していた事でしょう。

「また来たいな、この合宿!」

そんな私の耳に届いたのは宮永さんの声でした。
近くに流れ落ちる滝の音に負けないようにはっきりと言ったその言葉に私は宮永さんに視線を向けました。
私の数歩先を歩く彼女は背中しか見えません。
しかし、この合宿そのものを心から楽しんでいるのが伝わって来ました。

「県大会に勝てば全国大会前にもう一度合宿があるそうです…」

そんな彼女に言った言葉は微かに目が泳いだものになりました。
幾らタガが外れたとは言え、私は決して麻雀が強くなった訳ではないのです。
いえ、思考というものに大きなウェイトを置く私は逆に弱くなっているのかもしれません。
それなのに合宿中に私が命じられたのはエトペンを抱いたり、ツモ切りを繰り返したりと効果があるかどうか微妙なものばかりです。
正直、強くなった実感なんて得られるはずもなく、私の不安は少しずつ大きくなっていたのでした。

「じゃあ、また来られるんだ」
「……」

そんな私にとって彼女の言葉は有難いものでした。
まるでまたこうして皆と合宿出来る事が既に決まっているようなその言葉はきっと深く考えているものではないのでしょう。
しかし、だからこそ言い切れるであろうその言葉に、私は呆れながらも頷いていました。

「…そうですね」

そこに込められた意味は、きっと彼女と違うものでしょう。
勿論、私もこの合宿を楽しんでいたのは確かです。
しかし、私が本当の意味で楽しみにしていたのはそれではありません。
次に合宿があるとしたら…その時はきっともう須賀君が私のものになっている。
そう思うと背筋がゾクゾクして…胸の中が喜悦と期待に満たされるのです。

「ぜひまたここに」

そう言った私の前で宮永さんが振り返りました。
そして私の方へと手を延ばすのは、不安だからでしょう。
合宿初日、今と同じように飛び石を渡っていた彼女は足を滑らせて川へと落ちたのですから。
その手を取るのは癪ではありましたが、今はまだ友達面をしていなければいけません。
そう自分に言い聞かせながら、私はそっと宮永さんの手を取り、にっこりと笑みを浮かべました。

「おーい!咲ー和ー!」

そんな私たちの耳に届いたのは須賀君の声でした。
それに視線をそちらへと向ければ飛び石の先に須賀君の姿が見えます。
既に制服に着替えているのは、もうそろそろこの合宿場から発たなければいけない時間だからでしょう。
もう…楽しかった合宿の時間は終わりに近づいているのです。

「あ、京ちゃんっ」
「ちょ…!危ないって!」

それに少し感慨にふけったのがいけなかったのでしょう。
宮永さんはぱっと私の手を離し、須賀君の元へと駆け出しました。
それに反応が遅れた私を彼女がそっと振り返りますが、その歩みは止めません。
残り数個の飛び石を飛び越えて、恋人の元へと行こうとして… ――

「きゃっ!」
「あー…」

瞬間、宮永さんが足を滑らせるのは自明の理という奴でしょう。
そもそも宮永さんはあまり運動神経が良い訳ではない私と比べても悲しくなるくらいに運動音痴なのです。
そんな彼女が後ろを振り返りながら飛び石を渡ろうとすればどんな事になるかはすぐさま想像がつくでしょう。
それに須賀君が呆れたような声を漏らすのも決して無理はない事なのです。

「ったく…しゃあないなぁ…」

しかし、そんな人でも見捨てられないのが須賀君の良い所でしょう。
彼は呆れるように言いながらもピョンピョンと飛び石を越え、宮永さんの所に近づきました。
そのまま川の中に尻餅をつく彼女にそっと手を伸ばす姿はとても手慣れたものです。
幼馴染である彼にとって、そうやって宮永さんの世話を焼くのはもう慣れたものなのでしょう。

「ふふ…っ」

少し前であれば私はそんな二人に嫉妬を禁じえなかったでしょう。
しかし、今の私の口から漏れるのは紛れもない笑みでした。
ですが、それは決して目の前の二人を微笑ましく思っているからなどではありません。
そうやって二人が仲睦まじい姿を見せられるのが今日までだと思ったら…ついつい笑みを浮かべてしまうのです。

「大丈夫か?怪我は?」
「ないけど…冷たい…」
「って…ばっ!そ、そのまま立ち上がるな!透けてるんだって!」

きっとそう言って自分の制服を脱いで宮永さんに手渡す須賀君の頬は赤く染まっていました。
まるで女性の肌に免疫がないその姿は、まだ二人の関係がそこまで行っていない証でしょう。
そう思うと無性に私は嬉しくなって、浮かべる笑みをさらに深いものへと変えました。
けれど、そうやって浮かべる笑みは、きっと歪んだ狂気じみたものでしょう。
それに二人が気づかない内に私はそれを引っ込め、何食わぬ顔で彼らに合流しなければいけません。

「大丈夫ですか?」
「うん…ごめんね、原村さん」
「良いんですよ、気にしないで下さい」

どうせ宮永さんの幸せは今日で終わるのですから。
それを前にして一つや二つのイベント程度で目くじらを立てるほど私は狭量ではありません。
寧ろ、それら全てを台無しにした時の快感と達成感を思えば、歓迎すると言っても良いくらいでした。
けれど、そんな歪んだ感情を表に出す訳にはいかず、私は何食わぬ顔で首を横へと振るうのです。

「それよりこのままだと風邪を引きますし、早く戻りましょう」
「うん…」

勿論、私は例え宮永さんが体調を崩したところで知った事ではありません。
ですが、今は県大会を目前に控えた大事な時期。
今の状況で体調を崩されてしまうと私の長野残留がさらに遠のく事になるのです。
もう季節は完全に梅雨入りしてじっとりとした熱さを感じるようになったとは言え、警戒するに越した事はありません。

「そうだな。それに部長たちも準備終わって、まだかってお冠だったし」
「そ、そんなに…?」
「そう言えば…時間見ていませんでしたね」

最後に合宿回りを散策したいと言い出した宮永さんに付き合ってそのまま部屋から出たので私達は白地の浴衣のままなのです。
手荷物一つあれば話は別かもしれませんが、完全に手ぶらなままでした。
結果、携帯を持ち歩く余地はなく、適当に散策している間に結構な時間が経ってしまったのでしょう。
それをようやく思い出しながら、私はそっと肩を落としました。

「ま、咲が迷子になったって言ったらいつもの事かって許してもらえるんじゃないか?」
「私そんなに迷子になってないもん…。ね、原村さん?」
「…ノーコメントで」

冗談めいた須賀君の言葉に頬を膨らませる宮永さんに返す言葉を私は持ちませんでした。
残念ながら彼女はこの合宿中で数回迷子になるくらい筋金入りの方向音痴なのです。
ちょっと目を離した隙にひょいひょいとあさっての方向へと進んでいくその姿はわざと迷子になっているとさえ思えるくらいでした。
そんな彼女に部長たちも呆れたのか極力一人での行動を禁じたくらいです。
だからこそ、私は自然と宮永さんの傍に居られるようになったのですが…まぁ、それはさておき。
ともあれ、彼女は小さな子ども以上に目を離せない存在であるのに間違いはありません。

「原村さんまで…良いもん。それなら京ちゃんと手を繋ぐから」
「…っておい。何の関係があるんだそこに」

そう言いながらも須賀君は宮永さんの手を拒んだりしませんでした。
寧ろ、水で冷えた手を自分から包み込むようにそっと握ってあげるのです。
そうして合宿棟へと向けて歩き出す二人の隣に並びながら、私は笑みを絶やしません。
まるで微笑ましそうなそれを二人へと向け続けるのです。

「…仲が良いんですね」
「あー…まぁ…その…付き合ってる訳だしな」
「えぇ。知っていますよ」

えぇ。
そんな事はもう嫌ってくらい知ってます。
それに打ちのめされ、傷ついた回数はもう両手の指では足りないくらいなのですから。
しかし、それも今日で終わりだと思えば、最早、傷つく事はありません。
だって、私はそれよりももっともっと凄い事を彼にしてもらう予定なのですから。

「仲睦まじくてとっても羨ましいです」
「原村さんにもきっと良い人が見つかるよ」
「そうですね」

いいえ。
もう私には見つかっているんです。
私の人生を捧げても良いって思えるだけの人はもう私の目の前にいるんですから。
それを邪魔している宮永さんにはそんな事言われたくはありません。
ですが、私はそれをおくびにも出さず、彼女の挑発めいた言葉に小さく頷きました。

「あ、そろそろ見えて来ましたよ」

そう言って私が声をあげた頃には木々の間から合宿棟が見えていました。
外見こそ古びていますが、中は立派なその建物の中には温泉も完備されています。
ここ最近の少子化で生徒を集めるのに学校側も必死なのでしょう。
広々とした和室もセンスが良く、とてもリラックスして部活に打ち込む事が出来ました。

「宮永さんは先に温泉に入ってきた方が良いんじゃないですか?事情の説明は私がしますし」
「うーん…でも…」
「そうしとけよ。そのままじゃ風邪引くかもしれないし」

そこで宮永さんの状態を思い出した私は、そう提案します。
それに彼女が迷うような仕草を見せるのは、私と須賀君を二人っきりにしたくはないからか、或いは部長たちをコレ以上待たせたくないからか。
しかし、どちらにせよ、須賀君の援護もあれば、断る事は出来ません。
渋々と言った様子ではあれど、宮永さんはそっと頷き、合宿棟の中で別れました。

