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―― その日からの私はどうにも現実感のない日々が続いていました。

頭の中が妙にふわふわして、思考をきちんと纏める事が出来ません。
まるでずっと夢の中にいるように頭の中が鈍いのです。
しかし、私の目ははっきりと冴えていて、寧ろ、中々、眠る事が出来ません。
結果、寝不足ではありましたが、私の身体はそれを表に出す事はありませんでした。

―― いえ…それだけではありません。

そんな覚束ない思考とは裏腹に私の身体は平静でした。
ふわふわとした私の頭にはそぐわないくらいしっかりとしていたのです。
まるで心と身体が切り離され、身体だけが勝手に動き出しているような感覚。
しかし、それは私にとって決して嫌なものではありませんでした。

―― だって…私には…もう余裕なんてなかったのです。

あの日…須賀君につい「嫌い」と言ってしまった日から…既に一週間ちょっとが経過していました。
その間、私が曲がりなしにも普通に生活してこれたのは、そんな自分の変調のお陰です。
それがなければ、きっと私は部屋に閉じこもったまま外に出る事はなかったでしょう。
私にとってあの日の出来事はそれくらいに衝撃的であり…そして立ち直れていなかったのでした。

―― 今だって…どうすれば良いのかずっと…考えているんです。

私はあの時…須賀君を傷つけてしまいました。
間違いなく嘘を吐き…要らぬ誤解をさせてしまったのです。
まずはそれを解消しなければ、どうにもなりません。
しかし…一体、あの時の事をどうやって彼に説明すれば良いのか私には分かりませんでした。

―― いえ…本当は…分かっているんです。

本当に私がするべきなのは、こうしてうじうじとあろうはずのない『答え』を求める事ではありません。
そんな事をするよりも先に私は彼に謝罪し、自分の心を全て彼に伝えなければいけないのです。
そう分かっているのに…実行に移す事が出来ないのはそれが私の醜い部分を須賀君に見せる行為だからでしょう。
須賀君に嫌われたくないという感情が私の中でブレーキとなり、結果的に私に二の足を踏ませていたのです。

―― それに…須賀君は思いの外、冷静で…。

次の日、須賀君は普通に登校し、普通に部活へと顔を出しました。
その間、私たちの間に一切会話がありませんでしたが、彼が傷ついている様子はありません。
一体、どれが演技なのか、或いは本当に気にしていないのかは私には分かりません。
しかし、そうやって何事もなかったかのように振る舞う須賀君の姿が私にとっては辛く…そして苦しい事だったのです。

―― 私の事…好きだって言ってくれたのに…。

先日の事をまったく気にしていないかのような彼の姿に…私は胸の痛みを抑える事が出来ませんでした。
だって…私はこんなにも彼の事を気にしているのです。
一体、どんな風に謝れば良いのか…どうやって説明すれば良いのかを考えなかった時間はないくらいなのですから。
しかし、須賀君はそんな私に興味が無いかのように振舞い、視線すら合わせてはくれません。
そんな彼に…私は余計どうしたら良いのか分からなくて…ろくに声を掛ける事すら出来なかったのです。

―― しかも…問題はそれだけではありません。

以前のストーカー事件から、父は本格的に引越しを考え始めました。
けれど、東京の進学校を勧めてくれる父に対して、私は首を横に振ったのです。
確かにあんな事件こそありましたが…私はゆーきや須賀君のいるこの長野が嫌いではありません。
それに進学校になんて行ってしまったら…麻雀なんてする余裕はなくなるでしょう。
勿論、それが長い目でみれば正しい事なのかもしれませんが、しかし、素直に従えるはずがありません。

―― だから…私は父に交換条件を出しました。

もし、高校でも全国優勝出来れば…長野に残る事を考える。
頑固者ではありますが、検事らしい真っ直ぐさを持つ父がその約束を違えるはずがありません。
そして逆に言えば…私が優勝出来なければ、引越しによって私は東京に行かされる事になるでしょう。
それは…それは決して我慢なりません。
幾ら子どもっぽい感傷とは理解していても…私は中学からの親友であるゆーきとも…
そして高校から友人になれた須賀君とも別れたくはないのです。

―― その為に…宮永さんを利用するのは少しだけ…気が引けました。

宮永さんの強さは今まで私が見てきた誰のものよりも異質なものです。
常識が通用しない並外れた運や、牌を見通しているような打ち筋は、天賦のものと言っても良いでしょう。
しかし、今の私には…その力が必要不可欠なのです。
私が全国に行って…父との約束を護る為に…そして須賀君と仲直りする時間を作る為に…麻雀部に入ってくれた彼女の力が必要でした。

「…ふぅ」

アレだけ嫌っていた彼女から力を借りなければいけない情けない自分。
それにため息を漏らしながら、私は強い無力感と自分に対する怒りを感じます。
それに頬が微かに紅潮しますが、さりとてその感情はなくなりません。
今の私にとっては…自分の姿というのはそれくらい惨めで…そして酷いものだったのです。

―― こんな風に誰かを利用するような人になんてなりたくなかったのに…。

しかし、決して譲れないものを護る為にそうしなければいけません。
どれだけそれにプライドが傷ついても…私はそれ以上に二人の事が大事だったのです。
結果として何の非もない宮永さんには悪い事をしてしまっていますが、私にはコレ以上に冴えたやり方なんて思いつきません。
そんな私に呆れたのか、ここ最近はゆーきもあまり話しかけてはくれなくなり…須賀君の元へと寄る姿を良く見かけました。

―― 私は…。

そうやってゆーきが失望するのも無理はないでしょう。
それくらい…ここ一週間の私は酷いものだったのです。
しかし、事情全てをゆーきに伝えてしまったら余計に失望されるかもしれません。
そう思うと私はゆーきの事を引き止める事も出来ず…最近は独りでいる事が多くなりました。

―― …あれ?

