いつも通りの勝負では分が悪すぎると判断した京太郎は、普段とは逆のルールにすることを提案した。
振り込まれたら罰ゲーム。もちろん和了放棄禁止。キチンと手も高くすること前提である。
するとどういうことやら、やはりこの京太郎という男は勝負強いのか牌に愛されていないのか、面白いように高めの危険牌を集め、それを遠慮なく切っていくのだった。
他の人が見れば問答無用に叱責ものであろう暴挙の連続であったが、振り込んだ京太郎の顔はどんどん勝ち誇り、直取りした相手の顔がどんどん紅潮していくのを見て何を思うだろうか。
結果的に、京太郎は12回振り込んだ。
しかし……相手も、8回振り込んだことに関してはどう考えるべきだろうか。
罰ゲームの内容は、キス、である。

夕闇が空を支配しつつある頃、麻雀部の部室で、一組の男女が寄り添っている。ファイルなどが陳列されている棚の横、窓から以外は死角になるその狭い空間で、燃え上がるような金髪をした男女が抱き合っている。

「えーっと。京太郎が12回、私が8回だから……」
「淡が12回俺にシて、俺が淡に8回スる……ってことだ」
「ぅ分かってるよ! 分かってるし」

淡の顔が赤い。それは果たして窓から差し込む夕焼けの赤さなのか緊張によるものなのかそれとも。
うつむき加減になってフルフルと震えている淡の髪を、京太郎は額から流すように手梳きする。その様を淡はチラチラと見つめ、為すがままにされている。
髪の先端に行くほど蠢くような不思議な力を感じるのが楽しい。始めの頃は勝手に動く髪を気味悪がったものの、こうなった今ではさながら犬のしっぽの如く感情表現していると分かっているのでむしろ愛おしさを感じる。
いつしか淡の震えも止まり、目を閉じて京太郎の身体にもたれかかっていた。頃合いかな、と京太郎は判断するものの、それを切り出すのに尋常じゃない緊張を要した。
心臓の拍動が大きくて、舌が急な血流に押されて思わず噛んでしまうのではないかと思うほどだった。

「あ、淡、その、」
「京太郎、凄くうるさい……ここ」

京太郎の胸に耳を押しつけながら、淡が京太郎の言葉を切った。京太郎の心臓は淡の耳に微かな衝撃を伝えるほど大きく、強く拍動していた。
それは淡自身に負けず劣らず、京太郎がこの状況に緊張し、何より……興奮していることを表していることに他ならなかった。
見上げれば京太郎は何とも言えないような顔をしている。淡からは逆光になっているとは言え、頬を紅潮させて照れているのは一目で分かった。

「京太郎、可愛い」

衝動のまま、淡が京太郎にキスをした。触れるだけの、撫でるだけのキスだった。音の一つも鳴らず、風が通りすぎただけのようだった。
驚いた京太郎が淡を見やると、京太郎の服の襟を掴み、柔らかく微笑んで見上げているのが見えた。

「一回目だよ。で、これが」

首が引っ張られる。反応しきれないまま淡の動きに従うと、再び唇に感触が来る。今度はより強く、より長く。押しつけられるような感触があった。
いつしか淡の手は京太郎の首の後ろに組まれ、ぶら下がるように抱きついていた。京太郎の眼前で、にやついた淡が挑発的に言う。

「二回目。ふふ、京太郎、凄く間抜け面してるよ?」

そうして再び唇を近づけてくる。今度は京太郎も覚悟して臨むことが出来たので、先ほどのようなされるがままの愚を犯すことなく、しっかりと顔を傾けて淡を受け入れることが出来た。
ついばむように小さく間を開けて連続でキスをしてくる。ちゅ、んちゅと、水音と呼吸の音が混ざり合う。

「ん……ぷぅ。これで、六回くらいはしたかなぁ」
「え、なんだよそれ。これで三回目だろ」
「いったん離れてまたくっついたんだもん、それで一回でしょ?」
「そんなん認められるかよ」

「もー、何なのよ。そんなに京太郎は私とキスしたいの?」
「そりゃ」

途中で言葉を切り、京太郎は淡の身体を抱きすくめてキスをする。これまでよりも強く強く押しつけ、淡の唇を舐める。
淡からすれば不意打ちも良いところだった。会話の途中でいきなりされたのだから。目を見開いて驚き、京太郎の舌を感じる段になって両手で押し退けようとする。

