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「京くんは女泣かせやなぁ」
「あのー。一応真面目に困ってるんですが」

 携帯電話の向こうの人物は間延びした声でジョークや堪忍なー、と返してくるが謝意が欠片も見えていない。

「それで、京くんはどうしたいん?」
「俺は……」
「実際のとこ言うで。京くんがマジでそこ出たいなら私がなんとかしたる。京くんの現状は私にも半分責任あるしな」
「俺は何も出たいとまでは。ただ……」
「ただ、なんなん?」
「理解できないことが恐ろしいのかもしれません。いや、これ以上知ることが怖いのかも」

 溜息が聞こえた。
 しゃーないな、と続ける。

「見捨てたったらえーねん。相手らも赤ん坊やあるまいし。別に京くんがどうこうしなくても勝手にどうにでもするしどうにでもなるんよ。
 まさか京くん、俺がいないとあいつらは救われへんー、とか考えてへんやろな」

 耳に届く声は辛辣な意味を持った言葉の羅列だ。しかし、優しい刺々しさだった。
 それに彼女の言葉にはとある前提がない。

「ははは。俺がいないと、ですか」

 それこそまさかだった。照さんにも淡にも俺は本質的に必要がない。
 飯炊き男や男友達が一人いなくなる程度で彼女らがどうにかなるのなら俺はここまで悩まない。
 それでも……。

「どうにかできるならしてあげたいと思うのは俺の傲慢ですかね」
「せやな。ごーまんや。オレオレ男やな。女の子に嫌われるで」

 冷たい返しにがっくりと肩を落とす。女性に好かれたいと特別に思っているわけではないが、嫌われるのは普通に嫌だった。

「でもな。京くんは優しいオレオレや。それにそこで頑張れる京くんは素敵なおとこのこやと思ったわ」

 その柔らかな言葉に自然と頬が弛む。

「ありがとうございます。怜さん」
「どーいたしまして。まぁ半分私の責任やしな。あ、全部やないで。
 京くんが清澄受験できなかったんは私の責任やけどな。白糸台以外全部落ちとったキミにも落ち度はあるねん」
「せやろか?」
「せやで! 工藤、って何言わすねん」

 お互い下品にならない程度に声を上げて笑う。


「少し元気出ました」
「せやで、これが怜ちゃんパワーや。京くんに電話越しに送ったったで」

 ただ、そこで彼女は声のトーンを落とし、暗めの言葉で言う。

「ただチャンプの傍が我慢できなくなったらいつでも言ってな。私、京くんには負い目があるから割となんでもしてあげられる気分やし」
「俺は気にしてないんですけどね」

 俺と怜さんの馴れ初め。
 それは、清澄の受験日に部活の遠征途中に道で倒れていた女の子を助けたら受験に間に合わなくなった。
 これだけのことだ。
 清澄の試験を受けられなかったのも、そのせいで白糸台に行くことになったのも全ては俺の責任であって、
 怜さんには払うべき責任や受けるべき罪禍など何もない。
 そもそも本当に助けたくなかったなら俺は倒れた彼女を無視して清澄を目指したのだから。

(ああ、なるほど。怜さんが言いたかったのは……)
「怜さんが」
「うん」

 俺の言葉に怜さんは静かに言葉を返す。それに俺は彼女が気にしなくてすむように祈りながら言葉を探す。

「怜さんが俺を助けなくても、俺は自分でどうにかしますし、どうにでもなりますよ」
「いや、どうにでもなったらあかんやろ」
「そ、そうですね」

 どうにも締まらない己に悲しくなるも、怜さんの方は気にしてないようだった。

「ま、そやろな。私のやってることもお節介以外の何物でもない。ただな。京くん」
「はい?」
「園城寺怜のことを選択肢として残しておいた方がええよ。京くんが一年そっちで耐えてくれたならチャンプじゃなくて私が面倒みたる。
 東京の大学受験してそっちでアパート借りて京くんと暮らしたるわ」
「そこまでして貰う理由がないんですが……」
「友達助けるのに理由はいらんやろ。ま、ちょっとは年上を信頼しぃ。怜お姉さんが京くんを助けたるわ」