「さて…それじゃ俺は…」
「あ、須賀君。ちょっと良いですか?」

そこで私とも離れようとする彼を私は呼び止めました。
それに振り返る須賀君の表情は気まずそうな表情に染まっています。
どうやら彼は私と二人っきりになるのを避けているのかもしれません。
しかし、千載一遇の好機と言っても良いこの状況を私が逃すはずがなく…彼に須賀君に向かってゆっくりと口を開くのです。

「実は…また最近、変な視線を感じるようになって…」
「なんだって?」

瞬間、須賀君は驚きながらも、その表情を引き締めました。
かつて見たのと変わらない真剣なその表情に、彼がいまだ私の事を大事に思ってくれているのが伝わってきます。
それについつい笑みを浮かべそうになりますが、この状況ではそれはあまりにも不自然です。
そう自分に言い聞かせながら、私はそっと顔を俯かせ、ぎゅっと浴衣の裾を握りこむのでした。

「もしかして…例のストーカーか?」
「分かりません…でも、また差出人不明の手紙が届いて…」

心配そうに私に聞くその言葉には疑念はまったくありません。
既に一度あった事なので、それが嘘なんてまったく思ってはいないのでしょう。
或いは私が嘘を吐くなんて想像すらしていないのかもしれません。
どちらにせよ、私にとって好都合なのは変わりがなく、私は胸中で笑みを深めながら震える言葉を紡ぎます。

「お願いします…また…助けてくれませんか…?」
「分かった。俺に任せろ」

そんな彼の信頼を利用し、踏みにじるのに自責を感じないかと言えば嘘になるでしょう。
ですが、それさえも私にとっては最早、些事でしかありません。
最後に須賀君が私の傍にさえ居てくれれば…その過程にある苦しみも悲しみも全て肯定されるのですから。
少なくとも私はそれだけ彼の事を幸せにするつもりですし、須賀君もまたそれに応えてくれると信じているのです。

「ありがとう…ございます。私…とっても不安で…」
「あぁ。わかってる。でも…もう大丈夫だからな」

そう言いながらも、須賀君は以前のように私の事を抱きしめるどころか撫でる事さえしてくれませんでした。
それはきっと恋人である宮永さんに遠慮しているからなのでしょう。
そう思った瞬間、胸の痛みが強くなるのと同時に、暗い喜悦が湧き上がって来るのは…私がそう遠くない内にその場所に入り込めるからです。
それほどまでに須賀君に強く思われる位置に私はもう少しで手が届くと思えば…嬉しくって仕方がありません。

「とりあえず…手紙を見せたいので解散した後、私の家に寄ってもらって良いですか…?」
「そうだな。俺も手紙を見ておきたいし…」

それを抑えながらの言葉に、須賀君は素直に頷いてくれました。
私を元気づけようとしてくれているのか力強いその首肯に、私は小さくため息を漏らします。
彼に安堵を告げる為のそれは、決して100%演技という訳ではありません。
私の立てた杜撰な計画の中で一番の難所をあげるとすればここだったのですから。
決して負ける見込みが高かった訳ではありませんが、一つ条件がクリアされた現実に私は思わずため息を漏らしてしまうのです。

「須賀君さえ居れば安心ですね」
「はは。持ち上げ過ぎだっての」

そう言って気恥ずかしそうに鼻頭を掻く姿は可愛らしいものでした。
まるで子どものように照れを見せる彼に私はもう我慢出来ません。
微笑ましそうな笑みを顔へと浮かべてしまうのです。
それに須賀君は頬の紅潮を強めながらそっと視線を背けました。

「まぁ、その信頼に答えられるように頑張るつもりだけどな」

そう付け加えるその言葉は照れ隠しなのでしょう。
しかし、それが私の胸を震えるほど嬉しくさせてくれるものでした。
勿論、彼は私の信頼の本当の意味には気づいてはいません。
ここまでそうやって振舞ってきたのですから…気づくはずがないのです。
ですが、それでも私を幸せにしてくれると言う信頼に応えるというその言葉は決して色褪せません。
思わず涙を漏らしそうになるほど嬉しいその言葉に私はそっと目尻を拭ってしまうのです。

「それより…ご両親や優希にはもう相談したのか?」
「実は…まだなんです…」

そんな私を真正面に見据える須賀君の言葉に私は首を横へと振りました。
勿論、私のそれは狂言なのですから、相談なんて出来るはずがありません。
それに例え出来たとしても、私はきっと真っ先に彼に対して相談した事でしょう。
今の私にとって誰よりも優先すべきは彼の事であり、親や親友の事なんてその次なのですから。

「ちょっと今、ゆーきとは喧嘩してて…親はまた仕事が立て込んでいるみたいで…」
「…そうか」

私の言葉に須賀君が深く突っ込まないのは合宿前からギクシャクしていた私達に気づいていたからなのでしょう。
実際、彼は合宿中もゆーきを元気づける為に良く話しかけている姿を見ました。
そうやって気にかけてもらえる彼女が羨ましくて仕方がなかったのも昔の話です。
もう少しすれば彼の心の殆どを私が占めるようになるのですから、一々、羨望なんて覚えてはいられません。

「仲直りする為に俺が出来る事があれば何でも言ってくれよ。力になるからさ」
「…ありがとうございます」

私を元気づける為か、気軽に「何でも」と口にする彼に私は思わず口が滑りそうになってしまいました。
それなら私と付き合って欲しいと…感情をそのままストレートに出してしまいそうになったのです。
しかし、ここで今、そんな事を口にした所で、彼は首を縦に振ってはくれないでしょう。
既に須賀君は宮永さんと付き合っており、二股をするような不誠実な人ではないのですから。
そんな彼に首を縦に振らせるのには入念が準備が必要だと私は言い聞かせ、
漏れそうになった感情を飾り気の無い謝礼の言葉へと変えるのでした。

「あら…須賀君」
「あ、部長」

そんな私たちの間に現れたのは制服姿の部長でした。
その手に荷物を持っている辺り、もうこの合宿棟を後にする時間が近づいているのでしょう。
それに微かな危機感を覚えるのは私が準備出来ているとは言いがたいかたです。
勿論、前日から帰る準備はしていましたが、私はまだ着替えすら出来てはいません。
既にエントランスへ部長が降りてきている思えば、私は今すぐ部屋へと戻り、着替えを始めるべきなのでしょう。

「宮永さんは見つかったの?」
「えぇ。ただ川に落っこちたんで今、温泉で暖まってます」
「…あの子も大概、ドジよね」

そんな私の前で部長は呆れるようにそう言いました。
けれど、それが決して嫌そうなものではないのは、それを愛嬌だと捉えているからでしょう。
ですが、私も同じように捉えているかと言えば答えは否でした。
この場にいる誰よりも彼女の本性に近い私には…アレはわざとに思えるのです。

―― だって…須賀君はとても世話好きな性格をしているのですから。

何だかんだ言って面倒見の良い彼の視線は多少、危なっかしい方が独占しやすいのです。
実際、彼女はそうやって合宿中でも彼の手を取り、甘えているのですから。
それが無意識なのは、はたまた意識的にやっているのかまでは分かりません。
しかし、その事をずっと幼馴染という位置に居続けた宮永さんが理解していないはずがないと私には思えるのです。

―― でも…今はそれに感謝していますよ。

そうやって宮永さんが『お手本』を見せてくれたからこそ、私も彼に甘えられるのです。
下手に自分を抑えこんだりせず、須賀君にストレートに感情をぶつければ良いと学習したのでした。
きっとそれがなければ私は今も悶々とし、苦しんでいた事でしょう。
結果的にではあれどそれを取り払ってくれた事だけは素直に感謝出来ました。

「それより和も早く着替えてらっしゃい。最終日とは言え、夕方までばっちりやるわよ」
「…はい。分かりました」

部長の言葉に素直に頷きながら、私はそっと歩き出しました。
今日でこの合宿棟とお別れとは言え、まだ合宿が終わった訳ではありません。
荷物を部室に運んでからまださらにここから打ち始めるのです。
もう県大会までもう一週間を切っている今、時間の猶予はないと部長も考えているのでしょう。

―― それは私も同意見です。

そう。
私には時間が圧倒的に足りません。
私は県大会に向けての練習をするのも、須賀君から宮永さんを引き剥がす事も完璧にこなさなければいけないのですから。
正直、その為に色々と準備してきたとは言え、それらを成功させる自信はありませんでした。
しかし、眼の前に迫ってきたそれらを前にして私の足が竦んだりはしないのです。
寧ろ、心の奥から湧き上がる活力に身体が力を漲らせているように思えました。

―― 今の私ならきっと大丈夫と…そう思えるくらいに。

その原動力は須賀君への愛でしょう。
気が狂うほどの彼への愛しさが私の身体に力を与えてくれているのです。
それに笑みを浮かべながら、私は軽い足取りで部屋へと戻り、制服に着替えました。
そこに帰って来た宮永さんの準備も手伝って… ―― 

―― 結果、私達が部長と合流したのはそれから30分ほど先になったのでした。


……
…………
………………


「ふふ…っ」

そうやって笑みが漏れてしまうのは私の傍に須賀君が居てくれているからです。
勿論、そこには宮永さんの姿もゆーきの姿もありません。
合宿が終わった後、私のことを気遣ってくれた須賀君は私を送ると言ってくれたのです。
それに宮永さんが難色を示しましたが、彼は平謝りしながらも譲りませんでした。