「ぷぁ! きょうたろ、バカ、ちょっと、んむ!」

顔を横にそらして逃れようとするが、今度は手で顔を固定されてキスを続行されてしまう。ヌメヌメとした感触が唇の上を這いずり回る。目も口も必死で閉じて淡は抵抗していた。
京太郎の舌がノックをするように淡の口を叩くが、淡は決してそれに応じようとしなかった。むしろイヤイヤと首を振る力を京太郎は両手に感じた。
諦めた京太郎は唇を離し、額と額を付き合わせて粗く息をついた。

「したいに決まってる。淡と、もっと」
「はぁ……はぁ……だからって、強引に、しないでぇ」
「ごめん。今度はもっとゆっくりやるから、だから、口を開けてくれないか」
「ぇっと、ん、んー」

淡は顔を上げ、目を閉じて口を半開きにして京太郎を待った。
夕日が差し込んで淡の顔が赤に染まり、その髪は燃え上がるような緋色に輝いていた。そんな中、その開いた口だけは闇を湛え、底なしの沼に引きずり込むが如く、京太郎の顔を引き寄せた。
唇と唇をあわせ、息の漏れる隙間もないくらいに密着させる。お互いの荒くなった鼻息がくすぐったい。
京太郎の舌が淡の口の中へと侵入する。舌の裏に歯の感触を感じ、その先端で臆病に引っ込んだ淡のそれに触れた。


「ふん、むぅ」

淡が苦しそうに身じろぎをする。京太郎が少し身を離して空気の通り道を開けると、淡の口から荒く呼吸が漏れる。それでも京太郎の舌は淡の中に入ったままだった。

「あわひ」
「うん、うんー」

淡の中で何かが仕切り直されたのか、京太郎を抱きしめ返して積極的に舌を絡めてきた。奥にまで入り込んでいた舌を押し返し、互いの唇の境界線まで戻して舌を舐め合う。
絡め合い、舐めまわし、重ね合ったり突き合い、少し間を空けて叩き合ったり。
手探りだった舌の交合は次第により大胆に、かつ技巧を深めていった。
それはもう、没頭と表現して良いくらいだった。
口を開け続け顎が疲れてきたのか、段々互いの口が大きく開かれるようになって、舌の活動場が広がっていく。
唾液を貯め、舌伝いに相手の口へと流し込めば、相手はそれを咀嚼するが如く口内を蠢かして味わい飲み込み、お返しとばかりに自分の唾液を送る。
開かれた口から混ざり合った唾液が顎を伝ってポタリポタリと床に落ちる。
いつしか、京太郎は妙な疲労感を覚えるようになっていた。腕や肩の疲れを覚え、いったん淡と口を離すと、

「あ、あ、京太郎、だめぇ」

潤んだ瞳の淡がしがみついて懇願していた。その手は震えていたが、それよりも大きく足腰の方が生まれたばかりの子鹿のように震えていた。
いつの間にか踏ん張りが利かなくなっており、京太郎も知らず知らずのうちに抱きすくめて支えていたのだった。

「す、凄すぎるよぉ、キス、凄いよぉ」
「うん。そうだな」

淡が何か言っている。京太郎は激流のような情欲に身を任せていてそれが良く分からない。少し汗ばみ、潤んだ瞳で見つめる淡がこちらを誘っているように見えて仕方がない。
京太郎は淡を支えつつ、ゆっくりと膝をつき、淡をぺたんとトンビ座りにした。淡は棚にもたれかかり、四つん這いになった京太郎を見上げて、再び目を閉じて口を半開きにする。

「ふむ、ん、ちゅ……あむ、あう、れう、む……」
「はん、む、う……ちゅ、くちゃ、れお、ふん……」

そうするのが当然のように二人は舌を突き出し合い、唇よりも先に舌を絡めてキスをした。
情欲に比例するかの如く口内は唾液を分泌し、楽な姿勢になったことも相まって二人はやたらと音を立ててキスと唾液の交換をする。
頭だけ突き出していた格好の京太郎は、もっともっとと請うように淡との距離を身体ごと詰め、膝を淡の舌に潜り込ませると、淡も身体を浮かせて京太郎を導いた。
京太郎は胡座をかき、淡はその上に乗る形でキスを続けた。この体勢にするまで、二人は片時も舌と唇を離すことはなかった。淡と京太郎の制服に、唾液が落ちた跡が点々と散らばっている。

