~京太郎~
俺達が旅館について一時間ほど経った頃には、もう姫松麻雀部との顔合わせは殆ど終わっていた。
調整試合ついでと言った代行さん ―― 確か名前は赤坂郁乃さん…だったっけ ―― に偽りはなかったらしく、一部の選手しか連れてきてはいない。
お陰で奇異や好奇心、或いは警戒心まみれの目で見られる事は思ったよりも少なかった。
とは言っても、それはあくまで思ったよりというだけの話。
女だけの合宿の中、一人混じった男に対するそれは結構、遠慮がなかい。
肌を差すようなそれに内心、気圧される中、代行さんと部長から俺たちに指示が飛ばされた。
それぞれの弱点補強や長所を伸ばす為のそれは様々であり、中には本当に効果があるのかと思うようなものさえある。
そんな中、俺に伝えられたそれはある麻雀卓でひたすら打ち続け、少しでも経験を積むという真っ当なものだった。

京太郎「(まぁ…俺には実戦経験が壊滅的に不足しているからなぁ…)」

割りと広い宴会場に、雀卓が並べられた空間の中、俺はそっと胸中に言葉を浮かべる。
ほんの半年ほど前までルールすらもまともに知らなかった俺にとっては、一局一局が貴重な経験だ。
特にここ数ヶ月は牌にすら触れる事すらなかったのだから、尚更だろう。
そんな俺の経験不足を補おうとする指示はとても的確で、非の打ち所のないものである。
しかし、そう思う一方で何となく気が進まないものがあるのも否定しようがない事実だった。


漫「や、や…ぁ、さっきぶりやね」

そんな俺を迎えてくれたのは少しばかりぎこちなくなった上重さんだった。
どうやら上重さんも俺と同じ卓で打つように指示されたようで、既に席に座っている。
だけど、俺にはそんな目の前の光景がまるで信じられなかった。
何せ、相手はインターハイにてあの優希と二度戦い、二度目は互角以上に渡り合ったあの上重さんなのである。
ぶっちゃけ、麻雀歴一年未満の俺が太刀打ち出来るような相手じゃない。
このまま打ったところで飛ばされるのが目に見えているくらいだ。

京太郎「(まぁ…それなら何時もと同じか)」

そもそも、俺が普段から打っているのは全国レベルの雀士ばかりなのである。
それと比べて遜色ない打ち手と思えば、それほど緊張する気にはなれなかった。
寧ろ、逆にどうして上重さんがそんなに緊張しているかが俺の思考に混ざってくるくらいである。
もしかして、男と打つのが初めてで緊張しているのか。
そう思うと少し申し訳ない気がして、何かフォローをいれないといけない気になる。

京太郎「はは、こうして会えると運命かもしれないですね」
漫「う…運命…」カァ
京太郎「(あ…あれ…?)」

てっきりさっきみたいに弄られると思いきや、上重さんからの反撃はなかった。
ただ、俺の冗談を鵜呑みにするように顔を真っ赤にして、じっとその場に縮こまる。
元々、小柄な上重さんがそうやって小さくなろうとする姿はとても可愛らしく、だからこそ、俺は困惑した。
さっきまで俺を弄っていた事が嘘のような初心で可愛らしい反応。
それがさっきまで一緒だった上重さんとどうしても結びつかず、俺は首を傾げたのだ。



京太郎「え…と…大丈夫ですか?熱とかありません?」
漫「だ、大丈夫やで。うちはいつでも元気印や」

そんな俺が辿り着いたのは上重さんの体調が悪いというものだった。
しかし、それはぐっと握り拳を見せる上重さんに否定されてしまう。
俺の見る限り、上重さんは嘘が得意なタイプじゃないし、その仕草も嘘とは思えない。
しかし、だからこそ、俺の中の疑問は大きくなり、上重さんの変化が分からなくなってしまう。

漫「そ、その…代行にちょっと変な事言われただけやから…」
京太郎「あぁ…なるほど…」

俺の疑問に答えるような上重さんの言葉に俺は納得を浮かばせた。
確かにあのマイペースに人を引っ掻き回す赤坂さんは、そう言ったデリカシー的なものを重視しないタイプである。
特にそれが上重さんを前にすると、かなりのものになるのは二人のやり取りからも見て取れた。
きっと俺のいない間にからかわれ、それがまだ意識の中に残っているのだろう。
そう思うと一人にしない方が良かったか…とも思うが、あの時点の俺に何か出来たはずがない。

漫「意識なんてしてへん…意識なんてしてへん…意識なんてしてへんもん…」ブツブツ
京太郎「(丸聞こえなんだけど…聞こえてない事にしておこう…)」

ここで下手に突っ込んで、余計にギクシャクするのは避けたい。
それに意識するしないと言う問題は、割りと難しいのだ。
ホラー映画を見た後、それを忘れたくても忘れられないように、一度、脳にこべりついたものは意識するほどなくならない。
恐らく他人の俺が何を言っても、その結果は変わらないだろう。
いや、それどころか、寧ろ俺に話したと言う記憶と結びつき、忘れられなくなる可能性すらある。
故に、ここで俺が上重さん相手に向けるべきなのは根掘り葉掘り聞くお節介ではなく、聞きのがしてあげる優しさだ。


モブ1「あ、須賀君だー。よろしくね」
モブ2「よ、よろしく…」
京太郎「よろしくお願いします」

そうこうしている内に俺達の卓にもう二人の女の子がやってくる。
一人は快活で爽やかなタイプであり、興味はあっても俺に対しての敵意はない。
だが、もう一人は明らかに俺に対して構えており、怯えるような仕草を見せる事も少なくなかった。
男が苦手なのか、或いは自毛の金髪を恐れているのか分からないものの、やっぱりそうやって怯えられるのはちょっと悲しい。
二人共、貧乳ではあるものの、それなりの美少女であるから尚更である。

漫「…須賀君」
京太郎「え…なんですか?」
漫「スケベな顔しとるで」ジトー
京太郎「うぇ!?」

そんな俺を咎めるような言葉に、思わず驚きの声をあげてしまう。
おもち信者の俺としてはひんぬー二人は対象外であるものの、もしかして無意識的に値踏みしていたのか。
もし、そうだとしたら、俺は二人に土下座してでも謝らなければいけない。
そう思いながらも、初めての経験にどうして良いか分からず、俺はしどろもどろとなっていた。


漫「冗談や♪」
京太郎「や、止めて下さいよ…そういう心臓に悪いタイプの冗談は…」
漫「はは。ごめんな。でも、そんだけ驚いたって事は自分でも思う所はあるって事やろか?」
京太郎「の、ノーコメントとさせて下さい…」

悪戯っぽい上重さんの言葉は俺の本心を的確に突いていた。
けれど、それをここで認めるのは癪だし、何よりもモブ2さんに余計、構えられる結果になる。
実際、さっきの上重さんの言葉で俺の上家に座ったモブ2さんはそっと席を俺から離していたのだ。
見るからに警戒心全開のその様を、今日一日中見るとなると辛いが、こればっかりは時間が解決してくれる事を祈るしかない。

漫「…よし。行ける…この距離感や…」グッ

そんな俺の対面に座る上重さんはぐっと握り拳を作りながら、手応えを感じていた。
一体、何を思っているのかは知らないが、どうやらさっきのやり取りは上重さんの中で良いものだったらしい。
どうしてかはまったく分からないままだが、握り拳を作るその姿はさっきみたいに緊張してはいなかった。
親しい訳でもないが、知らない訳でもない上重さんのそんな姿に一つ安堵を覚えながら、俺は麻雀の準備を始める。

京太郎「(それにしても…割りと迂闊な人なんだろうか…上重さんって)」

何時もこんな感じだとしたら、きっと周囲の餌食になるだろう。
上重さんが普段、弄られていると言っていたのはきっと冗談でも何でもない。
俺だって何処か小動物めいた可愛さの中に迂闊さを見せる今の上重さんにちょっとした意地悪がしたくなるくらいなのだから。
それを何とか堪えたのは、俺自身が上重さんとの距離感を測りかねていると言うのも無関係じゃなかった。


京太郎「(共感はするし、分からないでもないけれど…やっぱり根本的な部分では他人だからなぁ…)」

勿論、それは決して上重さんを突き放した意味じゃない。
俺と似た悩みを抱えていると言っても、上重さんと俺では環境が違いすぎるのだ。
俺よりも遥かに大きく、そして苦しい悩みとプレッシャーを抱えている上重さんとまったく同じだなんて口が裂けても言えない。
だが、その一方で上重さんを知れば知るほど共感は大きくなり、まるで数年来の友人のような気安さで接しそうになってしまう。
その辺を誤解して、馴れ馴れしくし過ぎないようにしよう。
そう自分に戒めながら、俺はそっと山から牌を取っていった。

京太郎「(んで…この好配牌…と…)」

配牌の時点で混一色まで一向聴、しかも、既にドラも乗っているというものだ。
多分、他の誰でも間違いなく勝ちに行くべき配牌だろう。
俺だって、合宿最初の配牌でこれは、運命的なものを感じない訳じゃない。
是非ともこれを上がってこれからに弾みをつけたい。
そう思う気持ちだって確かに俺の中にはあった。

京太郎「(だけど…俺は…)」

ふと脳裏に浮かぶのは和との対局。
どれだけ思い返しても…俺が和了った瞬間、和はおかしくなっていった。
あり得ないとどれだけ自分に言い聞かせても…俺の見る限り、和の変化と俺の和了は無関係じゃない。
いや、寧ろ、タイミング的には原因だと言い切っても良いくらいだった。


京太郎「(そんな俺が…和了っても良いのか…?)」

故に俺の脳裏を支配する臆病とも妥協とも言えない言葉。
それはとても失礼なものなのだと俺自身も理解しており、普段から心の奥底に閉じ込めようとしているものだった。
しかし…こうして麻雀卓に着き、和了が見えてしまうと…どうしてもそんな言葉が浮かび上がってきてしまう。
かつて俺が咲たちにやられて…心の底から悔しがったのと同じ気持ちを味わわせる事だと分かっているのに…どうしても…俺は… ――

漫「須賀君…?」
京太郎「あ…すみません…」

そうやって考え込んでいる内に、どうやら俺の番が来ていたらしい。
それに一つ謝罪を返しながら、俺はそっと山から牌を取った。
出来れば、俺の悶々とした気持ちを加速させないでくれ、と祈りながら引いたそれは… ――

京太郎「っ…」

有効牌。
それも混一色の待ちを広げられる形で聴牌出来るものだった。
普通であれば、喉から手が出るほど欲しいそれに俺の手は止まる。
このままそれを取り込めば、恐らく早い内に俺はロンかツモ和了が出来るだろう。
和から教えてもらった牌効率もそれを強く推奨していた。


京太郎「(でも…その時…この卓の誰かが…和みたいにならないなんて誰が言える…?)」

怯えにも似たその言葉を否定するものは、少なくとも俺の胸中にはなかった。
結局…俺は和が来なくなったあの日からろくに和了る事すらなかったのだから。
咲や優希、そして染谷先輩たちも変になるかもしれないと思ったら…どうしても和了る事が出来なかったのだ。
結果、俺はどれだけ配牌が良くても役を崩し、逃げるような打ち方ばかりしてきたのである。

漫「…須賀君。もう時間過ぎてるよ」
京太郎「あ…」

上重さんに言われて気づいた頃にはもうかなりの時間が経っていたのだろう。
公式戦ではある程度、持ち時間と言うものが決められている為、長考はご法度だ。
それでも、普通は強化を目的とした合宿中にそんな指摘はしない。
それよりも一打一打を考えて、少しでも強くなる事を優先されるのだから。
例外はただ一つ。
あまりにも長考が過ぎて、他の参加者が不快になった時くらいだろう。

京太郎「…すみません」

実際、俺の上家と下家から向けられる視線はあまり好意的なものとは言えなかった。
誰だって女子ばかりの合宿に混ざった黒一点が唐突に考えこめば警戒するし、困惑するだろう。
俺に明確な心配を向けてくれながらも、声を掛けてくれた上重さんが貴重なのだ。
そう思いながら、俺はそっとツモった牌を手に取り、そのままトンと卓へと打つ。


京太郎「(…これで良いんだ…)」

それが何の解決にもなっていない逃げのものだと言う事は俺だって理解している。
しかし、ここで俺が何か問題を起こしてしまうと俺だけじゃなく、清澄まで謂れの無い非難を受ける可能性があるのだ。
それ避ける為であれば、俺がこの卓の全員に軽蔑されたとしても軽い問題である。

京太郎「(じゃあ…何のために俺はここに居るんだ…?)」

ふと胸中に浮かぶその疑問に俺は答える事が出来なかった。
和を追い詰め、麻雀を楽しむ事も出来ず、ただ、逃げ続ける俺。
染谷先輩の好意すら台無しにするそれに俺の胸がズキリと傷んだ。
けれど…他に俺が何か出来る事など思いつかないのが事実である。
まるで八方塞がりのようなそれに俺は胸中で重苦しいものを感じながら、ひたすらに逃げ続けた。




………

……







結果から言えば、その日の俺の通算成績は二位だった。
モブ2さんが回りに回って、満貫や跳満を連発したのである。
お陰でベタ降りに近い打ち方を続けていた俺の被害は少なく、逆に他の二人が大きく沈んだ形となった。
一度も和了すらせず、逃げている事が知られたくなくてノーテン罰符を支払い続けた結果にしてはそこそこの成果だろう。

京太郎「(それを誇れはしないだろうけれど…)」
京太郎「…ありがとうございました」
モブ2「…」
モブ1「…ありがとね」

自嘲と共に告げた言葉にモブ2さんは答えないまま、そそくさと去っていった。
モブ1さんの表情も硬いのは、恐らく俺が逃げ続けている事を見破られているからなのだろう。
流石に故意に和了まで見逃しているとまでは思われてはいないようだが、それでも嫌われるのには十分過ぎる。
数十回と打ち続けているのに、一度も勝負せずに逃げ続け、二位と言う結果だけをもぎ取っていった相手に良い気はしない。
ましてや、それが女子ばかりの合宿に混ざった異物であれば、尚更だろう。

漫「や。お疲れ様」
京太郎「はは…どもっす」

そんな俺に話しかけてきてくれる上重さんの表情は決して悪いものじゃなかった。
姫松と言う強豪の先鋒に立つような人なのだから、きっと俺の小細工にも気づいているだろう。
それでもこうして話しかけてきてくれるのは正直、有難かった。
あの麻雀卓の中で唯一、俺に対して好意的であった上重さんにまで見捨てられるのはかなりショックだっただろうから。


漫「にしても…一回も振り込んで貰えんかったなぁ…」

そう悔しげに言う上重さんは打点平均で言えば、間違いなくこの卓のトップだった。
しかし、その一方で放銃率も高く、モブ2さんにかなりの割合で振り込んでいる。
お陰でズルズルと順位が落ちていき、結果、通算成績で三位と言う結果になっていた。
それでも俺よりもよっぽど立派なのは確かだろう。

京太郎「かなり配牌が悪かったですし…勝負も出来ませんでしたから」
漫「まぁ、麻雀なんて運ゲーなんやからそんな事もあるわな」

大きく勝って、大きく負ける。
そんな格好良い麻雀を見せつづけた上重さんに嘘を吐くのは正直、辛い。
けれど、ここで正直になったところで何のメリットも無いのは事実だった。
清澄が余計な風評被害を受けたりしない為にも…俺は隠し続けなければいけない。
どれだけ後ろ暗くとも、それを誰かと共有する事なんて許されやしないのだから。

漫「だから、落ち込まないでな。まだ合宿初日なんやし、うちと一緒に頑張ろ」ニコッ
京太郎「そう…ですね」

そうは思いつつも、励ましの言葉をくれる上重さんにかなりクるのは事実だ。
モブさんたちのように軽蔑されるのならばともかく、こうやって純粋に心配してくれると良心の呵責が凄い。
思わず胸の奥を掻き毟りたくなるような衝動に声を詰まらせながらも、俺は何とか頷く事が出来た。


漫「それで…その…な」
京太郎「?」

そんな俺の前で顔を赤く染めながら、上重さんがそっと俯いた。
元々、小柄な身体がさらに小さく見えるその仕草に俺の胸がさらなる痛みを覚える。
それを心の奥底に押しこめる俺の前で上重さんが何度も俺と卓を交互に見つめた。
まるで言いたい事があるのに言えないようなその仕草に俺はじっと待ち続ける。

漫「えっと…姫松の罰ゲームって…知っとる…?」
京太郎「いえ…すみません」
漫「え、えぇよ!その…ローカルルールみたいなもんやから」

周囲でも最後の一局が終わり、殆どが自室へと戻り始めた頃。
ようやくポツリと漏らした上重さんの言葉は俺のまったく知らないものだった。
インターハイで姫松と戦うに当たって、牌譜作成や整理をしていたものの、罰ゲームと言う単語は聞いた事がない。
俺の知っている姫松の情報と言えば、強豪校であり、中堅にエースを置く伝統があるくらいだ。