―― それはきっと私があまり大事にしたくないとそう汲み取ってくれたからでしょう。

そんな彼の優しさだけでも嬉しくて堪らないのに、今の私は微かに日が落ちかけた道を二人で歩いているのです。
かつてはゆーきと一緒に三人で歩いたその道を…今度は…二人っきりで肩を並べるようにして。
その嬉しさはもう私の中には収まりきらず、我慢しなければと分かっていても、ついつい笑みとして零れてしまうのでした。

「…ん?」

そんな私に須賀君が不思議そうな目を向けるのも無理は無い事でしょう。
だって、今の私はまたストーキングされ始めているという設定なのですから。
それなのにまるで嬉しくて堪らないと言うような声を漏らして、怪しまれないはずがありません。
しかし、彼はそれを口にする事なく、疑念を抱いた様子も見せませんでした。
それは彼が純真だと言うよりは、これまでに培ってきた信頼関係の結晶でしょう。
これまで健全に仲良くなっていったが故に、須賀君は私のことをこんなにも信じてくれているのでした。

「あ…いえ…須賀君が傍にいると心強いなって…」
「はは。まぁ、俺でも壁くらいにゃなれるからな」
「そんな事…ないですよ」

冗談交じりにそう言う須賀君に私はそっと首を振りました。
実際、私はこうして彼の傍にいるだけで心の底から安堵する事が出来ていたのです。
それは私が須賀君の事が好きだ…というだけではないでしょう。
須賀君が私の事を信頼してくれているのと同じように、私もまた彼の事を信じているのです。
何時、どんな時だって私の事を護ってくれると…心から。

「それにしても…ごめんな。また事件に巻き込まれたのを気づいてやれなくてさ」
「いえ…私が黙っていた事ですし…」

そんな私に謝罪する言葉に胸が強い痛みを訴えます。
既に計画を実行に移す事に対して迷いはないとは言え、自責さえも振り払った訳ではないのです。
そうやって須賀君に謝罪されると騙しているのを自覚して胸が痛みを訴えるのでした。
けれど、最早、ここまで来て引き返す事なんて出来ません。
例えどれだけ辛くても…私にはもう須賀君を手に入れる道しか残されていないのです。

「何より…こうして手を貸してくれているだけで…私は嬉しいです」
「そっか…それなら良かった」

それを押し隠しながらの言葉に、須賀君はその顔を綻ばせました。
何処かほっとしているようなその表情は、私が嬉しいと言ったからでしょうか。
それに私も笑みを浮かべた瞬間、視界の端に見慣れた家が映り込んだのです。

―― もうちょっと歩きながらお話していたかったんですけれど…。

だって、こうして歩きながら二人で下校するだなんてまるで恋人同士みたいなのですから。
これまでまったく須賀君と出来なかったそれをもっと楽しみたいという気持ちはありました。
しかし、須賀君は私の家を知っていますし、今更、遠回りなんて出来ません。
それに何より、こうして家が近づけば近づくほど私は期待を強めてしまうのです。

―― ふふ…今からでも胸がドキドキしっぱなしで…。

それは須賀君が上手く罠に掛かってくれるかという不安や緊張も混じっていました。
しかし、一番はもう少しで彼が私のものになってくれているという期待が大半であったのです。
今の私にとっては一分一秒が待ち遠しく、足も早まってしまいそうになりました。
それを何とか抑えながら、私は家の鍵を開き、中へと彼を招くのです。

「お邪魔します」
「ふふ…どうぞ」

何処かおずおずと家の中に入ってくる彼に私は小さく笑みを浮かべました。
彼はストーカー事件が解決する間近にはもう自分の家とそう大差ない気安さで入ってくれていたのです。
今の彼にはその気安さはありませんが…きっと何れはそれを取り戻してくれる事でしょう。
だって…彼はこれから毎日、この家に帰ってくる事になるのですから。

「お茶淹れますね」
「いや、そんな気を遣わなくっても…」
「良いんですよ。須賀君はお客様なんですから」

半ば強引にそう言いながら私はリビングへと足を進めました。
そのままガチャリを開いたその先にはやっぱり気配はありません。
両親が忙しいと須賀君に言ったのは決して嘘ではなく、二人は数日ほど家に帰れるかどうか分からないと言っていました。
かつてはそれが内心、寂しくて仕方がありませんでしたが、今はそのお陰で彼を招き入れる事が出来たのです。

「須賀君は座ってて下さい」
「…ん。それじゃ頼む」

既に彼に対する想いで頭と心を埋め尽くした私には、もう寂しさなんてありません。
あるのはただ両親が不在という好条件に対しての感謝でした。
元々、勝算こそ少なくはなかったものの、これはどれだけ条件を整えても失敗もあり得たのです。
賭けと言っても良いそれに勝ったという現実に私は強い歓喜の感情を感じ、信じてもいない神様に感謝を告げたくなりました。

―― でも、焦りは禁物ですよ。

ここから先は幾つか自分でも練習してきたとは言え、何が起こるか分からないのです。
出来るだけ乱数は排除するように立ち回りましたが、私の運の悪さは折り紙つきなのです。
本来であれば結ばれるはずであった人を横からかっさらわれた事を思えば、どれだけ順調でも油断なんて出来ません。
一歩間違えれば全てが台無しになってしまうかもしれないと思えば、慎重になりすぎる事はないのです。

―― そんな私が選んだのはグリーンティーでした。

そのままでは苦くて飲めないそれであれば、粉末状にした睡眠薬の味も誤魔化せるでしょう。
また飲み終わった後のカップに白い粉末が残っていても普通は砂糖だと思うはずです。
問題は出来上がったグリーンティーに睡眠薬を仕込むタイミングではありますが…それは何度か自分で試してベターなものを見つけてありました。
カフェインも睡眠薬の効果を阻害するほどではないので、後は練習通りに動けば大丈夫。
逸る自分にそう言い聞かせながら、私はそっと白い粉を混ぜ、須賀君へとそれを差し出したのです。

「はい。どうぞ」
「お、ありがとう」

そう言いながら須賀君は冷たいグリーンティーを一気に煽りました。
ぐいっと飲み込むその勢いは思ったよりも強く、私の心配が杞憂であった事を知らせます。
恐らく今日が普段よりも蒸し暑かったという事も+に働いたのでしょう。
荷物を運んで額に汗を浮かべた彼は一も二もなく飛びつくほどに冷たいものに飢えていたのでした。

「うげ…苦い…」
「もう…ちゃんとお砂糖かシロップを入れないとダメですよ」

しかし、次の瞬間、須賀君の顔は口を開け、苦虫を噛み潰したように歪みました。
元々お砂糖を入れるように調整されているグリーンティーをそのまま飲んだのですから当然です。
ましてやその中には睡眠薬まで入っていたのですから尚更でしょう。
そんな彼に注意するように言いながら頬を緩めたのは決して安堵だけではありません。
子どもっぽい彼の仕草に私は和み、そして可愛らしいとそう思っていたのです。

「私の分でリベンジしてみますか?」
「いや…良いや。それより…普通の麦茶をくれ…」

念の為シュガーポットの砂糖にも睡眠薬を仕込んでおいたのですが、どうやらそれは使う事はなさそうです。
彼は口を開いたまま、私に普通のお茶をリクエストしました。
それに小さく笑みを浮かべながら、私は冷蔵庫へと歩き出し、冷水筒に入ったお茶を取り出したのです。

「どうぞ。…今度は一気飲みしちゃダメですよ?」
「もうそんな事しないって」

それを戸棚から取り出したコップと一緒に差し出せば、彼はバツが悪そうに視線を背けました。
きっと彼もさっきの失態は恥ずかしいと思っているのでしょう。
それでも私から素直にコップを受け取った須賀君に、冷水筒から麦茶を注いであげました。
それを彼は急いで口に含みましたが、グリーンティーの苦味は中々、引いたりはしないのでしょう。
幾分、マシにはなったようですが、その顔は未だ苦々しそうに歪んでいました。

「…おかわりいりますか?」
「…頼む」

そう言って私にコップを差し出す彼に私は二度三度と麦茶を入れてあげました。
その度に彼の表情は少しずつ和らいだものになっていくのです。
それは少しずつ嬉しくなっていきますが、さりとて何度も何度も彼に麦茶を薦める訳にはいきません。
結果、数回もした頃には須賀君の顔から苦そうなものは引き、ふぅと小さなため息を漏らすのでした。

「それで…手紙の事だけど…」

そこで真剣そうな表情に戻る彼の言葉に私は小さく頷きました。
もう少し世間話などをして時間を引き伸ばしておきたかったですが、こうして切りだされた以上、仕方ありません。
元々の目的がそれを見せるというものだった以上、ここで話題を変えても怪しまれるだけでしょう。
それに…例え、世間話が使えなくても、ここは私の家。
時間稼ぎなんて幾らでも出来るのです。

「部屋に置いてあるので…取ってきますね」
「あぁ。頼む」

そう言って立ち上がった私はリビングから出て、二階へと上がりました。
そのまま部屋へと入った私はベッドに腰掛けて時間が経過するのを待ちます。
勿論、そうやって稼げる時間は五分、長くても十分程度でしょう。
しかし、早い人であれば、それくらいから既に睡眠薬の効果が出始めるのです。
既に須賀君が薬を飲んだ以上、待てば良いだけなのですから気も楽でした。