「ふぅ、ぁ……アハ、この姿勢、いいね」
「辛くないか?」
「ううん、サイコーだよ。京太郎がよく見えるし、それに、凄くし易い。京太郎、私重くない?」
「全然重くないよ。それより、あぁ、淡……」

座る京太郎に淡が乗る形になると、流石に京太郎の方が頭が低い位置に来る。
淡を見上げるようになるのだが、宵闇が入り始めたこの時間、京太郎の影もなく薄ぼんやりとした夕日を浴びる淡は本当に、

「綺麗だ……」

それは上気し汗ばんだ肌のせいかもしれない。潤んだ瞳のせいかもしれないし、優しく微笑んでいるからかもしれない。口から顎にかけて唾液でぬめっているせいでもあるだろう。
淡を可愛いと感じることは多々あっても、美しいと感じたことは殆どなかった。
京太郎の中から余分なものが排除されていく。風の音、遠くの空調の音や鳥の声、すぐ側にある麻雀卓や棚、過ぎゆく時間のことも何もかも。
京太郎にはもう淡しか見えない、感じられない。

「淡、好きだ……大好きだ」

すぐにでもキスをしたい欲求が爆発的に沸き上がる、それでも京太郎は努めてゆっくりと迫り、舌を交わす。これがもう甘美で仕方ない。
一度唇同士が合わさると、後はブレーキが利かなくなる。まさに貪り合うという言葉が合うかのように、強烈に二人は互いを求め合った。

「ゎたひ、も、んぷ、あい好きあよ、んるぅ、ちゅぷ、ぁう、ひょうはろ、好き、ふんむ、ちゅ……」

途切れ途切れながらも愛を交わす二人、それでも舌だけは決して相手から離そうとしない。
そうせねば呼吸も出来ないと云わんばかりに淡と京太郎は舌を絡め合い、唇を貪り合い、睦み合った。
欲望が止まらない。際限なくボルテージが上がり続ける。
あまりの興奮に京太郎はキスをやめ、荒く息をついた。

「はぁー、はぁー、んく、はぁー…………!」
「京太郎、京太郎、京太郎……」

淡は京太郎の頭を掻き抱き、額に耳に頭に、優しく唇の雨を降らす。
飽きもせずしばらくそうすると、若干落ち着いてきた京太郎は頭を抱かれたまま淡の顎や顎裏、首筋に唇を這わせた。


「ぁん、もう、京太郎……駄目だよ、大人しくしなきゃ」
「でもな、したい……てかする。淡の全部にキスする」
「やん。あはは、もー京太郎は、しょうがないなぁ」

そう言いつつ淡も京太郎から唇を離そうとしない。京太郎も少しずつ頭の位置を下げ、淡の胸に顔を埋めるくらいになった。
普段、少しでもそこに触れようものなら大声を上げて嫌がる淡の急所である。そこに、服越しとはいえ京太郎は吐息とキスを送っている。
それだけでももう堪らないというのに。

「あ、京太郎、したい? もっと、したい?」

と、淡は右手で制服の裾を掴み、首元まで擦り上げた。京太郎の目の前に、薄緑色の下着と、それに包まれた控えめな胸が現れると同時に、水のような苔のような、ねっとりとした芳香が届いた。
それが淡の香りと分かると、京太郎は淡の名を叫びながら解放されたばかりの場所にキスを浴びせる。

「したい……淡と、もっとしたい!」
「あ、ん、京太郎、可愛い……いいよ、もっと……もっと!」

淡が締め付けんばかりに京太郎の頭を抱く。否、それは押しつけていると言っても良いかもしれない。自分の胸に、京太郎を。

「はぁ、ん、ふぅ。京太郎、もっと……もっと」

下着に包まれていない部分が容赦なく京太郎の唾液に塗れる。下着もすでに濡れており、その下の隠された部分にも京太郎の唾液は届いているだろう。
そう思うと、淡の頭のどこかが甘く痺れるように疼く。

「あ……京太郎……」

淡は背を棚にもたらせ、京太郎の膝に浅く座る格好になった。自然、京太郎の顔から淡の胸が離されることになる。
そして、淡の腰が京太郎の腰により密着し、押しつけられるようになる。