漫「姫松では…練習の度に目標ってのが決められてな。それが達成出来へんと罰ゲームさせられんのよ…」
京太郎「あぁ、なるほど…」

ここでそれを持ち出すと言う事はつまり、今回にもそれが設定されていたのだろう。
そして、その内容までは知らないものの、俺が関係している事らしい。
そこまでは分かったものの、上重さんから次の言葉が出る事はなかった。
そのままもじもじと椅子の上で落ち着きの無さを発揮し、視線をあちこちに彷徨わせている。


京太郎「(どうやらかなり恥ずかしい事みたいだな…)」

そう察する事は出来るものの、俺から上重さんにどうアクションを起こして良いか分からない。
ここで下手に突っ込むと墓穴を掘りかねないし、何より俺にはまだ事の全容というものがまったく見えてこないのだ。
何となく察する事は出来るものの、それが違ったら恥ずかしいなんてレベルじゃない。
結果、俺から何かを語りかける事は出来ないまま、俺はじっと上重さんの言葉を待ち続ける。

漫「それで…うちの目標設定が通算成績で一位って奴でな…」
京太郎「そう…ですか」
漫「う、うん。それで…その…罰ゲームの方なんやけれど…」

会場に俺たちしかいなくなってから、ようやく上重さんがポツリと言葉を漏らし始める。
それは麻雀の目標としてはかなり厳しいものだろう。
俺はさておいても、モブ1さんもモブ2さんもかなりの実力者だった。
運が実力というものに大きく絡んでくる麻雀で、通算成績で一位と言うのはかなり難しい。
実際、インターハイに出るほどの実力を持つ上重さんが三位に落ちているのがその何よりの証拠だろう。

京太郎「(或いは…それだけやって然るべき…なのが姫松のレギュラーなのかもしれないけれど)」

麻雀は確かに運が実力に大きく反映される競技だ。
しかし、それは最上位の実力者たちには通用しない論理である。
運命をねじ曲げ、勝利を手繰り寄せ、周囲を引き倒す。
そんなオカルト染みた能力がこの世界には存在するのだから。
あのインターハイを勝ち抜いた清澄だって、似たような力の持ち主は複数いる。
それを考えれば、高すぎるその目標設定は寧ろ、期待の現れではないのかと思った。


― だが、次の瞬間、それが粉々に打ち砕かれた。

漫「す、須賀君との個人レッスンなんや…」
京太郎「…は?」
漫「だから…その…個人レッスン…」

そう言って言葉を絞り出すような上重さんの顔は気の毒になるくらい真っ赤なものだった。
けれど、俺はそれを何処か他人ごとのように見つめている。
俺にはまだ上重さんの言葉に理解が追いつかず、実感の欠片も湧いて来ないのだ。

漫「う、うちが決めたんとちゃうよ!?だ、代行がやれって…し、仕返しだって…」

何が起こっているのかすら分からず、呆然とするしかない俺が呆れていると勘違いしたのだろう。
大きく声を張り上げて訂正する上重さんの姿に少しだけ思考が追いついてきた。
どうやら、これは上重さんに対する嫌がらせ…と言うより弄りの一種なのだろう。
何の断りもなくその出汁にされるのはちょっとどうかと思うが、あの何処かぽわぽわした人がその辺を考慮するとはあまり思えない。
多分、『面白そう』という感情だけで人を巻き込んでくれたのだろうと言う事がありありと想像出来てしまった。

京太郎「(それに個人レッスンって言っても麻雀の事だろうし)」

顔を真っ赤にした上重さんの姿に思わずイケナイ事を連想してしまったが、ここで言うレッスンなんて麻雀の事しかあり得ない。
それなら初心者である俺は別に断らないだろうと、あの赤坂さんも思ったのだろう。
実際、俺にだって強くなりたい気持ちはあるし、姫松のレギュラーの人に教えてもらえるのであれば渡りに船だ。
打っている最中に色々、不安になる事はあるものの、俺は麻雀が好きだからこそ、この合宿にも着いてきたのだから。


京太郎「俺は大丈夫ですよ。寧ろ、嬉しいくらいです」
漫「うぅ…ごめんな、巻き込んで…」シュン
京太郎「(あぁ…これはちょっと重症だな…)」

俺の言葉も耳に入らない様子でシュンとした姿を見せる上重さんに俺はどうしたら良いか考え込んだ。
とは言え、俺と上重さんはまだ付き合いも浅く、別に友人でも何でもない。
あまり親しげな真似は出来ず、またどうしてあげられたら元気が出るのかと言う判断材料も少なかった。
結果、俺が選べるのは経験に裏打ちされたものでしかなく… ――

京太郎「何を言ってるんですか!?上重さんみたいな可愛い人に教えてもらえるなんて役得ですよ役得!」
漫「ひにゃ!?」
京太郎「…あれ?」

ダッと立ち上がり気味になりながらの言葉に上重さんが可愛らしい悲鳴をあげながら、顔を赤く染めた。
てっきりこの卓に着いた時みたいに嬉々としてこっちを弄ってくるものだと思いきや、そんな様子はない。
寧ろ、もじもじと指と指と絡ませて、初心な反応を見せていた。
そんな上重さんの姿に自分が初対面時と同じように『やってしまった』のを悟る。

漫「うー…い、今はダメ…それ反則やって」
京太郎「す、すみません…」
漫「い、いや…ええけど…うちに気ぃ遣ってくれたんは分かるし…」

どうやら俺は今一、場の空気というものを読み切れていなかったらしい。
そんな自分に自嘲を浮かばせながらゆっくりと席へと座り直せば、チラチラと上重さんが俺に視線をくれる。
まるで気にしないようにしているのに、どうしても視線がそっちに行くようなその反応に俺は首を傾げた。
そんな風に意識される理由など、またやってしまった俺には思いつかず、グルグルと取り留めのない思考が脳を過る。


漫「そ、それににしても…須賀君って意外とタラシ君なんやね。女の子の弱味に漬け込んで口説くとか…流石な手の速さやで」
京太郎「流石って…上重さんの中では俺はどんな奴なんですか…」
漫「初対面の女の子を口説く上に、弱味にも容赦なく、付け入るスケコマシ?」
京太郎「ぐっ…やっている事がやっている事だけに何も言えねぇ…」

結局、その思考は答えを出さないまま、元に戻った上重さんとの会話を楽しむ事にする。
決して確信がある訳ではないが、上重さんのそれは決して悪いものではないのだ。
それならば、一々、気にしてこの会話を途切れさせる必要はない。
上重さんが少しでも自責から逃れられたのであれば、それだけで俺が自分から弄られに行った甲斐があるのだから。

漫「そんな事ばっかりやってたら何時か刺されるで」
京太郎「そうなれるくらい女性と縁があれば、本望なんですけれどね…」

実際には雑用に半年を捧げており、青春の象徴でもある高校生活の始まりとしては中々に悲しいスタートダッシュをしていた。
勿論、それに対して後悔はしていないとは言え、もうちょっと何か甘酸っぱいイベントとかあれば良いのに、と思わなくはない。
折角の青春なのだ。
麻雀も恋も、どっちも全力で楽しみたいと思うのが男の性と言う奴である。

漫「なんや。清澄の黒一点でモテモテなんちゃうの?実は清澄は須賀君のハーレムとかそんな予想すらしてたんやけど」
京太郎「それ最早、スケコマシ通り越してただの外道じゃないですか…」

部活仲間に手を出すだけでは飽きたらず、ハーレムまで形成するとか刺される云々のレベルじゃない。
最早、天の代わりに人が罰を下しても許されるレベルだと思う。
ましてや俺は似たような立場ながらも、そんな色恋沙汰とはまったく無縁の生活を送っているのだ。
もし、そんな平行世界の俺がいるならば、全力でぶん殴っても許されるだろう。


京太郎「(和の件は…寧ろ事故みたいなものだろうしなぁ…)」

あれがお互い想い合った結果ならば、俺もこんな事は思わないだろう。
だが、アレは今でも何が作用したのかはっきりと分からないくらい不思議でありえない出来事なのだ。
それを色恋沙汰にカウントするのは正直な話、違和感を禁じ得ない。
それと同時に目を逸らしていた事実がズシンと胸にのしかかり、重苦しい感情が全身へと広がっていった。

漫「じゃあ、うちが彼女に立候補しても大丈夫?」
京太郎「…え?」

が、その瞬間、俺の思考が止まり、感情が塞き止められた
それと同時に沈黙が帳となって俺達へと降り、見つめ合ったまま停止する。
一体、上重さんが何を言っているのが分からず、俺は口をパクパクと魚のように開閉させた。
しかし、それも数十秒もすれば、少しずつ理解が追いつき、思考も回り出す。

京太郎「(上重さんが…彼女…?)」

つまり、あの素晴らしいおもちをこの手で味わったりしても許されると言う立場になれるという事だ。
コネコネして、チュッチュして、ベロンベロンしながら、パフパフしても良いのである。
その上、こんな童顔で可愛らしい人とイチャイチャする事が出来るのだとしたら断る理由なんてない。
寧ろ、俺の方から土下座してでも付き合ってくださいと言うべきだろう。

漫「…なんやまたやらしい顔をしとるんやけど…」ジトー
京太郎「ハッ…す、すみません…」

そんな俺の視線に気づいたのだろう。
胸元をそっと腕で覆いながらの、冷たく言う上重さんに俺は正気に戻る事が出来た。
幾ら予想外の一言であり、相手がかなりのおもちを持っているとは言え、流石にちょっとがっつき過ぎである。
こんな真似をしているから嫌われるのだと分かっていても、止められない男子高校生の性に俺はそっと胸中でため息を吐いた。


漫「そんながっつく子にうちはやれんなぁ…」ニッコリ
京太郎「うぅ…男の純情を弄ばれた…」

勝ち誇るような笑みを浮かべる上重さんにガックリと肩を落とすその言葉は決して冗談ではなかった。
勿論、冷静に考えれば、頭の出来がよろしくない俺にだって冗談だと気づく余地はあっただろう。
しかし、冷静さそのものを吹き飛ばすようなインパクトある言葉を上重さんは放ってきたのである。
恐らく百回試したところで、俺は必ずその言葉に引っかかり、今回のような醜態を晒す事だろう。

京太郎「(流石に…ちょっと今のは悔しいし…何より危なっかしい)」

勿論、それは俺が自分から弄られに行った結果だと言う事は理解している。
だが、かと言って、男子高校生の性を刺激するようなセリフは悔しいし、何より危険だ。
上重さんほどの美少女となれば、相手が変な誤解をして、事件に巻き込まれるかもしれないのだから。
ここは仕返しも兼ねて、それをちゃんと上重さんに思い知ってもらうべきだろう。
そんな事を考えながら、俺はそっと上重さんの顔を見つめた。

京太郎「…って言うか、がっつかなくなったら彼女になってくれるんですか?」
漫「うっ…そ、それは…」

まさかそう返されるとは思ってもみなかったのだろう。
言葉を詰まらせる上重さんの姿に俺は内心、笑みを浮かべた。
とは言え、ここで引いてあげるつもりはまったくない。
別に怒ったり恨んでいる訳ではないが、ここで止めてしまうと上重さんが男の脅威を知らぬまま終わってしまう。
それに…まぁ、思ったより可愛らしい反応をする上重さんにもうちょっと苛めたくなってしまっていた。


漫「そ、そう言うの生意気やで…こ、後輩の癖に…!」
京太郎「後輩の前に男ですから。それで…どうなんです?」キリッ

あくまでも冗談の一つとして躱そうとする上重さん。
しかし、俺はそれを許さず、グイグイと押し込んでいく。
勿論、普段はこんな真似しないし、出来ない。
俺の回りの女子たちは揃いも揃って、我が強く、また地位的にも上にいるのだから。
もし、そんな事やろうものならフルボッコにされて終了だろう。
しかし、上重さん相手なら、そんな心配は無い。
その上、『上重さんの為』という免罪符もあれば、俺の冗談が止まるはずがなかった。

京太郎「俺は男として見れません?そういう対象外ですか?」
漫「そ…それは…まだ分からんって言うか…」
京太郎「(そりゃそうだよなぁ)」

こうして気安く冗談が言える仲とは言え、俺と上重さんはまだ出会って一日も経っていないのだ。
そんな間柄でこうして男として迫っても色良い返事が貰えるはずがない。
寧ろ、ここで『見れる』と言われたら、ぶっちゃけ俺の方が困ってしまう。
俺はあくまで上重さんに男の脅威を教えるのが目的であって、本気で口説いてる訳じゃないのだ。
まぁ、そうなれば役得だと思うが、そんな展開があるとはまったく想定してない。

京太郎「じゃあ…何時になったら分かります?」
漫「い、何時って…」
京太郎「この合宿中、一緒にいれば、俺のことを好きになってくれますか?」
漫「ふぇ…えぇ!?」カァ

思わず席を立ち上がりそうな勢いで驚きの声をあげる上重さんに俺は自らの企みが成就していく実感を得た。
後は上重さんが何かしら反応をした後にネタばらしをすれば、それで俺の目的は達成される。
まぁ、後で多少、怒られたり、拗ねられたりするかもしれないが、理由が理由だけにそれが尾を引くことはあまりないだろう。
誠心誠意謝ればすぐとまでは言わなくとも、それほど時間が経たずに許してもらえるはずだ。


漫「……んばる」
京太郎「…え?」
漫「こ、告白なんてされたなんて初めてやし…ま、まだ分からんけど…でも…」
漫「う…うちなりに頑張って…答え…出す…から…その…」マッカ
京太郎「あれぇ…?」

俺にとって唯一の誤算があるとすれば、俺と同じテンパり方を、さらに激しく上重さんがしていた事だ。
照れる事はあっても、まさかこんな風に真剣な返事をくれるとはまったく思っていなかったのである。
しかし、全く想定をしていなくとも、何もアクションを起こさない訳にはいかない。
と言うか、このまま呆然としていると本格的に冗談の域を超えて、上重さんを傷つけかねないのだ。
俺はあくまで上重さんに教えたかっただけであり、別に傷つけたいと思ってこんな冗談を言っている訳じゃない。
それだけは防がなければいけないと、俺は立ち上がり、上重さんの視線を引き付ける。

京太郎「え、えっと…ドッキリ大成功~…的な…その…」
漫「…」アゼン
京太郎「…」
漫「…」カァ
京太郎「…」

そのまま紡いだ俺の言葉に上重さんが唖然とした顔で俺を見る。
きっとさっきまでの俺のように何を言われているかの理解が及んでいないのだろう。
しかし、似たような経験のある俺には良く分かるが…二十秒ほど経てば、少しずつ混乱から復帰し、色々な事が分かってくるのだ。
実際、上重さんの顔はすっと紅潮が冷めた後、今度は羞恥に赤く染まり、そして頬を含ませて不機嫌さを現すものへと変わっていく。


漫「うち、今は須賀君の事本気で殴っても許される気がする」ムッスー
京太郎「すみません!ほんっとすみません!!」

苛立ちと悔しさを感じさせるその言葉に、俺はその場で勢い良く頭を下げた。
正直、ここまで本気にされるとは思っていなかったとは言え、俺が上重さんの気持ちを無駄にしてしまったのは事実である。
ここは言い訳よりも先に、土下座でも何でもして許しを請う事が最優先だ。

漫「乙女の純情弄んだ…」
京太郎「すみません…」
漫「初めての告白やったのに…」
京太郎「すみません…っ」
漫「ちょっと浮かれたうちが馬鹿みたいやんかああああ」
京太郎「すみません!な、何でもしますから!!」

堰を切ったように溢れだす上重さんの言葉に気圧されながら、俺はひたすら謝罪を繰り返す。
その甲斐あってか、少しずつ上重さんは落ち着きを取り戻し、溜飲を下げてくれた。
それでも尚、悔しさはなくならないのか、肩をフルフルと震わせているが、それだって最初の頃に比べれば遥かにマシだろう。
それに一つ安堵の吐息を漏らした俺の前で、上重さんがそっと唇を動かした。

漫「…ハーゲンダッツのキャラメル味」
京太郎「は、はい…!い、今すぐ!」
漫「別にええよ、後で…。これからご飯なんやし…」

そこでハァと大きなため息を吐く上重さんに俺は何を言えば良いのか分からない。
流石にここで言い訳を始めるのは不誠実過ぎるし、ましてや上重さんは未だその奥に不満が溜まっている状態なのだ。
謂わば、不発弾も同様であり、下手な刺激を加えるのは避けたい。
結果、俺は上重さんから話題を振ってくれるのを待つしかなく、そのまま無言の時が続いた。


漫「でも、ああいうのちょっとやり過ぎやで…」
京太郎「その…最初は上重さんに『そういった男のからかい方をしちゃダメだ』って教えるつもりだったんですが…」
京太郎「上重さんが可愛すぎて、途中から止まれなくって…エスカレートしてしまってですね…」
漫「ふぇ…?」