―― とは言え…一人だとやっぱり寂しいですね…。

折角、同じ家の中に須賀君がいるのに、一人で部屋にとじこもっている自分。
それが必要だと理解しながらも、私の心は寂しさを訴えていました。
もっと須賀君とお話がしたい。
早く須賀君と触れ合いたい。
強く須賀君を感じたい。
そんな欲求が休みなく浮かんで止まりません。
しかし、それを現実にする為にも今の私は我慢するしかなく、悶々とした気持ちでベッドの上で時間の経過を待ち続けました。

「すみません。置いてあった場所を忘れてしまって…」
「あ…うん…」

数分後、机の上に置いてあったそれを手に持ってリビングへと降りた私を迎えたのは微かに遅れた須賀君の声でした。
さっきよりも少し間延びし、小さくなったそれが既に薬の効果が彼に現れ始めているのを私に感じさせるのです。
ですが、頭を振って眠気を追いだそうとする気力がある以上、まだ油断は出来ません。
少なくとも須賀君が出歩く事が出来ない頃まで時間を稼がなければ安心なんて出来ないのです。

「大丈夫ですか?」
「大丈夫。それより…手紙を…」
「…はい。こちらです」

恐らく気を抜けば眠気が襲ってきてしまいそうなのでしょう。
はっきりと表情を引き締める彼に私はそっと手紙を差し出しました。
そこには何の変哲もない茶封筒に『原村和様』とだけ印字されています。
未だ閉じたままのそれは勿論、私が準備したものでした。

「中身は…?」
「まだ…見ていません。怖くて開けられなくて…」
「そりゃそうだよなぁ…」

首を左右に振るう私に須賀君は納得してくれたのでしょう。
小さく首肯を返しながらサワサワと手紙を探り始めました。
その角っこまでもを指で押すその表情は真剣そのものです。
けれど、そこには少しずつ睡魔の陰が見え始め、彼の思考を侵食し始めているのが分かりました。

「とりあえず…中に硬いものは感じないな。あったとしても紙だけだと思う」
「そう…ですか」

そう判断する須賀君の言葉は決して間違ってはいません。
実際、その中には紙しか入っていないのです。
それに俯き加減になりながら、私はそっと次の言葉を待ちました。
それは勿論、時間稼ぎの一環でしかありませんが、彼にはそうは見えないのでしょう。
私を気遣うように見つめるその視線からは私を心配してくれているのがはっきりと伝わってくるのですから。

「とりあえず俺が内容を確認するよ。だから…開けて良いか?」
「…お願いします」

そう言いながら私は立ち上がり、カウンターに並ぶ小物入れからハサミを取り出しました。
それを彼に手渡せば、須賀君は慎重にその封筒を切っていきます。
そのまま彼はその封筒を逆さにし、中から白地の紙を取り出しました。
内側へと織り込むようなその紙にはずらりと文字が並んでいるのが裏側からでも分かります。

「…なんだこれ」

それを広げた彼の第一声は、疑問を強く浮かべたものでした。
それも当然でしょう。
だって、そこに書いてあるのは無数の意味のない言葉の羅列なのですから。
不規則に私が頭の中に浮かんだ単語をギリギリまで書き並べたそれはいっそ狂気すら感じるものでしょう。
ですが、だからこそ、それは須賀君をこの家に留まらせる事が出来るものなのです。

「…何が書いてあったんですか?」
「わっかんねぇ…暗号かこれ?」

そう言いながら、須賀君は私にそれを手渡してくれました。
それを受け取った私はじっくりとそれを読み、時間を稼ぐのを忘れません。
その間、考えこむような仕草を見せる私を須賀君は根気よく待ってくれました。
しかし、そうしている間に彼の吐息は少しずつ荒くなり、瞳もまた胡乱なものへと変わっていくのです。

「…分かりません。規則性はないみたいですけれど…ただ、嫌がらせにしちゃちょっと変だと思います」
「俺達には分からない何かの規則性がある可能性が高いって事かな…」

勿論、規則性なんてありません。
それはあくまでも暗号のふりをしただけの怪文書でしかないのですから。
そうやってお互いに考えこむ事で時間を稼ぐ事を目的としたそれに意味などあろうはずもありません。
それに何かしら意味があるのだとすれば、この場に須賀君を一秒でも長く留めるというその存在意味だけでしょう。

「とりあえず…これがどういう規則性があるのか考えてみな…ふぁ…あぁ…」

そして、そうやって念入りに時間を稼ごうとする私の作戦は少しずつ功を奏し始めているのでしょう。
そう口にする彼の口から大きなあくびが漏れだしたのですから。
まるで我慢出来ないと言わんばかりのそれに私は須賀君の限界が近づいている事を悟ります。
それに思わず笑みを浮かべてしまいたくなりますが、あまりにこやかな反応をしすぎると疑われるかもしれません。
だからこそ、私は最後まで気を抜けないと自分を戒めると同時に、その笑みを心の奥底へと押し込んだのです。

「ごめん…何か…さっきから妙に眠くてさ…」
「合宿疲れが来たんですよ、きっと」
「そう…かもなぁ…」

そんな私の前で須賀君の言葉がどんどんと間延びしていきます。
まるでさっきのあくびで我慢が決壊したかのようなそれに私は気遣うような声を返しました。
それに須賀君が返す声には、殆ど思考の残滓を感じられません。
ほぼ反射に近いその反応に私は勝利の確信を得ながら、そっと口を開くのです。

「無理せず、ちょっと休んでいけばどうですか?」
「でも…」

それでも完全に思考能力がなくなった訳ではないのでしょう。
須賀君は拒絶するようにそう言葉を紡ぎました。
ですが、今更、そんな事を言われても、この好機を私が逃がすはずがありません。
多少、強引でもここで休んでもらわないといけないのです。

「私は大丈夫ですよ。ほら、肩を貸して下さい」

そう言って立ち上がった私は須賀君の肩を強引に掴み上げました。
それに彼もまたゆっくりと立ち上がり、ふらふらと歩き始めます。
けれど、その行く先はリビングに置いてあるソファなどではありません。
私たちの足はリビングから出て二階へと上がっていくのです。

―― 普通であればその違和感に首をかしげるでしょう。

しかし、十錠近い数の睡眠薬を飲まされた彼には最早、そんな判断能力はないのでしょう。
私が先導するのに合わせてフラフラと足を動かしてくれていました。
思ったよりも従順なその様子に、私は苦もなく上へとあがりきる事が出来たのです。
最悪、眠った彼を何とか上にあげようとしていたのですが、思いの他、順調に進んでいる。
その状況に私が我慢出来なくなったのは…彼を自室へと連れ込んだ瞬間でした。

「あは…ぁっ」

喜悦混じりのその声に、けれど須賀君は反応しません。
既にその足は殆ど動かず、ズルズルと私に引きずられているだけなのです。
それでもその瞳が開いている辺り、まだ起きてはいるのでしょうが、それももうすぐ閉じきる事でしょう。
それに抑えきれない喜びを感じる私は力の入っていない重い身体をベッドへと運び、彼を優しく横たえてあげるのです。

「のど…か…」
「大丈夫ですよ…安心して下さい」

そんな彼が最後に呼んだのは私の名前でした。
それが一体、どういう意図を持ってして紡がれたのかは私には分かりません。
謝ろうとしたのか、或いは罠である事に気づいて糾弾しようとしたのか。
しかし、どちらにせよ、私の答えは変わりません。
もう数秒ほどで眠りに堕ちるであろう須賀君に応える言葉なんて一つしかないのですから。

「私が…宮永さんよりも須賀君の事を幸せにしてあげますからね…」

その言葉が彼に届いたかどうかは分かりません。
私にとって確実なのは…そう言った瞬間、彼の瞳が閉じきったという事だけなのですから。
とは言え、どちらにせよ、それが私にとっては些事以外の何者でもないでしょう。
今の私にとって大事なのは…今すぐ机から手錠を取り出して、彼の四肢をベッドに拘束する事なのです。

「ふふふ…ふふ…っ…あははっ」

最早抵抗しない彼の身体を伸ばし、一つ一つカシャンとベッドに繋いでいく。
その度に私の胸は堪らない喜悦を湧きあがらせ、口から歪んだ笑みを漏らすのでした。
さっきまで我慢していた分を思いっきり発散しようとするようなそれは中々、止まりません。
みっともないと分かっていても、私はずっと狂った笑みを浮かべ続けるのです。

「あぁ…須賀君…須賀君…っ」

それが収まったのは須賀君の身体をベッドに拘束し終わって数分もした頃でした。
ようやく彼を手に入れた実感が胸を焼き、満足感に身を震わせるのです。
それにまた一つ我慢が出来なくなった私は眠る彼の胸へと飛び込み、その胸板に頭を預けるのでした。

「須賀君のここ…とっても安心します…」

その声は勿論、彼に届いてなどいません。
私がベッドに彼の身体を繋いでいる時に何一つ抵抗しなかった彼は文字通り泥酔しているはずなのですから。
ですが、それでも私は構いませんでした。
だって、それは彼に聞かせようとしたのではなく、あふれんばかりの感情がそのまま言葉になったものなのですから。
喜悦と満足感に満たされた私の心はそうやって言葉にしなければどうにかなってしまいそうなくらいにギュウギュウで…そして幸せだったのです。

「これでもう…ずっと一緒ですね…」

勿論、これは私の計画を完遂へと導く為の第一歩でしかありません。
まだまだ山場はこの後にも控えていて、私のしなければいけない事は沢山あるのです。
しかし…こうして須賀君を閉じ込めた今、それらを乗り越える事は決して難しい事ではありません。
後は宮永さんがやっていたように彼の優しさに漬け込めば…きっと私が望んだ通りの結末を得られるのです。