 本気の籠もった暖かな言葉。俺は、こんな時になんと返せばいいのかわからず、ただ。

「ありがとうございます」

 ただそれだけを少し濁った声で彼女に返す。

「ええて。ウチがしたいことするだけやしな」


 そのあとはお互いの近況などを少し話して通話を終える所で。

「ほな、これで切るわ。ああ、そや京くん。言い忘れとったけど、チャンプとちょっと距離とった方がええよ」
「はい? えっとどういう意味ですか?」
「言葉通りや。あんまりチャンプを近づけたらあかんよ。嫌な予感というか、ゲスな推測も混じってるから詳しい理由は言いたくないんやけどな」
「はぁ。ただ俺、一緒に暮らしてるんですが。学校も同じですし」
「馬鹿。生活やない。心理的距離のことや。京くん、あんたは自分のこと軽く見てるから重要視しとらんけどな。
 今まで孤独だった人間に手を差し延べ続けてる事実を忘れたらあかん」

 んん? 話が変な方向に向かっていることに首を傾げる。
 はぁ、と曖昧な返事しか返せない。

「ええな。多少の依存はもうしょうがないと思って諦めるわ。ただ、それ以上近づけたらあかんよ。
 ん、ん? あ、しもた。電池切れる。充電器! 充電器どこや!」
「あー。えっとそれじゃおやすみなさい」
「あった充電――

 それを最後にぶつりと会話が終わる。

(依存か。照さんが依存ねぇ)

 私生活はポンコツな彼女だがその精神性は独特だ。俺の見たところ、少なくとも自己以外の他人に自身の芯を預けることなどしない。
 否、現状、麻雀に依存していると言えるのかもしれないが。
 それでも、怜さんから教わった可能性を鑑みて思考する。
 もし彼女が麻雀以外に依存をするなら――

「京ちゃん。電話終わった?」
「はい。照さん」


 携帯電話を閉じる。声を掛けられた瞬間に先ほど考えていたことはとりあえず心の棚の上に置いておく。
 手を膝に下ろす。風呂上がりの湿度を含んだ髪が手にするすると絡まる。
 ん、と膝の上の少女が声を出す。

「京ちゃん。誰と電話してたの?」
「友達ですよ。貴女の事を話していました」
「そう。どんな?」

 目を閉じながら彼女は俺に問う。
 少しだけ息が詰まる。

(俺を見てもいないのに、まるで見透かすような……)

 気のせいだと思いながら、正直な所を口にする。
 隠す理由はなかった。

「照さんや淡がよくわからないということを」

 それがもしかしたら俺の心の負担になっているのかもしれない、ということは隠しておく。
 理解のできないものを傍に置いておくストレス。それは俺の心を壊すのだろうか?
 経験していないことを心配する余裕はないけれど、少しの不安を感じ。照さんの髪から指を抜き。頬を撫でる。
 俺は血の通った暖かい肌に触れ、彼女が人間であることを確信したいのかもしれない。

「京ちゃん」
「なんですか?」
「京ちゃんは何も心配しなくていい。全てうまくいく。いずれ京ちゃんにもわかるから」
「照さん?」

 彼女が目を開く。そうして膝上から俺を見上げている。
 耳に届く穏やかな声。指に触れているきめ細かなつるりとした肌。
 照さんの瞳から柔らかい視線が放射され、俺の視線と絡み合う。

「明日は淡と映画に出かけるんでしょ?」
「ええ、まぁ」
「私も行きたい。京ちゃん、お弁当作って」
「唐突ですね」

 返答はない。ただ拗ねた子供のような、幼さを含んだ視線が向けられる。

「一緒に出かけたい」

 淡は何か言うだろうか。
 いや、何も言わないだろう。むしろ喜ぶかもしれない。
 だから俺は、俺を見上げる彼女に告げる。

「いいですよ」

 童女のような笑みを浮かべ。照さんはありがとうと言った。


 カン