数分後、ようやく落ち着いたのか、ポツリと漏らすような上重さんに俺は必死に事情を説明した。
それでも許して貰えるとは到底、思ってはいなかったものの、一応、理由があった事は知っておいて欲しい。
そう思いながらの言葉は上重さんの可愛らしい声を引き出す事に成功した。
まるで予想外のところから追い打ちを食らったようなそれに俺が首を傾げた瞬間、上重さんの顔がまた赤く染まる。

漫「そ、そういうタラシなセリフ…今はあかんよ。禁止」カァ
京太郎「え…?」
漫「つ、次言うたら、ダッツの抹茶味も買うて来て貰うから」
京太郎「わ、分かりました…」

理由すら告げず、一方的に禁止だけする上重さんに気圧されながらも頷いた。
一応、バイトはしているとは言え、殆どが麻雀の教本の類やちょっとした差し入れなどで消えていくのである。
部活動でそう頻繁にバイト出来ないと言う環境もあって、出来るだけお金を無駄にはしたくない。
幾ら300ちょっとのアイスと言えど、積もれば結構な出費になるのだ。

漫「はぁ…もう…ホント…馬鹿みたいやん…」
京太郎「す、すみません…」
漫「謝らんでええよ。別にもう怒っとる訳やないし…ただ、自分にちょっと呆れとるだけ」

そこでもう一つため息を吐いた上重さんはぐっと大きく背伸びをして、ゆっくりと立ち上がった。
その足取りは決して軽いとは言えなかったが、さりとて落ち込んでいる様子もない。
とりあえず俺の見える範囲ではさっきの事を引きずってはいないようだ。
隠しているだけと言う可能性もあるので完全に安心は出来ないが、今すぐ暴発する嬉々は避けられたのだろう。


漫「とりあえず…もうそろそろご飯やし、一回ここで解散な」
京太郎「はい」
漫「その後は入浴タイムやし…それ終わったら須賀君の部屋行くから」
京太郎「はい…え?」

この後の予定を口にする上重さんに反射的に頷いた瞬間、俺はそれに疑問を覚えた。
一体、どうして上重さんが俺の部屋に来る必要があるのか。
あり得ないとは思うものの、さっきの諸々でフラグでも立ったのか。
それともさっきの仕返しをする為に俺をからかっているだけなのか。
そんな思考が頭の中をグルグルと回り続け、俺をその場に立ち止まらせる。

漫「ちょ、ち、違うで!そういう意味ちゃうから!!た、ただ…個人レッスンせぇへんかったらあかんし…」
京太郎「あ、あぁ、なるほど…」

そんな俺の思考を様子から読み取ったのだろうか。
顔を微かに紅潮させながら、付け加えられた上重さんの言葉に俺は納得の言葉を返した。
さっきのやり取りで忘れていたものの、まだ個人レッスンというものが残っているのである。
俺としては別にやらなくても良いと思うものの、根が真面目な上重さんにはそれは許せないのだろう。


京太郎「でも、それって拙くないですか…?」
漫「んな事言うても…この宴会場もこの後で使えるかどうか分からへんし…」
京太郎「かなり魔改造してますしね…」

遊戯室から麻雀卓をわざわざ運び込んでもらったというこの宴会場は完全に旅館側の好意で成り立っているものだ。
そんな場所をたった二人の練習の為に解放してくれとは言い難い。
明日も朝からここで麻雀を打ち続けると言う事もあり、旅館としては今のうちに掃除をしておきたいだろうから。
そして、それが麻雀卓があるが故に、普段より手間と時間が掛かると言うのは想像に難くない事だった。

漫「うちの部屋はもっとあかんやろ」
京太郎「そりゃ…まぁ、警戒心マックスで練習どころじゃないでしょうけど…」

上重さんは姫松のレギュラーと言っても、一室まるまるを与えられるような待遇じゃない。
その部屋の中には何人かの女子生徒がいて、それぞれが移動の疲れを癒そうとしているのだ。
そんな中、男が入っていくのは流石にちょっと気が引けるし、申し訳ない。
ある種、針のむしろのような場所に行きたくないと言うのは紛れもない本音であった。

漫「って事は消去法で須賀君の部屋しかないやん?」
京太郎「いや…遊戯室とかロビーのソファーとか色々あると思うんですが…」
漫「遊戯室もロビーも人多くてうるさくて集中でけへんやろ?」
京太郎「だからって男の部屋に来るのはどうだって気がしますよ!?」

この人はさっき俺が身を呈して教えようとした事をまったく分かっていないのか。
そんな事すら思わせる言葉をあっけらかんと言い放つ上重さんに、俺はそっと肩を落とした。
これが咲みたいに気心と距離感の知れた相手であれば、俺だってここまで抵抗はしない。
精々、変な噂の元にならないように気をつける程度だ。
しかし、相手は姫松のレギュラーであり、まだちゃんとした距離感を測り切れていない相手である。
さっきみたいに何がどう転ぶか分からない以上、俺の部屋に呼ぶと言うのはかなり危険な行為だ。


漫「別に須賀君がうちを襲わへんかったらええだけの話やろ?」
京太郎「いや…そうですけど…でも、俺が上重さんみたいなのがタイプだって分かってますよね?」
漫「そりゃ分かっとるよ。それに決して理性的ってタイプじゃない事もさっきの事でよぉぉぉっく分かっとる」
京太郎「う…」

やはりさっきの事を根に持っているのか、強調する上重さんの言葉に俺は言葉を詰まらせた。
勿論、自分でも自覚している事であるとは言え、そうやって言われるとやっぱりクるものがある。
それに胸を抑える俺の前で上重さんはニッコリと笑いながら、言葉を紡いだ。

漫「でも、須賀君は麻雀に真剣やん」
京太郎「…え?」
漫「あんなに悩んで、あんなに苦しんで、それでも麻雀をやれるくらい好きなんやろ?」
京太郎「それは…」

俺の逡巡を好意的に解釈してくれている上重さんに何を言えば良いのか分からなかった。
勿論、始めた動機こそ不純であれど、今の俺は麻雀が好きで、強くなりたいと思っているのは事実である。
だが、俺が悩んでいた原因はそんな前向きなものではないのだ。
もっと不純で臆病な…どうしようもない理由から俺は逃げ、少なくとも二人の人を不快にさせてしまったのである。


京太郎「(でも…それを言う勇気は俺にはない…)」

そもそも俺自身、どうやって説明すれば良いのか分からないし、確証もないのだ。
あるのはただ馬鹿げた予想を裏打ちする状況証拠だけであり、色々と自分で試した事さえない。
そんな推論にもなっていないような予想を信じて貰えるとは到底、思えず、運が良かったとしても引かれるだろう。
この数時間で上重さんに好意的なものを抱いている ―― 勿論、人間的な意味で ―― 俺にとって、それは選べない選択肢だった。

漫「それに…これくらいやらへんかったら須賀君に悪いしな」
京太郎「?」

そんな俺の前でポツリと呟かれたその言葉に俺は疑問を覚えた。
逃げ続け、姫松の人に迷惑をかけている俺ならばまだしも、どうして上重さんが俺に悪いと思うのか。
それがまったく分からない俺の前で上重さんがそっと頭を振った。

漫「いや、ごめんな。こっちの話や」
京太郎「…そうですか」

どうやら遠慮や気遣い以外に理由があるのは確かだが、それを俺に言うつもりはないらしい。
それでも気になる事は気になるが、無理矢理、聞き出そうとするのは主義に反する。
それに、何だかんだ言って俺と親しくしてくれている上重さんが秘密にするという事はそれだけ理由があるという事なのだろう。
それを変に勘ぐって、上重さんとの関係を悪いものにしたくはない。

漫「じゃ、また後でな」
京太郎「えぇ。…って、う、上重さん!?」

そんな事を考えている間に、上重さんはダッと逃げるように走りだし、俺の視界から消える。
その様に俺はさっきの話の流れを思い出したが、時既に遅かった。
俺の声は誰もいない宴会場の中で虚しく響くだけで、上重さんの背中に届いているかも怪しい。


京太郎「…やられたなぁ…」

ほんの一瞬、油断した隙を突かれて逃げ出されてしまった。
お陰でこの後の個人レッスンはなし崩し的に俺の部屋で行う事が決まってしまった訳である。
それを楽しみにする反面、不安が残るのは俺自身、自分の理性と言うものを信じきれていない所為だろう。
何だかんだ言って和の時もやらかしてしまった俺の信頼など、暴落した株券も同様である。

京太郎「(でも…まぁ…)」

まだリカバリーがまったく出来ない訳じゃない。
集合場所は確かに俺の部屋にはなってしまったが、まだ上重さんと説得できる余地は残っているのだから。
そう自分に言い聞かせながら、俺はそっと宴会場を後にする。
そのまま自室に向かう足取りは心なしか軽く、気分も浮かれたものになっていたのだった。