「大好きです…須賀君…」

そう言いながら私は彼の唇に顔を近づけたくなりました。
しかし、そうやって欲望に身を任せた結果、私が消費するのはファーストキスなのです。
既に宮永さんに彼のファーストキスを奪われている以上…それを無闇に消費したくはありません。
そう自分の衝動を思い留まらせながら、私はそっと彼の胸に顔を埋め直しました。

―― まだもう少し起きるまでは時間が掛かるでしょうし…。

それに起きた時にはきっと須賀君もお腹が空いているのです。
こうして傍に居ても何も出来ない訳ですし、美味しいご飯を用意しておいてあげるべきでしょう。
そう理解しながらも、私の身体は彼から離れません。
まるでようやく手に入れた宝物を確かめるように全身を摺り寄せ、身体全体で須賀君の事を感じようとしていたのです。

―― その度にゾクゾクとしたものが走るのは…きっと快感なのでしょう。

私が身体を摺り寄せているのは世界で一番、大事な人なのです。
この人の為ならば自分すら投げ捨てられるって…そう思えるくらい愛しい人なのでした。
そんな人の身体と制服越しとは言え擦れ合うのですから、気持ち良くないはずがありません。
そしてその度に身体が興奮とは違うもので熱くなり、吐息が荒くなっていくのが分かるのです。

―― これは…これは…ダメです…。

それが一体、何なのかくらい私にだって分かりました。
それはきっと欲情なのです。
こうして身体をこする事で…私は彼に愛しさだではなく…穢れた欲望まで向け始めているのでした。
けれど、私はまだそれに身を委ねる訳にはいきません。
キスならまだしも…それは彼の優しさに漬け込む大きな武器になり得るのですから。
それをするのは須賀君の意識が戻ってからでなければ計画が破綻してしまいます。

―― 後ちょっと…後…ちょっとだけ…。

しかし、そう分かっていながらも私の身体は須賀君から離れません。
まるで離れたら彼がまた宮永さんのところへと言ってしまうと言うように彼に自分の身体をすり寄せるのです。
それが幸福感だけでなく、欲情を強めると分かっていても…私はまるでマーキングするように須賀君を抱き続け… ――

―― 結局、私は二時間ほどそうやって過ごし、幸福感に浸り続けたのでした。




―― 覚醒する意識の中で俺が真っ先に感じたのは恐ろしいまでの気怠さだった。

今は結構、寝起きは良い方ではあるが、昔は低血圧で幼馴染に起こしてもらわなければ起きられなかった。
そんな俺でも感じたことのないほどのその気怠さは覚醒しようとしている意識を逃がすまいとしているようである。
お陰で意識は胡乱なままで、目を開く事さえ出来ない。
半ば目覚めているはずなのに寝ているという何とも言えない境地に今の俺はいた。

―― 次に俺が感じたのは温かさだ。

何処か安心するような優しい熱。
それが俺の身体の上にふわりと覆いかぶさっている。
しかも、それは柔らかく、俺の触覚までも楽しませてくれた。
毛布とは決して違うその感覚は少しだけ重いが、決して重苦しいというほどじゃない。
寧ろ、それはその熱の元をより俺に密着させると思えば魅力的にも思える。

―― けれど、俺はそれが何なのか俺には分からなかった。

その熱も柔らかさも俺には俺に何とも言えない既視感をくれる。
それに首を傾げるが、胡乱なままの意識では答えには到達出来ない。
その答えを得るには目を見開くしかないのだろう。
しかし、それが分かっていても俺の目は決して開かなかった。
泥のような倦怠感に支配されているのは俺の身体だけではないのである。

―― 手足を動かすどころか…目を開く事も出来ないなんて…。

微睡みに浸った俺の意識に届くのは、ドロドロとした身体の感覚だけだ。
まるで筋肉がそのまま泥か何かに変わったかのようなその感覚に俺は軽い疑問を覚える。
それを困惑へと繋げる事がなかったのは、優しい熱のお陰だろう。
それが何かは分からないが無性に安心するその感覚に、俺は平静を保つ事が出来たのである。

「ふふ…ちょっと…大きくなっていますね…」

―― ん…?

そんな俺の耳に届いたのは聞き覚えのある声だった。
まるで水のヴェール越しに聞こえるような遠いものではあれど、それを俺が聞き間違うはずがない。
それは間違いなく原村和 ―― 俺の恋人の友人であり、部活仲間のものなのだろう。
それをすぐさま理解出来るくらいに意識が回復しつつあるのを自覚しながらも、俺の中でまた一つ疑問が生まれた。

―― 和…?

彼女について大事な事が何かあったはずなのだ。
決して忘れちゃいけない…大事な用件があったはずなのである。
しかし、それが今の俺には思い出せない。
しなければいけない事が忘れたその何とも言えない焦燥感。
それに急かされるようにして俺の意識は一気に覚醒へと向かい、倦怠感から解き放たれていく。

―― 俺は何を…忘れて…あっ!

瞬間、俺が思い出したのは彼女の危機だった。
彼女は俺に助けを求め、俺もまたそれに応える為にここにいるのである。
それをすっかり忘れていた自分に胸中で舌打ちをしながら、俺の意識は身体に指令を飛ばした。

―― こうしてられるか…!

さっきの声が和のものだとするならば、きっと彼女は傍にいる。
しかし、それが決して無事であるかどうか分からないのだ。
今の状況がどういうものか出来るだけ早期に理解し、行動しなければいけない。
そう思った俺の意識が身体に幾つもの命令を送るが、その反応は芳しいものじゃなかった。
悲しいかな俺の身体は意識以上に異常なようで、ろくに反応を返さない。

「く…ぅ…」

それでも何とか瞼を開いた俺の視界に飛び込んできたのは見慣れない色使いの天井だった。
優しい色使いをされているそれは、間違いなく俺の部屋でも、咲の部屋でもない。
恐らく、これは和の家の天井なのだろう。
それに少しだけ安堵を感じるものの、安心は出来ない。
何せ俺の視界はまだ全然はっきりせず、身体も動けないままなのだから。
明らかに異常をきたしているその原因を突き止め、和の安否を確認するまでは気を抜く訳にはいかない。

「…あら…起きたんですか?」

瞬間、俺の視界に優しい桃色がふっと映り込む。
桜色よりも濃くて、赤色よりは薄いそれはきっと和のものなのだろう。
俺の耳に届く暖かな声音もそれを肯定していた。
それに胸の安堵が強まるのは、そこには異常めいたものはなかったからだろう。
少なくとも、彼女は無事であり、苦痛や悲しみを感じるような状況にないのだ。

―― 強いて言えばあまりにも優しすぎるのが気になったけれど…。

さっきの和の声はまるで小さな子どもに対するもののように暖かくて優しいものだった。
母性すら感じられるくらいのそれは正直、違和感を禁じ得ない。
だが、それは彼女が無事であるという事に比べれば些細なものだろう。
それよりは今は状況把握に務めるべきだ。

「の…ろ…か…」
「ふふ…大丈夫ですよ。ちゃんと私が…傍にいますからね…」

そう思って漏らした俺の言葉は舌足らずなものだった。
目を見開く事が出来たとは言え、倦怠感がいまだ抜けきったわけでもないのだから当然だろう。
だが、そんな俺の情けない声に和は耳元で囁くような甘い声で応えてくれる。
それに背筋がゾクリとしたものを感じる中で、俺は上に覆いかぶさったその感覚の源にようやく気づいた。

―― もしかしなくても…これって和…だよな?

その声の近さと言い、視界に映り込んだ桃色の近さと言い、そうとしか思えない。
だが、本来であればそんな事あり得るはずがないのだ。
これが咲や優希であれば、俺もまだ冗談の類と受け止められたかもしれない。
しかし、俺の目の前にいるのはそう言った冗談とは無縁な和なのである。

―― 何より…俺は和に嫌われているんだ。

それを思い出すのは未だに胸が傷んだ。
ほんの一ヶ月前、俺は和に振られたばっかりなのである。
それは真正面からのものではなく盗み聞きのようなこずるい手段ではあったが、しかし、だからこそ、アレが彼女の本心なのだろう。
ストーカー事件の後に告白するだなんて無神経な事をやった俺を彼女が嫌いに思うのも無理は無い。

―― 最近は…それでも話しかけてくれるようにはなってきたけれど…。

それも俺は咲と交際している事を伝えてからだ。
もう自分には興味ないからだと分かったからこそ、少しずつ以前のような関係に戻りつつあるのだろう。
それが嬉しい半面、少しだけ寂しいのは、俺がいまだ和の事を引きずっている所為か。
そんな女々しい自分に一つ自嘲を湧きあがらせながら、俺はもごもごと鈍い動きながらも口を開いた。

「らいじょふ…か…?」
「えぇ…私は大丈夫ですよ。須賀君が護ってくれてますから」

―― …護る?