それに再びため息が漏れそうになった瞬間、私の携帯がカバンの中でブルリと震えました。
ふとそちらに視線を向ければ、そこには着信を伝える画面が表示されています。
既に時刻の昼休みとなり、教室で平然と通話している人もいるので、それは問題ではありません。
ただ、私が気になったのはそこに表示されている名前が…―― 

―― …宮永さん…?

少しずつ疎遠になるゆーきとは入れ違いになるように少しずつ仲良くなっていった彼女。
しかし、それは決して本心からのものではなく、宮永さんを利用している後ろ暗さからでした。
私は未だに彼女の打ち方に対して怒っていますし、色々と奪われた事に対しても不満を覚えています。
けれど、それを隠しながら接近すれば、彼女は屈託のない笑顔を見せてくれるようになりました。
そんな彼女に申し訳なさを感じながらも、私は今日、昼食を一緒にする約束をしたのです。

―― それなのに…どうして今?

昼休みになった今、私たちは後数分も経たない内に顔を合わせる事になるのです。
私と話がしたいなら、その時にすれば良いでしょう。
しかし、それでもこうして電話が掛ってきたという事はきっと彼女にとって急を要する何かのかもしれません。
それが何かは分かりませんが、無視する訳にはいかないでしょう。

「…もしもし」
「あ、原村さん?」

そう思って通話ボタンを押した私に、宮永さんの声が届きました。
ここ最近、私に対する硬さが徐々に失われていくその声に私の胸はまたも痛くなります。
けれど、ここ最近で平静を装う事ばかり上手くなった私はそれを表に出したりはしません。
いつも通りの原村和を演じ、まゆ一つ微動だにさせないのです。

「えっと、そっちに京ちゃんいるかな?」
「須賀君ですか…?」

尋ねる宮永さんの言葉は本来であれば、即答出来るものでした。
ここ最近、彼の姿をさらに目で追うようになった私には、彼が既にゆーきと一緒に教室を出て行った事くらい分かっているのですから。
その手には何も持っていなかった辺り、多分、学食にでも行っているのでしょう。

「いえ…もう教室から出たみたいです」
「そっかぁ…まったく…京ちゃんったら…」

「仕方ないなぁ」と言いたそうな宮永さんの言葉に私は小さく…ほんの小さく自分の歯を噛み締めました。
だって…それはまるで私に須賀君との付き合いの長さを魅せつけるようなものだったのですから。
幼馴染という絶対的なポジションにいるが故に放たれるそれに私の感情は一気に燃え上がります。
怒りや悔しさ、そして不公平感混じりのそれは私の仮面から僅かに漏れだし、そうやって身体を微かに強張らせてしまうのでした。

「えっと…それで一つ聞きたいんだけど…」
「なんでしょう?」

とは言え、それを宮永さんにぶつけてもなんにもなりません。
彼女に悪意はない訳ですし、何より、私は宮永さんに大きな借りを作っている状態なのですから。
ここで彼女の機嫌を損ねるような真似は出来ませんし…何よりそれを心苦しいと思う気持ちは私にもありました。
結果、私は平静そのものの言葉で宮永さんに聞き返し、彼女の答えを待つのです。

「今日のお昼、京ちゃんも一緒で良いかな?」
「え…?」

しかし、そんな私でも…それは平静を装う事が出来ないものでした。
いえ…そんなの私じゃなくたって平静でいつづける事は出来ないでしょう。
だって、宮永さんがそんな事を口にするなんて予想出来る人なんて・・・きっと何処にもいないのですから。

「あの…京ちゃんがご一緒させてくれないかって…」
「ほ、本当ですか!?」

それだけでも頭の中が一杯でどうすれば良いか分からない私。
それが次の瞬間、歓喜へと変わったのは、宮永さんの言葉があまりにも嬉しかったものだからでしょう。
ついつい平静の仮面を投げ捨て、思いっきり食いついてしまった自分に頬が再び朱を混じらせます。
ついさっきまでからは想像もつかない自分の姿が恥ずかしくありますが、私の胸の動悸は収まらず、ドキドキと激しく脈打っていました。

―― 須賀君も…私と一緒を…望んでくれている…。

その言葉がジィンと私の胸を震わせ、目尻を微かに濡らします。
強い感動にも似たその歓喜は…ここ一週間の私の苦悩を覆すものでした。
アレだけ心を重く沈ませていた感情がぱっと消え、胸が軽くなるのを感じます。
この一週間で一番嬉しいそのニュースに、私は胸を躍りだしそうなくらい喜んでいたのです。

「う、うん…」
「そ、そう…ですか…」

そんな私に気圧されるような宮永さんの声が電話口から聞こえてきます。
それに浮かれっぱなしであった自分への気恥ずかしさが強くなり、ついつい言葉を詰まらせてしまいました。
けれど…それでも私の胸にゆっくりと広がっていくその暖かさは変わりません。
いえ、寧ろ、それが言葉として出てこない分、私はそれを強く実感し…久方ぶりの暖かな感情にゆっくりと浸る事が出来たのです。

