(おかしい。どうしてこうなった)

 清澄高校麻雀部、唯一の男子である須賀京太郎は頭を抱えながら思った。
 夏の日差しとは無縁の、冷房のきいた部室。けれども、今は別種の寒さが支配している。
 一般的に、怖気とかそんな感じの。
 その発生源は、彼のよく知る五人の少女たち――言うまでもなく、清澄麻雀部の面々――だ。
 普段は牌を切る音や、かしましく談笑してたりするのだが、どういう訳かこの日は一様に無言。それぞれが伺うように、視線を巡らせていた。

(原因って、アレだよなぁ)

 結果的に無視されるような形となった京太郎は、所在無さげに目線をそもそもの発端へと向ける。
 目線の先。部室で様々な用途で使用されるホワイトボードには前部長、竹井久の直筆でこう書かれていた。

『須賀京太郎 強化プロジェクト』

インターハイも無事に終わり、なんやかんやとそれぞれが抱えていた問題もまるっと解決。
 東京とは言うもののその実、千葉の浦安あたりにあるTDLなんかで遊び倒し、地元に戻ってから数日の休養日を置いた後の部活動。

「全員揃ったわね。
 それじゃあ、今日の部活だけど……」

 言いながら、夏休みまでの限定で部長職を続けている竹井久がホワイトボードに文字を書いていく。
 件の、京太郎を強化すると言う旨だ。

「とまあ、インハイまで頑張って雑用してくれた須賀くんが新人戦を突破できるように、教えていこうと思うの」

「基本はひと通り教えられたと思うが、どうしても片手間になってしまったしのう」

 久の言葉に、染谷まこが同意を示す。
 県大会終了までは、京太郎も普通に麻雀を打つ機会が多かったが、やはりインハイに向かうとなれば、メインは参加する女子メンバーだ。
 対して、京太郎はそんな彼女たちに献身的なサポートを続けてきた。
 それに対する礼と言うのも変な話だが、恩返しとして教えていこうと言うわけだ。
 ある意味、インハイでも上から数えたほうが早い実力者からの指導だ。人によっては、金を払ってでも受けたいだろう。

「そんなわけだから、須賀くんにとってはお待ちかねね。
 ――それと、これまでありがとう」

「部長……」

 ジィンと、京太郎はこみ上げてくる物をこらえた。

「わぁ、これから京ちゃんともっと打てるんですね!」

 顔をほころばせ、宮永咲は手を叩く。
 こと、麻雀に置いては魔物とすら称される彼女だが、こうして見るととてもそうは見えない。純粋に、京太郎との対戦を楽しみにしているようだ。

「須賀君、頑張ってくれましたもんね」

 原村和が異論はないと微笑む。

「よ~しっ! それなら、この優希ちゃんが付きっきりで教えてやるじょ!」

 元気な声をあげて、片岡優希が京太郎の背中に飛び乗る。

「おいおい、お前の練習はどうするんだよ」

「まっ、京太郎はわたしにタコスを献上し続けてくれたからなっ。
 そのお返し分に、優希ちゃんの勝利の秘訣、きっかり伝授してやるじぇ!」

 京太郎からは見えないが、わずかに顔を赤くした優希が早口にまくし立てる。まるで、気恥ずかしさを抑えているかのようだ。
 それに気づかない京太郎は、軽く笑って優希の提案を受け入れる返事を返そうと口を開き――

「あー、ちょっと待って」

 久の一言で遮られた。

「その、ね?
 色々と迷惑をかけたって点なら、やっぱり私が一番だと思うのよ」

「自覚あったんかい」

 インハイの期間中、久は京太郎に買い出しを筆頭に雑務のほとんどを頼んでいた。酷い時など、まともに牌に触れないことすら、あった。
 団体でのインターハイ優勝。
 なまじ、それを実現可能なメンバーが揃ったがゆえの、愚直さであった。

「だから、恩返しって意味なら私がするべきじゃないかなぁって。
 ほら、後進に指導するのも上級生の役目でしょ?」

 と、どこかよそよそしく久が言う。
 なるほど、一見して筋は通っている。だが、眼が泳いでいるし、指先でくるくると、毛先をいじっていなければ。

「えっと、俺としては嬉しいですけど……」

「なによ? 私の指導じゃ不満?」

 ジッと、不安げな視線を京太郎に返す久。

「そうじゃなくて……」

 京太郎が懸念しているのは、ひとえに久の今後である。言うまでもないが、三年生の彼女にとって最後の夏休みは大事な時期だ。
 それを、自身の教育に使って良いのか。そう思いつつも、せっかくの好意を突き返すのはなぁと、京太郎が言葉を探していると助け舟はもう一人の上級生から出された。

「われ、受験の準備があるじゃろ?」

 次期部長のまこが、その独特の口調で久に待ったをかけた。

 

「部長として、最後まで責任を持ちたいってのはわかるけど、それで自分を蔑ろにしては、京太郎にとって負担になるじゃろ」

「……ぐうの音も出ない正論ね」

 苦々しい表情で、久が呻く。

「それに、上級生の役目と言うのなら、わしもおるじゃろ。
 ちょうど、次期部長じゃしな」

 くくっと、まこが身体を揺すって笑う。

「ええっと?」

 次々と自分が教えると言い始める部員たちに、京太郎は目を白黒とさせて事の成り行きを見守る。
 思考を放棄したとも言う。

「なぁに、そう身構えんでも良い。実はの、全国に行った影響かうちの店に客足が増えてのう。
 せっかくだし、人手を増やそうかという話になってな?」

「はぁ」

「どうじゃ?