その言葉に疑問を深めるのは、俺が何も出来ていないからだ。
再び現れた不穏な陰に助けを求められながらも、俺はまったく何も彼女の助けになれていない。
それなのに俺が護っているとは一体、どういう事なのか。
まるで理解出来ない俺の視界が少しずつはっきりとしたものになっていく。
それを状況把握の為に天井ではなく周囲に向けた瞬間…俺の口から驚きの声が漏れた。

「え…?」

俺の視界に映り込んだのは銀色の鎖だった。
それは俺の手首についた銀色の輪っかへと繋がり、同じようにベッドの支柱へ結びついた輪っかを結んでいる。
まるで俺を束縛するようなそれは…ドラマなどで良く見る小道具だ。
しかし、逆に言えばそれはドラマなどでなければ見かけないものである。

「あ、これですか?ふふ…良く出来ているでしょう…?」

それに驚き固まる俺の視界にふっと細い指先が映り込んだ。
そのまま銀色の輪 ―― 手錠をすっと撫でる手つきは、まるで愛しいものに触れるようである。
何処か艶っぽさすら感じさせるそれは俺の手首にも届き、なんとも言えない興奮を感じさせた。
しかし、それに俺はさらなる困惑を強め、今がどんな状況なのかまったく分からなくなる。

「最近はオモチャの手錠と言っても結構、頑丈に出来てるんですよ」
「…オモチャ…?」

そんな俺をさらに追い詰めるような言葉に、俺はそう聞き返す。
手首に触れる硬質な感覚は本物そのもので多少の力ではビクともしそうにない。
試しに少し引っ張ってみたが、未だ復調しきったとは言いがたい身体では傷ひとつ着けられそうにもなかった。
内心、予想していたとは言え、知りたくなかったその現実に俺は助けを求めるように和に視線を送る。

「これは一体…ろおいう…」
「ふふ…ふふふ…っ」

その言葉が最後まで声にならなかったのは…俺の視界に映った彼女の顔が今までに見たことがないものだったからだ。
ほんのりと上気した頬は緩み、笑みを見せる唇はテラテラと輝いている。
トロンとした目は和の心地良さを俺に伝え、幸せそうにも見えるくらいだ。

―― けれど…一番、特徴的なのはその奥にある瞳だった。

それだけであれば俺は彼女の表情に引きこまれこそすれ、言葉を失う事はなかっただろう。
普段の和とは無縁な何処か退廃的な色気にドキドキしたかもしれないが、あくまでそれだけだったはずだ。
しかし…今の彼女が俺に向けるその目は…恐ろしいほどに俺しか見ていない。
まるで世界が俺しか存在しないかのように…俺だけにしか向けられていないのだ。

―― 和は…こんな瞳をしていたか…?

いや、そんなはずはない。
少なくとも俺が知る和はこんな風に底抜けの暗闇のような淀んだ瞳をするような子ではなかったはずだ。
決して快活という訳ではないが、正しい方向に向かい、その為の努力を惜しまないのが原村和という少女なのである。
しかし、今の彼女にはその片鱗すら伺えない。
まるで自ら暗い方向へと堕ちているように…その身体に退廃的な空気を纏っていた。

―― これは…誰だ?本当に…和なのか?

勿論、俺の知る彼女が全てであると言うつもりはない。
しかし、普段からは想像もつかないその姿に…俺の心は思わずそんな言葉を漏らした。
まるで目の前の現実を信じられないというような言葉に…俺の身体が身震いする。
ほんの少し眠っていただけで自分の知らない世界に迷い込んだような錯覚に、俺の背筋に嫌な予感が這い上がってきた。

「寒いのですか?もっと…温めてあげますね…」
「うぁ…っ」

そう言いながら…和は俺の身体に絡みつく。
動かない身体を手放すまいとするようなそれに俺の違和感がさらに大きくなった。
和はこんな事をする子ではないし…何より俺は嫌われていたはずじゃなかったのか。
しかし、どれだけそう思っても目の前の現実は変わらず…俺の困惑だけをただただ大きくしていく。

「ふふ…私の身体…どうですか?魅力的…ですよね?」
「……」

そんな俺に尋ねてくる彼女の言葉に、俺は返答する事が出来ない。
いや…驚きに意識は覚醒し始め、身体にも力が戻りつつあるのだから、しようと思えば出来るのだ。
しかし、それに答えるには、あまりにも多くのものが邪魔し過ぎているのである。
羞恥心は元より困惑や違和感ばかりが思考を埋め尽くし、どう答えれば良いのか分からない。
結果、俺は彼女に沈黙だけを返す。

「言わなくても分かりますよ…ここ…とっても大きくなっていますから…」
「く…ぁ」

だが、和はそんな俺の機嫌を損ねたりしなかったらしい。
幸せそうな甘い声を漏らしながら、俺の下腹部をそっと撫でる。
そこには俺の意識よりも幾分、早起きな俺のムスコがいるはずだ。
所謂、朝勃ちという状態に陥ったそこを彼女の手は優しく撫でる。

―― おかしい…!幾らなんでもおかしいって…!!

これが夢であれば、俺もまだ納得出来ただろう。
だが、俺の意識はさっき覚醒したばかりで、これは決して夢などではないのだ。
しかし…それを認めるのには目の前の状況はあまりにも異常過ぎる。
目が覚めた瞬間、拘束されているだけではなく、俺の男性器を和が弄るだなんてあるはずがないのだから。

「私の身体で興奮してくれたんですよね…?嬉しい…」
「そ、れは…」

実際、彼女の身体は魅力的だ。
出るところは出ているし、締まるべきところは締まっている。
見るからに抱き心地がよさそうなその身体で自家発電した事だって恥ずかしながらあるのだ。
けれど、それを彼女に知られるのはあまりにも恥ずかしい。
泣きじゃくる彼女を抱きしめて慰めた瞬間に邪念を抱いていた事なんて和にだけは知られたくなかったのだ。

「良いんですよ…男の人って…そういう生き物なんですよね?」
「う…」

けれど、そんな俺の言葉を遮るように和が優しく言ってくれる。
まるで俺の邪念を受け止めるようなそれに、俺はなんと返せば良いのか分からない。
彼女の言葉が事実な以上、違うと言っても恥ずかしがっているようにしか聞こえないだろうし、そうだなんて言える訳もないのだから。
結果、俺の唇から漏れるのはうめき声に近いものだけで…肯定も否定も出来ないままだった。

「そ、それより…これは一体…どういう事なんだ?」

そんな俺が選べるのは話題を逸らす事だけだった。
自分でも情けないと思うものの、未だ俺はろくに状況を把握できていないままである。
明らかに分の悪い押し問答よりは、和がどうしてこうなってしまったのかを知るべきだろう。
そう思っての言葉は微かに震えていたものの、最初の頃に比べればしっかりとしたものになっていた。

「どういう事って…?」
「いや…それは…色々ありすぎて一言では言えないんだけれど…」

けれど、和は俺の言葉を上手く把握してくれなかったらしい。
その首を小さく傾げながら、俺にそう尋ね返す。
その仕草は可愛くて仕方がないが、けれど、今の俺はその感情に浸っている余裕はない。
あまりにも聞きたい事が多すぎて、まずはそれを伝えるのに必死だったのだ。

「とりあえず…俺はどうしてこうやってベッドに拘束されてるんだ?」
「そんなの…私が須賀君の事を愛しているからに決まっているじゃないですか」
「…はい?」

そんな俺の疑問に和はまるで何を当たり前の事をと言わんばかりに答えてくれる。
しかし、それは俺の疑問をさらに深めるだけのものだった。
何せ、俺は和からはっきりと嫌いだと言われていたのである。
そんな彼女が俺のことを愛しているだなんて信じられるはずがない。

「…和が…俺の事を?」
「えぇ…心から…愛しているんです」

そう思って再び尋ねた俺の言葉に、和は頷いた。
力強いその仕草に嘘は見えず…俺の困惑が強くなっていく。
実際、こうして俺の身体に絡みついているのだから…それは本当なのだろう。
少なくとも和は好きでもない男にこんな事が出来るタイプではないのは確実だ。
寧ろ、彼女はどちらかと言えば男性が苦手で、俺に対しても最初はかなり警戒していたのだから。

―― 和が…俺の事を好きだって…?

そんな彼女が示したはっきりとした好意に…俺はどうしたら良いのか分からない。
勿論…嬉しいのは確かなのだ。
未だ和に未練を持ち続けている俺を、その言葉は救われたような心地にしてくれたのだから。
嫌われてなかったという事実に安堵が浮かび、胸をなでおろしたくなるくらいである。
だが、それに浸る事が出来ない理由というのは俺の中には幾らでもあった。

「でも、俺には咲が…」

そう。
例え、部活の空気を悪くしない為のものとは言え、俺は咲と付き合っているのだ。
そして…俺が自意識過剰でなければ、咲は俺の事を好きでいてくれている。
俺が咲の事をそう思っていないのも理解しながらも待ってくれている幼馴染の事を俺は裏切りたくはない。
既に一度、彼女とすれ違っている以上、コレ以上の不義理はしたくなかったのだ。

「勿論、そんな事分かっていますよ」
「なら…」
「だからこそ…こうしているんじゃないですか」
「…え?」

瞬間、聞こえてきた声は底冷えするようなものだった。
さっきまでの甘いそれとはまったく違うそれに俺の表情は強張る。
憎しみと怒りに満ちたそのドロドロとした敵意は勿論、俺に向けられたものじゃないのだろう。
だが、そうと分かっていても、俺の身体が強張ってしまうくらいに…それは恐ろしいいものだった。

「私は咲さんよりも…須賀君の事を幸せに出来ます」

自信に満ちたその声も、俺の知る和からはそぐわないものだった。
決して彼女は自己評価が低い訳ではないが、自信満々という訳ではないのだ。
努力は目標を口にしても、こうして根拠の不確かな自信を口にするようなタイプではない。
それに何より…普段の和ならば前提を履き違えるような言葉を口にはしないだろう。