「もっと」

すでに空は夕焼けの時分を越え、宵闇が支配する頃になっていた。薄暗い部室の中でそれでも淡と京太郎はお互いの姿はくっきりと、鮮明すぎるほどに認識できていた。
京太郎は腰を引き、ゆっくりと淡の腰を床に着かせる。そして、淡に身体全体が覆い被さるように体勢を変え、腹からスカートに手を差し込み、

「ん、何だまだ鍵が開いているな。おい、誰かいるのか?」

ガタガタと扉が開く音と共にそう言って誰かが不躾に部室に入ってきた。

「「!?」」

部室に明かりが灯り、イケナイ姿勢の京太郎と淡のあられもない姿が明かりの下にさらけ出される。
寝ていた猫もかくや、淡と京太郎は飛び起きた。
ぅゎゃべ、とか、ちょどーすんのよ、とか小声で交わしつつ、あたふたと互いの着衣を整え、口元を制服の袖で拭く。
幸い部室は広く、淡と京太郎も入り口からは死角にある位置にいる。入ってきた声の主は部室の中を歩いてはいるが、最低限の体裁を保つ程度の時間はありそうだ。

「まったく、鍵の不始末とは。最後まで残っていたやつは誰だ?」

声の主が近づいてくる。
死角から先に飛び出してきたのは、当然京太郎だった。淡はまだ衣服を整えている。

「あ、す、すいません、って、部長!?」
「うわっ! 痛! って、なんだ須賀か、驚かすな!」

いきなり出てきた京太郎に驚き、後ずさった麻雀部部長の弘世菫は卓に足をぶつけてしまった。
がたんと音を立てて雀卓が揺れる。

「いったぁー。……おい、須賀、こんな時間まで明かりを点けずに何をしていたんだ」
「えーっと、それはですねぇ」

涙目になりつつも菫は京太郎を睨み付けて詰問する。京太郎はチラリと目を横にやりつつどうしたものかと考えていたが、

「……そこに何かあるのか?」

菫にめざとく見抜かれてしまった。京太郎が止める間もなく、菫が棚の影を検めると、ぶすっとした顔の淡がいた。

「大星までいたのか。二人で何をしたいたんだ」

菫の顔はいよいよ鋭さを増してきた。いかがわしいことをしてました、とは当然いえない。
まだそこまで行っていないとかそういう問題ではない。部室でそういうことをするのは倫理的な問題があるのももちろんだ。
それ以前に、実は淡と京太郎の交際は二人だけの秘密であったのだ。

「別に。スミレには関係ないじゃん」
「何だと、お前その言い種は……!」
「あ、えーっと、そのですね、あー、部長!」

雰囲気をぶち壊されたためか、淡は適当な言い訳をする気もないようだった。いかにも不機嫌に菫を突っぱねた。
これでは関係を隠すとかそれどころではなくなってしまう。京太郎が何とかしなくてはいけないようだった。

「何だ須賀。いきなり大声を上げるな」
「あ、すみません……その、何をしていたかなんですが」
「何だ」
「メールをしてました」
「…………メールぅ?」
「……はぇ?」

突飛な京太郎の言葉に菫だけでなく淡も呆気に取られていた。

「…はい。メールです」
「こんな時間まで、部室で?」
「…はい」
「誰と?」
「あわ……大星とです」
「はぁ!?」
「……何言ってんのきょ。須賀」

淡がジト目で京太郎を見ている。多少は冷静な判断力が戻ってきたようだが、それでもまだ京太郎に助け船を出す気にはなっていないようだ。

「知ってますか、部長。逢魔時に、明かりを点けない密室で、同じ機種の携帯で同じタイミングで空メールを向き合って出すと、何故かよく分からない内容のメールがお互いに届くっていう怪談を」
「な、怪談だと」
「……うん。まぁ、私も最近知ったんだけど」

淡が乗ってきた。ちなみに怪談は全くの出鱈目である。この場を切り抜けるためだけの内容だ。
ただ、淡と京太郎の機種が同じというのは本当である。普段一緒になれないからせめてこれくらいは、という淡のいじらしい提案だった。

「そのよく分からない内容は、お互いのメール内容を突き合わせて理解できるみたいですけど、それを理解してしまうとヨクナイ事になるみたいです」
「ヨクナイ事、だと」
「そーそー。そのヨクナイ事ってなんだろーねって、須賀と試してみようかなーってさ」
「うーん、そうか……」