………

……






京太郎「(そこそこの規模を持つ旅館だけあって、食事はかなり美味かった)」

京太郎「(シーズンじゃないとは言え、こんな豪華な食事で部費が大丈夫なのか不安になったくらいだぜ…)」

京太郎「(そして、勿論、温泉は凄い気持ち良かった)」

京太郎「(露天風呂もすげぇ見晴らしが良くってついつい長湯してしまったくらいだ)」

京太郎「(お陰で秋の肌寒さに負けないくらい身体がポカポカしてるんだが…)」

京太郎「(なんつーか…何か忘れているような気がしてならない…)」

京太郎「(なんかこー…割りと重要な事だったような気だけはするんだが…)」

京太郎「(リラックスした脳が思い出すのを拒否しているというか、思考をそっちに持って行きたがらないと言うか)」

京太郎「(そんなムズムズした感覚なのに、部屋で一人伸びてると安らいで仕方がない)」

京太郎「(あー…気を抜いたら、このまま眠ってしまいそうだ…)」

京太郎「(でも、上重さん来るし…俺が起きてないと部屋に入れないしなぁ…)」ピクッ

京太郎「(ん…今、何か引っかかったような…なんだっけ…?)」





― コンコン



京太郎「(あ…ノックって事は…上重さんか…)」

京太郎「(何とか俺が寝る前に来てくれて助かった…)」

京太郎「よいしょっと…」ムクリ

京太郎「はーい。今開けますよっと…」トテトテ



― ガチャ



京太郎「おまたせしました」

漫「や。さっきぶりやね」

京太郎「お、おぉ…」

京太郎「(恐らくさっきお風呂からあがったばかりなのだろう)」

京太郎「(今にも湯気が立ち上りそうなくらい紅潮した肌が眩しい)」

京太郎「(その上、今の上重さんは真っ白な浴衣を着ていて…こうなんとも言えない色気が…)」

京太郎「(身体のラインを隠す浴衣を持ち上げるほど巨大なおもちの所為か)」

京太郎「(或いはこう…首元やうなじを露出させている所為か)」

京太郎「(俺の経験では原因までは分からないものの、その姿はまさしくすばらなものだった)」



漫「また何かやらしい視線を感じるわぁ」ジトー

京太郎「あ…すみません…」ペコリ

京太郎「い、いや、でも、上重さんも悪いんですよ!?」

京太郎「男の部屋に浴衣姿で来るなんて反則ですってば」

漫「なぁに?開き直るん?」

京太郎「いえ、ただ、裁判長に情状酌量の余地ありと思っていただきたいだけで…」

漫「ふふ。あかんで、そんなん」

漫「乙女の肌は治外法権で情状酌量なんか無関係なんやからな」

京太郎「なんという横暴…」

漫「それが嫌やったらそうやってジロジロ見るのをやめればええだけやって」

漫「尤も…須賀君には無理かもしれへんけれど」クスッ

京太郎「くぅ…お、俺だってやれば…」

漫「出来るん?」ギュ

京太郎「…」

漫「出来るん?」プルン

京太郎「すみません。無理です。だから、その胸を抱いて強調するポーズは止めて下さい」


漫「まぁ、折角の温泉言うたら浴衣の一つは着たいやん?」

漫「他の子もきゃあきゃあ言いながら浴衣着とったで」

京太郎「そう言われると凄い気になりますね」

漫「何?うちと一緒におるのに、他の子を気にするん?」

京太郎「そうしないと上重さんを襲ってしまいそうなくらい魅力的だって思って下さい」

漫「もう…軽く受け流す上に反撃までしてくるとか…何かどんどん口が上手くなってへん?」

京太郎「上重さんが俺の事からかうから、成長するしかないんですよ」

漫「悲しいわー。昔の初心な須賀君は何処に行ったんやろうか…」

京太郎「俺を染めたのは上重さんなんですから責任とって下さい」

漫「え…嫌やわそんなん」ヒキッ

京太郎「うわ、ここで素に戻るとか卑怯ですよ…」

漫「ふふん。卑怯で結構こけこっこーやで!」

京太郎「(それ高校生が言うセリフじゃないと思ったけれど、流石に言わないであげておこう)」


京太郎「んで、まぁ、流石に浴衣姿の上重さんと個室で二人っきりってのは我慢出来るか不安です」

京太郎「なので、俺としては別の所でやりたいんですけれど…」

漫「大丈夫やって。何とかなるって」

京太郎「何でそんな大らかなんですか。つーか、もっと男に対して警戒心持って下さいよ」

漫「警戒心くらい持っとるよ。ただ、本当に危ない人はそんな事言わへんって思っとるだけで」

漫「それにそっちこそ女の子に対して警戒せんといかんよ?」

漫「浴衣姿にハァハァしとるんは須賀君だけやないかもしれへんねんから」

京太郎「いや、ハァハァしてないですって」

京太郎「と言うか、それって…」

漫「うん。そっちの浴衣姿も似合うとるよ。何時も以上にイケメンさんやね」ニコッ

京太郎「う…」カァ

漫「ふふ…やっぱりこうやって素直に褒められるの慣れとうらへんな?」

漫「可愛ええ子やねー」クスクス

京太郎「くそ…何か凄い勝ち誇られてる…!!」

漫「実際、勝ってるんやもん」ドヤァ


漫「まぁ、そんなに言うなら場所を移してもええけれど」チラッ

京太郎「?」

漫「ほら、アレやってアレ」

京太郎「アレ…?」

漫「も、もう…焦らすんは卑怯やで…。ほら、お風呂上りに食べたくなるアレや」

京太郎「アレ……アレ……あっ」



京太郎「(あぁ…そうか。さっきから忘れてたものをようやく思い出した…)」

京太郎「(俺、上重さんにハーゲンダッツのキャラメル味を買ってくるって行ってたじゃないか…!)」

京太郎「(だけど…勿論、そんなもの買ってるはずがない…)」

京太郎「(ご馳走食べてお風呂入って…それからずっと部屋の中でゆっくりしてたんだから…!)」



漫「」チラッチラッ



京太郎「(あぁっ!でも、すっごい期待した目で上重さんが俺を見てる…!)」

京太郎「(こ、これはかなり言い出しにくい…)」



漫「…なぁ、もしかして…」

京太郎「恐らく大体、上重さんが予想されている通りだと愚考します」

漫「そっかー…そうかぁ…」

漫「うちが風呂あがりのフルーツ牛乳を飲むことなく、真っ先に会いに来たのに」

漫「何でもするって言ってた須賀君がそれをかんっぺきに忘れてるとはなぁ」

漫「これは教育やろなぁ」ニコニコ

京太郎「す、すみません!!」ドゲザー

京太郎「い、今からダッシュでパシって来ますんで!」

京太郎「抹茶味でも何でも追加で買ってきますから!!」

京太郎「ど、どうか平に!平にご容赦を!!」

漫「…」


漫「別にそこまでせんでええよ」

漫「期待してたのは確かやし、楽しみにもしてたけど」ジトー

京太郎「うっ…」

漫「でも、原因がうちにあったのも理解してるし、悪気があってやった訳ちゃうのも分かっとる」

漫「だから、男がそないな事で土下座なんてするんやない」

漫「そんな簡単に土下座しとったら安く見られるで」

京太郎「は、はい…」

漫「ほら…もう…本当に怒っとらへんし、顔をあげて立ち上がりぃな」

京太郎「あ、ありがうございます…」

漫「礼なんかええよ」

漫「その代わり、今日の会場は須賀君の部屋決定な」ニコッ

京太郎「ファッ!?」


漫「いやぁ、うちもそんな事しとうないねんけど…」

漫「やっぱり同じ失敗を二回繰り返さへん為には罰が必要やん?」ニッコリ

漫「偉い人も『痛くなければ覚えませぬ』って言ってた事やしな」

京太郎「い、いや…それ何か違うような…」

漫「何?」ニコッ

京太郎「いえ、すみません。何でもないです」

漫「そうやろ?」

漫「まさかお詫びの品を買ってくるのを忘れた須賀君に異論なんかあるはずないやんなぁ?」

京太郎「さ、サー!まったくありません。サー!」

漫「うんうん。物分りの良い後輩を持って、うちは幸せやで」

京太郎「いや、だから、俺は後輩じゃ…」

漫「うん?」ニコッ

京太郎「サー!なんでもありません!サー!」


漫「だから、これからするのは決して『KAWAIGARI』やないで?」

漫「うちが須賀君の事を大事な後輩やって思うとるが故の教育や」

漫「まぁ、ちょっと厳しいかもしれへんけれど、それは別にダッツの事忘れられてた恨みは関係ない」

漫「ただ、先輩としてちょっぴり厳しくする必要があると思ったからの…愛のムチや」

漫「それも賢い須賀君には分かるやんな?」ニッコリ

京太郎「も、勿論です!サー!」

漫「よしよし。それじゃあやろうか?」

漫「なぁに、最初はちょっと辛いかもしれへんけど、これも須賀君の為や」

漫「勿論、うちの面子を立てて耐え切ってくれるやんな?」ニコッ

京太郎「は…はい…頑張ります…」ガタガタ

漫「ん?うちが聞きたいのは頑張るなんて曖昧な言葉とちゃうで?」

京太郎「ぜ、絶対にやり遂げてみせます!!」

漫「それでこそ須賀君やね」ニコー



漫「それじゃあ、まずはこの教本からやってこうか」

漫「なに、ちょっと初心者には辛いかもしれへんけど、ちゃんとうちが教えるし、安心し」

漫「まぁ、口調がたまに厳しくなる時があるかもやけど、須賀君さえ頑張れば大丈夫や」ニッコリ

京太郎「は、はい…」カタカタ





漫「(…とやらせはしたものの…なんや…意外にできとるやん…)」

漫「(これ…末原先輩から貰ったもので…今のうちでも結構難しいのに…)」

漫「(これが本当に初心者…?本当に…合宿中に一度も和了れんで焼き鳥続きやった須賀君なんか…?)」

漫「(それとも…対局中は手加減してた…?)」

漫「(いや…そんなんはあり得へん)」

漫「(罰ゲームかかってたから…あんまり表情まで見る余裕なかったんやけど…)」

漫「(これまで接してきた中で須賀君はそんな不誠実な奴やないって分かっとる)」

漫「(あんな…宮永咲みたいな力を誇示するだけの舐めプなんてするような奴とちゃう)」

漫「(同じ清澄でも…須賀君は違う…違うんや…)」


京太郎「(あ、これ、のどっちゼミでやった問題だ!)」

京太郎「(なーんて冗談が浮かぶレベルでスルスル進むぜ…)」

京太郎「(ホント、和サマサマだな…)」

京太郎「(こうやって教本と睨めっこすると本当に大事な要点だけ抑えてくれていた事が分かる)」

京太郎「(アレで意外と面倒見も良いし、意外とプロ雀士とかじゃなくて、先生の方が向いてるのかもなぁ…)」

京太郎「(…いや…俺が和の事を考えている資格なんてない…か)」

京太郎「(和が合宿に参加しない理由なんて俺の所為以外のなにものでもだろうし…)」






漫「(何か良く分からんけど…いきなり落ち込み始めた…)」

漫「(何処か思いつめた表情をしとるし…やっぱり何かあるんやろうか…?)」

漫「(勿論…先輩として聞いた方がええんやろうけど…でもなぁ…)」

漫「(まだ会って一日しか経ってないうちが聞いてええような話なんやろうか…)」

漫「(個人的にはもう数年来の友人みたいな感覚で接してるけど…須賀君はそれが迷惑かも分からへんし…)」

漫「(う、うぅぅ…こういう時、末原先輩やったらどうするやろ…)」


京太郎「(そもそも…俺は…麻雀をやってて…本当に良いのか…?)」

京太郎「(今日の対局だって…人を不愉快にさせたばかりだった)」

京太郎「(上重さんは気にしていないみたいだけど…それでも俺の態度が不誠実なのは確かだろう)」

京太郎「(和了っても…和了らなくても相手に迷惑を掛けてしまう…)」

京太郎「(そんな俺が…麻雀を打つ資格が…楽しむ資格があるのだろうか…)」

京太郎「(いや…そうやって自問自答しなくたって分かってるんだ…)」

京太郎「(俺はもう麻雀をするべきじゃない…)」

京太郎「(今までみたいに…雑用で皆を支える事で満足するべきなんだ…)」

京太郎「(そうやって雑用ばかりで過ごすのも…悪い生活じゃない)」

京太郎「(二足草鞋を履くよりは…皆に貢献出来るんだから)」

京太郎「(そう…そのはずだ。そのはず…なのに…)」

京太郎「(…俺はやっぱり麻雀がしたい…)」

京太郎「(折角、楽しくなってきたばっかりなのに…やめたくなんかないんだ…)」



漫「(何か…どよどよしたオーラが増え始めとる…)」

漫「(それなのに…どうしてペンが止まらへんのや?)」

漫「(まるで頭と心でまったく別の事を考えられてるみたいにサラサラ書けとる…)」

漫「(思い返せば…対局中かてそうや)」

漫「(ひたすら逃げを打ったところで回数が増えれば、振り込む事だってある)」

漫「(何時も安牌や現物を抱えられる訳じゃないねんから)」

漫「(けれど、須賀君は…絶対に振り込まへんかった)」

漫「(逃げに気づいてから他の子たちも優先的に須賀君を狙い撃とうとしてたのに…)」

漫「(何処か集中出来ていない様子の須賀君はそれから逃げ切ってみせた)」

漫「(…だから…なんか?)」

漫「(須賀君はただの初心者じゃなくって何かもっとる子やから…代行はうちと打たせようとしたんやろか)」

漫「(まだ分からへん…分からへんけど…うちは…)」




漫「なぁ、須賀君。ちょっと休憩しよか」


京太郎「え…?いや…でも、まだ…」

漫「はは。ごめんな。うちが退屈やねん」

漫「思ったより後輩が優秀な所為で口出しでけへんし…」

京太郎「あー…すみません」

漫「だから、謝らんでええってば」

漫「それよりちょっとお話せえへん?」

京太郎「話…ですか?」

漫「そうそう。先輩との心温まるコミュニケーションや」

漫「しかも、相手は須賀君の好みのタイプなんやで。嬉しいやろ?」

京太郎「いや、嬉しいっちゃ嬉しいですけれど…」

漫「よし。それじゃあ、ちょっとお茶淹れてくるから待っててな」トテトテ




漫「と言う訳で第一回漫京交流大会ドンチャンドンチャンパフパフー」

京太郎「わ、ワーイ」

漫「なんや…ノリが悪いで」

京太郎「いや、いきなり過ぎて着いていけませんって」

漫「あかんなー須賀君」

漫「この程度の無茶ぶり程度で怯んでたら姫松じゃやってけへんよ」

京太郎「姫松ってどんな魔境なんですか…」

漫「どんなって…」

漫「…」

漫「ち、違うんです、先輩。べ、別に罰ゲームから逃げようとした訳じゃなくって…」

漫「だ、代行…それ油性ペン…油性はダメです…さ、流石に拙いですってば…」ガクガク

京太郎「う、上重さん落ち着いて!」

漫「ハッ」

漫「ま、まぁ…その…大変なところなんや…」メソラシ

京太郎「(弄られ系だし、結構、苦労してるんだろうなぁ…)」


漫「まぁ、それでもうちは楽しんどるよ」

漫「色々、大変な事もあるし、何時か仕返ししたるって心に決めとるけど」

京太郎「(何かそれで変な事やってさらに弄られる姿がありありと予想出来るのはどうしてなんだろうか…)」

漫「でも、うちは今の姫松の皆が大好きで…今度こそ優勝したいと思うとる」

京太郎「上重さん…」

漫「須賀君には…そういうのないん?」

京太郎「え…?」

漫「こう…思い入れって言うか意気込みって言うか…」

漫「うちだけこういうの語るの何か恥ずいやん」

京太郎「自分から自爆したんじゃないですか」

漫「そりゃそうやけど、先輩ってのは何時の時代も理不尽なもんなんやで」

漫「うちかて昔は…」

漫「な、なんで皆、絵の具持ってはるんですか…え…い、いや、アートじゃないですって」

漫「う、うちの額はキャンパスでもなんでもないですよ…って黒ねずみはやばい…やばいですから…」フルフル

京太郎「う、上重さん帰って来て下さい!」

漫「ハッ」



漫「ま、まぁ…それで話を戻すけど…何かないん?」

京太郎「……いや…ないですよ」

京太郎「(そもそも…俺がそういう事を考えるべきじゃないんだろうし…)」

京太郎「とりあえず、強くなるのに手一杯です」ハハッ

漫「(少しだけ表情が強張っとる…やっぱり無理しとるんやろか…)」

漫「(でも…コレ以上突っ込んで本当にええの?)」

漫「(もしかしたら…須賀君を傷つけるだけかもしれへんで…?)」

漫「(そもそも…こうやって隠すって時点で、うちが信頼されてないのがまるわかりやん)」

漫「(ここで突っ込んだかって痛い女になるだけや)」

漫「(それだったら…明日からまた適度な距離感を保つ為に笑って流すべきやろ)」

漫「(うちに出来る事はやった。やったんやから…もうええやん)」



漫「(…う)」

漫「(…違う)」

漫「(末原先輩やったら…そんな事言わへん)」

漫「(うちがどれだけ落ち込んでる時でも誰よりも早く手を差し伸べてくれた末原先輩やったら)」

漫「(後輩思いで優しい末原先輩やったら…ここは絶対に全ツッパや…!)」

漫「(勿論、うちは末原先輩ちゃうし…出来るとは思えへん…)」

漫「(でも、もううちは…須賀君のそれが作り笑いやって気づいたんや)」

漫「(気づいてしもうた以上…もう前みたいに気軽に笑って麻雀できへん)」

漫「(それやったら…まだ…痛い女になった方がマシや)」

漫「(リスクから逃げて…なぁなぁで済ませた果てに後悔なんてしとうない)

漫「(行くで、漫…!女は度胸や…二言はあらへん…!!)」



漫「じゃあ、何でそんな辛そうな顔しとるん?」

京太郎「え…?」

漫「さっきから見とったけど…到底、普通やなかったで」

京太郎「それは…ただ、問題が難しくて…」

漫「うちでも詰まるような問題をサラサラ解いて見せてるのに、難しいはずないやん」

漫「本当は何かあるんやろ?」

漫「旅の恥はかき捨てって言うし…ちょっと先輩に相談してみたらどうや?」

漫「うちやったら部外者やし…だからこそ、話せる事もあるやろ?」

京太郎「いや…でも…迷惑じゃ…」

漫「なに、後輩の面倒見るのも先輩の仕事やで」

漫「それに、須賀君はもううちの愚痴聞いてくれたやん」

京太郎「あ…」


漫「そのお返し…って言うか、お礼かな」

漫「実は…結構嬉しかったし…参考にもなったから…」

漫「その分を…須賀君に返したいんや」

漫「…あかんかな?やっぱ、迷惑?」

京太郎「(う…そうやって上目遣いになられると…)

