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『おはようございます』

 部室に入った俺達を迎えたのはあたかも輪唱のようにぴたりと揃った部員たちの声だ。

「おはよう」

 俺の前を歩く照さんは、その光景が当たり前のように進んでいく。
 白糸台高校麻雀部。今俺がいる場所。
 手は流石に学内ではまずい、とのことで学内に入る前に離している。
 それでも照さんについて歩く俺に好奇を含んだ視線はついて回るが元々一緒に暮らしている身だ。
 噂としていろいろと不愉快なものもあったためにこの程度は気になるというほどでもない。

「照、淡。先に須賀くんを奥に連れていくからお前たちは卓についていろ」
「わかった。またあとでね。きょうたろー」
「京ちゃん。またね」

 嫌になるくらいの笑顔を振り撒く淡と頷いて俺に手を振る照さん。
 その度に周囲から視線が向けられた。
 しかし照さんと暮らす過程で得られたものには忍耐も含まれる。

(ま、実害がなければ別にどうでもいいんだよな)


 さて、弘世先輩に連れられ奥の部屋に案内された俺は内心で唸りをあげた。
 虎姫と呼ばれる照さんの所属するチームに与えられた個室らしいが。

「冷蔵庫に入ってるお茶やジュースは好きに飲んでくれ。
 ああ、一応名前が書いてあるのは私たちの私物だから気をつけてくれよ」
「ありがとうございます。弘世先輩」
(しかし、なんというか名門はかなり部費貰ってるんだな……)

 日当たりの良い窓やカーペットを見る限り元は会議室か何かだったんだろう。
 それなりに広いフロアの中央には雀卓が数台置かれ、奥にはソファーにテーブルと巨大液晶テレビ。
 隅にはネトマでもするのだろうか最新式らしきパソコンが複数台、更にタブレット端末が無造作に積み重なっている。
 また書類棚やロッカーらしきものまで置いてあり、まさに事務所か何かと勘違いするような光景だ。

「昼食まで時間もかかるだろうし、菓子でも摘んでいてくれ」

 勧められたソファーに座るとあとは暇潰しにどうぞ、と雑誌とノートPCをテーブルに置かれる。

(参ったな。図書室辺りに逃げる予定だったのに)

 しかも出口は一つだけだ。
 淡が来たら逃げる余裕はない。つまり、約束に対して覚悟を決めないといけない。

「では失礼させていただくが、隣で指導してるから何か用件があるなら気兼ねなく呼んでくれ」
「ええ、ありがとうございます。弘世先輩」

 逃げ場のないこの状況。まさに急所を毒針で貫かれた気分だ。
 弘世先輩が親切か故意にこれを作ったのかはわからないが、悪印象を与えるわけにもいかず、笑顔を作り俺は彼女を見送った。

(ま、淡に関してはその時になったら考えるとして。さて、どうすっかな……)

 弘世先輩が置いていった雑誌を開く。麻雀雑誌だ。
 ウィークリー麻雀Today、か。
 付箋がついているページを開けば、白糸台についての特集があった。

(というより、照さんの特集か)

 親しい人が見ればわかる作ったような張り付き笑顔で彼女はインタビューを受けている。
 深く突っ込んだように見えて当たり障りのないことが書かれていた。

(嘘は言っていないんだろうな……それでも)

 照さんのことを知るには不足だ。しかし、これも照さんの一面。
 そう、これは俺の知らない照さんの姿だ。俺が見たことのない彼女。
 あ、と声が漏れた。

(そもそも、本当の照さんを知ってると言えるほど俺は彼女について知ってんのか?)