―― でも…それならそうと…はっきり言ってくれれば良かったのに…。

その感情に身を委ねる私の胸から出てきたのは、須賀君に対する微かな不満でした。
そうやって私と一緒に食事をしたいのであれば、彼から言ってくれればそれで良かったのです。
そうすればきっと私は宮永さんから伝えられた今よりもきっと喜ぶ事が出来た事でしょう。
しかし、彼は思った以上にシャイで…そして、きっとその分、傷ついていたのです。
少なくとも…私に対して直接、昼食を誘えないくらいに。

「あ…え、っと…大丈夫だから!」
「…え?」

ならば、今度はこっちの方から近づいて…仲直りをしてあげなければいけない。
そう思って肯定の言葉を返そうとした瞬間、宮永さんはそうやって声を返しました。聞こえてきた声に私は思わず首を傾げてしまいました。
主語のない宮永さんのその言葉は私にとって理解が及ばないものだったのです。
さっきまで歓喜に浸り、ひたすらに沈黙を返していた訳ですし、文脈的にその主語を悟る事は無理でしょう。

「えっと…その…何て言うか…」

しかし、そんな私の疑問に返すのは勿体つけるような宮永さんの言葉でした。
それに微かな苛立ちを感じるのは、私が早く彼と一緒に食事をしたいからでしょう。
一秒でも早く須賀君と仲直りしたい私にとって、彼女のその逡巡は鬱陶しいもの以外の何物でもありません。
それでも、早く結論を出して欲しいと胸中でだけそう急かしながら、私は辛抱強く彼女の言葉を待ったのです。











「私、京ちゃんと付き合ってるから」












―― 何を…言っているんですか…?

それを聞いた瞬間、私は聞き間違いだと思いました。
だって…須賀君は私の事を好きだって…遠回しではあれど好きだってそう言ってくれたのです。
それから少し経って…私は彼のことを嫌いだと…そう言っているところを目撃されてしまいました。
それに彼は傷つき、そして悲しんだ事でしょう。
しかし、だからと言って、彼がそう易々と他の女性に乗り換えるような人だとは思えなかったのです。

「…冗談…ですよね?」

だからこそ、私はそう尋ねました。
その声が狼狽を浮かべるように震えるのも構わず、私は宮永さんにそう聞き返したのです。
そこにはもう自分を取り繕うとする意思はもう殆どありません。
あるのはただ、この理不尽な情報が嘘であって欲しいという祈りにも似た感情だけ。

「ううん。本当だよ」

けれど、そんな私の祈りは何処か照れたような宮永さんの言葉に粉々に砕かれてしまいました。
私の微かな希望すら閉ざすその言葉に頭の処理が追いつきません。
脳裏を埋め尽くすのは信じられないという感情ばかりで、まったくそれを論理的に片付ける事が出来ないのですから。
その弊害は足元にも現れ、私の身体がクラリと揺れてしまいます。
恐らく椅子に座っていなければその場に倒れ込んでいたであろうと思うほどのそれに私はひとつの結論を出しました。

―― あぁ…そう…これは…夢なんですね。

だって…だって、こんなのあり得るはずがありません。
須賀君は私の事が好きだったのに、宮永さんと付き合うだなんてそんな事はないのですから。
本当の彼はきっと今も傷ついたまま…私と仲直りする事を望んでくれているのです。
これはきっと須賀君を信じきれなかった弱い私が見ている夢で…だから…早く冷めないと… ――

「でも…どうして?」
「…え?」
 ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「どうして、そんな事聞くの?」

そう思う私の思考に冷水を掛けたのは…宮永さんの冷たい言葉でした。
さっきまでのはにかんだような温かい言葉とはかけ離れたそれに私の背筋がゾクリとしたものを感じます。
まるでひとつ選択肢を間違えれば、自分の命がないようなその恐ろしさに私の口は怯えたように動きません。
 
「原村さんは…京ちゃんの事なんて嫌いなんだから…誰かと付き合ってくれた方が都合が良いんだよね?」
「っ…!」

その言葉は私の胸の弱い部分を貫くました。
まるで狙ってその部分を抉るようなそれに私は歯を噛み締めました。
本当は…私だって色々と反論したいものがあったのです。
あれは誤解だったのだと…本心ではなかったのだと…そう弁解したい気持ちで一杯でした。
しかし、私にそんな事を言う資格はないのだと突き放すような宮永さんの言葉にどうしても言葉が出てこないのです。

「それについこの前までストーカーに付きまとわれてたんでしょ?だったら、京ちゃんもそうなるかもしれないって怖くて仕方がないよね」
「そ…んな…」

そんな事はありません。
私が心配していたのは須賀君を傷つけてしまった事だけで、彼がストーカーになるだなんてまったく考慮していなかったのですから。
入学してからこれまで色々あったお陰で私は彼の良さを知っているのですから。
優しくて暖かくて…時々、お調子者だけど憎めない…須賀君の良さを。
そんな私にとって、彼がストーカーになる姿なんて想像も出来ず、必死に否定の意を返そうとしました。
      ・ ・ ・ ・
「だから、安心して。京ちゃんはもう原村さんに興味がないみたいだから」

しかし、そんな私の言葉が聞こえていないのか、或いは聞こえていて無視しているのか。
私の言葉を遮るように放たれた宮永さんの言葉は心を抉ります。
アレだけ一緒に居て…可愛いって…好きだって言ってくれたのに…興味が無いだなんて信じられません。
しかし…それを否定するだけの明確な証拠は…私にはありませんでした。
須賀君の幼馴染であり、今現在、再び恋人という地位に復権した彼女の言葉を覆すような何かなんて私にはないのです。