京太郎「(浴衣から零れそうな大きなおもちが顔と一緒に視界に入って…)」

京太郎「(た、ただでさえ隣に座って意識しないのが精一杯だったのに…)」

京太郎「(温泉の匂いとは違う甘い体臭が俺の鼻孔を擽って…)」

京太郎「(お、落ち着けマイサン!!今はシリアスなんだ!!)」

京太郎「(後で幾らでも構ってやるから、落ち着いてくれ…!)」

漫「……」


漫「あの…須賀君?」

漫「うちの勘違いやったら悪いんやけど…」

漫「…なんかまた目がやらしい感じなんやで…」

京太郎「あ…ぅ…」

漫「…はぁ…うちは一応、真剣に言っとるのに…」

京太郎「す、すみません!でも、こればっかりは仕方ないというか!」

京太郎「上重さんみたいな魅力的な人が隣に座るとどうしても意識してしまってですね!!」

漫「今はそういうこと言うとこちゃうで」ジロッ

京太郎「は、はい…」フルフル

漫「はぁ…もうまったく…」

漫「まぁ…須賀君らしいっちゃらしいんやろうけど…」

漫「折角、決意したのに…締まらんわぁ…」ハァ



漫「罰として、須賀君の秘密全部しゃべる事な」

京太郎「え、えぇ!?」

漫「当然やろ。もうここまで来たら、うちの面子の問題でもあるもん」

漫「洗いざらい喋ってもらうまで今日は帰らへんで」

京太郎「帰らないってそれこそ問題じゃないですか!!」

漫「須賀君が全部、喋れば何の問題もあらへんよ」

漫「それに…さっき『迷惑』って言ったって事は…迷惑になるような何かしら抱えとるのは確かなんやろ」

京太郎「あ…」

漫「そんなん知って、はいさようなら、なんて出来へんて」

漫「ここまで来たら一蓮托生や」

漫「気になったうちが寝不足になったりせんように…全部、話してもらうからな」ニッコリ


京太郎「(あぁ、俺はこの人の事を誤解していたんだ…)」

京太郎「(この人は…俺と似てなんかいなかった)」

京太郎「(ただ、ちょっと躓いていただけで…本当はこうやって人を引っ張る事も出来る人だったんだ…)」

京太郎「(見くびっていた…なんて言うのは…かなり失礼な話なんだろうけれど…)」

京太郎「(でも…純粋に凄いと思った)」

京太郎「(それと同時に…こんな顔も出来るんだなって…引き込まれて…)」

漫「須賀君?」

京太郎「あ…すみません…」

京太郎「…分かりました。全部、話します」

京太郎「でも…これはあくまでも『冗談』として聞いて下さい」

京太郎「事実だと思わなくても信じなくても構いません」

京太郎「ただの与太話だと思ってくだされば…それだけで結構です」

漫「…うん。分かった」

漫「どうしてそんな事言うのか分からんけど…須賀君がそう言うんやったらそうするわ」

京太郎「…ありがとうございます」


京太郎「…俺が初心者って言うのは聞きました…?」

漫「うん。まぁ…代行からやけれど…」

京太郎「実際、その通りなんですよね。ついこの間まで雑用ばっかりでしたし」

漫「え…?」

京太郎「いや、ほら、うちはできたてホヤホヤの麻雀部でインターハイに出た訳じゃないですか」

京太郎「ぶっちゃけ部員数少なすぎて、俺が皆の分まで買い出しやらをしてたんです」

漫「いや…部員足りないのはそうかもしれへんけど…でも、全国出たって事は後援会の一つでも出来たやろ?」

漫「県大会まではともかく、それ以降は流石に後援会とかの仕事ちゃうん?」

漫「麻雀初心者の顧問とかでも全国出たら流石にノータッチって訳にはいかへんやろし…」

京太郎「いやぁ…予算は貰えましたけど、そういうのなかったですね」

京太郎「その辺は部長じゃないんで正直、分からないです」

京太郎「ただ、話の本筋として大事なのは…俺がついこの間まで殆ど牌を触った事がないって事です」


漫「…なにそれ?須賀君、もしかして清澄で虐められとるん?」

京太郎「あ、いや…そうじゃないんです。全国終わっても雑用やってたのは俺の意思でしたし」

京太郎「寧ろ、皆は俺に良くしてくれていましたよ」

京太郎「俺が臆病で逃げていただけでした。心配させてすみません」

漫「それやったらええねんけど…」

漫「(でも…幾ら初心者やからって黒一点一人で雑用押し付けられて、牌も触れなかったとか…)」

漫「(一番、麻雀楽しくなっていく時期にそれとか…良くめげんかったなぁ…須賀君…)」

京太郎「で…まぁ、卓に入っても一回も和了れなくってですね…」

漫「…あぁ、清澄は全国に出た部員以外には須賀君しかおらへんから…」

京太郎「そうです。実力的に恐ろしく離れてまして…ボッコボコにされてた訳です」

漫「(なんつーか…須賀君、清澄から出てった方がええんちゃうやろか…)」

漫「(あまりにも初心者に優しくない環境過ぎんで、清澄…)」

漫「(つーか、あの宮永咲は何やっとるん?)」

漫「(インターハイで舐めプするくらいの実力があるんやったら須賀君に和了らせてあげたらええやん)」イライラ




京太郎「で、つい最近、一回だけ和了れた訳です」

漫「お、おぉ…良かったやん!一矢報いたった訳やな!」

京太郎「え、えぇ。まぁ、それもまぐれと言うか相手のミスに助けられたみたいなもんなんですけど…」

京太郎「でも…初めてネト麻以外で和了れて…俺はすげぇ嬉しくて…」

京太郎「だけど…俺が和了った相手が…次の瞬間、様子がおかしくなったんです」

漫「おかしくってどんな風に…?」

京太郎「いや…その辺りは本人の名誉の為に伏せさせて下さい…」

京太郎「ただ…多分、その所為で一人、この合宿に来れませんでした…」

京太郎「俺が…取り返しのつかない事をしてしまったから…」

漫「…それは須賀君の所為って確定なん?」

京太郎「様子が変になったのは一度だけじゃありませんでした…」

京太郎「俺の知る限り三度…しかも、その三回とも…俺が和了った時で…」

漫「それは…相手に原因があったんちゃうか?」

京太郎「いえ…その日、和…相手は他の部員とも対局していて…」

京太郎「何度かロンやツモを受けていましたが…その様子は何時も通りでした…」

漫「…そっか…」



漫「(オカルトと断定するのはまだ早い…)」

漫「(だけど…ただの偶然と割り切るには状況証拠が揃い過ぎてる…)」

漫「(でも…相手をおかしくするオカルトなんて…本当にあり得るん?)」

漫「(うちは一応、全国区の雀士で…化け物どもと戦った事は何回もある)」

漫「(記憶に新しい中じゃ…あのマフラー娘もそうや)」

漫「(でも…うちの知るオカルトは、牌や場を支配するものやった)」

漫「(麻雀の領域を超えて、相手にダイレクトな影響を与えるようなオカルトなんて今まで見たことも聞いたこともない…)」

漫「(そもそも…そんなんが実在したとして…それはもうオカルトやなくて超能力の域や)」

漫「(正直言うて…信じられるはずがない)」

漫「(でも…)」チラッ

漫「(須賀君がそんな嘘を吐けるような男やない事は知っとる)」

漫「(少なくとも…須賀君はそれが『あるかも知れない』と心から思うとるんや…)」



漫「…須賀君。それは他の誰かにも試したん?」

京太郎「た、試せませんよ…こんなの…」

京太郎「また誰かおかしくなると思ったら…怖くて…」

漫「あぁ…そうやな。ごめんな。無神経やった…」

京太郎「いえ…当然だと思います…」





漫「(…須賀君は本当に怯えとる…)」

漫「(だから…ひたすら逃げを打つようなやり方をしとったんやな…)」

漫「(それもそうか…)」

漫「(もし、自分が和了ったら、誰かが変になると思ったら…和了れるはずない…)」

漫「(うちかて似たような立場やったら…試す気ぃすら起こらへん…)」

漫「(でも…それが結果的に須賀君を萎縮させて…そして迷わせとる…)」

漫「(時として、『ある』より『あるかも』の方が恐ろしいと言うけど…まさしくそれやな…)」

漫「(今の須賀君はドツボにハマって…どうしたらええか分からへん状態なんや…)」

漫「(時折、見せてた苦しそうな顔は…それが表に出て来とったんか…)」





漫「(それを解決する方法は簡単や)」

漫「(うちが人身御供になって、実際にあるかないかを試せばええ)」

漫「(でも…うちにその覚悟があるん?)」

漫「(勿論、うちは須賀君にそんな力があるなんて思わへん)」

漫「(須賀君は何処にでもいる…普通の男の子やねんから)」

漫「(だけど…その一方で…『もしかしたら』と思うとる自分もいる…)」

漫「(もし…須賀君が言ってる事が本当だったとしたら…うちは…)」

漫「…………」

漫「…せい!」パシーン

京太郎「!?」

京太郎「ちょ…上重さん何をやってるんですか!?」

漫「いやぁ…ちょっと自分に喝を入れるのにな」ハハッ


漫「(今更、何を迷うとるんや、上重漫)」

漫「(ここで『じゃあ、頑張ってな』とでも須賀君に言うつもりか…!?)」

漫「(自分から須賀君に聞き出しといて、突き放すような真似をするつもりなんか…!?)」

漫「(そないな格好悪い事…末原先輩やったらせえへん…!)」

漫「(うちは先輩や…!後輩を受け止めてやるのが仕事の一つやろ…!)」

漫「須賀君!」

京太郎「は、はい!」

漫「明日、うちから和了るんや」

京太郎「え…?い、いや、さっきの話聞いてましたか!?」

京太郎「冗談だとは言いましたけれど…でも…!」

漫「聞いとった。聞いとったからこそ、こう言うとる」

漫「うちは須賀君にそんなおかしな能力があるとは信じとらへん」

漫「でも、須賀君がその所為で苦しんどるんやったら…それを払拭せえへんかったらあかん」

漫「そない思いつめて尚、麻雀止められへんくらい好きなんやろ?」

京太郎「~っ!」


京太郎「い、いや、でも…もしかしたら…」

漫「そんなもんはない!!」

漫「例えあったにしても、うちには絶対通用せん!」

京太郎「な、何でそんな風に言い切れるんですか…」

漫「根拠なんてあらへん!でも、絶対や!」

漫「絶対、うちが受け止めたる…!」

漫「だから、明日は絶対、逃げたらあかんで」

漫「ここで逃げたら…次は麻雀から逃げる事になる…」

漫「それは…嫌やろ?」

京太郎「で、でも…それじゃ…上重さんに迷惑が…!」

漫「先輩は後輩に迷惑を掛けられるもんやで」

漫「まぁ…逆もよぉある話やけれどな」ハハッ



漫「じゃ…今日はもう帰るわ」

京太郎「う、上重さん…」

漫「明日、本気の須賀君と打てるの楽しみにしとるで」

漫「だから…逃げんといてな」

漫「ここで逃げたら…次はダッツじゃ済ませへんで?」

京太郎「あ…」

漫「じゃ、おやすみ。また明日な」バタン

京太郎「……」

京太郎「俺は…どうしたら……」






………

……








~京太郎~

その日は朝から憂鬱だった。
勿論、食事も美味いし、朝風呂も気持ち良くって、さっぱりする。
その上、天気も良くって、その上、美少女雀士たちに囲まれていると思えば憂鬱になる方がどうかしているだろう。
だが、今の俺はそんな事がプラスに働かないくらいに気分が落ち込んでいた。

京太郎「(どうすりゃ良いんだろうなぁ…)」

上重さんが去ってからずっと考え込んでいる問い。
それは俺の心に深く食い込み、眠る事さえ許さなかった。
ずっと悶々とした気持ちを抱えて、天井を見つめ続けたのである。
しかし、それでも俺の中で答えは出ない。

京太郎「(あー…くそ…)」

そう悪態を吐くのは優柔不断な自分に対してだ。
どう転がるにせよ、決める事さえ出来ない自分が情けなくて仕方がない。
俺よりもよっぽど不安なはずの上重さんがとっとと覚悟を決めたのだから尚更だ。
別に自分が決断力があるとは思っていなかったが、まさか練習開始の5分前まで部屋に篭るほどだなんて考慮していない。

京太郎「(いっそ逃げるか…)」

勿論、それが何の解決にもならない方法だという事くらい俺にも理解出来ている。
いや、解決にならないどころか、清澄麻雀部の風評を悪くする行為だ。
そんな事をしてしまったら、俺は一生、咲たちに顔を合わせる事が出来なくなってしまう。
しかし、そう理解していても弱気で臆病な俺がそう耳元で囁き、居心地の悪さを作り出していた。


― トントン

京太郎「う…」

そんな俺の耳に届いた控えめなノック。
それが誰だか分からないものの、きっと俺を迎えに来た誰かだろう。
恐らくは上重さん、対抗馬として咲辺りか。
どちらにせよ、出る事に気が進まないのは事実だ。

京太郎「(でも…そうはいかないよな…)」

幾ら、うじうじと悩んでいるとは言え、そこまで情けない男にはなりたくない。
そう自分に喝を入れながら、俺は畳で寝転がった身体をゆっくりと起こした。
そのまま睡眠不足で気怠い身体を動かし、扉へと向かう。
そうして鍵を開けた先に居たのは、やっぱり上重さんだった。

漫「や。おはよ」
京太郎「おはようございます…」
漫「何や、その顔は。もしかして、眠れへんかったん?」
京太郎「まぁ…その…」

流石に一晩中うじうじと悩んでいましたとは言えず、俺はそっと視線を背けた。
それに制服姿の上重さんが心配そうな目を向けるが、深くは追求しない。
ある程度、推測は出来ているだろうその視線に居心地の悪さを感じるが、口に出されないのは有難かった。
誰だって好みの女性に自分の弱い部分を指摘されるのは良い気がしないものなのだから。

漫「うちはちゃんと寝たで」
漫「だから…大丈夫や」
京太郎「そう…ですか…」

何が大丈夫なのか、と聞く事は出来なかった。
俺と同じように上重さんもあまり突っ込まれたくはないのだろう。
それは微かに目元に浮かんだクマからも良く分かった。
眠れなかったのは俺だけじゃなく、上重さんもなのだろう。
それなのにこうして空元気を見せてくれる上重さんの好意を無駄にはしたくなかった。

漫「そない硬くならんでええやない。うちらはただ麻雀するだけやで」
京太郎「ですけど…」
漫「大丈夫やって。何とかなる。…な?」
京太郎「あ…」

そう言って、俺の手をそっと握った上重さんがゆっくりと引っ張っていってくれる。
それに俺は逆らう事が出来ず、スルリと部屋から連れだされてしまった。
その後ろでオートロック式の扉がガシャンと閉まるのを聞きながら、俺達は旅館の廊下を歩いて行く。
その間、お互いに会話はなく、ただ、無言で昨日の宴会場へと向かっていった。

漫「さ。着いたで」
京太郎「…はい」

上重さんが手放した時にはもう俺達は宴会場の入り口近くに居た。
そこから中を覗き見れば、殆どが集まっており、既に開始している卓もある。
昨日のリベンジに燃えているのか、どの卓も熱気が感じられるほど好戦的だ。
それに気圧されるように感じる俺の前で上重さんはスルスルと進み、俺たちが昨日座っていた卓へと移動する。

モブ1「おはよー。あれ?漫、寝不足?」
漫「そ、そんな訳ないやん。気のせいやって」
モブ2「でも…クマが…」
漫「こ、これはちょっと化粧失敗しただけやから…」
モブ1「なぁにぃ?漫が化粧?須賀君がいるからって、ちょっと色気づき過ぎやない?」」
モブ2「由々しき事態…代行に報告…」
漫「ちょ!?止めてぇや!絶対、あの人面白がって色々やってくるから!!」
京太郎「……」

既に卓についていた他の二人と楽しげに会話する中、俺は一人ぽつんと取り残される。
元々、俺以外の三人は同じ高校の同じ部活に属しているのだ。
仲が良いのは当然だし、微笑ましい。
しかし、その一方で恐ろしいほどの疎外感を感じるのは仕方のない事だろう。
仲の良い友人同士の中に一人異物として放り込まれれば、誰だってそう感じるはずだ

漫「ほ、ほら、須賀君も何か言ってぇや!」
京太郎「え?」
モブ1「…」
モブ2「…」

そんな俺に気を遣ってくれたのだろう。
だが、それは決してベターな提案ではなかった。
瞬間、場の雰囲気は硬直し、他の二人に緊張が走ったのだから。
今までの和やかな雰囲気から一転、ぎこちないそれに俺はどうして良いか分からなくなる。
それは他の二人も同じで、無言のまま時が流れていった。

郁乃「はーい、ちゅうもーく」

そんな俺達の助け舟になったのは何処か呑気な代行さんの言葉だった。
それに場の緊張がふっと緩み、視線が赤坂さんへと移動する。
とりあえず、ここでどうにかなる事は避けられたようだ。
そう安堵を感じながら、視線を代行さんへと向けた瞬間、二日目の説明が始まる。

郁乃「んじゃ、皆頑張ってねー」

数分後、あっさりしているようで要点を押さえた説明を終えて、赤坂さんがすっと引っ込んでいく。
そのまま部屋の隅に進んだ代行さんは紙の束を持ち、姫松のメンバーに配っていった。
恐らくアレに今日の目標と罰ゲームが書いてあるのだろう。
それはその紙を受け取った姫松の部員たちが見るからに嫌そうな顔をしている事からも分かった。
そのやり取りを見ていると、代行さんが不幸を配る死神のように思えなくもない。

京太郎「(きっとすっごい生き生きしてるんだろうなぁ…)」
漫「あれでちゃんと指導はしてくれるし…そこそこ優秀なんよ」

そう思った俺の思考が分かった訳ではないのだろう。
しかし、丁度良いタイミングで告げられたそのフォローの言葉に俺は思わず身を硬くしてしまった。
その緊張が伝わってしまったのか、上重さんの顔に悲しそうなものが浮かび、シュンと肩が落ちる。
まるで主人に怒られた小型犬のような落ち込んだ姿に俺の良心が痛み、重苦しい気持ちが強くなった。
だが、俺がそれに対して何か言うよりも先に上重さんが麻雀卓を操作し、俺達の前に牌が現れる。


漫「じゃあ…やろっか」

宣言するように言う上重さんに従うように俺たちの卓でも麻雀が始まる。
いつものようにそれぞれの牌を取り、集めていく。
だが、この卓には他の場所のように賑やかな会話と言うものはなかった。
かと言って、闘気が渦巻くような真剣さもなく、ただ単に機械的に麻雀が行われていると言う雰囲気である。
それもこれも全て俺が悪いと思えば、心も痛むが…正直、どうして良いか分からなかった。

京太郎「(勿論…この雰囲気を払拭するには俺が和了るのが一番だ…)」

そうすればモブさんたちも真剣になり、こんな白けた卓ではなくなるはずだ。
しかし、そうと分かっていても、俺にはそうする勇気がどうしても持てない。
漫さんにそうしろと言われたとは言え、怯えはまだ俺の中に残っているのだから。
しかし、それほどまでに俺に良くしてくれた漫さんに迷惑を掛ける事を思うと、どうしても気が進まない。

京太郎「(っ…!)」

そんな俺の命運を決める配牌。
それは決して悪くもなければ、良くもないものだった。
最初からドラを2つ所持しており、一盃口まで二向聴。
鳴けば一盃口はつかないが、ドラのお陰でそれなりの点数は望める。
真剣に牌を切っていけば、手痛いファーストアタックを取るのは不可能じゃない。

京太郎「(とりあえず…進めるだけ進めて行こう…)」トン

昨日であれば、いきなりそれを崩す方向へと行っただろう。
だが、今日の俺は未だどうするかを迷っているままだった。
和了るべきか…それとも和了らざるべきか。
こうして麻雀が始まった後でも悩み続ける自分にため息が漏れそうになるが、手を進めるのは悪い事じゃない。
そう牌を切って進めていった六巡目に俺が引いたのは… ――


京太郎「(三枚目のドラ…)」

ここまで来ると門前や一盃口に拘る必要はほぼない。
寧ろ、出来るだけ鳴いて早上がりを目指す形にするべきだ。
そう判断した俺はドラを抱え込み、一盃口を崩していく。
それが良かったのだろうか。
次巡、上家から出た牌は、俺の欲しいものだった。

京太郎「チー」
モブ1「え…!?」
モブ2「……」
漫「あ…」

反射的に鳴いた俺に対して、三者三様の反応が浮かんだ。
それも当然だろう。
昨日までひたすら逃げ回っていた俺が鳴きと言う形ではあれど、攻勢に出たのだから。
上家であるモブ1さんが驚きに身を固め、モブ2さんが呆然とするのも無理はない。
そんな中、ただ一人、嬉しそうな声をあげる上重さんに俺の胸は軋むような音を立てた。

京太郎「(まだ…和了ると決めた訳じゃないんです…)」

まるで俺が決心した事を我が事のように喜ぶような上重さんの表情。
だが、俺はそんな顔が見られるような決心などまるでしていないのだ。
手は進めているものの、未だ迷い、結論を先延ばしにしているだけ。
そんな俺にとって上重さんの表情は眩しすぎて、思わず目を背けたくなるほどだった。

京太郎「(本当…どうしたら良いんだ…)」

そう弱音を吐く俺の心とは裏腹に俺の手はどんどんと聴牌へと近づいていく。
三巡もした頃には見事な両面待ちを完成し、後は和了るだけの形となった。
それでも俺の中の決意は固まらない。
グルグルと吐き気にも似た迷いが胸中を渦巻き、気分が悪くなっていく。

漫「」トン
京太郎「っ…」

そんな俺の和了り牌は上重さんから出てしまった。
約束通りなら…ここで和了るべきなのだろう。
しかし、俺の手はぐっと牌を握りしめたまま、それを倒す事はなかった。
やっぱりどうしても脳裏に和の姿が浮かび…和了る事が出来ない。
そんな俺に上重さんがチラリと視線をくれるが、何も言わないまま麻雀は進んでいく。

モブ1「テンパイ」
モブ2「ノーテン」
漫「テンパイ」
京太郎「…ノーテンです」

結局、誰も和了る事はなく、流局になった瞬間、俺はほっとため息を吐いた。
とりあえずテンパイでなくなれば、まだ考える時間を得られると言う事なのだから。
先延ばしでしかないと理解していても、今の俺にはその時間が有難い。
今の重苦しい気持ちから少しでも解放されるなら先延ばしでも何でも良かった。

郁乃「あっれぇ…おかしいなぁ」
京太郎「っ!?」

瞬間、俺の背中からにゅっと伸びた手が俺の牌を崩した。
自然、晒される俺の牌に三人の視線が集まっていく。
一つは驚愕。
一つは呆れ。
そして最後の一つは… ――

郁乃「ちゃんとテンパイしてるやないの。見間違えたんかな?」
京太郎「う…」
郁乃「って言うか、これ上重ちゃんから和了れたんやない?」
郁乃「テンパるんは牌だけにして、頭は冷静にしとかなあかんで」