「…問題はそういう所にあるんじゃないって和も分かっているんだろう?」

確かに…和の言葉は一理ある。
俺は未だ彼女に未練を持っている以上、和と付き合う方が正解なのかもしれない。
でも、既に俺は咲と付き合っているのだ。
未だ俺の事を想い続けてくれている恋人の事を裏切って、和と付き合う事なんて出来ない。
例えどれだけ和の方が優れていたとしても、俺は咲の事もまた大事に思っているのだから。

「…本当に…ダメなんですか?私のものに…なってくれないんですか?」
「あぁ。悪いけど…俺には咲がいるんだ」

これがまだ咲と付き合う前であれば、俺は飛び上がって喜んだ事だろう。
それくらい俺にとって原村和という少女は大きな存在だった。
だからこそ、涙ぐんで震えるような声を紡ぐ彼女に胸が痛む。
しかし、ここで和に甘い顔をしてしまったら…きっと誰もが不幸になるのだ。
それを思えば、ここで未練を断ち切る方がまだ気持ちも楽だろう。

「仕方ない…ですね」

その声は未だ悲しみを滲ませるものだった。
けれど、そこには震えるようなものはなく、涙ぐんでいる訳でもない。
俺の拒絶に傷ついているのは確かだろうが、彼女もこうなる事は予想していたのだろう。
ちゃんと俺の気持ちを理解してくれたのか、和はそっと俺に預けていた上体を起こす。
それに俺は安堵の溜息を吐いて… ――

「え?」

瞬間、俺が驚きの声をあげたのは和がそのまま自分の制服に手を触れたからだ。
そのままゆっくりととボタンを外していくその姿に、俺の目は見開いてしまう。
勿論、俺だってそれを見てはいけないと理解しているのだ。
だが、少しずつ顕になっていく白い肌に俺の鼻息は荒くなり、突然始まった彼女のストリップに目を奪われてしまう。

「ふふ…」
「っ!」

そんな俺が視線を逸らす事が出来たのは誇らしそうな和の声が原因だった。
まるでそうやって俺に見られる事が嬉しくて堪らないというようなそれに俺の顔は赤くなる。
さっきあんなに格好つけたのに…コレじゃクズもいい所だ。
そう思った俺は逸らした先で目を閉じて、情報を遮断しようとする。

―― だけど…布擦れの音はやけに大きくて…。

目を閉じても、俺の意識は和へと注がれているままなのだろう。
彼女が脱いでいるであろう音を敏感に感じ取り、脳へと伝えてしまうのだ。
それを俺は拒絶しようとするものの…やっぱり男の本能というものはどうしようもない。
理性では聞いてはいけないと分かっているのに…どうしても耳を傾けてしまうのだ。

「見ても良いんですよ?」
「み、見ない…!」

そんな俺を誘惑するように和が甘い声で言葉を紡いだ。
聞いたこともないような淫らなそれに身体がウズウズとしてしまう。
けれど、ここで和の姿を見てしまったら、俺はなし崩し的に彼女のことを受け入れかねない。
そうなったら後は三人とも不幸になるような結末しか残されてはいないだろう。
それだけは認める事は出来ないと俺は歯を食いしばり、彼女の誘惑に耐えようとした。

「私は須賀君のものなのに…見てくれないんですか…?」
「ぅ…」

その声は俺の耳元で囁かれていた。
甘く小さなそれはまるで近くに和がいるという事を知らせるようである。
その上…そこに込められた甘い響きが耳孔に反響し、ゾクリとしたものを感じてしまう。
冷たい興奮と言っても良いそれに俺は思わず声をあげながらも、噛み締めた歯を離す事はなかった。

「今…シャツを脱いだところですよ?今、目を開けば…私のブラ…見えちゃいます…」
「……っ」

だが、そんな無反応な俺に和が諦める事はなかった。
俺の耳元に顔を近づけながら、自分の状況を伝え続ける。
ただでさえ甘い声にさらなる艶を加えるその言葉に、俺の興奮は強くなった。
だが、それでも俺は目を開く事はなく、和の誘惑を拒み続ける。

「私の髪と同じ桃色のブラジャー…どうですか?勝負下着なんですけれど…須賀君の意見…聞いてみたいです…」
「……」
「これに反応しないって事は…須賀君は中身にしか興味が無いって事なんですね…もう…スケベなんですから…」
「……」

そんな俺を好き勝手言うのも和の作戦なのだろう。
俺が反論したのを突破口に、こちらの我慢に風穴を開けるつもりなのだ。
そうと分かっているが故に…俺はその言葉に返事を返す事が出来ない。
ただただ沈黙を護り、理性を維持する道しか俺には残されていなかったのだ。

「でも…須賀くんなら…良いですよ…。私のおっぱい…須賀君にだけ見せてあげます…」
「ごくっ…」

けれど、それでも…瞬間、聞こえてきた音に俺の我慢は揺らいでしまう。
何せ、俺の好みのタイプは和のようなおっぱいの大きな女性なのだから。
まさに理想のおっぱいと言うべきサイズを誇る和が目の前でブラを脱ぎ、その乳房を晒していると思うと思わず生唾を飲み込んでしまうくらいだ。
幾ら、咲の事を大事に思っていても…こればっかりはどうしようもない。

「ふふ…そんなに見ようとしないなら…ほらぁ…」
「わぷ…っ」

瞬間、俺の顔に何か柔らかいものが押し当てられる。
ふわふわとマシュマロをもっと柔らかくして張りを銜えたような感覚。
それが肌を擽る度に俺の口から声が漏れ出てしまう。
驚き混じりのそれに歯の根が緩んでしまうのを感じるが…それも仕方のない事だろう。
だって、それは今まで俺の感じたことのないものであると同時に…内心、ずっと憧れていたものなのだから。

―― こ、ここここここれって!?和の…おっぱい…!?

勿論、俺が和の事を好きになったのはそれだけじゃない。
彼女の麻雀に対して真摯な態度や時折、見せる柔らかな態度に惹かれていった方が大きい。
だが、しかし、それでも…決してそれが無関係という訳ではないのだ。
何時か触れてみたいとそう夢想していたそれが今の俺の顔を包み込んでいる。
それを思うとどうしても事実を確認したくなって…目元までが緩んでしまうのだ。

「どうですか…?おっぱいで顔をぎゅってされる感覚は…」

そんな俺の耳元に届いた声にパンツの中のムスコがビクンと反応する。
俺が思い浮かべた想像が決して嘘ではないと知らせるその声にさっきから動悸が一気に強くなっていった。
ドキドキと鼓膜を揺らすようなそれに身体がどんどん熱くなり、股間に血液が集まっていくのが分かる。

「私はちょっとチクチクってしてこそばゆいですけど…でも…須賀君の事感じられて…嬉しいです…」
「う…ぅ…」

それでも目を開かない俺を追い詰めるように、和がそんな殊勝な言葉を紡ぐ。
さっきよりも幾分甘くうっとりとしたそれは、きっと彼女の本心なのだろう。
和はきっと本気で…こうして俺を胸で抱きしめるのを嬉しく思ってくれているのだ。
しかし、だからこそ、俺はそんな彼女を拒まなければいけない。
ここで俺がヘタレてしまったら…傷つけるのは咲だけではなく和も一緒なのだから。

「じゃあ…今度は…スカートを脱いでいきますね」

だが、そんな俺の気持ちを彼女は汲んでくれないらしい。
俺に自身のバストを押し付けたまま囁くように言い放つ。
また一歩、裸へと近づいていく彼女に俺の興奮はさらに強くなり、ムスコが痛いほど勃起を始める。
だが、それは和も同じなのだろう。
少なくとも、柔らかな胸越しに伝わってくる彼女の鼓動は、俺に負けないくらい激しいものだった。

―― それなのに…どうしてだ?

そもそも恥ずかしがり屋な和がこんな事平然と出来る訳がない。
普段の彼女であれば俺に抱きつく事さえ恥ずかしがっている事だろう。
だが、今の和はそれを数段飛ばすようにしてどんどんとエスカレートしていく。
まるで必死に俺の事を絡め取ろうとしているように…その言葉も仕草もどんどんと淫らなものへと変わっていっているのだ。

―― でも…俺にそんな価値なんてないだろ…?

俺は所詮、そこらにいる男子高校生に過ぎない。
体力にはそこそこ自信があるが、勉強は人並み程度だし、顔だって飛び抜けて良い訳じゃない。
少なくとも和みたいに立派な女性に想われるほど凄い奴じゃないのだ。
だが、彼女はそんな俺が欲しくて堪らないと言わんばかりに…恥ずかしいはずなのに…どんどん過激になっていく。

「もう私…ショーツ一枚になっちゃいました…殆ど…裸ですね」

それがどうしても理解出来ない俺に和の声が届いた。
彼女がついにスカートさえも脱ぎ去ってしまった事を知らせる声に俺の鼻息はひときわ荒くなっていく。
そもそも顔を包むように和の胸があるのだから酸欠気味なのである。
その上、興奮を擽るように言われたらそれも仕方のない事だろう。

「んふ…私のおっぱいの中でハァハァって…興奮してくれてるんですね」

だが、それでもそうやって彼女にはっきりと言われるのは恥ずかしい。
勿論、和はそんな俺を嫌ったり失望したりはしないのだろう。
それは嬉しそうなその声音を聞いていれば嫌でも伝わってきた。
しかし、それでもその言葉は男のプライドという下らないものを刺激し、俺の顔をさらに赤く染めるのである。