「でも、京ちゃんも麻雀部で原村さんとギクシャクするのは嫌みたい。だからコレを期に仲直りしたいってそう思ってるみたいだよ」
「そっそうですか!」

それに項垂れそうになる私に届いた宮永さんの言葉。
それに私は声を上擦らせ、俯きがちになっていた顔をそっとあげました。
だって、それは須賀君が私の事を、ちゃんと考えてくれているっていう証なのですから。
興味が無いなんて宮永さんの口からでまかせで…本当は私の事を気にかけてくれているのです。
いえ、もしかしたらさっきの恋人云々だって、宮永さんが嘘を吐いていたのかもしれません。
ううん…きっとそうに違いないのです。

―― 須賀君は…須賀君はそんな風に軽い人じゃありません。

確かに金髪で表情がコロコロと変わる彼は決して硬派には見えないでしょう。
しかし、その実、麻雀という難しい競技対する姿勢は、決して軟派なものではありません。
寧ろ、とても真摯で真正面から向き合い、私達からも色々なものを吸収しようとしているのが伝わってくるのです。
そんな彼が…そうホイホイと好きな相手を変えるはずがありません。
きっとそれらは全て宮永さんの冗談だったのでしょう。

          ・ ・ ・
「うん。だから…お友達として仲良くする為に皆で一緒に食べないかな?勿論、原村さんさえ良ければ…だけど…」
「い、行きます!」

その瞬間の私にとって宮永さんの奇妙なアクセントはまるで気にならないものでした。
それよりも私と仲直りしたいと思ってくれている須賀君に早く会いたくて仕方がなかったのです。
今の私にとって多少の違和感よりも優先するべきは私が傷つけた須賀君の事だったのでした。

「じゃあ、学食前で待ってるから…またそこで落ち合おうね」
「分かりました」

宮永さんの言葉に頷きながら、私はそっと携帯の通話を切りました。
そのまま携帯を握りしめながら、私はカバンから自分のお弁当を取り出すのです。
宮永さんと昼食を一緒にする約束をしていたので大目に作ったそれはあまり気合を入れて作った訳ではありません。
それを内心、強く後悔するのは、もしかしたらそれを須賀君も食べてくれるかもしれないからです。
こんな事になるのならば、以前みたいにちゃんと数日掛けて準備しておくのだったと胸中で言葉を漏らしながら、私は椅子を立ち上がり食堂へと向かいました。

―― まずは…どういうべきでしょう…?やっぱり…ごめんなさい…でしょうか…?

その道中で胸中に浮かぶ言葉は悩ましいものでした。
仲直りのキッカケこそ出来たものの、私はどうやって彼に謝罪すれば良いのかまったく考えていなかったのですから。
勿論、この一週間近くずっと考え続けていたその答えが簡単に出てくるはずがありません。
しかし、今までと大きく違うのはそうやって悩む感覚もまた嬉しく、足取りも軽いという事でしょう。

―― そう…須賀君も仲直りするのを望んでくれているなら…何も恐れる事はないんです。

私から謝罪する必要はあるでしょう。
誰がどう見たって、例の一件は私が悪いのですから。
しかし、須賀君も仲直りする為の姿勢を求めてくれているのであれば、何も恐れる事はありません。
きっと彼もそれを受け入れ、またいつも通りの関係に戻る事が出来るでしょう。
そうなったら…もう須賀君にとって、宮永さんなんて用済みです。
本当に好きな私が手元に戻ってきてくれたのですから、無理をして宮永さんの冗談に付き合う必要なんてなくなるのですから。

「あ…」

そんな私の視界に映ったのは学食の入り口に立つ須賀君の姿でした。
スラリとした長身を見せびらかすように立ちながら、その手に袋入りのお弁当を持っています。
恐らく何処かのコンビニで買ったのであろうそれはあまり健康に良くありません。
そういったお弁当は保存料や着色料が一杯で発ガン物質だって入っている事があるのですから。
そんなものよりも私のお弁当を食べて欲しい。
そう思いながら、私は駆け出すようにして須賀君に近づきました。

「ばーか。心配すんなって」
「ふにゅぅ…」
「…え?」

そこで私はようやく彼の傍にいる宮永さんの存在に気づきました。
須賀君の手で頬を伸ばされるその目は不満そうです。
しかし、それが何処か嬉しそうでもあるのは、それだけ彼女が彼に心を許している証なのでしょう。
そう思った瞬間、近づく私の足は鈍り、その場にそっと立ち尽くしてしまうのです。

「別に…和とは何でもねぇよ。だから、心配すんなって」
「れも…」

そんな私の存在に二人はまだ気づいていないようでした。
まだお昼休みも始まったばかりで学食前は人通りが少なくないということもあるのでしょう。
二人の視線はお互いにだけ向けられ、そう言葉を交わしていました。
まるで世界が自分たちだけのような二人の姿に私の胸が痛みますが、さりとて、私はそこに近づく事は出来ません。
何せ…須賀君の口から漏れる言葉の中には私の名前があったのですから。
盗み聞きになるような形になるのが心苦しくはありますが、必要以上に気まずくならない為にも今は顔を出せません。

「アレだけてひどく拒絶されたら未練なんか残せないっての」
「っ…!」

瞬間、聞こえてきた声に私の胸が張り裂けそうになりました。
だって…それは私の言葉が彼をそれだけ傷つけていたという証なのですから。
いえ…それだけであれば…それだけであれば、まだ私はその痛みを受け入れる事が出来たでしょう。
しかし…実際には…彼はもう…私に『未練なんか残せない』って…私の事を好きじゃないって…そう言ったのです。

―― 嘘…でしょう?