 答えは否だ。
 額を抑える。知らず知らずのうちに増長していたらしい。
 彼女の世話をするうちに照さんについて知ったかぶっていたのかもしれない。

(調子乗るなよ須賀京太郎。そもそも何も知らねぇじゃねぇか俺は……。そんなんでどうにかしたいとか、どうにかするとか。馬鹿か俺は……)


 頭を冷やす意味でも時計を見た。それなりに時間が経っているかとも思ったが。

(昼食までは、まだ時間がかかるよな)

 気を取り直す。そもそもこれは、俺が彼女に対して恐怖を持っている限りどうにもならない問題だ。
 実際問題、深入りを避けているのだから。
 息を吐く。

(覚悟決めないとどうしようもねぇし、時間潰すか……)

 逃げた、という事実に目を背けた。その事実に気づきながら俺は目を背け続けている。口角がいびつに歪む。

「時間潰し、か」

 仮眠、は起きた時が怖い。
 部室の探索は不可。部室といっても女所帯だ。余計な物を見つけても困るし知られると面倒になる。
 パラパラと雑誌に載っていた続きものらしき漫画を読みながら何をしようかと考え。

(なんで血液賭けて麻雀やってんだろ。この漫画)

 弘世先輩が置いていったノートPCに目が移る。

「ソリティアぐらい入ってるかな」

 弘世先輩が起動してから置いていったらしくスリープモードのそれはマウスを動かすと内蔵ファンの音を微かに響かせ、液晶に光を通わせた。

「って、暇潰しが全然ねぇ!」

 中身を見ればアクセサリに入っているゲームは全てアンインストールされており。
 デスクトップにはチャット、牌譜記録用のソフト、部活の議事録らしきものが並んでいる。
 あとは……。

「麻雀ゲームか」

 学内ネット向けの麻雀アプリだった。
 しかし、以前にした照さんたちとの会話もあり、麻雀を遊ぶことには抵抗がある。
 しかたなくネットのできるアプリを探そうとするも、通信状況を見て口がへの字に曲がった。

「そもそも外部との接続切ってあるのなこれ……」

 なんでこれで暇つぶしができるのだろうかと弘瀬先輩の思考を疑ったが、暇つぶしと称して麻雀雑誌を置いていく彼女の思考だ。
 麻雀で暇つぶしができると思ったのかもしれない。
 これが麻雀脳かと呟きながら、ネットで適当なニュースブログすら見れない状況に、俺は溜息をつきながら仕方なくゲームを起動した。



 適当な名前を入力しログイン、チュートリアルモードを開始する。

「へぇ」

 自然、感嘆の吐息が漏れる。

「面白いのな。麻雀って」

 小学生の頃の思い出が蘇る。高校生になるまで牌にろくに触れたことのない俺だったが、今は国民総麻雀時代だ。
 多少なりとも親しんだ過去はある。

「そうだ。確かあの頃、やったんだよな」

 青狸麻雀。ド○ジャラ。

「青狸国士無双! なんてな」

 幼年期の思い出に浸りながらなんとなく麻雀に対する理解が深まっていく。
 もちろん役はほぼわからず、点数計算もできないが。
 それでも麻雀で遊ぶことはできていた。
 できていたのだ。


「きょうたろー!」

 時間になったのか、休憩か何かか。ちょうど東風戦終わった時だった。部屋の扉が開き、猛牛のように淡が突っ込んでくる。
 椅子に座っているため回避は難しい。しかしやろうと思うならやれないこともない。
 だが腰を浮かせかけた所で淡と目が合う。

 ――ねぇ、約束を破るの?

 淡が直接言ったわけではない。それでも身体が硬直する。縛ったのは俺が持つ後ろめたさだ。

「どーん! あははは」

 気づけば膝の上に淡が乗っていた。制服越しに女の柔らかさが襲ってくる。
 内心で動揺しながら見下ろせば、笑う淡は無邪気さと艶めかしさの同居した表情で俺を見上げてきた。

「ねぇ、抱きしめてよ。きょうたろう」

 首に手を絡ませられ、ドキリとするような顔で淡は顔を近づけ、耳元で囁いてくる。
 温く湿った吐息にああ、と俺は観念し。

「って、彼氏イコールお前の奴隷じゃねーんだよ! この! こいつ! こちょこちょこちょこちょ!」
「ちょ、きょうたろー! やめっ、あははははははっ」

 彼女の視線から逃れるように全力で淡の脇をくすぐりまくった。
 必然的に抱きしめるような形にはなるが知ったことか。

(嗚呼、照さんで慣れちゃいるが、胸が小さくて助かった)