「それなのに…まだ私の事見てくれないんですか?まだ…宮永さんに義理立てするつもりですか?」
「……」

そんな俺に告げる言葉は俺に縋るようなものだった。
まるでそうやって拒み続ける俺が悲しくて仕方がないというようなそれに俺の胸がズキズキとする。
良心が痛むようなそれに、しかし、俺は従う訳にはいかない。
どれだけ同情心が疼いても、俺だけは彼女に手を差し伸べる訳にはいかないのである。

「…そうですか。それなら…私も…もう遠慮なんてしませんから」

その言葉は何処か冷たいものだった。
まるで覚悟を固めたようなそれに、俺の心は嫌なものを感じる。
しかし、ここで口を開いてはさっきまでの努力が水泡に帰してしまう。
何より、こうして覚悟を固めた彼女に何を言っても無駄だろう。
そう思う俺の耳に最後の布擦れの音が届き…そして彼女が裸になった事が伝わってくる。

「ほら、須賀君の好きな…私の裸ですよ。一糸纏わない…生まれたままの…私です」

それに興味をそそられないと言えば嘘になるだろう。
俺は何度だってそれを妄想し、自分で自分を慰めてきたのだから。
しかし、それがどれだけ魅力的でも、俺は拒み続けるしかない。
それが俺が和に出来る唯一の責任の取り方なのだから。

「じゃあ…須賀君も…私と同じように裸になりましょうね…」
「っ!」

瞬間、聞こえてきたその声はもう躊躇しないものだった。
まるでもう吹っ切れたと言わんばかりのそれと共に、俺の胸元に和の手が伸びる。
それは間違いなく和が俺を脱がそうとしているが故のものなのだろう。
それを拒もうと身体が反射的に動くものの、ガチャガチャという硬質な感覚に阻まれてしまった。

「無駄ですよ。須賀君の四肢はもう全部ベッドに繋いでしまったんですから」

そんな俺に勝ち誇るように言いながら、和は作業を続ける。
一つ一つ丁寧に、まるで味わうようにボタンを外すその仕草に、俺はゾクゾクとしてしまう。
これからされる事への期待を混じらせるその反応を、俺の理性は必死に拒んだ。
しかし、それでも既に身体に点った興奮の熱を消す事は出来ない。

「本当は私も…こうした形じゃなく…愛しあいたかったんですよ…でも…須賀君が私を拒むから…仕方がないんです…」

まるで言い訳するようにそう言いながら、和は俺のYシャツを開いた。
そのまま彼女は俺の肌着に手を入れ、それをゆっくりと上へと動かしていく。
そんな和の手と擦れる俺の肌がゾクゾクするのを堪えながら、俺は必死にどうすれば良いか考えていた。
何せ…聞いている限り、和はもう…俺とセックスする腹を決めてしまったのだから。

―― そんなの…認められる訳ないだろ…!

それは決して和のことが嫌いだからとかじゃない。
寧ろ、大事に思っているが故に…俺はそうやって彼女とセックスする事を認められなかった。
恋人がいるのに違う女性とセックスするだけでも不誠実なのにそれは俺を引き止めるだけのものなのだから。
それがまだ効果的ならばまだしも…身体を重ねた程度で心変わりするはずがない。
つまり和が今からやろうとしている事は無意味で…まったく無駄な事なのだ。

「っ!止めてくれ…!そんな事したって俺は…」
「分かってますよ…えぇ…分かってます…」

結局、我慢できずに静止を訴える俺に和も理解してくれたのだろう。
肯定の言葉の言葉を返しながら、その身体をそっと離した。
瞬間、俺の顔を埋め尽くしていた彼女の乳房が消え、息苦しさが消える。
それに安堵した瞬間、和の顔が下へとずり下がり、その手がベルトに掛かった。

「須賀君も…私とエッチしたいんですよね…?ここももう…こんなになってます…」
「それ…は…」

そう言う和の視線は俺の股間へと注がれていた。
さっきからガチガチに勃起したままのそれは制服をぐいぐいと押し上げ、その存在を主張している。
和の言葉を肯定するようなその反応に、俺はどう返して良いか分からなくなった。
けれど、その間も和の手はカチャカチャと作業を進め、俺からベルトを剥ぎ取っていく。

「須賀君なら…良いですよ。私…愛してますから。須賀君の事…大好きですから。だから…」
「そんな事したって…無意味だって…分かってるだろう!」
「無意味なんかじゃありませんよ。私が須賀君の初めてになって…私の初めてが須賀君になるんです。それだけで幸せになれるんですから」

それでも何とか説得しようとする俺の言葉は和にはまったく届いていない。
まるでそれだけが自分の残された道だと言わんばかりに…それだけしか見ていないのだ。
そんな痛々しい和の姿に胸が痛むが…このままではお互いに不幸な結果しか呼ばない。
それを防ぐ為にも…俺は何としてでもここで和を思い留まらせなければいけないのだ。

「お、俺は…初めてじゃない」
「…え?」
「俺は童貞じゃないって…そう言ったんだ」

そんな俺の脳裏に浮かんだのは、さっきの和の言葉を否定するものだった。
勿論、これまで咲以外に女性に縁のなかった人生を送ってきた俺が童貞じゃないはずがない。
咲相手にも答えを出せないままの状態が続いている俺は、自分からキスをした事だってないのだから。
けれど、それでも和を思い留まらせる可能性があるのなら…嘘だって吐いてやる。
そう思っての言葉に和の身体は強張り、まるで凍ってしまったかのように固まった。

「嘘…ですよね?そんなの…冗談ですよね?」
「…嘘じゃない。本当の…事だ」

数秒後、和が紡いだのはまた震えるような声だった。
不安定で落ち着かないその声音は、彼女の苦しみと悲しみをストレートにぶつけられているようである。
それに心がグラグラと揺らぐが、その嘘は吐き通さなければいけないものだ。
和の為を思うなら…決して曲げてはいけない嘘なのである。

「嘘…嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘ウソウソウソウソウソウソウソウソうそうそうそうそうそうそうそうそうそ…」
「の…どか…?」

だが、それは思った以上に…和を追い詰めるものだったらしい。
ベルトに触れていた手で顔を覆いながら、和はひたすら、ウソだと呟く。
まるで壊れたテープのようなその反応に俺の背筋はゾワゾワとした寒気を感じた。
それはさっきのような興奮ではなく…怯えなのだろう。
俺は今、目の前の和に…つい昨日まで何処にでもいる普通の女の子だったモノに怯えているのだ。

「ふふっ…あは…あははははっ」

そんな俺に答えたのはタガは外れたような笑い声だった。
明るい感情でこれでもかと彩られたそれには気味悪さしか感じない。
それはきっとそこにはあるべき理性や意思というものがなく…ただ感情しかなかったからだろう。
まるでケダモノのあげる笑い声のようなそれに…俺の怯えは強くなった。

「須賀君の初めてが奪われた…また…また宮永さんに…あの人に奪われた…っ!」

そこでようやく俺は自分の失策を悟った。
俺の言葉は和を思い留まらせるどころか…追い詰めるだけだったのである。
だが…そんな事を今更理解したところでもう遅い。
俺の言葉で…さらにおかしくなった和は…その濁った目を俺に向け…ニィと笑った。

「それなら…私はそれ以上に…気持ち良くしてあげますから…」
「和…」

嘘だと…俺はそこで言うべきだったのだろう。
けれど、目尻に涙を浮かべながらも…笑う彼女に…それを言って良いか分からなかった。
そんな事を言えば…また和を追い詰めるだけなんじゃないだろうか。
そう思うと俺は彼女の名前以外に何も言えず…沈黙を続けてしまう。

「そうじゃないと…また奪われちゃう…また取られちゃう…それは嫌…嫌…」

そんな俺の前でブツブツと呟く彼女の手が…俺のズボンを脱がし切った。
後に残るのははパンツだけで…他にはもう何もない。
だが、それを理解していても…俺は次に何をすれば良いのか分からなかった。
手錠は頑丈で…説得もろくに通じない。
そんな彼女を思い留まらせるに足るものなんて…俺にはもう思いつかなかったのだ。

「ふぁん…っ」

数秒後、俺はついに下着までズリ降ろされ、彼女の前にムスコを晒してしまう。
血管が浮き出るくらいにバキバキに張ったそれは下着からブルンと飛び出し、ピクピクと震える。
まるで早く触って欲しいと訴えるようなそれは、今まで自分でも見たことがないほど興奮していた。
それは恐らく初めてのセックスの予感が力を与えているのだろう。
そんな情けないムスコを理性が抑えようとするが、反り返ったそれは萎える気配さえも見せなかった。

「これが…須賀君の…」

そんなムスコの姿に和はゴクリと喉を鳴らす。
まるでその迫力に飲み込まれているような反応に俺は神に祈った。
出来れば和がここで怖気づいて欲しいと…思いとどまって欲しいと…信じてもいない神に…心から祈ったのである。

「じゃあ…まずは…指でご奉仕しますね…」
「うあ…ぁ」

だが…普段から不心得者な俺の祈りなんて神様に通じるはずがない。
和が固まっていたのも数秒の事で…その後には彼女の手が俺のムスコに触れる。
自分のものとは比べ物にならないほど柔らかいそれにビリリと強い快感が駆け上がった。
それに理性が何とか堪えようとするものの…ギリギリまで張った男性器の欲求は決して堪えきれるものではない。

「絶対に…宮永さんより気持ち良くしますから…だから…だから見捨てないで下さい…」

―― 結局、薄れゆく理性の中でそう縋る言葉を聞きながら…
俺は幾度となく彼女に射精させられ、その身体を無理矢理、味あわせられたのだった。