それを信じられる人が…一体、どれだけいるでしょうか。
喜びから一転、絶望へと突き落とされる感覚に私は目の前がグラリと揺れました。
視界も急激に胡乱になり、足元がまるでこんにゃくでも踏みしめたかのようにグニャリとします。
しかし、それでもはっきりと須賀君たちの姿だけは私に認識され…ぼやけた世界の中で浮かび上がっているのです。
まるでそこだけは別格なのだとそう言うような自分の反応に、私はどうしたら良いのか分からず、立ち尽くしてしまいました。

「本当…?」
「本当だ。嘘じゃねえよ」
「……」

そんな私の前で宮永さんは小さな沈黙を続けました。
まるで次に何を言うのか迷っているようなそれが…私が介入する最大のチャンスなのでしょう。
またここで二人が会話を始めれば何とも話しかけづらくなってしまうのですから。
しかし、そう分かっていても、須賀君がもう私の事なんて好きではないと言った言葉は…あまりにもショックだったのです。
どれだけ自分を叱咤してもその足は動かず、まるで縫い付けられたかのように床から離れませんでした。

「じゃあ…手を…握ってくれる?」
「ん?それくらいお安いご用だけど…」
「…ちゃんと恋人繋ぎで」
「いきなりハードルあがったなおい」

そんな私の前で宮永さんがそっと手を出しました。
手のひらを下にして須賀君へと伸ばしたそれはまるで何かを要求しているようです。
いえ…実際…彼女は要求しているのでしょう。
恋人かそれに近しいくらい仲の良い関係ではないと出来ない恋人繋ぎを…彼女は要求しているのです。

「ま、それくらいで信じてもらえるなら安いもんだけどさ」
「あ…」

そう言いながら須賀君は宮永さんの手を掴みました。
その指と指と絡ませあいお互いの手の甲をガッチリと掴むのです。
二人が尋常ではない仲だと伝えるそれに…私の胸はもう限界でした。
許容値を超えた痛みを酸素で誤魔化そうとするように、はぁはぁと荒く息をつき始めるのです。
しかし、それでも私の痛みは消えず、胸の奥をかきむしりたいほどの辛さが私の全身を揺さぶるのでした。

「えへへ…」
「んだよ。そんなに嬉しいもんか?」
「そりゃ…女の子の憧れだもん。当然でしょ?」
「そういうもんかなぁ…」

そんな私の十数メートル先にいる宮永さんはとても幸せそうでした。
さっきまでの心配そうな表情を何処へやったのかと言いたくなるほどに…その表情は蕩けていたのです。
それはきっと…今、手を繋いでいる須賀君が、好きで好きで堪らないからなのでしょう。
病室で話を聞いていた限り…宮永さんは恐らく別れてからもずっと須賀君の事が好きだったのです。

―― そこは…そこは私のものだったのに…っ!

そうやって須賀君を恋人繋ぎをするのは私のはずでした。
彼が好きだと言ってくれた…私のはずだったのです。
しかし…現実、彼がそうやって手を許しているのは私ではありません。
一度、彼を捨て、別れた宮永さんなのです。

―― どうして…どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして…!?

勿論、その理由は私にも分かっていました。
宮永さんに付け入る隙を作ってしまったのは私の方なのです。
しかし…それでも私は目の前の現実を信じる事が出来ません。
何処か夢見がちなふわふわとした落ち着かなさから、これが夢であるとさえ思っていたのです。

「あれ…和?」
「あ…」

そんな私の思考が現実へと戻ってきたのは須賀君が私に気づき、近寄ってくれたからでした。
それに顔をあげれば、二人の手はもう繋がれてはいません。
いえ…きっと最初から二人は恋人繋ぎなんてしていなかったのでしょう。
アレは私が見た幻覚であり、さっきの会話も幻聴でしかありません。
そう思ったら痛みで荒れた呼吸も落ち着いていきました。
勿論、さっきのショックが大きすぎてまだ平静とは言えませんが、平静を装うくらいは出来るようにはなっていたのです。

「すみません。遅くなりました」
「ううん。気にしないで」

そう謝罪をする私に答えたのは宮永さんの方でした。
にこやかなその笑みは微かに紅潮しています。
もしかしたら宮永さんは体調が悪いのかもしれません。
或いは昼の陽気にあてられたのかのどちらかでしょう。
少なくとも、さっき須賀くんと恋人繋ぎをしていたのを見られていたのが恥ずかしいなんて事はないはずです。
さっきのそれはあくまで私が見た幻覚であり、現実とは程遠いフィクションなのですから。

「んじゃ三人揃ったし、そろそろ行こっか」
「そうだな」
「はい」

そう言って歩き出す須賀君の横に私は並ぼうとしました。
しかし、それよりも先に宮永さんはすっと左隣に並んでいた宮永さんがそっと左へと寄っていくのです。
結果、須賀君はそれに押されるようにして左端へと追い詰められ、彼の隣が塞がれてしまいました。
お陰で私は宮永さんの隣に立つしかなく…須賀君との距離にやきもきするしかなかったのです。

―― その上…会話も宮永さんと須賀君ばっかりで…。

これが間に入っているのがゆーきであれば私にも会話を振ってくれたのでしょう。
しかし、今、私達の間にいるのは、気心の知れた親友ではなく、利用する為に友人のふりをしている宮永さんなのです。
そんな彼女が私に気を遣ってくれるはずもなく、会話の殆どは二人の間で始終していました。
それに疎外感を感じる私に、須賀君は何度か視線をくれますが、何も言ってはくれません。
まるでどうすれば良いのか逡巡を浮かべている間に、宮永さんの話題に答えなければいけなくなるのです。