 淡の戦闘力がさっき読んだ雑誌に載っていた原村選手並だったなら即死していただろう。
 そんな感じでじゃれているとドアが開き、他に人が入ってくる。

「淡ー。急に走り出してどうしたんだ? って、男。えっとどちらさまです?」

 制服にスパッツ。そして、髪を短めに切り揃えている上級生らしき人物。

「……」

 ぺこり、と俺に会釈だけして備え付けのキッチンへ向かう人物。

「淡。京ちゃんから離れて」
「んんー? てるー嫉妬してる?」
「してない。けど、私は膝枕して欲しいから」

 仕方ないなー、と言いつつ淡はどかない。照さんを見る俺をにやにやと見ている。
 冷や汗が浮かんだ。俺がどちらを優先するのか測られている。

「私はどいてもいいけど、きょうたろーは私の彼氏だったよねぇ」
「ええッ! 淡、彼氏いたのか?!」
「淡と同じクラスの須賀京太郎です。よろしくお願いします」

 ぺこりと首に淡を引っかけたまま、未だに突っ立っている先輩に会釈する。

「あ、どうも丁寧に。亦野誠子です。です、じゃなくて、だ。二年だから君の先輩だぞ」
「はい。亦野先輩」

 うむうむと機嫌良く頷く彼女を相手しながら、傍らを見上げれば。

「京ちゃん」

 無音で近づいていた照さんが俺を見下ろしていた。


「きょうたろー」

 にやにやと膝に乗り、首に絡みついたままの淡が笑っている。

「そう、だな……」

 何が起こっているのか理解できない頭で自分に言い聞かせる。

 ――嗚呼、これは……幻覚だ。

 ずるずるとまるで水底に棲む怪物のように淡の髪が俺に絡みついていた。
 離れがたい、というより離れてくれはしない。
 実際は柔らかな胸を押しつけ、湿った声で誘い、滑らかに手足で拘束し、自身を主張しているだけだろう恐らく。
 そして、照さんは、ただ無表情で見下ろすだけだ。
 それでも、俺は選択を迫られている。
 亦野先輩が不思議そうに首を傾げている。無言でキッチンに向かった女生徒が火に掛けた薬缶から、しゅんしゅんとお湯の沸騰する音がしている。
 そうして、俺は。

「淡。どいてくれ」
「んん? 聞こえなかった何?」

 無理矢理拘束を引き剥がそうとするも失敗する。
 恐怖で身体に力が入らないのか。それとも淡が超常の筋力を発しているのか。彼女はぴくりとも俺の上から動かない。

「淡」

 命令するように、懇願するように彼女の名前を呼んだ。
 淡はにやにやと嗤っている。
 幻覚の髪はまるで締め付けるようにぎりぎりと俺の身体を縛り始めていた。
 そして、照さんはそんな俺を無言で見下ろしている。

(そうか)

 俺は、この時初めて自分の浅はかさを呪った。
 怜さんの言葉を思い出した。
 そうだ。そうだった。忘れていた。

(淡は……)

 入学一週間でその我の強さから、クラスの輪より孤立していた。
 俺が彼女と親しくなったのは、孤立していた彼女を哀れんで声を掛けたからだ。
 その精神的な強さから全く弱っているようには見えなかったために、ただのお節介だと思っていたそれが。
 今、淡の目を間近で見て気づかされる。
 淡の目は、独占欲が滲んだ女の目だ。そして、その中に、少しの不安と孤独を畏れる光が見える。
 それはまるで、手を差し伸べて欲しいと訴える怪我をした獣のようで。
 だから俺は……。

 諦めたように息を吐いた。

「照さん」

 彼女は無言で俺を見下ろしている。

「今月の俺は淡の彼氏です。家まで諦めてください」

 そう、と彼女は静かに頷き、俺の隣に座る。
 そうして俺の肩に頭を傾けた。

「ねぇ、京ちゃん。帰ったら――」
「皆、待たせたな。検討したら昼食を――って、何をしてるんだお前達は?!」

 照さんの言葉は入ってきた弘瀬先輩の声で途切れた。
 そうして俺は、見逃した。
 照さんを見る淡の目と。
 淡を無視して俺を見る照さんの目を。



 カン