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お気に入りのシュークリーム。一個350円をそっと口に近づけてみる。 「ぅぷ…!」 須賀照は、思わず吐きそうになって口元を抑えた。 シュークリームの芳しい匂いが、今は不愉快極まりない。 「照さん…せめてお腹が引っ込むまでは我慢しましょう」 「うぬぬ…!」 「そんな怒ったような顔しても、無理なもんは無理です」 須賀京太郎は苦笑しながら、姐さん女房の頬を撫でた。 美人はむくれた顔も可愛いのだと、妻を見ながらそんなことを思う。 その名の通り、遍く世界を照らすように麗らかな、彼の最愛の女性。 「照さんが苦しいと、この子も苦しみますよ」 「それは…そう、だね…」 京太郎が撫でるお腹は、細い体に見合わずぽっこりと膨らんでいる。 照は今、夫である京太郎との赤ん坊を身籠もっていたのだ。 「妊娠すると、今までの好物も食べられなくなるとは聞いていた…けど」 そういう彼女がむしゃぶりついているのは、丸ごとのレモンであった。 常人なら嘗めただけでも顔をしかめるそれを、照は平然と平らげていく。 「こんなに酸っぱいものを食べたくなったのは、生まれて初めて」 「まあ、昔っから甘いものばっかり食べてましたからね、照さん」 そう言う京太郎は、照の幼なじみであり弟分で、心許せる唯一の異性だった。 「子どもっぽいと言うか、でもそんなところが魅力的なんですよ」 「むっ…これでも私は、人生の酸いも甘いもかみ分けてる大人の女」 「ああ、梅干したこ焼きとチョコたこ焼きのロシアンルーレットとかやりましたね」 ─だから彼は、照の幼いころの恥ずかしいエピソードもよく知っている。 「照さんったら、チョコ入りを逃したくないから全部口に放り込んで涙目に」 「待って。京ちゃん、それ以上は言わないで…!」 照は思わずレモンを取り落とし、真っ赤になって俯いた。 他に誰が居る訳でもないのに、今日は何だか妙に気恥ずかしい。 京太郎も、いつもはマイペースな照の初心な反応に驚いたのか、目を瞬かせる。 妊娠中と言うこともあるのだろうか。肉体のみならず精神も大分変調しているようだ。 「うーん…こういうしおらしい照さんも可愛いなぁ!」 「ひゃん?!」 しかし彼もすぐに気を取り直すと、照を痛めつけないよう、だがしっかりと抱き締めた。 「でも、気分が悪くなったらすぐに知らせて下さい。俺はすぐに駆けつけますから」 「だけど…京ちゃん、いつも忙しいのにあんまり迷惑はかけられない…」 「大丈夫!照さんと子どものためだったら、どんなに苦労したって構わないから」 こういうことを見つめながら言われると、照も赤面して押し黙るほか無かった。 京太郎は昔からこうだった。常に他人を気遣い、周囲への貢献と配慮を怠らない。 そのくせ自分がぞんざいに扱われても、その不満や泣き言を口に出さないのだ。 ─ああ、なんて愛おしくて…なんて心地良いんだろう…でも…。 思わず甘えて全てを委ねたくなる誘惑を振り払うと、照は大切な言葉を紡ぐ。 「京ちゃん…愛しています。だから私も一緒に…ずっと一緒に、がんばるよ」 それは、全てを照らし包み込む太陽のように、輝かしくも暖かい笑顔。 これから母になる彼女の微笑みは、どこまでも美しかった。 完

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