―― 別に…それくらい構いません。

その程度で拗ねるほど私は子どもではないのですから。
こうして仲直りを求めてくれたのが須賀君である以上、幾らでも仲直りするチャンスはあるのです。
そうなったら…宮永さんの独壇場にはなりません。
私だって以前のように須賀君と仲良く会話を楽しむ事が出来るのですから。
もう目前に迫っているであろうそれを前にして、一々、目くじらを立てるほど、私は愚かしくないのです。


「おっそーい!もうはらぺこだじょっ」
「なんだ、タコス娘もいるのかよ」
「なんだとはなんだ」

そうやって中庭の集合場所に着いた私達を迎えてくれたのはゆーきでした。
昼休みになってすぐに教室を飛び出していったのは、恐らく場所をとる為なのでしょう。
日差しの良い芝生の真ん中を青地のシートが占領しています。
そんな彼女に私たちは謝罪しながら腰を降ろし、各々のお弁当を広げるのでした。

「咲は学食のおにぎりだけか?」
「作るの忘れちゃって…」

須賀君の言葉に恥ずかしそうに返す宮永さんの昼食はお世辞にも多いとは言えませんでした。
金欠なのか学食のおにぎり一個しかないのは女の子もでも満たされません。
きっと放課後になった頃にはお腹が空いて、麻雀にもちゃんと集中出来なくなるでしょう。

―― 仕方ない…ですね。

「よろしければいかがですか?多めに作ってきました」

そう言って、私が宮永さんにお弁当を差し出すのは、また不甲斐ない打ち方をされると困るからです。
もう県予選までそれほど時間がある訳でもないのに、時間を無駄にされたくはありません。
他力本願のようで自分に苛立ちを感じますが、もし、全国で宮永さんのような打ち手と出会ったら…勝てる自信がないのです。
もし、そんな相手と出会ってしまった時の為にも…宮永さんには出来るだけ実力をつけて貰わなければいけません。

―― それに…。

そう思いながらチラリと須賀君に目を向ければ、彼は私のお弁当を羨ましそうに見ていました。
ストーカー事件の際、私の料理を何度か食べている須賀君にとって、それは美味しそうに思えるのでしょう。
そんな彼に小さく笑みを浮かべる私が…彼を無下には扱うはずがありません。
寧ろ、宮永さんにそれを薦めたのは、須賀君にそれを薦める下地を作る為でもあるのですから。

「おいしい!原村さんは料理上手だね!」
「ぅ…」

しかし、その瞬間、宮永さんは私に屈託のない笑顔を向けてくれました。
一点の曇もないその笑みは、計算ずくで彼女に薦めた私の後ろ暗さをジリジリと刺激します。
自然、自分と対比してしまう彼女の笑みに私はズキンと鋭い痛みを感じました。
それと共に沸き上がってくる自己嫌悪や羞恥の感情が私の頬を紅潮させるのです。

「く…空腹のせいで部活で負けられても困りますから…」
「のどちゃんは私の嫁だからな!」

そんな私が言葉を紡いだ瞬間、ゆーきがかぶせるようにそう言いました。
ぐっと握り拳を作りながらのそれに私は思わず笑みを浮かべてしまいます。
冗談めかしたゆーきの言葉に私の中のもやもやとした感情は大分、薄れていきました。
勿論、それを狙った訳ではないでしょうが、それでも素直にありがたいと、そう思えるのです。

「よ、嫁…?」

そんなゆーきの言葉に反応したのは須賀君でした。
にへらと頬を緩ませるその顔はまた何かいやらしい事でも考えているのかもしれません。
けれど…それが嫌ではないのはきっと相手が須賀君だからでしょう。
他の誰かであれば気持ち悪さに逃げ出したくなりますが…気心も知れた彼ならばそれでもいいかな、と…そんな風に思えるのです。

「残念ながら、のどちゃんは男より麻雀だじょ」
「…ぅ」

そう言いながら、ゆーきはチラリと私に視線を向けました。
まるで私に発破を掛けるようなそれに私はつい言葉を詰まらせてしまいます。
本来であれば…別にそんな事はないと否定するべきなのでしょう。
ですが…須賀君がいる前で…お、男の人に興味津々だなんて思われたくはありません。
私が興味を持つほどに気を許しているのは父を除けば須賀君だけなのですから。

「…」スッ

そう逡巡している間に、昼食の場に気まずい沈黙が流れました。
その隙を狙うようにしてゆーきがそっと須賀君の袋に手を入れ、肉まんを取り出します。
あまりに自然なその動作に須賀君は最初、気付けなかったのでしょう。
彼が気づいたのはゆーきがその口元に肉まんを運ぼうとしているその瞬間だったのです。


「ってそれ俺の肉まんじゃねぇか」
「チッ」

―― …ゆーき…。

普段の彼女は人様のお弁当に無断で手を付けるような真似はしません。
明るく、人との距離を詰めるのが得意な子ではありますが、最低限の礼儀くらいは心得ているのです。
そうでなければ、私がゆーきと親友になるような事なんてありえません。
だからこそ、そんな彼女が須賀君の肉まんに手を出したのは気まずい沈黙を何とか打ち破る為だったのでしょう。
それに感謝と…そして強い申し訳なさを感じるのはゆーきが作ってくれた仲直りのチャンスを私が活かす事が出来なかったからでしょう。
それに私がそっと顔を俯かせた瞬間、須賀君がゆーきの手をぐっと掴むのを視界の端で捉えました。

