口笛の音がする。
空っぽのはずの教室に。
空気を切り裂き、何かを伝えようとするように。


京太郎「菫さん?」

夜だ。既に電気は消され真っ暗闇の中に一人、女性がいた。

菫「ん? ああ、須賀君か」

相変わらず、美しいと感じた。
凛々しいと言い換えても良い。
ただ、それはどこか『創られた/作られた/造られた』ものに見える。


京太郎「口笛、聞こえてましたよ」

攻め立てるわけではなかったし、ただ事実を有りの侭に伝えただけだったが、菫は少し頬を赤く染めた。

菫「聴かれてしまっていたか」

京太郎「上手でしたよ? クイーンですよね? タイトルはーー」


京太郎「『need・your・loving・tonight』」
菫「『 need・your・loving・tonight 』」

放題は夜の天使。


菫「知ってたのか」

京太郎「ええ」

少し笑って、

京太郎「好きですから」

それよりも、

京太郎「菫さん、ロック、聴くんですね」

なんと言うか、どちらかと言えばクラシックのイメージが強かったから意外に思えた。
これも一つの偏見、なのかもしれない。


菫「ふふ、意外か?」

京太郎「そうですね。意外と言えば意外です」

ただ、ロックが似合わないなんてことはなくて、むしろ菫自体の雰囲気と相まってかなり似合っていると言えた。

菫「これでもいろいろ聴いているつもりでね、と、須賀君は何故ここに?」

京太郎「忘れ物ですよ、ただの、ね」

菫「そうか」

京太郎「はい、と、それで、菫さんは?」

菫「多分、忘れ物さ」

京太郎「それは、形に出来ないものですか?」

京太郎は聞いた。
菫は少し目を見開いて、しかしすぐに笑い、

菫「さぁ?」

誤魔化すように、笑った。


菫「きっとそうかもしれないしそうではないかもしれない」

ただ、

菫「言えるのは、それすらも私は忘れてしまってるってことさ」

京太郎「本当の自分を見失いましたか?」

菫「そもそも本当の自分とはなんなのだろうな?」

京太郎「仮面の下にあるもの」

菫「女の仮面は、何処までが本当で何処までが嘘かわからないものさ」

京太郎「そうなのかもしれませんね。俺は女性と付き合ったことがないからわかりませんが」

しかし、

京太郎「少なくとも今の菫さんは嘘には見えない」

菫「そうか。根拠は?」

京太郎「ありません。強いて言うのなら、男の勘?」

菫「疑問形か」

京太郎「はい。俺は、菫さんではないから、菫さんを理解することは出来ません」


だけど、

京太郎「理解しようと努めることは、出来ます」

だって、

京太郎「俺は、いつだって貴女を眺めていますから 」

菫「唐突な、告白だ。脈絡がないな」

京太郎「もしも恋をするならばきっとそれは音みたいに速く近づいてきて、光速で疾り去っていくから。だから告白も、そんなふうになっただけですよ」


菫「哲学的だ。悪くない」

笑い。

菫「私は、あまりにも私を蔑ろにした。私は誰かの思う私になろうとした。私は誰かの望む私であろうとした」

間が空き、息。呼吸の音が聞こえて、

菫「だから私は忘れてしまった。この思いすら本物なのか分からない。須賀君、君はどう思う?」

京太郎「そうあればいいと思います。だから、こちらを向いてほしい。貴女に。俺を見てほしい」

菫「見ているさ」


京太郎「貴女の心に見てほしい」

菫「なら、そうさせてくれ。今、私の中で渦巻いているものを本物にしてくれ。須賀ーー京太郎」

京太郎「ええ、だから貴女も俺を視てください。俺はいつだって、ここにいるから。俺に背を向けないでほしい」

菫「向けてなんかいないさ」

京太郎「誰にでも背を向けているから」

菫「そうだな、そうさ。誰もがそうあれかしと望んだから」

京太郎「なら、俺が思えば変わりますか?」

菫「変えてくれるんだろう」

京太郎「ええ」

数秒。
水音。