あくまで軽い様子でそう注意する代行さんはきっと場の雰囲気が致命的に読めない人なのだろう。
或いは、読んでいて、意図的にそれをぶっ壊そうとしているのか。
少なくとも、常人は見るからに剣呑な雰囲気が湧き上がる卓と接してそんな風には言えないだろう。
かくいう俺だって同じ真似をしろと言われても不可能だ。
絶対に御免被る。

郁乃「はい、これ。今日の皆の目標と罰ゲーム。後、私からのアドバイスも書いてるから」
郁乃「じゃ、頑張ってね~」

そんな気軽な様子を最後まで崩す事なく、代行さんは去っていく。
その後姿を見ながら、俺の背中に脂汗がじっとりと浮かんでくるのを感じた。
その瞬間、モブ2さんが俺を冷たく見据え、一つため息を吐く。
まるで、心底呆れたと言うようなそれに胸の奥から吐き気が沸き上がってきた。

モブ2「…貴方、なんでここにいるの?」
京太郎「っ…」
漫「ちょ…言い過ぎやって!」
モブ2「でも…こんな不真面目な麻雀打たれても…意味ない…」
モブ1「…同感。私たちは一応、強くなる為にここにいるんやで」
モブ1「それをこんな…舐めプして楽しいん?」
漫「そ、そんな訳ないやん…」
モブ1「漫は黙ってて。うちらは須賀君に聞いとるんやから」

モブさんたちの言う言葉は間違いなく正論だ。
俺だって逆の立場であれば、同じ事を言いたくなるだろう。
いや…そうでなくたって、俺は俺自身の言葉で彼女たちに答えるべきだ。
しかし、俺の喉はまるで詰まったかのように言葉を発さず、何も言えない。
そんな俺を上重さんだけが庇ってくれるが、そんな彼女にも二人は冷たい視線を送った。

モブ1「清澄から男子部員が入るって聞いた時には期待したけど…まさかこんなんとはな…」
モブ2「…もう良い。さっさとやろう」
モブ2「この人に構っている時間が無駄」
モブ1「…そやね。どうせ内心、馬鹿にしとるんやろうし。天下の清澄言うんは随分と舐めプが好きみたいやからなぁ」
京太郎「…っ」

瞬間、モブ1さんの言葉が俺の胸の深いところを突いた。
それは俺だけじゃなく、咲の事も言っているのだろう。
俺たち清澄の部員は咲のそれは幼少の頃のトラウマが原因であり、仕方のない事だと理解している。
だが、それはあくまで事情を知る俺達の話だ。
咲個人を知らず、『魔王』というレッテルを張られた清澄麻雀部員しか知らない彼女らにとって、それは舐めプ以外の何者にも見えない。
それは俺だって理解しているし…納得もいく。
だけど…っ!!

京太郎「(アンタらに…咲の何が分かるんだよ…)」

雑誌なんかじゃまるで化け物か何かのように持ち上げられているけれど、本当のアイツはポンコツだ。
一人にしておいたら数分で迷うダメ文学少女なのである。
それでいて意外に気が強く、俺に意図しない反撃をしてくる事もしばしばだ。
そんな咲の事まで貶められるのは…正直、我慢が出来ない。
吐き気の中でもはっきりと浮かんだ怒りのままに、握りしめた拳が震えた。
しかし…それでも…俺は… ――

京太郎「…」

何も言えないまま、始まった2局目。
俺のところに来た牌は間違いなく好配牌と言えるものだった。
既に三暗刻が成立し、聴牌まで一向聴。
来る牌によっては待ちも広く取れ、トイトイとの複合も狙えなくはない。
立ち上がりとしてはかなり理想的なそれを俺は吐き気と共に迎えた。

京太郎「(手は…手は進めよう…)」

どうやら麻雀の神様と言う奴は随分と俺の事が嫌いらしい。
普段はこんな好配牌を滅多にくれないのに迷っている時に限って、こんなものをくれるのだから。
それとも…俺に和了れとでも言いたいのだろうか。
どちらにせよ、余計なお節介だと胸中で吐き捨てながら、俺は逃避するように牌を打つ。
胸中で渦巻く気持ちの悪さから逃げるように、繰り返されるそれも虚しく…四巡目で、俺はついに聴牌してしまった。






~漫~

今日は最初から須賀君の様子が変やった。
昨日のおかしかった時からさらに輪を掛けて悩んでいるその様子にうちの胸も傷む。
だからこそ、勇気を振り絞って手を掴んで見たんやけど、あんまり効果はなかったらしい。
周囲の微笑ましい視線にうちの顔が真っ赤になっていた事すら気づいているかすら怪しいくらいや。

漫「(ホント…世話のやける子やねんから…)」

しっかりしているようで、どこか抜けている。
そんな須賀君の姿に好意的なものを感じるものの、それを表に出す事は許されへんかった。。
何せ、今の卓の雰囲気は最悪に近く、一触即発と言っても過言ではないんやから。
それもこれも全部… ――

漫「(あの代行の所為…って言うのは少し厳しいかもしれへんけれど…)」

だけど、その所為で須賀君への疑惑がはっきりとした確信へと変わったのは事実だ。
元々、姫松は罰ゲームもあるって事で舐めプにはかなり厳しい。
特に今年はインターハイで宮永咲に舐めプされまくって憤慨した子は多かった。
うちだって正直、宮永咲の事は許せへんし、他の子たちの気持ちはよぉ分かる。

漫「(だけど…うちは…)」

もう既に須賀君の抱えとる事情を知っとる。
それが和了れなくなるようなトラウマレベルの代物であるという事もまた。
それを知って尚、須賀君に怒りを向けられるほど、うちは完璧な女やない。
だからこそ…須賀君もうちの振り込みに答えず、ノーテンと嘘を吐いたのだろう。

漫「(ちゃんと信頼されとったら…そんな事もないんやろうか…)」

これが末原先輩のようにちゃんとした女やったら、違うんやろうか。
そんな思考がうちの胸を突いて止まらへんかった。
勿論、出会って一日の相手にそれほどの信頼を求めるのは間違いなんやろう。
うちだって、頭の中ではそんな事良く分かっとる。
それでも…うちの感情はそれに着いてってくれへん。
今にも吐きそうなくらい顔色が悪くなってきた須賀君を追い込んだのはうちなんやって…そう思えて仕方がないんや。

漫「(須賀君…)」

どうしたら良いのか分からないまま迎えた2局目の8巡目。
うちが引いたのはかなり濃厚な危険牌やった。
須賀君の切る牌や速度から察するに、その手は暗刻系。
それもかなり聴牌に近い形のはず。
いや、須賀君がリーチを多用せん事を考えると既に聴牌しててもおかしくはないやろう。
実際、うちの握る牌にはあの危険牌独特のいやあなものが纏わりつき、それを打つなと勘が訴えていた。

漫「(普段ならこの勘に従うんやけれどな…)」

勝負どころでこの勘に救われた事は一度や二度やない。
だからこそ、うちの意識はその勘に従うべきやって警鐘を鳴らしていた。
けれど、今のうちは別に勝つ麻雀を目指しとる訳じゃない。
罰ゲームになったって構わへん。
うちの今日の目的は罰ゲーム回避の為に勝ち続ける事やなくて…須賀君のトラウマを払拭する事なんやから。
だからこそ、うちはそれをぎゅっと握り、卓へとトンと打ち出した。

京太郎「っ…!」
漫「(これやったんか…!)」

瞬間、須賀君の身体に緊張が走り、腕がピクンと反応する。
しかし、その腕は牌を倒す事はなく、沈黙を護り続けた。
どうやら、まだ決心する事はでけへんらしい。
いや…あれだけ言われて尚、和了らへんって事は最早、自分ではなんとも出来ない可能性だってあるやろう。
それやったら…うちが…うちがやるしかない。

漫「ま、待って、モブ2ちゃん」
モブ2「え?」

和了る気配のない須賀君を無視して、そっと山に手を出そうとしたモブ2ちゃんを止める。
それに二人が怪訝そうな目をうちにくれるけど、この程度で怯んでなんかられへん。
ちょっと失礼な話やけれど、今のうちの相手は二人とちゃうんやから。
うちが真正面から相対せえへんかったらあかんのは…未だ悩み続ける須賀君だけや。

漫「須賀君…うちはやったで」
京太郎「…」
漫「これ、当たり牌なんやろ?それやったら和了らなあかんやん。点差もないのに見逃しとかなしやで」
京太郎「…」

うちの言葉に須賀君は答えへんかった。
まるで自分の殻に閉じこもるように俯き、表情を暗くしている。
それでも尚、牌を手放さへんのは須賀君が麻雀に真摯な男やからや。
少なくとも…うちはそうやって信じとる。
だから… ――

漫「しっかりし!須賀京太郎!!」
京太郎「っ!」

瞬間、会場内に響き渡るうちの大声に周囲からの視線が向けられた。
怪訝そうなもの、驚いたもの、それとは違う嫉妬の色。
それらが遠慮なく向けられる感覚は決して気持ちええものやない。
けれど、だからってそれにうちが怯えとったら、須賀君はもう二度と麻雀がでけへんかもしれへん。
それを考えれば、こんなところで立ち止まってられるはずがなかった。

漫「うちは逃げへんかったで!ホンマは怖かったけど…それでもやったで!」
漫「それなのに須賀君は応えてくれへんの!?うちからも麻雀からも逃げるん!?」
京太郎「…俺は…」
漫「(反応があった…!)」

これまで無言を貫いていた須賀君からの反応。
それに内心、喜ぶものの、次の言葉は出てこうへん。
多分、まだ須賀君は迷っとるままなんやろう。
だけど…それでもうちの言葉は確かにその心に届いとる。
なら…ここで勝負せんで何時するんや…!!


漫「俺は…何?何が言いたいの?」

出来るだけ優しい声音で上家の須賀君に問いかけ、そっと手に触れる。
瞬間、うちの手に伝わってきたのは信じられないほどの冷たさやった。
まるで冷や汗をびっしょり掻いた後のようなそこは可哀想なくらい硬くなっている。
極度の緊張か、或いは別の何かか。
どちらにせよ、この場にいる誰よりも須賀君が苦しんどる事は確かや。

京太郎「麻雀…したいです…したいのに…まだ…」

振り絞るようなその声には万感が込められていた。
自分への情けなさとうちらに対する申し訳なさ。
麻雀への欲求と不安。
その他、色々な感情が混ざったそれは正直、読み切る事なんてでけへん。
それは…きっと須賀君も同じなんやろう。
半ば、青ざめるようなその表情には困惑も強く浮かび、まるで迷子の子どものような印象をうちに与えた。

京太郎「すみません…すみません…」」
漫「…だったら…うちが手伝ったる」

そのまま震える声で答える須賀君にうちはそっと席から立ち上がった。
普段であればマナー違反として真っ先に咎められるその行為。
しかし、今のうちはそれを禁忌と思う事はなく、そっと須賀君の背中に回った。
そこから覗きこむ須賀君の手は三暗刻とトイトイの複合型。
勿論、既に聴牌していて…うちの打ったそれで和了れるはずやった。

漫「行くで。宣言は須賀君がするんや」
京太郎「あ…」

そう伝えるだけ伝えて、うちはそっと須賀君の両手を包む。
うちよりも大きくて硬いその手は瞬間、怯えるように震えた。
でも、決して牌からは逃げず、うちの手を受け入れてくれる。
それに一つ笑みを浮かべてから、うちはそっと牌を倒した。


漫「ほら、宣言」
京太郎「いや…でも…」
モブ1「…良く分からへんけど…宣言せえへんかったら進めへんよ」
モブ2「チョンボじゃない。…倒しちゃったからにはそれがルール」

それでも尚、逡巡を見せる須賀君に他の二人も言葉を紡いでくれる。
これまでのやり取りで須賀君に何かしらの理由があると気づいてくれたんやろう。
その表情はさっきまでよりも柔らかく、穏やかなものやった。
そんな二人の表情を交互に見ながら、須賀君はそっと俯き、そして… ――















京太郎「ロン。三暗刻トイトイドラ3!!」






漫「っ…!」

瞬間、うちは身体を硬くし、来るかもしれない『何か』に備えた。
須賀君は詳しい内容こそ教えてくれなかったものの、その推測が正しければここでうちに何かが起こるはず。
だからこそ、身構え、注意し、怯え、不安になったうちの身体に… ――

漫「…あれ?」
京太郎「え?」

何も起こらなかった。
数十秒ほど経って、辺りを見渡し、腕や脚を回してみるものの、特に異常はない。
手のひらを見つめて首を傾げても特に何か変わった様子はあらへんかった。

京太郎「う、上重さん、大丈夫なんですか?ね、熱っぽいとかそういうのは…」
漫「あらへんよ。ごく普通の状態や」

そんなうちを心配して椅子から立ち上がった須賀君に軽く答える。
しかし、須賀君はそれが信じられないみたいで、心配そうな表情を変える事はなかった。
その表情に偽りはなく、須賀君が嘘を吐いているとは到底、信じられない。
だからこそ、これが例外なのか、或いは先の少女の件が異常なのかはまだ確定じゃないけれど… ――

京太郎「ほ、本当に本当ですか!?む、無理してるとか…」
漫「ううん。本当に大丈夫。気にしすぎやで、もう…」

でも、須賀君が原因と言う可能性は少しだけ減った。
それを伝えるうちの言葉に須賀君の表情が少しずつ綻んでいく。
心配そうなものから、信じられないものへ。
信じられないものから、嬉しさへ。
そして…最後には…その目尻からポロリと何かがこぼれ出す。

京太郎「俺…麻雀して良いんですか…」
漫「当たり前やないの…もう…」

それを隠そうとして須賀君が制服でそっと目元を抑えるけれど、溢れる涙は隠しきれへんかった。
そんな須賀君に一つ笑いながら、うちは胸元からそっとハンカチを取り出す。
それで溢れるものを一つ一つ拭い去りながら、うちの胸にも安堵が沸き上がってきた。
流石に泣き出すほど思い悩んでいた須賀君には及ばへんと言っても、うちだって不安やったんや。
それが解消されていく感覚に思わず軽口の一つでも叩きたくなるくらいに。

漫「須賀君は泣き虫やね」
京太郎「…ずみません…」
漫「ええよ。それより、ほら、少し屈んで。顔拭けへんから」

そんなうちの言葉に従って、須賀君がそっと膝を折る。
幾ら須賀君がうちよりも二回り以上大きいと言っても、屈めばうちの方が大きい。
丁度、首元辺りに頭が来るその姿に可愛いと思ったのは失礼な話か。
とは言え、うちより大きな男の子が、うちより小さくなっていると言うのは何となく優越感を感じる。
その心が命じるままに、思わず須賀君の頭を撫でてしまうくらいには。

漫「(なんや…ちょっと硬いなぁ…)」

男の髪になんて触れた事ないから比較でけへんけど、それはうちのものよりは遥かに硬かった。
ほんの少し肌に突き刺さるような感覚さえ感じるそれは凄く新鮮で…そして妙に気持ちええ。
わしゃわしゃとかき乱したくなるその硬さにうちは少しずつ惹かれ、もっと撫でたくなってしまう。

モブ1「えーと…何が起こっとるのかまだ分からへんけれど…」
モブ2「…大胆」
漫「…え?」

そんなうちがその手を止めたのはポツリと呟く二人の声が耳に入ったからだった。
そこでふと冷静になったうちは周囲から視線がじっと向けられているのに気づく。
それは勿論、ついさっきまではまったく気にならず、意識の外へと放り投げられていたものだ。
しかし、今のうちにとって、それは意識せんなんてまったく無理な話である。
そうやって視線を意識しないで済むような覚悟がうちの中にはもうあらへんのやから。


郁乃「なんや…もう二人はそんな深い仲になったんかぁ」
漫「ち、ちゃいますって!誤解ですってば!」
郁乃「誤解?衆人環視の中、二人の世界作っておいて何が誤解なん?」
漫「う…それは…」

面白がっている代行の言葉にうちはちゃんとした反論をする事がでけへんかった。
実際、周囲の視線を気にせずに須賀君だけに意識を向けていたのは事実なんやから。
けれど、深い仲と言われるとやっぱり反発めいたものを感じるのは否定でけへん。

漫「(う、うち…そんなチョロい女とちゃうもん…)」

まぁ…その…百歩譲って須賀君と仲がええのは認める。
須賀君がきっと他の清澄部員にも言わへんかった事を漏らしてくれたんやから。
それを否定するのは須賀君にとても失礼やろう。
しかし、かと言って、代行が言うような『深い仲』にはまだいってへん。
出会って一日ちょっとで惚れた腫れたの関係になるほど、うちはチョロい女とちゃう。

郁乃「上重ちゃんがチョロいんか…或いは須賀君の手が早いんか…」
漫「だ、だから、ちゃいますって!そんな仲じゃないんですって本当に!」
郁乃「その割には須賀君を撫でる手は止まってへんやん」
漫「え…?」