―― それから何が起こったのか私には見えませんでした。

視点を下へと向けた私に見えたのは、ゆーきが後ろに倒れ、その上に須賀君がのしかかっている様だったのです。
手首を掴んでから一体、どんな事をすればそんな風になるのかまったく理解出来ません。
しかし、理解出来なくても目の前の現実は決して変わらず…私は呆然と二人の様子を見つめていました。

「い…今はダメ…っ」

そんな私に聞こえてきたのはか細いゆーきの声でした。
普段の快活な様子からは想像も出来ないその小さな声に須賀君がとても気まずそうな顔をします。
それはきっと彼女の目尻に微かではありますが、涙のようなものが浮かんでいる所為なのでしょう。
それに須賀君は冷や汗を浮かべ、顔全体でやってしまったと言わんばかりの気まずさをアピールしていました


―― でも…面白くありません…。

勿論、二人に他意なんてない事くらい私には分かっているのです。
あくまでもアレは不幸な事故でどちらもそうしようと思っていた訳ではないのでしょう。
しかし、そうと分かっていても…そうやって見つめ合う二人の姿は私にとって面白いものではありませんでした。
ましてや…気まずそうに須賀君がどいた後も、まるで意識するようにお互いの事をチラチラと見るのでうから。
それについつい食事のペースもあがり…気づいた頃にはオカズが空になってしまいました。

「あ…」

それに気づいて私が声をあげた頃にはもう遅いです。
須賀君に食べてもらいたかったものは全て自分の口へと放り込まれてしまったのですから。
後はもう朝に炊いたご飯しかありませんが…そんなものを渡されても須賀君が困るだけでしょう。
結果…私はまた彼に料理を振る舞う事が出来ず…失敗してしまったのです。

「の、のどちゃん…?」
「…大丈夫ですよ、ゆーき」

そんな私を心配してくれたのでしょう。
伺うように言うゆーきに私はそう返しました。
それは微かに強がり混じりのものでしたが、けれど、決して嘘ではありません。
だって、この後には須賀君を仲直りする機会が待っているのですから、下手に落ち込んでばかりいられません。
それよりはここから先、どうやって須賀君に話を切り出すかを考える方が重要でしょう。

「……」
「……」

しかし、どれだけ考えても私の中で彼に謝罪する言葉は出て来ません。
謝罪しなければいけないと分かっているはずなのに、私はモジモジと指を絡ませ、彼をチラチラと見るだけでした。
まるで彼から言ってくれるのを待つような自分の姿に自己嫌悪を感じますが、しかし、頭の中で考えはちゃんと纏まりません。
この期に及んでも私は「ごめんなさい」の次の言葉を、決める事が出来ていなかったのです。

「あー…その…和。急に俺も入れてくれ…なんて言ってごめんな」
「いえ…そ、そんな事…」

結局、先に口火を切ったのは須賀君の方でした。
シートに腰を落としながらそっと頭を下げる彼に私は首を振りました。
確かに驚きはしましたが、そうやって仲直りする事は私も望んでいたのですから。
寧ろ、そのキッカケを作ってくれた事に私は感謝していたくらいなのです。


「でも…一応、ちゃんと俺から伝えるべきだと思ったんだ」
「…え?」

須賀君はそう言いながら、その佇まいを治りました。
さっきまであぐらを掻いていた姿勢から、正座をし、背筋をピンと伸ばしたのです。
その表情も引き締まり、まるでこれから重要な話をすると訴えているようでした。
それに私の胸はトクンと跳ね、頭の中がカァァと熱くなっていくのです。

―― まさか…こ、こんなところで…?

須賀君が言う大事な話だなんて…私には一つしか思いつきません。
きっと彼は私のことをまだ好きなんだって…そう言おうとしてくれているのです。
その横に宮永さんやゆーきがいるのは恐らく、宮永さんへの牽制なのでしょう。
彼と付き合っているって言う悪質な冗談を繰り返す彼女に現実をしらしめる為に…わざわざこんな場を設けてくれたのです。

―― ど、どうしましょう…ま、まだ…心の準備が…。

ついさっきまでどうやって彼に謝罪するかを考えていた私が、そんなもの出来ているはずがありません。
私は胸中で強い狼狽を浮かべ、どうして良いか分からなくなりました。
しかし、それも二回目ともなればいい加減、自己分析だって進みます。
私が何をしたいのか、そして…須賀君に何を求めているのか。
彼が遠ざかってほんの少しずつ見えてきたそれを…彼の返事とすれば良いだけ。
そう思えば…仲直りするよりも幾らか気が楽になり、私は彼の言葉を待つのです。

「これまで和の気持ち考えずに付き纏っていてごめんな。でも、これからは…その…大丈夫だからさ」
「…何が…ですか?」

ポツリポツリと漏らすその言葉に合わせて私の鼓動は高鳴ります。
一体、須賀君がそこからどんな告白をしてくれるのか分からない私にとって、それは緊張を広げるものでした。
しかし、それだけではないのは…私がその言葉を心待ちにしているからでしょう。
今度こそ…ちゃんと須賀君に返事を返したい。
そう思いながら私もまた佇まいを直し、須賀君へと向き直るのです。


「俺は…少し前から咲と付き合い始めたから。だから…もう下手に付き纏ったり、ストーカーになったりしないし安心してくれ」
「えっ…?」

それに驚きの声をあげたのは私ではなく、ゆーきの方でした。
まるで信じられないものを見たように、その目を見開いています。
そのままギュっと手を握り締める彼女の心境は私には分かりません。
けれど…私は須賀君の気持ちだけは良く分かっていたのです。