 思うに、われに必要なんは経験じゃろ。その点、人の回転が多いからうちの店はうってつけじゃと思うぞ。
 もちろん、給料もしっかりと支給してやるけえの」

「ははっ、それはありがたいですね」

 と、京太郎は乗り気な様子を見せる。
 むっと、優希と久が口を挟もうとした瞬間。
 今までの流れからすると以外でもないが、もう一人が口火を切った。

「待ってください。
 今まで、須賀君に教えていた時間は、私が一番長いんです」

 和だった。

和の闘牌は、徹底した効率化による一芸だ。
 言い換えるとこれは、基礎、基本を突き詰めて完成させた境地と言える。
 そのためにか、和は役を覚えて間もない京太郎にたびたび教鞭を振るってきた。
 ――蛇足だが、わずかばかりに恋情のようなものも京太郎にはあったのか、よく聞きに言っていたことも追記しておく。

「対局なら、ネットでもできますし、インハイで知り合った全国の方々とも何時だって打つことができます。
 ええ、牌譜のやりとりもメールやチャットを使えばできますから、学校が終わった後でも、教えることだってできますよ」

 と、誇らしげにその文字通り頭ひとつは大きそうな胸部をはって言う。
 ぐんと、部室内の気温が四度は下がった。

「でも、流石に夜遅くまでは迷惑だろ?」

「ふふ。そんな、遅くまでやる気があるのはいい事だと思いますよ?」

 和が軽く微笑んで返す。
 思わず、京太郎の頬が紅潮した。やはり、あこがれとも言うべきものはまだ残っているようだ。

「あー、でもまって!」

 不意に、大きな声が聞こえた。
 今まで黙って成り行きを見守っていた、咲の声だ。


「ネット、でも確かに練習できると思うけど、これまでの分を考えると、やっぱり京ちゃんには直に牌を触って練習したほうが良いと思うよ」

 うんうんと、咲が首を縦にふる。

「それに、なんて言うのかな?

 なんとなく、京ちゃんにもそう言う能力があるんじゃないかなって思う時があるの」

「えっ? そんなの、あるのか?」

 能力と言えば、近年の麻雀大会で頻繁に見られる特異な現象だろう。
 筆頭と言えば、京太郎にはまず咲の嶺上開花を思い浮かべる。
 確実に引き当てる力。
 運と言うものを飛び越えた、その先。
 そんなオカルトだ。

「いやいや、ないだろ、流石に」

「ええ~、そうかなぁ。
 こう、ビビッと来るものがたまにあるんだけど……」

 ううんと、咲は何度か唸り声を挙げて考えこむ。
 微妙に、その特徴的な頭髪が蠢いている気がするのは、見間違いだろう。

「あるなら、それは嬉しいけどさ……」

 実際、先のインハイでもそういった能力は猛威を振るった。
 京太郎とて、男の子である。そういう特殊な力に対するあこがれはあった。

「でしょ! お姉ちゃんも今度、帰ってくるし、一緒に打ってればきっと覚醒とかしちゃうんじゃないかなっ!」

「それは、その前に壊れてしまいそうな気もするのだけどっ!」
 インハイでの咲の姉、照の様子を思い返しながら京太郎は苦笑しながら返す。

「京ちゃんの苗字は須賀だし、やっぱり風に関係ある能力? 風牌が集まりやすいとか」

「そうそう都合のいい能力はないだろ」

 風牌を一鳴きしてからの早上がりは、初心者でも分かりやすい役の一つだ。
 点数は低いが、早さを求められる場面ならば相当に強い。

「でも、そうだったらいいなって思うよ」

「なんでだ?」

「ほら、花の種は風が運んだりするからさ。峰の上の花の開花も、そうなのかも」

 ふへへと、咲が顔を緩めて笑う。

「まだ能力があるって決まったわけでもないってのに、気が早いな」

 京太郎も、そんな咲を見て笑った。

「とりあえず、誰が教えるか決めましょうか」

 一回りした所で、久が改めて口火を切った。

「そうですね。方法は?」

「この面子じゃし、麻雀じゃろ」

「いえ、それでは一人余ってしまいます。総当りの時間もありませんし、別の方法にしましょう」

「なら、タコスの早食いでどうだッ!」

「それ、優希ちゃんしか得しないよね?」

「……」

 全員が全員、睨み合う。
 誰もが、牽制するように相手を見ていた。

(う~ん。やっぱり、みんな自分の闘牌に自信があるんだな)

 などと、京太郎は勝手に理解した風に頷く。
 間違いではないかもしれないが、こう微妙に外しているのは気にしてはいけない。

「はぁ。もう、埒が明かないわ。
 こうなったら恨みっこなし! 須賀くんに決めてもらいましょう!」

 ややあって、久が嘆息しながら言った。それを皮切りに、全員の視線が京太郎へと向く。

「そうですね。それなら、まだ納得も行きます」

「京ちゃん、一緒に楽しもうよ」

「今なら美味しいタコスもついてくるじぇ」

「今後のためにも、損はさせんぞ?」

「悪待ちって、土壇場で決めるとカッコイイわよ?」

「須賀君なら、デジタルも極められると思いますよ」

「えっと……全員に教わるんじゃ、ダメなんですか?」

 

 京太郎の返事は、ある意味では最もでわかりやくく空気を外したものだった。
 ため息が誰ともなく漏れていく。

「京ちゃん……」

「はぁ、残念な犬だじぇ」

「わかっとった。このオチ、わかっとったよ、わしは」

「もう、とりあえず日替わりでいいんじゃないでしょうか」

「そうね。なんかもう、それでいいわ」

「あれ? えっ? 何か、やっちゃった感じ?」

「うん。でも、京ちゃんだしね」

「ええっ~なんだよ、それ~」

 わけが分からず、京太郎はただ不平を漏らした。


 この後は誰がどの曜日を取るかでまた揉めるのだが、それはまた別のお話。


 ――ひとまず、カン!