代行に言われて驚きながら、そっと視線を下へと向ける。
そこには代行の言う通り、未だ須賀君の金色の髪を撫で続けるうちの手があった。
そこだけ別の意思で動いているようなそれにうちは微かな違和感を覚える。
まるで身体が須賀君から離れる事を拒否しているような…そんななんとも言えない違和感にうちは …――


郁乃「泣いてる彼氏を慰めるなんて青春やねぇ…」
漫「だ、だから…!す、須賀君も何か言うてえや!」

しみじみと言うような代行にうちが何を言っても無駄だ。
そう判断したうちは須賀君に助けを求める。
けれど、須賀君は未だ感極まって腕で目元を隠しているままやった。
恐らく後数分はマトモに何か言えるような状態にはなれへんやろう。
そんな様が可愛らしいと思う反面、自分が窮地に立たされつつあるのを悟った。

郁乃「はいはい。それじゃあラブラブカップルは置いといて、皆、麻雀するでー」
郁乃「サプライズイベントで注目したくなる気持ちは分かるけど、これはあくまで合宿やねんからな」

手を叩いて、周囲を本来の路線へと戻そうとする代行は有難い。
けれど、どうしてそれをほんの数分前にしてくれなかったのか。
お陰でうちらに対する視線はカップルに向けるそれに近くなっている。
嫉妬や怒り、そして羨望混じりのそれは到底、居心地がええとは言われへん。

郁乃「あ、上重ちゃんの罰ゲームは須賀君との事、聞かせてもらう、に変更な♪」
漫「そ、そんなん横暴ですやん!?」
郁乃「嫌なら負けなければええんや。それじゃ、頑張ってな~」

そう言ってヒラヒラと手を振りながら、去っていく代行にうちはそっと肩を落とした。
最後の最後まで人をからかっていくその様に悔しいながらも何時も引っかかってしまう自分がいる。
そんな自分自身に一つため息を吐きながら、うちは同卓の二人にそっと向き直った。

漫「あー…その…ごめんな。中断して」
モブ1「気にしてへんよ。面白いもんも見れたし」
モブ2「中々に刺激的だった…次回作の参考にしたい」
漫「せんといて!?」

こんな醜態をネタにされたら羞恥プレイを通し越して、お天道さまの下を歩けへん。
そんなうちの悲痛な叫びを聴き逃しながら、二人が次の準備を始めてくれる。
それに心の中でだけ感謝を紡ぎながら、うちはそっと須賀君の顔を覗きこんだ。

漫「…落ち着いた?」
京太郎「えぇ…すみません…」

そう言って、立ち上がる須賀君の目はまだ少し赤かった。
しかし、その顔にはもう濡れた後は残っておらず、顔つきもしっかりしとる。
どうやら色々な事が吹っ切れたみたい。
それをはっきりと感じさせる顔つきはまぁ…悪いもんやなかった。
元々の顔立ちが整っているのもあって…ちょっぴり…まぁ、格好良く見えたり…見えなかったり…。

京太郎「おまたせしてすみません。やりましょう」
モブ1「もう大丈夫なん?」
京太郎「えぇ。もう逃げたりなんかしません。ちゃんと全力で皆さんと…麻雀と向き合います」
モブ2「…安心」

きっぱりと告げる須賀君に二人もまた笑みを浮かべて応えた。
その様は何処かぎこちなさが残るものの、さっきまでのギクシャクとした雰囲気はない。
どうやら二人も須賀君の事を許してくれたみたいや。
それに胸中で安堵を浮かべながら、うちもまた椅子へと戻る。

モブ1「さて…それじゃあ協力して漫飛ばさへんとな」
漫「な、何で!?」
モブ2「馴れ初めが気になるのは私も同じ。協力する」
漫「ちょ…あ、あかんてそんなん!卑怯やで!!」
京太郎「お、それじゃあ俺は上重さんに協力しましょうか」
漫「須賀君も乗らへんでええって」
モブ2「タッグマッチ…面白い」
モブ1「ふふん。うちとモブ2ちゃんとの絆は急造カップルには負けへんで」
漫「だから、カップルちゃうってばああ!」

そうやって他人に弄られるのはあんまり好きやない。
美味しい立ち位置と思う事はあるけれど、弄られ続けってのは疲れるんやから。
でも…今はそれが悪ぅないと思えるんは…須賀君も一緒になって笑ってくれてるからやろう。
さっきまでの陰鬱な雰囲気を全て振りほどいて見せるその顔に…うちは… ――

漫「(あれ?)」

瞬間、トクンと跳ねる心臓の鼓動にうちはそっと首を傾げた。
まるで不整脈にでもなったかのような微かでジィンと続く胸の痛み。
けれど、それは決して嫌やなくって、うちの胸で反響していく。
今まで経験した事のないそれに違和感を覚えながら、うちは麻雀に没頭していった。




………

……





漫「勝………ったぁぁぁっ!」

そう言ってうちがガッツポーズを取ったのは、最終局を一位で終えられたからやった。
何が良かったのか、アレからひたすら回りまくったうちは通算成績一位で今日という日を終えられたのである。
それは勿論、うちが罰ゲームを回避したという証であり… ――

モブ1「くぅぅ…悔しい…!」
モブ2「昨日だったら勝ててた…」
漫「ふふん…!負け惜しみしか聞こえへんわぁ♪」

昨日の雪辱を最高の形で果たしたうちにとって、二人の悔しそうな声はとても心地ええ。
思わずその場で踊りだしたくなるくらいやけれど、流石にそんな煽るような真似はでけへん。
二人は同学年って事もあり、そこそこ仲のいい友達やねんから。
それでも抑えきれない喜びの表情を浮かべてしまうけれど、それはまぁ、仕方のない事やと思う。

モブ1「にしても…須賀君は昨日が嘘みたいな振り込みっぷりやったねぇ…」
京太郎「あ、あはは…」

モブ1ちゃんの声に渇いた笑いで答える須賀君の成績はボロボロやった。
何度かうちの満貫手以上に振り込み、箱割れも相次いだくらいやねんから。
通算成績は文句なしの四位であり、一人だけ沈んでいるに近い状態やった。

漫「(それでもその表情が明るいんは…ちゃんと勝負出来たからやねんな…)」

昨日までは勝負すら出来ず、逃げ回っていた須賀君。
その成績こそ二位やったけれど、それでもその表情は暗かった。
それに比べると今の須賀君はとても晴れやかでええ顔をしとる。
まるで男として一皮むけたみたいにキラキラと輝いてる…なんて言うのは流石に乙女チックが過ぎる話やろか。

モブ2「和了った数よりも振り込んだ数の方が多い。要練習」
京太郎「精進します…」

そんな須賀君を弄る二人の顔には最初のような身構えはない。
アレから昼休み、そして夕食を超えて今日だけで十時間近く顔を突き合わせとったんや。
蟠りの原因であった須賀君のトラウマが解消された今、仲良くなるのには十分過ぎる。
元々、須賀君が人懐っこい性格をしているのもあって、目に見えて打ち解けているのが分かった。

漫「はいはい。須賀君、あんまり虐めたらあかんよ」
モブ1「なぁに?漫ちゃん嫉妬しとるん?」
モブ2「束縛しすぎる女は嫌われる」
漫「ち、ちゃうわ!」

明らかにからかっているのが分かるとは言え、カップル扱いされるとやっぱり恥ずかしい。
まぁ…今まで敵意剥き出しだったのに調子が良いと思わなくはないけれど、それは嫉妬やない。
ちょっと…まぁ、面白くないだけであって、別に独占欲とかそんなんちゃう。

モブ1「須賀君が恐妻漫ちゃんに怒られたら可哀想やし、うちらはここで退散しよか」
モブ2「後は若いお二人でしっぽりぬふふ」
漫「何処のお見合いやねん…ていうかモブ2ちゃんは何言うとるん…」

そう言って立ち上がる二人に言うものの、二人がそれに答える気配はない。
モブ1ちゃんは今にも口笛吹きそうな顔で明後日を見とるし、モブ2ちゃんの表情は殆ど変わらへん。
割りと掴みどころのない友人二人のそんな姿にうちがそっと肩を落とした瞬間、二人が須賀君へと向き直った。

モブ1「後…色々と酷い事言ってごめんな。明日もよろしく!」
モブ2「ごめんなさい。…それじゃ」
京太郎「あ…」

そのまま振り返らずにスタスタと歩いて行く背中に須賀君は見送った。
何も言えず、そっと手を伸ばすその姿からは何か言いたいと言う気持ちが伝わってくる。
しかし、結局、須賀君は何も言えへんまま、二人の姿がそっと視界の向こうへと消え去った。

漫「あの二人も気恥ずかしいんや。許したげて」
京太郎「そんな…許すだなんて…悪いのは俺なんですから…」

そう肩を落とす須賀君に痛々しいものを感じるものの、それはトラウマを克服する前よりも遥かにマシやった。
自分を責めとるのは確かやけれど、それは顔色を悪くするほどのものではないんやろう。
それに安堵する一方で、何とかしてあげたいと思うんも事実やった。

漫「(でも…なぁ…)」

うちは須賀君が理由があってそうしたって事を知っとる。
けれど、それでも須賀君が悪いやなんて口が裂けても言えへんかった。
須賀君にもっと勇気があれば、こんな風に事態がこじれる事はあらへかったんやから。
勿論、だからって須賀君の事を悪いなんて言うつもりはあらへん。
かと言って、全肯定してあげられるほど、須賀君に問題がない訳でもなくって… ――

京太郎「それにしても、やっぱり上重さんは凄いですね!」
漫「そ、そうやろうか…」

そんな事を考えている内に須賀君が尊敬するような目でうちの事を見た。
最初の頃を彷彿とさせるようなキラキラと輝くその視線にこそばゆいもんを感じた。
けれど、それ以上に大きいのは嬉しいと言うプラスの感情。
こうやってハッキリ褒められるのに慣れてへん所為か、それはすぐにうちの胸に埋め尽くしてしまう。

京太郎「ガンガン凄い手で和了っていく様はまさにインターハイを彷彿とさせるくらいでしたよ」
漫「せ、せやかて…須賀君かてそんなうちから何回も和了をとってるやん」

通算成績で言えば、四位と言う結果になったものの、うちの放銃先は殆ど須賀君やった。
あまり大きな手に振り込む事はなかったので点差が縮まる事はなかったし、また須賀君を銀行にしとったんはうちだけやない。
他の二人相手にも結構振り込んでいたが故に、一人だけ大きく沈む形になってしもうた訳である。

漫「(でも…おかしいなぁ…)」

今日のうちは自分でも冴えすぎて怖いくらい冴えとった。
欲しい牌はほぼ確実に手に出来たし、須賀君以外に振り込んだ事なんて片手で数えるほどしかない。
それは偏に強敵相手と戦って研ぎ澄ました勘が働きに働きまくったからや。
けれど…それがどうしてか須賀君相手には働かへんかった。
いや、働いた事は働いたんやけれど…全部、裏目裏目に出てしまって、須賀君のロンを呼び込んでしもうとる。

京太郎「多分、運が良かったんですよ。実力的には大きく離れている訳ですし」
漫「そうやろか…」

勿論、須賀君とうちじゃまだそこそこの実力差がある。
決して勝てへんレベルやないけれど、そうそう負けへんレベルの実力差が。
しかし、まるでそれを埋めるようにしてうちは須賀君に振り込みまくっとった。
と言うか…ツモ和了以外の須賀君の和了は殆どうちの放銃なのである。
決して運の良さでは説明出来ないそれにうちはそっと小首を傾げた。

京太郎「でも、明日は負けませんよ!せめて一度くらいは一位を取ってみせます」
漫「ふふ…っ♪期待しとるで」

けれど、その疑問も笑顔で握り拳を作る須賀君を見ると消えていく。
それに須賀君には何のオカルトもないって分かったんや。
きっと気のせいやろう。

漫「さて、それじゃうちもお風呂入ってくるかなぁ…」

時計を見れば、もう十時前や。
特に就寝時間や消灯時間が決められとる訳やないとは言え、夜更かししすぎると明日に関わる。
明日は合宿最終日で…須賀君と打てる最後の日なんや。
今日みたいに目元にクマ作って、会うなんてみっともない真似はしとぅない。
まぁ…部屋に帰ったらきっと質問攻めで寝させてもらえるか分からへんけれど…な、何とかなるやろ多分。


京太郎「うす。俺もそうしますか」
漫「なんや、須賀君もうちと一緒にお風呂入るん?」
京太郎「上重さんが良いなら是非とも」
漫「うーん…うちはええけど他の子がなぁ。他の子からの許可を取ってからにしてぇや」

そんな不安も打てば響くと言うような須賀君とのやり取りで消えていく。
この二日間で耐性を得た須賀君はよっぽどの事がない限り、ブレないし、焦らない。
それどころか、こうやってノッて来て、隙あらばうちを弄り返そうとする。
そんな成長が寂しい反面、とても嬉しいのはうちらの立ち位置が確立しつつあるからやろう。
ちょっと色々あって時間が掛かったものの、うちらはようやく自分たちらしい関係を手に入れる事が出来たんや。

京太郎「でも、上重さんが入り口で言ってましたけど…家族風呂って選択肢もあるんですよね」
漫「う…そ、そう来たかぁ…」
京太郎「今から予約取りに行けば大丈夫ですよ、きっと」キリッ

確かに三連休と言っても見る限り宿泊客は少ないし、家族風呂の予約も取れてもおかしゅうない。
一部の温泉地では親子じゃないと入れへんみたいやけど、さらっと見たパンフではそんな指定はなかった。
きっとうちと須賀君でも予約は取れるし、貸してもらえるやろう。
そう思うと何故か無性に胸の奥が熱くなり、クラリとしそうになった。

漫「で、でも、うち水着持っとらへん…」
京太郎「貸出のサービスとかもありますって」
漫「う…せ、せやけど…その…は、恥ずかしいやん…」カァ
京太郎「…」

それを正直に口にするのは正直、癪や。
けれど、ここでノってしまうとなし崩し的に一緒にお風呂って事になるかもしれへん。
それにうちはここまで傾いた盤面で須賀君に一矢報いられるほど、鉄面皮でも経験豊富でもない。
それだったらここは恥ずかしいけれども…敗北宣言をして流すのが一番なんやろう。


漫「な、何なん?急に黙りこんで…」
京太郎「いや、すみません。すっごいぐっと来てました」
漫「ぐっ…?」
京太郎「上重さんが可愛かったって事ですよ」
漫「んなっ」カァ

さっきとは別の意味で顔が赤くなるのを感じるうちの前で須賀君がニコニコと笑っている。
何処か悪戯っぽいその表情にうちはまたからかわれた事を知った。
しかし、それだけではない…と思うんは、須賀君の頬も少し赤くなっとるからやろう。
からかっている素振りを見せつつも、うちの事を本気で可愛いと思うてくれとるんは事実なんかもしれへん。
そう思うと妙に嬉しくて、唇を尖らせようとするうちの頬が緩んだ。

漫「ホント、たらしやわぁ…」
京太郎「上重さんに鍛えられましたから」
漫「女をこますやり方なんて教えたつもりはないねんけどなぁ…」
京太郎「じゃあ、上重さんがあんまりにも魅力的だから、本能的に覚えたんですよ」
漫「つまり…本能的な須賀君はこれからうちをお持ち帰りしようと?」
京太郎「勿論、そのつもりですよ」
漫「ふぇ…?」

てっきり冗談だと思っていたやりとり。
その最中、急に真面目な顔になった須賀君がうちの手をそっと掴んだ。
瞬間、硬くて大きなその手の感触にうちの胸がドキンと跳ねてまう。
朝には自分から手をとって引っ張っていったものの、こうやって相手から掴まれるとまた違った。
包むのではなく、包まれるそれに安堵とも安心とも言えない暖かさを感じて、うちは呆然と須賀君を見上げる。

京太郎「今日も俺の部屋に来るんですよね?」
漫「え…い、いや…でも…今日は…別に罰ゲームあらへんし…」
漫「そ、それに…幾らなんでも二日連続は拙いやろ?お互い噂が立っとる身の上やし…」
京太郎「そんなの初日で全部、吹っ飛んじゃいましたよ」
漫「(ま、マジ顔やあああああ!?)」

言い訳を並べ立てるうちの言葉にも須賀君は真剣な表情を崩さへん。
いや、それどころかずいっと迫るように乗り出し、うちを逃がすまいとしている。
そのなんとも言えない居心地の悪さとドキドキ感に頭が揺れ、どうしたら良いのか分からなくなってしもうた。

京太郎「ね…上重さんも好きでしょう?」
漫「い、いや…き、嫌いやあらへんけど…で、でも…もうちょい時間が欲しいって言うか…」

須賀君に好意的なものを感じとるのは事実やし、決して嫌いやあらへん。
嫌いやったら、自分の身を犠牲にしてまで須賀君の潔白を証明してやろうなんて思わへんもん。
うちはそんな聖人やないし、ごくごく普通の女子高生や。
けれど、それが異性の情交じるものかと言われたら、正直、断言は出来へん。
も、勿論、うちは二日で惚れるほど軽い女ちゃうし、須賀君とは仲のええ友人って今の立ち位置が心地ええと思とる。
でも…自分の中にそんな感情が絶対にないとは…正直… ――

漫「(だ、だって…須賀君…色々とほっとけへんもん…)」

優しくて、気遣い上手で、でも…巨乳好きを公言するくらいエッチでヘタレ。
そんな何処にでもいる男子高校生を一度でも意識した事がないかと言えば…答えは否やった。
冗談のようなやり取りを含めれば、ドキリとさせられた回数は両手の指や足りひんくらい。
それを口に出すのは癪で、絶対に認めたくないけれど…まぁ…その…うん。
そう言う…事…なんかもしれへんとは…自分でもちょっとは… ――

漫「(だ、だったら…ここで答えへんかったらあかんやん…)」

そうは思うものの、自分の中でまだ答えの出てないものを口に出すなんて出来へん。
自分で吐いた言葉に責任取れへんのは、須賀君にも自分にも不誠実な話や。
けれど、折角、こうして迫ってくれているのに何もしないで良いのかという気持ちもあって…うちの中でグルングルンと回る。
そんなうちの前で須賀君は真剣そうな表情のまま、ゆっくりとうちの腕を顔の前に持ってきた。
まるで今にもうちの手にキスしそうなくらい近いそれにうちの胸がまた反応してしもうた瞬間… ――

京太郎「じゃあ、風呂あがりにしますか。…ハーゲンダッツ」
漫「へ?」

なんで風呂あがり?
ま、まさかエッチな事するん?
あ、あかんて…まだ流石にそれは早いって。
って…何でダッツなん?
ま、まさかアイスクリームプレイとかそういう奴…?
そんな食べ物を粗末にするような事…い、いや…でも…須賀君の汗が混じったダッツはちょっと気になるって言うか…。
や…や、ちゃうで!?
そういうエッチな意味やのうて…こ、好奇心的な意味で…!!