何やら思案顔で菫は窓の外を見つめていた。すっかり暗くなった空に、どこからか鴉の鳴き声が聞こえた。

「で、どうだったんだ」
「え?」
「その、メールだ。届いたのか……? 内容、分かったのか?」
「それはですね」
「やっぱりいい。理解しちゃ駄目ということは話も聞かない方が良いのだろう。言う必要はない。ないからな」
「え、あ、うん。わかった」

菫はため息をついて天井を見遣ると、疲れたように言う。

「あんまり下らないことで学校にいるんじゃないよ。ともあれ、用事はもう済んだんだろう、今日はもう帰った方が良い」
「スミレ、ひょっとして」
「 か え れ 」
「はい、分かりました! お疲れ様でーす!」
「え、ちょっときょーたろ、あ、鞄……!」

京太郎は淡の手を掴んで逃げるように部室から出て行った。一刻も早く逃げ出すことで頭がいっぱいで、自分と淡の鞄を回収することを忘れてしまっていた。

(あんな逃げるように……やっぱり理解してしまったのか……?)

菫がそう思っていると、置き去りにされた淡の鞄からメールの着信音が聞こえてきた。帰宅の遅い娘を心配して母親が送ってきたものだが、

「ひっ!」

菫には色々な意味で効果覿面だった。

(ど、どどどどどうしよう!)

一方、京太郎と淡はすっかり暗くなった夜道をてくてくと歩いていた。
先ほどまでの狂乱の一幕はどこへやら、今はその落差が気まずくてどうしようもない。
自分が自分じゃないような、それでいて自分の望むがまま突き進めたような、表現できないもどかしさが漂っていた。

「「…………」」

それでも、二人は平静を保ったかのように振る舞っていた。が、それは飽くまでフリであって、本心では全くそうでないことは、互いが頻繁に相手を盗み見ていることからも分かる。
二人とも分かっているのだ。相手のその瞳の中に、熱に浮かされたように恍惚とした表情が焼き付いているのが。
二人とも忘れられないのだ。自分の口の中、その舌に、相手の舌の感触を、その唾液の味を。
二人とも更に続けたいのだ。あの熱病の中にいたような、茫洋としていつつも濃密で甘い一時を。

「スミレのバカ……」

思わず呟いてしまった淡の言葉を京太郎は聞き逃さなかった。

「なぁ、淡」
「大星。何よ、須賀」
「あ……。あのさ、もう、ばらしちゃっても良いんじゃないか、俺たち?」
「え、えぇ? な、なんで?」
「俺は……俺は、さっき口にしたことは、全部本心だ。雰囲気に流されただけじゃない」

二人は立ち止まり、京太郎は強い眼差しで淡を見つめる。

「俺は、淡ともっと深く、ちゃんとした形で付き合いたい」
「それは……」

京太郎の強い言葉に淡は俯いてしまう。二人が関係を隠しているのは、一言で言えば淡の虚栄心である。
入部して数日でレギュラー入りした淡、対して京太郎は初心者にして部において下っ端も良いところの平部員。
この大星淡がこんな下っ端付き合っているなんて、噂になるだけでも恥ずかしい! と、子猫ごっこ中京太郎に抱きしめられながら言い放ったのだった。

「でも……」

今となっては下らないプライドであったことは十分承知している。だが、一度言ってしまった手前、自分から取り下げるのは勇気が必要だった。
でも、今なら。京太郎から頼んできた今なら。

「そーねぇ……」

その言葉を頼りに堂々と交際宣言しても良いかもしれない。膨れあがった恋心の前では、見栄や虚栄心など塵芥に等しくなっている。
の、だが。

「悪い、大星。やっぱ、しばらくこのままでいようか」
「え?」
「俺も、大星に無理してほしくないしさ。大丈夫、俺は今のままでも充分満足してるから」
「え、え?」
「だから、あんまりやり過ぎるのも控えような。今回みたいなことが起きたら、流石にもう止められないし……一回越えたら、俺は隠しきる自信がないし」
「え、ちょ、え?」
「大星が好きだから。大星の一番やりやすいようにしてくれ。じゃな!」
「ええぇぇーーーーーーー」

照れくさかったのか京太郎はそのまま一気に駆け出してしまった。
切り出そうとしていた淡は突然の急展開に何も出来ない。それもこれも出し惜しみの言い惜しみをしていたせいだが、後悔先に立たず。
火照った身体を抱えたまま淡はトボトボと家路につく。
数秒前の自分を殴りたい。
京太郎と淡が結ばれる日はいつになるやら。