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 目の前にとても美味しそうなものがある。  それは抗い難く、人の理性を剥ぎ取り暴くよう芳醇に香る。一口齧れば、忽ちの内に二口、三口と歯止めが効かなくなる。  本能のままに貪ることが楽になる方法だ。 「京太郎さま」  甘い、甘い、熟した果実よりもずっと濃厚な匂い。  潤んだ瞳、上気して林檎のように赤い頬、今が食べ頃と報せる完熟した淫靡な色香。  少女から女へと変遷するこの時しか発せられない狭間を揺蕩う怪しげな魅力を前にして、名を呼ばれた少年は喉を鳴らす。 「京太郎さま」  呼ばれ、望まれ、求められている。 「や、やめてくれ、くっ来るな、来ないでくれ」  拒絶の言葉が聞こえていないのか少女は後退る京太郎に近づいていく。その距離は背後に壁を迎え、逃げ場の喪失に伴い詰まっていった。  手を伸ばせば触れ合える。  互いの息遣いさえ感じ取れる。  彼我を遮るものは何一つとてない。 「京太郎さま」  艶やかに、瑞々しい唇が開き、既に幾度目か愛しそうに彼の名を呼ぶ。ほっそりとした少女の柔らかい手が伸びる。 「ひっ……んぅッぅ!」  悲鳴が零れるよりも早く、口で塞がれる。  拒もうと、強く押し返そうと、抗えば抗う程に受け流され、それどころか蜘蛛の巣に捕まった獲物のように絡め取られていく。  必死の抵抗で無駄に酸素を消費し、初めての接吻に鼻で息継ぎをするような余裕もなく、空気を求めて口が開く。  それを待っていたとばかりに少女の舌が京太郎の口内へと侵入し、蹂躙する。 「んっ、んんぅ……」  二人しかいない部屋にねっとりした水音が響く。  頭の中は真っ白に染まり、冷静な思考力は消え去った。原初の獣、理性が剥ぎ取られて露になる本能は打ち震える。  濁った目と向かい合う欲望に溺れた眼。  粘膜と粘膜が蕩け、軟体な動きで歯先、歯茎、奥歯、舌の表裏、内頬、口の中の至る所を愛撫する。  弛緩し、垂れる涎。  飲み、飲まれる唾液。  鼻腔を擽り、重なる鼻先に、啄まれる唇。服越しに伝わる異性の身体、抗う意志が欠き消えていく。  少女の身体が僅かに離れた。 「あっ」  自信の口から漏れた声を自覚し、京太郎の心に皹が入った。  その声は名残惜しさを余すことなく乗せていた。間抜けに開いたままの口からは別離を望まないとばかりに濡れた真っ赤な舌を伸ばしていた。 「お、俺は……」  自虐の念に包まれ、頭が垂れる。  それを包み込むように優しく少女は抱き留める。 「京太郎さま、良いじゃないですか。流されても良いんですよ。貴方は何も悪くない、悪いのは私、そうでしょう?」  何もかもを赦す少女の甘い言葉。  柔らかな双丘に押し当てられ、噎せ返るような色濃い匂いに頭が痺れる。皹を押し広げ、亀裂となり、ボロボロと崩れていく。  理性の壁を取り払い、獣性を解放すればどれだけ気持ち良いのだろうか。先程よりも、それを遥かに越えることは疑いようもない。 「ごめん……」  その呟きを最後に京太郎は抗うことを諦めた。脳裏に浮かんだのは想い人である一人の少女。  もう届かない。  潔癖な所がある彼女にこれから汚れてしまう少年の想いは届くはずがない。 「京太郎さま」  あやすように少女の手が彼の背や頭を撫でる。  その表情は歓喜に満ち、情欲に蕩け切っている。巫女にあるまじき姿なり。  神代小蒔は須賀京太郎を押し倒した。そしてじっくりと骨の髄まで絞り尽くすように食べ始める。 カンッ!

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