京太郎「…」
漫「…」
京太郎「…」ニヤッ
漫「…」カァァァ

そんな言葉が脳裏に浮かぶうちの前で須賀君が勝ち誇ったようにニヤリと笑った。
瞬間、うちはからかわれた事を理解し、怒りと悔しさに顔が真っ赤に染まっていく。
そのまま須賀君に握られた手をプルプルと震わせるものの、須賀君の表情は変わらへん。
うちの怒りなんてまったく大した事ないと言わんばかりのそれにうちの中でブツリと何かが切れた。

漫「す、須賀君のあほおおおおおお!!!おたんこなす!ヘタレ!!巨乳好き!!!」
京太郎「ちょ!う、上重さん!!」
漫「乙女の純情弄ぶのもええかげんにしてや!もう!もう!!!」

叫ぶようなうちの声にまだ会場に残っていた面々から視線が向けられる。
しかし、それらはうちに対しては同情的で、そして須賀君に対して敵意を孕むものやった。
それも当然やろう。
ついさっきまで仲良さげに話しとった男女がいきなり喧嘩し始めたんやから。
その上、女であるうちが一方的に須賀君を糾弾していれば、女ばかりの集団としては男に敵意が向くのが普通や。
そうまだ何処か冷静な頭が理解しながらも、うちの怒りは止まらへん。

漫「うー…うー…」
京太郎「あ、あの…上重さん…」
漫「…親しげに呼ばんといて」
京太郎「ぐっ…」

刺のある声でそう言うものの、須賀君の傍から離れへん辺り、うちも素直やない。
多分、怒ってはおるんやろうけれど…本気じゃないんやろう。
本気で怒っとるなら須賀君に握られた手やって振り払っているはずや。
それもしないって事は…多分、うちは照れ隠しみたいな怒り方をしとるだけなんやろう。

漫「ツーン」
京太郎「えっと…すみません。狼狽える上重さんがあんまりにも可愛くって…」
漫「ツーン」

とは言え、易々と須賀君を許すつもりなんかあらへん。
うちの純情を弄んだのは事実やし、恥をかかされた事は忘れらへんのやから。
もうちょっと反省して貰わなうちの面子が立たへんし…それに何より癪や。
思いっきり良いように弄ばれた分、幾らか言質を取るまで拗ねるのを止めるつもりはなかった。

漫「ツーン」
京太郎「調子に乗った事は謝ります。俺がホント、悪かったです。軽率でした!」
漫「ツーン」
京太郎「お、お詫びに何でもやります!上重さんの命令なら何でも!」
漫「…」
京太郎「だ、だから、機嫌直して貰えませんか…?」
漫「(うーん…)」

周囲の刺すような視線に耐えかねてか、須賀君の口から殊勝な言葉が飛び出る。
しかし、怒っとるのは確かやけれど、何でもするとまで言われると気が引けた。
そこまで反省されると本気で怒っていた訳じゃない身としては、逆に申し訳なくなってしまうんや。
とは言え、それをはっきり口に出すとまた須賀君を調子づかせるみたいで面白うない。

漫「…何でもするんやな?」
京太郎「は、はい。俺に出来る事なら何でも!」

確認するように言ったうちの言葉に須賀君の顔が綻んだ。
それは多分、ようやく反応らしい反応を貰えたからなんやろう。
しかし…その様がようやく主人に構って貰えた大型犬を彷彿とさせるのはうちだけやろうか。
愛嬌と力強さ、そして優しさが同居するその姿は…何となくゴールデンレトリバーっぽく見える気がしてならへん。

漫「(そうやな…よし)」
漫「じゃあ、須賀君は今から犬な」
京太郎「…は?」
「」ガタッ
漫「??」

そう言った瞬間、須賀君が訳が分からないような顔をして、遠くの方で誰かが立ち上がる気配がする。
須賀君の大きな身体で視界が遮られて分からないものの、まぁ、今はそれに構っている余裕はない。
ここで一気に畳み掛けて須賀君に有無を言わさず、条件を飲ませなければいけへんのやから。

漫「合宿終わるまでうちに絶対服従。ええな?」
京太郎「い、いや…」
漫「返事はわんやで♪」
京太郎「わ、わん…」

気圧されるように『返事』を口にする須賀君にうちは内心、ガッツポーズを取った。
さっきの醜態は痛くて仕方がないものだが、こうして須賀君を犬扱い出来る事で相殺や。
その上、合宿中に言う事を聴かせるオプションまで呑ませたんやから、文句のつけどころのない大戦果ってトコやろう。
それに大きく調子づいたうちはそっと須賀君の手を払い、その頭を撫でてあげた。
まるで誰が上で誰が下なのかを教えるようなその仕草に、うちの背筋はゾクゾクと寒気に似た何かを這い上がらせる。

漫「ふふ…♪ちゃんと言う事聞いてたらご褒美あげるかもしれへんよ」
京太郎「ご、ご褒美ですか…」ゴクッ
漫「何?またエッチなの想像しとるん?」

まるで痴女か悪女のようなセリフに須賀君が生唾を飲み込む音がうちにははっきりと聞こえた。
それに頬が綻ぶのを感じながら、うちはそっと尋ねる。
勿論、そうやって期待させるのが目的なんやねんから、それは白々しいにも程がある言葉や。
とは言え、須賀くんには効果抜群やったみたいで、その顔に羞恥の色が強く浮かんだ。

漫「犬扱いやのに期待するとか…須賀君はエッチなだけやなくって変態なんやねぇ♪」
京太郎「し、仕方ないじゃないですか。男なら誰だって期待しますよ!」
漫「そうやろうか…須賀君だけちゃうん?」

恥ずかしそうに反論する言葉も勿論、聞き入れない。
だって、今のうちは須賀君のご主人様やねんもん。
うちの手のひらで転がされるだけの『オモチャ』の言葉なんか真剣に受け入れる必要なんかない。
どれだけ正論だと思っていても、それはそのまま須賀君を詰る言葉へと変える。


「上重先輩凄い…」
「漫さん…あ、あんな顔もするんや…」
「ぐぬぬ…京太郎め…」
「京ちゃん…不潔だよぉ…」
漫「あー…」

瞬間、湧き上がった周囲の声にうちはちょっとだけ冷静に戻った。
須賀君を侍らせる権利を手に入れた事で浮かれすぎて忘れていたが、ここは衆人環視の中なんや。
そんな中、あんなやり取りをしていれば、そりゃ注目を集めるやろう。
それをようやく思い出したうちの顔が羞恥に赤くなり、何であんな事をしたのかという後悔が胸の底から湧き上がる。

漫「と、とりあえず!うちはお風呂行ってくるから!!」
京太郎「わ、分かりました。じゃあ、俺は外で待ってますね」
漫「な、何でなん!?」
京太郎「え…い、いや…だって、俺は犬ですし…」

混乱するうちの言葉に須賀君がまた予想外な言葉をくれる。
それに驚きながら声をあげれば、須賀君はなんともまぁ尤もな言葉を返してくれた。
確かにこのタイミングで行き先まで告げたら、そりゃあ待っていろと言う意味に取られてもおかしゅうない。
さっきまではさっきまでだっただけにうちが完全に墓穴を掘ったようなものやろう。

漫「そ、そういうのええから!…とりあえずハウスな!ハウス!!」
京太郎「は、はい…」

そんな自分の失敗が恥ずかしくて、照れ隠しに手で『しっし』とばかりに払ったのがいけなかったんやろう。
須賀君は目に見えて気落ちした様子で、そっと肩を落とした。
まるでシュンと言う擬音すら聞こえてきそうなそれに良心がズキリと痛み…そして胸の奥から何かが沸き上がってくる。
何処かドロドロとしたそれから目を背けるようにして、うちはそっと立ち上がった。

漫「あ、後で行くから…ちゃんとダッツ用意しといてや」
京太郎「あ…はいっ」パァ
漫「う…そ、それじゃまた!」

まるでご主人様に構われた大型犬のようなその嬉しそうな表情にドロドロとした何かが強くなる。
未だ自分の中で定義出来ないそれに、うちは逃げるようにその場から立ち去ろうとした。
そんなうちに周囲から様々な視線が送られるものの、それを一々、分析するほどの余裕はない。
ドキドキとうるさいくらい跳ねる鼓動とお腹の奥で渦巻くような何かを抑えるので精一杯で… ――

― だからこそ、うちはその正体に気づくのが遅れて…事態は取り返しのつかない方向へと転がっていった。





………

……




漫「あー…ええ湯やったんやけれどなぁ…」

そうポツリと呟くうちの周りには誰もおらんかった。
温泉で質問攻めにされたうちは洗うだけ洗って、とっとと上がり、こうして一人、歩いている訳や。
正直、衆人環視の元で色々やってしもうた自業自得やと分かっとるんやけれど、理不尽なものを感じてしまう。

漫「(まぁ…後で入りなおせばええ話か)」

温泉をかなり売りとして出している所為か、この旅館の露天風呂は深夜でも開いとる。
明日は朝から昼間で麻雀打って、その後、自由行動やから、その時にでも入り納めをするのもええやろう。
或いは須賀君の部屋に寄った後でも… ――

漫「(う…何なんやろ…もう…)」

須賀君の事を思い浮かべた瞬間、胸がトクンと跳ねて、お腹の奥が苦しくなる。
苦痛とも痛みとも違うそれを表すのに一番、相応しい言葉は『渇き』や。
まるで何かを欲しているのに、それが決して充足しない不満がグルグルと渦巻いとる。
須賀君と離れてから加速度的に大きくなっているそれにうちが何度、気を取られたか分からへんくらいや。

漫「(100%嫌なものやない…ってのは分かるんやけどなぁ…)」

寧ろ、それは自分でも理解出来ない大きな欲求であり、それが充足した時に幸福感に包まれる事が何となく分かる。
けれど、うちの身体が何を求めてるのか、まったく分からへんままやった。
お腹が空いてるのかと思って、お菓子もジュースも飲んだけれど、まったく満たされへんままや。
それでいてジリジリと爆弾の導火線が少しずつ焼けていくように焦りばかりが大きくなっていくんやから手に負えへん。
それが悔しくて一つため息を吐くものの、状況がまったく改善される事はなかった。

漫「(でも…須賀君…かぁ)」

そう胸中で呟いた瞬間、身体がジィンと熱くなる。
マトモに湯船に浸かれへんかったうちの身体を芯から温めるようなそれはとても心地ええものやった。
思わず脚を止めて反芻してしまうくらいのそれにそっとため息が漏れる。
けれど、それはさっきのものとは違い、何処か艶っぽいものやった。

漫「(欲しいな…)」
漫「えっ!?」

瞬間、自分の中で浮かんだ言葉に思わず驚きの声をあげてしまう。
それに周囲から怪訝そうな視線が集まり、うちの顔が羞恥に染まった。
けれど、それでも、さっき、心の中に浮かんだ形ある欲求は消えてはくれへん。
まるでうちの胸の中にこべりついてしまったように、ジンジンとそこを疼かせる。

漫「(ほ、欲しいって…何がやな…)」

再び歩き出して胸中で紡ぐその言葉は自分でも白々しいと思うほどやった。
幾らうちがそう言った経験がないと言うても…こうしてはっきりと言葉になると目を背けてられへん。
けれど、うちにとって、それは絶対に認めたくないものやった。
だからこそ、うちはそれを振り切るように脚を早め、半ば駆け出すように進み… ――

漫「あ…」

そして、気づいた時には須賀君の部屋の前にいた。
まるで自分の身体そのものが須賀君を求めているようなそれにうちは頭を振る。
ブルブルと水気を飛ばすようなそれでも、うちの中に浮かんだドロドロとした欲求はなくならへん。
寧ろ、こうやって扉と向かい合っているだけで、少しずつうちの中を侵食し、溶かしていく。
その何とも言えない不快感と快感にうちが自分を守るように肩を抱いた。


京太郎「あれ?上重さん?」
漫「っ!!」

瞬間、後ろから聞こえた声にうちは弾かれたように振り返った。
そこに居たのは昨日と同じく浴衣姿になった須賀君で、身体から湯気が立ち上っている。
ついさっきお風呂からあがった事が一目で分かるその姿に、うちの目は惹きつけられた。
雑用で鍛えられたのか、その身体は意外なほど引き締まっているのが浴衣の上からでも目に見えて分かる。
特にうちの目を引くのは浴衣から覗く硬そうな胸板や。
赤く茹だり、まるで興奮しているみたいなそこはとても美味しそうで…今にもむしゃぶりつきたく… ――

漫「(う、うちは何考えとるん!?)」

昨日はそんな事まったく考えなかった。
確かに思ったより浴衣が似合っているな、とは思っていたけれど、それだけや。
そんな踏み込み過ぎなくらい踏み込んだ事なんて欠片も考えてへん。
だけど…今のうちはまるで痴女みたいな事ばっかり浮かんどる。
そんな自分に軽蔑する感情すら感じるが、それでどうにかなるようなレベルはとうに超えとった。

漫「(う、嘘や…うち…うち…)」

そんなうちの中でメラメラと燃えるような何かが湧いてくる。
肌を内側からチリチリと焦がすようなそれは紛れもなく興奮や。
それと同時に…自分でも信じがたい事やけれど…ムラムラしとる…。
まるで須賀君の事が欲しくて堪らないみたいに…うちは…欲情してるんや。


漫「(あぁ…そっか…うちは…須賀君が…ぁ♪)」

自分でも半ば予想しておったその事実。
それがはっきりと言葉になった瞬間、うちの中の『何か』にビシリと亀裂が入った。
まるで自分を形成する中でとても大事なものが壊れそうになっているようなその恐怖にうちはその場に蹲る。

漫「はぁ…っ♪」
京太郎「ちょ…大丈夫ですか!?」
漫「(あ…あかん…来たら…あかん…っ)」

まるで膝から崩れ落ちるようなうちに須賀君が駆け寄ってくれる。
けれど、うちはそれに本能的な強い恐怖を感じた。
内心、嬉しく思っとるのに、何でそんなものを思うのか、自分でも分からへん。
でも…今だけはあかん。
他の時はええけれど…今、触れられたら…きっとうちは…うちは……ぁ♥

漫「ひ…ぅぅ…っ♪」

しかし、そんな祈りも届かず、須賀君の手が今にも崩れそうなうちの肩を支える。
そして…瞬間、うちの中が爆発したような熱気が湧き上がり、身体を熱くした。
今までのうちを形作っていた何もかもを焼きつくし、ドロドロにして新しく作りなおすそれに…うちは悦びすら感じていた。
まるで今から生まれ変わる自分が素晴らしいものであるようなそれに…ビシリとひび割れていた『何か』が崩れ…跡形もなくなっていく。

京太郎「う、上重さん!?」

そんなうちの顔を覗き込みながら、心配そうな表情を見せる須賀君。
その胸に抱き寄せられるような姿勢はとても安心して、そして気持ちええ。
だけど…今のうちはもうそんなものじゃ、我慢でけへんかった。
うちは…もっと…もっと……ぉ♥















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