「えぇ。それは分かりました。で…本題はなんですか?」
「え…?」

私の言葉に今度は須賀君が驚いた顔を見せました。
微かに強張ったその表情は、もしかしたらそんな風に言われると思ってはいなかったのかもしれません。
きっと須賀君は私は驚きに固まり、そして拗ねる様を見せるのだと思っていたのでしょう。
けれど、そんなドッキリはもう私には通用しません。

          ・  ・
「まさか、そんな冗談を言う為に私に会いに来てくれた訳じゃないでしょう?」

だって、その冗談は既に宮永さんから聞いているのです。
そんな今更、同じ冗談を聞いて驚いてあげるほど今の私は余裕がありません。
だって、私のドキドキは…今も収まってはいないのですから。
今ここで須賀くんから告白されるっていう期待が…いえ、確信は今も高まり続けて、決して収まってはいないのです。


「他に私に言う事があるのではないですか?」
「え、えっと…お、俺も麻雀楽しくなって来たから麻雀部抜けたくないけど…和が俺の事を気にするなら退部する事も…」
「問題ありません。他には?」
「え、えっと……あんまり気にせずに今まで通り接してくれると嬉しいって…」
「勿論です。…それで?」

私の言葉に須賀君はしどろもどろになって応えてくれました。
けれど、彼はシャイなのか中々、私が欲しい言葉をくれません。
以前、一度、私に聞かせてくれた言葉を、もう一度言ってくれればいいのに…彼は私を焦らしてばかりなのです。
そんな意地悪な彼に少しだけ視線が鋭くなりましたが…それもまぁ、仕方のない事でしょう。
何時までも…私を好きだって…宮永さんじゃなくって私を選んだんだって…そう言ってくれない須賀君が悪いのですから。

―― キーンコーン

「あ、チャイムだ」
「そ…そっか」

その音に須賀君はそっと胸を撫で下ろしました。
まるでここから逃げる事が嬉しくて堪らないと言うようなそれはきっと緊張していたからなのでしょう。
幾ら須賀君とは言え、こうして二人がいる前で私に告白する事が気恥ずかしくてもおかしくはありません。
なら、この後、須賀君と二人っきりになれば、彼だってきっと勇気を出してくれるに… ――

「京ちゃん、そろそろ…」
「あぁ、そうだな」
「…え?」

そう言って、二人は立ち上がり、二人でシートを片づけ始めました。
お互いに手を触れる事をまるで厭わず、仲良く片付けるそれには淀みがありません。
まるで相手が次にしたい事が分かっているかのように言葉を交わす事もなく、さくさくと進んでいくのです。
結果、数秒後にはそれはもう須賀君の脇にすっぽりと収まり、二人は各々の荷物を持ち上げました。


「じゃ…悪いけど、咲の奴、図書室に本を返さないといけないみたいだから、心配だし先に戻るわ」
「もう…流石に学校じゃ迷子になんてならないよっ!」
「そんなのはお前の迷子遍歴思い返してから言えよ」

そう言って去っていく二人は自然とその手を繋ぎました。
まるでそうする事が自然のようなその仕草に私の理解は追いつきません。
だって…そうやって須賀君と一緒に戻るべきは私のはずだったのです。
まだ重要な話は何一つとして終わっていないのですから…私が隣にいるべきでしょう。
しかし、現実、彼の隣にいるのは宮永さんで…しかも、手まで繋いでいるだなんて…理解出来るはずがありません。

「のど…ちゃん…?」

そんな私に聞こえてきた声に視線をそちらに向ければ、そこには瞳を怯えさせるゆーきの姿がありました。
まるで私のことが怖くて仕方がないと言うようなそれに私は申し訳なくなりました。
結局、ネタばらしもする事なく、大事な話もしてくれないまま、去っていった二人に怒っているのが、彼女には分かったのでしょう。

「まったく…悪質な冗談ですよね」
「のどちゃん…」

だからこそ、私は彼女に務めて明るい笑顔を見せました。
多少、無理して浮かべたそれにゆーきが気遣うように私の名前を呼びます。
けれど、私はそれに構わず、須賀君たちと同じようにそっと立ち上がりました。
中庭のここから教室までは結構な距離がありますし、あんまりのんびりはしていられません。

「さ…帰りましょう」
「う…うん…」

けれど、そうやって明るく笑ってもゆーきが緊張や怯えが消える事はありませんでした。
いえ、寧ろ、そうやって私がいつも通りに振舞おうとすればするほど、彼女のそれは大きくなっていくのです。
それに私は申し訳なくなりながらも…どうして良いか分かりませんでした。

―― だって…気を抜いたら…全部、認めてしまいそうだったのですから。

一体、それが何なのか私にはもう分かりません。
いえ、それさえも分かりたくないのです。
だって…それこそが、私が私を維持する唯一の方法だったのですから。
あらゆるものから目を背け、耳を塞ぎ、ただただ逃げ続ける事だけが…私に許された唯一の防護策だったのです。

―― だからこそ…私はその日の部活を無事に終わらせる事が出来たのでしょう。

染谷先輩の手伝いと称して部長に送られた雀荘で私たちは惨敗しました。
宮永さんでさえ手も足も出なかったそれは…以前の私であれば打ちのめされていた事でしょう。
けれど、その日の私はあらゆる現実を遮断し、ただ平静を装うだけの機械だったのです。